武装運命_第12話

Last-modified: 2007-11-29 (木) 20:14:09

 悲鳴のような哄笑を上げ、ミーアは歓喜に打ち震える。

 体に根を張っていく胎児。

 変わる。

 変わっていく。

 不完全なバケモノの前で、己の羽撃く日が、遂に来た!

 気分が良い。まるで背中に羽根が生えたかのようだ。

 ふと足下を見れば、這いつくばり苦悶に顔を歪めるラクスがいる。

 嗚呼、最ッ高。

 羊水に濡れた髪を掻き上げ、ミーアはシンに笑いかけた。

「と、いうワケでぇ…………遅かったわね、少年?」

 呻き、無意識に一歩下がるシン。

 見たところ、ミーアの体に大きく変わったところは無い。姿形は人のまま、しかし雰囲気だけが逸脱している。

 大蛇=マーズ。

 大猿=ヘルベルト。

 大鷲=サラ。

 そのどれにも等しく近く、そしてそのどれよりも恐ろしくおぞましい気配。

 本能を獣に侵食される事なく、ヒトのままヒトを超越したモノ。それが、人間型ホムンクルス!

 手始めにこの少年を喰らい、ついでに核鉄も獲てみるか。

 くく、喉奥で笑いを噛み殺しながら飛び掛かるため足に力を込めた瞬間。



 それは、劇的に起こった。



 反転する。

 歓喜が苦痛に。

 革新が改悪に。

 進化が暴走に。

 生まれ変わった筈の肉体を構成していたのが全て癌細胞であった…………そう表現しても不足ない、唐突にして予想外の変成であった。

 痛い。

 身体中が、バラバラになりそう。

 胸元に浮かびかけていた章印が、痛みの脈動に合わせて薄れていく。

 据え付けてあった姿見に映る姿。

 その額に一瞬、バケモノの証が浮かんだ。

 息を呑む音二つ。

「――――ッ!!」

 恐怖に駆られたか、ミーアは扉の前で立ち尽くすシンを押し飛ばし部屋外へ飛び出す。

 慌てて追い掛けようとし、しかし蹲るラクスの姿に足を止めた。

 ミーア曰く、彼女に用いられた胎児は失敗作。しかし先程の様子を鑑みるに、失敗作を引いたのはむしろミーアの方だ。

 そして、それは裏を返せば本来ミーアの宿すべき存在がラクスへ憑いたという事に他ならない。

 他人の細胞で出来たホムンクルス。

 そんなモノを身に受けてしまえば、一体どうなってしまうか分かったものではない。

「くっそ、武装錬金!」

 念の為に核鉄を展開してフォース形態を取り、ラクスの傍まで寄るシン。

 少女は、ぜぇぜぇ息を吐きながら何かに耐えていた。

 赤く腫れた頬が痛々しい。

「大丈夫か、ラクス……さん?」

「…………アスカ、様」

 一瞬お互いに相手をなんと呼ぶべきか迷い、無難なところに落ち着ける。

「私の事は、構いません。どうか…………あの方を、お追い下さい」

「お追い下さいって、アンタがどう見ても大丈夫じゃないだろ!」

「違います、違うのです…………あの方は、この渇望に抗う術を知らない筈だから。止めなければ、大変なことになってしまう」

「アンタ、そんな状態で人の心配かよ!?」

「こんな状態だからこそ、です」

 シンに背を向け、大分持ち直した様子でゆるゆると立ち上がるラクス。

 理性無き者の雰囲気ではなかった。

 白魚のような繊手が落ちていたマスクを拾い上げる。

 憂げな表情。

 それに、シンは折れた。

「止めても、一人で行きそうだしな。わかった、一緒に行こう」

「はい!」

「俺の傍を離れるなよ…………あー、あと」

 言葉を途中で止め、シンは羽織っていたジャンパーをラクスの肩に掛けた。

 ぱちぱち目を瞬かせるラクスに一言。

「そのままアンタを外歩かせたら、ヒルダって奴に噛み付かれそうだ」

「あ」

 さもありなん。

 喉元から臍まで引き裂かれた上着を纏った家主の娘を連れまわすなぞ、別の意味で危険にも程がある。

 得心の行った様子で、ラクスはいそいそと袖に腕を通した。

 ジッパーを引き上げボタンも留め、準備完了とばかりに頬を軽く打つ。

 額から退かされた手。

 その下に、章印は無かった。

 シンは僅かな安堵と疑念とを抱き、しかし考え込む場合では無いと頭を振る。

「参りましょう、アスカ様」

「様付けされるとむず痒いや。呼び捨てで良いですよ」

「わかりました、では改めて…………よろしくお願い致しますね、シン。

 折角ですから私の事も呼び捨てになさって下さいな」

「い、いやそれは恐れ多いっつーかなんつーか…………とにかく行こう、ラクスさん」

 若干引き攣り気味なシンの言葉に、ラクスは軽く頬を膨らませた。

 しかしてそれも一瞬、頷きあい二人はゾッとするほど静かな廊下へ出る。

 床に、ホムンクルスの羊水と思しき線が一条。

 滴り消えるは、奥の暗澹。





 いたい。

 いたい。

 全身を苦痛が苛む。

 こんな筈ではなかった、ミーアは歯噛みしながら廊下を緩慢に逃げた。

 塗れた髪の毛が額にへばり付く。

 よもや胎児を取り違えるとは、最後の最後でして良いミスではない。

 なんて、無様。

 くるしい。

 くるしい。

 一歩一歩進むたびに、エネルギーがごりごりと削られていく。

 今、彼女の心を占めるのはただ一つ

 ――――腹が、減った

 ふと気付いてみれば、いつの間にか使用人共を纏めて詰め込んだ部屋の近くまで来ていた。

 ぐんと首をもたげる欲求、否、渇望。

 見張りに付けた男3人がこちらに気づき、内2人は走り寄ってくる。

 訝しんでいる様子の1人を残し、何事か言いながら肩を支える男達。

 その喉に、ミーアは掌を当てた。

 浮かぶ怪訝な表情。

 2人からすれば死角、しかし最後の1人だけは見てしまったろう。

 彼女が浮かべた、凶相を。

 ――ズシュ

 男達の襟足からナニカが生える。

 不気味な緑色に艶めく、それは一本づつの棘。

 何が起こったのかすら理解出来ぬ内に、2人は“吸い尽くされた”

 肉。

 血。

 骨。

 その一欠片さえ残す事のない、完全な肉体吸収。

 はさ、纏い手を失った衣服が床に落ちる。

 自失する事一瞬、最後の1人は迷わずその場から逃げ出した。

 ミーアは、追わず。

 今の2人で腹は軽く膨れたし、死にそうな程の焦燥も薄れている。

 それに、この扉の向こうには幾人か女もいた筈。使用人だそうだが気にはしない、腹に入れば皆同じだ。

 女の肉は美味い、そう言ったのはヘルベルトであったか。

 くつり笑った少女の肌が、薄い緑色に染まる。

 掌が指の分かれ目から裂け、ほどけ、茨の束と化す。

 全身に薄く棘が生じ、服を破く。

 くすんだ灰色の髪が、紅蓮の蔓となり背に落ちる。

 変質。

 これ以上ない程に異常で異質な、変質。

 背を覆った蔓が解け合い、幾つもの小花となった。

 無数の葉が服を剥がし、鎧となった。

 ほどけた腕の茨が縒り合わされ、腕に戻った。

 緑色が鎧の部分に凝縮され、肌は真っ白に漂白された。

 ヒトではない。

 しかし普通の動植物にも当て嵌まらない。

 それを呼ぶなれば、果たしてこの言葉より相応しいものはなかった。

 ――――怪物、である。

「きもちいー…………きもちいすぎて薔薇薔薇になっちゃいそー」

 真赤な眼球の中で、黒い瞳孔が廻る。

 幾重にも折り重なった薔薇の花弁を思わせる、普通ではまず有り得ない形の瞳孔。

 茨だらけの細い体を抱き、ミーアは、ミーアであったモノは、笑んだ。

「ふふ…………あの男、何処が失敗作よ。飛べないのは残念だけど、気に入っちゃったわ」

 とっくに彼女は“人倫”という概念をかなぐり捨てている。身を縛るモノなどない、ただ思うままに思う事をするのみ。

 差し当たってはもう少し腹を満たすか、そう考えのっそりと動き出す花の怪物。

 向かう先は、今喰った黒服が見張っていた部屋。

 ドアの前に立ち、右手を高く掲げる。

 瞬間、容易く手折られてしまいそうな腕が無数の分割線を刻まれ、

 ――薔薇ッ!!

 解けて、多数の鞭と化した。

「薔薇しちゃえっ♪」

 くるりと大仰に回転して勢いを付け、ミーアは触腕を木製の扉に叩き付ける。

 屋敷中に響いたのではと思う程巨大な音を鳴らし、分厚く仕立ての良い扉は一撃で粉砕されただの木屑と成り果てた。

 果たして、室内に居たのは10人程の使用人。それも半分以上が女。

 常識の埒外と成り始めた事態に、若い男のコックが溜まっていた鬱憤を爆発させた。

「な、あ、アンタっ! これは一体どういう」

 だが、その言葉は最後まで紡がれる事なく消える。

 喉に茨が突き刺さったのだ。

 何が起こったのか理解させる暇すら与えず、続け様に茨を眼窩へ、口腔へ、耳孔へ捩じ込んでいくミーア。

 無数の棘に顔を蹂躙されながら、コックは黒服2人と同じように喰われた。

 にやぁ、可憐にして邪悪な微笑が浮ぶ。

「みっなさーん、こーんばーんはー! 早速でゴメンナサイだけど、皆さんにはちょっと私のご飯になってもらいまーす」

 しん、静寂。

 何を言われたのか理解出来ない、そんな空気であった。

 いやそも理解するべきでは無かろう、自らがこれからただ喰われるだけの『餌』に過ぎないという事など。

 しかし、ここの使用人は不幸にも皆聡明で。

 先程まで存在していた1人分の体温が喪失した空間を、残された9人は認識してしまう。

 直後、悲鳴と怒号が室内に満ちた。

 正式な出入り口は件の怪物に塞がれており、生き延びたいなら2つ据え付けられた大窓から飛び降りるしかない。尤も、4階分の高さに体が耐えられればの話だが。

 僅かな躊躇、それが命取りだった。

 ぞろぞろと茨が室内を這いまわり、窓に巻きついて有刺鉄線のごとく変化する。

 最早誰も逃れられない。

 足に包帯を巻いたメイドは、自らの呼気がやけに大きく響いたような感覚を抱いた。





 上階から零れた悲鳴を聞き、黒服の連中に見つからぬよう裏庭を隠れながら進んでいたヒルダは舌打ちした。

 いっそ強行突破でもするべきだった、自らの失策に歯噛みしながら地面を踏む。

 恐らく、先の悲鳴の発生源はこの真上。

 時間が惜しい、思い立って足に力を思い切り溜め込む。

 太腿から下が赤銅に変じ、獣の姿へ変わり。

 ――――跳躍。

 一気に2階の高さまで飛び上がり、壁に脚の爪を引っ掛けて再度ジャンプ。

 都合3度それを重ね、目的のベランダまで辿り着いたヒルダ。

 窓は、無数の蔦に覆われ閉ざされていた。

 向こうから響く、何かを貪るようなオゾマシイ水音。

 ギリ、噛み締めた歯が鳴る。

 脚の変化を解除し、今度は左手を赤銅に変えた。

 比較的蔦の密度が低い点を見付け出し、ぐんと体を捻って渾身の一撃を打ち付ける。

 常人では破壊出来なかろうと、ヒルダの爪の敵ではない。あっさりガラスは割れ砕け、蔦をも引き裂き部屋の空気を外へ引き出した。

 鼻につく鉄錆の臭い。

 踏み込んだ室内の床に、主人を失った衣服が転々と散らばる。

 敷かれた絨毯が、所々赤黒く濁っていた。

「あら、目隠しメス犬ちゃん。遅かったわね?」

 声が真横から聞こえた。

 振り向かず問うたヒルダに、声の主、ミーアは嘲笑う響きを込め頬を吊り上げる。

「…………使用人達はどうした」

「見て分かってんでしょ? ごちそーさまでしたっ」

「ラクス様は?」

「あー、多分生きてるわよ。尤も、“人間として”ってんなら話は別だけど」

「――――覚悟は良いようだね」

「あら、怒った?」

 返礼は、猛然と放たれた五爪による刺突。

 加農砲もかくやと言わんばかりの一撃はしかし、空を切った上に妙な手応えなど覚える。

 腕が動かない。

 茨に縛り上げられたのだと理解した瞬間、四方八方から緑の棘が体を喰い破らんと襲い掛かってきた。

 変化を解除して束縛から外れ、生身のまま蔦だらけの部屋を駆ける。

 どすどす、後を追い床に突き立つ緑棘。

 射線が隅へ追い埋めるような形である事に勘付き、壁を蹴り上げ宙へ舞う。

 今度は棘の代わりに蔓鞭がしなった。

 空中では避けようが無い、何時の間にか部屋の中央へ移り愚策を笑うミーアに対しヒルダは。

 ――ゴッ!!

 ぶら下がっていた照明器具へ踵落しを叩き付け、反動で姿勢を大きく変更。

 直撃する軌道の蔓鞭を、変化させた指2本だけで裂き潰す。

 それなりに大きいシャンデリアが、根本から千切れコードより紫電を吐き出しながら床へ落ちた。

 散らばるガラス片。

 着地したヒルダの目に、一定の間隔で血の滲んだ包帯が入る。

「これ、は………………!!」

「あー、メイドちゃんの包帯ね。あの子は特別美味しかったわよー?」 

 後ろからの言葉に、これが誰の物であったかヒルダは悟った。

 轟々、怒りが燃える。

「反抗的な目してたから最後に食べて上げたんだけど、やっぱ処女は臭みが無くて良いわぁ。

 甘い絶望、蕩ける恐怖、そして冷えきった救済への渇望…………メス犬ちゃん、素薔薇しいとは思わない?」

「…………はン、反吐が出るよ。人を喰う気なんか、さらさら、無いんでねッ!」

 床を踏み抜く勢いで駆け出し、ヒルダは両脚を完全に変化させミーアへ踊り掛かる。 

 その彼女目掛け、床下、天井、壁面の全てから三次元的に棘が生え、肢体を抉らんと迫ってきた。

 一つ直撃してしまえば、済し崩しに身体中穴だらけとなろう。

 それを、掠めながらも紙一重に避け続け。

 その動きは単純な軌道ながらも鋭く、まさに洗練された機能美を感じさせた。

「あ、あれ、何で当たらない、のっ!?」

「折角手に入れた玩具だ、大暴れしたくなる気も分からなくは無いさね…………だが、アンタのソレは躾のなってないガキにゃ過ぎた代物だよ!」

 ミーアの直前で踏み切り、宙へ踊る。

 ひき、表情が引き攣った。

 その顔面へ、ヒルダの脚が後ろ回し蹴りを打ち込まんとし!



 ――ずどっ



 まず刺さったのは、ギリギリ目視出来る程度にまで細くされた何百本もの蔓だった。

 ミーアの髪が変じた赤い蔓。それが中空でヒルダの体を縫い止めているのだ。

「な、に…………!?」

「あっぶなー。コレも動かせるって気付かなかったら、今ので首飛んでたわぁ」

 心底安堵した様子で溜息なぞ吐きつつ、ミーアは指を舐める。

 その姿を目と鼻の先にしながら、ヒルダは動けなかった。

「指くらいは動くのかな? ま、何にせよこの場はワタシの勝ちね」

 宙吊りのヒルダに歩み寄り、ミーアは腰の大きな鎧葉を一枚もぎ取った。

 鋭角に切れ込みが入った、大人の両掌程もある巨大な葉。その佇まいは大鋸のような威圧感を与える。

 嗜虐的な笑みが、ミーアの顔に浮かんだ。

 それだけで己が今から何をされるのか勘付くも、身じろぎ一つさえ出来ない。

 今一度舌打ちするヒルダ。

 しかし、それで事態が好転するはずも無く。

「と、言う事でー…………アンタも、あのイケ好かない女を追い詰める為に利用させてもらっちゃいまーす」

 底抜けに明るい狂気の宣言。

 それを耳にしながら、ヒルダは主人の無事だけをただ祈った。



 邂逅まで、あと僅か。






                           第12話 了