Redout チーム 旧日本語訳ベースのチーム紹介文まとめ

Last-modified: 2022-05-14 (土) 20:54:54

ESA-AGR

ESA-AGRは火星の開発が進んでいた当時の高高度偵察機をテストしていた欧州宇宙局の分科だった。
空気力学と効率的な推進技術、電磁場技術の発達は、赤い惑星をテラフォーミングするにあたってとても重要だった。
加えて超高速競技用飛行機体を制作するのに非常に便利であった。
創設者は、最初のAGレーシングの誕生をサポートした。
SRRL(ソーラーレッドアウトレーシングリーグ)を支え、財政的にも支援。
その結果、ESA-AGRはAGレーシング界で最も長い歴史と共に、名誉な歴史を誇るチームとなった。

ESA-AGRの飛行機体は万能型である。加速とグリップはリーグ最高レベルだが、他は平均的だ。
パワーアップとターボエネルギーストレージが不足している側面もある。
負荷を避けて重量を削減する過程で、バッテリー容量と生成機を最小限に縮小したからだ。
パワーアップにあまり依存せず、従来のレース方式を好むパイロットにふさわしいチームだ。

KOENIGGSWERTH ENGINEERING

KOENIGGSWERTH ENGINEERINGという名称は、非常に古い名前だ。
本来は開拓事業が行われる前に、地球上の幾つかの自動車レースに定期的に参加していた、ドイツのチームの事だ。
エクソダス、すなわち、人類を地球から逃さなければならなかった時、脱出の前に解散した最後のチームの一つだった。

時は流れ、火星のテラフォーミングが終了した2450年に、最後の所有者の孫によってチームが再建された。
再設立されたKOENIGGSWERTH ENGINEERINGは、特に妨害も無く、SRRLが誕生するまで22年の間に、
既存の四輪レースリーグに参加した。初期では莫大な費用のために、
KOENIGGSWERTH ENGINEERINGが反重力レーシングリーグに参加する事を嫌っていた。
しかし数年後、元北欧及びAmericaのエネルギー会社からの多額の投資によって参加が叶う事となった。

KOENIGGSWERTH ENGINEERINGの飛行機体は重くて丈夫だ。
優れた磁気グリップと、全チーム中で最も頑丈な構造だ。
エネルギーも容量、充填も良好、ターボブーストも強力だが、とにかく重い。
その為、加速と最高速は平均より僅かに下回る。が、耐久性は比類の無いものだ。
パフォーマンスよりも耐久性を重視するパイロットは、途中までの順位を保持して、
適切なタイミングでターボを使用して順位を奪い取る事が出来るだろう。

SULHA AG RACING

SULHA AG RACINGという名称は、歴史に根幹を置いている。
起源を遡ってみると、2028年にイスラエルとパレスチナが合同で発足した
「SULHA RACING」という古いレーシングチームがある。
このように誕生した協業体は両国から支持を受けて、経済的にも豊かであったが、
これは地理的な要因により、長い間の葛藤を経験しながら生じた文化の障壁を減らし、
安定性を図り、平和の時代を実現しようとした。
SULHA RACINGはラリーを主力に参戦していた。有名なダカールラリーの最終大会を好成績で終えており、
研究の裾野を広げて、初期開拓事業が進行されていた当時の月で開かれた車両関連活動分野にも参加。
以後、タイタン開拓事業の当時、会社が新惑星で使用する大規模輸送車両の生産に集中、
そこからレーシング部門が解体手続きに入り、最終的には会社は合併された。
SULHA AG RACINGは火星を拠点とするエンジニアリング会社と、タイタンを拠点とするエンジニアリング会社の
合同事業として誕生した。チームの名称とその歴史は、異なる2つの世界を統合して共に進むという意味を象徴する。
SULHA AG RACINGがSRRLに参戦してからまだ数年しか経過していないが、すぐに最高のチームの一つとなり、
自社の飛行機体の最大の速度とハンドリングを極限まで引き上げている。

SULHA AG RACINGの飛行機体は物凄いスピードが自慢だ。
事実、機体の80%がエンジンとエネルギーストレージである。
彼らには加速、速度、エネルギーが競争の基準だ。グリップや全体的な耐久性については特別な関心が無い。
レースの途中に何回か復活するリスクに耐えられる勇気があるか、完璧な走行の腕前を発揮して防御壁に
衝突しない自信があるパイロットに相応しいチームだ。

CONQUEROR TECHNOLOGIES

CONQUEROR TECHNOLOGIESは、月で誕生した。
米国出身の二人の事業家が作り出したチームで、特別な希望もなくルナラリーチャンピオンシップに参加したが、
偶然にもネイティブアメリカンの血統であり、創業者の友人であったColin Cheeの実力のおかげで
総合成績2位で大会を終えた。その日から、会社は多額の投資を募り、数年後にはAGレーシングに参加する事となった。
CONQUEROR TECHNOLOGIESの飛行機体は、幸運を祈願する意味で
ロマンチックな古代インディアンの名前が付けられた。

CONQUEROR TECHNOLOGIESはとっつきにくい。どっしりとした上に、別に俊敏でもなく、瞬発力にも劣る。
しかし、本当は強力だ。速度が上がればそのペースを追える飛行機体は殆ど存在しない。
更に頑丈で耐久性もある。バッテリー容量は限られるが、充電速度は素早い。
優れたパイロットなら、加速力の悪さを補うために爆発的なターボを使うだろう。

ASERA

ASERAは地球の日本、台湾、ベトナム、韓国のエンジニアリング会社が力を合わせて誕生した企業だ。
その直後、彼らはテラフォーミングが可能な車両を作ろうとアジア太平洋宇宙局と定期的なコラボレーションを開始。
ASERAエンジニアリンググループは、その後、宇宙認識航空機体制作に足を踏み入れた。
ESA-AGRと同様、宇宙探査は非常に高速なAGレーシング飛行機体の発展にも大きな影響を及ぼした。
結果的に、ASERAは悠久で名誉な伝統と共に、常に革新的で最先端を走るチームとなった。

ASERAの飛行機体は、その全てがエネルギーストレージに集中している事を覚えておこう。
パワーアップとターボを有効利用する事が、核心となる走行技術だ。

LUNARE SCUDERIA

LUNARE SCUDERIAは、元イタリアのエンジニア、高級ブランド企業を辞職した人、
パイロット一族の子孫が集まり始まった現代のレーシングチームだ。
LUNARE SCUDERIAは、2548-49シーズンで初めて足を踏み出したが、最下位に終わってしまった。
以来、チームは着実に努力を重ね中位圏まで成長し、2554-55シーズンにはZannaとZarandiと言う
2人のパイロットの卓越した技量と、彼らのナノセラミックインジェクターによって輝かしき勝利を手に入れた。
それにより、チームは必要だった財政的投資を受け、広告とスポンサーシップの後援により、より多くの支持を集めた。
以降、LUNARE SCUDERIAは最上位圏で争うチームとなった。

最高水準の加速力と最高速度、優れたハンドリングを誇るLUNARE SCUDERIAの飛行機体は、
最も軽い構造を採用、これによりエネルギー容量と耐久性を犠牲にする形となった。

BURAN

AGレーシングチームBURANは、新興の強者だ。
2558年、Sveta SavitskayaとTaylor Wangによって設立され、BURANという名称は
ソ連で行われた最初のリサイクル可能な宇宙船のプログラムの名称を継承したものだ。

SavitskayaとWangは、2562年、タイタン物理大学でAG超伝導体の博士号を準備している時に出会った。
AG分野に関する革新的な研究を経て、彼らはESA-AGRのレーシング部門に就職した。
その当時は、2人のエンジニアが会社を離れ、独自の会社を立ち上げ、
同じ分野の競争相手になろうとは考えられていなかった。しかし、2人は私財を出して実行した。

BURANは2557年に誕生し、Class IのMOLNIYAでSRRLに進出。
印象的なデビューと共に、BURANは全体3位でシーズンを終了。
そこから、追加の資本を見つける事は大した問題ではなかった。
僅か3年で、BURANは全てのレーシングクラスでAG飛行機体を制作する事が出来た。
そして、今は一貫してトップレベルの争いをしている。

BURANの飛行機体は大器晩成型であり、後から追いつくタイプだ。
加速とエネルギーの充電速度は不足しているが、最高速はリーグ最高レベル。
更に、エネルギーストレージとブーストの威力はASERAと競合する程だ。
機動性よりも頑丈さが強い、すなわち、BURANの飛行機体は丈夫で速いロケットと同様だ。
熟練したパイロットが搭乗すれば、非常に競争力のある機体になるだろう。