北明国

Last-modified: 2024-01-07 (日) 21:59:19
北明国
ほくみんこく
Republic of Bakmin
現在時刻
最終更新日時2024-01-07 (日) 21:59:19
北明国公式twitter→→https://twitter.com/hokuminofficial
国旗Bakmin-banner.png
正式名称北明国
中国語表記北明国
英語表記Republic of Bakmin
首都小糸特別市
中国語表記小糸特殊城市
英語表記Koito City
人口97,906,898人(2022年4月4日推定)
面積294560㎢
人口密度332.4人/㎢
通貨北明円(B¥)
公用語日本語・明語
GDP(PPP)B¥651,747,830,691,700($6,690,000,000,000)
一人当たりGDP(PPP)B¥6,656,809($72,500)
レートB¥98.98 = $1
建国日1945年9月17日(現政府樹立)
総理大臣片山俊角
使用歴西暦(2022年)建国歴(77年)
国歌「東の海」
国際電話番号+83
ccTLD.bk
民族構成北明系96%,アイヌ民族2%,その他2%
国花ライラック
国鳥ハヤブサ
議会三院制(右院、左院、外院)

国号の由来

北明国は明から移住してきた移住者たちが北にある明として名付けたことで
北明とよばれるようになった。
だが、実際は現在の中国の北側ではなく、東側に位置する。
その後、日本からやってきた移民が現在の南島に住み、
北明国全体が日本国の領土になった。 
その後日本が第二次世界大戦で敗戦した後、独立し「北明国」となった。

英語名である、「Bakmin」はマルコ・ポーロの『東方見聞録』から、
「Pakmíng(中国発音)」→「Bakuming(ポルトガル語)」→「Bakming(英語)」→
「Bakmin」
と変化したといわれているが、諸説ある。

また、英語形容詞は「Bakmian」、主に使われる略称は「BK」や「BKM」である。
その他の言語での表記として、
中国語 : 北明国 ; ドイツ語 : Bakumin ; フランス語 : Cigami ; オランダ語 : Bakmin ;
イタリア語 : Hoakma ; ロシア語 : Бакминья ; アイルランド語 : An Bakma ; ハングル : 바킨
などがある。

言語

北明国においてほぼ全土で「日本語」、北朝道においては「明語」、コリカ自治区においては「アイチャ語」が使用される。
「明語」は明王朝時代に話されていた言語が持ち込まれ、それが変化したもので中国語とは似て非なる。国民の識字率は99%でほぼ全員が読み書きができる。公的文書では日本語が使われることが多い。北朝道ではテレビや新聞紙などで明語が使われる。

従来、北明国で話されている「日本語」は日明語族に属し、方言として捉えられることが多かったが、文法、発音、単語、において大きく2つが異なることから、別の言語であると考える学者もいる。また、その場合は「北明語」と称される。中華文化圏であったにもかかわらず、和本来語が使われることが多く、音読みより訓読みの漢字のほうが多い。

また、文字においては、常用漢字の制定や、漢数字の廃止(熟語などは除く)が行われている。
明語と日本語の文字は共通の常用漢字規定を使う。

例1
日本語 (日本):おはよう!今日は学校の運動会だね!確か太郎は、赤組だったよね!勝ってね!
日本語 (北明):おはよう!小日は学校の体育祭ば!どだけ太郎は、紅組だば?打ち負け!

例2
日本語 (日本):
おはようございます。朝のニュースをお伝えします。
建設業大手の葉巻建設が海里県内の土地の売買などをめぐって
法人税数千万円を脱税した疑いが強まり、
小糸警察本部特捜部などはきょう、海里県海浜ベイ市の本社などを
一斉に家宅捜索しました。
家宅捜索を受けたのは本社や安倍光行社長の自宅、
土地取引先の開発会社「株式会社裏金商事」など数社です。
また関係先として帷光県知事の実家も家宅捜索の対象となっています。
日本語 (北明):
おはようございます。小朝(こさ)の報時ば伝わります。
建業大手葉巻建設は海里県内ば広場ば売買とかで、
法人税何千万円ば脱税した検挙強がなり、
小糸警察本部特捜部とかは小日(しょうび)、海里県海浜ベイ市の巨棟とかを
一気に自家審査(じげしんさ)ばされました。
自家審査ばされたが、巨棟とか社長ば安倍光行の自家、
広場売買ば桐模(きりも)会社「株式会社裏金商事」とか何社かです。
したら、桐模、あず、県知事ば帷光の親家ど自家審査ばされる先とされいます。

例3
それぞれYouTubeのコミュニティガイドライン各国語版から引用

日本語 (日本):
YouTube を利用するということは、世界中の人々が集まるコミュニティに参加することでもあります。すべてのユーザーが YouTube を楽しく利用できるよう、さまざまなガイドラインが設けられています。
ガイドラインに違反していると思われるコンテンツを見つけた場合は、ご報告ください。
ガイドラインに記載されたポリシーは、限定公開や非公開の動画、コメント、リンク、コミュニティ投稿、サムネイルなど YouTube プラットフォーム上のあらゆる種類のコンテンツに適用されます。なお、このリストはすべてを網羅しているわけではありません。

日本語 (北明):
YouTube を使うとば、世界所(よざかいどころ)の人が我(われ)する共同体の買い場になるといます。全部(すべ)のユーザーば YouTube ば楽しい物にするあず、
強いなガイドラインば起きています。
ガイドラインを佐代だと主がコンテンツを点とした時、伝わりしてください。
ガイドラインば書かれたポリシーは、小公開(こぎみはだ)とか非公開(そしぎみはだ)の動画、呟気(つぶやいき)、リンク、コミュニティ提示(ひっさし)、サムネイルとか YouTube の土台(どうて)の肩に沢山(さわやま)ある分別(わけわけ)のコンテンツば当てはまります。どけば、このリストは全部(すべ)を書いている訳とされいません。

人口

以下は北明国の男女別人口グラフと詳細な男女年齢別人口表である。

population-graph-of-Bakmin_1.jpg(./graph.png)

年齢(才)男性(人)女性(人)年齢別総人口(人)
0~95,656,3604,637,48310,293,843
10~195,276,4655,847,38211,123,847
20~296,900,7935,483,94512,384,738
30~398,563,8657,384,72815,948,593
40~495,490,1737,948,57213,438,745
50~595,413,7584,583,7289,997,486
60~694,110,2035,892,83710,003,040
70~793,878,4783,238,1737,116,651
80~892,559,4373,928,3416,487,778
90~99400,893582,341983,234
100~47,24181,782129,023
男女別総人口48,297,66649,609,31297,906,978

北明国は2010年代から急速に高齢化が始まった。これは日本と同時期に起こった
第一次ベビーブームによるものである。
男女別人口としては女性の方が100万人程度多く、男女比率はほぼ1 : 1である。また、上記の年齢統計は2023年5/9日時点の推計である。高齢化率は25.24%で、日本に次ぎ3位である。1990年代からすでに高齢化が始まることを予想できていたため、給付金や子育て世帯の支援を積極的に行い、最新のデータでは、0代の人口が10代の人口を上回った。

憲法

現行の憲法は「北明国憲法」であり、全47条から成る。1946年9月17日に制定され、その後現在に至るまで16回の改正が行われている。憲法内では北明に居住する者を「国民」と呼んでおり、統領の規定、国会、内閣、国民、裁判・司法
地方自治、改正などについて記載している。最新の改正は、2022年10月22日に行われている。変更箇所として、漢数字を算用数字に変更、立候補年齢の引き下げがある。また、国軍や国防軍についての記載はなく、追加が望まれている。
憲法の日本語訳はこちら→北明国憲法

序文(原文)
北明は住人(すみひと)の投票(なげふだ)とって日倍(かばい)が行われる
民主主義国家とするあず。国と住人(すみびと)の安みをし、勇気を近徒(ちんた)し、我らと我らの小毬(こまり)のために暢(のびや)を安むため、ここは北明国憲法を起きるとし、鉢(はっ)する。

国歌

現国歌
国歌は憲法34条で制定されており、作曲・作詞は1946年に当時の作詞・作曲家であり、第二代統領であった、中田五郎丸が行った。伝統的に宗教国であったことから、神に関する歌詞などが存在する。また、「浦島太郎の歌」はこの国歌の
メロディーから引用したものである。

一、
先人(さきびと) 在我(ありわ)ば偲びつつ
代々(しろじろ) 受け継ぐこの意志(こころ)
神々の化作(ばけさ) 起(おころ)つき
この北明は栄えゆく

二、
東の海より風は来ぬ
日(か)の出る国より辿り着き
古(いにしえ) 歴史(うぇぶみ)ば今伝え
この北明は栄えゆく

三、
現人(いまひと) 在我(ありわ)ば拝みつつ
代々(しろじろ) 受け継ぐこの意志(こころ)
神々の化作(ばけさ) 起(おころ)つき
この北明は栄えゆく

また、公式の明訳は以下の通りである。

一、
懷念着我們先人的德行
世世代代守護着這片土地
仰望神明明庇佑
北明繁榮昌盛

二、
風來自東海
而而從太陽升起之地吹來
傳承着悠久的歷史
北明繁榮昌盛

三、
我們向活着的人們致敬
代代相傳的意志
仰望神明的庇佑
北明繁榮昌盛

旧国歌
「東の海」が制定されるまで慣習的に歌われており、実質的な国歌であった「国歌」は、作詞・作曲者不明であった。

「国歌」
作詞・作曲者: 不明

北辺に 高き山河(やなとかわ)
荒(こら)ぶる風 懐(おぼろ)かしや
我(われ)がふるさと 此処(あそ)にあり
あずが 果なき 中井湾(なかいりえ)

地勢

北緯139度東経18度あたりに位置し、9845の島から成る。主な島として本島、北島と中井島がある。本島と南島の間にある岩内海(いわちかい)と呼ばれる海底トンネルと大橋が多数通っている。その中でも田栗(たぐり)トンネルは世界最長の海底トンネルである。また、猪口(いのぐち)トンネルは世界最長の鉄道海底トンネルである。本島と中井島の間に広がる海は中井湾(なかいわん)と呼ばれる。

最南端:コリカ道コリカ自治区グーグーヨ町マルコ
最北端:六条院道最上南県房又島川上
最西端:南朝道海里県海浜先丘市東志摩島真生
最東端:コリカ道コリカ自治区グーグーヨ町マルコ

Bakmin-map-without-borders_0.png

地方

地方は六つの道に分かれていて、道の中には特別市がある。道と特別市は政府の直轄である。特別市は道並の権限を持つ。道の中に府と県があり、道は細かく分かれている。現在北明国には二十の県、六の府、一の院、二の自治区、三の特別市がある。県、府、院、自治区の中にはそれぞれ市町と、一つの核都市がある。なお、行政区分に村は存在しない(1980年廃止)。人口5万人以上かつ今後も発展する可能性が大きい都市は市制を施行できる。人口が20万人以上の都市は、準核都市に指定される。核都市はその県、府、院、自治区の庁舎が置かれる都市である。それぞれの自治体には議会と長を置かなければならない。以下に示すアルファベットは、道・特別市番号で数字は大自治体番号、数字+ひらがなは小自治体番号である。郵便制度を利用するときや、機器での登録の際に必要になる。詳しくは、自治体番号を参照。

自治体番号
大自治体番号は、道・特別市、小自治体番号は、道・特別市以下の自治体に振り分けられる。郵便制度を利用するときは、自治体名を書くことも可能だが、自治体番号を記入することも可能である。


南朝道駱渡府田村市大通24→A2あ大通24
Korca, Sokorca taban, Osmat biron sitie, Ronchoka st.3-1
(コリカ道北コリカ自治区オスマット広域市ロンチオッカストリート3-1)→
G2あRonchoka st.3-1(G2あロンチオッカストリート3-1)

・南朝道(なんちょうどう) - A
三つの海に囲まれた南朝道は、「小糸平野」を中心にのどかな自然が広がり、
都市と自然の調和は、観光客を魅了するまでにある。3府5県が属し、
すべての道の中で、最も人口が多く、また属する府県も最も多い。

・光明道(こうみょうどう) - B
3県1院が属する、山がちで平野が少ない地域。星團列島を中心とした、
ビーチには毎年大量の観光客が訪れる。国内唯一の院、「田上院」を有しており、
指定文化財等の保存活動が続けられている。

・素琴道(そきんどう)- C
4県1府が属する、平野が広がる地域。多量の工業用水と平野を活用して、
工業が盛ん。道北部の北明アルプスでは、海岸沿いの広い平野とは対照的に
北明最高峰の「水山山脈」が広がる。

・六条院道(ろくじょういんどう)- D
2県が属する道。人口・面積・県府院数共に最小だが、人口国内第二位の加喜田特別市に接する。主産業は水産業で、イルカなどの食料の国内生産割合は約8割強を占める。

・西朝道(さいちょうどう)- E
6県が属する道。東は北朝道、西は六条院道に接する。無水県、長安県は1989年
まで北朝道の管轄であり、明語が使用されていた。また、白尾県には「六鋼山」という火山があり、一年に数回、中程度の噴火を起こす。

・北朝道(ほくちょうどう)-F
7県が属する道。主に北明先住民が住む地域。使用される言語は「明語」で、
テレビ放送、新聞なども「明語」で書かれる。
また、青島県は世界から「クラブアイル」と呼ばれ、その青い海を活かし、
観光業などが盛んである。

・コリカ道(こりかどう)- G
元コリカ国の範囲を道として合併した地域。コリカ県と北コリカ県の2つに分けられる。言語は「アイチャ語」「日本語」が使用され、独自の文化を築いている。
約2000の島を含み、島の数は全国一位である。

・小糸特別市(こいととくべつし)- H
北明国の首都であり最大の都市である。1300万の人口を有し、都市圏人口ランキングは北京(中国)に続く9位である。全人口の約2割を小糸都市圏が占めている。南山脈から岩内湾にかけて広く平野が広がっており、都市の形成に相応しい土地である。小糸は1918年に開拓使が入植した計画都市であり、都心部には碁盤の目状の道路が並ぶ。

・加喜田特別市(かきだとくべつし)- I
人口は412万人で、同国3番目の人口を有する都市で、また、最上地域唯一の人口が100万人を超える都市である。典屋川(のりやがわ)を中心に広がるビル群はさながら鳥居のように見えることから加喜田鳥居(かきだどりい)と呼ばれる。北王朝時代に首都がおかれていた都市であり、入り乱れた道路の形状が特徴である。

・北京特別市(べいじんとくべつし)-J
読み方は「ベイジン」と「ホッキョウ」の二つがあるが政府は「ベイジン」に統一している。中国文化が盛んで日本と中国の料理が組み合わさった「北京料理」が世界中で人気である。人口は713万人で同国第三の都市である。
中華人民共和国の北京と姉妹都市条約を結んでいる。

Bakmin-map-with-borders.png

北明国の自院府県一覧はこちら

歴史

石器時代(紀元前28000?~紀元400?)
北明本島に人類の到達が確認できるのは今からおよそ2.5~3万年前である。
どの大陸からも距離が非常に大きく、洋上に浮かぶ島国に
なぜ人類がやってこれたのかは今なお不明である。
本島と南島に多数の石器が出土しており、2万年ほど前のものであると
推測できるものが多い。
到達した石器人の遺伝子としてハプログループDa2aと推測されている。
これは日本列島に到達したハプログループD1a(Y染色体)が派生したものである。上記の通り、人類が石器時代に北明国に到達した理由や経路については、今もなお謎が残されているが、世界史において、人類が初めて海洋航海を行った証拠は地中海のエーゲ海周辺の約8,000年前の「黒曜石交易民」(中石器時代)であったことから、人類が海洋を渡ることができた可能性もある。また、北海道に人類が住み始めたのは、今から約3万数千年前とされており、シベリア大陸から、マンモスに代表される大型の動物群を追い北から移動してきた人々が、北海道に到達したとされている。これらのことから、人類が石器時代に北明国に到達した理由や経路については、諸説ある。

合村時代(400?~900)
石器時代と合村(がっそん)時代前半の明確な区別はなく、前半は石器時代と同じような狩猟採集の生活を一つの家族単位で行っていた。また、この島ではこの頃から定住生活が根付いており一つの場所に十数年の間定住していた。
食料として主なものは魚、木の実などで、肉を食べる習慣はなかった。
この時代の後半には、一つの家族(5人~10人が通常であった)ごとに暮らしをしていたが、同じ部族はそれぞれ一つの村へ統合、さらにその村が更に統合され、明確なものではないが、いくつかの地域で「クニ」へと統合された。
畑作や定住などの点において周辺の国において技術的に優位な位置に立っていた為中国大陸などからの渡来人もおり、いくつかの技術を持ち帰った。
また、その渡来人らから稲作の技術も取り入れた。また、言語においては日本列島から持ち込まれた日本語が使われた。今日も使われる北明日本語の基盤となっている。これらの小規模な文明は、「岩内文明」と呼ばれる。

統一時代(900~1322)
この時代には、国という存在が確立され、本島に900年、北島に904年に「北明国」が成立した。どちらを統一時代の始まりにするかは諸説ある。前者は北明純系の王朝(以後、南王朝)、後者は中華系の王朝(以後、北王朝)である。1210年、北王朝が「領土拡大・国家増強」を掲げ、南王朝に侵攻した。不測の事態に、一時は南は壊滅状態になった。しかし、南王朝は軍備を増強し、現在の範囲。この戦争は「統一戦争」と呼ばれ、北明国の歴史において重要な転換点となった。統一戦争後、南王朝は現在の北明国全域を統治し、北明国は一つの統一された国家となった。北明国は他国との交流を深め、国際社会での地位を確立した。特に、中国大陸や日本列島との交流は深まり、これらの地域から多くの文化や技術が取り入れられた。これにより、北明国は独自の文化と技術を発展させ、独自のアイデンティティを形成した。の「日本侵略」により、「北明国」は、事実上、日本の支配下に入った。

白尾時代(1322~1387)
1322年、白尾に新首都が置かれ、これが時代名称の由来となった。その後、鎌倉幕府の監督による政治が10年間続いた。南王朝は象徴として存続しつつも、主権は事実上、鎌倉幕府にあった。そして、鎌倉幕府が滅びると同時に、主権は南王朝に返還された。その後、鎌倉幕府の滅亡とともに、南王朝に主権が戻った(1333年)。これにより、南王朝が再び政治の主導権を握ることとなった。主権の返還は国内において大きな変革をもたらし、南王朝は国家再建に取り組んだ。政治、経済、文化の発展が進み、新首都の白尾は再び栄光を取り戻し、国家は繁栄への道を歩み始めた。
Shirao-goyojo.png
▲白尾御用所での鎌倉幕府との条約締結の様子

田村時代(1587~1832)
1587年、田村市原らが南王朝を打倒した。これにより田村市原は田村に幕府を樹立し、自身が将軍に就いた。この時、北明初の幕府が誕生した。初期は田村幕府が国内の治安を向上させ、安定期に入った。しかし、時が経つにつれて、田村幕府の政治は独裁的な傾向を強め、その影響は国内に広がっていった。1832年、民衆はこの独裁的な政治に反発し、蜂起。すでに弱体化していた田村幕府は滅亡し、民衆らが新政府を樹立、アジア初の共和国「北明国」が成立した。
The mountain - by who.png
▲幕府滅亡寸前の田村(1831)(写真のように見えるが、これは絵画作品で、作者不詳の「山」である)

小糸時代(1832~1910)
日本時代(1910~1947)
現代(1947~)

気候

ケッペンの気候区分より、北明国のコリカ自治区を除く領土が太平洋湾岸気候という他国には見られない気候であり、初夏季は快晴の日が続き、終夏季は曇りの日が続くなどの特徴がみられる。理由として、太平洋湾岸気候は、夏季には高気圧が発達し、晴天が続く傾向があり、北明国が太平洋に面していることから、初夏季には高気圧が発達し、快晴の日が続くと考えることができる。一方、終夏季には、曇りの日が続くとされている。これは、夏季に発達した高気圧が弱まり、低気圧が接近するためと考えられる。以下は、上から、月間降雨量、月間平均気温の表、グラフである(小糸天気局測定)。

平均総降雨量(mm)
1月110.3
2月102.3
3月97.2
4月92.3
5月68.1
6月21.7
7月29.3
8月58.9
9月246.2
10月184.3
11月173.4
12月119.4

The avarage of rains.png

平均気温(℃)
1月8.2
2月12.3
3月19.5
4月21.2
5月25.3
6月27.3
7月25.4
8月28.1
9月19.4
10月18.7
11月17.2
12月12.4

The avarage of temputure.png

休日

国民の休日は以下の通りである。

休日名日付
正月1月1~7日
成人の日1月10日
冬の日1月31日
国軍記念日2月13日
春の日4月01日
特別休暇週間5月1~7日
雨の日6月01日
夏の日7月13日
七夕8月07日
山の日8月11日
労働者の日9月01日
敬老の日9月05日
建国記念日9月17日
運動の日10月10日
秋の日11月11日
金浦12月01日
クリスマス12月25日