第一話 名も無き花咲く頃
あれから季節は幾つ巡っただろう。
彼がプラントへと旅立った時は肩に掛かる位だった私の髪は、気が付けば腰まで伸びていた。
私の周囲の環境も変わった。妹が産まれ、すぐ下の弟は戦場に散った。
私自身も飛び級でカレッジに入学し慌ただしい毎日を送っている。
少し前までは空を見上げる度に彼の事を思い出していた筈なのに、今では彼と過ごした日々は夢のように思えてしまう。
「大人になるってこういう事なのかしら?」
光陰矢の如し。過ぎて行く日々に置き去りにされている気がして、私は密かに溜め息を吐いてしまった。
「あら、急にそんな事を言うなんてどうしたの?」
昼下がりのカフェテラスで私は親友のミホと他愛の無いお喋りを楽しんでいる。
ミホは法学部で私は医学部。お互いの進む道は離れてしまったが、暇を見付けるとこうやって会っている。
「何となく言ってみただけよ。他意は無いわ。……それよりお茶を楽しみましょ。このスコーンはチョコチップじゃなくてチョコパフを使っているわ」
私は彼女に怪訝そうに見つめられうやむやに言葉を濁した。
口の中に放り込んだスコーンは優しい甘味だった。きっとオリゴ糖を使っているのだろう
「ガトーショコラは甘さが控え目ね。私にも食べやすいわよ」
ミホは甘いものが私ほど好きではない。私の嗜好品が甘いスイーツだとすると、ミホの場合はお酒だ。
とはいえ二人とも未成年なので大っぴらには出来なくて、二人でパジャマパーティーをする時に楽しむ程度だ。
私は余り強く無いのでシャンパンを舐める位だけれど、ミホは底無しだ。最近はテキーラがお気に入りらしい。
「私的にはティー・オレがメニューに無いのは不満だわ。その代わり中国茶が充実しているわね。今度来たら凍頂烏龍を注文しようかしらね」
私はメニューに目を通しつつ呟いた。ミホは私の言葉に頷いた。
私達は〆に店定めを始めた。
ミホは日常使いには最適で男の子とお茶をするには微妙と評した。
私はトータルで見たら比較的に安価で味も悪くない点から時間潰しに最適だとコメントした。
私はティーカップに視線を落とした。ゆらゆらと揺れる私が映っている。
――カズミ・アマダ。貴女は幸せ?
私は紅茶を飲み干し席を立った。
「じゃ、私は行くわね。そろそろ行かないと次の講義に間に合わないわ」
ミホはまだ時間があるらしく読書をしていくそうだ。そういえば彼女の鞄の中から文庫本が覗いていた。
私は笑顔でミホに別れを告げた。
いつの時代も理系の女の子は重宝される。医学部となれば尚更だ。
私は医学の道を志す事を14歳の夏に決めた。
あの頃は色々あった。戦争があり、避難所生活を余儀なくされた。
連合占領下の教育政策で二番目の弟が登校拒否をし、私は弟を守るために大人社会に闘いを挑んだ。
戦争が終わった事もあり、結果はドロー。
そうそう、片想いの彼との別れがあった。
今では余り思い返す事もなくなったけれど、でも忘れられないでいる。
――矛盾しているわね、私。
考え事を止めて講義に集中する。
決めたんだから、あの時に。傷付いた人々を救う力が欲しいって。
教室には教授の声だけが響いていた。
ふと横を見ると、眼鏡を掛けた男の子が真剣にノートを取っている。
アーガイルさん。
彼は元々理工学系のカレッジの出なのだそうだけれど、思う所があって医学部に入り直したのだそうだ。
余り話す機会はないのだけれど、クラスの男の子達とは違って浮わついている所が無く真面目な雰囲気がある。
こっそり盗み見た彼の字は角張っていて律儀そうだった。
授業は終盤。私もよそ見を止めてノートを取り始めた。