とある日。
《マイスター運送》の事務所に、女の弾んだ声が響く。
「うん、じゃあ明日に。楽しみにしてるね!」
声の主はクリスティナ=シエラ、通称クリス。
どうやら電話でなにやらやりとりをしているらしい。
通話を終え携帯を畳むと、妙に浮ついた顔で微笑んだ。
「どうしたんすかクリスさん、明日何かあるんすか?」
「んー? ナイショー」
同僚のリヒテンダール=ツェーリからの問いを受け流し、鼻歌交じりに仕事を再開した。
同時刻。
「ええ、じゃあ明日。楽しみにしてます」
声の主はリリーナ=ドーリアンの秘書官で、名をクリスという。
今日は時間が取れたので幼馴染のラルフと共に過ごしていたのだが、途中で電話がかかってきたため、近くにいた男から距離をとって応対していた。
通話を終え戻ってきた彼女に、男が声をかける。
「どうしたクリス。明日、何かあるのか」
「え、ええ、ちょっとね」
質問をごまかすように言葉を濁し、曖昧な笑みを浮かべた。
* * *
そして翌日、プリベンター本部に呼び鈴が鳴り響く。
「はいはーい、どちらさま?」
「どうもー、マイスター運送です! お荷物をお届けに上がりましたー!」
訪ねてきたのは、整った顔に人好きのする笑顔を浮かべた、愛想のいい若い青年。
年の頃は二十代前半といったところか。腕には配達物らしき大きな箱を抱えている。
「あいよ、お疲れさん。判子はここでいいかい」
「どうもっす。ありがとうございますー」
だが、荷物の受領を確認したにもかかわらず、青年は帰ろうとする気配を見せない。
「……えっとお兄さん、まだ何か?」
「やあやあやあ、先日はうちの社員がお世話になったそうで。お礼もかねて、高名なプリベンターの皆様に個人的にご挨拶しときたいなーと思いまして。あ、申し送れました。俺はリヒテンダール=ツェーリっていいます。リヒティって呼んで下さい!」
「ああ、こないだの人の同僚さんか! いやあ悪いねぇこちらこそわざわざご丁寧に」
リヒティの差し出した名刺と菓子折りを受け取って、応対していたデュオが頭を下げた。
どうやらデュオとリヒティは性格が割と似通っているせいか、早速意気投合したようである。
「どうせだったら茶でも飲んでいくかい? 他の奴らも紹介するぜ」
「え、そんな悪いっすよ! でも、そんな、いいんですかね。じゃあ是非!」
と、リヒティが足を踏み入れかけたところで、背後に更なる人影が立った。本日二人目の来客である。
「すまんが、トロワ=バートンはいるか」
「誰だ……ラルフ?」
声を聞きつけて顔を出したトロワが軽く目を瞠った。
その男は二十代後半と思しく、外見的にはヒイロを歳食わせて尚且つ痩せこけさせた印象である。
名をラルフ=カートといい、トロワとは旧知の間柄だ。
「何かあったのか」
トロワが怪訝に思い問いかける。
ラルフは妙に挙動不審で、さきほどからきょろきょろと視線を彷徨わせながら、頻りに額の汗を拭っている。
「クリスはこちらに来ていないか」
「え、クリスってクリスティナ=シエラ!?」
横から口を挟んだのはリヒティである。
「? ……いや、そちらがどのクリスを思い浮かべているかは知らんが、恐らく別人だ」
「クリスなら来ていないぞ。彼女がどうかしたのか」
「ああ、いや、大したことはないと思うんだが……彼女と連絡がつかないんだ」
「どうしましたか皆さん。何か込み入った事情のようですが、とりあえず中へ入りませんか。ずっとここに立ちっ放しでは落ち着いて話もできないでしょう」
戻ってこない仲間の様子を見に来たカトルが、何となく緊張した気配を察して来客たちを促した。
応接間にラルフとリヒティを通して、プリベンターの面々も顔を揃える。
クリスのことを知っているのは元ガンダムパイロットの五人だけで、サリィ以下のメンバーは彼女には会ったことはないが、わざわざプリベンターを訪ねてきた以上は可能な限り協力しようということで、一人を除き今いる全員がこの場に臨席していた。
「それで、連絡がつかないというのは」
トロワに再度問われ、ラルフは事情を説明し始めた。
「恐らくは俺の気にしすぎなだけだろう。単に朝から電話が通じないというだけなのだから。彼女の仕事が忙しい日は電話が繋がらないなんてこともざらにあるからな。だが、昨日今日は仕事は休みのはずだ。だからまあ、何か約束をしていたというわけではないのだが少しくらい電話でも、と思っただけなんだ」
用があってかけたわけではないから、どうしても連絡を取りたいというわけでもない。
しかもまだ半日程度しか経っていないわけで、神経質になるような問題でもない、とは思う。
しかし、何故か今日に限って妙な胸騒ぎがするのだという。
「あのー、そのクリスさんって、本当にクリスティナ=シエラじゃないんすか?」
「だから違うと言っている。何故そう思う?」
「いやあ。うちのクリスさんも朝から連絡つかないんすよね。まあただの偶然でしょうけど」
と言ってリヒティが苦笑する。
ふと、ヒイロが一見何の関係もなさそうな疑問を唐突に口にした。
「そういえば、あの男は?」
あの男とは今この場にいないプリベンターの一員、パトリック=コーラサワーのことだ。
その疑問にはグラハムが答えた。
「彼ならば、今日はデートだと言って朝早くから出て行ったぞ」
「デートだぁ? あんにゃろ、暢気なこと抜かしやがって」
「相手は誰とは聞いていないか」
ヒイロが問い重ねる。
グラハムは聞いていないと答えたが、ジョシュアが「あ!」と声を上げた。
「そういや昨日あいつ言ってたな。『明日はクリスとデートしてくるぜ!』とかなんとか」
一気に緊張が走った。
プリベンターの面子は顔を見合わせ、ラルフとリヒティは顔面から血の気が失せる。
「そ、そういえばうちのクリスさん、昨日誰かと約束してたみたいだったっす」
「こちらのクリスもだ。相手が誰とは言わなかったが……ところで、そのパトリックというのはどんな人物だ?
」
「どんな、ねえ。……良く言えば快活で、悪く言えば馬鹿で……」
サリィが言いにくそうにする。代わりに五飛が続きを答えた。
「厄介なことに、どうしようもなく女たらしだ」
「いやだああああああああああ、クリスさああああああああああああああああああああん!」
「答えろ、その男は今どこにいる!」
「お、落ち着いてください二人とも!まだどちらのクリスさんもコーラサワーさんと一緒にいると決まったわけじゃありませんよ」
取り乱したリヒティとラルフは、カトルに宥められて正気に戻った。
二人揃って気まずそうに咳払いをする。
だが、と五飛が言う。サリィに目配せをして。
「可能性がゼロというわけでもない。なんだったら追跡してみるか?」
「へ?」
一同は目を点にして五飛を見た。
* * *
「ここだな」
モニタに映された地図上の一点に赤い光が点る。これがコーラサワーの現在地であるという。
「驚いた。いつの間に発信機なんてつけたんだい、五飛」
「先日、奴が居眠りしている間にな。首の後ろに埋め込んでおいた」
「ちょっ、いくらなんでもそれは可哀想なんじゃ」
「文句ならサリィに言え」
「サリィさん!?」
視線の集中を受けたサリィは、「え、えへっ」と決まり悪そうに微笑んだ。
彼女ばかりを責められまい。
これは常にコーラサワーに振り回されている彼女の、せめて居場所だけは把握できるようにしておきたいという涙ぐましい努力の結果なのだから。
ともあれ、居場所はこれで掴めた。
全員が狭いモニタを覗き込もうと顔を寄せる。
「あれっ、そういえばリヒティ、こんなことしてる暇あんのか? 配達はまだあるんだろ」
「仕事なんてどうだっていいんすよ。こっちが先決です」
社会人としては絶対に誉められない言い分である。
「ところでラルフ、こんな昼間から出歩いているが、お前は仕事していないのか」
「……」
「ヒモか」
「違う! 就職難なだけだ」
ラルフが不貞腐れる。
そんな彼らはさておいて、ヒイロが口を開いた。
「そこには何がある」
「待て、住所から検索する。……出たぞ。この場所にあるのは《ビーイングホテル》だな」
ホテル、という単語を聞いた瞬間にリヒティとラルフの平常心は吹き飛んだ。
「駄目だああああああああああクリスさああああああああああああああああああああん!」
「うわああああああああああクリスうううううううううううううううううううう!」
「うるさいのよ静かにしてっ!」
ヒルデお得意のフライパンアタックが炸裂する。
後頭部に綺麗な一撃を食らい、痛みによって二人は理性を取り戻した。
「す、すいません取り乱しちまって」
「迷惑をかけて申し訳ない」
「構わないわ。とにかくビーイングホテルまで行ってみましょう。何か掴めるかもしれないわ」
そう語るサリィの表情はやけに嬉しそうである。
「楽しそうだなサリィ。そんなに他人のゴシップネタが好きか」
「そそそんなことないわよ、私は至って真面目に」
しかし五飛にじっと見つめられると、諸手を上げて降参を示した。
「ごめんなさい私の負け。些か不謹慎だったわね」
とはいえ異論は出なかったので、彼らは早速ビーイングホテルまで向かうことにしたのだった。
* * *
ビーイングホテル、ラウンジ。
「うっわあ、すっごく美味しーい!」
「本当! ラルフには悪いことしたけれど、来てよかったわ」
2人のクリスが歓喜の声を上げる。
ここは予約制のケーキバイキング。
女性に人気のスポットなのだが、結構な盛況ぶりのため2ヶ月前から予約をしておかないと入れないという。
そしてここにはクリスたちだけでなく、発信機が示したとおり、パトリック=コーラサワーもいた。
「だろ? 女の子はこういうの好きだもんな。予約しておいた甲斐があったぜ」
と言って爽やかな笑顔を見せる。
店内には甘いケーキに幸せな気分で舌鼓を打つ客らがひしめき、和やかな空気に満ちていた。
が、その空気は突如破られた。俄かに入り口の方が慌しくなる。
「申し訳ございませんが、ご予約頂いてないかたのご入店はお断りしております」
「俺たちは客じゃない。中にいる人間に用があるだけだ」
従業員に食って掛かるのは、もちろんラルフとリヒティの二人である。
そして彼らは見つけてしまった。ケーキを食しながら楽しげに笑うクリスとクリスティナ、それからプリベンターの者たちに見せてもらった写真どおりの赤い髪の男を。
頭に血が上った二人は、従業員の静止を振り切ってコーラサワーへ向かって走り出す。
二人に気づいたクリスたちは驚愕した。
「あら……ラルフ!?」
「えっ、リヒティなんでここに!」
急に叫ぶ彼女らの視線を追って初めて、コーラサワーは自分に向かって駆けて来る人影に気づく。
「へっ、何が」
「問答無用!」
「クリスさんを誑かしやがってぇ!」
疑問を最後まで口にするより先に、二人の拳が両頬にめり込んだ。
見事に上体が吹っ飛び、下半身だけ椅子の上に残して後ろの床に倒れこむ。
一瞬だけ店内に静寂が降りる。
次の瞬間には、店内が一気に騒がしくなった。
「いやあああ、パトリック!」
コーラサワーの向かいに座っていた女が、突然の暴行に金切り声を上げた。
隣の席に座っていたクリスとクリスティナは二人の男を見上げてただただ呆然としている。
「あっ、こらアンタら! 余計な揉め事起こしてんじゃねえ!」
後から追いついてきたプリベンターの面々がラルフとリヒティを羽交い絞めにする。
本当は様子を見に来ただけのつもりだったのだが、二人が逸る衝動を抑えきれずにホテル内へ直行、プリベンター連中を置き去りに暴走してしまったのだ。
「ラルフ何をしているの、あんまりだわ」
「リヒティ、あなた自分が何をしたかわかってる?」
我に返ったクリスたちが、口々に二人を非難する。続く一言が、彼らに冷や水を浴びせかけた。
「無関係の人になんてこと!」
ぴしり、と硬直する音が聞こえるかのようだった。
「む……無関係?」
「そうよラルフ」
「えっと……この男に誑かされたわけじゃないんすか?」
「たまたま隣にいただけじゃない」
「え、じゃあ」
ラルフとリヒティが視線を向けたのは、コーラサワーの向かいに座っていた、金切り声の女。
女は二人に見つめられると、ひっ、と短い悲鳴を上げて逃げ出した。二人に恐れをなしたらしい。
そして当のコーラサワーは、頬を真っ赤に腫らした状態でひっくり返ったまま失神していた。
* * *
どうにか騒ぎを収拾してプリベンター本部へ戻ってきた一行。
ラルフとリヒティは、二人並んで正座をさせられていた。
「もう、リヒティったらどうしようもなく馬鹿なんだから。仕事をサボった挙句に暴力沙汰なんて洒落じゃすまないわよ。スメラギさんに言いつけるからね」
「ラルフ、貴方がここまで短絡的だとは思わなかったわ。いったい何を考えているの」
しばらくの間クリスとクリスティナからこっぴどく叱られ続け、男二人はしゅんと項垂れた。
やがて怒るのも疲れたのか、彼女らは溜息をついて、二人の前に膝をついて顔を近づける。
「けど、心配してくれたんだよね。ごめんねナイショにしてて」
連絡がつかなかったのは、単に彼女らが携帯の電源を落としていたからだった。
クリスとクリスティナは、コロニーにいた頃知り合ってからの友人関係だという。
人気のケーキバイキングに行こうとは前々から計画していたのだが、本来はもう何人か誘うつもりだったのだ。ところが随分な盛況ぶりのせいで、自分たちの席を確保するだけで精一杯だったらしい。
「前にうっかりフェルトにも『一緒に行きたいね』って話をしちゃった手前、自分たちだけしか予約を取れなかったなんて言いづらいじゃない。けどせっかく予約したのに行かないのももったいなくて、じゃあ他の人には秘密でってことにしたんだけど」
「まさかこんな騒ぎになるんだったら、はじめから正直に言っておけばよかったわね。ごめんなさい、私たちが至らなかったわ」
「そんな、こっちこそせっかくの休日を潰させちゃって申し訳なかったっす」
「すまないクリス。俺が浅はかだった」
「……どうやら、あちらは決着がついたみたいですね」
彼らの様子を観察していたカトルが呟く。
「問題は……こいつだな」
五飛が睥睨するのは残る一人、コーラサワーである。
彼もラルフたち同様正座をさせられ、仲間たちから白い目を向けられていた。
彼のデート相手はクリスでもクリスティナでもなく一切無関係の、全く別人のクリス女史であった。
実際のところ責められる謂れはないはずなのだが、女にだらしがない印象が強すぎるせいか女性のことで問題が起こればそれだけで、たとえ彼に非はなくとも白い目で見られてしまうのである。
「なんだよなんだよ、俺ばっかり悪者にされてさ。むしろ俺は被害者だっつうの」
「日頃の行いが悪いからだろう。嫌なら普段から真面目にしていろ」
そのとき、呼び鈴が鳴り響いた。本日三人目の来客のようである。
ヒルデが応対に出向く。
そんなことには一切構わず、コーラサワーは文句をたらたら垂れ続けていた。
「いいだろ放っとけってぇの、俺がいつどこでどんな女の子とデートしてようと勝手だろ! いい女がいたら誘いたくなるのが男ってもんだろうが」
「ほう、相変わらず火遊びが懲りないらしいな」
プリベンターの誰でもない、ハスキーな女性の声が響く。
その瞬間、コーラサワーは氷の彫像にでもなったかのように動けなくなった。
ヒルデに案内されて入ってきた三人目の客。
それはコーラサワーのかつでの上司で、現在は歌手のカティ=マネキンだった。
今、世間やメディアから多大な注目を集めている歌姫を目の前に、ミーハーなデュオなどはすっかり興奮しきっている。
「今日はオフだから久々に部下の仕事ぶりでも見てやろうと思ったが、気が変わった。この私が直々に性根を入れ替えてやる」
「た、大佐……」
カティはコーラサワーの目の前に立ち、ブーツの踵で床を音高く踏み鳴らした。
「パトリック=コーラサワー少尉、立て」
「はっ!」
AEU軍時代に染み込んだ習慣で、すばやく立ち上がって敬礼する。
「歯を食い縛れ」
「はいっ!」
深く息を吸い込んでから、カティが自らの拳を大きく振りかぶった。
「こんの……バーロー!」
彼女の力強い拳が何度も何度もコーラサワーの頬を捉える。
往復ビンタならぬ往復パンチを幾度も食らい続けながら、けれどもコーラサワーは幸せそうな笑顔を浮かべていたという。
* * *
「けど、カティさんも結局はコーラサワーさんを見捨てられないんですね」
「どういうことだ?」
色恋に疎いヒイロ、トロワ、五飛が首を捻る。
「バッカだなあ。わざわざ休暇を使ってまで様子を見に来るくらいは、あの人もコーラサワーのことを気に入ってるってこった」
「……そんなものなのか」
「そんなもんなの」
すべて世は事もなし。些細な問題はあれど、世界は今日も平和だった。
【あとがき】
こんばんわ皆様ご機嫌麗しゅう。
……へ、空気? (゜д゜)カラ…ケ??
というわけで問答無用で投下です。だってコーラさんは生きてるって信じてるもの。
ちなみにラルフとクリスは『ブラインド・ターゲット』の登場人物です。
先日漫画版を手に入れたので、ついうっかりゲストに出してしまいました。
それでは。