ΖキャラがIN種死(仮) ◆x/lz6TqR1w 氏_第50話

Last-modified: 2009-01-22 (木) 23:09:46

『ムーン・アゲイン』

 
 

 事前の準備が良かったからなのか、はたまた連合軍が目測を見誤ったからなのか、メサイアを最終防衛
ラインとするザフトのプラント防衛戦は、連合との戦力バランスから考えれば随分と健闘していた。左右か
らの挟撃による包囲殲滅作戦が功を奏し、また、フリーダムやジャスティスといったエース級の活躍でファ
ントム・ペインを始めとする敵主力部隊を封じ込めている事が、これまでの拮抗を支えている大きな要因
だった。
 そのエースの一員としてのシンは、先程から何かを探すようにして戦場を駆けていた。彼は、一度混戦に
巻き込まれた時にジ・Oの姿を見失ってしまっていたのである。キラに大見得を切って見せた手前、手を拱
いている場合ではないと、先程から血眼になって捜索していた。

 

「あんなのを放っておいたら、こっちの被害だってバカにならないぞ……」

 

 モニターには多数のワイプが浮かび上がり、全方位に対して索敵をかけている。ジ・Oの機影に対して
オート・リアクションを掛けてはいるが、一刻も早く見つけ出さねばならないという焦りからか、シンの目線は
絶えず方々のモニターを見ていた。
 デスティニーの背にマウントされていた高エネルギー砲と対艦レーザー刀のアロンダイトは、もはや影も
形もない。フラッシュ・エッジも使い切ってしまった今、残されている装備はシールドとビームライフル、それ
に掌に内蔵されているパルマ・フィオキーナであった。
 そんなデスティニーの現状に、シンは若干の心許無さを思い、しかし頭の中はジ・Oを探す事で一杯で
あった。MSは人間が動かすものなのだから、そういった精神状態は、個人差はあれど動きに表れる。特
に、テンションで機動に差が出るシンの場合、それは顕著であった。果たして背後からの敵の接近に気付
いた時、シンはジ・Oを求めるあまりに散漫になっていた敵への警戒心の希薄化を嘆く。

 

「こんな事じゃ、俺は――!」

 

 それは、自分への苛立ち。振り向いたデスティニーに襲い掛かるのは、ウインダム。ビームライフルの攻
撃をシールドで防いだ時、シンはソリドゥス・フルゴールの存在をすっかり忘れていた事に気付いた。

 

「そうか、こいつもあった。――なら、正面からでも!」

 

 ウインダムはデスティニーの反応の早さに怖気づいているように思える。ビームライフルを構えてはいる
が、その姿勢が及び腰になっているのがありありと見て取れた。パイロットは不意討ちが失敗した事でデス
ティニーに態勢を直され、正面から交戦せざるを得ない状況になってしまった我が身の不運にすっかり狼
狽してしまったのだ。
 デスティニーの右籠手から縦長の光の膜が発生する。ビームシールド――それを発生させ、ウインダム
の攻撃を防ぎながら高速で直進した。そして、光を纏いながらウインダムの直前で急停止したデスティニー
は、そのまま跳ねてウインダムの上に倒立するように翻る。
 俊敏なデスティニーの動きに、ウインダムはまったく対応できていない。数瞬の遅れがあって、ウインダム
の頭部が上方に位置するデスティニーに気付いて顎を上げた。
 至近距離に、デスティニーの顔。互いの顔が向き合った。ウインダムのカメラ・ガラスにデスティニーの顔
が反射して映し出されたとき、内に迸る闘気を吐き出すようにしてその双眸が光を噴出させた。

 

「ビームのシールドなら!」

 

 デスティニーの背中の高出力バーニア・スラスターが翼を拡げた。途端、ほぼ静止状態であったデスティ
ニーは凄まじい加速を見せ、身体ごと突っ込んでビームシールドで縦にウインダムの背中を撫で切った。

 

 魚の背を開くようにぱっくりと斬られたウインダムの背部。熱で溶断された切断面は赤々とした飴色を
煌々とさせ、その傷口から血を噴き出す様にして放電していた。弓形に仰け反らせた機体は、もはや死に
体に等しい。一寸、爆発を堪えていたが、直ぐに白球へと姿を変えた。

 

「どこ行っちまったんだ、アイツ……目立つ色をしていると思うんだけどな……」

 

 何事も無かったかのようにシンは呟く。その慎重な呟きが滑稽である事にすら気付かないほど、シンは
ジ・Oの発見に身を入れていた。
 レーダーが効き辛くなるミノフスキー粒子の特性にも、いい加減に慣れた。慣れたはいいが、こう戦場が
雑多になっていると、黄土色の派手な色をしたジ・Oでさえ、ビームの光に惑わされて見分けがつかない。
 シンはチラリと時計を確認し、大まかにジ・Oを見失ってからの時間を確認した。この時計が進めば進む
ほど、ジ・Oは脅威を振り撒き、シンは焦燥を募らされていく。他の味方が撃墜しているかもしれないなどと
は、一切、考えなかった。それだけ、ジ・OとブランはMSもパイロットも完成されていると感じたからだ。
 そして、それを止めなければならないとシンが感じているのは、ザフトのエースとしての自覚が彼の中に
芽生えたからだった。

 

「ん……?」

 

 ピピピ、と機械音が鳴り響く。これは、デスティニーのコンピューターに張らせておいた網に獲物が引っ掛
かった音だ。しかも、ミノフスキー粒子散布下という事を考慮すれば、かなり近くに居るはずである。
 果たして、目的の機影を捉えたカメラの映像をサブ・モニターに大写しにすると、ずんぐりとした黄土色の
MSの姿を発見した。

 

「見つけたぁッ!」

 

 再捕捉に苦労した分、鬱憤が溜まっていた。シンは見つけられた喜びと、再び見えるジ・Oとの対戦を前
に、興奮を抑えきれずに前のめりになった。ベルトの存在を忘れていて身体を締め付けられるも、そんな
苦しさもお構い無しに、瞬間的に沸騰するテンション。それに同調するように、デスティニーがジ・Oまっしぐ
らに突撃を開始した。
 ジ・OはザフトのMSと交戦中。ミノフスキー粒子が連合軍にもザフトと同じ様に作用しているのならば、デ
スティニーの接近にはまだ気付いていない可能性がある。それを証明するように、ジ・Oはこちらを警戒す
る素振りを見せていなかった。
 行ける――デスティニーがビームライフルで速射すると、ジ・Oは慌てふためいたように全身のアポジ・
モーターを噴かして回避運動にてんやわんやになった。
 キッとジ・Oの頭部が振り返る。その時になってようやくデスティニーの接近を察知したのだろうが、もう遅
い。既に加速を終えているデスティニーは光の矢となってジ・Oへと突き刺さるようにして突っ込む。

 

『また貴様か!』
「また俺だぁッ!」

 

 流石にジ・Oは反応が早い。デスティニーに接触を許す前にビームライフルを差し向けたのは、並みの腕
ではない。しかし、シンの勢いはそんな事で殺がれたりはしない。ジ・Oにビームライフルのトリガーを引か
せる前に、デスティニーが喧嘩キックで蹴り飛ばす。

 

『こ、こいつ――ッ!』

 

 奇襲は成功。ジ・Oのモノアイが蹴り飛ばされたビームライフルを追い、動揺しているように明滅した。
 これはチャンスだ――ブランの動揺を感じ取ったシンの瞳がきらりと光る。

 

「一気にケリをつける!」

 

 デスティニーが両腕を前に突き出す。ジ・Oに掌を見せるように手首の部分で合わせ、獲物に噛み付こう
かという狼の口のように指を開いた。左右の掌の砲口、パルマ・フィオキーナをジ・Oの腹部に突き刺すよう
に伸ばす。
 しかし、シンの目論見は甘かった。ジ・Oはシンの予想以上の反応速度を見せ、逆水平にビームソードを
薙いできたのである。ビームサーベルよりも太い刀身、明らかにパルマ・フィオキーナのリーチよりも長い。
 このままではカウンターでコックピットごと胴を切り払われる。ひり付く様な一瞬の命のやり取りに、シンの
全身の毛穴がブワッと開いた。頭の中で何かが弾け、高まる集中力が時間の流れを遅く感じさせる。

 

「――んなろぉッ!」

 

 クワッと見開く目。瞬間的なシンの修正が、デスティニーのモーションを変化させる。牙のようにジ・Oの腹
に食いつこうかという指は真っ直ぐに矯正され、掌は合掌する様にその面を向かい合わせた。そして、その
ままの状態でビームソードに手を伸ばし、上下から挟み込む。
 真剣白刃取り――実際にはデスティニーのマニピュレーターはビームソードには触れておらず、パルマ・
フィオキーナの極小のビームサーベルの干渉で受け止めているだけである。しかし、掌で刀身を挟んで受
け止めているその様は、まさしく真剣白刃取りの構えであった。

 

「どうだ! これでもう逃げられないぞ!」

 

 我ながら会心であった。薄氷の上を渡るようなギリギリのコントロールの中、よくもこんな大道芸が出来た
ものだと思う。この動きに、ジ・Oはどう思ったのか。表情を覗うように頭部を見れば、忌々しげにモノアイを
光らせているように思えた。手応えを感じ、シンは口元に笑みを浮かべる。
 しかし、シンは自分も手を出せない事に気付いていなかった。ブランはそれが分かっていて、デスティニー
がどうしようも出来ない事を分かって笑っていた。そして、それとは別にチラリと時計を見て、一つ鼻で息を
鳴らした。それがシンの耳にも聞こえてきて、笑みから一転、怪訝に眉を顰める。

 

『捨て置けんな、その台詞は。――と言いたいところが、残念ながら時間だ』
「何?」

 

 何を言っているのか分からない。接触回線の声の調子からは、動揺は感じ取れなかった。その不敵な言
い回しは、寧ろまるで戦意を感じず、既に戦いが終わっているかのようだ。時間とは一体何の事なのか、シ
ンはブランの言葉に逆に動揺してしまった。
 その言葉の意味は、直ぐに判明した。シンから見えるジ・Oの肩越しの向こうの宇宙、戦闘空域外の虚空
を、いきなり巨大な一筋の光が劈いたのである。

「なっ……!?」

 余りにも突然で、余りにも圧倒的な光景。まるで夢の中の出来事のように輝く一筋の大きな光は、シンを
絶句させるには十分だった。

『何ィ? ――撤退だと!?』

 呆然となったシンは、接触回線から聞こえてくるブランの声によって我に返った。目の前にジ・Oが居る事
を思い出し、慌てて操縦桿を握りなおす。
 しかし、ほんの一瞬であるが気を弛緩させたシンに、急に高いコンセントレーションを取り戻す事は出来
なかった。

 

 動き出しでジ・Oに遅れを取り、後手に回らざるを得ない。パッとビームソードを手放したジ・Oにショルダ
ー・タックルを食らわされ、突き飛ばされる。コックピットで激しい振動に見舞われたシンは、固く操縦桿を
握って堪えた。

 

「グッ!」

 

 ジ・Oがデスティニーを警戒するようにバックで後退する。シンが衝撃で瞑っていた目を開いた時、ジ・Oは
先程デスティニーに蹴り飛ばされたビームライフルを回収し、反転して退却を開始していた。そして、それが
切欠になったように連合艦隊から信号弾が打ち上げられ、連合軍MSが撤退して行く。その連合軍の撤退
を知ったザフトからも帰還命令の信号弾が各所で炸裂したが、シンは暫くそれに気付けないで居た。
 一挙に閑散としていく戦場の中で、シンはまだ信じられないといった面持ちで呆然としていた。ハッとして
我に返ると、慌ててコンピューター・ディスプレイに宇宙図を表示させた。

 

「今の光、何処行った? まさか、プラント――」

 

 記憶の中の光景を頼りに、光の向かった先を計算で割り出そうとする。しかし、先程の光景を思い出すだ
に、手が震えて思うように操作できない。何とかかんとか必要な情報を入力し終えると、ディスプレイに表示
された事実にシンの表情が凍りついた。
 弾き出された答は、先程の光がプラント・コロニーを目指していったという事。
 コックピットの中が妙に鬱屈していて、空気が澱んでいる気がする。その息苦しさから逃れるようにシンは
ヘルメットを脱ぎ、額に滲む汗を拭った。

 

「ナチュラルって――ブルー・コスモスってのは、あんなのを俺達に使ったのか……!?」

 

 先程の光に慄いたのは、シンだけではない。彼と同じ様にコンピューターで光の行く先を計算したのであ
ろう他の友軍MSも、あまりの出来事に立ち竦んでいるようである。パイロットの心情がダイレクトに立ち居
振る舞いに表れてしまっているのか、MSが項垂れた様な格好で宇宙に立ち尽くしていた。

 

「戦争ったって、これが人が人に対してする事だなんて……」

 

 抵抗する力を持たない一般民衆を直接狙った先程の光。
 ブルー・コスモスは、コーディネイターを同じ人間と見なしていないと聞く。ナチュラルを母体としているコー
ディネイターなど、ナチュラルに毛が生えた程度の違いしかないのに、だからと言ってここまでやれてしまう
ブルー・コスモスの行き過ぎた非道は、もはや戦争などと言うレベルで語れる話ではないとシンは思う。

 

「許せるかよ、こんな一方的な虐殺……!」

 

 今しがたの光景に、身の毛が弥立つ。薄ら寒さを感じたからではない。無性にやるせなくて、憤りに身体
が震えるのだ。
 力の弱者でもある民衆には、圧倒的な力の前ではあまりにも無力だ。そして、一方的に蹂躙されるしかな
かった過去を持つシンは、その無力感の中から這い上がってきた。そんな彼が、レクイエムの光に対して
義憤を抱かないわけが無かった。
 ミノフスキー粒子が希薄化してきた。通信回線の状態が徐々に回復し、シンの所にもメサイアからの帰還
命令のコールが鳴り響いた。戦闘は終わったのである。終わったのであるが、シンの心の内に燃え上がっ
た憤りの炎が鎮火する事は無い。命令に応じ、帰還の途につくデスティニーの後ろ姿であったが、その背
からは、静かに炎が揺らめいているような怒気が立ち上っていた。

 
 

 レクイエムの輝きは、まるで宇宙を切り裂くような長い軌跡を描いて、糸が切れるように消えていった。ザ
フトと連合軍の攻防戦は、連合軍の後退によって戦火を収束させていく。
 本来の作戦であれば、連合軍には後退のプランは存在していなかった。レクイエムの発射は、それ自体
が勝敗を決するものであり、プラント・コロニーの崩壊によるザフトの乱れに乗じて一気にプラント本国を制
圧に掛かるというのが本作戦の趣旨だったからだ。
 しかし、実際にはオーブの廃棄コロニー調査艦隊の活躍でレクイエムの光は辛くも一部のコロニーを掠
めるに止まり、更には挟み込まれている戦況の不利を悟っていては、後退するしか連合軍に道は残されて
いなかったのである。ザフトにしてみれば、命拾いしたというところだろう。
 オーブ艦隊の派遣はデュランダルの臆病から端を発し、ユウナの打算によって編成されたようなものだ。
当初の目論みと相違があっても、結果的にオーブ艦隊の派遣はプラントの寿命を延ばした格好になる。

 

 シンがブランにあしらわれていた頃であった。レクイエムによる作戦が失敗した事を悟った連合軍の艦隊
から、信号弾が次々と打上げられ、鮮やかに炸裂した。何とかジェリド達を撒いたキラは目を細め、その光
を見つめていた。
 陣形的に不利な状況を打開する為の、一時的な後退だろう。体勢を立て直した後には、再度侵攻が予想
される。先程のレクイエムによる強烈な超長距離ビーム攻撃も、一発だけで終わりとは限らないだろう。

 

「――だったら、少しでも数は減らしておかないと!」

 

 考えて思い立ったキラは、尚も後退する連合軍を追撃した。後顧の憂いを絶つ意味でも、戦況が好転し
ている今の内に敵の戦力は少しでも削いで置くべきだと判断したからだ。
 ――尤も、普段のキラならばこんな事は考えたりはしない。彼は敵であろうと命を粗末にするような行為
は決して認めなかった。そして、自身も悪戯に敵の命を奪うような事はしなかった。それが自らの決意であ
り、哲学でもある。それに、それを可能とする力も備わっていた。
 しかし、キラは許せなかった。超長距離ビーム攻撃は、直接プラント・コロニーを狙っていたとしか思えな
い軌跡を辿っていた。何の罪も無い民間人を、戦う力を持たない一般人を狙う――それは戦争ではなく、
唯の虐殺以外の何物でもないではないか。彼もまた、シンと同じ憤慨を抱いていたのである。
 勿論、歴史上にナチュラルとコーディネイターの汚点とも言うべき悲劇が多数起こっている事は分かって
いるから、ナチュラルがコーディネイターを敵視する気持ちがあることは、受け入れる事は出来ないが理解
する事は出来る。しかし、もし、ブルー・コスモスがコーディネイターであること自体が罪であると主張するな
らば、それは単なる傲慢でしかない。そうやって問答無用でコーディネイターをゴミ扱いするから、コーディ
ネイターだって抗わなければいけなくなるのだ。
 そんなキラの主張を表現するように、ミーティアは後退する連合軍のMSを次々と撃墜していった。しか
し、その時、後退する連合軍のMS隊と入れ替わるように、新たな部隊が前に出てきたのをサブ・カメラが
捉えていた。見れば、ウインダムの特殊装備部隊のようである。その背には、巨大な砲塔が装備されてい
た。キラは、それが何であるかを即座に見抜いた。

 

「アトミック・バズの砲身――まさか、ピース・メーカー隊!?」

 

 核武装を施されたウインダムの特殊装備。ニュートロン・スタン・ピーダーに消されていったピース・メー
カー隊は、戦前に予想していた通り複数存在していた。
 恐らくはレクイエムとの連携を狙って温存していたのだろう。しかし、そういう場合ではなくなった。後退す
る味方部隊を援護するように出てきたピース・メーカー隊は、一斉にその砲身をメサイア、そしてその後ろ
にあるプラント本国に向けた。
 局面の最後に来て現れたピース・メーカー隊に、キラも焦る。ここで致命傷を受ければ一巻の終わりだ。
自然とそちらへの対応を優先させようと操縦桿を傾けようとした。

 

 その瞬間であった。メサイアから、ピース・メーカー隊に向かって伸びる巨大なエネルギーの奔流。先程
のプラント・コロニーを狙った超長距離ビームよりは規模は小さいが、十分な威力のビームが砲身を構える
ピース・メーカー隊をあっという間に飲み込んでいったのである。
 ネオ・ジェネシス――メサイアに備え付けられている主砲である。以前のジェネシスよりも小型で威力も落
としてあるが、それでもその攻撃力は凄まじいものを誇っている。

 

「こういう状況に対して、何を策を講じていないとは思っちゃいなかったけど……」

 

 キラは呆然とコックピットの中でその光景を眺めていた。
 自分の知らないところで、戦術というものは動いている。連合軍は核兵器というプラントにとってトラウマと
も言うべき武器を囮にし、レクイエムによるコーディネイターの殲滅を目論んでいた。一方のザフトは連合
軍の核攻撃を想定して用意していたニュートロン・スタン・ピーダーの他にも、メサイアのネオ・ジェネシスを
切り札として温存していた。つまり、メサイアの射線上に部隊を殆ど配置しなかった本当の目的は、ネオ・
ジェネシスを遠慮なく使うためだったのだ。
 戦場でいくらMSで戦果を挙げても、戦術上では一つの手札に過ぎない。兵士は、謂わば作戦を成功させ
る為の駒でしかないのだ。どれだけキラが力を持っていても、所詮は一兵士にしか過ぎない。そんな実感を
植えつけられた様な気がして、キラは大きな溜息をついた。

 
 

 メサイア――プラントの盾となるべく設置されたその司令室には、中央の椅子に座るデュランダルの姿が
あった。眼前では、国防委員長がしきりに指揮を執り、デュランダルの傍らではカガリが佇んでいた。
 デュランダル曰く、コロニーに居るよりもメサイアの方が頑丈で安全だからという事らしいが、別行動を
取ったオーブ軍に同盟を反故にさせない為の牽制だったというのが本音だろう。
 しかし、下手をすれば戦争に負けていたかもしれない状況を鑑みるに、それも今となっては正解だったの
かもしれない。密かに胸を撫で下ろし、騒然とする司令室の中、デュランダルは立ち上がって国防委員長
のところへ流れていった。

 

「ネオ・ジェネシス、予定通りに機能してくれたようです」

 

 デュランダルがやって来た事に気付いた国防委員長が振り返り、ホッと溜息をついた。表情に安堵の色
が浮かんでいて、ジェネシスを使った作戦も確実性があったわけでは無い事を覗わせた。
 デュランダルはチラリとカガリを見やり、その国防委員長の安堵に気付かれていない事を確認してから再
度、国防委員長を見た。

 

「それは結構だが、先ほどの光は何だ? 何処から来て、何処へ向かった?」

 

 デュランダルの問いに、国防委員長は少し視線を落として言葉に詰まった。苦々しげなその表情は、まる
で詳細が判明していない事を如実に表していた。

 

「は…何処からの攻撃かは割り出し中ですが――」
「コロニーが狙われていた事だけは分かっている――そうだな?」
「はい。幸い、直撃は免れたようですが、一部のコロニーでは停電等の影響が出ている模様です」
「不味いな。電力の復旧が遅れるとなると、国内に動揺が奔る。直ちに復旧作業を開始するように伝えろ」

 

 考えるべきは、一般市民への影響だろう。コロニー国家のプラントにとって、ライフ・ラインの確保は何よ
りも重要になってくる。中でも電気はコロニー内の空気や水などの環境の整備に重要なものであり、それの
復旧が遅れることで一般市民に不安が広がることをデュランダルは一番懸念していた。一般市民に不安
が広がれば、それが軍や政治不信に繋がり、国内情勢の不安定化へと傾いていく事になるからだ。

 

 まずこれからすべき事は、停電の起こっているコロニーの復旧作業を全力で行う事。国内情勢の安定を
図り、連合に対して隙を見せない事だ。デュランダルは顎に手を当て、一つ頷いて通信班に命令を下した。
 それと同時に、1人のオペレーターが振り返ってこちらの様子を覗っている。インカムに手を当てるその仕
草は、何らかの通信をキャッチしたらしい事を示していた。

 

「よろしいでしょうか?」
「構わん」
「はい。廃棄コロニーの調査に出向中のユウナ=ロマ=セイランオーブ軍総司令官より、緊急連絡です」
「何?」

 

 デュランダルと国防委員長が顔を見合わせ、そのオペレーターの所へと駆け寄った。そして、ユウナとい
う名前を聞いたカガリも、そんな2人に倣うようにして床を蹴る。
 デュランダル達がオペレーターの傍の大型ディスプレイの前に立った。少し遅れて、カガリが後ろの方で
足を着けるのをチラリと見やる。デュランダルはそれを待っていたかのように口を開いた。

 

「正面に廻せ」
「ハッ」

 

 デュランダルの声に応え、果たして大型ディスプレイにシートに腰掛けるユウナの姿が映し出された。恐ら
くは今の超長距離ビーム攻撃に関係しているのだろう。表情には緊迫の色が浮かんでいる。

 

『デュランダル議長、そちらは大丈夫だとは思いますが――』
「ならば、今プラントを襲った超長距離兵器に関係していると?」
『そうです、反射衛星砲です。連合は、複数のゲシュマイディッヒ・パンツァー装備のコロニーを中継ステー
ションに仕立て、ビームの軌道を多角に曲げる事で月からプラントを狙撃しようとしました』
「月から……!?」

 

 デュランダルは驚きに表情を歪めた。よもや、そんな遠くから直接プラント本国を狙い撃ちにしようとしてく
るとは思わなかったからだ。
 誰かが息を呑む音が聞こえた。静寂と化した司令室の中、電子音が無機質に一定のリズムを刻んでい
る。デュランダルは少し思考をめぐらせた後、再び顔を上げて画面の中のユウナを見た。

 

「それでは、核攻撃はやはり、こちらに先程の戦略兵器を見せないがためのブラフだったと?」
『そう考えてよろしいでしょう。プラントは、核に対してトラウマを持っています。それ故に、どうしても核の存
在に目を奪われがちになってしまうものですから、その習性を利用されたのです』
「習性と言いますか――」

 

 所謂“血のバレンタイン事件”と呼ばれるユニウス・セブンへの核攻撃は、未だプラントにとって記憶に新
しい。10万を超える同胞を一瞬にして失ってしまったその出来事は、プラントの核兵器への恐怖と憤りを心
理面に植え付ける契機となった。
 ジブリールは、そのコーディネイターのトラウマを利用したのだ。ザフトに核の輸送船団が発見されたの
も、全ては連合軍が次の作戦に核を必ず投入してくるだろうと思わせるためだった。そうする事でプラント
の目を核兵器に向け、レクイエムの存在を秘匿する事に成功したのである。尤も、デュランダルの臆病が
オーブ艦隊の派遣を呼び、シロッコがステーションの防衛に失敗する事までは読み切れなかったようである
が――
 血のバレンタインの当事者で無いユウナが軽く言ってのける態度はあまり気の良いものではなかった
が、今はそんな些細な事に目くじらを立てている場合ではない。デュランダルは一つ咳払いをするだけに止
め、気を取り直してユウナに訊ねる。

 

「――では、あれが連中の切り札だと考えてよろしいのですね?」

 

 ディスプレイの中のユウナは、デュランダルの問い掛けに深く頷いて見せた。

 

『連合の本命は、反射衛星砲でほぼ間違いないというのがこちらの見解です。現在、そのステーションの一
つを我々で占拠していますが、軌道の修正を行えば別のルートで直撃コースが繋がってしまうと、こちらの
エリカ=シモンズが弾き出しています』
「出所は――」
『ダイダロスです。ですから、そこを攻略する為にも、ザフトには援軍を要請したく思います』
「そちらで叩いてもらえると? ありがたい事だが。……ふむ」
『時間はあまり残されておりません。お早目のご決断を』

 

 デュランダルは、ユウナの打算には気付いていた。だからこそ、カガリを自分の傍に置いているわけだが
――恐らく、モニターの向こう側のユウナにもカガリの姿は見えているだろう。表情は冷静を装っているが、
内心では臍を噛んでいるに違いない。
 デュランダルはカガリの表情を横目で盗み見た。毅然とした表情と姿勢、真っ直ぐに見据えるブラウンの
瞳は、金獅子の如く雄雄しさと気高さを感じさせる。最早、アーモリー・ワンで会った時のような青臭さは微
塵も見られなくなっていた。当時の事を思い返せば、随分と大人びたものだと驚かされる。
 言葉を詰まらせ、沈黙を続けるデュランダルに業を煮やしたのか、決断を渋る彼の背を押すように、カガ
リが顔を振り向けた。デュランダルは、思わずカガリへ向けていた視線を外す。

 

「私のような立場の人間が口にするべき事ではないと思いますが――」
「いえ、同盟国の国家元首でいらっしゃる代表の意見は、貴重なものです」

 

 その反応が意外だったのか、カガリは謙虚な姿勢を見せるデュランダルの態度に一瞬だけ窮したように
見えた。そういう仕草を見るだに、まだ多少の子供っぽさは残されているのだろうとデュランダルは微笑ま
しく思う。
 カガリは胸元のネクタイを直す仕草をし、動揺を誤魔化すように気を取り直した。それも、自分に対する
失礼を気に掛けての行為だろう。彼女には、そういった慎ましやかさといったものを持ち続けていて貰いた
いものだと、デュランダルは思う。

 

「ありがとうございます。では、言わせて貰えば、ここは早急に戦略兵器の元を断つべきと存じます」
「その心は?」
「そうでなければ、故郷を発ち、ここまで流れてきた私達の想いも報われませんし、何よりも多くのプラント
国民がその命を散らす事になってしまいます。ナチュラルとコーディネイターの融和を目指す我々にとって、
この危急の事態を看過する事など出来ません。何卒、御英断を下される事を願います」

 

 ユウナの打算とは裏腹に、カガリの決意は固まっていた。彼女の願いはナチュラルとコーディネイターの
真の融和。愚直なまでに純粋なその理想は、時に周囲の嘲笑を貰うかもしれない。しかし、その愚直さがカ
ガリの魅力であり、デュランダルはそんな彼女をそれほど嫌いではなかった。オーブとは、自国の事しか考
えられない国柄であると思っていたデュランダルにとって、同盟国とはいえ他国であるプラントの危機を憂
慮する正義感を持つカガリは、好意に値する。
 カガリの射抜くような目線が、デュランダルを直撃する。その信念に固まった力強い瞳は、国家元首に相
応しいと認められる。しかも、歳を重ねていない分だけ利権に囚われるようなこともなく、理想を追い求める
純粋さがより眩しく見せていた。
 そんなカガリの強い意志に押し切られたのかどうか、デュランダルには分からない。彼の腹の内は既に
決まっていたが、今の彼女の一声で余計にその決意が固まったような気がした。

 

「わかりました。ザフトの戦力をいくらかそちらに回します。――国防委員長、部隊の編成を急いでくれ」
「ハッ」

 

 デュランダルがそう告げると、すぐさま国防委員長は敬礼をしたまま床を蹴って流れていった。
 その姿を見送ると、デュランダルはモニターの中のユウナとカガリの顔を交互に見やった。

 

「よろしいですかな? ダイダロスといえば、大西洋連邦の一大軍事拠点であります。そこへ仕掛けるという
事は、それ相応の痛みが伴うという事を――」
「覚悟しております。この状況で一国の我侭を申してはおられませんから。――ユウナ、頼んだぞ」
『拝命いたしました。反射衛星砲の件はこちらにお任せください、代表』

 

 ユウナがその言葉を言い終えると同時に、通信は途切れた。

 

 通信を終えると、ユウナは伸ばしていた背筋を緩め、どっかりとシートに背中を押し付けた。

 

「デュランダルの奴、カガリを手放す気は無さそうだ」

 

 ユウナは、一応戦闘も想定した廃棄コロニーの調査を名目としていた為、安全を考慮してカガリの同行を
視野に入れていなかったのである。その代わりに、いざとなればキラにカガリを連れて来て貰うつもりだっ
たが、デュランダルにこんなに近くに居られたのではそれも難しいだろう。デュランダルはカガリをコロニー
に待機させて置くのではないかとユウナは考えていたが、今になって考え直してみれば、用心深い彼がそ
んな甘い事をするわけが無いのだ。こんなことなら、無理矢理にでも連れ出すべきだった。ユウナにとっ
て、痛恨の失敗だった。
 デュランダルは、分かっているのだ。オーブにとって、今はカガリが唯一の希望であることを。彼女が居な
ければ、例えユウナが懸念するとおりプラントが滅び、オーブだけが生き延びたとしても指導者を失った国
はやがて空中分解する。本来なら新しい指導者を立てて再建するべきところだが、その土台が今のオーブ
には皆無なのである。だから、悪い言い方をすれば今のカガリはデュランダルに人質にされているようなも
ので、本人もそれを分かっているようだった。

 

「我々に対する牽制のつもりなのでしょう。カガリ様をああして見せつけ、イニシアチブがあちらにある事を
意識させているのです」

 

 通信でのやり取りが終わり、席を外していたトダカがふわりと艦長席に腰を落とす。簡単に言ってのける
トダカに対し、イライラを募らせていたユウナは不機嫌そうな横目でトダカを睨み付けた。

 

「分かっているよ。お陰で僕は、やりたくも無い作戦を立てるハメになってしまった」

 

 お手上げと言わんばかりに、ユウナは肩を竦め、両の掌を返して見せた。

 
 

 終戦が近付いている――連合軍では、そういう話題が上るようになっていた。それというのも、圧倒的破
壊力と高い戦略性を併せ持つレクイエムの存在が、彼等の意気を上げていたからだ。現在は一時後退中
であるとはいえ、戦力的に見てもザフトよりも優位に戦えている。そういった余裕も作用しているのかもしれ
ない。

 

 ファントム・ペインの中でも、そういう話題がちらほらと上がる様になってきた。そういうお気楽な風潮を、
ブランは悪い事だとは思わない。ぎすぎすに尖がった戦争状態の中で、緊張感を持ったままずっとやって
来た兵士には、精神的な安らぎが必要だ。例えば戦後に退役を考えているものが居るとしても、それが終
戦へのモチベーションに繋がるのであれば歓迎してしかるべきだ。そういう前向きな目標を持つという事
は、正常な精神を持っていることの証明になるからだ。死にたがりの兵士など、軍には必要ないとブランは
考えている。

 

「少佐は、終戦後はどうされるおつもりなのですか?」
「ん?」

 

 シロッコがガーティ・ルーを使っていることで、ファントム・ペインは同型艦のナナバルクに配属となった。
 ブランが腕を組んでブリッジで佇んでいると、徐にイアンが尋ねてきた。その声に振り向き、ぶっきら棒に
一言答えてから、怪訝そうに片眉を吊り上げた。ブランの少ししゃくれた顎と見事なリーゼントは、イアンも
既に見慣れたものである。
 それにしても、ブランと言いジェリドと言い、彼等の世界ではブロンド髪の男性の間でリーゼント・スタイル
が流行っていたのだろうか。C.E.の流行から考えれば、若干の古臭さを感じさせるが、しかし特に気に掛か
る事では無いだろうとイアンは口にも顔にも出さない。

 

「藪から棒だな。貴様でもそういう事を気にするのか?」
「はぁ。失礼であることを承知で申し上げますと、少佐はこの世界の人間ではいらっしゃいません。最初か
ら戦争ありきで軍にスカウトされた経緯がございますので、本心ではどう思っていらっしゃるのか、興味が
あった次第であります」

 

 かなり丁寧な物言いは、決して萎縮しているからではない。イアンは、元々この様な口調の男なのだ。生
真面目な軍人タイプで、そのお堅い佇まいを苦も無く演じられるような変わり者である。ブランは、そんな冷
静沈着な艦長の存在を頼もしく思っていた。
 ただ、それとこれとは話は別だ。珍しく人間的な話題を振ってくるイアンを、それまでサイボーグのように
思っていたブランは、やはり彼も人間なのだと苦笑する。

 

「フン、貴様も随分と物好きな男だ。そんなこと聞いたって、何の得にもなりゃせんのになぁ」
「ぶしつけでありましたら、申し訳ありませんでした」
「そう言ってくれるな。別に何も考えちゃいないだけだよ」

 

 俗事に通じなければ、大抵の人間はストレスが溜まる。中には奇麗事ばかりを口にしてお高くとまってい
る下らない人間も居るが、ブランはそれは嘘だと思っている。出歯亀や野次馬といった根性が無い人間な
ど、この世に存在するわけが無いのだ。そういう欲望が無ければ、人類は何度も戦争を起こして互いを殺
し合うような真似をするはずが無い。
 それは人類に植え付けられた性だ。その性が人間を形作っている要素であるならば、イアンの興味は寧
ろ好意的に解釈できる。ブランは怒る様子を微塵も見せることなく、イアンの生真面目さを肩で笑った。

 

「――が、MSから降りる気にはなれないな。軍の空気が肌に合うのさ。飯も食わしてもらえる。強いて言え
ば、そういう事になる」
「なるほど」

 

 ブランは再び顔を正面に戻し、ブリッジから見える光景に視線を戻した。イアンは顎に手を当て、納得し
たように頷く。チラリとその様子を盗み見たブランは、呆れたように苦笑を浮かべていた。

 
 

 ナナバルクの格納庫を、柵に肩肘を乗せて背中を預けているスティングが後ろ向きに見下ろしていた。そ
の視線で整備状況を覗うのは、自分の愛機カオスと、同小隊の機体である2機のガブスレイ。いずれも損
傷は軽微で、次の出撃に支障は無さそうである。スティングは軽く溜息をついた。

 

「それにしても、よくもあの程度のダメージで済んだものだ」

 

 不意に声を掛けられて、スティングは声のした方に顔を振り向けた。特注の黒い制服に身を包み、長身と
その長い手足は憎いほどに似合っている。だが、若干の時代遅れの感がある金髪のリーゼントを揺らす
のは、最近の若者の感性を持つスティングからすれば何とかならんものなのかと不満があった。時々眉毛
が黒くなったりブロンドになったりしている様に見えるのは、果たして彼の気のせいなのだろうか。ジェリドで
ある。

 

「あのコンテナ付きのフリーダムに狙われた時は、流石に肝を冷やしたぜ。カリドゥスを外して気分悪くなって
る時だったからな。下手すりゃ、逃げ切れなかった」
「俺とマウアーのお陰だろ?」
「そりゃあそうだけどよ。恩着せがましく言われると、素直に面白くねえな」

 

 苦笑交じりにスティングは拳を突き出す。ジェリドは彼に付き合う形で自身の拳をこつんとスティングの拳
に突き合わせた。
 思えば、スティングとは随分と親しくなれたものだ。記憶を改竄して都合よくしてあるとはいえ、彼のような
思春期真っ盛りの少年は、カミーユを例に挙げるまでも無く、厄介なものだ。その世話役を押し付けられ、
当初は何故自分がと、ネオを恨みもした。しかし、ジェリドにとって救いだったのは、スティングという少年は
思ったよりも大人だったという事である。

 

「――スティング、俺は戦争が終わったらマウアーと一緒になるつもりだ」

 

 いきなりの告白に、スティングは思わずジェリドの顔を凝視した。必死に動揺を顔に出すまいと努力して
いるようであるが、バレバレである。

 

「死亡フラグか?」
「何だ、そりゃ?」
「だったら、何を今更そんなこと言ってんだよ。態々俺に言う事でも無いだろうが」

 

 強がって言うスティングの仕草を、ジェリドは笑おうとしなかった。これは、信頼する仲間に対して表明する
極めて重要な決意である。それを笑って行う事など、言語道断。どこまでも真剣であるという事を、スティン
グに示しておく必要が、ジェリドにはあった。

 

「いや、お前にはきちんと言っておきたくてな。俺はこの世界で骨を埋めるつもりだ」
「は? 何言ってんだよ、ジェリド……?」

 

 自分が異世界人であるという事は、スティングには言えない。言えば、彼の記憶に破綻を来してしまうか
らだ。こういう重要な隠し事をしなければならない事を申し訳なく思う。
 しかし、その一方でスティングもジェリドに対して隠し事がある事を知っていた。スティングはマウアーに対
して憎からず思っている部分がある。彼は決して口に出したりはしなかったが、ジェリドは匂うところがあっ
た。恐らく、まだ自分で気付けるレベルにまでその想いが達していないだけだとは思うが、後々の“しこり”
を残さないためにも、この場できっぱりと宣言しておくべきだと感じていた。

 

「戦争で死ぬつもりは無いってことさ。俺は、そういう事を言っている」
「――んだそりゃ? 俺達が負けるわけねーじゃねぇかよ。自慢にしか聞こえねぇぜ、正直」

 

 動揺している自分に動揺しているのだろう。そんな自らを誤魔化すように、スティングの口調から棘が顔
を覗かせた。

 

「悪いな、スティング。お前には、正直に話しておかなくちゃいけないことだと思っていたんだ」
「何を謝ってんだか。いつ決めんのかヤキモキしていたところだ。“ようやくか”って感じだよ」

 

 微妙に視線を合わせない仕草が、スティングの心の動揺を感じさせる。彼にとって、とてもナイーブな部
分である事を知れば、ジェリドも無理に視線を合わせようなどとは考えない。

 

「ま、ジェリドの場合、この先どうなるか分からんねーからよ、先に“おめでとう”を言っておくよ」

 

 憎まれ口を叩くのは、照れ隠しをしている証拠。その辺の心情や性格の諸々を分かっているジェリドは、
大人の余裕の佇まいを続ける。

 

「ほざけ――けど、ありがとうよ」
「止めろよ。おめーの“ありがとう”なんて気持ち悪くて仕方ねーぜ」

 

 そこまで話して、ジェリドはようやく笑顔を見せた。スティングも釣られる様にしてぎこちない笑顔を見せ、
そのはにかんでいる様が、やはり少年らしさを垣間見せる。大人への過渡期である微妙な年頃、本音と建
前の使い分け方に戸惑い翻弄される世代。寄りかかっていた柵から離れ、逃げるように背中を向けるス
ティングの後ろ姿を、ジェリドは感謝の眼差しで見送っていた。

 

 格納庫のパラス・アテネの下で整備を監督しているライラは、そんなジェリド達のやり取りを腰に手を当て
て眺めていた。ああいう微妙な関係は、得てしてこじれやすい。しかし、ジェリドがそこを上手く纏めた事に、
ライラは満足そうに笑みを浮かべていた。

 

「素質だけは、昔から認めていたんだが――」
「ライラ!」

 

 その分、ライラは楽だろうか。慕ってくる少年は、些か子供っぽい短気を見せるが、それがライラにとって
は刺激となって楽しめる部分でもある。呼ばれて振り返れば、奇抜な制服に身を包んだ青髪の少年が無重
力をダイブしてくる。

 

「アウルは――アビスの整備は、終わっているのか?」
「ライラは戦争が終わっても軍に残るのか?」

 

 ライラの質問を無視して、アウルは自分勝手に疑問を投げかけてくる。自由奔放さは、やんちゃで健全な
少年の証である。ただ、その全てを刺激的と称して看過していれば、少年の自分勝手さしか育たず、将来
的な人間形成に悪影響をもたらす事になる。それを許してしまったのならば、保護者としての意味が無い。
 ライラは額に指を当て、少し不機嫌な仕草を取ってアウルを迎える。

 

「あんたはあたしの質問が聞こえていなかったのか?」
「終わったから、こっちに来たんだよ。――で、どうなんだ?」
「はぁ……」

 

 減らず口に溜息を漏らすライラ。その様子も気にならないとばかりに、アウルは床に足を着けて傍らに流
れてきた。元が悪いのか、自分の教育が間違っていたのか、ライラは軽い頭痛を覚えた。

 

「そういう話題がそこかしこで流行ってるからってね――」
「ライラがどうするかで、俺の将来も決まるだろ? だったら、気にもなるぜ」
「あんたは一生あたしにくっついてくる気かい?」
「ずっとそうして来たんじゃねーかよ」

 

 腕を組み、スレンダーな体型で彫刻のような華麗な佇まいを見せるライラに、身体を摺り寄せるように並
び立とうとしてくるアウル。後ろ頭で両手を組み、軸足に絡ませるように足も組む。まるで猫が媚びる様な仕
草に、ライラはそれも悪くは無いと拒絶はしない。
 しかし、それは内心で思っていることであって、馴れ馴れしく寄って来るアウルに対して、表面上はあくま
でノー・リアクションを貫き通す。彼のような少年は、一度甘い顔を見せれば直ぐに調子に乗るからである。

 

「あんたはいい加減、女を作りな。何時までもあたしに甘えているようじゃ、坊やからは卒業出来ない」
「浮気は好きじゃねーんだ」
「誰があんたと付き合ってんだ」

 

 身長は、ライラの方がアウルよりも高い。背後から見ればまるで仲良し姉弟のような並び立ち。ライラは
少し顎を上げ、不敵な笑みを浮かべるアウルを睨んだ。

 

「ライラよりもいい女なんか、居るかよ」
「フンッ」

 

 ポッと頬を赤らめ、視線を外して恥ずかしげなアウル。勇気を振り絞った彼を、ライラは鼻で笑った。
 アウルはライラに求める母性を恋心と勘違いしている。本当ならその間違いを指摘して自立を促してあげ
るのが母親役の自分の成すべき事だと思う。しかし、軍隊の中で生きてきた彼女は、厳しい言葉が口をつ
いて出てきてしまうことがある。自立させなければならないと考える一方で、迂闊に突き放す事でアウルの
心が自分から離れていってしまう事を、ライラは密かに恐れていた。
 ネオに提案された時は、厄介事を引き受けてしまったものだと後悔したものだ。記憶を改竄する前の、出
会った頃の事を思い出す。あれだけ自分に反発していたアウルが、今やこんなに素直になって自分の大切
な存在になるとは、当初は考えられなかった。アウルは、ライラ本人も気付かない内に、彼女の中でかけが
えの無い存在へと変貌していた。

 

「そういう生意気は、酒を旨く感じる歳になってから口にするんだね。ミルクがベスト・マッチの坊やには、気
取った台詞は似合わない」

 

 ライラはそう言うと、床を蹴ってふわりと後ろに身体を浮かせた。アウルの瞳が、そんな彼女の姿を追っ
て動く。
 その場から離れたが、本気で拒絶しているのではない。ライラは少し小バカにするような笑みを浮かべつ
つも、表情そのものは概に柔和であった。アウルもそれは分かっているようで、些かも慌てた素振りは見せ
ない。彼の経験則として、ライラがそういう照れ方をするものなのだと思い込んでいるのだ。勿論、そういう
風にアウルの心情をコントロールする事がライラの目論見でもあるのだが。

 

「いつかはライラの方から言わせて見せるさ。“あんたよりもいい男は存在しない”――ってね」
「あたしに、期待させるつもりか?」
「ライラが俺を見てくれるんなら、何でもするつもりさ。だから、一緒にこの戦争に勝とうぜ」

 

 アウルはそう言うと、指で拳銃の形を作り、発砲する真似をして見せた。一体、誰を狙って撃っているの
か――敵のザフトか、はたまたライラのハートか。或いは、その両方なのかもしれない。
 肩越しからチラリと盗み見たアウルの顔は、ライラが思っているよりも大人びて見える。少年の成長は
日々行われ、特に成長の遅い男子はほんの僅かな期間で驚くほどの成長を見せることもある。ライラは、
そのアウルの横顔に“いい男”の片鱗を見た気がした。
 ライラは内心で笑い、目を閉じた。願わくば、今アウルが口にした約束が反故にされないようにと願うばか
りである。戦争が終わるその時までアウルを守ると、ライラは心に決めていた。

 
 

 シロッコが艦隊ごとダイダロス基地へと召致されたのは、一重にジブリールの怒りを買った事に関係して
いる。シロッコはジブリールから特別に恩借を受け、重宝されてきたが故に、自らの艦隊を組む事を許され
ていた。その彼が、レクイエムの中継ステーションを守りきれなかったのである。それも、相手はオーブの
残党軍とも呼ぶべきもの。そんな弱小軍団を相手に、好き勝手に編成を許したシロッコの艦隊が敗れたの
である。いくらジブリールがシロッコに目を掛けていても、許される事ではなかった。
 ガーティ・ルー以下、シロッコ艦隊がダイダロス基地へと入港した。アルザッヘル基地での任を解かれ、シ
ロッコは個人的にジブリールに呼び出されていた。
 ダイダロス基地にある、VIP用の特別室へのドアをくぐる。絢爛豪華とはこの事だろうか、いかにも成金趣
味な装飾で部屋は眩いほどに飾り立てられ、そこかしこに宝石の色が輝いていた。シロッコは目を細める
と、デスクの向こうで背を向けて座っているジブリールの後頭部を見た。

 

「何故呼ばれたのか、分かっているだろうなパプテマス=シロッコ」
「ステーションを守りきれませんで――」
「そういう事を言っているのではない!」

 

 目を伏せ、シロッコが頭を垂れようと背を丸めると、怒気を孕んだジブリールの叱責が部屋の中に響き
渡った。デスクの影から「にゃあ」という鳴き声が響き、そそくさと早足で逃げるように猫が歩いていく。それ
を目で追った後、シロッコは身動きを止めて上目にジブリールを見た。

 

「私は、貴様を隙の無い男だと思っているが――」

 

 そう言って、ジブリールは椅子から立ち上がる。リクライニングの背もたれがジブリールの体重から解放
され、ギシ、という軋んだ音を立てた。

 

「ナチュラルである事には変わりない。時には失敗するような事もあるだろう」

 

 ゆっくりと振り向いたジブリールの表情は、思っていたよりも険しくなかった。ただいつものように華奢な体
つきからは想像だにできない厳しい顔があるだけだ。シロッコは、一歩一歩踏みしめるように歩いてくるジ
ブリールを目で追う。

 

「そういう可愛らしさというものを持つのが、人間らしさというものであろう? しかし、コーディネイターの連
中は、そういう理屈が通じない。そういう輩は驕り、我々を地球から迫害するだろう。宇宙の化け物どもに、
我等が母星を渡すわけにはいかん。だから、人類の安息を手に入れる為、地球を我等の手で守る為に
コーディネイターを討ち滅ぼす戦いを続けてきた。貴様は、その尖兵となってくれるものだと思っていたよ」

 

 ジブリールが歩んだ先には、食器が整然と並んでいる棚があった。木製で、職人の手によって施された
彫刻細工は、正に芸術品だった。正直、ジブリールにはもったいない代物だとシロッコは思う。
 ジブリールは棚からカップを一つ取り出し、それをしげしげと眺めながら口を動かしている。

 

「その私の期待がプレッシャーになって犯した失態だと、貴様は言いたいのだろう? 分かっている、分
かっているよパプテマス=シロッコ――しかし、だ」

 

 鼻を鳴らすと、ジブリールはそのカップを持って今度は応接用のテーブルに歩を進め、そこに用意されて
いるティー・ポットを手に取って、紅茶をカップに注ぎ始めた。

 

「その理屈が通用するのは、私の掌の上で踊っているという前提が必須条件だ。その点、貴様はその限り
ではない」

 

 液体が注がれる音。泡立つような少しくぐもった音が聞こえてくると、カップの縁からは淡い湯気が立ち上
る。紅茶を注ぎ終えると、ジブリールは立ち上る湯気を香るように鼻を近付け、優雅に首を左右に振って見
せた。
 嫌な事をハッキリと口に出して言う男だ。尤も、そういうあつかましさといったものが無ければここまでの
地位には上りきれないし、ブルー・コスモスの盟主など務まるはずも無い。
 シロッコは、そう思いながらもジブリールの言動から目を離さないで居た。問題は、彼がシロッコがワザと
ステーションをオーブ艦隊に占拠させた事に気付いているのかどうかだ。それさえ分かれば、いくらでもね
ちっこい説教を聴いてやる気ではいた。
 やがて、ジブリールは淹れ立てのカップをシロッコの前に差し出した。ジブリールが御持て成しなどするよ
うな柄では無い事を知りつつも、差し出されたものを受け取らないのは失礼に当たる。しかし、シロッコがそ
れを受け取ろうとした時、不意にジブリールはカップを引き戻した。
 パシャッという水が弾けた音。気付けば、シロッコに紅茶がひっかぶせられている。ジブリールの眼光が、
一段と鋭くなった。

 

「私は、貴様の功績に見合う以上に貴様の好きにさせてきた。身元の怪しい貴様への、前代未聞の先行
投資――なのにだ、貴様は衛星軌道上でアスハの抹殺に失敗したばかりか、ステーションも守り通す事が
出来なかった。無能の極みだと思わんかね?」

 

 空になったカップの底をシロッコに見せたまま、ジブリールは冷ややかな視線をシロッコに向けていた。そ
こに怒りは勿論の事、呆れや失望といった類の感情が渦巻いている事は、容易に覗える。
 しかし、その口ぶり。シロッコの関心はジブリールの怒りではなく、それだけに意識を集中させていた。そ
して分かった事は、シロッコの懸念はまるで気にしなくても問題が無いということ。ジブリールはレクイエム
によるプラント狙撃の失敗が、シロッコの仕業である事に全く気付いていない。
 滴る紅茶が、白い制服を赤茶色に汚していく。シロッコは、ただ黙したままジブリールの言葉を聞いてい
た。品格を気にするシロッコは、流石にジブリールの品の無さを不愉快に思ったが、口答えをしても余計な
癇癪を起こすだけだろうと目を伏せて反省の姿勢を示す。内心では、自分の意図に気付いていないジブ
リールの愚鈍さを笑っていた。
 しかし、その態度が逆に不遜であるとジブリールの反感を買ってしまったのだろう。それまで冷ややか
だった表情が急に熱を帯び、眉を釣りあがらせたかと思うとシロッコの頬に力の限り平手をかました。

 

「貴様に最後のチャンスをくれてやる。ザフトは、恐らくレクイエムを破壊しにここへ攻めて来るだろう。も
し、守りきれるものなら、これまでの失態は全て水に流してやる」
「ハッ、身命を賭してでも閣下の期待に応えて御覧に入れます」
「その言葉、忘れるな」

 

 シロッコは今度こそ深々とお辞儀をすると、滴る紅茶もそのままにジブリールの部屋を後にした。

 
 

 ジブリールの部屋を出ると、そこではサラが待っていた。紅茶で汚れているシロッコを見ると、驚きに表情
を歪めて慌てて駆け寄ってくる。腰ポケットの中から白いハンカチを取り出して、紅茶に塗れているシロッコ
の顔や服を拭いた。

 

「パプテマス様、これは――」

 

 手を動かしながらも、シロッコの身に起きた屈辱的な出来事にサラは声を震わせた。しかし、シロッコの
表情は至って普段どおりで、サラはそれが不思議でしょうがなかった。何故、シロッコの価値を計り違えて
いるジブリールにここまでされて微笑んでいられるのか、サラは怪訝に首を傾げた。

 

「私は権力を持った人間には嫌われるものらしいが、ジャミトフもバスクも、もう少し冷静で居られた。だか
ら、こういう事もあろう」
「そうはおっしゃいますが、あのような低俗な男――」

 

 シロッコは、不満を漏らすサラの口を塞ぐようにそっと人差し指を彼女の口元に当てた。白い肌の色に細
い女性のようなしなやかな指――表情には爽やかな笑みさえ浮かべている。

 

「ジブリールは、レクイエムを私に預ける事で自分の背中を預けたのだ」
「どういうことでしょう?」
「ならば、その期待には、応えてやらねばなるまい?」
「応えるって――あっ!」

 

 サラの頭の中に閃きが迸り、即座にその言葉の意図を理解した。その瞬間、シロッコの不可思議な余裕
に対する疑問は得心へと至った。
 そんなサラの表情の変化を、聡明な女性として見ているシロッコは微笑みを浮かべた。

 

「フフ、そういう事だよ」

 

 褒めて言うシロッコはサラリとサラの髪を撫で、歩を進め始めた。その後ろを、煽てられて有頂天になり
かけているサラが続く。

 

 シロッコは、最初から全てお見通しだった。ステーションを守りきれなかった事でレクイエムによる作戦が
失敗に終わったとして、それでもジブリールが自分を切れないことを。それは自惚れでは無く、客観的に自
分とジブリールとの関係を想像した上での結論でもあった。
 シロッコは、自慢ではないが自らの能力の高さに比肩し得る様な人材は、そうは居ないと考えている。こ
れは、彼のおよそ26年に及ぶ人生で実際に出会った、或いは見知った人間の中に自らを超えるような人
材が果たして存在しなかった事から導き出した結論だ。勿論、それが単なるシロッコの私見によるものであ
るという自覚はあったが、それでも統計学的には十分と言える数の人々と接してきた自信はあるし、唯一
意識したのもハマーン=カーン唯一人だった。
 ジブリールはサディスティックな性格をしている。だから先程もシロッコを激しく叱責したりもしたが、しかし
その反面で彼はシロッコに依存している部分が見られた。シロッコを無能と罵倒しておきながら、レクイエ
ムを簡単に預けたという事実が、彼のシロッコに対する依存具合を如実に示している。
 故に、シロッコがジブリールに対して腹を立てるようなことは、まかり間違ってもありえない。今は都合の
良いパトロンとしてシロッコの後ろ盾になってくれているジブリールは、彼の大事な財布なのである。彼のジ
ブリールに対する認識は、大袈裟に言えばその程度であった。紅茶を掛けられたのも、がま口に指を挟ん
だ位の認識しかなかった。

 

 ジブリールは、才能あふれるシロッコを手放す事など考えられないのだ。だから、ダイダロス基地の防衛
という任務を与え、失態を水に流すという形式上の名目を果たさせようとしていた。そして、よしんばそれも
失敗に終わったとしても、ジブリールは何かと理由をつけてシロッコを許すだろう。その背景には、レクイエ
ムの他にもシロッコのお陰で用意できた切り札が残されている事が関係していた。

 
 

 レクイエム以外にも決戦兵器が用意されているなどと、露ほどにも思っていないユウナ達には、それも当
然だと言う他に無い。まさか、レクイエムまで用意しておきながら更に隠し玉を控えている事を想像しろと言
うのは、無理な話だ。当然、可能性として疑う余地くらいは見出しておくべきだったが、当面の目標であるダ
イダロス基地攻略、及びレクイエムの破壊、若しくは占拠という作戦の完遂に向けて英気を養わなければ
ならない時である。そこまで考える精神的な余裕というものは持てていなかった。

 

 ダイダロス基地攻略に向け、オーブ艦隊と増援のザフト艦隊が合流する場は、連合軍の動きを警戒して
ステーションで行われる事になっていた。果たして、何時連合軍の反撃が来るやも知れないと怯えていた
頃、ザフト艦隊が合流した。
 ところが、そこにやって来たとある戦艦の姿を見て――いや、実際にはその戦艦に乗っていた人物を見
て、ユウナは驚愕に声を裏返してしまった。
 ユウナが見た戦艦はエターナル。そして、そこに乗船していたのはキラだった。

 

「キラ…キラ=ヤマト! 何で弟君がこっちに来ちゃうんだい!?」

 

 連絡船のドアから姿を現したキラ。その姿を目にした時、ユウナはすぐさま床を蹴ってキラの元へと駆け
寄った。
 そんなユウナの形相を見て虚を突かれるキラ。興奮するユウナを宥めるように両手を上げてクール・ダウ
ンを促す仕草を取った。

 

「あ…あの、プラントにはミネルバが残らなくちゃいけないから、じゃあ増援には僕とエターナルがって――」
「君が自分で言い出したって言うのかい!」
「い…いえ、ザフトの方から言われたんです」

 

 まるで反省の色が見えないキラ。純粋にザフトを信用しきったこの純朴な青年に対し、ユウナは呆れ果て
て何も言えなくなってしまった。思わず手で顔を覆い、間抜けな自分の判断を大いに嘆く。悪気なんて、何も
感じていないのだろう。キラの瞳は嫌味なほどに澄んでいて、ユウナはそれが癪で堪らなかった。
 連絡船からは、キラの他にもザフトの士官が数名。ユウナはチラリと彼等を見やり、ソガに気を引くように
アイ・コンタクトを送った。

 

「弟君、ちょっとこっちに来て」

 

 ソガが上手い事ザフトの士官を呼び集めている。ユウナはそれを横目で確認しながら、キラを格納庫の
隅の方まで連れて来た。話すことは、勿論、件の約束の事である。他の人達に背を向け、簡単に逃げられ
ないように肩を組むも、キラは怪訝そうな顔をするだけでまるで事情を飲み込めていないようであった。
 ここまでふてぶてしければ、もはや口で言って分からせるしかない。ユウナは口を開く前に、一つ大きな
溜息をついた。

 

「君が来ちゃったら、本末転倒じゃないか! カガリを連れて来るっていう僕との約束はどうなったんだい!」

 

 声を押し殺し、且つ激しく追及する。そこに来てようやくキラも理解したのか、嫌がるように表情を歪めた。
 その顔がまた憎たらしく見えて、余計にユウナの苛々は募るばかり。一寸、彼の鬱陶しそうな髪を、思
いっ切り掻き毟ってぐしゃぐしゃにしてやりたい衝動に駆られるも、コーディネイターを相手に喧嘩を吹っ掛
けても返り討ちに遭うだけだと思い直す。
 キラは一旦視線を落として、再び上げた。

 

「確かに約束したかもしれませんけど、一方的だったし、しかも密約じゃないですか、それ? オーブさえ良
ければそれで良いなんて、そんなのは良くないですよ」

 

 ああ言えばこう言う。屁理屈だか駄々を捏ねてはぐらかすやり方は、カガリそっくりだ。こういう所を見せ
付けられれば、例えコーディネイターとナチュラルの姉弟であっても血が繋がっていると信じられる。カガリ
の方は幾分かマシになったと思うが、弟の方にも教育が必要だと感じた。

 

「君は、オーブの置かれた立場というものを考えてモノを言っているのかい?」
「そりゃあ、勿論――」
「いいや、分かってない、分かってないからシレっとそんな事を口走っちゃうんだ。いいかい、オーブにとって
カガリは最重要人物であり、その彼女の身柄はデュランダルの手の内にある。言ってしまえば、人質だ」
「まさか、そんな――」
「僕は万が一を想定して、ザフトが負けた場合もオーブが生き残れる道を模索していた。残念ながら、デュ
ランダルには僕の目論見が見透かされていた可能性がある。だから、カガリを自分の手元に置いておいた
んだ。最後までオーブをプラントと一蓮托生にさせるためにね」
「そんな……」
「そういう男なんだよ、ギルバート=デュランダルという男は。オーブと無理矢理同盟を結ばせた件といい、
彼には一度手に入れたものは二度と手放すまいとする、タコの吸盤のような執念を感じる。2年間、惰眠を
貪って勘の鈍っている君には、分からないだろうがね」

 

 矢継ぎ早にキラに捲くし立て、ユウナは腹の内にある不満を遠慮なくぶつけた。そうして少し頭をクール・
ダウンさせた後、チラリと後ろを振り向いて人の目を気にする。臆病な性格のユウナが取る、過剰な警戒
行為だ。
 無事が確認できると、ユウナは再びキラの顔を見た。キラは複雑な表情を浮かべていたが、明らかに不
快の色を滲ませている事が読み取れる。温厚な彼も、流石に頭にきたのだろうか。肩を組むユウナの腕を
払い除け、その行動にユウナは思わず身体をビクッと震わせた。

 

「そういう可能性、考えたくなる気持ちも分かりますけど、それはプラントの負けを前提としてます。僕達は、
負けるために戦争をしているんですか?」

 

 実力行使に出られれば、ユウナは一方的にやられるのを待つしかない。自分の腕っ節の弱さは認識している。被害を最小限に抑えようと、ユウナは身構えた。
 しかし、キラにその意志が無いと分かると、気を取り直して構えを解き、咳払いをして脈を落ち着けた。
 キラの視線が鋭く突き刺さる。ユウナは気合負けしないように視線を逸らし、少しだけ距離を開いた。

 

「未来が分かれば、誰も苦労はしない。プラントの勝利が確約されていれば、何の策も弄さずして僕は偉そ
うに胡坐をかいていられる。けど、そうは行かないんだ。だから、心配をしている」

 

 ユウナがそう言うと、キラの鋭い視線が幾分か柔らかくなった。何が引っ掛かったのか分からなくて意外
だったが、次にキラの口から出てきた名前を聞いて、納得した。

 

「カガリが、心配なんですか?」

 

 キラにとって、カガリは純粋に血が繋がった唯一の肉親である。ユウナが彼女を政治の道具としてしか見做していないのでは無いかという不安があったのだろう。キラに問われ、ユウナは頷いて見せた。

 

「決まってるだろ。あの子は僕のお嫁さんだ。死なれては困る」
「まだ、違うじゃないですか。それに、カガリはアスランが守ってくれます」
「アレックスの事かい?」

 

 冗談めかしていながらも、本心を語るユウナ。キラも本心を分かったからなのか、大分表情を和らげてき
ていたが、「アスラン」という名前を口にして、今度はユウナが不機嫌に顔を顰めた。

 

「それは駄目な理屈だ! 僕はね、彼に任せるのが嫌だったから君に頼んだというのに、君ときたら!」
「ぼ、僕は――」

 

 複雑な事情が絡み合う。公式的、対外的にはカガリとユウナは婚約を結んでいる立場にある。しかし、キ
ラはアスランのカガリに抱く好意は知っているし、カガリも憎からず想っている事にも気付いている。それ
に、キラはアスランと長年の付き合いがあり、心情的には友人の願いが成就される事を祈っている立場
は、2年前から依然として変化が無い。
 しかし、ユウナのことも不埒者の一言で済ませるには忍びない。彼もオーブを心から大切にしたいと思っ
ており、それがカガリの為になっていたりもする。それに、彼は何と言ってもキラを信じてカガリを任せてくれ
たという事実がある。信を預けてくれた人を無下に出来るほど、キラは薄情では無いつもりだ。
 だから、キラの心情は複雑だった。気持ち的にはアスランの応援に廻っていながらも、完全にユウナを否
定できない葛藤が、微妙な心理としてキラを強く出られないように自制させていた。

 

「あぁ、もう! 完全に予定が狂ったなぁ!」

 

 ユウナは頭を掻き回し、人波へと床を蹴った。その姿を追い、キラは首を回す。ユウナはトダカの前で足
を着けると、チラリとキラを恨めしそうな目で睨んだ後、口を開く。

 

「トダカ、クサナギはプラントへ引き返すよ。ソガとアマギはアークエンジェルに乗り移れ」
「えぇっ!?」

 

 唐突な命令に、トダカは気が動転してしまい、間抜けに声を上げる。どうせいつもの臆病風が吹いたの
だろうとは思うが、このあからさまな態度の急変は、一体どうしたものだろうか。
 その鍵を握っていそうなキラが、慌てた様子で追いかけてきた。表情は、かなり焦っている。どうやら、
彼と一悶着あったらしい事が見て取れ、トダカは少し様子を覗う事にした。

 

「ユウナさん! それは――」
「君は黙っていたまえ。こうなったら、僕自身で彼女を守る。もう、君は当てにしない」

 

 ピタッとキラの顔の前に手を掲げ、駆け寄ってくる彼を制止した。ユウナの表情には静かに憤りが浮かん
でいる。その妙な迫力に、伝説のパイロットとまで謳われた然しものキラも怖じけた様で、それ以上は何も
言えず、尻込みをしてしまった。
 場が騒然とし始める。ザフトの増援艦隊の編成について説明を受けていたソガにもその様子は嫌でも目
に入った。事の発端がユウナの思いつきとしか考えられない命令にあったであろう事は明白であり、ザフト
の士官に少し時間を貰ってからユウナのところへと身を流した。
 クサナギの艦長でしかないトダカには対応できないのだろう。複雑な表情で言葉を喉の奥に押し込めてい
る彼には、助け舟が必要だ。ソガは2人の間に割り込むようにして足を着けた。

 

「それは余りにも突然であります。クサナギはダイダロス攻略の旗艦を果たさなくてはなりませんし……そ
れとも、ザフトに指揮権をお渡しするつもりですか?」

 

 ソガが考え直しを要求すると、ユウナはあからさまに嫌そうな顔をして顔を斜め上に逸らした。突き上げ
るようにして上げた顎が、彼の梃子でも曲げない決意を表しているようだ。
 ダイダロス基地攻略艦隊は、ザフトからの増援があるとはいえ、基本的にはオーブの艦隊である。クサナ
ギは総司令官であるユウナの乗艦であり、現場の最高責任者であるソガの乗る艦でもあった。そのクサナ
ギが離脱するという事は、即ち旗艦不在という事になる。そして、旗艦を持たずして艦隊行動は取れないわ
けだから、当然新たな旗艦を決める事になるだろう。その候補は、当然指揮が執れる人員が乗っている艦
に限られてくる。その筆頭は、「砂漠の虎」の異名を持つアンドリュー=バルトフェルドが乗艦するザフト船
籍であるエターナルだろう。
 ソガの懸念どおり「旗艦エターナル」となれば、オーブ艦隊も事実上ザフトに併合される形になってしまう。
ひいてはオーブの権威の衰退に繋がりかねない。その恐れがあるから、ソガは待ったを掛けたかった。

 

「だから、君を残すんじゃないか。君が僕の代わりに艦隊司令を勤めるんだ。君なら、僕以上にマシに出来
るだろう?」

 

 皮肉を言っているわけではない。ただ、客観的に見て自分の総司令としての仕事が機能しているとは思
えなかったし、何よりも今はカガリの身の安全の保証が第一であった。この最優先事項は変わることは無
く、ソガの具申に対しても決して意見を曲げるつもりは無い。
 そんなユウナの我侭を、セレブ独特の理不尽さと切って捨てるのは簡単だ。しかし、ローエングリンを持
つクサナギの離脱は大幅な戦力ダウンを意味し、戦略的な見解から見ればそれは出来るだけ避けたい。
 ソガは引き下がれず、何とかしてユウナに思い留まらせようと試みる。

 

「そうはおっしゃいますが――」
「クサナギが抜けたとて、無敵のアークエンジェルがあるでしょうが。それに、フリーダムだって戦力として十
分に期待できる。イレギュラーのMSも3体あるんだ。上手くやれるだろう?」

 

 理屈っぽい口調は、今に始まった事ではない。ユウナは、何事にも理屈を付け加えたがる癖がある。感
情論で纏めるよりも、インテリを気取って理路整然と並べ立てる方が格好がいいと思っているからだ。今、
自分を突き動かしているものが感情的であるということに気付かずに。
 しかし、ソガもこれ以上の反論は無意味であると気付いたようで、大人しくユウナの言葉に従う。それを見
て、ようやく反対意見が無くなった事を知り、ユウナは気を落ち着けるために一つ咳払いをした。

 

「メサイアにはキサカを残してあるが、フリーダムがこちらに来てしまった今、カガリを引っ張り上げられても
彼女を運ぶ足が無くなってしまった。クサナギは、代わりに足になる必要がある」
「ハッ」
「うん。じゃあ、ソガにはよろしく頼む。――トダカ、直ぐにもクサナギはプラントへ戻るよ。反射衛星砲の詳
細が分からない以上、連合が動き出すタイミングだって分からないんだから」

 

 そう言うと、早々にユウナはその場を立ち去っていった。
 呼ばれたトダカは、制帽の縁を持って整えると、チラリとバルトフェルドを見た。いやらしく笑みを浮かべて
いる様からは、ユウナの感情的な行動に対して少なからずの好意的解釈が混じっているであろう事が覗え
る。飄々としたバルトフェルドは、若者の活発な行動力を羨ましく思い、また、好きなのだろう。トダカは冗談
では無いと思いつつも、面倒を掛ける事になるであろうバルトフェルドに対して、多少の申し訳ない気持ちも
あった。

 

「アンディ、すまないが頼らせてもらう」
「あぁ、気にしてくれなくて結構。こちらは任せてもらっていい。しかし、ちと嬢ちゃんの事を考えすぎだとは思
うが――」
「カガリ様のお供が出来るのだ。君には分かるまい」

 

 そう言って強がって笑ってみせるトダカ。バルトフェルドは理解しかねているのか、苦笑で返していた。
 トダカは実直なオーブの軍人である。シンをプラントへ導いたという温情を持つ好漢でもあるが、根底にあ
るものはオーブへの深い慕情である。だから、ユウナの勝手で決まったようなプラントへのUターンも、振り
回されてる感は否めないが、カガリを護衛できるという意味では嬉しいのだ。
 バルトフェルドはオーブに在住していたが、オーブで育ったわけではない。生粋のオーブ人であるトダカを
目の前にして、その胸中を量りかねているようだった。

 

「分かりませんね。どうせ、僕はプラント出身のコーディネイターだ。お嬢ちゃんは僕達にとってのラクスに
当たるんだろうけど、それともちょっと違う気がするのは、どうしてだろうねぇ?」
「必ず守り通さねばならない御人だ。ユウナ様は、私にその実力があるとお認めになって下さっている」

 

 自らの力を評価するような人間では無いはずだ。バルトフェルドは変に自信を覗かせるトダカの言動を意
外に思い、やや大袈裟に驚いて見せた。
 そのバルトフェルドの様子に気付いたのか、トダカは少し気恥ずかしそうに制帽の唾を下に引っ張った。

 

「英雄にでもなりたいのか、あなたが?」
「そうは言っていないが――オーブの歴史に名前が刻まれるとすれば、それは誉れ高き事だと思っている」
「そんなもんですかねぇ」

 

 やっぱり納得できないバルトフェルドは、しきりに首を捻ってトダカの言葉に疑問を呈していた。

 

 バルトフェルドとキラが乗ってきたエターナルには、ラクスは搭乗していなかった。エターナルはラクスの
戦艦であるというイメージが強いが、実際の所有権はプラントの旧クライン派、通称「ターミナル」にある。
 ターミナルは、デュランダルとは政治的な繋がりを否定していた組織であったが、実際には兵器開発の面
で今大戦の前から接触は持っていた。その証拠に、最初にミネルバがオーブに持ってきたフリーダムは
ターミナルの持つファクトリーが出所であったし、決定的なのは開発系統の違うはずのデスティニーとレジェ
ンドに使われていた装甲材や動力炉がストライク・フリーダムとインフィニット・ジャスティスにも流用されて
いる点だ。これは、ガンダムMk-Ⅱの研究結果がファクトリーにも流れていた証であり、ファクトリーがデュ
ランダルの承認の下に活動しているという示唆であった。
 ターミナルはシーゲル=クラインが組織した団体であり、彼らにとってその息女であるラクスの安全の確
保は何よりも最優先されるものであった。それ故に、増援に送る際にエターナルにラクスを乗せる事に反
発を見せるだろうと予測していたデュランダルが、彼女の乗艦を制した経緯があった。

 

 バルトフェルドは、トダカにとってのラクスはカガリであるとは思うが、自分はプラントに残してきたラクスに
対して彼ほどの執着を見せていないことに気付いていた。確かに重要な人物であるとは思うが、振り回され
て笑っていられるほどではない。だから、トダカの不思議に嬉しそうな顔はバルトフェルドには到底理解でき
ない表情だった。

 

「お国柄の違いだとは思うが――」

 

 そう呟いて、バルトフェルドはユウナを追って流れていくトダカの後ろ姿に背を向けた。同じ艦長職である
が、とても同じ思想を共有できるとは思えなかった。

 
 

 ザフトとの合流が終わり、当初10隻程度の編成であったオーブ艦隊も、ザフトからの10隻の艦艇を加え、
拠点攻略に最低限必要なくらいの規模にまでは膨れ上がった。ステーション防衛隊の必要性であったり、
ザフトの補給艦を伴って戻っていくクサナギという引き算はあったが、それでもエターナルとキラのストライ
ク・フリーダムの参戦は大きい。
 次は、ダイダロス基地の攻略である。そこにあると見られている反射衛星砲の破壊、若しくは占拠という
難しいミッションであるが、その時が近付くにつれてカツの予感は加速度的に増していた。
 何故か、非常に胸騒ぎがするのである。それが、一体何が原因なのかは量りかねているが、サラに関係
しているという事だけは何と無しにわかっていた。

 

「つまり、ダイダロスにはサラが居るって事なのか……?」

 

 胸騒ぎの正体が何であれ、サラが居るという事はシロッコも居るという事である。この、何とも言えない不
安がシロッコの存在に臆している自分の気持ちであるならば、それは認めてはいけない事だ。そうでなけ
れば、誰がサラの目を覚ましてやれるのだろうか。
 アークエンジェルの通路は比較的開放的だ。見通しの悪かったアーガマやラーディッシュの通路に比べ、
人の気配というものを感じやすくなっている。何と無しに通路を流れていると、角の先から人の声が聞こえ
てきた。

 

「ラクスをプラントに残して来てくれたのは助かりました」
「結果的にそうなっただけの話だがな。しかし、まさかヒルダが連合に寝返るとは――」

 

 声の主は、1人は聞き慣れたカミーユ。話の内容は、カツも聞き及んでいる離反者の事だろう。ヒルダとい
う名前に聞き覚えは無いが、寝返ると言えばその者達の事である。
 気になったカツは、会話の続きを聞こうと耳を澄ませた。

 

「エマから話だけは聞いていたが、パプテマス=シロッコ――そういう男か」
「シロッコって――」

 

 シロッコの名前に、カツは思わず飛び出して2人の前に姿を躍り出した。顔を見せたのは、顔に大きな傷跡を残した褐色肌のバルトフェルド。突然のカツの登場に、驚いて身を少し仰け反らせていた。

 

「ほぉ、カツか! 撃墜されたと聞いていたが、元気そうじゃないか!」

 

 丸くなっていた目を柔和に山形に微笑ませ、バルトフェルドは口の端を吊り上げて見せた。そして「結構、
結構」とか言いながら力一杯カツの背中を叩いて、豪快に笑い声を上げる。
 叩かれた背中がびりびりと痺れ、鈍い痛みにカツは片目を瞑って顔を顰めた。バルトフェルドは豪胆な人
間ではあるが、手加減というものを知らない。大男である彼が小柄であるカツに対して遠慮しない粗暴さを
鬱陶しく思ったが、今のカツにはそれは問題ではなかった。少し身を屈ませて痛みを堪えると、すっくと姿勢
を正して再度バルトフェルドを見た。

 

「余計なお世話です。――それで、シロッコがどうしたっていう話です?」
「ん? あぁ――」

 

 シロッコの名前に過剰に反応しているカツ。小さな瞳であるが目が据わっていることが分かる。その瞳に
表れた感情は、並々ならぬ闘争心だ。そのカツの若々しい反応に嬉しくなる反面、バルトフェルドはカツと
エマに出会った当初の事を思い出していた。
 最初にシロッコの名前が口から出てきたのは、エマの方だった。彼女の話によれば、シロッコは一人で局
面に影響を与えられるような天才肌の人物であるという。それだけを聞けば、戦略家として危険な人物であ
るという認識が一番印象に残る。
 しかし、その時カツは間髪入れずに、今のように感情を露にしてシロッコに対する敵愾心をぶちまけてき
た。その時の言葉を掻い摘んで言えば「女の子を利用する最低野郎」という事なのだが、バルトフェルドは
それを聞いてシロッコという人間が良く分からなくなった覚えがあった。

 

「ラクスの従者であった3人のパイロットが、シロッコに従って連合に降ったって事は、カツも知っている事だ
ろう?」

 

 カミーユが代わりに答えると、カツは「そりゃあ、知ってるけど」と言って頷いた。

 

「――そういうことだ。だから、ラクスを連れて来なくて正解だったという話をしていたんだ」

 

 特にシロッコがどうしたという話ではない。名前に反応して飛び出してきたカツは、まるで期待外れの話で
あったようで、肩を落とした。その態度は盗み聞きをしていたにしては失礼だとは思うが、バルトフェルドは
そういう事に細かく拘るような人間では無い。カツの態度にハラハラするカミーユを余所に、親切にも話を
続けた。

 

「折角キラのお陰でラクスの心の負担も軽減されてきたところなんだ。ここで余計な手出しをされたら、責任
感の強い彼女はまた心労を患っちまうからな。その前に、何とかして手を打つべきだろうって事を言おうと
していたんだよ」
「あの人が心労ですか? 想像できないなぁ」
「見た目じゃあな」

 

 能天気な発言をするカツであったが、バルトフェルドは彼の言葉を笑えなかった。バルトフェルドとて、キ
ラから鈍感さを指摘されるまではラクスの事をカツと同じ様に見ていた。元気が無い事を気にしてはいた
が、気に病むほどとは思っていなかった。
 ラクスには担がれるだけの魅力があり、その責任に応えられるだけの精神力を持っているものだと思っ
ていた。しかし、一方でキラ以外の誰もが彼女を18歳の少女としては見なかった。側近のような立場であっ
たバルトフェルドでさえ、そうだったのだ。

 

 ラクスが疲弊していた理由の一つに、最高評議会とターミナルとの仲介がある。彼らにとってのクライン
派の領袖はあくまでシーゲルの息女であるラクスであり、同じ派閥でもクライン派とザラ派の中道的な毛色
を持つデュランダルとは常に一定の距離を保っていた。兵器開発という面で極秘に繋がりは持っていた
が、秘密組織に近いターミナルは謂わば最高評議会の非公認組織である。現在、二大派閥の一つのザラ
派はその勢力を縮小させているが、最大派閥であるクライン派の内部で分裂が起こっている事態は宜しく
ない。そう懸念していたデュランダルの要請を受けて、ラクスは秘密裏にターミナルと接触し、現最高評議
会への協力の仲立ちをしていた経緯があった。
 ところが、ターミナルの中でも右と左に分かれる事態が起こっており、その原因がラクス本人の失踪に絡
んでいた。左派の言い分は、勿論指導者たり得るラクスがターミナルという組織を見限ってオーブに降りて
いた事への不満であった。
 その彼女が今更になって現れて、彼らからすれば亜流であるデュランダルの派閥への併合とも取れる提
案を申し出てきたのである。それに反発する彼等を説得するのに、ラクスは一番心血を注いだ。中でも、ヒ
ルダ達は改革派の最先鋒であったのだ。
 ヒルダ達は元々ザラ派に属するザフトであり、そんな彼女達がライバル派閥であるクライン派に鞍替えし
たのも、そもそもは第2次ヤキン・ドゥーエ戦役に於けるラクスの行動に感銘を受けたからであった。
 しかし、いざクライン派へやって来てみれば当のラクスは雲隠れ。しかも、いつの間にかデュランダルとい
う何処の馬の骨とも知れない輩が幅を利かせ始めてしまったではないか。これでは、何の為にクライン派
へ合流したのか分からない。
 ヒルダ達には、ラクスに対する不審が渦巻いていた。一番最後まで彼女の説得に抵抗していたのは、裏
切られたという思いがあったからだ。しかし、その分、説得に応じたヒルダ達の忠誠は誰よりも強かった。
愛憎とは表裏一体。だから彼女達はデュランダルを嫌悪し、ラクスを過剰なまでに持ち上げる。
 そして、その結果の裏切りでもあった。彼女達にとっての敵は、ブルー・コスモスは勿論の事、デュランダ
ルでさえその限りに含まれているのである。シロッコは、その心の隙を突いたのであった。

 

 バルトフェルドは、最近になってようやくラクスの苦労というものを理解できるようになってきた。それという
のも、彼女の脆い一面を見ようという心構えが芽生えてきたからかもしれない。キラに指摘されるまでは、
そこは見てはいけない一面だと思っていたからだ。

 

「それで、その3人ってカミーユが見たって言う黒いハンブラビの事だろ?」

 

 バルトフェルドの思考を止めるようなカツの声がして、ふと我に返った。

 

「逃げられちゃったけど」
「じゃあ、ダイダロスで決着を付ければいい。シロッコが居るなら、その人達も居るってことだから」
「分かるのか、カツ?」

 

 妙に自信たっぷりに言ってのけるカツに、バルトフェルドは勿論の事、カミーユすら目を丸くした。カツは
優越感を感じたのか、気取って身体を横に流し、通路の壁に背中を寄りかからせた。

 

「サラが居るって事だけは感じているんです。そこからの逆算ですけどね。サラが居るならシロッコも居る、
シロッコが居るならその3人も居る。ブルー・コスモスってコーディネイター嫌いなんでしょ? だったら、シ
ロッコの近くに居るしかないから――」
「凄いじゃないか、カツ」
「このくらい、当然ですよ」

 

 カツは片手で得意気に髪をかき上げ、感心するカミーユに対して余裕を見せていた。
 ニュータイプ的な感覚は、バルトフェルドには理解できない。カミーユが驚嘆に声を上擦らせる理由は分
からないが、それが彼等の特性なのだろう。大人の自分が一人だけ蚊帳の外というのは悔しいので、バル
トフェルドは何となく分かった振りをしていた。
 どの道、カツの勘が当たっていようがいまいがシロッコの動きに対する警戒はして置くべきなのだ。カツの
予測は可能性の範囲として参考にはなる。

 

「けど、残念なのは僕が使うMSが無いって事です。ガイアはシロッコにやられちゃったから――」

 

 それまでの自信満々の調子は何処へ行ってしまったのか。カツは急に声のトーンを落として視線を床に
落とした。
 彼のガイアは、先達ての戦闘でシロッコによってスクラップ同然にされてしまっていた。修理しようにも完
全に修復できるかどうかも分からないし、縦しんば修理可能であったとしても次の作戦には確実に間に合
わない。乗り換えるMSがアークエンジェルに残されているわけでもなく、カツの配属も未定のまま。指を咥
えて待っているしかないのかという焦燥感が、カツの不安に拍車を掛けていた。
 そんな落ち込むカツの姿を見ていて、バルトフェルドは気の毒だとは思う。戦いたくても戦えないのは、戦
士にとって途轍もなく苦しい事だ。
 カツの落胆はそういう意味ではなかったのだが、勘違いしたバルトフェルドはある事を思いついた。顎に
手を当て、目を閉じて少しの間、黙考した。果たして、カツに託すだけの価値があるのかどうか――若年な
がらここまで戦い抜いてきた男だ。可能性はある。

 

「ん…なら、僕が持ってきたものを使ってみるかい?」
「えっ?」

 

 きょとんとするカツ。思いがけないバルトフェルドからの提言に、瞳を輝かせた。その少年の反応を目の
当たりにするだに、若々しさに刺激されて気持ちが昂ぶるのを意識した。

 

「いざとなったら僕が使おうと思っていたのだが――そういう事なら君に預けてもいい。どうだ、エターナル
に来てみるつもりは無いか」
「MSがあるんですか!?」
「そういう事だ」

 

 身を乗り出して詰め寄るカツの瞳が、一層の輝きを放っている。つぶらな瞳とは彼のような目を指して
いっているのだとは思うが、黒目がちなカツの目は何ともシンプルだ。

 

 そんなカツの熱意に押されたわけではないが、バルトフェルドは彼を伴ってエターナルの格納庫へとやっ
て来た。途中、内線で連絡を取り、誰かを招集していたようだが、カツは気持ち逸ってそれを気にしている
場合ではない。
 果たして、エターナルの格納庫に入ると、そこにはストライク・フリーダムの姿と横に並べられているもう一
体のMSの姿が目に飛び込んできた。
 興奮を抑えきれなくなったカツは、バルトフェルドに先んじてすぐさまそのMSの足元へ向かって壁を蹴っ
た。それは灰銀の色をしたMS――恐らくはガイアと同じくフェイズ・シフト装甲の機体だろう。そのシルエット
には、見覚えがあった。

 

「これって、もしかしてキラさんがベルリンで使ったストライク・ルージュ……?」
「気に入ってくれたかい?」

 

 一通り機体の周りを泳ぎ、足元に降りてくるとバルトフェルドが得意気にカツに訊ねてきた。カツは尚も興奮
しているのか、ストライク・ルージュに直に手を触れている。
 鈍い光沢の装甲。MSの装甲などは無機質な印象を受けるものだが、電気の通っていないフェイズ・シフト装甲
は一際冷たく見える。装甲を触る手に、冷気を感じた。

 

「そりゃあ――だって、ガンダムですよ」
「レストア品のようなもんだがな、性能は保証する。――しかし、ガイアだってGだったんだ。確かにこいつは
見栄えのする造りだとは思うが、別段、珍しいものでもあるまい?」
「僕にとってガンダムは特別なんです。それに、この見た目――」

 

 のめり込む様にカツはストライク・ルージュに執心している。そんなカツの喜びように、バルトフェルドも自
然と目を細めた。まさか、こんなに喜んでもらえるとは思っていなかったからだ。

 

 ベルリンでキラが乗っていた時から気にはなっていた。色こそ赤がベースであるが、そのシルエットやディ
テールといったものはカツの良く知っているRX-78に酷似したものである。シンプルに纏められたシルエッ
ト・ラインに、Ζガンダムとは違ってガンダムMk-Ⅱのような脹脛のある脚線。それでいてそれ程マッシブで
はなく、背中の派手なバック・パックは余分だと思うが、頭部の形状は正統派の精悍なルックスを持ってい
る。その顔で、特にカツにRX-78を彷彿とさせたのが、アイ・カメラの下に入っているアイ・ラインである。ガ
ンダムMk-Ⅱ以降、ガンダム・タイプに見られなくなった赤いアイ・ラインは、アムロ=レイが乗っていたRX-
78が特別であるという証だとカツは思っているだけに、フリーダム等のアイ・ラインが入っている機体はカツ
の憧れでもあった。
 その憧れの形に最も近いと思っていたストライク・ルージュが、自分の愛機になるという。敬慕するアムロ
に少しだけ近づけたような気がして、カツは嬉しくてたまらなかった。
 ふと気付けばコックピットのハッチが開いている。誰か先に乗っているのだろうか。怪訝そうにしているカ
ツの前に、バルトフェルドが身体を出した。

 

「どうだ、キラ。何とか出来そうか?」

 

 呼んだ名前に反応して、カツはバルトフェルドの顔を見た。

 

「キラさんが――どうして乗っているんです?」

 

「言ったろう、いざとなれば僕が使うつもりだったって。僕が使うようなセッティングじゃ、ナチュラルのカツに
は動かせないだろうが」

 

 にやりと口の端を上げて応えるバルトフェルド。先程バルトフェルドが内線で呼び出していたのは、キラ
だったのだ。
 すると、バルトフェルドの声に応えて、間髪を入れずにキラがコックピットの中から顔を出した。

 

「まだやり始めたばかりです。僕だって、そんなに早くできると思わないで下さいよ」
「時間、掛かりそうか?」
「前にムウさんの奴をやった事がありますから、そんなに掛からないとは思いますけど――ね」

 

 そう言いながら、キラは起動のスイッチを押していき、フェイズ・シフト装甲を展開させた。その鮮やかに色
に染まっていく光景を前に、カツの小さな瞳は興奮に震えていた。

 

「うわ――ぁ……ッ!」

 

 感嘆の吐息というものは、本当に感動する場面に出会った場合、本人の自覚無しに自然と腹の底から出
てくるものである。今のカツはそういう状態だった。
 赤く染まると思われたストライク・ルージュ。しかし、カツの前で染まっていく色は、全く違う色だった。基本
色がホワイトである点は、以前のストライク・ルージュと大差は無い。しかし、口紅色の様であった胸部は鮮
烈なブルーに染まり、それだけで全体の印象を爽やかに変える。アンテナ基部、及び足底のレッドはより鮮
明に映え、情熱の色を美しく輝かせていた。
 カツの前に現れたのは、まさしくRX-78のリファイン・モデルであった。見栄えのするトリコロール・カラーに
染まったストライク・ルージュ。カツはただ、感動に言葉を失くしていた。

 

「フェイズ・シフトの設定を変えたのか。昔お前が乗っていたヤツを思い出すなぁ」
「手を加えてくれてありますけど、基本設計の古さは誤魔化せませんからね。ビーム兵器が相手なら、機動
力重視のエネルギー効率を上昇させる方向で調整しようと考えているんです」
「ふぅん、キラのセンスなら信頼できるが――フッ、カツに使いこなせるかな?」

 

 呆然と見上げるカツに、バルトフェルドが鼻で笑って意地悪そうな目で視線を送ってきた。にやける顔は
見くびっているようだ。カツはムスッと顔を顰め、鼻息を荒くした。

 

「失礼ですよ。僕を侮らないで下さい」
「侮っちゃ居ないさ。いや、ただな、僕は君の実力を良く知らない」

 

 中々失礼な物言いをしてくる。バルトフェルド本人にとっては少しからかっている程度だろうが、カツにして
みれば自尊心を刺激され、あまり面白いものではない。
 口にせずとも、カツが最前線のミネルバに所属していながらここまで生き抜いてきたという事実が、彼が
優秀なパイロットであるとの証明になっている。それを分からないバルトフェルドではないはずなのに、意地
悪のつもりで挑発してくるのだ。バルトフェルドはちょっとした遊びのような感覚で言っているのだろうが、子
供だからという理由でおもちゃにされたのでは敵わない。口答えはしておくべきだ。
 カツは顔面の筋肉の痙攣を我慢しながら、必死に表情にゆとりを持たせた。余裕である事を表現するた
めに、鼻で笑ってみたりもする。やや不自然なぎこちない笑顔を浮かべ、大袈裟に腕を組んでも見せる。

 

「バルトフェルドさんは、自分に自信が無いからそういう事を僕に言うんでしょう? 自分が使うとなった場
合、ルージュを乗りこなせないんじゃないかって、不安に思ってる――違いますか」

 

 対して、カツの痩せ我慢を見抜いているバルトフェルドは若気の至りで立ち向かってくるカツの勇敢さが
面白おかしく、安い挑発にはまるで乗らない。飄々とした佇まいを一片も崩すことなく、顎を上げてカツを軽
く見下した。

 

「違いますねぇ。これでも昔は“砂漠の虎”の2つ名で呼ばれていたんだ。四本足も二本足も、僕に掛かれ
ば同じ様に扱って見せるさ」
「そ、そんな事――証明できなければ、何の根拠にもなりませんよ」
「ほぉ。論拠が欲しいのか? それなら、次の作戦で僕がルージュを使って、君に証明して見せても良いん
だぞ」
「そ、それは――」

 

 勝負あり。カツの口撃に対してバルトフェルドのカウンターが決まり、あっさりとK.O負けを喫してしまった。
こう言われてはカツに返す言葉が無い。
 カツにとってストライク・ルージュは新たな専用機であり、また、サラを説得する為の貴重なツールである。
折角使用許可を貰えたのに、下らない意地を張ってチャンスを失うのは愚の骨頂だ。カツは大人しく負けを
認めるしかなかった。

 

「――使いこなして見せますよ。あなた方ほど上手く出来ないかもしれませんけどね、ダイダロスくらいは落
としてやろうじゃないですか」

 

 鼻息を荒くして主張するカツを見て、バルトフェルドは囃す様に軽く口笛を吹いた。何処までも見くびるつ
もりで居るらしいが、こうなったら意地でも戦果を挙げ、見返してやろうと闘志を燃やす。
 尤も、そんなカツの反応を予想したバルトフェルドの目論見でもあった。こうして若者を焚きつけて気合を
充実させるのも、年長である自分の役割であると心得ていた。――そして、ほんの少しのストレス解消も含
まれていたりもして。

 

「大きく出たじゃないか、少年――が、その意気だ。本当は、エターナルから出てくれる君に期待しているんだ」
「大人の言う事――それ、今、思いついたんでしょ」

 

 言われ、バルトフェルドは見透かされている事に驚かされた。カツはもっと単純な少年であると思っていた
だけに、思いもがけない所から飛んできたパンチがモロにヒットした。お陰で、変にどぎまぎしてしまった。

 

「どうして分かる?」
「顔に書いてありますからね」

 

 そう言うと、バルトフェルドの動揺が分かっているのか、カツはフイと顔を背け、床を蹴ってキラの篭るコッ
クピットへと上がって行った。
 納得がいかない。隙を見せたつもりは無かったのに、カツはいとも簡単にバルトフェルドの世辞を見抜い
て見せた。カツの勘が鋭いだけなのか、はたまた自分が思っている以上に間抜けだったのか。それを確か
めたくて、ちょうど近くを通り掛った女性メカニックを徐に呼び止めた。

 

「実は僕、前から君の事が気になっていたんだ」

 

 勿論、そんなのは口から出任せの嘘っぱちである。ただ、バルトフェルドが確かめたかったのは、自分が
直ぐに表情に出てしまう人間なのかどうか。果たして、その女性メカニックは不機嫌そうに顔を顰めた。

 

「何スか、艦長。ッつーか、ぶっちゃけ冗談はその無駄に立派なもみあげだけにして欲しいんスけど」
「えッ?」
「あたし、このクソ忙しい時に艦長の遊びに付き合っていられるほど暇じゃないんで。勘弁してもらえないっ
スかね、マジで」

 

 喉が酒で焼けたようなしゃがれた声。まさかの厄介者扱いに、バルトフェルドは思わず身の仰け反らせて
しまった。
 よくよく見れば、その女性メカニックは薄汚れた年季の入ったツナギを着用し、薄いメイクの上から黒ず
んだ油で鼻や頬に線を引いてデコレートしていた。頭に被ったキャップの後ろからは、ブリーチされて痛ん
だ髪が一括りにされて背中に垂れている。可愛らしい顔立ちをしているが、目は鋭く、細長に整えられた眉
は、どう見てもちょっと不健康そうな乱暴者、平たく言えばヤンキーにしか見えなかった。
 完全に掴まえる相手を間違えた。その女性メカニックが醸し出す不機嫌オーラに気圧され、バルトフェル
ドは「失礼しました」とだけ告げ、そそくさとMSデッキを後にして行った。

 

 去り際のバルトフェルドの目が、うっすら潤んでいたのをキラは見逃さなかった。ストライク・ルージュの外
からコックピットに顔を突っ込む形になっているカツは、先程まで偉そうにしていたバルトフェルドの情けな
い体たらくに溜息をつき、まるで気に掛けていない様子である。

 

「何かちょっと泣いてたみたいだけど、大丈夫かな、バルトフェルドさん……」
「単なるレクリエーションですよ。大人って、物凄く見栄えを気にするんです」
「気にするほど悪くはないと思うけどな……」

 

 要はカツを挑発したのが間違いだったのだ。バルトフェルドはカツを歳相応の少年だと思っていたが、彼
はバルトフェルドの思っている以上に大人の世界というものを知っている。
 カツは、エゥーゴという資金難に怯える組織に所属していて、それを取り仕切る大人達のおべっかの使い
方を嫌というほど目の当たりにしてきたのである。とりわけカツが嫌悪していたのが、クワトロがアクシズの
ハマーンに頭を下げた出来事である。戦争によって孤児になったカツにとってジオンは悪の組織という認識
が強く、コロニー・レーザーを封じる為とはいえ、ジオンの力を借りなければならない大人の事情を納得で
きないで居た事もあった。
 クワトロとて、本心ではジオンとの共同作戦など気が進まなかったはずである。それなのに嫌々頭を下げ
る行為が、カツには理解できなかった。
 そういう大人の裏と表が透けるような環境で過ごしてきたカツは、単純な嘘程度なら簡単に見破ってしま
う。ニュータイプであるという点を差し引いても、サラに騙された経緯もあって、彼は嘘には人一倍敏感で
あった。