あれは僕らが地球圏外へ追放され、木星圏を開拓する仕事に就く少し前のことだったっけ。
ある冬の日、僕の理解者であり同士、一番大切なヒトであるラクス・クラインから、愛の告白をされた。「好きです」って、只の少女みたいに。
正直なところ僕は、ずっと彼女を「女性」ではなく「一人の人間」として認識してきたから、彼女は色恋沙汰とは無縁だと思ってたから、おおいに戸惑った。
思い出せば笑えるぐらい呆然として、慌てふためいて、逃げて、相棒に相談しにいっては怒られ。
けど、その告白と相棒の罵倒によって彼女を愛しく想う自分の気持ちに気づいたのも、また正直なところで。そう言ったら遠回りにも程があると更に怒られた。何を恐れているのかと尻を叩かれて、追い立てられた。
そして僕は勇気をだして彼女と向き合い、「僕も好きだ。ずっと好きだった」と興奮気味に、只の少年のように伝えたのだった。
以来、僕ら──キラ・ヤマトとラクス・クライン──は恋人同士になった。
でも。
だけど。
それから少しして。
ラクス・クラインは死んでしまった。
あの日、
ラクスが木星圏に視察に来たあの日、
宇宙で僕と婚約を交わしたあの日、
僕らが不思議な白昼夢を見たあの日から、彼女は突然に前触れもなく衰弱し始めた。
その謎の衰弱現象の原因は一向に解明できず、どんな高度な処置をしても徒労となって。ラクスは日に日に痩せ細り、蒼白になっていっていった。そんな躯でも優しげに微笑む彼女を僕はただ介護し、見守るだけ。
不安と焦燥が募るだけの日々は、僅か半年で終わった。呆気なく死んだ。
責任者も、悪者も、仇もない。
あるのは疑念と悲痛。僕には後悔も憤怒も無かった。死期を悟った彼女とは、やれる事はなんでもやったし、あらゆる事を語り合ったから。
だからこそ彼女の死は、僕の心に寂寥と悲哀だけを遺した。
約1年前の、出来事だった。
『第七話 もう一度この手にチャンスを』
「 ──、・・・・・・」
重荷を総て取り払ったかのような解放感。羽根のように軽い瞼はかつてない程の、爽快な目覚め。
それでいて不快感しかない、最悪の目覚め。
「・・・・・・生きてるのか、僕は」
少し掠れたそれが、第一声だった。
えらく芝居がかった台詞だなと、我ながら思う。でもそう呟かざるを得なかったのだから仕方ないよね。自分がこうして生きているのが意外だったんだし。
瞳を開ければ、そこには白い天井、白い壁、陽光を遮る灰色のカーテンに、フカフカな白いベッド。
有機的な木製の机とタンス、色とりどりの花々、陶器の花瓶。
電灯と光と影。
自身という人間の存在。
人間の居住を前提にした施設。TVドラマ等でよく見られる典型的で普遍的な、個人用の病室。点滴装置と心音図記録ユニット。
「ミッドチルダ北部ベルカ自治領聖王教会本部付属医療院・・・・・・6号室」
いつかと同じ部屋、いつかと同じシチュエーション。
僕はいつ、ここに来たのだろう。どうして、こんなところに来てしまったのだろう。
数秒をそんな思考に用いてから、考える必要のない事柄だと気付く。どうやら無垢な目覚め故に、夢と現が区別なく情報として脳に居座っているらしい。
混乱。
整理。
≪おはようございます、マイ・マスター≫
「フリーダム、カレンダー出して」
自身と愛機の言葉は波として部屋中に反射して反射して僕の鼓膜を震わせ、展開された空間モニターが光情報として僕の視神経を刺激。
そんでもって今日の日付は・・・・・・僕の保持する最も新しい記憶の日付から、あの雨の日から数えて6日目の正午が、今のようだった。
なるほど。どうやら僕はこの病室で一週間近く眠っていたらしい。どうりで身体が上手く動かないわけだよ。
うん、確認終了。
これら総てが物理現象。納得するしかない。
やはりここは五感が作用する現実で、キラ・ヤマトはここに生きている。
(ついに死んだかと思ったのにな)
溜息。
むしろ、死んでいればどれだけ楽になれたんだろ。僕もみんなのと同じ場所に、彼女と同じ場所に行けたんじゃないだろうか。
フワフワとした空間で、未来永劫ずっと一緒に、苦しむことも無く。
(すごく魅力的だ、それは)
柄にもなくそんな事を考えてしまうのは、きっとあんな夢を視たせいなのかな。
記憶と幻想が混在して構成された、けど確かに実在していたあの夢を。死者と生者が混在した空間の一幕、どこまでも無限であったあの夢を。
(きっと、すぐ近くにいたから)
染み一つない天井を仰ぎながら、僕は思考に浸る。
さて。今となっては夢の中、さっきまで僕は死人と会っていた。
トールやフレイ、ラクス、ラウ、その他諸々、かつて僕の目前で死んだ者達と。世界から拒絶された真白の空間で、永い刻を語り明かした実感がある。
そう、僕は死人と会っていたんだ。
曖昧ではなく明確に。内容もしっかり憶えてる。
だから、自分が死んで、死後の世界に来たんだとばかり思ってたのだけど。だからこそ死が魅力的に思える。
でも違ったようだね。
ユーノとクロノの情報が正しいとするのならば、アレは多分、心の世界。そうだ、感覚としてはそれが一番近いのかな。
だからこそ、夢は現実だ。
(現実。じゃあ、やっぱり【アレ】は現実だったんだ)
再度、溜息。
なにもかもが、彼らが提示し、彼らが出した結論を裏付けるような現実だった。
折角の出逢いも決意も台無しになる思い出ばかり。心が折れそう。これが現実ってんなら神様はよっぽど僕の事が嫌いらしい。【アレ】の事なんか知りたくなかったのに。
(死にたい。いやまだ死にたくないけど・・・・・・ん?)
どうせなら、今までの全てが嘘で目覚めたらC.E.71のヘリオポリスでしたってオチにしても罰は当たらないと思うのに・・・・・・と、そこまで考えたところで。
気付いた。漸く。
この病室が以前とは違う事に。
「──やぁ、ヴィヴィオちゃん」
下半身に感じる、かすかな重みに。
だけど何物にも代えられない、重過ぎる命の重みに。
「・・・・・・ん、──すぅ・・・・・・」
僕の太腿を枕にするようにして、高町ヴィヴィオが静かに寝息をたてていた。
実に平和的に、小動物的に、穏やかに、ウサギのヌイグルミを抱き締めながら。小さな女の子が、生きている存在がここにいた。
少し苦労しながらベッドから上半身を起こして、欲求のまま柔らかい金髪を撫でてみる。よく手入れされた絹のように光輝く髪、いつまでも触れていたい。
「・・・・・・ぅん~~、・・・・・・」
「・・・・・・ごめんね。色々と」
気持ちよさそうに少女が喉を鳴らす。幸せそうに微笑んでいて。自然と心が落ち着いていく。暖かくなる。
誰にでも優しいこの少女がここに、自分なんかの所に来ているというだけで、なんとなく救われたような錯覚。錯覚でも気分は少しポジティブになって、笑みが零れた。
お見舞いにでも来てくれたのかなぁ。そうだったらとても嬉しいんだけど。そうだったらいいな。
(ああ、この娘によく似ていたあの娘は、大丈夫なのかな)
そうしていて思い出した事項が一つ。
僕の保持する最も新しい記憶、6日前の雨の日、クロノに呼び出された日、僕が無様に気絶したあの正午。
僕は一人の少女と出逢った。
俄にやってきた土砂降りの中、怪我をしている小さな黒猫を抱えて、傘もなく軒下でポツリと立ち尽くしていた女の子。
碧銀の長髪に赤いリボン、人形のように整った顔立ちに、瑠璃・紫晶の光彩異色をもった女の子。
全く似ていない筈なのに、何故かヴィヴィオちゃんによく似ていると感じたあの女の子の名は、なんといっただろうか。・・・・・・って、訊きそびれちゃったんだっけ。あの猫共々、無事に帰れたのかな? 目の前で倒れちゃってビックリさせちゃったんだろうなぁ・・・・・・
今度見かけたらちゃんと謝って、それからお礼を言わないとね。
(もし会っていなかったらと思うと、寒気がするよ)
ハァ、まったく。悲劇のヒーローなんてキャラじゃないでしょ僕は。
嫌なコトを聞いて、ショック受けて、帰宅途中で女の子に会って、助けて助けられて、そして気絶して、一週間眠り続けてさ。どんな三文芝居の主人公だよ。あまりの出来の悪さに頭が痛くなる。
「ありがとう、傍にいてくれて」
「・・・・・・・・・・・・、はふ・・・・・・」
そんなシナリオだった過去でも、僕にとっては間違いなくシリアスな展開だったのは事実で。だからもしここにヴィヴィオちゃんがいなかったらいつまでも、鬱々と落ち込んでいたに違いない。
つまり今こうして呑気に苦笑していられるのは、二人の少女のおかげなんだ。
なんか、女の子に助けてもらってばっかりだ。謝ってばかりだ。護られてしかいない。護ろうと誓って、まだ何も護れていないのに。僕は無力だ。
(無力・・・・・・そうだ、認めるよ。僕は無力だよ)
閃く。思い至る。
この世界に来てから、護りたいとばかり思うようになったのはきっと、僕が恐れているからだ。これ以上何かを喪うのを、再び大切な何かが消えてしまう事を。だから、「護る」を最優先に考えるようになった。
無力感を自覚したくなかったんだ。もはや戦う事しかできないから。
それを今、このシチュエーションで自覚した。
(本当、悲劇のヒーロー気取りだ)
自虐しながらもう一度ヴィヴィオちゃんの頭を撫でてみようと手を伸ばして、
「・・・・・・っと」
「んぅ、わふぅー・・・・・・」
やめた。そろそろお姫様のお目覚めのようだ。犬っぽくて可愛らしい寝言モドキを言いながらモゾモゾしてる。
あぁ、それにしてもヴィヴィオちゃんがお昼寝するなんて珍しいな。春の陽射しは絶好調だから仕方ないかもしれないけど、なのはとフェイトの娘らしくキッカリテキパキ行儀の良い真面目な子で、昼寝とは縁遠いタイプだから。僕はフマジメだから昼寝ばかりだったな。
とにもかくにも気持ちを入れ換えよう。暗い貌してこの娘を迎えるわけにはいかない。笑顔だ。
「・・・・・・ふぁ、──あ、れ。わたし・・・・・・」
「おはよ、ヴィヴィオちゃん」
「っ、ぇぅわぁ!? え、き、キラさんっ!?」
目元を拭いながら小さくあくびをして目覚めたヴィヴィオちゃんに笑顔の挨拶を・・・・・・って、素っ頓狂な声をいきなり。なに驚いてるの?
「あ」
あぁそっか、僕って長いこと寝てたんだっけ。まさか僕が起きてるとは思わなかったんだね。それでいきなりオハヨウとか声を掛けられたら、そりゃビックリするよ。紅と翆の瞳をまんまるにして飛び上がるわけだ。
うん、珍しく昼寝してた君が悪いんだとコッソリ責任転嫁してみよう。
「ぁーごめん。・・・・・・おはよう?」
「お、おはようございますっ! って、えと、もう起きて大丈夫なんですか・・・・・・じゃなくていつ起きたんですか!?」
「ついさっき。それなりに爽快な寝覚めだったし大丈夫だよ、僕は」
「本当なんですか。本当の本当に?」
落ち着きを取り戻した途端、心配気な顔をして詰め寄ってきた。近い、顔が近いって。
気持ちはわかるけど・・・・・・それほど心配させちゃったのか。くそっ、なんてことだ。
「だって、ずっと眠ったままで、お医者様もいつ起きるかわからないって言ってて・・・・・・みんなとっても心配したんですよ・・・・・・」
眉尻を下げて、瞳を伏せて、悲しげに訴えてきた。
そこには言外に、イクスヴェリアちゃんの存在を匂わせていた。とある事件でヴィヴィオちゃんと友達になり、今はいつ目覚めるとも知れない眠りについているあの少女と僕とが被ったのかもしれない。
そうだね。それは、辛いよね。でも、心配はいらないよ。
「大丈夫、ちょっと『夢』の中でね。ヴィヴィオちゃんと同じように心配してくれた人がいてさ。だから色々と吹っ切れたよ。・・・・・・もう大丈夫。心配させてごめんね」
意識して笑みを造り、大丈夫アピールをする。謝って謝って謝み倒す。
まぁ彼女達と色々話して心の整理をしたのは本当だけど、吹っ切れたのは実は君のおかげなんだとは言わない。
流石に恥ずかしいし。
「そうですか・・・・・・良かったです」
アピールが功を成したのか、すっかり安心したヴィヴィオちゃんが笑顔になって、ホッと胸を撫で下ろす。
やっぱり女の子は笑顔が一番だね。こうでないと。
「あの、聞いてみてもいいですか? その夢って」
ついでに夢の話に興味を持ってしまったようだ。
しまったな、女の子には些かロマンティックな言い回しだったか。
一応、話しても問題ないからいいけど。
「──ラクスと、フレイと、あとクルーゼって人とか。僕の世界の人なんだけどね、こんなとこまで追いかけてきたみたい」
不思議だよねと笑いかける裏側で、思考する。
死者達との邂逅。実はというと、それは別に初めてというわけでもない。たしか、闇の書に取り込まれた時だったか。同じく取り込まれたフェイトはアリシアちゃんと出会ったらしい。
あの時はラクスはいなかったけど、フレイとクルーゼに逢ったんだ。何故よりにもよって、あんな人選だったのか。その謎は今の僕にならなんとなく解る。
それはきっとクロノ達が示したあの──
「・・・・・・すごいですね。その人達って」
「──、え?」
凄い? なんで?
「こんな遠く離れたトコロでも、、世界が違ってても。キラさんを想って、心配して、それが夢として届いたなんて、素敵だと思います」
なるほど、そういう解釈か。女の子らしい素敵な、夢のある解釈。
でも、その方がいいな。
「・・・・・・うん、そうかもね」
どんな悲しい現実でも、きっとそれには敵うまい。
それが夢の特権だ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
何故か、ヴィヴィオちゃんも僕も自然と黙り込んでしまう。
俄然、心地好い沈黙が空間を支配した。いいよね、こういう空気は好き。かつてのオーブを思い出すから、リラックスできる。
「ところでさ」
「はい」
「なんか疲れてたりする? 君がお昼寝するなんて珍しいよね」
というわけで、なんとなく気になった事を訊いてみる。興味本位だ。
するとなんか困ったような、真剣な表情になって、次に思案顔に。これは話していいものか、どのように話していいものかって感じだ。
でもそれは一瞬。
「えーと、実はですね? 来週に、新しくできた友達と練習試合をするんです。それで一昨日から特訓を始めまして」
「へぇ。だからあんなにグッスリと・・・・・・特訓しなきゃいけないぐらい強いんだ、その人?」
「そうなんです! 私よりちょっと年上な女の子なんですけど、とっても強くて。この前はすぐ一本とられちゃったんです」
「そんなに・・・・・・」
その事が、きっと心の大半を占めている話題だったんだろう。思った以上にスラスラと応えてくれた。
ってか、寝ている最中でそんな事があったとは。タイミング悪いなぁ僕は。
「でも次は負けません。だから、特訓です」
「何か、ワケアリみたいだね」
「えっ・・・・・・」
「そっくりだもん、なのはと。何かを貫いて、伝えようとしてる瞳だ。・・・・・・君にとってはただの練習試合じゃない。違う?」
何故わかったのかって貌だ。でもわかりやすいし、仕方ない。子は親に似るとはよく言ったものだ。良い処を良い感じに受け継いだらしいと一目でわかる。
この娘は本気だ。本気で何かをやろうとしている。
「・・・・・・はい、ちょっとワケアリです」
「だったら、ヴィヴィオちゃん」
真白なウサギのヌイグルミをギュッと抱いて、今度こそ、という気概。
ああもう、こういうのを目の当たりにすると、堪らなくなる。悪い癖だ。無力なクセに。
でも、それでも。無力な僕でも、何かをしたいんだ。今度こそ。
「僕にもその特訓、手伝わせてくれないかな」
◇◇◇
──ド、ゴンッ!!
凄まじく重い、その打撃音。
これが年端のいかない少女達の肉体が発した音だとは、俄には信じがたい。
碧銀と黄金が、瑠璃と紫晶、紅と翆が入り乱れ、鋭く重く拳の応酬を演じていた。その拳一つ一つが、必殺級。
僕が目覚めて4日目の、アラル港湾埠頭・廃棄倉庫区画、13時31分。格闘限定の5分一本勝負。
これが、
「・・・・・・練習試合、か」
ヴィヴィオちゃんが特訓で目指した舞台。その御披露目というべきか。
白きバリアジャケットを装備し、魔法の力で『大人モード』になったヴィヴィオちゃんの相手は、同じく白きバリアジャケットを装備し、『大人モード』になったアインハルト・ストラトスちゃん。
18歳相当の女性らしくスラッと延びた肢体が、幻なんかじゃなく実体のある筋肉と骨の塊として、遠慮容赦なく相手の肉体を打ち倒そうと疾る。ズガッバキバシンと受け止め打ち返す。
苛烈な試合だ。魔法の防護壁があるとはいえ、ああも臆せず全力で殴り合える胆力と度胸と実力は、決して付け焼刃などではないことを教えてくれる。
まさかそれにしても。あの雨の日に出逢った黒猫の少女が、ヴィヴィオちゃんの新しい友達で、尚且つ試合相手だったなんて。
全く世間とは狭いものだね。
「これ、アンタならどう見る」
「そうだね・・・・・・」
僕の隣に立って腕を組み、同じく試合を見守っているシン・アスカからの質問の声。
ほぼ同時に、白の長衣と碧銀の長髪を靡かせたアインハルトちゃんの猛攻、その隙間を縫ったヴィヴィオちゃんの右拳が再び、アインハルトちゃんのボディに入った。
「打撃のパワーもスピードも、アキュラシーも。あのアインハルトちゃんの方が断然上だ。だけど──」
しかし、碧銀の少女は畏れず怯まず超然と拳の嵐を展開する。実力そのものはアインハルトちゃんのが圧倒的に上。黄金の少女はそれを捌ききれずに、結構なダメージを蓄積させていく。
傷つき、どんどん後退していく躰。
「く・・・・・・ぅっ! ~~ッッ!!」
しかし、しかし。
ジャブを喰らってよろけてしまった一瞬を狙われたストレートを、ヴィヴィオちゃんは紙一重で回避して、アインハルトちゃんの顔面に、カウンターとしてのストレート・パンチを直撃させたのだ。
「やった!?」
形容しがたい痛々しい打撃音が辺り一面に響き、この刹那的な攻防にギャラリーが喝采を上げた。そして僕は確信する。
「──要所要所で、ヴィヴィオちゃんは確実な一撃を、当てられるんだ。つまり」
「つまり、もしかしたらヴィヴィオが一本取る事も出来るかもしれないってことか」
ヴィヴィオちゃんの体捌きは確かに見事だけどアインハルトちゃんにはまだまだ届かない。が、つけいる隙は、ある。それこそがヴィヴィオちゃんの戦闘スタイル。カウンター狙い。格上相手にヴィヴィオちゃんが勝つには、短期決戦、一撃必殺の覚悟で喰らいつくしかないという事だ。
尤も、アインハルトちゃんにも長期戦をしようとする気は毛頭もないみたいだけど。
「・・・・・・シッ!」
「はぁぁあっ!」
両者の瞳により大きな意志が宿り、攻撃の激しさを増していく。
殴って殴って蹴って蹴って殴って殴って殴って、それ以外は忘れましたと言われても頷くしかない打撃戦。
そうやって、今を精一杯生きている二人の姿は、とても輝いてみえて。思わず目を細めた。
(シンの言葉が本当なら・・・・・・これは、運命の一戦)
シン曰く、これは過去の戦争の、その当事者と所縁がある者同士の、未来を左右する戦い。
シン曰く、アインハルトちゃんの存在は、過去に、運命に縛られているのだと。
シン曰く、ヴィヴィオちゃんが負ければ取り返しのつかない事態になるかもしれないと。
そして、そんな彼女に伝えたい想いがヴィヴィオちゃんにあるんだと、僕らは知っている。
『──大好きで、大切で。わたしを幸せにしてくれた、守りたい人の為に。約束を果たす為に。わたしは強くなるんです。だから・・・・・・』
ヴィヴィオちゃんが4年生に進級する数日前、緋色の空で聴いた言葉が、脳を過る。
その想いは、この僕の凍った心すら揺るがした程の、大きなモノだ。
そう信じているからこそ、彼女の特訓に付き合ったからこそ、願う。
解き放ってくれ。彼女を縛る運命の楔から、少女を。その想いで。
雨の日に、黒猫を抱いて途方にくれていた女の子に傘を差し出すように、その力で。
「ヴィヴィオ!?」
「陛下!」
「避けろぉ!」
「・・・・・・覇王──」
そう願っているからこそ。
ヴィヴィオちゃんの渾身の一撃がギリギリ防がれ、アインハルトちゃんが腰を落とし、莫大なエネルギーを右拳に収集した時も、
「っ、今だ! ヴィヴィオちゃん!!」
僕は最後まで信じられる。
自己満足でも構わない。一度失ったチャンスを取り戻すように、今度こそ、迷える手を取れるように。
想いを集約した純然なるチカラが届くと。
「ッ!!」
「──断空拳!!!」
アインハルトちゃんの一撃をモロに喰らったヴィヴィオちゃんが、遠く離れた廃倉庫まで一直線に吹っ飛んで。
ヴィヴィオちゃんの一撃をモロに顔面に貰ったアインハルトちゃんが、膝を折る。
「・・・・・・そこまで!」
審判を務めたノーヴェさんの判定が響き、皆が二人の少女の傍に駆け寄った。
「最後の。流石に無謀だったんじゃないか?」
「いや、そうとも思うけどね。あの娘を信じてるから」
気絶しているヴィヴィオちゃんを膝枕で介抱するディードさんから少し離れた所で、シンと試合の評価をする。
「・・・・・・、・・・・・・!?」
「ほら、大丈夫?」
バリアジャケットを解除して子供の姿に戻っても、なかなか立ち上がることができない碧銀の少女。
それでも無理に立ち上がったせいでクラっと、力が抜けて倒れかけてティアナさんの控えめな胸を枕にしてしまっていた。
それが僕の答。
「す、すみません・・・・・・あれ!?」
「ああ、いいのよ。大丈夫」
謝り、体勢を立て直そうとするが上手くいかない。その事に少女は戸惑っているみたいだ。
仕方ないけどね、それは。
「最後の、左のアッパーだよアインハルトちゃん」
「一発カウンターがカスッてたろ。無理すんな。かなり効いてる」
大抵の生物は、顎に強打を喰らうと脳が揺さぶられ、平衡感覚を失ってしまうものだからね。
軽い脳震盪のようなものだ。少し安静にしとかないと。
「ま、賭けみたいなもんだったけどな。無謀には違いない」
戦闘には厳しいシンが、やっぱり厳しめの評価を下した。晴れやかな表情で、少し安堵したように。
シンにも少し色々と思うところがあったみたい。
「本当に、二人共お疲れ様。・・・・・・どうアインハルトちゃん、ヴィヴィオちゃんは強かった?」
腰を屈めて、少女に問う。
ヴィヴィオちゃんの想いは、届いた?
「あ、・・・・はい。強かったです、本当に。私は彼女に謝らないといけません」
こちらも少し晴れやかな顔で、今の戦いを振り返って評する。
まるで、何かを見つけたような。
まるで、何かを振り払ったような。
まるで、何かを決意したような。
これからの事はまだ誰にも解らないけどきっと、それはいい事だ。
(道は定まった)
僕はもう大丈夫だよ、ラクス。ここならきっと、彼女達の傍ならきっと、どんな事もできる気がするから。
だから、そっちに行くのはもうちょっと待っててね。
「・・・・・・シン、話があるんだ。聞いてくれる?」
「・・・・・・俺はずっと待ってたぞ、ったく。アンタって人は」
C.E.78、エヴィデンス、ジョージ・グレンのクジラ石、その特性、生態、魔力波長、超人計画、現状。
考えれば鬱になることばっかりだけど、それでもだ。
新たに生じたやるべき事、やりたい事を成す為に。彼女達に恩を返す為に。
さぁ、全てを棄てよう。
──────続く