超変革

Last-modified: 2023-11-06 (月) 05:57:14

2016年における阪神タイガースのチームスローガン。
そこから転じて、当時の監督・金本知憲の采配を指す言葉。場合によっては金本本人の蔑称としても使われる。


概要

2016年より阪神の監督に就任した金本はシーズン開幕から破天荒な采配を敢行。序盤こそ鈍足のパワーヒッターであるマウロ・ゴメスによる盗塁や、前年のベテラン重視だったオーダーから一転、高山俊・横田慎太郎*1原口文仁ら若手選手を多数抜擢し勝利を収めるなど「超変革」のスローガンに恥じない功績を築いた。

しかしその快進撃も束の間、金本監督の超変革采配にも陰りが見え始める。経験不足による継投ミスや選手達の失調などが重なり、阪神の勢いは急激に失速。連敗に連敗を重ね、ついに7月末には最下位にまで転落してしまう。
そして「超変革」の言葉は専ら阪神ファンへの煽り、もしくは阪神ファン本人による自虐ネタとなってしまった。また金本の山ほどある蔑称の一つになった。


その後

連敗が続く中、阪神は7月24日の対広島戦でついに鳥谷敬の連続フルイニング出場も途切れさせ聖域に終止符を打つと、それを皮切りに阪神は快勝を重ね、わずか10日程度で4位にまで浮上し、3位・DeNAとの好相性を生かし一時0.5ゲーム差まで迫る善戦を見せるも、最終的には4位でシーズンを終えた。

初年度の時点で若手選手の起用には一定の評価はあったが、逆に真弓・和田監督時代に若手と呼ばれていた中堅組への度が過ぎた冷遇ぶりを批判されることもあった*2。2017年オフの大和FA流出はこれも原因とされている*3

2017年からは中堅組にも目を向け、燻っていた秋山拓巳桑原謙太朗伊藤隼太らを一軍戦力に仕立て上げ2位に躍進するが、今度は若手育成が疎かになったと一部から批判されてしまった。若手を積極的に起用する方針は前年度と変わらなかったものの好調は長続きせず、コーチ陣の責任を問う阪神ファンも多かった*4

2018年は打倒広島の一番手と期待されるもオープン戦から投打ともに不振であった。中でもウィリン・ロサリオは大誤算だった。2017年ドラフト組や大和の人的補償として阪神に入団した尾仲祐哉ら新戦力も期待外れで開幕からの故障者や不振者の多発が響き、さらにベンチの采配コーチングなどがことごとく裏目に出た。特に9月中旬以降はほとんど勝てず最終的には5位中日とわずか1.0ゲーム差の最下位でシーズンを終え、金本は責任を取ってこの年限りで監督を辞任(事実上の解任)した。


そして再評価路線へ

これらのように監督としての采配や選手運用に対する評価はお世辞にも良いとはいえない金本ではあるが、和田監督時代に燻っていた梅野隆太郎を正捕手として一本立ちさせたり、2年目以降二軍で燻り続けていた秋山拓巳をローテ投手として再生させたり、2015年のドラフト5位で今では投手三冠とベストナインを獲得するエースに成長した青柳晃洋、2016年のドラフト5位で糸原健斗*5と下位指名であるにも関わらず、主力級の選手を見抜いており、選手を見る目打撃能力の向上については高く評価されている。なお、守備面に関してはお察しである。
また青柳や糸原、大山悠輔の獲得については金本が決定打を押したのではないかという噂があり、「監督ではなくGMとして戻ってこい」「ファームで若手を育成してほしい」という阪神ファンの声も少なくない。

なお、野手だけを見ると金本・矢野燿大監督期に梅野・大山・糸原・近本光司・佐藤輝明・中野拓夢らがレギュラーを張るようになった反面、第一期岡田~和田時代に入団した中堅選手が自由契約やFAなどで次々とチームを去っていった。*6

その結果、本来はチームの主力であり精神的支柱となっていたはずの所謂ハンカチ世代前後の生え抜きがいないという年齢層の歪なチーム構成となり*72021年にヤクルトと最後までV争いを演ずるも2位に終わる要因の一つとなる。

外様選手を考慮しても2022年オフに糸井嘉男も引退したため昭和生まれの選手が12球団で初めて0になり、この年で32歳になる二保旭*8西勇輝がチーム最年長になる事態になってしまった。

しかし、岡田彰布が15年ぶりに監督となり、金本・矢野政権時代に加入した選手が20代後半になって主力として大活躍した2023年、阪神は18年ぶりのセ・リーグ優勝を球団史上最速記録で果たし、さらには38年ぶりの日本一も成し遂げた。このことから、金本や矢野の「超変革」による世代交代がうまく機能したと再評価を受け始めている。

https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2016/12/18/___split_147/index_4.php
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/10/06/kiji/K20161006013484890.html


関連項目


*1 高山と共に開幕スタメンに抜擢され、『超変革』の象徴とされた。しかし、翌2017年に脳腫瘍を発症。一度は寛解したものの、後遺症による視力の低下で2019年に引退。2022年に脳腫瘍が再発し、2023年7月18日に逝去。
*2 これについては、上本博紀のように実力があってもスぺ体質が原因でレギュラーの座を保持し続けられなかったケースや、柴田講平(藤川)俊介小宮山慎二らのように真弓・和田監督時代にチャンスを貰いながらレギュラーの座を掴み切れなかったケースが相次いだため、次世代の若手に期待が移るのは自明であるとの意見もある。彼らは30歳前後になっても若手扱いされていたので、「永遠の若虎」と揶揄されていた。
*3 大和に関しても、打撃が向上しなかった事(打率.231、OPS.594)や小技・盗塁の精度が落ちたことが一因と言われている。もっとも、DeNA移籍後は守備力がやや低下した反面打撃が大幅に改善され、またチームの課題点であった機動力を武器にできる貴重な存在という事もあってラミレス三浦大輔政権下で活躍を続けており、深沢恵雄・清家政和(1980年代)、野田浩司・渡辺伸彦(1990年代)、北川博敏・バルディリス(2000年代)らとともに阪神脱出神話を体現した代表例として挙げられる。
*4 これに関しては当時監督だった和田豊が「力量が同じなら経験のある中堅やベテランこそ使うべき」という考えだったため、若手育成が疎かになっていたことが一番の原因とも言われた。
*5 高校時代から島根からバスで金本行きつけの広島のアスリートジムへ通っていたので、その頃から目をかけていた。明治大学の1年後輩である髙山俊坂本誠志郎が入団してきたときも、糸原の状態を聞いている。
*6 この辺りは当時のスカウト及び選手育成の問題が大きい。なお、岡田は2021年にデイリースポーツで阪神が2位に終わった原因の一つとして、「軸となるべき日本人野手が育成できていない」と指摘しているが、そもそもこの状況を生み出した一人から金本・矢野が責められる謂れはない。岡田を庇うとすれば、当時は井川慶のメジャー挑戦に伴って、その後釜になるべき投手ばかりを指名せざるを得なかった事情があった。また、岡田自身は第一次政権にて鳥谷敬を遊撃手のポジションに定着させたり、関本賢太郎や林威助、桜井広大、狩野恵輔ら若手選手を登用するなど生え抜き選手の育成には熱心なタイプである。
*7 2021年シーズン限りで俊介が引退、荒木郁也と伊藤和雄も戦力外通告の末に引退となり、1980年代生まれの生え抜き選手は12球団中最速で0人になった。
*8 2023年シーズン末に戦力外。