武装運命_第13話

Last-modified: 2007-12-09 (日) 22:03:06

何時の間にか、屋敷内は植物園の体を為していた。
 隙あれば脚を絡め取ろうとする蔦。
 罠のごとく突然壁を突き破り生える棘。
 意識が遠のく程甘い香りで惑わす華。
 ぶつかっただけで肌を裂く葉。
 余りにも異常なこの空間に置いて、廊下をひた走る少年は余りにも普通に過ぎた。
 握る剣、背負った翼。
 戦うための力はあれど、それを手にしたのは1週間前。扱い方こそ理解したが、完全に使いこなせる境地へは至っていない。
 シン・アスカは、未だ『戦士見習い』なのだ。
 力任せに振るった紅剣で大棘を斬り飛ばし、壊れたドアが散らばっていた部屋の中へ転がり込む。
「くそっ、このままじゃキリがない!」
 苛々と叫ぶシン。続いて入ってきた少女も軽く息が上がっているようだ。
 いっそ外へ出てしまうか?
 そこまで考え、ふと疑問に思った。
 ラクス・クラインは深窓の令嬢である、正直体力などさしてあるようには見えない。実際、先程見てしまった肢体は極めてか細く、筋肉などもしっかり付いているとは言い難かった。
 だというのに、この悪路を都合十分弱も全力で走っていながら、彼女は“軽く息を上がらせているだけ”なのだ。
 幾らシンが前方を払っているとはいえ、ここまで疲れを見せていないのはおかしい。強がっている雰囲気ですらないのだ。
 もしかして、疑念が鎌首をもたげる。
 その一瞬。
「右です!」
「ッ!?」
 止まってしまった隙を狙い、右の壁から緑の棘が2本突っ込んできた。
 反射的にラクスの言葉に従って、紅剣を盾代わりにする。
 ご、鈍い衝撃が2度剣身に響いた。
 横へ退る事数十センチ、すぐさま姿勢を持ち直し棘に一閃。
 さっくり断ち斬られ、切断面を晒しつつ植物共は波引く。
「すんません、助かりました!」 
「御無事で何よりですわ」
 頷き、僅かに上気した顔で微笑むラクス。
 それにちょっと気まずいものを覚えながら、シンは紅剣に纏わり付いていた樹液を払った。
 ぴっ、床を緑色のオイルが汚す。
 今しがたの疑いを頭から追い出そうと周囲を見回し、そして気付いた。
 この部屋、おかしい。
 かなり厚みが有るにも拘らずぶち壊された扉。
 脱ぎ散らかされた総数10人分の服。
 赤黒い染みが所々にある絨毯。
 蔦に覆われていながら突き破られた窓。
 落下し拉げたシャンデリア。
 普通でない惨状にシンは入る部屋を間違えたかと後悔し、次いでラクスの顔を見る。
 無表情。
 しゃがみ込んだ彼女は、メイド服と思しき物の中に紛れた包帯を無表情で握っていた。
 押し殺した表情に、シンは深い深い『嘆き』を幻視する。
「それ、は?」
「…………取り零して、しまいました」
「取り零したって、まさか」
 シンの問いに無言で首を振り、ラクスは立ち上がる。
 後ろを向かれてしまったため、彼女が今どんな表情をしているかなど窺い知れない。
 しかし、包帯を巻き付けた右手は、白くなる程強く握り締められていた。
 泣いているのかと見紛うような背中へ何をも言えず、ただその歩みを追うしか出来ない。
 そんな現状に、シンは腑甲斐無さを噛み締める。
 ぎ、窓の穴から吹き込んだ風に煽られ、蝶番でくっ付いていた板切れが乾いた音を立てた。
「行きましょう」
 一言告げ、返事を待たずラクスは歩き出す。
 行く先は穴の開いた窓。
 怪訝な顔をするシンを差し置き、彼女は。

 

 ――ふわっ

 

 一瞬の上昇、そして直後に下降。
 ベランダの手摺を踏み越え外へ飛び降りたのだとシンが理解した時には、既に落下開始から数秒が経っていた。
 どさり、それなりの重さを持つものが地面に落ちた音。
「…………な、なななななっ!?」
 情報に処理が追い付き、シンは慌てて首に繋がった2つの剣翼へ火を灯した。
 自らも倣って手摺を飛び越え、外の大地へ降りる。
 全身を包む浮遊感。
 着地時の衝撃を剣翼の放つ波で打ち消して無事に降り立ち、ラクスの姿を探すシン。
 幸いな事に、彼女はすぐ見付かった。
 数メートル程先に進んだところでこちらを待っていたラクスへ、シンは一気に詰め寄り侃々諤々文句を投げる。
「ぬァに危ない事してんだアンタは! 自棄っぱちになったかと思ったじゃないかっ」
「ごめんなさい、時間が惜しくてつい」
「つい、でコレかよ! なら先にどーするとか言ってくれと…………?」
 更に言い募りかけ、しかしラクスの様子に言葉を止めた。
 遠くを見つめる湖水のごとき瞳。
 それが、唐突に尖り。
「バラ…………」
「は?」
 呟きを聞き付けたシンが疑問符を浮かべるより、それは早かった。
 ラクスに突然手を引かれ、シンは盛大によろける。
 その頭上を、ナニカが劈いた。

 
 

 刹那遅れて風切り音。
 シンがたたらを踏んだのと、ナニカが後ろに聳える屋敷の壁に突き刺さったのは果たして同時の事で。
 声を上げる暇さえなく、今度は体ごと抱きまれ前方へ転がる。
 鼻孔に入り込む甘い女の匂い。
 何事かと慌てて起き上がろうとしたシンは、しかし思いのほか強いラクスの力に押さえ込まれた。
 どういう事だか聞こうとし、
 ――バゥン!
 後ろから響いた炸裂音に身を震わせる。
 窺うように首だけ音の方へ向けると、堅牢と思われた白亜の壁が円形にごっそり砕け落ちていた。
 ぼろ、天井から剥落した破片が壊れた床で一度跳ねる。
 夜気に晒された部屋は、最早修理するにしても手の付けようが無い程ボロボロだ。
 地面のそこら中に散らばった謎の粒。
 それをひょいと拾い上げ、シンは呆然と呟いた。
「こいつは?」
「バラの種、のようですね。バラは実に種を沢山詰めていますから、爆ぜると今のように周囲へ飛び散るのです」
「そんなモンを撃ってきたのか…………って、もしかして今立ってたら」
「…………あの壁よりも酷い事になっていたでしょう」
「げ」
 さぁっ、シンの顔が波引くように青ざめる。
 立ち上がってスカートの裾を払い、ラクスはバラの実が飛んできた方向を見据えた。
 彼女の直感が叫ぶ。
 向こうだ、と。
「ここをもう少し先に進むと、バラ園が見えます。あの方はそこにいらっしゃる筈」
「バラ園?」
 オウム返しで首を傾げたシンに、寂しげな微笑みを返すラクス。
 意味深なその態度を、少年はただ無言で見る。
 行きましょう、気を取り直したラクスの言葉に沿い、2人は毒華繁る広大な庭へ足を踏み出した。

 
 
 

 体を揺らす振動と頬を擦る風に、ルナマリアは十数時間ぶりの覚醒を導かれた。
「ん、ぅ………………?」
 ぼんやりした意識が焦点を合わせる。
 目に入ったのは、星空とクロームと鮮やかな黄金。
「……すて、ら?」
「ルナ!」
 呟きに返って来たのは、ここ一週間で大分耳に馴染んだ声。
 それでやっとルナマリアの頭が冴えた。
 起き上がろうとし、しかし全く体が動かない。
 俯せで縛られているようだ。
「う、何コレ?」
「ちょっと待って、今ワイヤー取るから」
 そう言い、声と黄金の持ち主ことステラはガイアに命じて足を止めさせた。
 アスファルトの一本道に、クロームの犬が臥せる。
 ルナマリアをガイアの背に固定していたワイヤーは合計14本。全て外したあとは勝手にガイアが収納してくれる。
 しゅるしゅる鋼線を巻取る忠犬から降り、少女は大地に立って多きく背を伸ばした。
 十数時間を寝っぱなしの上に、肩を掴まれて浮かされたり全身縛られて揺すられたり。身体中が伸びた拍子にゴキゴキと嫌な音を響かせる。
「あれ、まだ夜?」
「うん。でも今日は日曜」
「…………一日中寝てたって事かー。いやいや、そもそもこの状況はどう言う事?」
「うぇ、説明する」
 首を傾げるルナマリアに、ステラは今までの経緯をかいつまんで話した。
 彼女がつい先程まで敵の手中にあった事。
 それを助けるためにステラが戦った事。
 倒したホムンクルスが不吉な言を遺した事。 
 そして、寮にいる筈のシンと連絡が取れない事。
 話が進むほど深刻になっていくルナマリア。
 ステラが語り終えて口を噤むと、彼女は一房跳ねた髪の毛を摘みながら申し訳なさそうに一言ごちた。
「なんか、迷惑掛けてばっかりだね…………ごめん」
「そんな事無い。ルナは生きてる、生きてるは幸せ。死んだら迷惑もなにもなくなっちゃう、死ぬはダメ」
 俯くルナマリアの肩を掴み、ステラは真剣な顔で言う。
「シンは、みんなを守りたいって言ってた。それにはルナの事も入ってる」
「………………」
「私がシンだったら、きっと、ごめんより嬉しい言葉があるな」
「嬉しい、言葉?」
「“ありがとう”だよ」
 すとんと、それはルナマリアの腑に落ちた。
 ありがとう。
 単純な、けれど改めて言うには中々難しい、感謝の言葉。
「私はシンのとこに行くね。ルナ、どうする?」
「…………ここまで来て、一人で帰れなんてキツいじゃない。一緒に連れてってよ」
 肩から手を離し問うたステラに、ルナマリアは顔を上げる。
 そこには、決意した者の眼があった。
 ふ、笑みを浮かべる少女。
「おっけ。ガイア乗って、私の後ろにしっかり掴まって」
「ありがと、ステラ」
「ん、どーいたしまして」

 
 

 ラクスの薔薇園は、最早、亡い。
 意思なき弾丸に撃ち千切られ、数多の足に踏み躙られ、果ては鋼の化物に在り方を侵され人を喰らう怪物の仲間入り。
 無惨、その有り様は正しくこの一言に尽きた。
「これは…………」
「よーこそ、おふたりさん。素薔薇しい花々の出迎え、いかがだったかしら?」
 呟きに応えるがごとく、嘲笑の篭った声が舞い来る。
 弾かれたように前を向けば、そこには6本の柱に支えられた白いドームがあった。
 そしてその中央、人に似た影がひとつ。
 ミーア・キャンベル。
 飛び掛かろうとしたシンを押さえ、ラクスはミーアの紅い眼を見据える。
 僅かに鼻孔を撫でる、鉄錆の臭い。
「人を、喰べたのですね」
「お腹空いてたんだもの。この屋敷にいる連中は殆ど喰べちゃったわ、アンタのパパは残念ながらまだだけどねぇ」
 確認の意を帯びた問いに、ミーアは鼻を鳴らす。
 きり、交わり刺さり合う視線の棘。
「なーんか、拍子抜け。人を超えたパワーが手に入ってても、世界はくすんだまま」
「自らが変わらなければ、世界は決して変わりはしません。貴女の根幹は未だに、人であった時と何ら変化していないのです」
「ラクスさん、あんた何を」
「…………何が言いたいワケ、おねーさま?」
「貴女の世界がくすんでいるのは、貴女が世界をくすんだモノとしてしか認識していないから。輝いたものがすぐ傍にあるのに、気付いていらっしゃらない…………
 いえ、貴女は気付いていながら、意図的に輝きから目を背けていらっしゃるのですね」
 返事は、拘束だった。
 ぎゃりぎゃりとラクスの四肢に巻き付く鋼の茨、身じろぎ一つも許さぬ勢いで体を縛る。
「ラクスさっ――――!?」
「邪魔しないのっ!」
 駆け寄り束縛を斬ろうとしたシンが、横合いから突っ込んできたナニカに弾き飛ばされた。
 まろび出てきたのは、

 

「GUUUUUUURRRRRRAAAAAAAAAA!!」

 

 暴獣の声を上げる、赤銅の狼。
 凪いでいたラクスの表情が、ここにきて驚愕に変わった。
「ヒルダさんっ!?」
「AAAAAAARRRRRRRWWWWWWWWWW!!」
 呼び掛けも、意味を為さぬ咆哮に噛み潰される。
 その瞳に、理性などない。
 後ろへ撫で付けていた髪は無惨にばらけ、四肢は赤銅の金属塊と化し、胴と顔だけが人の形を辛うじて保った姿。
 言うなればそれは、人狼(ワーウルフ)であった。
 煌々、額の章印が赤く明滅する。
 地面を陥没するほど踏み付け、シン目掛け踊り掛かるヒルダ。
 爪と大剣が擦れ、火花を散らした。
「ヒルダさん、止めて下さいっ! シンは私を――――」
「駄目だ、近付くなラクスさっ、ぅがッ!!」
 信頼した者の暴挙を目の前にして悲鳴を上げたラクス。
 しかし、その声は届かない。
 シンを蹴飛ばし、ヒルダはぐるぐると威嚇の声を上げる。
 苛つきながらも平静を装うのミーアに、ラクスが静かな気迫を込め問い掛けた。
「ヒルダさんに、何をしたのです」
「ふん、刃向かってきたからちょっとアタマ弄っただけよ」
「貴方はっ!」
「元に戻したいなら章印を抉ればいいわ。尤も、そしたらその女はジ・エンド…………かと言って少年に覚悟がなきゃ、喰われてジ・エンド」
「…………二者択一、そう仰りたいのですか?」
 ミーアは歓喜で体を震わせた。
 やっと、やっと、ラクスが泣きそうな顔をして見せたのだ。
 いい。
 苦しめ。
 もっと苦しめ。
 鉄の衝突音をBGMに、化物は嘲笑する。
 本気でこちらを殺しに掛かっているヒルダ相手に、防戦一方へ追い込まれるシン。剣翼と紅剣1本を出来うる限りフルに行使しても、体を守る事で手一杯なのだ。
 一旦距離を離そうと、シンはバックステップを踏んだ。
 その着地際へ、ヒルダが追い縋る。
 反射的に剣を突き出せたシンの動きは見事であったが、ヒルダは不測の一撃さえ回避して退け、更に彼の首根っこを掴んで横の茂みへ消えてしまった。
 動きを追ったラクスの首に、一際鋭い棘の生えた茨が巻き付く。
 勝ち誇った顔でミーアはラクスを見て、直後憎々しげに眉の形を歪めた。
 悲しみはある。
 だが、怒りがない。
 だが、憎しみがない。
 そんな瞳だった。
 ちっ、舌打ちが反響する。
「ムカつく…………ほんっと、ムカつく!」
 怒声と共に立ち上がり、ミーアはかつかつ音を鳴らしてラクスの傍まで接近。
 シンが貸したジャンパーの上から、棘と化した五指を肩に突き立てた。
 づ、体を抉る感触。
「ほら…………次は耳よ? 跪きなさい、命乞いするの」
 不機嫌極まりなかった表情が、途端に喜悦で歪む。
 傷口から指を引き抜き、途中で肉を掴んでぐっと引き千切るミーア。
 形容し難い激痛に、さしものラクスも眉根を寄せた。
 穴の開いたジャンパーが、徐々に赤黒い染みを作りはじめる。
 血と肉の絡んだ指を一舐めし、その味に思わず唾棄するも笑みは崩さない。
 ほろりと指から落ちたのは、鉄片。
「なんだ、アンタも化物の仲間入りしてたんじゃない。違う人間の胎児でもこーなれるもんなのねぇ、半分同じ血が入ってるせいかしら」
「…………勘違いを、貴方は為さっています」
「何? その体の何処が化物じゃないって?」
「そうでは、ありません。私の事を、貴方は人間だとお思いだったのではありませんか?」
 微妙なニュアンスの違いにミーアは気付いた。
 返す刀でジャンパーの前を開き、胸へ目を寄せる。
 まっさらな肌。
 続けて顔を見れば、そこには綺麗な額。
 ない。
 章印が、ない。
「え…………あれ?」
「私は、最初から、こうです」
 言い、軽く髪の毛を揺するラクス。
 すると、舞い上がった桃色の中から、小さな鉄の胎児が転がり出て来たではないか。
 ――パミィィィィ…………
 地面に落ちた仔が、悲痛な声を上げた。
「この子、アタシのっ!」
「共感を起こしたのでしょうか、久し振りに“餓え”を感じました…………やはり、これを耐えるのは辛いですね」
「なに、え、どういう事?」
 狼狽しきって後ずさるミーアを、ラクスは静かに見つめる。
 鋼鉄の肌。
 拒まれた胎児。
 何処にもない章印。
 その相反した事実に、ミーアは一つの仮定さえ思い浮かず。
「アンタ………………なんなの?」
 にこりともしないで、ラクスはただ静かに瞠目した。

 

                           第13話 了