CCA-Seed_◆ygwcelWgUJa8氏_29

Last-modified: 2012-10-30 (火) 00:26:32

 C.E.60年代――
 ――いよいよ明日ですね
    私個人としても
    貴女の初めてのライブをとても楽しみにしています
    貴女の胸の内は不安でいっぱいでしょうか?
    それとも
    ひょっとして楽しみで仕方が無い?
    どちらにしても
    私は貴女を応援しています
    マルキオ導師のお言葉を借りれば
    『貴女がSEEDを持つ者』だから
    と言ったところでしょうか
    でも
    私にはそんなこと関係無いと思うのです
    貴女が歌を愛するのは
    貴女が貴女であるが故に
    なのですから
    それでは
    明日
    私もホワイトシンフォニーの客席から
    こっそりと貴女のステージを
    見守っています
                親愛なるラクス・クラインへ
                フレノワ・グランより
 
 
 
 ――ありがとう
    フレノワ・グラン様
    わたくしの胸には
    不安もありますが
    それ以上に
    今まで支えてきてくださった
    皆様への感謝の気持ちと
    プラントの方々への想いで
    いっぱいです
    それでも
    貴方が応援してくださるのでしたら
    わたくしは
    より
    素晴らしい歌を
    歌えるような気がします
    フレノワ様が
    ホワイトシンフォニーに
    いらしてくださるなんて
    こんなに嬉しいことはございません
    そういえば
    わたくしたち
    まだ一度も
    お会いしたことがありませんでしたね
    貴方とは
    わたくしがもっともっと
    小さいときから
    こうしてお話しているのに
    なんだか
    不思議な気持ちですわ
                   フレノワ・グラン様へ
                   ラクス・クラインより
 
 
 
 ――夜分遅くに失礼します
    つい
    貴女が今どうしているか不安に思い
    筆を走らせてしまいました
    いよいよ明日
    貴女のファーストライブが開催されます
    でも
    貴女には私が……
    いえ
    私たちがついています
    どうか
    重圧に負けずに
    立ち向かっていってください
    私はホワイトシンフォニーの
    後ろの方の席に座っています
    誰が私だか
    貴女にわかるでしょうか?
    ……失礼
    これは意地の悪い質問でしたね
    お互い時間が取れず
    顔を合わせて会うことはできませんが
    私たちの心は一つだと思っています
    それでは
    また明日
                   ラクス・クラインへ
                   サン・カンタンより
 
 
 
 ――まあ
    わたくしはなんて幸せ者なのでしょうか
    こんなにも皆様に思っていただいて
    感謝の言葉もありません
    サン様
    わたくしは大丈夫です
    貴方の仰る重圧に
    きっと打ち勝って見せます
    でも
    今不安なのは
    それとは別のこと……
    まだ確定したわけではないのですが
    わたくし
    婚約者ができてしまうかも
    しれないのです
    お父様の友人でいらっしゃる
    パトリック・ザラという方の
    一人息子
    アスラン
    というお名前だとか
    ステージのことも大変ですのに
    更に気になることが増えてしまって
    少し困ってしまいます
    どちらも
    素敵な悩み事
    ですのにね
    それでは
    わたくしも
    サン様に
    いつか会える日を
    楽しみにしています
    お元気で
               サン・カンタンへ
               ラクス・クラインより
 
 
 
 C.E.71年――
 ――いよいよ明日
    出港となりますね
    今
    〝ユニウスセブン〟へ向かうのは
    少々危険かと思いますが
    でも
    我々は心配していません
    何故なら
    貴女は
    『SEEDを持つ者』
    だからです
    貴女の望む道が
    我らの望む道
    貴女の行いは
    世界の望む事
    既に準備は整っております
    貴女から指示が下りるのを
    我ら〝ファクトリー〟一同
    心よりお待ちしております
                    ラクス・クラインへ
                    フレノワ・グランより
 
 
 
 ――〝ユニウスセブン〟
     悲劇の始まりの地とも言える場所
     どうか
     お気をつけください
     何があるかもわからぬ故
     もしも
     一声かけてくださるのでしたら
     我ら〝ターミナル〟の者を
     数名向かわすこともできます
     貴女は『SEEDを持つ者』
     この世界を導く存在
     その身に何かあってからでは
     遅いのです
     私としても
     一度もお会いできぬまま
     二度と会えぬなどという不幸には
     出会いたくありません
     どうか
     お早いお帰りを
     お待ちしております
                   ラクス・クラインへ
                   サン・カンタンより
 
 
 
 
PHASE-29 新しき旗
 
 
 
 
 〝ミネルバ〟の医務室で、ラクスは一人、死んだ様に眠る少年の横顔を見つめていた。ラクスは、彼を知っている。マルキオに『運命の子』と言われ、共に行動していた、プレア・レヴェリーという――
 それが、こんな形でここにいるという事は、やはりラクスも、そして彼も捨てられたのだと実感せざるを得ない。
 先日の戦闘で、ネオと名づけられたプレアは、脳に障害を負った可能性があるらしい。もう二度と、目覚めないかもしれないのだと……。〝ミネルバ〟で専門的な事まではわからず、オーブに上陸しそのまま彼を移送するのだそうだ。どこへ、かは聞かされていない。
また道具として利用されるのか、それとも本当に……。それを知る勇気も無く、その力も彼女にはもう残されていなかった。
 旧知の仲であるプレアをこうまで追い詰めたのは……。既に大々的に報道されている……。たった一機のモビルスーツで四隻の戦艦を落とした、『赤い彗星』。
 ざわ、と肌が粟立つ。そうやって一人で先に行ってしまって、ラクスの知っている者を傷つけていく。助けてもくれない癖に……。
 こんな所で、やりたくも無い事をやらされて、面白くも楽しくも無いのに笑わねばならないこの気持ちがわかるのか。父を人質にされ、最近は病に耽りがちで……。
 そのままラクスは、もはやプレアなど視界の中には映らず、ぎゅっと一点を睨み付けたままそのまま乱暴に座りこんだ。
 
 
 
 問題がいくつか起こったとは言え、概ね事態はアズラエルが目論んだ通りに進んでおり、それが彼をわずかに上機嫌にさせていた。それでも、〝ロゴス〟を出し抜けるかもしれないという思いは浅はかであると自分に言い聞かせ、更なる一手を打たねばならないとも思っている。
問題は、アズラエルの実父、ブルーノ・アズラエルがどう出るか、だ。彼は父の若い頃の事を知らない。勿論単純な興味本位から調べたこともあったが、地球連合のどこかの部隊に所属していた、という所までしか至る事ができなかったのだ。
この、ムルタ・アズラエルが、である。その事実自体が異常な事だと示していた。
 だが、あえて彼は父の行動に異を唱えたり、それ以上詮索したりはしなかった。縁を切っている訳ではないが、目的の為なら実の父だろうと切り捨てるのが彼であるから、そこに家族の情は無かった。
無論、父も同じだろう。何を目的としているのかはわからないが、あちらも目的の邪魔となれば息子ですら消しにかかってくる。
 決して尊敬していないわけではない、幼き日の思い出もある。が、それが彼ら親子の判断を鈍らせたりはしないのだ。そういう男達だから、今日まで成功を収め、勝ち続けてきた。だから、その次も勝ち続ける為に、親子はただの二人の男として戦うのだ。
 とは言っても、〝ドミニオン〟に乗艦してからは気楽なものであったので、今日も別にやる事無く――定時で送られる社の状況や世界の情勢などを見、それぞれの指示を出す事などアズラエルに取って仕事の枠にすら入らない些事である――今日は早めに寝ても良いかもしれないなどと思い、
 
 「あ、じゃあ今日僕早めに寝ます」
 
 などとにこやかに言ってやれば、またナタルはこめかみをひくつかせ不機嫌な無表情とやらを浮かべたが、アズラエルは気にも留めずに立ち上がった。
 とんと無重力の艦橋を後にし、ややあって重力ブロックに辿り着く。ふと通路で見慣れた顔を見つけ、おやと近寄った。
 
 「や、ドーモ。何してるんでス?」
 
 問われたキラがぺこりと小さくお辞儀をし、フレイはぷいと不機嫌に顔を背け、本のようなものをキラに押し付けた。
 
 「おや? 交換日記?」
 「ち、違います!! 何なんですその変な誤解!」
 
 フレイが顔を真っ赤にして憤慨した。アズラエルは内心、わかりやすい子だなと苦笑したが、表情には出さずに「フーン?」とだけ言って本を覗き込んだ。
 
 「わたしのだったのに」
 
 もう一度ぷいと不機嫌な顔を作って顔を背けたフレイとは対照的に、キラはどこか安堵した様子でほっとため息をつき、言った。
 
 「もともとはぼくのなのに……」
 「違うわよ、大尉のでしょお? それなのにキラが勝手に持ってたから、わたしが貰ってあげるって言ったのに」
 「ええっ。でも、フレイ読んでないんでしょ?」
 「だってつまらないんだもん。キラだってちゃんと読んでないって言ってたじゃない」
 「そ、それは、だってフレイに取られちゃったから……」
 「口答え禁止ー。何よ、キラの癖して」
 
 何とまあ、少年少女の青い会話であったが、アズラエルは大して興味も無くひょいと顔を覗かせタイトルを見た。
 『巨人たちの黄昏』と書いてあったが、それが何を意味しているのかわからなかった。が、特にやる事も無かったので、キラが持つその本を手でつまみ、取り上げ、彼が「あ、あの」と弱々しく抗議したのも無視してパラパラと本をめくった。
 
 「あー、これ、おとぎ話の?」
 
 とさも今ここで知りましたと言うように驚いて見せたが、ここに書かれている事の概ねが事実であると、アズラエルは知っていた。なるほど、これは著者が独自の解説を加えながら説明していくタイプの本か。
 
 「そーですよ。ガンダムって〝ストライク〟とかのOSの頭文字、それのファンが勝手にやったんじゃないんです?」
 
 フレイが遠慮なくトゲトゲしい口調で言ったが、そこはアズラエルの知るところでは無いので、
 
 「さーどうなんですかネー?」
 
 と軽く受け流し、そのままパラパラと本を流し見、言った。
 
 「はいドーモ。それではこの本、今日から僕ので」
 「えっ」
 「はあ!?」
 
 キラとフレイが同時に驚愕し、何かを言いかける前にアズラエルは、
 
 「いやー、良い暇つぶしが見つかりましたヨ。それじゃ僕は寝ますのでオヤスミナサイ」
 
 と言って勝手に締めくくった。
 あまりの事態に固まるキラと、わなわなと全身に怒りをためていくフレイ、二人の対照的な反応をこのまま見続けても良いが、面倒な事になりそうなのでそそくさとアズラエルはその場を立ち去った。
 意訳とは言え、彼の時代の未来を垣間見る事ができるかも知れないという期待もある。
 少し、楽しみであった。
 
 
 
 ようやく艦内の清掃を終え、シンは宛がわれた自室に戻った。捨てられた子供のように小さくうずくまる少女がわずかに視線だけをこちらに向け、すぐに戻す。
 いつでも笑顔を絶やさない妹――そんな彼女の今の姿を見るのは、気が重かった。無理も無い、父を、母を、奪われたのだから。それでも、シンはマユに言わなければならない事がある。
 意を決し、おもむろにマユの傍らに座り、言った。
 
 「マユ、ごめん。僕戦うよ」
 
 マユがびくと震え、怯えたような視線をシンに向ける。それでも、シンは静かに前を見据えた。
 
 「復讐とか、誰が憎いとか、そういうのはわからない。でも、何かできるかもしれないんだ、だから――」
 
 マユがぎゅっとシンの服の袖を掴み、泣きそうになりながら小さな擦れ声で、
 
 「……待って――」
 
 と呻く。それが、オーブから脱出して以来はじめて聞いた妹の言葉。そのまま、声にならない――喋り方を忘れてしまったのかもしれない――擦れた息の入り混じった声で、少女は言った。
 
 「マユを、独りに、しないで……」
 
 その力弱さに、シンの胸が痛んだ。思わずシンは言う。
 
 「そんな、独りだなんて……」
 
 そんなつもりは無かった。ただ、これ以上自分達のような人を増やさないために……。
 
 「だって、そう言ってお兄ちゃんは戦いに行って、そうしたらマユは独りぼっちだよ……? お父さんもお母さんもいなくなって、お兄ちゃんまでどこかに行っちゃったら、マユはどうしたら良いの……」
 
 その懇願するかのような妹の呻きに、シンは言葉に詰まった。前を見据えて戦う決意を決め、そうして後ろに寄り添う妹を置き去りにしようとしていたのだろうか。では、どうしたら良い。
このまま何もせず、ただじっとしていろと……? 駄目だ、とシンは苦悩した。それでは、自分の心が折れてしまう。何かしていないと、そこで立ち止まり、 二度と歩けなくなってしまう。
 もう一度、妹がぎゅっと涙をこらえ、言った。
 
 「マユを、置いていかないで……」
 
 たった一人の、家族。守るべき命。それは、シンの戦う力の源であり、シンの自由を奪う鎖でもあった。
 僕は、どうしたら――。
 妹の手をぎゅっと握り返し、シンは答えの出ない思考の中に落ちていった。
 
 
 
 時刻は深夜の二時を過ぎた〝ドミニオン〟の通信士シートで、カズイはこらえきれずに大きなあくびをしたが、それを咎める者など、ここには一人としていない。艦長のナタルはとうに就寝中だし、ミリアリアもメリオルも、既に自室で寝息を立てているころだろう。
 操舵士シートに座るサイは、うとうとと眼をこするカズイを端目に捉えながら、モビルスーツパイロットだというのにわざわざ副操舵士を買って出、こうして一緒に当直をしているキラに聞いた。
 
 「良かったのか……? お前、パイロットやってんのに」
 
 するとキラは罰が悪そうに苦笑し、答える。
 
 「でも、もう敵の反応は無いみたいだし……。それに、何かしていたいんだ」
 
 献身的なキラの様子が、サイにはどこか儚げに見えていた。誰かの役に立ちたいという彼の心は美しく誇り高いものだと思うが、それを本人が一番わかっていない。自分を、憎んでいるのだろう。だから、サイは言うのだ。
 
 「――でも、俺はお前の事好きだぜ?」
 
 と。
 
 「えっ」
 
 キラが素っ頓狂な声をあげ、
 
 「ホッ!」
 
 とカズイが変な声を漏らす。その様子が可笑しく、サイは噴出しそうになった。
 
 「馬鹿。――あのなぁ、コーディネイター嫌いなのは良いけどさ。でもそれって結局、最初の連中がさ、自分達の優位性とか、そういうのを示すために好き勝手やりすぎたから、ナチュラルの人達に嫌われるようになって、今に至るんだろ?」
 
 キラがわずかに難しい顔になる。
 
 「でも、さ……。言ったろ、ぼく、〝メンデル〟の――」
 「そりゃね、聞いたけど……」
 
 数多の命の礎の上に成り立つ、たった一つの命。存在しているという罪。それは、少年の心には重過ぎた。
 
 「キラんちってさ、何坪?」
 
 唐突に、カズイが口を挟んだ。
 
 「ええっ? な、何坪って……」
 
 キラがわけもわからず目をぱちくりさせる。
 
 「サイんとこってさ、凄いんだぜ。山とか島とか湖とか持ってる」
 
 顎でサイを指すカズイの物言いには特に妬むようなものは感じられず、サイは続きを待った。
 
 「もう生まれついての勝ち組だよ。石油王の子孫だぜ? きっとキラの百倍はヤなやつ」
 「お前な……」
 
 が、その遠慮の無い口ぶりに流石のサイもやれやれと口を挟んだ。
 
 「何だよ、慰めてるのに」
 「それで俺をか?」
 
 人の生まれを勝手にダシにして……。
 
 「悪いかよ」
 
 と悪びれた様子無くカズイが言った。
 
 「悪いだろ、だから……」
 
 呆れてサイは言った。全く、カズイはさらりと空気を読まない所があるというか、なんというか。
 すると、キラが苦笑し、「ごめん」と漏らした後、天を仰いだ。
 
 「……ありがとう」
 
 そう彼は言ったが、きっと心は変わっていないんだろうな、とサイは思う。頑固なヤツだと軽く心の中で毒づき、それが彼の善意から来ている事がわかれば、それ以上は何も言えなかった。きっとキラは、全ての礎に許されでもしない限り、自分を許す事は無いのだろう。だがその礎の中には、既に死んでしまった者も――
 では、誰が彼を許すというのだ。罪の、在り処。それは……
 サイが思考に耽っていると、ふいにカズイの目の前で、計器が反応を見せ、彼ははっとして計器を弄る。
 
 「――サ、サイっ!」
 
 その声に、サイとキラは振り返った。――まさか、敵……!? キラの表情が引き締まる。サイは即座に私室のナタルに連絡を入れようと副通信士シートに向かう。カズイが叫ぶように言った。
 
 「ま、待って! この反応は――!」
 
 
 
 漆黒の闇を、巨大な白亜の戦艦が、しずしずと接近し、やがて並走するようにして横へとつける。同じようにして深緑の躯体が反対側へと回り込み、漆黒の戦艦の左右を守るようにして並び立った。
 クルーたちが兄弟艦の無事な姿を確認し安堵の息を漏らす。そんな彼らの様子を見ながら、「手の空いているものは、会いに行ってみても良いわ」と言ってしまうのは、マリューたる所以か。
 そのとき――
 
 〈お久しぶりです、ラミアス艦長〉
 
 通信画面が開き、その中になじみ深い顔を見つけて、マリューは顔をほころばせた。
 
 「……ナタル――。ええ、本当に……」
 
 アラスカで別れたときよりも、どことなく表情が柔らかい気がするのは気のせいだろうか? マリューは感極まって何を言ったら良いのかわからなくなってしまった。そのとき、ぽふっと膝元に少女が小さなお尻で座り、きょとんとした顔をこちらに向ける。
 
 「マリュー、この人だあれ?」
 
 そう言った少女は、人形みたいな整った顔立ちにくりくりと大きな目、柔らかく波打つ金髪に色白の肌、まだ十二か、十三とも取れるあどけなさを残した華奢な身体だが、その無邪気な表情は更にこの少女の年齢を引き下げているようにも思える。マリューは少女の頭に優しく手をやると、少女は嬉しそうに目を瞑り、その手の感触を堪能した。
 
 「私の大切な……大事な仲間よ」
 
 少女の名は、ステラ・ルーシェ。月からやってきた、補充パイロットの一人。こんな年端もいかない女の子に戦争をさせている事実に胸を痛めたりもしたものだ。ハルバートンから聞かされた彼女たちの出生が、マリューの良心を更に傷つけた。そして、この子達には戦いしか無いのだという事実も……。
 それでも、何とかしてあげたいと思うのがマリューであるから、この幼い子供たちに精一杯の愛情を注ぎ、こうして通信に割ってはいるようなことも黙認している。
 
 〈その少女は?〉
 
 ナタルが怪訝そうな顔で聞く。
 
 「積もる話は後にしましょ。ハルバートン提督からもお話があると思うから」
 
 そういうと、彼女は〈はっ〉と敬礼し、通信を切った。
 メインパイロットのノイマンが振り向き、やれやれと言った。
 
 「あっちは相変わらずなんでしょうかね?」
 
 すると通信シートのチャンドラが両手を頭の後ろで抱え、だらけた姿勢になる。
 
 「どーだかねえ。色々あったって言うけど……」
 「でも、あの子達でしょ?」
 
 と反論したのは射撃指揮官のパルだ。
 
 「ん、そりゃそうだっ」
 
 トノムラがくくっと小さく笑い、マリューもつられて笑みをこぼす。膝の上でステラが不思議そうな顔をしたが、皆が楽しそうにしているのを見、自分も楽しくなって太陽のような笑みを顔いっぱいに浮かべ、マリューの胸に抱きついた。
 
 「〝ドミニオン〟、か」
 
 彼女はステラを優しく抱きしめながら、独り言のようにつぶやいた。
 
 
 
 宇宙にひっそりと浮かぶオーブの軍事用宇宙ステーション〝アメノミハシラ〟。単独でもかなりの戦力を持っており、ザフトの攻撃を耐え凌いで見せたというのは賞賛に値する。それでも、オーブ本島が落ちた今となっては、この地球軌道上において孤立した存在であった。
それも今日までの話だ。ハルバートンが艦長を務める〝パワー〟の他にオーブの支援を目的とした連合艦隊が、既に別のドックに入港をしているころだろう。もちろん〝ストライクダガー〟を大量に搭載して。
 
 「〝アークエンジェル〟なんだって?」
 
 上陸許可が降り、無重力の床を蹴りカガリが表情をほころばせやってくると、フレイは同じように笑顔で答えた。
 
 「うん、行ってみようよっ」
 「ああ!」
 
 カガリが頷くと、フレイはそのままマユをぎゅっと抱きかかえる。
 
 「え、あの……」
 
 しどもどと声を上げる小さな少女の頬に軽くキスをして、
 
 「良いから。みんなで一緒にいたほうが良いでしょ」
 
 と優しく諭すように言って、顔を真っ赤にしたマユの手を握ってフレイが格納庫《ハンガー》の床を蹴ってふわりと飛んだ。
 そんな彼女たちの様子を眺めつつ、キラはほっと安堵の息をつく。無事に、たどり着くことができた。同時に、散ってしまった〝ストライクダガー〟隊の人たちの頼もしい笑みが脳裏に過ぎり、胸が痛んだ。
 
 「ぼく達、どうしよっか?」
 「せっかくだし行こうぜっ」
 
 と、トール。
 
 「だが基本的な構造は〝ドミニオン〟も変わらんだろう?」
 「なんだよ、良いじゃんかー」
 
 否定的な意見をカナードが述べると、すぐさまトールが非難の声をあげ、キラは苦笑した。シンがきょろきょろとあたりを見回し、カナードはやれやれと首を振った。
 
 「わかったよ、オレたちも行こう」
 
 彼はシンの襟首を掴み、ぐっと無重力に任せ出口へと投げ飛ばす。
 
 「ちょ、ちょっとお!?」
 「一人でいるよりはマシだろう?」
 
 カナードの言葉を聞いて、胸のうちがほのかに温かくなるのを感じた。
 ――みんな、助け合って生きているんだ……。
 そこには、ナチュラルもコーディネイターも無い。ただ、人々が共に手を取り合い――。それは、キラにとって確かな希望であった。
 彼らが〝アークエンジェル〟に辿り着くと、まず、どういうわけかハルバートンが出迎えた。
 
 「よう少年! 元気そうだな!」
 
 快活に、言った彼に、フレイが呆れて問いただす。
 
 「な、なんでここにいるんですか?」
 
 すると彼は、さも心外だと言わんばかりの表情で答えた。
 
 「〝ザ・パワー〟の艦長である!」
 
 すかさずカガリが反論する。
 
 「だからなんで〝アークエンジェル〟にいるんだって言ってんだよ!」
 
 ごもっともだ。断っておくが、キラやフレイ達は〝アークエンジェル〟が入港してから一番乗りでやってきたのだ。ハルバートンはふんと鼻を鳴らし忌々しげに言い放つ。
 
 「どうせ貴様ら、〝ザ・パワー〟には来んのだろう」
 「だ、だったら、何だよ……」
 
 カガリが注意深く言う。ハルバートンが続ける。
 
 「ずるいではないか! 自分たちばかりこうして集まって! 我らを差し置いて!」
 
 皆が呆れ果て唖然とするなか、ハルバートンは一度息を深く吸い込み、もう一度言った。
 
 「ずるいではないか!」
 
 と。
 すると、通路から人が数人出てきて、その中から見慣れた顔を見つけ、キラの顔はほころんだ。
 
 「ラミアス艦――うっ?」
 
 キラの体をわざわざ踏み台にし、無重力の格納庫をフレイが飛んだ。
 
 「艦長だーっ!」
 
 フレイとカガリが同時にマリューに飛びつき、彼女は苦笑で答える。マリューの後ろからひょいとムウ・ラ・フラガが顔をのぞかせ、キラ達に手を振った。
 小走りでやってきたマードックの姿を捉えたブライアンが、「は、班長―!」と感極まった声をあげ飛びついたが、マードックはそれをひょいと避け、メンテナンスベッドに寝かされた見慣れぬ機体に「新型かー!」と飛びついた。
 
 「班長……」
 
 がっくりとうな垂れるブライアンを見、ハマナが豪快に笑う。
 
 「ああ、てめぇ! 俺の機体だぞおーっ!」
 
 と怒鳴ったのは、オルガ・サブナックだ。カナードがほう、と声を上げた。
 
 「貴様のマシンがあれか、サブナック」
 「ああ? なんだてめぇかよ」
 
 この二人も相変わらずだ。キラはなんだかおかしくなってしまい、笑いをこらえるのに苦労した。
 
 「おいオルガ、そいつ誰だよ?」
 「………………」
 
 やんちゃ坊主のような顔立ちの赤毛の少年が顔をしかめ、もう一人のおとなしそうな色白の少年は無表情のままぼーっと立ち尽くす。少し遅れて、短い髪を逆立てた刃物のような鋭い目をした少年と、女の子のような顔をした少年やってきて、こちらをちらと確認した。
 とりあえずはと、オルガとカナード主導のもと、微妙に険悪なムードになりつつも、どことなくいつもどおりだという安心感を覚えながらキラは双方の紹介に耳を傾けた。
 赤毛の少年の名は、クロト・ブエルというらしい。なんだか良くわからないが、ゲームが好きだとか言っていたから、たぶん仲良くなれるだろう。
 おとなしい人は、シャニ・アンドラス。物静かな人そうだから、きっと仲良くなれるだろう。
 もう一人が、スティング・オークレーだ。怖そうだけど、カナードっぽい気もするし、おそらく仲良くなれるだろう。
 残された最後の一人が、アウル・ニーダである。仲良くできるだろう。
 うん、良い人たちばかりだ。と勝手に納得した。
 すると、奥から遅れてきた一人の壮年の男が、白に近い髪の色と褪めた顔色のまま、切れるように鋭い眼光を瞬かせ、興奮気味にきょろきょろと見渡してから、目当てのものを見つけフレイに近づいた。
 キラはわずかに警戒する。彼の目つきを、知っていたからだ。それは、かつてガルシアが自分を見る時の眼差しと同じ――。
 
 「ああ、そうか、君がフレイ・アルスター!」
 
 テンション高めの第一声に、フレイはびくっと身を震わせる。
 
 「え、あ、はい、な、なんです……?」
 
 ああ見えて、フレイは押しに弱い。一定の所までは頑なに頑固だが、その線を過ぎれば途端に弱々しくなるのが彼女であるから、キラは思わず口を挟んだ。
 
 「あの、突然何を――」
 「そうか、やはり! 私の見立てた通りだ、高貴な血筋であるとは知っていたが、やはりと言うべきか! 下劣なバケモノとは違う、君には本物を感じる! 私は骨董品にも詳しくてね、いわゆる模造品とそうでないものを見分ける眼を持っているのだという自負はあるし、事実、そうであるから、自分の感じたものに自信がなかったわけではないが、それでも君が本物のノーブルであって欲しいという私の願望が目を曇らせていたのではないかという不安はあったのだ、
しかし、それは良い! 問題なのは、今君がこうして私の前にいて、私の思っていた以上の本物であるという事が、大事なのだ! わかるかね、この私の感動が。
人類が宇宙《そら》に進出してどれくらい立つだろうかは、今語る事では無いだろうが、それでも、私は地球に住む人間が宇宙《そら》という広大な世界にその生存環境を伸ばし、そのままというわけでは無いだろうとは思っていた。
私は宗教と言うものに興味が無い故に、神が人を作ったなどと言う戯言を信じていない! だから、人の生命は海から誕生したのだという進化論を信じているし、海から陸へと偉大な一歩を踏み出した生命が人類の祖であることは明らかである。
それはつまり、地球と言う枠の外へ、アポロ――なんと言ったかな、ふふ、興奮のあまりど忘れしてしまったが、とにかくアメリカ合衆国の民が最初に月へ行ったその日から、その偉大な一歩からどれだけの年月がたっただろうか! そろそろ、人は次のステップに進んでも良いころなのかと私は思っていた。
そこに現れたのがあの――口にするのも忌々しい、あのバケモノ共め! 人類の進化などという言葉を気安く口にし、偉大な先人達、強いてはアポロ十三号――ああ違う、十一号だ、今思い出した! 未だにアポロは月へと行ってないなどと言う説を繰り広げる異端論者達のことを思うと腸が煮えくり返る思いはするが、それは良い! つまり、あの宇宙《そら》のゴミは、人の進化の行く先などでは決してありえないのだと、私はそう言っているのだ! 科学は人の力であると、誰が言った言葉だったか……しかしだ、それはあくまで力であり、その枠を飛び越えるものであってはならんのだよ! だから、人は自然のまま、ナチュラルに進化しなければならないという私の自論の一つが、今こうして目の前にあるというのは奇跡ではあるが、必然であるとも私は思う! そしてだ、その人類の進化の先、先頭を走る君と言う少女が、ああ、失礼した、私は君の素性をいくらか調べさせてもらったが、それは私という立場にいる者の、半分は義務であるのだから許して欲しい。つまりは、イギリスの貴族の末裔であり、そのまま北アイルランドのアルスター島の領主の血を引いた君の血筋は本物であり、その君がこうして『ニュータイプ』に目覚めてくれた事は、私の持つもう一つの自論を肯定するものでもあるのだから、こうもなる! それはつまり、貴族主義と言うものなのだが、あえてここの説明は省かせてもらう。真の貴族とは、その魂に黄金の意思が受け継がれ、黙っていてもそういう気品と言う名のオーラを帯びるものだ。
つまり、君がそうなのだよ! だからあえて言わせて貰おう! 会いたかったぞ、『ニュータイプ』と!」
 
 思わずキラはこれから言おうと思っていた全ての言葉を飲み込み、忘れ、うわぁと目を逸らした。フレイも同じようにぎゅっと目を瞑り、うわーこいつめんどくせーと言わんばかりに顔を背けたが、そのまま更にぐっと堪え喉元まであがってきた数多の罵倒の言葉を飲み込むようにして、
貴族が誕生日パーティとかで見せるような特有の白々しい笑みを浮かべ、それなりに付き合いの長いキラ達にはそれがフレイにとって拒絶を意味するのだとすぐにわかったが、そのまま彼女は言った。
 
 「ありがとうございます。そう言って頂けると私も勇気付けられます。でも、まだお名前を教えて貰って無いのですけど」
 
 はっとその男は表情を改め、しまったと言いたげな顔を作り……いや、たぶんそれが地なのだろうが、そのまま下手な舞台役者の様な大げさな身振り手振りで説明しだした。
 
 「これは失礼した。私ともあろう者が、なんという無礼を……。見てくれ、手が震えている。これは感動と興奮から来るもので、それが君への敬意と誠意である事は理解していただきたい。
ああ、この年にもなって、まだ作法に穴があったというのはやはり恥すべき事だ。私は自分が情けない。こんな事では、私は『ニュータイプ』になれないではないか。
いやしかし、人類単位での進化ともなれば、私でなくても、例えば私の子や、更にその孫がなってくれれば、それが正解なのかもしれない! そうか、私もそろそろ結婚を考えなければならないのかもしれないな……。
私は女と言う種を内心馬鹿にしていたが、今思えばその考えに至ってしまった私こそが愚か者であったのかもしれない。しかし、今は花嫁探しという行為に勤しんでいる暇は無く、私は私がやらねばならない事をしなければならないのだという事は理解していただきたい。
ああ、これは失礼した、君の、その……婚約者、いや、元婚約者であったと言うべきか、アーガイル家の君への行いは私も不愉快には思っているのだ。アルスターとアーガイルの祖達の血よりも熱く固い絆は、数百年も経てばこうも脆いものなのだろうか……。
失礼、悪口では無いのだ! だから、今のアーガイル、サイ・アーガイルと言う名であったな、私は覚えている。彼がノーブルである事は否定しない。
彼の能力も、いくつか調べさせて貰ったが、間違いなく彼も『ニュータイプ』として覚醒を始めているのだから! だから、私は〝ドミニオン〟がニュータイプ部隊なのではないかと確信しているのだ。
『赤い彗星』という名、気に入ってくれたかな? あれは私が名づけたのだ、そうして各メディアに大々的に報道させ、地元の新聞からゴシップ雑誌にかけてまで全てに手を回し、その名を広めたのも他でもないこの私。
勿論、その名に込められた意味は、前任者がいた事は私も知っている。……彼の遺体は、手厚く葬らせてもらった、故郷の大地と言うのが存在しないのは、辛く悲しいものだ。
どんな所であろうと、故郷は故郷! そこに帰れないという絶望は、私の胸を焼き焦がした! それでも、例えそれでも、彼の魂は君と共にある! 私はそう確信している!」
 
 ……ここまで好き勝手喋ってまだ名乗っていないという驚愕の事実に驚きつつ、隣のフレイは笑顔を浮かべたままどん引いているだけだ。
 
 「あれ何なんです……?」
 
 キラが小声でハルバートンに詰め寄ると、彼もまた嫌悪の色を隠そうともせずに、
 
 「無視して良い。頼りにならん味方だ」
 
 と切り捨てた。
 これは後で聞いた話であるが、彼――ロード・ジブリールと言うらしい(これもしばらくしてからようやく名前を知った)は、ムルタ・アズラエルが連れて来た者であり、そのアズラエル自身も、ジブリールの事を『一番利用しやすそうだったから連れて来ただけです』と冷ややかに言っていたので、何故かなるほどとキラは納得してしまった。
 ふいに彼らの後ろから、「ふわふわするー」という少女の声が聞こえ、視線を向けた。
 少年の一人、スティングが慌てて叫ぶ。
 
 「お、おいステラ!」
 
 ステラと呼ばれた少女がぎゅっと丸まり少年たちに思い切りぶつかり、彼らはボーリングのピンのようにしてばらばらに弾き飛ばされた。
 
 「ふわふわするー」
 
 同じく少女も弾き飛ばされ、くるくると漂いながら壁際まで漂い、そこで止まってくれというキラの思いを無視するかのように少女はトンと壁を蹴り、ステラを助けようとキラは地面を蹴ったが、丁度同時に飛び立ったカナードと思い切りぶつかってしまい、互いにもみくちゃになって変な方向へ飛んだ。
 
 「お、おいー!」
 「ごめーん!」
 
 ステラはそのままふわふわと漂い、更に格納庫の壁をとんっと蹴り、トール達のいるところへ向かった。
 
 「んー」
 
 少女がぱっと両手を伸ばす。たぶんこれは捕まえてくれといっているのだろう。トールがやれやれとシンの肩をぽんと叩き、促した。
 
「ええ? 僕!?」
「ほら、頑張れオニーチャン」
「わ、わかりましたよ……」
ぐっと身構えるシン。フレイとカガリがくすくすと笑いながらその様子を見つめ、マユが心配げな視線をやったが、ややあって彼はステラをがしっと押さえこんだ。
 「や、やった!」
 
 思わず顔をほころばせるシン。彼の瞳をじーっと見据えるステラ。ぽかんとして彼女の瞳を見つめ返すシンに、ステラは目を瞑りそっと顔を近づける。
 少女の唇が、少年の唇にぷちゅんと触れた。
 
 「~~~~!?」
 
 シンは声にならない悲鳴を上げる。
 
 「あああぁぁーッ!」
 
 マユが金切り声を上げる。
 
 「ス、ステラァ! お前何やってんだあ!」
 
 すかさずスティングがシンを蹴り飛ばし、きょとんとしている少女を抱きかかえた。
 
 「な、なんで蹴ったー!?」
 
 そう言いながら無重力空間で勢い良く遠ざかるシンに見向きもせず、スティングは汗をだらだら流しステラに詰め寄る。
 
 「おいステラ! お前今何した!?」
 「ふぇっ?」
 「何をしたって聞いてるんだ!」
 「スティングはどうして怒ってるの?」
 「ああもう!」
 
 なおも首をかしげるステラに、スティングは頭を抱えた。アウルがけたけたと笑い、クロトがにやにやと二人のやり取りを静観する。すると、ステラがしばらく考え込んでから、口を開いた。
 
 「ステラはね、挨拶したんだよ?」
 「……は?」
 
 訳のわからないといった顔になり、スティングが首をかしげた。
 
 「挨拶したの。初対面の人とは挨拶をするんだよ?」
 「ほ、ほおー……」
 
 口元をひくつかせ、スティングは聞いた。
 
 「……誰から聞いた?」
 
 すると、ステラは満面の笑みになり、自慢げに胸を張った。
 
 「ムウとマリュー!」
 「なんと!」
 
 と声を上げたのはハルバートンである。一同が呆れた視線をムウとマリューに向ける。ムウは「いやー参ったなー」などと気さくに照れて見せたが、マリューはしまったとばかりに手で顔を隠しうな垂れた。
 スティングは怒りとやるせなさと情けなさを胸いっぱいに押し隠し、ステラになるべく優しい声で告げる。
 
 「……いいか、ステラ。ああいうことはな、挨拶でするもんじゃあないんだ」
 「だって、ムウとマリューはいつもしてるよ?」
 「………………」
 
 こ、これは……。更に顔を覆い隠し、壁にぺたりと顔を隠すようにしたマリューに、キラたちはなんともいえない視線を送った。
 
 「あ、あのなステラ……」
 「ムウとマリューはいっぱいしてたもん!」
 
 ……恥の上塗りとはこのことか。ステラは力いっぱいに、自分は間違ってないんだとアピールしたが、周囲の空気は一層変になるばかりだ。フレイはまだ彼の変な力説に捕まってしまっていて拒絶の笑みを浮かべながらひくひくとこめかみに青すじを浮かべている。
カガリとマユは顔を真っ赤にして固まり、とそれぞれの反応を観察して いると、背後から声が聞こえてきた。
 
 「ふ、ふしだらな……」
 
 顔いっぱいに嫌悪の色を浮かべて、ナタルが拳を握り締めた。
 
 「神聖な艦内で……貴方たちは何をしていらっしゃるのですか!」
 「まあまあ少佐。大人のやることではないか」
 
 すかさずにやけ顔のハルバートンが割って入った。負けじとナタルも反論する。
 
 「子供の前です!」
 
 まあ、その通りではあった。
 
 
 
 〝アメノミハシラ〟司令部の一室で、アズラエルは向かいの席に着いた長身の女性をちらと見てから、宛がわれた牛皮のソファーにゆったりと背を預けた。〝アークエンジェル〟に同乗してきたジブリールも同じようにして席に座る。
 長身の女性――この基地の総司令、ロンド・ミナ・サハクがおもむろに口を開いた。
 
 「……ギナが、死んだ」
 
 珍しく沈んだ様子の彼女が発したその言葉に、アズラエルは思わす眉をひそめた。
 
 「あのウズミですら、カガリの言葉に耳を傾け、理念を捨ててまで連合に下ったというのに――」
 
 ロンド・ギナ・サハク――ミナの双子の弟にして唯一の肉親。だが、アズラエルは知っていた。彼女ら姉弟の、本当の目的を。オーブ代表首長の座を得、やがては支配者階級による国民の統治世界――いわゆる貴族主義と呼ばれるその方針こそが、彼女たちの目指す世界の有り方なのだという。
それは、遥か昔に『コスモ・クルス教団』という宗教団体が掲げた理想国家であった。彼らの言葉を借りるならば、人の生命は魂の修練の場であり、神が争いを無くす力を人間に与えてくれるのだという。
マルキオという男は、かつてこの教団に所属していたが、やがて脱退し、自らが新たに作り出した教えこそが『SEED主義』である。『SEEDを持つ者こそが、争いを無くすために神に力を与えられた者』という言葉を掲げ、今の世においては多くの信望者を募っている強力な宗教団体。
だが、不確かなこともある。そもそも『SEEDを持つ者』とは、本当に実在するのだろうか? もしも実在するのなら、それをどうやって見抜くのか。彼自身は、どうやらラクス・クラインというアイドルを掲げていたようだが、アズラエルの耳には、それらを支援する組織から、彼女自身が捨てられたという情報が届いている。
だが、これにより『SEED主義』とは、何かの隠れ蓑でしかなかったのではないか、とアズラエルは考察した。『コスモ・クルス教団』というものも怪しいのだ。アズラエルはこの教団をよく知らない。
遥か昔、アメリカ大陸がインディアンの住む土地だったころからあったとも言われているし、コズミック・イラに入ってから誕生した新しい主義とも言われている。いわば、出所が一切わかっていないのだ。だと言うのに、その名を知るものは多く、歴史の教科書にも数行に渡って説明がなされている。
 そこまで考察し、それが無駄なものであったと心の中で一笑してから、アズラエルは本題を切り出した。
 
 「――あーモシモシ? アムロ君達が先ほど〝パナマ〟を奪還したそうでしてネ? さて、次は、このまま順当に行けば、さて、さて?」
 
 彼女の弟が、ジャンク屋と傭兵に討たれたというのは、アズラエルには興味の無いことであった。
 ミナはアズラエルの言い回しに一瞬眉をひそめたが、すぐに探るような目つきで「何が言いたい」と述べた。
 
 「貴女にその気があれば、このまま次の目的をオーブ、とする事も視野に入ります」
 
 ミナの表情が目に見えて引き締まる。ジブリールが驚きのあまり目をぱちくりとさせてから、さっと詰め寄り小声で「……盟主っ」と咎めの声を漏らしたが、アズラエルは見向きもせずにミナの言葉を待った。
 彼女の長い長い思考。時計の音だけが、静かに鳴り響く部屋。やがて、ミナは少しばかり疲れた顔になり、声を漏らした。
 
 「――見返りは……?」
 
 さて、どうしたものか。もはやオーブは連合の一員。マスドライバーなどは当然使う許可は下りる。モビルスーツの技術などは、既にアズラエル社はオーブの数十年先を進んでいるといっても過言ではない。
 
 「ま、それは追々という事で。僕らとしては、これからは仲良くやって行きたいものですからネ?」
 
 半分は嘘であったが、半分は本当である。そろそろ、データの収集も終わる頃だ。だから、戦争終結に向けて動き出しても良い頃だろう。後は〝ロゴス〟がどう動くか……。
 そしてアズラエルが今、心の片隅に止め、わずかな恐怖を抱いている事が――
 
 「あーそうそう、アスハ代表、彼女の事なんですが。好きな花とかはあるんですか?」
 
 真面目に言ったアズラエルの様子にミナは怪訝な顔になり、探るような目でアズラエルを一瞥し、ややあってから言った。
 
 「カサブランカ――百合の花が好きだと言っていた。カガリのパーソナルマークは、獅子と百合の花だ」
 
 ジブリールは訳のわからないと言った表情でアズラエルとミナの顔を行ったりきたりさせたが、アズラエルは彼女の言った言葉に、ぞっと寒気を覚えていた。
 何故なら――
 
 
 
 「〝ヴィクトリアス作戦〟と〝アフランシ計画〟?」
 
 〝アメノミハシラ〟で整備を受ける〝クサナギ〟の艦橋《ブリッジ》で、カガリが素っ頓狂な声を上げた。すかさずミナが胸元を掴みぐっと引き寄せ、「声が大きい」と小声で怒鳴った。遊びに来ていたフレイとミリアリアが興味を持ち、ひょいと顔を覗かせる。
 
 「なんなんです?」
 「ビクトリアスって勝利? アフランシって?」
 「ラテン語じゃないの? フランクって確か、自由とか勇敢とか言う意味だったと思うけど……あれ、違ってる?」
 
 フレイはそう言って考え込んだが、カガリ自身も今聞かされたのだから答えようが無い。ミナが怒りを抑えるように拳を握り、深くため息を吐く。そんなに聞かれるのが嫌ならここで言わなければいいのになあとカガリは自分のことを棚にあげ、呆れた。
 
 「良い。場所を移そう」
 
 真っ黒なマントをばっと翻し、彼女は艦橋《ブリッジ》を後にすると、カガリは背後から聞こえてくる友人の「カガリのケチー」「カガリさんのケチー」という小言を無視しながら後を追った。
 カガリの私室に二人は入り、ナタルから貰ったうまい棒とキットカットの一つや二つご馳走してやろうかと思っていたカガリだったが、ミナの口から告げられていく言葉の意味を理解していくにつれ、そのような戯れた気持ちは吹き飛んでいた。
 ミナが紙に書かれた二枚の図面を見せ付けるようにして手渡し、飛び込んできた内容に、カガリはまた目を見開いた。
 カガリは、決してモビルスーツに詳しいわけではない。それでも、〝アークエンジェル〟で戦っているうちに、自然と基本的な構造は覚えることができた。そうしなければ生き延びることはできなかったし、あの口うるさいフレイと一緒なのだ、嫌でも覚える。
だからこそ、わかる。この図面に記された二機のマシンの異様さが。現存するモビルスーツは、その全てがモノコック構造を基本としている。これは、フレームとボディを一体に作り、車や戦闘機にも採用されている。
モノコック構造の特徴は、組み合わさっているパーツ全体で強度を保持することであり、例えるならば卵の殻である。殻そのものの強度は弱いが、全体で力を分担して受け止める構造なのだ。
つまり、モビルスーツは装甲がそのまま骨格の位置づけになっており、現在の主流となる技術。だが、デメリットもある。骨格を外部側にとっているので。各関節稼動部の稼動範囲や強度に制約が生まれるのだ。これについては、フレイが頻繁に小言を漏らしていたので良く覚えている。
 
 だが、この〝ヴィクトリアス〟と記されているモビルスーツは、違った。デザインで言うならば、〝ストライク〟や〝ジン〟、〝フリーダム〟、M1〝アストレイ〟のどれとも似つかない細身の躯体にスラスターを搭載した大きめ肩。
昆虫のように三つに割れた特徴的な足と、一見ひ弱そうな外見をしていたが、甲冑で口元を覆っているような頭部は〝ダガー〟の様なゴーグルタイプの目が採用されており、V字のアンテナも額に備わっている。
従来のモビルスーツとは、今まで築き上げてきたノウハウとはまったく違う、ゼロから作られたモビルスーツ。この〝ヴィクトリアス〟は、人間でいう骨格と同じように、装甲の支持無しで躯体を支えるフレームが存在している。
〝ムーバブルフレーム〟と走り書きされたそれや、同じように〝全天周囲モニター〟(これはどうやら〝ルージュ〟に採用されているらしいが)や〝リニアシート〟、〝可変速ビームライフル〟、〝アームレイカー〟、〝マルチプル・コントラクション・アーマー〟などと書かれていたが、詳しくはわからなかった。
 だが、その異様さを遥かに凌駕する機体が、〝アフランシ〟と記された図面にあった。既にモビルスーツと呼んで良いのかもわからないほどの巨体には、己の身の丈ほどありそうな翼のようなものが二対、背中から左右へと広がっており、
翼には十機ものビーム砲台――恐らくこれは〝ドラグーン〟だろう――が羽根のように収まっている。その翼には、所狭しとバーニアが埋め込まれており、それだけでこの機体の爆発的な加速力を想像するのは容易である。
前掛けのように足全体を覆うフロントスカートアーマーに、猛禽類の爪を思わせる脚部、巨大な尾、悪魔の様な鋭い両腕。鷹か、竜とも取れる特徴的な鋭く伸びた頭部は、ザフトの機体に良く似た単眼《モノアイ》が採用されていた。
 これは、本当にモビルスーツなのか? 人の形すらしていないこのマシンは……。
 カガリが一通り読み終えると、ミナはさっと図面を取り上げ、懐に仕舞い込む。
 
 「簡単な図面を頂戴しただけだが、大西洋連邦はこの二機を独自に開発したのだそうだ」
 
 ごくりと生唾を飲み込もうとしたが、唾が乾いていて叶わなかった。アズラエルがどこまでも強気であった理由が今わかった。
絶対的な勝利を確信しているからこそ、こうしてオーブにも友好的な振る舞いを見せるし、もしかしたら先の戦闘も〝ヴィクトリアス〟と〝アフランシ〟のデータ収集に近いものなのかもしれないという疑念さえ沸いてきた。
 
 「それを見せて、私にどうしろと言うんだ?」
 
 カガリが問うと、ミナは疲れたように苦笑をもらす。
 
 「アズラエルはオーブ奪還に協力を申し出てきた」
 「なっ――」
 
 とくんと心臓の鼓動が高鳴った。オーブを、取り戻せる……?
 
 「だが、恐らく機体のテストをしたいだけなのだと私は睨んでいる。それでもやるか?」
 
 ここに来て、アズラエルの打算的な部分を垣間見た気がしたが、それでも、とカガリは言い続ける決心をしている。
 
 「それがオーブに住む人々の為になるのなら……」
 
 ミナは興味深げに「ふ、ん?」と鼻を鳴らし、品定めするような目でカガリを見る。彼女は続ける。
 
 「だからさ、理念なんてのは、後百年とか二百年とかすれば勝手にまた出来てくる。でも死んだ人はそれっきり、会うことはできないんだ。だったら――」
 
 カガリの言葉をミナが片手で制し、「ご立派です」と微笑を浮かべた。
 
 
 
 淡いグレイの巨艦が波を切り裂き、ひとつの島に近づきつつあった。整然と伸びる桟橋を抜け、巨艦はしずしずと港の奥に侵入する。その先には大きく口を開いたゲートが見え、巨艦はその手前でゆっくりと回頭した。ゲートの内部は広々としたドックになっており、巨艦の受け入れを知らせるアナウンスが流れ、作業員が慌しく動き回る。
 昇降用のハッチが開かれると、、出迎えらしき一団に気づき、タリアは厳しく顔を引き締めた。彼女とアーサーは、イザークに続いてタラップを降りる。数人の兵士に囲まれた仮面の男が、静かに微笑んだ。
 
 「オーブ基地司令のラウ・ル・クルーゼだ。長旅でさぞお疲れだろう、今日はこちらに任せてゆっくり休むと良い――ネオ・ロアノークもこちらで預かろう」
 
 『仮面の男』ラウ・ル・クルーゼ。ギルバートが新議長となってから、再びその名を聞く日が多くなってきた。『白き鷹』、『ザフトの白い悪魔』など、新たな呼び名も多い彼こそが、現在のオーブをまとめている男だ。連合の部隊が脱出してすぐさま全面降伏を挙げたウナト・ロマ・セイランという男の手腕は大したものだと言えるだろうが、あのクルーゼが間をいれず受け入れたのは意外なことである。冷酷無比な彼が、何故? 同時にあの少年のことを思い、胸がちくりと痛んだ。
 クルーゼが不意に視線を上げ、灰色の船体に視線をやる。
 
 「良い艦だ」
 
 タリアははっとして敬礼し、名乗った。
 
 「〝ミネルバ〟艦長、タリア・グラディスです」
 「同じく、副長のアーサー・トラインであります」
 「堅苦しいことは抜きにしてくれたまえ。――知った者もいるのだ」
 
 クルーゼは仮面越しからイザークらを流し見、「立派になったものだ」と苦笑した。
 
 
 
 「いやー、『仮面の男』なんて言われてるけど、良い人じゃないですかーっ」
 
 艦内に戻りながらアーサーは心底安心して声を漏らし、タリアがやれやれと彼を見やる。
 
 「来て早々司令官殿自らのお出迎えに労いの言葉! 艦の整備は全部受け持ってくれるって言ってましたし、休暇だって!」
 
 仮面をつけている理由だって、きっとたぶん、シャイなんだとすら思えてきそうなほど第一印象はばっちりだった。
マーレ、リーカ、コートニーら三人は既にそれぞれの隊の元へ向かった為、もう〝ミネルバ〟にはいないのだ。が、そんな寂しさはとうに吹き飛んでしまった。タリアのこめかみがぴくぴくと青筋を浮かべ出し、隊長代行のイザークがふむとつぶやいた。
 
 「我々にはアイドル二人の慰問ライブを護衛するという任務もあるから、しばらくは羽を伸ばしても構わないと思う」
 
 彼の言葉に思わず口元にやけてしまい、タリアの咎めるような視線に晒され口を噤んだが、イザークは苦笑しながら「もちろん副長も」と付け足してくれたので胸を張ってにやけることができた。
 
 「ジュール隊長代行は?」
 
 タリアが聞くと、イザークは振り向きざま、にっと口元を軽く歪め、「代行を辞めに行って来る」と告げた。
 
 
 
 あのアスランが出迎えにすら来ないのは妙だと思いながら、イザークは彼の居場所をようやく突き止め、オノゴロ島のモビルスーツデッキへと足を進めた。いつもイザークの補佐をしてくれているシホには〝ミネルバ〟を任せてきたので、今回代わりに同行しているニコルが彼の少し後ろを遅れないように進む。
 
 「アスラン、どうしたんでしょうか。僕たちが到着することは知っているはずですが」
 
 イザークの疑問と同じことを口にしたニコルに「そうだな」と返し、二人は更に足を進め、開けた空間へとたどり着いた。既に〝ジン〟や〝ゲイツ〟がメンテナンスベッドに寝かされ、各々の整備員が修理や改修に取り掛かっている中、鋼色にPS装甲を落とした〝ジャスティス〟のコクピットハッチが開いているのを見、タラップ辿りコクピットを覗き込んだ。
 
 「……何をしている」
 
 背中を向け、ごそごそと機材を弄る見慣れた背中に向け、イザークはぶっきらぼうに声をかけた。ニコルがひょこりと顔を覗かせると、青年は目をぱちくりと瞬かせて振り向いた。
 
 「イザーク!? ニコルも……どうしてここに!?」
 「僕たち今日入港したんですよ。連絡行ってませんでしたか?」
 
 ニコルが申し訳なさそうに言うと、アスランはくしゃくしゃになった髪の毛を掻き揚げ、「そぉぉ……だっけ……?」と眉をしかめる。
 
 「まったく、ラクス・クラインも来ているんだぞ、貴様」
 「そ、そりゃ、そうだろうけど。――今何時だ?」
 
 やけにぼーっとしている友人の態度に不信を抱き顔を覗き見、アスランの目の下に濃い隈に気づいた。
 
 「……どうした?」
 
 問われたアスランは指先で鼻筋をぐっと抑えながら答える。
 
 「サブパイロットシートを作ってた。――〝ミネルバ〟の入港は九月の六日じゃなかったのか?」
 
 ああ、こいつは……。まったく、何やってるんだか。
 
 「今日が六日だ。一目くらい会いに行ってやれ」
 
 まったく、こいつはこういうところがあるからなと思いながら、未だ覚醒しきってない様子のアスランの背をぽんと叩いた。この様子では、整備兵に頼ろうなどとは微塵も思わなかったのだろう。
 
 「コクピットの改良とかなら、僕も手伝いますよ」
 「だが、これは俺の我侭でしかないんだ」
 「で、でも……」
 
 何とか食い下がろうとするニコルの言葉を片手で制し、イザークが言う。
 
 「だからさ、俺たちがその我侭に付き合ってやると言ってるんだ。それに、これが『白い悪魔』の打倒に繋がるかもしれないというのなら、ディアッカやラスティにも参加させる。無理やりにでもな」
 
  こいつは、決して無駄な事をする男ではない。少しでもやつに対抗できる手段が欲しいのは確かだ。
 
 「……すまない」
 
 アスランが少しばかり視線を落とし、〝ミネルバ〟へ続く通路へ向かい始めた。
 
 
 
 それは、唐突に起こった。人の体とは不自由なもので、どれだけそれに精通しようとも、鍛錬を怠ってしまえば、すぐに肉体は衰え、元の何も出来ない体へと戻ろうとするものである。勿論、それはコーディネイターといえど例外ではない。
 ラクス・クラインは、捕虜になってからの半年間、そして今日までずっと、歌を歌っていない。その鍛錬もしていなかった。無意識のうちに避けていたのかもしれない。それでも、ラクスはもうじきこのオーブで歌を歌わねばならないのだから、憂鬱ではあったが、勘を今からでも取り戻さなくてはならないと考え――
 わずかに、混乱していた。何故――? 普通に話すことだってできる。さっきだって、アスランが目に隈を作り酷い顔をしてやってきて、不自由していないかだとか、辛いことがあったらいつでも言ってくれとか、そんな事を言ってくれたのは、少し、嬉しかった。
それでも、フレイとは違い、どこか一歩を踏み出せない互いの距離。アスランという少年は、ラクスの孤独を知り、推察し、その真実に辿り着けるだけの聡明さを持ってはいたものの、女の嘘を見抜けない愚鈍さも持ち合わせているのだろう。
それが男という生き物であることに気づけない自分は、エゴの塊である事に、彼女は気づかない。
 何故今、歌おうとして、声が出ない――。
 もう一度、深く呼吸し、息を整え、前を見て――そこで、止まった。言葉が、歌が、何もかもが。
 嫌な汗が全身から溢れ出、思わずハロを探したが、今しがたアスランに貸したのを思い出し、そのまま座りこんだ。〝プラント〟を出港してから禄に寝ていない。寝ようと思っても、ベッドに横になっても、寝付く事ができないでいる。
食事もそうだ、空腹を感じているような気はするのだが、口元に運ぶ気は起きず、栄養ドリンクを少し飲む程度で過ごしてきた。それで、こうもなってしまうものなのだろうか……。
 何度も、何度も歌おうとした。そこまで出かかった呼吸が喉元で止まり、声帯が動かず、それだけである。
 慰問ライブ、その日は近い。歌が、歌えない。父の罪、自分の罪。捨てられた自分。孤立。拒絶。嫌悪。いくつもの感情が渦巻き、恐怖と不安から呼吸も荒くなり、震え出した体を無理やり押さえ込むようにして小さくうずくまる。
 ふいに、来客を告げるアラームが鳴り、遠慮しがちに一人の少女が入りにこりと元気な笑顔を向けた。
 
 「あ、あの、お邪魔でした? ミーアですけど、ライブの事でご挨拶にと――!」
 
 その輝かしい姿が、癪にさわったが、辛うじて表情には出さずにすみ、ラクスは力なく微笑んだ。
 
 「ありがとう、ミーアさん。――歌、お好きなのですね」
 
 言ってから、最後の一言は余計であったと気づく。妬みの感情が、そう言わせてしまったのかもしれないから。だが、ミーアは気にした様子も無く、にこやかに言った。
 
 「はい! だって、ずっと夢見て、練習して、好きでここにいるんですから! それに――」
 
 一度彼女は言葉を区切り、わずかに申し訳無さそうな顔になってから、続けた。
 
 「ええと、怒らないで聞いて欲しいんですけど、あたしの声ってラクス様に似てるみたいで、それで、その……ラクス様が捕虜になってた時に、偉い人達に声をかけてもらって……」
 
 それは本気で歌を愛する彼女にとって屈辱的な事であったのかもしれないとラクスは思考したが、その考えに至ってしまった事が己の歪みであるとは気づかなかった。ミーアが続ける。
 
 「でも、そしたらデュランダル所長が――あ、すみません、今は議長でしたね! 議長が、言ってくれたんです。『君の歌は、君だけのものだ。だから君は、君の歌を歌いなさい』って! あたし、それが嬉しくって、だからやっぱり歌って楽しいなって思うんです! ずっと憧れだったラクス様ともこうしてお話できて、一緒に歌えるかもしれないなんて、本当に夢みたい……!」
 
 目の前の少女は、どこまでも純粋であった。それでいて高潔で、美しい。魂の形が、彼女をそう映していたのかもしれない。そこに、ラクスとミーアの絶対的な違いがあった。
 ミーアの歌は、彼女の夢であり、目標であり、そこにいることに彼女は命をかけ、だから輝いて見えるのだろう。が、ラクスは違った。彼女の歌は手段であり、平和の祈りであったり、人々の癒しであったり――。取り組む姿勢、心構え、全てに大きな差があった。ミーアはそこを目指し、勝ち取り、ここにいる。
ラクスは与えられ、その通りに行動し、ここにいるだけだ。そこに自分の意思などありはしなく、人々がはやし立てた、正しく、美しく、気高い救国の歌姫などと言う偶像。
 
 「……すみません、少し具合が悪くて」
 
 ミーアという少女の輝きに苛立ちを覚えてしまった自分の醜さにも戦慄し、ラクスは全てに背を向けた。
 振り返る気など起きなかった。ただ、どこか遠くへ行ってしまいたくて。
 何の因果か、神の悪戯か、誰にも会うことなく〝ミネルバ〟のタラップを駆け下り、そのまま施設の出口を警護する者がうたたねをしている不手際に感謝しながら、それが幸運なのか不幸の始まりかすらもわからず、ラクスは逃げ出した。
 激しい後悔の念と、自分を罵倒する自身の声が聞こえる。逃げてどうなるのと、いなくなったと思っていた後ろの少女が泣いて請う。人は誰もが皆思い通りになんて生きていない、それでも、現実と戦って、そうして何とか生きているのに、あなたのそれはただの現実逃避よ、と。
 しかし、とラクスは思う。誰かが頑張っているからお前も頑張れと、そう言う物言いは、他者のエゴを押し付けているだけに過ぎない。人がなんて関係無い、そうやって人の心を理解しようと、人の為にと頑張り続けた結果が、今では無いのか。ずっと世界の為にと自分を捧げ、そうして捨てられて、何を信じろと……。
 悔しくて、涙が溢れてきた。
 誰も助けてくれない。人は他者を気遣う余裕は無い、みんな自分の事に精一杯。彼らに助けを請うのは甘えかもしれないと思った時、既にラクスの心は折れていたのかもしれない。
 どれほど、走っただろうか。
 どれくらい時間がたっただろうか。
 走り、疲れ、それでも逃げ続け、行く当ても無く、記憶も曖昧であった。しかし、一つだけ覚えている。
 薄暗くなってきた空の下、彼女がタクシーを拾えたのは幸運であった。ポケットには財布が入っていたのもそうだ。だから、彼女は焦燥したまま、自然と口走ってしまった。あの場所を。
 距離は決して近くなく、揺られること数時間。もう辺りは真っ暗になっていた。
 運転手にお金を払い、相手が自分の事を気づいていたのかを探る気も起きず、ラクスはそのままタクシーから降り、人気の無い丘を登り、ようやく辿り着いた。
 古びた、屋敷が、この戦禍の中無傷であったのは、それもまた奇跡の一つ。
 親友から貰った合鍵を使って、その扉を開ける。指先が、わずかに震えた。
 逃げてきてしまった。全てを捨てて、ここに……。
 中に入ると、あの頃の記憶を甦らせるかのように、懐かしい匂いと景色がいっぱいに広がる。センサーが反応し、自動で部屋の明かりが灯される。その全てが、おかえりと言ってくれているような気がして、思わず涙が出てきた。
 不思議と、お腹も減ってきた。眠気にも襲われる。お風呂にも入りたい。ああ、やりたい事がいっぱいある。
 その日、ラクスは久々に――本当に久々に、自分で作った料理を残さず食べ、たっぷりとお湯を溢れさせた大きなお風呂にぷかりと体を浮かべ、大の字になって天井を見つめ、体の芯から温まり、あの日三人で寝た大きなベッドに一人で潜り込み、懐かしい匂いを鼻腔いっぱいに吸い込み、自分の母とはどういう人だったのだろうと思考し、そのままぐっすり深い眠りへと落ちていった。
 明日の事は、明日考えよう。
 それで、良いんだ、きっと……。
 
 
 
 〝ミネルバ〟入港から三日が立ち、正式にザラ隊として機能し始めてから、オーブ入港のもう一つの目的であるラクスとミーアの慰問ライブに向けて少しずつ慌しくなり始めた頃、行方不明になったラクス・クライン捜索の件でアスランは思考を巡らせていた。もう、いなくなってから三日がたつ。
 直前まで一緒にいたというミーアが言うには、彼女は少し具合が悪いと言って席を外し、それっきりであったという。
 傍らにいたラスティが呆れたように言う。
 
 「お前さー、婚約者だろ」
 「一応、ね……。公的には、犯罪者の息子と娘さ」
 「馬鹿、殴るぞ」
 
 ラクスは、半年ほどの間、ずっと連合の艦にいたのだ。フレイ・アルスターを親友だと言っていた。彼女の事を語るラクスは、二人の間に築かれた信頼関係を窺わせる無防備な表情だ。
自分にとってラクスは、愛らしく純真で、いつまでもとらえどころのない不思議な人だった。だがそれも、意図してか無意識にか、彼女が自分の周りに見えないヴェールを張り巡らせていたためなのではないかと今は思う
。彼女の力になりたいと言ったのは事実だ。間違いなく本心から出た言葉。しかし、同時にアスランはある事も感じていた。俺は、彼女に拒絶されている、と。彼女の見えない壁を初めて取り除いたのが、あの薔薇の様な髪をした少女。
いや、ひょっとしたら逆なのかもしれない。〝イージス〟で『足つき』を追い詰めたあの時、あの場所にいた、あの髪の色とラクスの姿を覚えている。そして、アスラン達が撃沈した艦には、あの少女の実の父親が乗っていた――。
 では、最初に無防備な姿をさらけ出したのは――。
 ラクスは、その弱さを垣間見、そうして自分から近づくことができた……?
 どちらにしても、と自分の中でそこまで考えたことを横に置き、うつむいた。
 
 「俺は……馬鹿だからさ……」
 
 アスランもまた、疲れていたのだ。父を人質に取られ、戦いを強いられているのはラクスだけではない。助けて欲しいのは、慰めて欲しいのは、アスランもまた同じであるのだから。
 
 「……知ってるよ、そんなもん。俺ら何年一緒だって思ってんの」
 
 ラスティが真面目な顔で、それでもどこか悲しげに言った。彼が続ける。
 
 「たぶん俺、姫さんのいる場所わかるぜ……?」
 
 逃げ出したその先。いくつかの目撃証言はあったが、本当は調べるまでも無かった。
 
 「俺だって、わかるさ……それくらい」
 
 この島にアスランの仇敵の少女の家がある事は、この三日の間で調べがついていた。丁度ラクスが逃げ出したその日の夜、一台のタクシーがそこに向かった事も。
 そこで、アスランは捜査を中止させていた。
 今無理やり連れ戻してどうなる、嫌がる彼女にまた歌う事を強いるというのか……?
 そんな選択肢は、アスランには無かった。
 
 「護衛くらいは必要じゃない?」
 
 ラスティがおもむろに言う。しかし、俺達の中から誰が彼女を……。そんなアスランの思考は、旧知の親友には読まれていたようで、彼は苦笑を浮かべて言った。
 
 「ま、新入りに行かせるさ」
 
 と。
 
 
 
 〝アメノミハシラ〟の司令部に呼び出されたナタルは、マリュー、ハルバートンと共に席に座り、眼前のアズラエルに視線を向けた。
 
 「独立部隊と、おっしゃいましたか――?」
 「ええ。ラミアス少佐とバジルール少佐は、僕直属の第八一独立機動軍として働いてもらう事にしました」
 
 アズラエルが言うには、軍という柵から脱却することで、より素早く迅速な対応を行うために、独自の判断と決定権を持つ部隊とのことだが、ナタルにはどうも裏があるように思えて仕方が無い。『なりました』ではなく、『しました』と言った事にもだ。
 
 「艦隊指揮は僕が、モビルスーツ隊隊長にはアムロ君を呼んでますから。ま、気楽にいってくださイ」
 
 この男は、どこまでも……。ナタルの疑念とは裏腹に、ハルバートンはふむと考え、告げる。
 
 「ふん、面白いことを考える。ならば部隊名は〝ロンド・ベル〟にでもするつもりか?」
 「いーえ。〝ファントムペイン〟で行こうと思いまス」
 
 ファントムペイン――怪我や病気によって体の一部を切断した後、あるはずもない肉体が痛む症状のことだ。幻肢痛と呼ばれるその名を、部隊の名前に――?
 ハルバートンが眉をしかめると、アズラエルは「僕としては」と前置き続ける。
 
 「本来の意味よりも――『亡霊の痛み』」
 
 どちらにしても、ナタルには意味がわからなかったが、ハルバートンには通じたようで、「嫌味な男だ」とだけ彼が言うと、アズラエルは楽しそうに含んだ笑みを浮かべた。
 
 「本格的な結成は、今より二週間後の、九月二十二日です。それまでは、この〝アメノミハシラ〟で待機。結成後は、地上の連合軍とオーブ軍と合流し、オーブ奪還作戦を決行しまス」
 
 会談が終わり部屋を後にしたマリューが立ち止まり、不安げな顔をハルバートンに向けた。
 
 「〝ファントムペイン〟――アズラエル理事は信用のできる方なのでしょうか?」
 「私は反対です。あの男の私兵など、危険すぎます!」
 
 二人の言葉を顔の皮一枚で受け止め、ハルバートンは無表情で返す。
 
 「そんな男では無いよ、奴は」
 「ブルーコスモスの盟主が、たった数ヶ月で善人にでもなったとおっしゃるのですか!?」
 
 地球連合を私物化しているような者になど……。ナタルは負けじと反論したが、ハルバートンは短く首を振って答えた。
 
 「戦争をしているのだ。――人の未来を信じる悪人がいても、私は良いと思っている」
 
 未来を信じている……? あの男が? どこか納得した様子のマリューとは裏腹に、ナタルはアズラエルを信じきることなど、到底できそうにはなかった。
 
 
 
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