昭和天皇と戦争指導

Last-modified: 2024-04-30 (火) 19:44:05

477 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/26(月) 00:29:24.50
山田朗「昭和天皇の軍事思想と戦略」読み終わりましたよ~今日は(疲弊)
専門書はやはりキツい(再確認)

 

昭和天皇のところに軍事情報はほぼほぼ正確に伝わってたりしたあたりを再確認できたりしたのはよかったけど
概ね2010年代に出版された書籍で触れられている部分が多いので(というか多分元ネタ)
今から読むのは少し微妙な感じがしないでもないですねクォレハ…
というか今から読むなら同「昭和天皇の戦争」で概ね十分ですね、間違いない

 

ただ降伏後の帯刀帯剣問題に関する論述などは辛辣そのものながら確かにそうだと思った(小並感)
連合軍捕虜を強制労働させておいて自分は降伏しても強制労働なし帯刀可を要望とかナメてんのかオラァン!

 

478 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/26(月) 07:40:19.06
武家じゃあるまいに皇族が帯刀ってのはちょっとずれてるかな…
昭和天皇に正確な軍事情報が伝わってたという根拠はどんなのがあるんでしょうか…?

 

479 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/26(月) 10:15:43.44

>>478
前者に関しては日本軍全体の帯刀帯剣ですね


連合軍側は外地での交渉でも、中央でのGHQとの交渉でも帯刀・帯剣は認めなかった。
むしろ外地では、将校の軍刀放棄が武装解除セレモニーの中心となった場合もあった。
しかし、大本営は最後までこの帯刀・帯剣問題にはこだわっていた。
...日本陸海軍は、十五年戦争においてさまざまに国際法規を軽視あるいは無視してきたにもかかわらず、
みずからの「名誉」保持には国際法を持ち出すというこの姿勢は、当時の日本軍の心性と国際感覚をよく表している。
...また大本営は、天皇の命令による停戦は「降伏」ではなく、
将兵が連合軍の勢力下に入ることは「俘虜」ではないと合弁した。
外地部隊の武装解除についても大本営は、軍人の名誉の問題として、
ポツダム宣言受託の際から国際法まで持ち出して自主的武装解除後の軍人の帯剣・帯刀に執着し、
降伏文書調印後も最後までこの件に関しては要求の貫徹を図ったのである。


日露戦争で帯刀帯剣を許したのが美談扱いなのに自分から要求するのは筋違い…筋違いじゃない?

 

後者に関しては毎日戦況報告が配られると同時に
大きな動きが合った場合は参謀総長・軍令部総長が拝謁上奏で伝えてますね
現物も残ってて日本軍側については輸送船の損害等細部に至るまで
極めて正確な被害状況が伝えられてると言っていいですね、ハイ

 

483 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/26(月) 13:10:16.35
そういえば終戦後日本兵がイギリス軍に普通なら捕虜虐待そのものだろとかいう扱いを受けた例がありますけど
よく考えたらあの件でも捕虜扱いを拒否した結果でしたね(回想)

 

484 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/26(月) 13:23:07.14
捕虜じゃないなら捕虜虐待じゃないよなぁ!?

 

481 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/26(月) 13:02:39.63

>>479
ひで並みに自分の置かれた状況わかってないのか旧軍は・・・(呆れ)
ぶっちゃけ、ソ連あたりに静岡辺りまで占領されて現実直視したほうが良かった(小学生並みの願望)

 

486 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/26(月) 20:30:54.76

>>479
沖縄の戦いにおける
「不利になれば今後の戦局憂ふべきものあり、現地軍は何故攻勢に出ぬか(迫真)」
とか有名ですね…

 

487 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/26(月) 21:22:16.34

>>486
というか緒戦のフィリピン戦から既に作戦介入しまくってて
ソロモン方面やサイパン戦の頃だと素人丸出しの口出しまでしてますね(呆れ)


六月二十四日、東條・嶋田両総長は、サイパン奪回作戦を断念したいと上奏した。
だが、天皇はそれをすぐには認めず、本当に奪回は不可能か否か元帥府に諮詢したい、とした。
翌二十五日...元帥会議が開かれた。もっとも、この会議でサイパン奪回の妙案が出るはずもなく、
各元帥たちは一様に統帥部案(サイパン奪回断念)を支持した。
しかし、天皇はあくまでもそれに不満だったようで、
みずから「更に申し述べることなきや」と各元帥の発言をうながしたが、
杉山が統帥部案支持を再度表明しただけに終わった。


全体的に見ると自国の国力を無視したような攻勢主義的発言のオンパレードで
かなり遅く(45年4月末)まで一撃講和論の線で動いてますね…
というかその頃まで武装解除と責任者の処罰は共になしが最低条件だと思ってたのは考えが甘い…甘くない?

 

488 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/26(月) 21:25:40.79
というかまず一撃講和論ってのが第一次大戦での総力戦を味わってない甘さなんだよなぁ

 

492 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/26(月) 23:19:35.44
最近畏き所への不敬過ぎる批判多過ぎだって、これ一番言われてるから

 

491 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/26(月) 23:09:25.44
よく言われる軍部の独走って主に満州のことだと思うけど元首がMUR(直球)とかもう国中が糞まみれや
実権はなかったとも聞くけど制度上の決定権はないけど無視なんか無理って感じなんですかね?

 

493 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/26(月) 23:55:35.85

>>491
大本営御前会議(よく言われる「御前会議」とは別物)ではかなり細かいところまで突っ込んで
質疑応答して答えられないと軍高官が慌ててたりしてますし
その質問によって作戦案が起草されることもしばしばだったので実権がなかった説はかなり無理がありますねぇ!
法学上も憲法上天皇は無答責とは明確に示されておらず、国務大臣の輔弼に関する規定を根拠とする説も
統帥権は大臣(行政権)と独立しているので根拠薄弱と見るべきってそれ一番言われてるから
(大陸命も大海令も天皇ー総長のルートで出るので国務大臣の輔弼は関係ない)

 

494 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/27(火) 00:08:13.77
あと軍部の独走があったのはたしかにそうでそれに対して諌めるような発言を
昭和天皇が度々しているのは間違いないですけど
実際に独走して戦果挙げると毎回勅語を出して追認してたためにそれで陸軍がますます調子づいてるんで
昭和天皇とは無関係なところで陸軍が暴走した説は無理がありますね(断言)

 

本日拝謁の際、御話、仏印の問題に触れたるが、我国は歴史にあるフリードリッヒ大王や
ナポレオンの様な行動、極端に云へばマキアベリズムの様なことはしたくないね、
神代からの御方針である八紘一宇の真精神を忘れない様にしたいものだねとの御言葉あり、恐懼す。


と1940年6月に木戸内大臣が記録してますけど他国からしたらマキャベリズムだろうが八紘一宇だろうが
九カ国条約ぶっちぎって領土拡大してることには全く変わりないんだよなぁ…(呆れ)

 

495 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/27(火) 00:17:21.07
…日本って色々ケジメ付けずに戦後になった感じなんだ、じゃあ?(困惑)

 

近代的な法治国家を目指したのに江戸時代とあんまり変わってない…変わってなくない?
現代も極論すると大して変わってないってそれ一番言われてる気もするんだよなあ…

 

497 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/27(火) 00:26:33.57

>>495
というかもう当該書籍にははっきりその通りのことが結びに書いてありますね(キッパリ)

 

まぁ満州~防共自治政府~汪兆銘政権とかの流れも掘っていくと
日本軍による法幣偽造や、麻薬を始めとする物資の密輸を日本側が常習的に行っていた件とか色々ありますし

 

国民党政権下では概ね麻薬は水面下で流通したが日本軍統治下ではコカインやヘロインが公然と流通する、
というか日本軍が積極的に現地人に麻薬を与えている様子すらある。
南方でも同様っぽい。
いわゆる進歩的立場からの日本軍の戦争犯罪ネタの動機も分からなくもない…分からなくもなくない?

 

496 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/27(火) 00:20:46.70

>>495
ケジメってなんだよ(哲学)
御聖上を敗戦後に退位させるかギロチンにでもかければ納得するんですかね…

 

498 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/27(火) 00:28:34.03
ヴィルヘルム2世おじさんだって退位で済んだんだから大丈夫だって安心しろよー

 

501 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/27(火) 00:35:35.98

>>496
ちなみに本人も終戦の前後で複数回退位ないしは出家を考えたみたいですね
海軍と宮中グループとGHQの政治取引で陸軍に全部責任丸投げしたんで
実録では抹消されたネタ、みたいな…(適当)

 

500 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/27(火) 00:32:54.92
第一次世界大戦時代に天皇が一体何していたのか調べたら参戦に反対して家臣たちに実質軟禁状態に置かれたなんて記述が出てきて草生える
というかこの時代の大正天皇に関する言及が少なすぎるんだよなぁ
そういう面も昭和帝の戦争責任について考慮しないといけないとちゃうんか?

 

502 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/27(火) 00:42:49.00
せめて昭和天皇裁判にかけるくらいはするべきだったと思いますね、ハイ
当時の日本国民はどうして自分がこんな目に合ったのか知る権利があったと思いますし、
天皇の証言は避けては通れなかったはずなんだよなぁ
個人的には、サイパン陥落以降の戦争継続に責任がある時点でギロチンは固いと思う(社会主義者並の感想)

 

503 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/27(火) 01:41:30.38
全て冷戦はいよーい、スタートのお陰だってそれ、一番言われてるから

 

504 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/27(火) 06:36:31.04
昭和帝が戦争指導と全く無関係でないのはその通りなんだけど
一方で伊藤博文が憲法義解で言っているように明治憲法は天皇機関説が主流なんだよなぁ…
天皇機関説事件の後も実際に政策を立案し上奏したうえで実行していくのは内閣や陸海軍の統帥部だし
その辺をどう評価するかってのが中々…難しいねんな
昭和帝が聖断による戦争回避や終戦に消極的だったのも天皇機関説に拘っていたからって見方もありますねぇ!
高松宮日記でその辺を愚痴ってたような記述があったと思うゾ

 

506 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/27(火) 07:49:30.10
ちょっと(スレの流れ)不敬すぎんよ~

 

507 名前:名無し[sage] 投稿日:2017/06/27(火) 08:03:05.96
大元帥陛下が勅語を出していたという話のどこが不敬なんですかね?(すっとぼけ)