江口勝敏

Last-modified: 2025-01-12 (日) 06:22:07

2021.7.26(月)、音楽プロデューサー江口勝敏の訃報が知らされた。江口はゲーム音楽との関わりも深く、ここで氏についてまとめておきたい。ジャンルが広く括りづらい方だが、大雑把にいえば「パンク期~ゲームレコード期~飯野賢治期~アニメ期」に大別される。

3/3 (1973~1977)

名の由来は、渡辺作郎(=カント)が1970年頃から主宰していたマルチ・アート集団○△□(まるさんかくしかく)のミニコミ誌『4/4』から。レックと親交があり、ベースとして参加。ヘルプ要員だったと思われる。

3/3メンバー
・レック(g,vo/後にフリクション)
・チコヒゲ(ds/後にフリクション)
・スギタ=杉田(b/元スーパー・ヒューマン・クルー)
・ヒゴヒロシ(b)
・安藤篤彦(g/LP発売後1976~頃参加。ライブ音源のみ現存)

http://spaceape.html.xdomain.jp/untitled/prefriction03.html
https://blog.goo.ne.jp/stillgoo/e/4f9372b2a5b6a938c3fd926c1ecfe41f

スーパーヒューマンクルー(1972-73)
・有田武生(vo/gt)
・杉田(b)
・ビショップ(dr/京都から上京)
・原田詳経(key/後年参加。京都から上京)

スピード (1976~)

・ケンゴ=鈴木研五(vo/1949年、三重県生)
・青木眞一(村八分)→川田良(フールズ)
・鬼頭準一郎(sax)
・井出裕之(b)→バニラ(b)→江口勝敏(b)
・ボーイ(dr) などと変遷
http://bridge-inc.net/?pid=1756325
1985.10.12のライブ録音盤「KISS ON」ではスペシャルサンクスとしてクレジット。
https://note.com/modern_lotus226/n/n3b239a49da24

S-KEN (1978.9~1979.3)

S-KENが結成したバンド「S-KEN」のベーシストとして参加。
S-KEN主宰のインディーズパンクイベント「東京ロッカーズ」(1978.10.1~)にも関与。
S-KENメンバー:田中唯士(vo)、富田英次(dr)、江口勝敏(b)→小林秀夫(b)、増尾元章(gt/増尾好秋の実弟)→??ほか変遷あり
http://radiodaze.g2.xrea.com/KKK1sken.htm

1979.7.21 トーキング・ヘッズの来日ツアー(at京都大学西部講堂)の前座を務める。この時、ティナ・ウェイマス(トーキング・ヘッズ)のベースが壊れたため、江口の所持品を貸与した。

S-KEN(田中唯士)
1941生。大学が電気通信専攻だった為、いすゞ自動車の電算機センターに就職。システムエンジニアとして在庫管理などに携わる。ゼネラル・エレクトリック社と東芝が作ったTOSBACなる大型コンピュータに残業100時間超で向きあうことに疲れ退職。音楽の道を模索する為、バイトをしながら開講したばかりの恵比寿のヤマハに通う。作編曲コースの同期に、萩田光雄、林哲司、佐藤健、佐瀬寿一、増尾元章、小野山雅夫ら。スクール内での自作曲はそのままポプコンへ投稿されるシステムがあり、幾つもの賞をとり始めた結果、楽曲がポーランド音楽祭出場にまで至る。(歌唱はアイ・ジョージ)。CBS・ソニーから選抜メンバーでデビューをとの要請があり、増尾(g)、小野山(g)、佐藤(b)富田英次(dr)とでピースシティーとしてデビュー。「しぶう」(1971)「自由通りの午後」(1972)の2枚のシングルを出して消滅。「ZUM-ZUM」なる同人誌が評価を得てヤマハの嘱託となり、月刊音楽誌「ライトミュージック」の編集兼ライターとなる。この頃、同誌に投稿していたミュージシャンの1人が細野晴臣で、細野は当時から感性が鋭いと言われていた。リコス・クレオール・バンドやマーティン・デニーに傾倒していたS-KENは、細野にエキゾチックサウンドについて熱く語って交流が生まれるのだが、同時期、細野は久保田麻琴からもエキゾチックサウンドについて聞かされていた。三者が同時多発的に似た発想を抱いたことにS-KENは驚いたという。1976年に「ライトミュージック」誌の特派員という形でニューヨークに渡ることを画策。稟議が通って渡米に成功する。現地であらゆる音楽や映画の文化に触れる中でパンクに傾倒。1977~78頃帰国した。レックのフリクション結成を聞いて刺激を受け、ライター生活と並行して音楽活動を再開。これがバンドS-KENとなる。名の由来は。子供の頃に遊んだSの字合戦なるゲームと、ストリートファイティングのSから。

S-KEN「魔都」(1981)

S-KENがバンド名から個人名となる。
・江口勝敏(ba)
・ネズミ=富田英次(dr)
・坂本みつわ(key?/b?)
・マキ(g)
・デニスマイヤー(g)
・猪野陽子(key)
・レック(b)
・チコヒゲ(dr)
・梅津和時(sax)
・荒川勝(ディレクター/日本コロムビア)

戸川純(1984)

アルファレコードから出た「玉姫様」のプロモーションを担当。ディレクターは小尾一介(後のサイトロンレーベルオーナー)。

有限会社PCM (1981頃~)

「魔都」参加後、裏方に転身。戸川のプロモーションやヒカシューのマネージャーを経て、門池三則と共に立ち上げたインディーズレコード&コンサート制作会社。メジャーが扱わないロック/パンク/ニューウェーブバンドのイベントやマネジメントを主業とし、ここにはラフィンノーズ、町田町蔵、有頂天、ヒカシュー、筋肉少女帯、たま、JUN SKY WALKER(S)などが出入りしていた。イカ天前夜、バンドブームが到来する前であった。ちなみに門池はJUN SKY WALKER(S)のメジャーデビューと共に株式会社バッドミュージックを創業、Mr.Children、the pillows、ミッシェルガン・エレファントらを送りだすことになる。ちなみに大槻ケンヂの愛称「オーケン」はS-KENから来ていて、本人許諾済みである。

株式会社プレスクラブ・ミュージック(1984.12)

レコード企画制作会社。前述の有限会社PCMとの線引きは不明。ただの改組かも知れない。バンドブームを牽引し、通帳には億単位のカネが振り込まれる状況に。伊豆下田に温泉付きのレコーディングスタジオを建設。スタジオは1991頃には存在していたが、稼働開始日は不明。

在籍アーティスト
・ゴーバンズ
・カブキロックス
・たま

キャプテンレコード(1985~)

雑誌「宝島」と共同で設立、プロデューサーに就任する。前述の有頂天らインディーズバンドのリリースを活発化させたが、一方ではインディーズの商業主義と揶揄された。同時期に「PCMレコード」と言うレーベルもあり、キャプテンレコードとダブルブランドになっていて、その棲み分けは不明だが、PCMはディストリビュートのみを請け負っていたのかも知れない。
https://www.discogs.com/ja/label/239854-PCM
https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/library/yamaha_news_jpn/pdf/index/273_YamahaNews_J_1986.pdf

1985年:ピッキーピクニック『Ha!Ha!Tarachine』プロデュース
・轟かおる(vocal)
・飛鳥優司(楽器全般)
・吉川洋一郎(サウンドプロデュース)
・武澤啓之(ディレクター)
・玖保キリコ(後に参加)
・小里誠(後に参加)
・伊達尚(後に参加)
https://atfirst-atlast.sakura.ne.jp/garage/picky-haha.htm

1991 S-KENと再会

疎遠になっていたS-KENと再会。

PCM complete

いつの頃からか、江口の所属先として「PCM complete」というクレジットが目立つようになる。
社名由来の通称と思われるが、1990年の有頂天「でっかち」の段階では既に使われていたようで、前述の改組タイミングだったのかも知れない。
http://gammaray.blog.jp/archives/17380465.html

・ヒーリング企画CD「恐竜時代」
・1993 カブキロックス ゲームミュージック・サウンド (TYCY-5331)
・ポポロクロイス物語 (NACL-1224)
・鉄拳2 STRIKE FIGHTING Vol.1 (NACL-1225)
・鉄拳2 STRIKE FIGHTING Vol.2 (NACL-1229)
・鉄拳2 STRIKE ARRANGES (NACL-1238)

フューチャーランド (1985~1998)

キングレコードのスターチャイルドレーベルを離れた藤田純二を中心としたスタッフが、東芝EMIの出資を受けて作ったのが株式会社ユーメックス。そこで抱えた2大レーベルの片方がフューチャーランドである。ここで江口は(PCMに在籍しながら)セガのS.S.T.BAND後継ユニット「B-UNIV」などをプロデュースしている。アンダーグラウンドなバンド発掘を活動の中心にしていた江口が、どういった経緯でアニメ/ゲームの世界に足を踏み入れることになったのかは不明。過去のインタビューで「パンクとアニメのファンは似ている」との発言もあるが.......新しいもの好きの性格にフィットしたのだろうか。

ファーストスマイル・エンタテイメント株式会社 (1996~2000)

スタジオジブリなども手がけたミキサー・大川正義が起業した、アニメ/ゲームに特化したレコード会社。PCMは解体させファーストスマイルに移籍。大川と共にプロデュース業に携わる。ちなみに同社カタログの1作目は飯野賢治の「エネミーゼロ」

株式会社スーパーワープ(2000~)

ゲームクリエイター飯野賢治の出世作「Dの食卓」(1995)の音楽制作を担当以降、音の参謀として彼をサポートしていたが、飯野が持つ株式会社ワープが株式会社スーパーワープへ商号変更し、入社。

株式会社フロムイエロートゥオレンジ(2001~)

株式会社スーパーワープから改組。そのまま在籍している。2013年、飯野はKAKEXUN(カケズン)プロジェクトを立案するが2月に急逝し、江口がCEOとなって後を継ぐことになった。2014年にはクラウドファンディング「モーションギャラリー」にて支援プロジェクトが始まり、(当初1500万だった目標額を500万に変更しながらも)達成を果たしている。江口以外で明かされているスタッフは、チーフディレクター飯田和敏(アートディンク→有限会社パーラム→有限会社バウロズ→グラスホッパー・マニファクチュア→立命館大学 映像学部教授)、制作ディレクター佐藤直哉。ここに飯野が以前運営していた株式会社ワープの元スタッフから成る株式会社ワープ2(2013.10登記/林田浩典、菅村弘彦、宮崎朋浩)が合流している。
https://kakexun.asia
https://motion-gallery.net/projects/kakexun
https://fyto.com
http://warp2.co.jp
https://blog.kakexun.asia/tagged/江口勝敏

晩年

2014年にセブ島に移住。
アニソンイベント「スーパーアニソン魂」の仕事などを続けながら、書籍「非物質ガイドとの探索」シリーズ(全3冊)などの編集も行なっていた。
江口は音楽業界に40年(45年?)携わりながら、ここ15年は平行してIT業界でも仕事をしていたようだが、具体的にどういったプロジェクトを手がけていたかは不明。
S-KENによれば江口は読書家で、ルドルフ・シュタイナーの思想本やインド哲学など、ちんぷんかんぷんな話を氏から聞かされたという。

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