中身 氏_red eyes_第36話

Last-modified: 2010-04-18 (日) 01:38:41

終章 ANDANTE

 
 

SOCOM戦役から半年。オーブ首長国オノゴロ島にある国防総省の一室で、
デスクに腰かけたアスラン・ザラは週刊誌片手にコーヒーを啜っていた。
数年前まで飲んでいたザフト軍のコーヒーと比べると大分美味なのだが、
それも男が淹れた物だと考えると何故だがゲンナリした気分になる。
カガリが淹れてくれた物なら例え泥水の様なコーヒーでも美味しく頂けるのだが。
そんな事を考えながら溜息を吐いていると、部屋のドアが開いて部下が入ってくる。
「中佐、勤務時間中です。休憩も程々に」
入ってくるなり苦言を呈するのは、アスランが飲んでいるコーヒーを淹れた張本人である大尉である。
彼はオーブ解放戦線のクーデターにアスランと共に参加、ルナマリアと一戦交えた少佐であった。
現在はクーデターに参加した処分として一階級降格、大尉となってアスランの副官を務めていた。
縦にも横にもアスランより二回りは大きい大男が部屋に入ってくると、狭い部屋が更に狭くなった様だ。
「そう言うがな大尉、仕事をしようにも仕事が無いんだよ」
雑誌から顔を上げずにアスランは答える。

 

彼が現在所属しているのは、ハニヤスの整備、保持をする部署であった。
一見重要そうに見えるが、高度にシステム化されたハニヤスには定期メンテナンス以外の人の手を
殆ど必要としない。
実務はほぼ部下の仕事で、部長のアスランには書類に判子を押す以外の仕事が無いのが現状だった。
これはアスランをMSから遠ざけようとする上層部の処置で、所謂左遷である。
しかし、アスランは現状をそれなりに楽しんでいた。
部署が暇な為、カガリの時間が空いた場合には容易に会う事が出来るし、
散り散りになった部下からの相談も時を問わず聞く事が出来る。
何より、自分を見つめ直す良い機会になっていた。

 

「またそんな下世話な物を読んで・・・」
「そんな事は無いぞ。貴重な情報源だ、例えば・・・」
アスランが読んでいたのは雑誌は雑誌でも、下世話なゴシップ物であった。
大尉はアスランがデスクに広げたそれを記事を覗きこむ。
そこには大きく

 

『都市伝説シリーズⅣ、勝利を呼ぶ!?赤目の男の正体!!

 

という見出しがデカデカと載っていた。
「これは・・・例の傭兵団の・・・」
「ああ、本名は載って無いが、シン・アスカの事だな」
「あの鬼神ですか」
律儀な大尉はデスクに広がっていた雑誌を拾い上げ、それを黙々と読み始めた。
そこには最近起きた二大戦闘であるオーブ解放戦線によるクーデターと
SOCOM戦役について書かれており、この二つの戦いの勝利にはある傭兵団が関わっていたという。
オーブとプラントで撮影されたと思われる二枚の写真も掲載されていた。
どちらも画質が粗く、隠し撮りな事は明白だったが、真ん中に映っている男がシン・アスカだという事は、
彼を見た事がある者なら誰でも判別がつくだろう。

 

「これが何なのだと、言いたげだな」
「は?」
窓の外を眺めるアスランの一言に、大尉は雑誌から顔を上げる。
この記事に載っている事は事実だ。
大尉自身がこの目で見た訳では無いが、SOCOM戦役でも多大な戦果を上げ、
今やサーペントテールに次ぐ知名度を持つと言われる傭兵団レッドアイズ。
しかし、この記事に目新しい情報は無い。
どれも既出の情報だ。自分より立派な情報網を持つアスランなら尚更そうだろう。
確かに自分は、アスランが何故この記事に興味を持ったのか分からなかった。
どうやらそれを、アスランに見透かされたらしい。

 

「悔しい、と思ったんだろうな」
まるで他人を語る様な口ぶりで、アスランは語りだした。依然、顔は窓を向いている。
「メサイア戦役で、俺達はデュランダル議長を倒し、シンを倒した。
 そして仲間に・・・悪く言えば懐柔したとも言えるか。
 アイツの生き方に大きな影響を与えたんだ。勝者が敗者にする様に」
「・・・・・・」
何を言いたいか見えてこないアスランの言葉を、大尉は黙って聞いていた。
普段、この上司は自分の事を多くは語らない。
自ら語らなくても、裏切りを繰り返して三つの陣営を渡り歩いた男、
地球を滅ぼそうとした男の息子、という肩書が自分を語るに任せていた。
その彼が、珍しく『己』を言葉にし出したのだ。黙って聞かなければ損というものだ。
「だが、この記事に書いてある事件ではそれが逆になった。
 俺達それぞれがアイツに影響を受け、変えられた。
 ・・・シンに自覚は無いだろうが、しっかりと仕返しされたよ」
「成程、それで悔しいと」
「ああ、清々しい程悔しい」
そう言ったアスランは、まるで少年の様に笑う。
アスランとシンの関係について大尉は記録でしか知らないし、シン本人と会話した事も無かったが、
この男にこんな顔をさせる彼に会ってみたくなった。
「しかもアイツは、俺とキラに二つも約束をさせた」
「二つの約束・・・?どんな?」
「それはな・・・」

 
 
 
 

プラント首都アプリリウス。
その中央に位置する議長官邸の客間に、額に絆創膏を貼った男が一人座っていた。
男は怯えた様子で、辺りをキョロキョロと見渡している。
あからさまに挙動不審であったが、彼はあくまで客としてここに座っている。
この客間に案内されて十分と少し。
男の発する音以外は全くの無音を貫く客間のドアが、ギィと音を立てて開いた。
「ひっ!?」
男は突然の物音にでは無く、ドアから入って来た青年の姿に短い悲鳴を上げる。
そこには、議員服を着たキラ・ヤマトが立っていた。

 

「やっと会えましたね。探すのに苦労しました」

 

男と向かい合う形で席に座りながら、キラはニッコリと笑顔を作る。
何処から見ても友好的な笑顔だが、男からは絶対零度の非友好的な笑顔に映る。
「わっ私は、科学者としての本分を全うしただけだ。何も悪い事なんかしていない」
弱弱しく主張する男―――コーディネーター再生計画の主任研究員だった男は
青白い顔を更に青白くしている。

 

「僕は別に、貴方を取って食おうという訳ではありません。
 ただ、貴方が逃げるので手荒な真似をする事になったまでの事です」
ラクス政権の影の計画の責任者であった彼が、キラから逃げるのは当然だろう。
それをSPを使って強引に連れてきたのだ。捕まえる時の悶着で負った額の傷が痛々しい。
「では、私に何をしろと?」
「・・・貴方に行ってもらいたい事は二つ。
 一つは、科学的証拠を交えたコーディネーター再生計画の詳細の公開です。
 幾らクライン政権が非人道的な研究を行っていたと言っても、
 科学的根拠が提示出来ないのでは捏造と取られても仕方が無い。
 だから、一番この計画に詳しい貴方に情報の提供をお願いしたいんです」

 

政権発足から数ヵ月。キラ・ヤマトを議長とする政権の支持率は五分五分の状態であった。
支持率の低い理由は、クライン政権を倒した理由に、決定打が足りないからだ。
エターナル、アークエンジェルの撃沈が仕組まれていた事や、
地球の紛争地帯への過剰な介入などはデータによる証拠が取れた事で国民に公開する事が出来たが、
肝心のコーディネーター再生計画については証拠が全て抹消されていた。
その消し去られた証拠を男が持ち去ったとして、探していたのだ。

 

「しっしかし、ヤマト議長も酷い方ですな。支持率の為に恋人を売りますか」
この計画を国民に公開するという事は即ち、ラクス・クラインがプラントの根幹に関わる部分で
禁忌を犯していたと、国民の記憶に刻ませる事を意味する。事実を見れば、男の皮肉は的を得ている。
しかしその強烈な皮肉も、キラは眉毛一つ動かさずさらりと受け流した。
「そうですね。しかし、同一の遺伝子を用いての人の培養は、
 コーディネーターから見れば自己の存在意義を揺るがしかねない禁忌です。
 ですから二度とこんな事が起きない様に、しっかりと情報を発信しておく必要があります」
キラの表情に変化は無い。しかし、明らかに客間の温度が下がった。
体中を氷の針に刺された様な錯覚が男を襲った。計画自体が存在意義を揺るがすなら、
お前自身はどうなのかと更なる皮肉を発しようとした口も、まるで凍ってしまったかの様に動かない。
「貴方は情報を提供してくれれば良い。後の事は、我々が行います」

 

恐ろしく冷たい声が、男を震え上がらせる。
どうやら自分は、とんでもない思い違いをしていたらしい。
キラ・ヤマトは、自分が知っている聖人の様にお人好しな青年では無かった。
彼にとって、彼自身を造り、ラクスの暴走を手助けした自分は復讐の対象なのだ。
客間を満たす冷たい空気は、彼の静かな怒りの発露だ。

 

「二つ目は・・・」
二本の指を立てるキラの動作に、男はビクリと体を跳ねさせる。
「クライン政権が凍結させた出生率向上の研究を、私の政権で復活させます。
 つきましては、貴方にもこの研究チームに参加して頂きたい」
男は息を呑む。今まで粘土の如く多種多様な人体を造り上げてきた研究者に、
遺伝子と延々と睨めっこする研究を回すというのは、研究者としてのプライドを著しく傷付ける要請である。
しかも、自分に恨みを持っているであろう男の監視の元での仕事だ。
恐らく、今のキラがクローンだという秘密を知る自分を一生縛り付けるつもりなのだろう。
跳ねのけられる訳が無い。冷たいキラの視線が、男から気力を根こそぎ奪った。
「・・・分かりました。要請を受けましょう」
ガックリと項垂れた男が、諦めた様に要請を受け入れる。
「有難う。貴方の協力が無ければ、どうしようかと思っていました」
相変わらず笑顔のキラが、そんな事を言う。
席を立ち、SPに付き添われながら客間を後にする時、男は理解した。

 

キラ・ヤマトには、特異な雰囲気がある。
後ろめたい者には恐怖を、無垢な者には希望を持って、心を縛るのだ。
それは制度を独裁制にするとか、そういう次元では無い。根本的な種としての差である。
そう、今まで男がキラから感じていた恐怖は、彼の発するそれを勝手に自分が
『恐怖』という形に変換していたに過ぎなかったのだ。
ラクスは声で人を縛っていたが、キラは雰囲気で人を縛る。
ユーレン・ヒビキは、なんと恐ろしい怪物を造ったのだろうか。
(独裁者め・・・)
心の中で吐き捨てると、男は完全にキラの視界から消えた。

 

しかし男の推測は一部間違っていた。
遺伝子専門の研究者である男は、キラの雰囲気を生まれながらの物と考えた。
しかし実際、メサイア戦没までの彼にその雰囲気があったかといえば、それは疑わしい。
結局、キラの雰囲気は、SOCOM副司令に就いてからの努力による結果だった。
それが、<四人目>以外の全てのキラが、<三人目>のキラの中で生きている何よりの証であった。

 
 

「議長・・・」
「次はユーラシア連邦大統領との会談、だよね?」
「その通りです。でも、そこまでスケジュールを覚えていらっしゃられると、私の仕事が減ります」
「ごめんね。でもちゃんと仕事しないと、シンに怒られるから」
客間に入って来た秘書に微笑むと、キラは足早に客間を出る。
明るく振舞っているものの、実質キラは孤立無援だった。
議会を即急に機能させる為、クライン政権の議員を極力残したからだ。
彼らとの意思疎通にはまだ時間がかかる。
そして、孤独は暴走を呼ぶ。男の思った通り、キラが独裁者になる可能性もある。
だが、キラは一人では無かった。
何時如何なる時も、彼の心の中にはラクスがいた。彼女がいる限り、キラは孤独では無いのだ。
「今日は随分と日が強いね」
「そんな事はありません。ここはプラントですよ?単に仕事のし過ぎで外に出ていないからでしょう」
黒塗りの議長専用車に乗り込もうとしたキラは、秘書の毒舌に何の反応も介さず
眩しそうに人工の太陽を見上げる。

 

光が、草木も人も、全ての者に平等に降り注ぐ。
なら、ナチュラルとコーディネーターもこの日差しの暑さを共有出来る筈だ。

 

「議長、時間が迫っていますが」
「あっ、ごめんね」
秘書に急かされ、車に乗り込む。
彼の新しい戦いは、始まったばかりであった。