《第8話:繋がる力、繋がっていく道》

Last-modified: 2020-04-16 (木) 19:10:57

「んっ・・・・・・!」
「ほい【マッチング】クリアっと。どう響? 問題ない?」
「大丈夫、だね。むしろ前より調子が良いよ。Спасибо тебе всегда、明石先生」
「なんのなんの、お安いご用ってね。んじゃあ最終調整するから、もーちょいそのままでね」
「了解」
 ザァ、ザァと、強い雨音に包まれた夕刻の佐世保鎮守府。
 急ピッチで進められている鎮守府復興作業の中でも特に優先して人手が回され、その甲斐あってつい一昨日に再建できたばかりの工廠にて、二人の少女がおろしたてピカピカの艤装を整備していた。
 これまたおろしたてピカピカのセーラー服を着込んだ響と、使い込まれたツナギをラフに着こなす紅梅色の髪の明石だ。互いに長い髪をポニーテールに結い上げて、組み上げたばかりの装備の隅々までを共に点検する。
 共に、といっても二人してスパナやドライバーを手に精密機械と格闘するのではなく、作業するのは基本的に明石だけだ。響は背に装着した艤装に違和感などが無いか、口頭で教えるだけである。
「痒いところはございませんかー?」
「ふふ、まるで美容師さんみたいだね」
「似たようなもんでしょ。・・・・・・ん? ここちょっちキツいかな?」
「ちょっとだけ。でもこのぐらいなら自分で調整できるよ」
 まぁ、言わなくても直ぐさま不具合を察知してくれるのが明石という少女なのだが。
 彼女は工作艦という、艦船の補修・整備を行うための艦種に分類される艦娘で、【移動工廠】や【先生】といった二つ名で国中の艦娘達から慕われている存在だ。
 横須賀軍令部に籍を置き、日本各地の軍施設を渡り歩いて艤装のメンテナンスやバージョンアップをしたり、直接戦場に赴いて艦娘達の応急修理をしたりすることが主な仕事で、平時には軍専用通信販売サイトのオペレーターも兼任している。
加えて、艦娘・艤装の治療・修理を行う施設の建築と改善といった方面にも精通しており、つまり彼女は戦闘以外で日本国の戦線を支える裏方専門の職人艦娘なのである。
 他にも明石のように軍令部に籍を置き、国中を飛び回る者は数名いるが、それは割愛させて頂く。
 さて。
 そんな、誰よりも艦娘に詳しいスペシャリストがこの佐世保鎮守府に滞在する期間は、10月中旬から12月いっぱいまでの約二ヶ月半を予定している。
 丁度隕石が落下してきたタイミングであったことは佐世保にとってはまさに地獄に仏、僥倖だった。彼女がいたからこそ、半壊した鎮守府でも戦線を維持できたといっても何ら過言ではない。ただし、文字通り休む暇もない一週間を戦い抜くことになった明石本人にとっては地獄以外の何物でもなかっただろうが。
「まぁまぁ。ようやっとのラストなんだからさ、折角だし最後まで任せなさいって。それにただでさえ君のはバカみたいにピーキーなんだから」
「バカみたいにとは失礼な・・・・・・否定はしないけど」
「師匠譲りの突撃仕様だかんね。今回も夕立のメンテには苦労させられたもんよ」
「それは・・・・・・お疲れ様。・・・・・・でもこれで、やっと終わりだね」
 運良く、或いは運悪く佐世保入りしていた明石は死ぬほど頑張った。
 先日まで出張していたトラック泊地やリンガ泊地といった最前線よりずっと安全な場所で、しかも基本的に損耗率の低い佐世保なら楽ができると思っていたのに、まさか最終防衛ラインで爆撃に怯えながら働くことになるとは。しかもまさか、鎮守府の生命線である工廠が壊れるとは。
 それでも弱音一つ吐かず、最終的には自ら黒島まで出向いて頑張った。
 そんなこんなで影ながら防衛戦を勝利に導いた彼女は、しかし流石に限界が来て11月4日に倒れた。緊張の糸が切れて爆睡した。それは前線で戦い続けた少女達も同様だったが。
 しかし彼女の戦いはまだまだ終わらない。
 壊れたら直すまでがセットである。
 その後束の間の休息を経て復活した明石は、まず艤装のパーツや燃料弾薬といった資源を手配しつつ、工廠再建の指揮をとることになった。
 続々と搬入される物資を分別し、響達を始めとする「戦闘不能艦娘」に的確な指示を与え、みんなして初めてであった建築作業をスムーズに進行させた。こんなこともあろうかと簡単に組み立てられるモジュール構造を設計し、あらかじめ日本各地の内陸部に用意させていたのが役に立った。
 スペシャリストの名は伊達ではないのだ。
 そして一昨日工廠が一応完成し、そのまま明石による艤装総点検がスタート。丸々二日かけて行われたその作業は、特注パーツの到着が遅れた響を最後に、11月10日の今この時をもってようやく終わろうとしていた。
「やー、流石に疲れた! いい機会だから全員オーバーホールするようにって命令も来たもんでさー、人使いが荒いったら。わたしは一人しかいないんだから仕方ないって分かってるんだけどね」
「それって、呉と鹿屋に行った娘も含めて?」
 艤装の修理はなにも明石の専売特許ではない。
 というか、仮に専売特許だとしたら明石が百人いたって手が足りない。故に常在戦場の身である艦娘達は、常日頃から自分の装備は自分で整備している。
 機材と触媒さえ揃っていればちょっとした不具合なら簡単に直せるし、艤装の半分が崩壊するほどの損傷を負っても、時間さえかければ殆ど元通りに復元できる。そういったメカニックな知識と技術は、少女達にとっては必須のモノだった。
工廠さえあれば、艦娘は自己メンテできるというわけである。
 また、簡単なメンテなら普通の人間でも可能なので、各鎮守府には専門の整備スタッフが常駐し、少女らに代わって修理を受け持つ体制が整えられている。国家資格を持つ優秀な人材であり、且つ普通の人間の女性のみで構成されたその後方支援部隊は、常に東奔西走な明石に次ぐ実力を備えており、それぞれの戦場を支えている。

 
 

 しかし、そんな彼女達でも対処仕切れない事もある。

 
 

 艤装はただの兵器・機械ではない。
 艦艇の砲塔や艦首等を模したソレは、艦娘の躰と密接にリンクしている摩訶不思議な存在だ。
 現人類が思い描く物理法則がまったく通用しない原理原則は、例えば、艦娘の意思一つで空間を超えて自動的に装着することや、砲弾が腹部や頭部に命中したとしてもダメージの殆どを艤装に引き受けさせることだって可能にしてしまう。
 つまり、ただ機械的な部分を弄るだけでは直せないファンタジックな機能が満載で、どころか漫然と修理を続けていくうちに艦娘の躰と艤装との間にズレが生じてしまうこともある、非常に厄介な代物なのである。
 であれば、定期的に両者を馴染ませる必要があるわけで。
 その作業を【マッチング】というが、これを得意とするのが明石というわけだ。ある意味、明石は国でたった一人の艦娘専用整体師ということになる。
 艤装全体が壊れてしまったり、ガタが来てしまったり、新品に換装したりする時も同様で、これを怠ると最悪リンクしている艦娘の躰そのものに悪影響が出てしまうこともあり、彼女が国中を飛び回る最大の理由になっている。
 これは余談だが、事情が少々異なるもののキラがここに来た際に動けなくなっていたのは、艤装となったストライクとの【マッチング】が上手くいってなかったからだ。幸いあの時は簡単な処置をするだけで時間が解決してくれたが、大抵の場合は明石が付きっきりになって調整することとなる。
「そりゃもう丸々全員、48時間で38人分+α! これはボーナスがあって然るべきだよねぇ?」
「改めて、凄い人数だ・・・・・・。そんなのよくこなせたね」
「とりあえず間宮と伊良湖のスペシャルチケット一年分は当然として・・・・・・、・・・・・・ん? ああ、まぁ一人じゃ厳しかったろうけど、優秀な助っ人君がいたから」
「助っ人君?」
「そ。そろそろ戻ってくる頃合いだと思うけど・・・・・・っと、噂をすればなんとやら」
 今回実施された佐世保の艤装総点検は、その【マッチング】を全員に施すことが主目的だったと言ってもいい。艦娘達が自力で修理、或いは新造した艤装を片っ端から整備して回ったのだ。
 響の指摘した通り、一人でこなすのはどだい無理な作業量に思えたが、しかしどうやら手伝った人物がいるようだ。
 もしかしてと、響はある一人の青年を思い浮かべた。
 それと同時に、工廠奥の資材置き場の扉がスッと開いて。振り向くとそこにはやはり、少女が思った通りの人がいた。
「明石さん、三番と十番ありましたよ。それと家具の搬送はやっぱり明後日にずれ込むって連絡が」
「おー、ありがとキラ。丁度いいや、ちょっと手伝って」
「うん、わかった」
 新品のツナギをキッチリ着込んだキラ・ヒビキ。
 年季の入った工具箱を持ってやって来た彼は、この五日間殆ど顔を合わせることがなかった少女に気づくや否や、すっかり完治したらしき左手を挙げて微笑みかけてきて。
「やぁ、久しぶり。・・・・・・えぇと、プリヴィエート、響」
「あ・・・・・・Привет、キラ」
 その不慣れなロシア語の挨拶がなんだかおかしくて、響もつい微笑んで流暢なロシア語の挨拶を返したのだった。

 
 
 
 

《第8話:繋がる力、繋がっていく道》

 
 
 
 

「ずっと先生の助手をやってたんだ?」
「うん。ちょっとスカウトされちゃって」
 なんでも怪我が治ってからこっち、明石の指名でずっと補佐をしていたらしい。ボロボロのストライクの状態をチェックしようとしたところに通りがかった明石が見学したいと名乗り出てきて、その流れで行動を共にするようになったとのことだ。
なるほど姿を見なかったわけだと、宿舎の再建作業に従事していた少女は納得した。
 大忙しな明石の助手をしてたとなれば、きっと工廠周辺に張り付いていたのだろう。仮設宿舎にも休憩所にもいなかったのはそういうことだったのだ。
「全然見かけなかったから、どうしたんだろうと思ってたよ」
「結構忙しかったから・・・・・・やってたことは雑用だけどね。業者さんと電話したり、部品を探したりとか。ここ2日は整備も手伝うようになったけど」
「先生曰く、優秀な助っ人君だって」
「買いかぶりだよ。ホント、大したことはしてないし」
「そう。・・・・・・ともあれ、大丈夫そうでなによりだ」
 別に、自分から探した訳でも、会いたいと思ってた訳でもないが、なんとなく気にはなっていて。その元気そうな顔を見てどこかホッとした響だった。
「ほほーぅ?」
「・・・・・・なにさ?」
「いやぁなんでもないデスヨ」
「?」
 なんか明石が意味深っぽくニマニマしているが・・・・・・なんだろう、ちょっと気味が悪い。
 それに気づいていないのか、はたまた無視しているのか、いつもと変わらない穏やかな顔のままのキラを加えて調整作業は再開する。
「でもさーキラ、実際アンタなかなか見込みあるわ。ちゃんと修行すれば整備士としてやっていけるし、なんだったら弟子3号にしたいぐらい。――っと、四番と六番取って」
「どうぞ。明石さんそっちの十番を――どうも。・・・・・・そう言ってくれるのは嬉しいですけど、でも男ってのは問題じゃない? そりゃ僕としても整備士ってのは性に合うけどさ」
「女装すればいいじゃないの」
「そういう問題じゃ・・・・・・てか、嫌ですよそんなの」
 二人は雑談しながらも流石の手際の良さでアレコレ弄り回していき、艤装の完成度をどんどん高めていく。
 それは少女一人でやっていた時のものよりずっと上の次元で、自分の整備技術はまだまだ未熟であると痛感してはもっと励まねばなと内心決意を新たにする響だが、同時に、たった数日しか艤装というものに触れていないのに明石に追随できているキラの腕にも舌を巻いた。
 青いツナギの青年は手慣れた様子で工具を操っては、響のオーダーに順当に応えていく。本人は謙遜していたが、これなら本当に整備スタッフとしても生活できるかもしれない。
 訊けば、自分の機体は自分で整備しなければやっていけない環境で培われた技術のようで、専門はソフトウェア関係だけどハードにも多少の覚えがあるそうだ。偉い立場になっても整備を手伝ったりして、勘は鈍らせないようにしていたらしい。艤装もモビルスーツも基本は同じということか。
 おかげで、今こうして明石の助手をしているのだから、世の中何が役に立つか分からないものだ。
「こんなもんかな?」
「こんなもんでしょ。よし、終わり!」
 そんなこんなで整備はあっという間に終了。いつでも全力全開で戦闘できる万全の状態になって、更に言えば佐世保鎮守府の戦力も完全復活したことになる。
「хорошо。軽くて、出力も上がって・・・・・・これは良いな。力を感じる」
「剛性に抗堪性、駆動速度もよ。最初に断った通りに、試作の新型パーツを使わせてもらったわけだけど――うん、良い感じに仕上がったようでなにより」
「私が試作一号機ということだったね。思いっきり暴れてテストすればいいのかな」
「つっても劇的に変わったわけじゃないし、あくまで試作品なんだから。あんまブン回すと壊れるかもだから、ほどほどにね?」
 いや、むしろパワーアップしたとまで言っていい。ほんのちょっとだけだが。
「ストライクの部品が使えるなんて意外だったけど・・・・・・できるもんなんだね」
 そう。
 今回、修理するにあたって響の艤装には【GAT-X105 ストライク】に使用されていた特殊合金や超伝導技術等を多数、試験的に組み込んでいる。
 これはストライクを修理する為に採取・解析したパーツ群を複製していた時に、明石が遊び心でサンプルの一つを艤装のフォーマットに落とし込んでみたら偶然発見した――いわば副産物的な新技術なのだが、ある意味それはストライクの修理以上にこの世界にとって重要なものだ。なにせ、宇宙で活動できる巨大人型有人機動兵器モビルスーツを構成するパーツとなれば、上手く流用・実用化できれば艦娘の性能がぐんと向上すること間違いなしなのだ。
 今まで数度に渡り近代化改修を施してきたもののベースが第二次世界大戦期の艦艇である以上、大幅なパワーアップをすることができなかった艦娘だが、異世界のロボット技術がそのまま使えるとなれば話は別だ。棚からボタ餅的な展開ではあるが、これを逃す手はない。
 そこで明石とキラは、空いた時間を使って艤装用の部品に新規開発にも挑戦し、幾つかの使えそうな小物を揃えることに成功した。
 だがその試作品が形になった頃には既に、ほぼ全員が自分の艤装を組み上げ終えていた。ただ一人、特注パーツ――近接戦闘用に剛性を強化したアンカー――の到着が遅れて修理が後回しになっていた響を除いては。
 故に、更なる力を望んでいた本人の了解もあって、彼女の艤装への導入に踏み切ることになった。
「でもやっぱり、今でも信じられないよ。そんな都合良く技術を使い回せるなんて」
「アレが純然な『普通の兵器』だったら流石のわたしもどうしようもないし、こうはならなかったけどねー。けど今はアイツストライクもわたしら同様の不思議存在だから、なんかコンバートできちゃったのよ」
「僕共々、存在自体が変わっちゃってるからだね。艤装と同じように扱えるようになってなきゃ、修理だって絶対不可能だし」
 この試みが上手くいってデータが蓄積すれば、あのストライクを媒介にすれば、いずれはフェイズシフト装甲やビームライフルといったものを艦娘全員に導入することだってできるかもしれない。あの深海棲艦の【Titan】のように、ミサイルやスラスターを使うことだって。
 深海棲艦にできて自分達にできないという道理はないのだ。
 これからはC.E. の技術をいかに有効的に使うかが勝敗の鍵を握るだろうねぇと、明石は感慨深げに言った。
「なんか凄いことになっちゃってるんだね・・・・・・」
 先の防衛戦で猛威を振るった【Titan】の力を、今度は自分達が使うかもしれないという近未来。
 そんな予想図をどうにもイメージしきれない響は、ただ呆気にとられるしかなかった。ただ力が欲しくて安請け合いした依頼が、まさかそこまでの大事に繋がっていたなんてと思わず首を竦める。
 あの巨人と戦って、キラと共闘して、ストライクに乗って、直接肌に感じた強大な力。その一端をもう己が身の内に取り込んでいることの重要性に、今になって圧倒された。
 それって、とても大変なことだ。これまでの常識が全部ひっくり返る急展開で、この先どうなるんだろうという漠然とした不安感が胸中に渦巻く。予兆を感じてはいたものの、よもやこんなにも手の届く場所まで来ていたとは。
(あの力があれば、私は過去を乗り越えられる――? ・・・・・・いや、どうなんだろうな。そういう問題、なのかな。よくわからない・・・・・・)
 例えば暁や雷、電が、高速で空を飛んだり鉄壁の防御力を得たりすることもありえるのだろうか。
 例えば木曾や榛名が、荷電粒子砲や高誘導高速ミサイルを自在に操ることもありえるのだろうか。
 そうなったら、自分達はどんな道を歩いていくことになるんだろう。自分は望んだ強さを手に入れられるのか。
 わからない。
 少なくとも、明石とキラが見ている未来は、自分にはまだ見えない。自分のことだけで精一杯だから、変わっていく明日がどのようなものか想像できない。
 未だ弱い自分が世界を変え得るかもしれないことを、認めることができない。
(・・・・・・まぁそうなったらなったらで、その時に考えればいいさ)
 だんだんと思考回路がネガティブになってきたなと自覚したところで、響はこれ以上考えることを止める。
 正直、この話題にはついていけそうもなかった。
 だから代わりに、いい機会だから、今まで気になっていたことを訊いてみることにする。
「――そういえばさ。ストライク、直せそうなのかい?」
 それは工廠の奥にひっそりと、けれど確かな存在感をもって鎮座している、左腕とバックパックを失って穴だらけなモビルスーツのこと。
 工廠に来て最初に目にした、今や自分の艤装を構成するパーツのルーツにもなった異世界の力のこと。
 主人の身体は治っても、あの機体はずっと変わらずにボロボロのままで。一度操縦した身としては、アレが今後どうなるかは知っておきたいところだった。
 二人の口ぶりからすると、なんとかなりそうな感じのようだが。
「そうだね、ようやく修理の目処が立ったってところかな」
 キラはモノ言わぬ鉄灰色の機械人形を見上げながら応える。
 この戦友となった青年にとって唯一無二の力は現状、兵器としては完全に死んでいる。なまじ人型だからかその姿はとても痛ましくて、目にする度にもっと上手く出来たのではないかという感傷が溢れてくる。少なくとも、自分が冷静に立ち回っていれば左腕を失うことはなかったと、少女にはそう思えてならない。
 しかし彼はそんなことを微塵も考えてなさそうな様子で、微笑みながら言葉を紡ぐ。
「君が協力してくれたおかげで分かったことも色々あるし、みんながストライクや【Titan】のパーツを集めてくれたりもしたからね。艤装用のパーツも代用品として使えるかもだし・・・・・・スペック低下は否めないけど」
「私はなにもしてないよ」
「試作品を使ってくれるじゃない。それだけでも結構重要なデータになるんだ。戦うことが僕の目的じゃないけど、いつかまた一緒に戦うこともあるんじゃないかな、きっと」
 そう言ってやにわに、いつかのように頭を撫でてきた。ストライクがここまで壊れたのは君のせいなんかじゃないと言うように、優しくゆっくりと。
 まるで心の内を見透かされたようで、少し恥ずかしくて。帽子越しなのが、なんだかもどかしくて。
「・・・・・・うん。役立てるなら、いいかな。・・・・・・なにか力になれることがあったら、手伝うよ。艤装を整備してくれたお礼に」
「ありがとう。その時はよろしくね」
「Ладно」
 まるっきり子ども扱いされているのに、嫌ではなく。どころかひしめいていた不安感がすっかり霧散していくように思えた。
 これもまた、あの時と同じだ。不思議だ。彼といると少し安心する。
「ほっほーぅ?」
「・・・・・・だから、なにさ?」
「いやいやぁなんでもないデスヨ」
「??」
 そんでもってまた明石がニマニマしているが・・・・・・本当に、なんなんだろうか。
「明石先生、さっきから本当にどうしたんだい? なにか良いことでもあったの?」
「んー、そんなもんかな。・・・・・・それはそうと、そろそろ夕ご飯の時間でしょ。ちゃっちゃか後片づけしちゃおうか」
「もうそんな時間なのか」
 心配になって訊いてみたものの、わざとらしく時計を指さす明石にうまいことはぐらかされた――ような気がする。
 しかし彼女の指摘も尤もでつられて見てみれば、時計はキラの歓迎会を兼ねた食事会が始まる30分前を指しており、こんなところで油を売っている暇はないと思い知る。
 明石のこと、ストライクのこと、気になることは尽きないが遅刻するわけにもいかない。移動に時間がかかるわけでもないが、最低5分前には集合していたほうがいいだろう。というか、主役がこんな所でこんな時間まで何してるのさ。言われるまで忘れていた自分も大概だが。
 片づけと聞いて離れてしまった彼の掌に若干の名残惜しさを感じて、そんな自分に少しの疑問を持ちながらも、響は忙しく動き始めた二人の背を追うように後片づけに参加することにした。
「工具は私がやるよ」
「あんがと。じゃあそこに纏めといてくれると助かるわー」
 その後、響とキラが工廠を出るまで、何故だか明石はずっとニヤけっぱなしだった。
 なんだろう、なにか悪いものでも食べたのかもしれない。後で薬でも持っていってあげよう。

 
 
 

 
 
 

 天気予報によると明日の朝方まで続くらしい嵐は更にその勢いを増し、大粒の雨を新品の窓ガラスに激しく打ちつけてはガタガタバタバタと騒音をまき散らす。
 真っ黒な海は荒れ狂い、おまけに遠くのほうではピカリと閃光が瞬くのが見えた。あれは多分、あと数時間もしない内に恐ろしい轟音を伴ってやってくる。そしたら今夜はトランプ大会かなと、響は雷雨にめっきり弱い姉妹達を思い浮かべながら歩を進めた。正直自分も得意ではない――というか苦手なので、そうしてくれると非常にありがたい。
 気が紛れればなんでもいいが、今日は初心に帰って大富豪でもしようか。そろそろ電に借りを返す頃合いだろう。
「こんなに降ってたんだ。気付かなかったな」
「工廠に中にずっといたんじゃ仕方ないよ」
 艤装を格納庫に収めてポニーに結っていた髪をストレートに戻した響と、ツナギからザフト白服に衣装チェンジしたキラ。
 二人で工廠と鎮守府とを繋ぐ連絡通路を経て、つい先程リニューアルオープンできたという食堂を目指してのんびり歩いていると、隣を歩くキラが顎に指を当てて呟いた。
「嵐だから深海棲艦も艦娘も海には出れないってのも、なんか可笑しな話だね。すごい力を持ってるのに、変なところで現実的っていうか」
 素朴な疑問だが、確かに言われてみるとちょっと面白い制限だなと改めて思う。
 超常の存在たる自分達。でもその実態は人間が思ってるよりはずっと非万能的で人間的で、どうしたって大自然には勝てないちっぽけな存在だということはもう常識となっている。
 戦うには燃料弾薬が必要不可欠なこと、艤装はメンテナンスしなければいけないこと、自分達にも人間の三大欲求があること等といった常識。その変なところで現実的な制限が常識として広く認知されるまでは、いろいろと苦労したもので。
 超常的なのか人間的なのか、どっちだよって話だ。彼が可笑しいと思うのも良くわかる。
 そういえば昔、こんな日に出撃してエラい目にあった娘がいた。
「どうしたって船がベースだから、難破することもあるよ。・・・・・・そう、最初期の頃には台風の日に無理矢理出撃した艦娘達が行方不明になった――なんて事件もあったね。艦娘ならいけるだろうって・・・・・・実際ダメだったわけだけど、あれは大変だった」
「そんなことが。その娘達は見つかったの?」
「無事にね。その時私も捜索隊の一つに参加してて、けど見つけたのは流されて難破した深海棲艦の大群。流石にびっくりしたよ。で、以降嵐の日は出撃禁止というか、安息日になったというわけさ」
 根性入れて頑張ればどんな天候であろうと戦うことはできるが、やはり非常にリスキーなことに変わりはない。アメリカの調査団の報告によると、深海棲艦も嵐が近くなると占拠した島々に引きこもるようになったことが確認されている。
 敵も動けないのに自分達だけが難破する危険性を負っても、ただでさえカツカツな戦力が更に厳しくなるだけ。ならば休息に充てたほうがよっぽど有意義というもので、大規模作戦等でない限り出撃は禁じられるようになった。
 勿論出撃中に嵐に遭遇した際も同様で、そんな時はすぐさま最寄りの泊地に避難することが推奨されている。
 要は事実上の停戦期間だ。もっとも互いに、勝機と見れば奇襲・強襲することもままあるし、長期的な戦略に組み込むこともあるが。
「へぇ、向こうも苦労してるんだ」
「おかげでこうして全員集まって食事会なんてこともできる。勿論警戒しながらだけど」
 これから食堂で行われる食事会は――ついでに、その後に予定している全体会議も――つまり、こんな日でしか実施できない貴重な催しということだ。
 ローテーションで常に誰かが海に出ているのが当たり前である鎮守府の日常では、こうして全員が集まること自体がとても珍しい。であればこの機会に会議や親睦会をするのは至極当然のことといえよう。
 彼の歓迎会を兼ねた、佐世保鎮守府の復活を祝う食事会。これには人間の職員も出向防衛組も含め、今この鎮守府にいる全員が集まることになっている。ちなみに明石は少し遅れて参加するらしい。
 食事会といえば、やはり厨房には瑞鳳もいるのだろうか。久々に姉妹揃って美味しいものが食べれるし、そう思うとだんだん楽しみになってきた。
「みんなで集まるのは4日以来だね。キラはもうみんなと顔は合わせたの?」
 そこでふと、彼はどこまでここの人達と知り合ったのだろうと気になった。明石の助手をしていたとはいえ、もしかしたらこの集まりで初顔合わせになる人もいるのだろうか。
 全体会議では佐世保鎮守府の今後の方針が決まるし、それに伴い艦隊が再編成されるかもという噂もある。なら皆と知り合っていればいるほど、その時間を有意義に過ごせるというもの。そこんところどうなんだろう。
「整備の時に一通り自己紹介はしたけど。でもまだちゃんとは覚えきれてないかな・・・・・・てか、似たような名前ばかりでさ」
「慣れないとそうなるね。・・・・・・多分、この後また改めて自己紹介することになるとは思うけど、それでなんとかなりそうかい?」
 まいったと首筋に手をやっては、困ったように苦笑するキラ。その気持ちは分からんでもないと、響も着任当初を思い出しては同じように苦笑した。特に空母と駆逐艦は似たようなのが多い。
 この鎮守府は38人だけしかいないが、共闘した人は兎も角、名前と顔を一致させて覚えきるには数日かかるだろう。いや、場合によってはこれから全員一気に集合するのだから、無駄に混乱してしまうこともあるかもしれない。みんな個性的だからすぐ覚えられるとは思うが、万が一間違って覚えたらその後が大変だ。
 例えば響の妹達、雷と電は間違えられる筆頭である。
「大丈夫だと思うけど、問題は漢字表記かな。会話だけなら兎も角、漢字の読み書きはちょっと・・・・・・整備してる時も苦労したよ。君の妹達とか」
「ああ、その問題があったか・・・・・・基本的に英語で生活してたって言ってたね、そういや」
「オーブ公用語・・・・・・あ、いや、日本語はオーブの人と話し言葉でしか使わなかったから」
 それはまた、結構重大な案件だ。
 というか、異世界人なのに今日まで会話に不自由しなかったというのが既に奇跡か。下手をすればまったく言葉が通じない可能性もあったということ。これは本当に、運が良かったという他ない。
 しかし読み書きできないというのは、これからの生活にかなり影響しそうだ。この施設は漢字表記ばかりなのだから、難易度はあらかじめ勉強してから来日した海外艦と同等かそれ以上かもしれない。興味本位で訊いてみたら、意外と深刻な問題が発覚してしまった。
「コツとかないかな?」
「こればっかりはどうしようも。聞いた話だとビスマルクさん達も最初はそんな感じだったって」
「そうなんだ。じゃあ君達も外国の言葉とかに苦労するのかな? ・・・・・・そういえば今更だけどさ、なんで君って時々ロシア語混じりなの?」
「私の前身、船の【響】はロシアにいた時間のほうが長いからね、染みついてしまったのさ。油断するとつい・・・・・・変かな?」
「そんなことはないよ。いいと思う」
「Спасибо。まぁ、それで時々苦労することはあるね。木曾は未だに理解を示してくれないし――っと、話が逸れた。・・・・・・私達も昔、言語に限らず数学とか歴史とか、出撃してない時は勉強したよ。懐かしいな」
「そういうことなら僕も勉強しないとかなぁ・・・・・・。この世界のことだってまだよく知らないや」
 でも勉強って嫌いなんだよなぁとぼやくキラに、努力あるのみだねと相槌を打つ。
 そう、自分達が得た常識も、経験という名の勉強によって知ったことだ。ヒトデナシであるものの頭脳を持つ人である以上、やはり勉学が基本。自分達のこと、この世界のことも含め、ちょっとずつ知ってもらうしかないと思う。
 昔使っていた教科書を貸してあげるのもいいかもしれないと考えたところで、響は丁度近くに資料室があることに気付き、あることを思いついた。
「だから地道に・・・・・・と言いたいところだけど、これも運かな。ちょっとこっち来て」
「響?」
 ちょっと寄り道で進路変更、相方を手招きしてスルリと室内へと入る。幸い施錠はされていなかった。
 そこには海図や教本、過去の報告書といったものが収められており、奥には目当ての文机と筆記用具一式がある。きょろきょろと子どもみたいに室内を観察してるキラはほっといて、さっさと済ませてしまおう。
 市販品のボールペンを手にとって、サラサラとまっさらな白紙に人名を書き連ねていく。もうすっかり書き慣れたものだが、これもやはり昔は苦労していたと懐かしくなった。

 
 

――――――――――

 
 

戦艦:金剛(こんごう)比叡(ひえい)榛名(はるな)霧島(きりしま)
   扶桑(ふそう)山城(やましろ)

 

空母:翔鶴(しょうかく)瑞鶴(ずいかく)
   祥鳳(しょうほう)瑞鳳(ずいほう)
   龍驤(りゅうじょう)

 

重巡:摩耶(まや)鳥海(ちょうかい)
   鈴谷(すずや)熊野(くまの)

 

軽巡:球磨(くま)多摩(たま)木曽(きそ)
   阿賀野(あがの)能代(のしろ)矢矧(やはぎ)酒匂(さかわ)

 

駆逐: (あかつき)(ひびき)(いかづち)(いなづま)
   白露(しらつゆ)時雨(しぐれ)村雨(むらさめ)夕立(ゆうだち)春雨(はるさめ)五月雨(さみだれ)海風(うみかぜ)山風(やまかぜ)江風(かわかぜ)涼風(すずかぜ)

 

潜水:伊13(ひとみ)伊14(いよ)

 
 

――――――――――

 
 

「これって、名簿?」
「あれば便利かなって。手書きで悪いけど・・・・・・余計なお世話だったかな」
 数分かけて出来上がったものは、この佐世保鎮守府に所属する艦娘の一覧表だ。出向してきてる明石や呉・鹿屋の者は除いているが、最低限これだけ覚えれば暫くは問題ないだろう。
 これから寝食を、戦場を共にするのだ。ちょっとずつと思ったがやはり、名前だけは早く覚えてほしいという想いはあった。
 名はその存在を示すもので、とても大切なものだから。互いに名を呼び合えるから、今ここに生きていることを実感できる。
 だから彼にだってちゃんと名前を呼んでほしいと思うのも自然なことで。
「ううん、とても助かるよ。ありがとう」
 その為ならこれぐらい安いものだし、喜んでくれるのなら自分も嬉しいと思った。
「なら良かった。・・・・・・私達の名前は大抵、川とか山とかが由来で、それを意識すれば覚えやすいと思う。食事会も多分同型艦で固まって座ると思うし、それと照らし合わせるといいよ」
「・・・・・・響達は一文字で分かりやすくていいね。潜水艦の娘もこれでヒトミとイヨって言ってたけど、格好共々すごい異彩を放ってるなぁ」
「そこはそういうもんだって割り切るしかない。潜水艦を集中運用してる鹿屋とか、凄いよ」
「凄いんだ・・・・・・」
 響は資料室の一角を指さして続ける。
「とりあえず、ここには私達が使ってた教科書とかもあるから・・・・・・気が向いたらここから持っていけばいいよ。基本的に閲覧と持ち出しは自由で、日本語学は瑞鳳が教え上手。教えてもらうといい」
「瑞鳳さんが? 迷惑にならないかな」
「榛名ほどじゃないけど世話好きだし平気だと思う」
「なにからなにまで、ホント、ありがとう」
「大したことじゃない。普通だよ。・・・・・・じゃあ、行こうか」
 さぁ。
 目的地はもう目と鼻の先で、今尚も改装工事まっただ中の医務室を通り過ぎたら食堂の正面扉が見えてくる。ちょっと寄り道したせいで、時間に余裕がなくなってきた。些か急がなければならないだろう。
 紙切れ一枚の簡易的な名簿を渡して踵を返し、少し軽くなった足取りで資料室から出る。
 その時だった。

 
 

「――あわわぁ!? 装備したまま来ちゃったっぽい~!?」

 
 

 廊下に出た二人の隣を、黒き疾風が駆け抜けた。
 蛍光灯に照らされた金髪と、黒い制服を靡かせ疾る少女。その背には巨大な鋼鉄の兵装。
 見間違いようがなく、その後ろ姿はうっかり者のものだった。
「わっ、夕立師匠!?」
「あー響久しぶりー! キラさんこんばんはー!! また後でっぽいー!!! あと師匠はや~め~て~!!!!」
 わたわたぱたぱたと可愛らしく、けどそれでも並みの人間よりも速く。
 すれ違いざまの挨拶だけを残して、かつて見た勇猛なソレとは真逆な後ろ姿のまま、真っ白なマフラーを靡かせた夕立が曲がり角に消えた。
――と思ったら、ひょっこり角から顔だけを出して、
「ひーびーきー! 模擬戦、明後日やっていいってー! 準備お願いねー!!」
「わ、わかったー!!」
 それだけ言って、今度こそ走り去る。まるで文字通り夕立のような勢いに、二人はポカンと見送ることしかできなかった。
 しばらくして顔を見合わせてみれば、なんだかおかしくなって。あんなうっかりはなかなか見れるものじゃない。
「師匠・・・・・・艤装をつけたままここまで来ちゃったのかな」
「それはまた・・・・・・それにしても、師匠? 模擬戦って?」
 するとキラが興味深げな様子で訊いてきた。
 まぁ、その質問は当然だよねと、響は帽子の鍔をつまんで頷く。隠すようなことじゃないし、黙っていてもいずれは分かることだ。
「そのままの意味で、彼女が私に戦い方を教えてくれたんだよ。半年に一回、師弟対決だって模擬戦するんだ。・・・・・・まだ勝てたことないけどね」
「それって・・・・・・凄く強いんだ。一回も?」
「そう、一回も。でも今度こそ勝つ」
 独特の語尾が特徴的で、平時は結構なドジッ娘なのだが、あれで佐世保の駆逐艦では最強の使い手で、【ソロモンの悪夢】や【狂犬】といった二つ名を持つ白露型駆逐艦の四番艦。それが夕立という艦娘だ。
 手にした魚雷を直接相手に叩き込む高速格闘戦を得意とし、舞鶴の川内と江風とで培った戦闘技術は、戦艦すらも容易く撃沈する程の破壊力を発揮する。勿論、接近できればという但し書きはつくが。
 しかしそれを問題にしない戦闘センスがあるからこそ最強なのである。持久力がないのが玉に瑕だが、響の遙か上をいく火力と機動力は佐世保第一艦隊の切り込み隊長としてその名を轟かしている。
 いずれ、響が超えなくちゃいけない相手だ。
「超えるべき壁、か。なんかいいなぁ、そういうの」
「そうかな?」
「そうだよ」
 降って湧いてきた師匠との模擬戦。
 これは新しい艤装を試すにはうってつけかもしれない。ちょっと反則臭いが、それくらい許してくれるだろう。いろいろと新しく戦略を練る必要があるなと、少女は拳を固めた。
 けどまぁ、今は。
「急ごう。このままじゃ本当に遅れるかもだ」
「置いてっていいのかな」
「自己責任だね」
「わぁ、厳しい」
 夕立のことはひとまず置いといて、いざ食事会へ。
 キラの手をとって、響は食堂へと走ることにした。
 美味しいものと新たな道標が、そこで待っている。

 
 

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