Azrail_If_74_第03話

Last-modified: 2007-11-09 (金) 21:59:30

その日は晴天であった。
ワシントンDC近郊の緑地帯に作られた巨大なドーム状の建造物。
天面が強化硝子張りになっており、内部に日が差し込み、ドーム内には多くの植物が
植えられ、人工のせせらぎも存在する。
集った老若男女は、まるで週末の暖かい春の日に、郊外の祖父母の墓地を訪れたかの
ように、憩っていた。
環境保護団体ブルーコスモスの定例集会に集まったのは、政財界の大物や民間の篤志家
や活動家、一般の団体員など、顔ぶれも多種多様であった。
その聴衆が今は、壇上の人物に食い入るような視線を向けている。

ブルーコスモス副盟主である、彼、ロード・ジブリールの演説が始まった。

「ここにお集まりの皆様、皆様はナチュラルであり、清浄な存在です。まずはそれを
誇りに持って頂きたい」
始まりは穏やかに、次第に火を噴く彼の演説はブルーコスモスの格好の出し物であった
わけであるが、アズラエルはその日、貴賓席に収まりながら、内心冷や汗をかいていた。

時期が悪すぎる・・

大西洋連合の南米への侵攻、ザフト初の地上降下作戦である、ビクトリアでの攻防戦の
被害も生々しく、何より…。

「そう、ニュートロン・ジャマー。あれを御覧なさいっ! あの忌々しいコーディネー
ターの化け物どもがしたり顔で我等の神聖なる地球にばらまいた装置をッ!! 今現在、
どれだけのナチュラルが苦しみ、絶望の中で息絶えていっているかを…」

聴衆が静まり返る。
壇上に設置されたモニターには大西洋連邦機軸通貨である$の数値が、彼の言葉に呼応
するように上昇していく。
聴衆の手元にあるボタンを押すと、彼らの預金通帳から、ブルーコスモスの預金口座へと
少なからぬ金銭の流動が行われる。
馬鹿めと、アズラエルは内心吐き捨てた。
この場で彼がこのような強気な態度に出ると、次に控えている次の盟主選出選挙で、自分
自身の立場が微妙になる事、そして何より、所謂エイプリル・フール・クライシスの後で
は、治安も悪化している。
それを更に煽るような事は、彼の立場では看過し得ぬ問題でもあった。

壇上のジブリールはそんなアズラエルの内心には気付かず、大袈裟な身振りを繰り返していた。
「皆様に宣言する。血は血でしか購えない事を。コーディネーターはその最後の一人まで、
彼らが流した血を自ら購わされるであろう。そして、それを…!」

ジブリールが絶叫したのとほぼ同時であった。
ボン、と何処かで花火のような音がしたと思うと同時に、衝撃がアズラエルを襲った。
まさか…。
そう思った時、彼の意識は途絶えた。

『蒼い血或いはノブレス・オブリュージュ3』

その知らせを受け、ある者は取り乱し、ある者は会心の笑みを浮かべたという。
彼、サザーランドは前者の内の一人であった。
「まずは盟主の身柄の確保、そうだ! 医療チームはドーム外で待機させろ!」がっ、と苛々と
電話を叩きつける。
当所は事故と思われていた爆発であったが、時間が進むに連れ、テロリズムであるという証拠
が次々とあがり、現場の総指揮はサザーランドの同期である、ヴァイス少佐が行っている。
サザーランドとしては直接現場において指揮を取り、まずは盟主であるアズラエルの安全を
確認したかったのであるが、ブルーコスモス上層部がほぼ全員爆殺されたという、未確認情報
までが踊り、政府上層部の反ブルーコスモス派もその意気を上げており、彼自身の一存では、
軽率に動くわけには行かない状況が生み出されている。

サザーランドは冬眠から覚めたクマのように、部屋を行ったり来たりしながら、ただヴァイス少佐
からの報告を待っていた。

端末から秘書の報告が伝わる。
「中佐。ヴァイス少佐よりご報告があるとの事ですが如何致しますか?」
ふんと、鼻をならし秘書には何も答えず、直接回線をヴァイス少佐に繋げた。
お互い略式の敬礼を慌しく交わし「少佐。早速だがアズラエル様の安否は?」と続ける。
現場の煤で塗れた頬をうっそりと撫でながら、ヴァイスは答える。
「爆発の中心とアズラエル氏の着席場所が近かったので、当所は身柄を案じていたのですが、幸い
氏の座席の前方に設置されていた大理石のモニュメントが盾となったようで、ご存命であります。
ただ…」
些か言葉を濁すヴァイスに対し、サザーランドは全身に安堵を示す。
サザーランドは椅子に腰を据えながら、実際疲れたように溜息をついた。
「…無事でおられたか……。少佐ご苦労だったな」
「いえ、それが…アズラエル氏は確かにご存命なのですが…」
「何? ジブリールの狂犬でも死んだのか? それは良い事だ」
ヴァイスは軍帽を被りなおし、モニターに向き直る。
「いえ、ジブリール氏は軽症であります。…中佐…少しやっかいな事になりました…」

その説明を受け、サザーランドは大西洋連邦の中でも切断部位の接合治療において、高い名声を
受けている、ある医師を現場に派遣した。

セレーネ・マクグリフはその日、学会での発表を控えていた為、ワシントン国立記念病院の自室に
て、端末と向き合っていた。
晴れた陽光が窓から差込、彼女の腰まで伸びた黒髪に乱反射する。
勤務中は長い髪が邪魔にならないよう、後ろで結んでいるが、現場での仕事が無い時は、何時も
髪をそのままストレートにしていた。
何となく、その方が落ち着くと、彼女は思っている。

少しだけ目を細め、それでも彼女はその論文に集中していた。
細い鼻梁からすっと伸びた唇から溜息が漏れる。
端末の端に緊急の文字が躍っていた。
「はい。マクグリフです。如何致しましたか?」
端末の回線を繋げると、院長が何故かそわそわした表情を浮かべている。
「マクグリフ君。突然で悪いが、急患が出た。現場に向かってくれないか」
簡素にして明瞭。
セレーネ自身、回りくどい院内や学会での派閥政治や人間関係よりも、現場での仕事に遣り甲斐を見
出していたので、それは寧ろ心地よかった。
急患という事は一時を争う。
「はい。すぐ現場へと向かいます。詳しい報告はヘリの中でお聞き致します。それでは」
「頼んだよ、マクグリフ君。くれぐれも粗云々の無いように」
少しだけ院長の言葉に反発しながら、それでも感情は表に出さない事が彼女の心情、というよりも、
それが性格であった。
昔から知人や両親からも、セレーネは冷たいと言われる事が多々あった。
寧ろ、彼女自身、激情家と自身の性格をアナライズしていた結果、感情を押さえる事が多くなった、
その結果であったが、そういう時、少しだけ寂しさを感じながらも、それでもそういう性格を変える
事は出来ず、現在に至っている。

自分は自分でしかない。
だから、自分が今出来る事を行う、だけ。
そう思い、彼女は立ち上がり、髪を結わえると、ドアへと向かった。

混濁した意識の中、幾つもの言葉の断片が浮かんでは、消える。
ああ、僕はどうしたんだろう。
何か言葉を発しようとするが、口元のマスクが邪魔で上手く言葉を発する事が出来ない。
ほっそりとした、白い手が彼の額にあてがわれる。
幼少期、アズラエルは風邪をひき寝込むと、何時も母がそのように彼の額に手を当てて、彼が眠り
につくまで、傍らに居てくれた。
何だか、安心し、再びアズラエルは眠りに落ちた。

「…聞こえますか? 聞こえましたら返事をお願いします」
アズラエルの意識を、細い女性の声が再び揺り戻す。
「ぁ…ああ。聞こえていますよ。此処は…天国ですか?」
おお、というどよめきが聞こえる。
目を少しづつ、空ける。
眩しく、目を顰めながらも、目を開け続ける。
ああ、お母様か…。
アズラエルの意識はまだ少しだけ混濁していた。
長い髪を後ろで纏めた、女性らしいシルエットが滲んで見える。
彼女はアズラエルを見下ろし、手を握っていた。
その手を握り返しアズラエルは続ける。
「…僕が天国に行ける訳、ありませんよね。ああ、ありがとう。もう大丈夫です」
「Mrアズラエル、まだ無理をしては行けませんよ」
起き上がろうとするアズラエルの身を柔らかく、押さえ、その声は何処か気遣わしげに響く。
徐々に意識が覚醒して行く。
何か違和感があった。
何時もは空気のように感じていながら、あって当然のものが無いような、そんな気分。
その事実に気付き、アズラエルの体内から血の気がひいて行った。
「…私たちも全力を尽くしたのですが、Mrアズラエル、貴方が見つかった時にはもう殆ど壊死に近い状態で…。
これからの事は全力でバックアップして行きます。どうか…お心を強くお持ち下さい…」

ああ、足が片方、無い。
アズラエルは蒼ざめた顔を、その女医に向けながら、唇を震わせる。
「…あ、右ですか、ひ、左ですか…。僕、どうしちゃったのかな。な、何だかどっちだか分らなくて…はは、可
笑しいですね…ははは…」
女医、セレーネは気の毒そうに、彼の手を握り締める。
他意は無かったのだが、何時も彼女は、体の一部を失った患者の体を慈しむように触れる事が多かった。
ただの安っぽい哀れみかもしれない。
けれども、彼女は彼女自身の為にも、それは続けている。
「Mrアズラエル、落ち着いて下さい。…右足の膝部より下を切断しました。氏もご存知のように今は代替医療が
発達していますので、必ず歩けるようになります。歩けるまで、サポートも致します」
「…そうですか……」溜息と共に、アズラエルは内心の弱気を振りほどこうとし、それは叶わなかった
女医のネームプレートを見、力なく続ける。
「ええ。お願いします。セレーネさん」

出会いは人の世の常であり、絶えず流動する世界の中でただ一つ確かなもの。
こうしてアズラエルに取って、世界にとって、進むはずだった時間からの逸脱が始まる。
それがどのような方向へと彼らを誘うのか、それは知れない。