ボス猿

Last-modified: 2023-12-03 (日) 18:35:53

意味としてはお山(猿山)の大将やガキ大将を合わせたようなもの。また、以下の記述は推測の域を出ないので注意が必要。


概要

2015年7月18日、駒田徳広サンスポのインタビュー内で発した、2009年の横浜ベイスターズの主力選手に「ボスがいた」とのコメントが発祥。
この記事が話題になったのは村田修一が巨人から戦力外通告を受けた2017年オフ以降。

「ボス」の正体

駒田曰く、「ボス」が取った行動として下記を述べている。

当時の横浜に所属した選手の意識の低さに言及する記事であり、問題は名前を伏せられた「ボス」が誰だったのかであるが、

  1. 駒田が横浜でコーチを務めた2009年シーズンに所属していた人物
  2. FA権の取得日数稼ぎで得をする人物*1
  3. 当時、肉離れに悩まされていた人物*2
  4. ベイスターズで派閥作りの前歴がある人物
  5. 約5年前(2010年)の日刊ゲンダイに掲載された記事(こちらは実名が出ている)と辻褄が合う

など、特定がかなり容易であった。

もっとも当時のボス(と思しき人物)はFAで巨人へ移籍済みであり、移籍先では原辰徳監督や年長の阿部慎之助、後輩ながら生え抜きとして地位を確立していた坂本勇人らの存在の影響で(横浜時代と比較して)素行に大きな問題は見られなかったため、特に話題にならなかった*3


素行問題の再燃

2016年、原が退任し高橋由伸が監督に就任、2017年にケーシー・マギーが入団してスタメンから外れることが多くなって以降は、増長をあらわにする場面が増加する。例として、ベンチでふて腐れている姿を度々写真に撮られる、『ズームイン!!サタデー』にて「暇すぎて。勉強できるんで」「暇すぎ!まじで暇すぎるんですよ!」と発言する*4等、監督が原ならそんな態度は見られなかったと、後に一部のファンから回想されるようになる。

戦力外から引退まで

2017年オフに「チームの若返りを図るため」という理由*5で戦力外通告を受け、自由契約となる。当時36歳ながら118試合、打率.262、14本塁打、58打点、OPS.754とまずまずの打撃力を見せ、名球会入りとなる通算2000安打まで残り135本という状況であった。
そして3年前の2014年オフに新井貴浩が絶望的とも言われてた古巣・広島に復帰して、2000安打達成やチームの25年ぶりリーグ優勝に貢献しMVPに輝くという、まるでドラマのような活躍をしたことや、後半戦はレギュラーとして一定の成績を残していたことから、打撃難のチームからのオファーか古巣復帰は確実と思わていた。
しかし、一ヶ月以上経っても進展は無く、有力候補とされた中日*6ヤクルト*7、ロッテ*8さえ獲得に名乗りを上げなかった
そして頼みになるはずの古巣も、高田繁GMから「チーム編成は数年後を見据えてやるもの*9などと、交渉の時の事を完全に根に持たれており、門前払いを受ける形となった。

結局、選手としてNPB復帰は叶わず、BCリーグの栃木ゴールデンブレーブスで引退する事になった。

獲得球団が現れなかった仮説

本人のプロとしての意識の低さが原因で干されたのでは?という疑惑が浮上する中、上述のサンスポ記事が見直され「ボス」の野球に対する姿勢が改めて浮き彫りとなり、オファーが無い一因と推測された。
中日及びヤクルトが獲得の意思を見せなかった一因として、当時横浜でコーチを務めていた波留敏夫、杉村繁がそれぞれ両チームに在籍していたことが挙げられ、ボスの行動を間近で目撃していたり伝え聞いた者*10により、チームに与える悪影響の情報が出回っていた可能性が高いと言われている。
そもそも村田の年齢や実績があれば、困った時に助けてくれる先輩が居ないというのはまずあり得ない*11事である。


他者の「ボス」に対する評価

  • 尾花高夫(2010~11年の横浜監督)は退任直後、「結局は村田のチーム。村田が変わることによって、チームが変わった」「巨人へのFA移籍を機に『村田離れ』をして、選手たちも少し大人になっていかないと」と苦言を呈していた(記事リンク)。
  • 中畑清(2012~15年のDeNA監督)は、村田がチームを離れた後も若手の筒香嘉智らを自主トレに誘い、フォームへ悪影響を与えていた可能性を懸念している(記事リンク)。


関連項目



Tag: 横浜 巨人


*1 FA権の取得日数に関しては村田の他に内川聖一や金城龍彦もいたが、2009年の両者は怪我に悩まされることもなくフルシーズン出場しており、現在では可能性すら挙がる事はない。ただし、結局村田は同年中のFA権取得に失敗していること、翌年に取得してもすぐには行使しなかった(行使したのはさらに翌年の11年オフ)ことは注意。
*2 同年の村田はWBCで肉離れを起こし開幕に間に合わなかった他、シーズン中にも左太腿を痛めて約1ヶ月離脱している。
*3 ただし懲罰交代を二度受けており、一回は強制帰宅させられ、もう一回は「心技体ともに準備できていない」と叱責される、内容としてはかなり重いものであった。
*4 あくまで冗談という擁護もある一方、仕事上で言って良い事と悪い事の区別がついていないという批判も見られた。
*5 しかし、OBではあるものの2018年3月に上原浩治を獲得しており、本当に若返りが原因で切ったのかを疑問視する人が出てくるようになった。
*6 当時の正三塁手は高橋周平だったが、伸び悩みからセカンドへのコンバートが画策される(実際に翌18年はセカンドで起用された)など、絶対的な三塁のレギュラーが不在であった。
*7 前年までのレギュラー三塁手だった川端慎吾はヘルニア手術のためシーズン出場がなく、同年は本来はユーティリティプレイヤーである藤井亮太が主三塁手として出場していた。村上宗隆はこの年オフのドラフト入団であり、当時はすぐに三塁が埋まるとは予想できなかった。
*8 チーム全体で極度の打撃不振に陥っていた。しかし当時のロッテは地元出身・チーム生え抜きの福浦和也も通算2000本安打がかかっており(最終的に翌18年の終盤に達成)、村田の獲得に消極的になるのは読みやすかった。
*9 FA宣言した際、高田が「数年後のために残って欲しい」と慰留しながら巨人に移籍したことを皮肉った発言でもある。
*10 後にソフトバンクの監督となる工藤公康も当時在籍していた。もっとも、2017年当時のソフトバンクは黄金期であり、レギュラーとしての獲得の可能性は低かったためあまり取り上げられる事は無かった。
*11 松坂大輔がソフトバンクを戦力外になった際は、西武での先輩である森繁和及び新人時代の教育係だった友利結の手助けで当時両者が在籍していた中日にテストを経て入団。中村紀洋がオリックスを自由契約になった際は、梨田昌孝が同級生の落合博満に頼み込んで、当時落合が監督を務めていた中日に育成契約にねじ込むという荒業で助けられている。また、似たような経緯で横浜を退団した内川がソフトバンクから自由契約になった際も当時杉村がコーチを務めていたヤクルトに入団することができている。