第七十六話 シュート・イット
男の時計に、狂いはなかった。
一分。一秒。
時間を決める、グリニッジ標準時に等しく設定された針が、正確な時を刻んでいく。
「……」
そして、閃光が煌いた。
男の時計が、丁度午後八時を差したのと時を同じくして。
地球上の、十数か所に及ぶ場所に、炎が燃え盛ったのだ。
そのうちの一つは、男の目の前で、煙をあげて今もなお猛り続けている。
「こちら、マーズ」
男は、通信機───見た目は殆ど、携帯電話でしかない───を取り出した。
任務の完了を、報告する必要があった。
「……ああ、ヒルダ。あの方に伝えてくれ。『戦争屋』たちは始末した、と」
短く言って、男はその場から立ち去っていった。
「いかせるかっ!!」
シンがカオスを落とした直後、動き出したウインダムにアスランは対応していた。
黒い巨大な敵に向うデスティニーを追う二本の腕も、キラのストライクフリーダムがその行く手を阻む。
アスランは、シンとあの黒い機体のパイロットの間になにがあったのかは知らない。
だが、今あの化け物を止められる可能性が最も高いのが、機動性に優れ接近戦を得意とするシンのデスティニーであるということは認識している。
故に、ウインダムの進路を塞ぎビームライフルを撃ち放つ。
「あなたは……あなたが、バルドフェルド隊長を……っ!!」
レイは、シャトルへと姿を消す去り際、彼にひとつの言葉を残していた。
絶対に、内密に。そう、念を押した上で。
「本当に、あなたなんですか!?彼を殺したのは!!」
彼自身信じられないようですらあったレイの言葉が、脳に木霊する。
レイの言葉が、真実だというのなら。
「あなたは……どうしてラミアス艦長の元に戻らなかったんです!!フラガ少佐!!」
───ムウ・ラ・フラガです───
生きていたのなら。どうして彼女のところに帰らなかった。
やるせない思いが、アスランの心を駆け巡っていく。
出ていこうにも、とてもそんな隙間はありはしなかった。
「じゃあ、何?セラたちも一緒に軍人しちゃってんのかよ!?」
「仕方ないだろ!!ディグラーズだってこの世界に来てんだ!!こうなった以上……っく!?」
瓦礫を防護壁にして、バイザーバグの弾幕から身を隠す、男二人。
ジェナスと、ラグナ。二人の勝手知ったる戦友は再会するなり、この窮地に追い込まれていて。
「くそ……ディグラーズのやつ、燻り出す気か……」
一対一を奴が望んでいる以上、直接これで殺されることはないだろうが。
それでも、こうやっていても何の解決にもならない。そのうちこの倉庫も崩れてしまうだろう。
「出て来い!!ジェナス・ディラ!!俺と戦え!!」
「……あーらあら。あのオッサン、張り切っちゃってまぁ」
かといって、無防備に出て行って、バイザーバグたちが素通りさせてくれるとも思えない。
ジェナスはともかく、丸腰のラグナの身が危険だ。
「ちっ……どうする」
せめて、バイザーバグをある程度まとめて撃破できるような装備があれば。
この狭い場所では、ゼアムを解放するわけにもいかない。結局のところ、ラグナを巻き込んでしまう。
「なあ、ジェナ」
「ん?」
「あれ、使え」
ラグナが指差すのは、薄暗い倉庫の一角を占める二機の機影。
「あれは……!!」
「二人なら、使えっだろ?」
ステラは、止まらない。
通信機を必死に操作し呼びかけ続けるが、純正の連合MSが相手では繋がるはずもない。
これがガイアのままであったならば、まだ望みもあったのだが。
「く……ステラ!!俺だ!!シン!!シン・アスカだよ!!頼む、もうやめてくれっ……!!」
胸部から放たれるビームが、デスティニーの残像を薙ぐ。
アロンダイトを手に、シンは右往左往を続けていた。
「シン、これじゃ街が!!」
「わかってる、だけど!!まだ話せてすらいないんだ!!」
話すことができれば。
ステラはきっとわかってくれる。
なんの根拠もない想いであったが、シンはそう信じていた。信じたかった、というべきか。
まず話さなければ、なにもはじまらないのに。
それすらできないなんて───……!!
「!?」
「メール!?しかもこれ……カオスから!?」
「スティングっ!!」
そこには、なんの飾り立てる文字もなく、コンマのついた五桁の数字が並んでいた。
さらに、あの黒い機体のライブラリ平面図と、コックピットと思しき位置を示す赤い矢印が表示される。
たったそれだけで、なにかはわかる。
周波数を、彼は送ってきたのだ。おそらくはデストロイと彼が呼んだ、あの黒い機体への。
カオスのデータベースに残っていたであろう、ザフトの通信コードを使って。
既に実戦で奪われた三機と戦闘を重ねていたインパルスのコードは、防諜のため変更されていたが、まだ完熟飛行も終えていない状態で出撃してきたデスティニーの通信コードは、修正されておらずそのままだったのである。
スティングは、一縷の望みを託したのだ。
一通のメールが届くことを信じて。
シンの指先は通信機を表示された周波数どおりに操作し、そして叫ぶ。
「やめるんだ、ステラ!!俺が……迎えにきたから!!こんなことは、もう!!」
「もういい、やめろ」
今にも崩壊しそうな倉庫の様子に、ディグラーズはバイザーバグたちの射撃をやめさせる。
こんなもので死ぬようなやつでもないが、対等の条件で戦わねば意味がない。
万一にでも、このような雑魚どもに奴を傷つけられては困るのだ。
燻り出すだけなら、もう十分だろう。
一歩一歩、倉庫へと近づいていくディグラーズ。
「出て来い、ジェナス・ディ───」
だがその歩みは、一瞬にして水泡に帰す。
返ってきたのは、返事でもなく。
まして、突撃してくる蒼い影でもなく。
「ぐおおおおおぉぉっ!?」
一条の、太いビームの光弾であったのだから。
「なにいいぃぃっ!?」
彼の身体は瓦礫を巻き添えにして吹き飛び、廃墟となったビルを貫通し、ひび割れだらけのアスファルトの道路へと落下していった。
脆弱に破損した大地が、その衝撃を受け止めきれるわけもなく、ベルリンの地下を走るレールウェイの沿線が、暗い穴となって砕けた地面ごと飲み込んでいった。
「───なんとか、切り抜けたか?」
彼を吹き飛ばした砲口からは、砲撃の残り火とも呼べる煙が、立ち上っていた。
「ンとに、こいつがあって助かったゼィ。しっかしジャケット着てねーと熱がすっげーなー」
屋根が半分、吹き飛んだ倉庫の中には、二人の少年。
彼らは一機の機体へと、二人共に乗り込んでいる。
ディグラーズは、彼らの砲撃を受けたのだ。
すぐ側にはさきほどまでジェナスが装着していたネオエッジバイザーが、ビークルモードで待機している。
白き上半身に、漆黒の下半身。そして長大な砲塔をもつそれは、ネオクロスバイザーという。
「んじゃ、俺ァエッジのエネルギー使ってアムジャケットを回収してくる!!頼んだぜ、ジェナ!!」
「ああ!!」
砲塔を兼ねたホバーバイクが機体後部から分離し、自動操縦のエッジバイザーを連れて飛翔する。
「こいつらは……やっちゃる!!」
そのシルエットは、エッジバイザーよりも遥かにマッシブだった。
向ってきたバイザーバグへと、力強い拳が叩き込まれた。
「───へっ。あの馬鹿……ちゃんとステラを……」
言葉の途中で、スティングは気を失った。
大破に等しい状態のカオスは、切り刻まれ落下し、無惨な姿となっても、その操縦者の命だけは救ったのだ。
ザフトも、連合も。
屍同然の機体になど、見向きもしない。
この激戦のなか、する余裕などあるはずもない。
だが、そんなスクラップ状態のカオスへと取り付く者たちがいた。
彼らはコックピットをこじあけ、スティングを回収すると───……。
どちらに合流するでもなく、立ち去っていった。