第一話 名も無き花咲く頃
講義が終わった。
教室には西日が入り込んでいる。夜が近いのだろう。
いつもなら家路に着くのだが、私は今日は慰霊碑に行く事にしていた。
彼の家族の月命日。彼が行けない分、毎月花を供えに訪れているのだ。
男の子達から食事の誘いの声が掛かったが、私は丁重に断った。
男の子達の事は嫌いではないが、かといって好きな訳でもない。
他愛の無い話をするにはミホとする方が楽しいし、第一男の子達とは余り話が合わないのだ。
私は彼等の乗っている車や、彼等が愛用している高級ブランドには興味が無い。
彼等もお茶やスイーツや手作り石鹸や刺繍やコスメには興味が無いだろう。
私はまずは花屋へと急いだ。
先日に花は予約してある。マユちゃんが好きだったカサブランカと霞草のブーケだ。
私はこの花屋の常連で、ちょっぴり割引いて貰っている。
花屋のお姉さんと暫し雑談をした後、私は慰霊碑へと向かうバスに乗り込んだ。
車内は一人だけ乗客がいた。アーガイルさんだった。
どうしよう。余り喋った事は無いが、一応は顔見知りだ。
こういう時にはミホなら笑顔で挨拶しお喋りを楽しむだろうが、生憎私はそこまで社交的ではない。
結局私は会釈をし、アーガイルさんから離れた席に座った。
私はブーケを膝元に置いた。カサブランカの香りが鼻孔をくすぐる。それは何故か懐かしい気がした。
窓の景色はどんどんと変わる。街を抜けトンネルを抜けパパの道路を越えて海――慰霊碑へと着く頃には一番星がきらりと輝いていた。
彼は宙からあの星を眺めているのだろうか――彼はまだ空の彼方のプラントにいるのだろうか。
葡萄色に染まった空はやけに澄んでいて、私は何故か泣きたくなった。
降車ボタンを押そうと指を伸ばしたら、その前にチャイムがなった。
どうやらアーガイルさんも慰霊碑で降りるみたいだ。
バスが停車し、私とアーガイルさんは下車した。
「アーガイルさんも慰霊碑に行くんですか?」
私は沈黙を嫌うかのようにアーガイルさんに声を掛けた。だんまりを決め込むよりもよっぽどいい。
「あ、ああ。アマダさんもなんだ。」
アーガイルさんは私が声を掛けた事に戸惑いを感じたかの様に目を見開いていたが、すぐにはにかんだ笑みを浮かべた。
「今日は知り合いの月命日なんですよ。だからこうやって花を供えに来たんです」
私はアーガイルさんにブーケを見せた。アーガイルさんは私とブーケを交互に眺めて、そして歩き出した。
私もアーガイルさんに続けて歩き出した。街灯の光は少々心もとなかったが、アーガイルさんが近くにいるせいか心強い気がした。
慰霊碑は閑散としていた。時間帯を考えればこんなものだろう。
彼の家族の名が刻まれた位置は覚えている。私はその元に花を供え両手を合わせた。
戦争は私達に悲しみのみを残した。人々の命を一瞬で奪った光の筋を私はいつまでも忘れられないだろう――忘れたくない。
いなくなった人達の笑顔を時折思い出しては切ない感傷に浸る私は、もしかしたら彼と別れたあの日から成長していないのかも知れない。
ふと、アーガイルさんに目をやると、彼は真剣な眼差しで慰霊碑を見つめていた。
彼には彼の想いがあるのだろう。私には知る術は無いが、眼差しから何かが伝わって来るような気がした。
深い空の色。月は何を見ているのだろう。