生気の抜けた顔。彼女の表情を説明するなら、この一言に尽きた。
目元には薄っすらと隈が浮かび、顔色も青白く見るからに病的である。
あれだけ活力に満ち溢れた瞳も力を無くし、路傍をさ迷う野良犬のよう。
彼女の隣を付き従うアレックスは、無力感に苛まれた。
先を歩くカガリを気遣い、柔らかく声を掛ける。
「大丈夫か、カガリ……昨日はあまり眠れていないんだろう?」
「……大丈夫だ、私は大丈夫」
声を掛けたアレックスを一瞥すると、カガリは自分に言い聞かせるように呟く。
力のない声。いつものカガリを知る者にとって今の状態は明らかに異常だった。
平時のカガリは、夏に咲くひまわりのように力強く、天真爛漫。
だが、今は仕方ないのかもしれない。
プラントに来る直前まで、国内に蔓延する数多の問題に取り組んでいた。
最善といかないまでも、それでも国民の想いを受止められていたと思っていた。信じていた。
だが、昨日の元オーブ国民の技術者との面談によりその想いは打ち砕かれた。
出来ることなら、今すぐ全てを投げ捨て逃げだしてしまいたい。
自分のようなものに、国の舵取りなど出来るわけがないんだ。父のようには行かない。
茨の棘のような想いが少女の体にまとわりつき、苦しめる。
「議長。オーブ首長の方々が面会を求めていますが、いかがいたしますか?」
妙齢の女性秘書が執務室を訪れ、デュランダルに確認を取りに来た。
目を通している書類にキリをつけ、視線を秘書のほうへ向ける。
彼の顔には悪戯っ子の様な笑みが浮かんでいる。
「ふむ、思っていたよりも早い時間だな……お通ししてくれ」
「畏まりました」
深々と頭を下げる秘書を見送ると、再び書類の山に視線を戻す。
サラサラと書類にサインをし、データを入力しているカタカタと無機質な音が響く。
幾ばくかしないうち、ドアをノックする音がした。
『入りたまえ』とデュランダルは短く返答する。
ドアがゆっくりと開かれ先ほどの秘書が入ってきた。
女性の後ろにはオーブ首長とその護衛の少年があとに続く。
「ああ、これは姫。本日は如何いたしましたかな?」
「…………議長、実は昨日頼んた件なのだが」
屈託のない笑顔を浮かべ、デュランダルはカガリに問いかける。
口ごもりながらも、カガリが口を開き用件を伝えようとする。
だが、彼女が用件を最後まで言うことは出来なかった。何故なら----
「申し訳ありません、姫。私としてはあなた方の話を聞きたいのですが、
お恥ずかしながら仕事が溜まっておりまして。
そちらに掛けてお待ちいただいてもらえますかな?
ああ、君。彼女たちを失礼のないようもてなしてくれ」
「畏まりました、議長」
虚を付かれ、パクパクと何かを言いたげなカガリを余所にそつなく動く秘書。
いつの間にか二人はソファーに腰掛け、紅茶の注がれたカップが用意された。
琥珀色の満たされたティーカップを見ていると、昨日あった出来事を否応にも思い出してしまう。
畏怖の眼差し、憎しみに滾った瞳。
少しでも早く昨日あったことを伝え、元オーブ国民の技術者たちの今後を確約しなければならない。
逸る気持ちを抑えきれず、カガリは思わず立ち上がる。
「あ、あのッ!」
彼女の気持ちとは裏腹に、デュランダルたちは冷ややかであった。
手元でサインを終えた書類を秘書に渡し、いくつか指示を出す。
カガリたちを一瞥し、指して気にした様子もなく懐から携帯端末を取り出し指示を飛ばす。
カガリは己の浮いた空気を感じ、黙って座り込んだ。
アレックスの視界の端で、デュランダルの口元に小さく笑みが浮かぶのが見えた。
頭に血が上った。握り締める拳に痛みが走るが、気になどならなかった。
勢いよく立ち上がろうとしたアレックスを止めたのは、隣でうな垂れているカガリだった。
何故、彼女が自分を止める。言いようのない苛立ちに襲われる。
小声で彼女にだけ聞こえるよう声を掛ける。
「カガリ!」
「よせ……待つんだ、アレックス」
よく見ればカガリも己の手を強く握り締め、何かを耐えている。
日ごろ短気な彼女がこのように我慢強く耐えているのだ。ならば、己も座して待つしかない。
どれだけの時間が過ぎただろう。何もすることなくひたすらに待っていると、二人の感覚は麻痺した。
机の上に溜まっていた書類がなくなり、女性秘書に指示を与えた後ようやく
自分たちの腰掛けているソファーの対面にやってくるデュランダル議長。
「これはずいぶんお待たせをして申し訳ありません、姫」
「気にしていただかなくとも結構です、議長。こちらは約束もなく突然訪れたのですから」
「そういっていただけると助かります。なにぶん私の仕事が滞れば、国が傾く恐れもありますので」
満面の笑みを浮かべ話しているデュランダルとは異なり、カガリの表情は硬い。
それでも愛想のよい笑みを必死で浮かべようとして、歪な微笑を浮かべていた。
カガリの表情を気にした素振りもなく、デュランダルはそっと彼女たちが訪れたわけを尋ねる。
「それで、このように訪れるとは----また何か火急なご用件でも?」
「あ、ああ…………昨日申し上げた件を取りやめて頂こうと思い、こうして伺いました」
「昨日の件?ああ、あの技術者の件ですか」
「そうです。昨日彼らと話をして「その件ならもう、つつがなく済んでおります」」
カガリはデュランダルの告げた言葉を理解するのに、数瞬のときを要した。
何故、どうして、もう?
頭によぎる言葉など何の意味も持たず、デュランダルとの会話は続く。
「評議会でも以前より問題とされていた案件でしたので、滞りなく進行しました。
我々としても心苦しいのですが、彼らを解雇せざるを得ない状況となっておりまして----」
「あ、ああ」
デュランダルがカガリに事細かに説明していく。だが、彼女の耳にはその言葉は届いていなかった。
その代わり、怨嗟めいた声が少女の耳朶に響く。
『俺たちを殺しに来たのか!』『明日からどう生きていけばいい』『どうやって子供たちを養えばいいんだ』『結局アスハのやつらは、自分たちのことだけ……』『死んでしまえばいいんだ、あんなやつら』
なまじ彼らと触れ合ったばかりに、カガリの心は引き裂かれる。
自分の一言が、起こした行動が、何百、何千、何万という人間の未来を奪う。
カガリの顔から色がなくなる。唇がワナワナと震え見るからに痛々しい。
力強さを失っていた瞳からは、光すらなくなろうとしていた。
デュランダルは小さく嘆息し、説明を止める。
短い沈黙が執務室を支配する。
「ふぅ……冗談ですよ、姫」
「え?」
「あなた方がこうして取りやめるよう嘆願するのは目に見えておりました。
ですので、まだこの案件は一切処理しておりません」
まるで教師が生徒をたしなめるような口調で淡々と話すデュランダル。
状況が飲み込めたのか、カガリが慌てて立ち上がる。
「ほ、本当か議長!」
「ええ。ですので、こういってはおかしいですが、ご安心ください」
カガリは胸に溢れる想いがとまらないのか、ポロポロと涙を零しながらその場にへたり込んだ。
よかった、ほんとうによかった。
昨日会ったオーブの民たちの顔が浮かんでは消えていく。
彼らの未来を奪う恐れがなくなり、カガリの胸のうちは感謝であふれた。
幼さすら垣間見える彼女の表情が愛らしく思えたのか、デュランダルは柔らかな微笑をたたえていた。
だがその笑みが消え、一人の為政者として真摯な眼差しをカガリに向ける。
「姫、我々国を治めるものが何をしなければならないか、お分かりになりますか?」
「……分からない。ここに来る前なら、国の理念だと答えたかもしれない。でも、今は」
カガリの表情が陰鬱とした暗いものとなる。
その答えに満足したのか、デュランダルは立ち上がり執務室から見えるコロニーの光景に目をやる。
工業用に建設されたこのアーモリーワンには、軍事工廠があるため
MSや技術者たちがせわしなく動いている。
特に今は2日後に行われる新造戦艦ミネルバの進水式もあり、現場はさながら戦場のように忙しない。
カガリは議長がどのような光景を見ているのか気になり、彼の隣に立つ。
だが、カガリの瞳には今映る光景は好ましいものではなかった。
己の持っていた信念である『強すぎる力は争いを生む』と真逆の光景なのだ。
「議長は」
静かな口調でカガリは尋ねた。
先ほどの問いかけ、議長はどのような答えを持っているのだろうか。
窓の外を見つめていた視線を隣に立つ議長に向ける。
議長の顔には真摯にカガリの事を見つめる瞳があった。
その瞳には彼女がオーブの代表だとか、ウズミの子供だとかいった雑念は感じられない。
ただ一人の人間としてカガリを真正面から見ている、そんな印象があった。
「なんでしょう、姫」
「先ほどの問いかけ、議長はどのようにお考えでいらっしゃるのか知りたい」
女性のような柔らかさとはかけ離れた話し方である。
だが、その言葉には一切の嘘偽りがない。カガリの話し方がデュランダルには好ましく思えた。
なまじ為政者などになるとどうしても言葉に隠れた悪意に敏感にならざるをえない。
だが、そんな中にあっても彼女は未だに真っ直ぐで、見るものを引き付けてやまない力強さを備えている。
「私の考えでよろしいですかな、姫」
言葉の代わりにカガリが強くうなずく。
「私はこのように考えます。
我々為政者が成さねばならないこと、それは国民の利益と国の安全を守ることだと」
「それは----」
至極単純にデュランダルは答えた。この答えにはカガリは呆気に取られた。
もっと複雑で理解するのが難しいことを創造していただけに拍子抜けした。
そんな彼女の考えが顔に出ていたのか、デュランダルはやや苦笑いを浮かべながら続ける。
「ごく当たり前にしなければならないことに、真実は宿るのですよ姫。
地球との緊迫状態が緩和されない現在、軍備増強はわが国にとっての急務であり、
それによって現在国民は仕事を得ることが出来ているのです」
『無論、戦争などなくなるに越したことはありませんがね』と付け加える。
カガリが神妙にうなずく。議長の話す内容に興味がわき、引き寄せられているのが目に見えて分かる。
「自国の利益のみを追求すれば、いずれ他国との関係に軋轢を生むこととなる。
そのあたりの兼ね合いが難しい……私も常に頭を抱えています」
「議長でも難しいことがあるのか?」
「勿論ですとも。私とてまだまだ30の若造に過ぎません。
失敗もすれば思わぬトラブルを生み出すこともある」
「そう、なのか。議長でも失敗をしたり、恐れたりするのだな」
カガリは心のうちで安心していた。コーディネイターとナチュラル。
絶対的な格差のあるものと思っていた人でも失敗をするのだと。
カガリがそんなことを思ったためだろうか、デュランダルがひとりごちる。
「ナチュラルもコーディネイターも同じ人間だと分かればいいのだが……」
「議長?」
「これは失礼しました姫。質問の答えとしてはこれで満足頂けましたか?」
「あ、ああ。大変勉強になった、自分の未熟さをふがいなく思う」
「あなたはまだ若い、未熟であることを恥じることはありません。
明日はお時間がありましたら、軍事工廠を案内させて頂きたいと思います。
ご予定のほうはよろしいですかな?」
「ぜひお願いする」
固い握手を交わすデュランダルとカガリ。
その光景を見たアレックスの胸中に言いようのない靄が生まれた。
どんどんと先に歩いていってしまうカガリ。
彼女の隣を果たして自分は付いていくことが出来るだろうか。
そんな漠然とした不安が少年の胸を締め付けた。