フレスチア共和国

Last-modified: 2017-12-04 (月) 22:21:00
フレスチア共和国
賦砺須千安共和国
  2015 - 2017/9/19 フレスチア王国(2017.9.19) - コピー (2).png
国旗フレスチア共和国(2017.6.22-2017.9.19).png
略号FRE/賦国
国章公開未定
標語全国民よ、植林せよ!
国歌未制定
公用語日本語
首都赤松市(ジャカルタ)
最大都市赤松市(ジャカルタ)
国家元首初代:森山太郎
二代:桫山三郎
面積順位不明
国土面積2,400,000 km²(インドネシアのみ)
人口統計年2017年5月
人口順位不明
人口1億2000万人
GDP550兆円
建国形態2015年4月:緑の革命
通貨
時間帯UTC +8
夏時間なし
所属組織普遍国家共同体(COU)架空国家第一世界線連盟(INFWLF)


歴史

2015年に緑の革命によって成立したフレスチア共和国は、反共独裁、国家植林主義の国家としてそこそこの繁栄をしていました。
当初は陸軍しかなく、海軍戦力では圧倒的に劣っていました。空軍が創設されたのは共和国が崩壊する一年前のことです。


2016年にいくつかの大国と戦争の危機に遭遇してから、国内は混乱しはじめました。
新型戦車開発が行われなくなると、技術面において他国に圧倒的にな後れを取るようになり、軍令部は大量生産によってこれを補おうとしました。結果として、軍事予算が国家を圧迫し、増強予定だった海軍は、駆逐艦が1隻という名目ばかりの状態となりました。沿岸防衛すらままならず、国民の不満は溜まり続けました。
二代目の桫山大統領に移行してから戦車の生産量は縮小し、海軍増強への道が花開きました。一年のうちにミサイル戦闘艦、駆逐艦、巡洋艦を開発し生産が始まると、国家の関心は外側へと向かっていきました。


2017年に入ると、拡張主義者が政権内でもポストを占めるようになり、オーストラリア、ニュージーランドへ侵攻。原住民に弾圧を加えて非難を浴びました。その後も脅迫的な外交は続き、ペグー共和国と条約を締結してこれを保護国化した後に併合、インド戦争によってミャンマー、ネパール、ベンガル、パキスタン、ムガルを併合、フレスチア領インド帝国が成立しました。
数日のうちにオマーンにも侵攻し併合、イエメンも占領し、合わせたフレスチア領アラビアが成立しました。
それでも勢いは止まらず、南米に侵攻、南米利権の大半を抑え、黄金時代を築きました。
当然このような急拡大は世界の非難を浴び、また国内でも独立運動が活発になっていきました。


末期になると、桫山大統領といえど国内の不満を抑えることはできなくなっていました。
インドで始まった独立紛争を機に、世界中で独立運動が始まり、国内でも王党派が革命を断行。(王政復古の大革命)
共和国は崩壊し、フレスチア王国が成立しました。
この過程で、インドをブリテン(武天)に売却、南アメリカの独立、イエメンの売却が行われました。