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Last-modified: 2012-11-01 (木) 01:24:37

 ――月面基地ダイダロス
 一人の将官が、コツコツと足早に通路を進み、司令室の前で足を止めた。男は緊張した様子で服のずれを直し、一度制帽を取り髪の生えていない頭頂に滲む汗を指先でぬぐった。生唾をごくりと飲み干し、男は扉を開けた。
 
 「ジェラード・ガルシア少将、入ります!」
 
 声が少し裏返ったのを除けば、満点であろう敬礼をし、さっと直立の姿勢へと戻した。
 
 「ん、ご苦労だったガルシア君」
 
 距離を置いたデスクにゆったりと佇むビラード准将が軽く敬礼で返すと、少しばかり場の空気が和らいだような気がした。
 階級だけでならば、ガルシアの方が上官ではあるのだが、〝グリマルディ戦線〟の上官であるビラード中将であった彼なのだから、ガルシアはこういう姿勢を示さねばならないと思っている。ユーラシアの為に、祖国の為にと忠を尽くす彼の姿は、ガルシアだけでなく全ユーラシア将兵にとって敬愛するに足る存在である。
葉巻とジョークをこよなく愛する彼の下につけたものは、皆幸せだと言っているし、事実、ガルシア自身、『あの事件』に遭遇するまでは、そう思っていたのだ。
 コーディネイターなどはいくら死んでも良いとは思っている。大西洋連邦の連中など、信用できるわけが無い。優先すべきは我らが母国、ユーラシア連邦。だが、それでも――罪も無い少年少女を殺戮兵器に仕立て上げるこの上官を、恐ろしいと感じてしまう。
 国の為、祖国の為……。
 ガルシアは、彼のその言葉を信じるしかなかった。
 例え、彼がここで何者からか指示を受け、〝レクイエム〟などと言う大量殺戮兵器を建造しているのだとしても――それすらも隠れ蓑にしているのだとしても……。
 
 
 
 
PHASE-30 友と君と戦場で。
 
 
 
 
 ――九月十日
 やれやれ、とレイ・ザ・バレルは目的地に辿り着き、その屋敷の玄関前の階段に腰を下ろした。呼び鈴は鳴らした、戸も叩いた、が、応答は無い。生きているらしい監視カメラがレイをじっと見つめる。彼は今日の事を思い返していた。
 本来なら、ルナマリアがここに来る予定であった。女同士であるから、ラクスも気が許せるだろうとアスランがそう判断したのだが、ラスティ、ディアッカ、アイザックの隊内で素行の悪い三人組から、珍しく待ったがかかる。曰く、ルナマリアはまだ腕が未熟であるから、モビルスーツの訓練を優先すべきである、との事だ。 
最もらしい理由にアスランは頷き、何人かの候補から――ヒルダ・ハーケンが熱望したそうだったが――その白羽の矢がレイに立てられたのは不幸な事である。
 だが、向かう直前にディアッカから告げられた本当の理由を聞き、レイは気持ちを改めた。
 
 『ルナマリア・ホークねぇ……。あのコさ、ちょっとミーハーじゃない? そういうの、キツイと思うんだよねぇ。ま、お前なら大丈夫でしょ、たぶんさ』
 
 口調は軽いが、彼はきちんとそれぞれの人材を見て、そう判断したのだ。だからレイは彼を疑うつもりは無かった。しかし、気が重いのは事実である。かれこれここに到着して丸三時間、待ちぼうけであるのだから。
 最初の三十分は、見事な居留守であった。気配を消し、無人を装う。
 が、すぐにそれは痺れを切らし、玄関のドア越しから誰かが覗き見るような気配を察し、それが素人のものだとわかれば誰であるかは明白である。
 一時間が経ち、二時間が経ち、時刻が午後一時を指した頃、それは起こった。嫌味なのか、暗に帰れと言っているのか、レイがそこにいるにもかかわらず、キッチンの換気扇らしい位置から炒め物の音や、トマトソースの酸味の効いた香りが漂ってきたのだから。
 根競べにすらなっていない。
 それにこれだけ大きな屋敷だ、蓄えは十分にあるのだろうし、水や電気も通っている。街の復旧は完全では無いのに、である。ならば、この屋敷には、自家発電や貯水施設が内臓されているのだとはすぐに思い当たった。ひょっとして家庭菜園なんてのもあるのか? と考えたが、その思考はすぐに捨てた。
 妙な違和感を感じていたからである。今はそちらに気を取られていた。
 レイは、ここに来たことがあるような、そんな気がしてならない。
 
 「デジャブか……?」
 
 そう一人ごちても答える者などおらず、時刻が午後二時半を回り、流石に空腹を感じて来た丁度その頃、草葉の陰がこそこそと動き、そこからサングラスをかけ帽子をふかぶかと被った、何かを勘違いした変装姿のアイザックがちらちらと周囲を警戒しながら姿を現した。
 
 「――先輩? どうしたんです」
 
 小声で尋ねると、アイザックがそろりと近づき、カロリーメイトを初めとするバランス健康食品が大量に詰め込まれた買い物袋をそのまま手渡し、「頑張ってっ」と小声で元気付け、そのままそそくさと去って行った。
 その背中を呆れて見つめ、思った。結局、みんな彼女の事を心配しているのだ。それに気づこうとしないのは、彼女の罪だ。すぐ隣をちゃんと見れば、皆が彼女の事を心配しているのだというのに……。
 ふと、〝ミネルバ〟が入港した時に出会ったこの隊の新しい隊長――本来の、と言うべきだろうが――に言われた事を思い出す。
 記憶の中のアスランが言う。
 
 『イザークからの報告は読んだよ。俺たちには無い特別な力を持っているらしいと、な』
 『特別、ですか……』
 
 それは時折感じる妙な感覚のことなのだろうか。だがそれを特別なものだと、レイは思ったことが無かった。
 
 『ああ。連合では『ガンバレル適性』とか言っているみたいだけど。だから、レイ・ザ・バレル――』
 
 アスランがさっと向き直り、真面目な声色になって言う。レイは思わず居住まいをただし、直立した。
 
 『今すぐにとは言わない。だが、もしも俺たちの中から、アムロ・レイを倒すものが現れるのだとしたら、それは君だと俺は思っている』
 
 あの『白い悪魔』を、俺が……倒す……? しばらく何を言われているのかわからず呆気に取られていたレイであったが、ようやくその言葉の意味を理解し、慌てて『は……ハッ!』と敬礼した。するとアスランは快活に笑い、レイの胸板をこんと叩いた。
 
 『そう硬くなるな。お前の持てるありのままの力を引き出せれば、〝インパルス〟は必ずそれに答えてくれる』
 
 アスランの言う言葉の意味、なんとなくわかる気がした。あの機体は他の機体とは少し違う。レイの意思に反応して、力を与えてくれるマシンなのだ。それに、ここまで真正面から馬鹿正直に他人に褒められた事なんて無かったのだから、一連の会話だけでレイはアスランに懐柔されてしまったのかもしれない。
 そう考えてしまう自分もまた面白く、やれやれと苦笑を浮かべてごそごそと袋を漁り、フルーツ味のカロリーメイトの封に手をかけ、開ける。ぱくと長方形のクッキーを口に運び、ほのかな甘味を堪能する。わずかに心の内が暖かくなったレイであったが、どこにも飲み物が入ってない事に気づき、先輩の不手際を呪った。
 
 
 
 〝アメノミハシラ〟の格納庫《ハンガー》で、マードック、ハマナ、ブライアンが端っこの方で何やらこそこそと如何わしい素振りを見せていたが、キラは大して気にも止めずに、無重力を機嫌良く飛ぶフレイを見つけ、きょとんと首をかしげた。
 何か良い事があったのだろうか。
 すると彼女もキラを見つけ、表情をぱっと綻ばせて身を翻し、そのまま格納庫《ハンガー》二階の手すりを蹴り、飛んだ。
 勢い良く突撃してきたフレイを何とか受け止めると、少女特有の甘い香りがキラの鼻腔いっぱいに広がり思わず赤面した。
 
 「ね、知ってる? 大尉って今さ、〝パナマ〟にいるんだって!」
 
 彼女が大尉と呼ぶのは彼しかいない。と言う事は――。
 
 「じゃあ、無事だったんだ!」
 「ふふ、当たり前じゃない、だってわたしの大尉なんだもん!」
 
 そう言うフレイは浮かれているようで、愛らしい笑みをいっぱいに浮かべていた。すると――
 
 「だーかーらぁー!! どうしてお前はそう口が、軽いんだよー!!」
 
 二階の手すりから身を乗り出したカガリが憤慨して、そのまま乱暴に飛んだ。彼女の横にいたミナがじろとカガリを睨み付け、「……カガリ」と呆れるようにしてつぶやいた。その様子から、彼女がフレイに言った事すらも本当はいけない事だったのかとわかってしまい、キラはミナに同情した。
 フレイがキラの腕をぎゅっと手繰り寄せ、影に隠れるようにする。彼女の薔薇の様な髪がなびいてキラの頬に触れ、その柔らかな感触はこの世の何よりも価値のあるものだと妙な確信を持ってしまった。
 
 「ええー! だって、キラだし、良いかなーって」
 「良くなーい! あのなあ! 色んなとこに配備されてる〝デュエル〟の殆どは大尉と同じパーソナルマークつけて、それで敵をかく乱するんだって言ったろ!? なのにそうやって簡単に漏らしてちゃ意味が無いんだって! もしそれで次の私達の目的がオーブだってばれたらどうするんだよ!? お前責任取れるのか!?」
 
 と大声でまくし立て、その場にいたマードックら含む整備班の面々が一斉にカガリに目を向けた。ついでに〝アークエンジェル〟から〝ドミニオン〟へ配属となった、ムラタ料理長――同じく〝ドミニオン〟隊所属となったステラが泣いて駄々をこねた結果らしい――も目を丸くして立ち尽くしている。
 優雅にミナが降り立ち、静かな怒りをカガリに向ける。カガリがあれっと首をかしげ周囲に目をやる。
 フレイが小さく、「あーあ」と呆れた様につぶやき、ミナの鋭い拳骨がカガリの頭頂部に真上から振り落とされた。
 
 
 
 ――九月十一日
 結局、野宿であったのはここについてから予測はしていた事だ。既に肌寒さを感じる季節になっていたが、別段苦ではない。が、水が無いのが辛い。
 それでもその夜は耐え凌ぎ、玄関の横――丁度カメラの死角になっていた――で目を覚ましたレイは、午前七時なのだと時計を見て確認する。
 しばらくすると玄関のドアがそっと開いた。そのまま息を殺しレイはじっと待つ。
 中から目的の少女が、桜色の髪をなびかせ、きょろきょろと辺りを見回し、ふーっと安堵の息をつき額の汗を拭い戻ろうとした所で、レイと目があった。
 一瞬少女が固まり、レイはその分早く動けた。彼女ははっとしてそのまま玄関の扉を閉め中に戻ろうと身を翻したが既に遅く、レイはその扉の間に足を挟みこみ閉まろうとしている扉を乱暴に押さえた。。
 
 「離して! 離してくださいー!」
 「落ち着いてください、俺は別に――」
 「嫌です知りません帰ってください! わたくしはここにはいませんからぁ!」
 
 どこにこんな力があるんだと思うほど彼女は力いっぱい扉を引いたが、挟み込まれたレイの足がそれを辛うじて妨害していた。同時に、本気で嫌がられてるとこうもなるのかという感想を持つ。
 
 「怒ってませんから、俺達は!」
 「嘘です、絶対に怒ってます、無理やり連れ戻しに来てそうやって人を騙して!」
 「騙してません、連れ戻しに来たわけでもありませんから!」
 
 ぎゅっと少女が目を細め、そのまま疑いの眼差しでレイを見据えていたが、ややあってようやく力をそっと弱め、そのままもう一度レイを睨み付けたままぷいと顔を背け中へと戻っていく。
 これは……入って良い、という事なのだろうか……。ともかくどちらにしても、このまま帰るという選択肢などありはせず、レイはそのまま一度深いため息をついて、彼女に続いた。
 まずはその広い玄関内部に驚いた。目の前に大階段と呼ぶべきものが広がり、そのまま登れば一階の玄関全体を見渡せるようになっている。エボニー製と思わしき手すりに、同じ木材の家具がいくつか並び、純金製らしい額縁にはどこかの湖の風景画が飾られていた。
だが、成金趣味のようには見えず、本当に必要な物しか買わないような、そういうけち臭さも垣間見えていた。
 そのまま右手側の扉を開け、奥へと進む彼女の後を追う。
 そこがリビングであると気づくと、彼女は不機嫌な様子を隠そうともせず――これは当て付けなのだろうが――レイ対策にと締め切られていたいくつかのレースのカーテンを開けていく。
 おもむろに彼女が言った。
 
 「――で、わたくしに何をしろと」
 
 そのぶっきらぼうな言い草にわずかに腹が立ったが、表情には出さないように努める。
 
 「……お一人では危険なので護衛にと――」
 「護衛ぃ?」
 
 間違い無く事実を言ったはずであるが、彼女は今まで見せたことも無いくらい醜く顔を歪ませ、嘲笑した。
 
 「監視の間違いなのでは? 生かさず殺さず、父のように閉じ込めておきたいのでしょう?」
 
 この女……。彼女は続ける。
 
 「〝プラント〟のアイドルで、期待を一身に集めて、それはそれは大切な御身柄でしょうね? わたくしという命のカード、いつ切るのでしょう。そうやって人を騙して、利用して――」
 「それは違います。隊長は貴女の事を第一に考えて――」
 「じゃあ何で本人が来ないんです!?」
 
 目の前の少女がぎりと奥歯を噛み、声を荒げた。が、レイは冷ややかにそれを見つめていた。どうせ来たら来たで、別の文句が出てくるのだろう、と。我侭な女だ。それに、レイは知っている。あの若き隊長は、決して薄情な男では無いのだという事を。
面と向かってああまで言えるのだ、あれはむしろ甘すぎる部類だろう。だから、彼の為に、レイは慎重に言葉を選んだ。
 
 「隊長は、自分が貴女に会うことで貴女を傷つけてしまうのでは、とお考えです」
 
 少女の瞳がぴくりと反応する。レイは続けた。
 
 「ですから、隊長が御自分で来るより、俺の様な者がこうした方が、貴女の気が休まるのだと――」
 「……どうだかっ。ああ言うお人ですからね? 押しに弱い、軟弱者で。もうわたくし以外の女の一人や二人いるのでは――?」
 
 そう言った彼女の指先がわずかに震えていたから、レイはそれが彼女流の強がりなのだと見抜いていた。心にも無いことを言っているのだろう。だが、レイはその言い様に無性に腹が立ち、言ってしまった。
 
 「……誤解の無いように言っておきますが、俺は貴女に何も感じていない。歌を聴いた事はありますが、俺の心には響かなかった。貴女程度の容姿の女など〝プラント〟には捨てるほどいます。俺は貴女に忠誠など誓ってはいないし、崇拝もしていない。今俺の目の前にいるのは、ただの、我侭な、女です」
 
 が、すぐに後悔し、レイはそのまま彼女から飛んだ平手打ちを避けずにそのまま受けた。ぴしゃりと音を立て、わずかに打たれた左頬が熱くなる。目の前の少女は顔を真っ赤にして唇を噛み締め、震えていた。
 言ってしまった、という自己嫌悪に陥りながら、
 
 「すみません、言い過ぎました」
 
 と謝罪の言葉を述べたが、恐らく彼女にはそれすらも皮肉に聞こえているのだろう。
 
 「俺は護衛としてここにいます。もう何も言いませんから、いないものと思って扱ってください」
 
 もうやめよう、ここで彼女を言い負かしたとしても何の意味も無い。それは即ち自己を満足させるだけの、無意味な行為だ。
 ただただ、レイは虚しかった。
 だが、彼女の反撃はそこからであった。
 例えば、夕食が自分の分だけ無く、目の前でこれ見よがしに、などは想定していた事だ。しかしすぐにそれは浅はかな予測だったのだと思い知らされた。
 時刻は午後六時半。夕食の前に彼女は風呂に入ったようだが、特筆すべき点は何も無い。問題なのは、その後だ。
 リビングのソファーに座るレイは、ただ人形のように、彼女の行動の邪魔にならないよう努めていたが、それはやってきた。わずかに濡れた桜色の髪をタオルで拭きながら、一糸纏わぬ姿で。
 慌てて視線を逸らし、目の中に入れないようにしていたレイの真横に、裸の少女がどさりと座った。そのままごしごしと髪を拭き、タオルを放り、テレビをつけた。ちらと視界に入った少女の指先は震えており、それが寒さだけから来るものではない事はわかっていた。
 なんて女だ……。即ち、嫌がらせである。思わずレイは口を開いた。
 
 「……こういう事は――」
 「いない人間は喋りません」
 「――っ!」
 
 俺に、どうしろと言うんだ。レイは思わず拳を握り締め、あらゆる感情をじっとこらえた。
 しばしの沈黙が流れ、時計の針の音とテレビから流れる不愉快な笑い声だけが響く。
 その間も、レイの脳はフル回転で事態の打開を模索していた。これから起こり得るあらゆる状況を、現状をベースにして修正し、どう言えばどう返って来るのかをシミュレートする。それでも、素晴らしい案と言った奇跡の打開策など見つかるわけも無く、半ば降参の意味を込めて、レイは最後のカードの切った。
 
 「アスランに言いつけますよ」
 
 と。名前の後に隊長とつけなかったのはより彼女にわかりやすく伝えるためだ。 
 そして、レイの放った苦肉の策は、幸運な事に効果覿面であったようで、少女の体は視界に映さないようにしていたレイでもわかるほど、びくりと大きく震えた。まるで父親に叱られるのを恐れる幼子のように。
 そのまま彼女は裸のままわざとらしく鼻を鳴らし、そのままリビングを後にした。
 レイは気配が遠ざかったのを確認してから、思い切り脱力し、ため息をついた。
 初日で、これである。
 俺はいったいどうなってしまうのだろう……。
 
 
 
 「で、どうするの?」

 モビルスーツ同士の模擬戦が終わってひと段落した頃、傍らのフレイが苦笑して言ったが、シンはただうつむいたままだ。戦う、決意。迷い。妹。シンはまだ決めあぐねていた。
 
 「このままなあなあで行っちゃうと、良い事無いわよ?」
 
 フレイが優しくシンの頭を撫でる。そのまま彼女は言った。
 
 「わたしは、そのままオーブに帰ったほうが良いと思う」
 
 だが、その言葉はシンの心を決めさせるほどのものではなかった。何故なら――
 
 「でも、誰もいないんですよ……帰ったって……」
 
 それは、男と女の感性の違いであったのだろうか。シンは、オーブに帰ってしまえば、そこで心が折れてしまう気がしていた。恐らくマユは違うのだろう、きっとシンよりもずっと、妹の方が強い心を持っている。そんな気さえしていた。……何もしないでいるのが、怖いのだ。
 
 「そ……。ごめんね」
 
 そう言って彼女が辛そうに視線を落とした時、シンは彼女を傷つけてしまったかもしれないと思い、口を噤んだ。
 僕は、どうしたら良いんだ……。
 
 
 
 ――九月十三日
 アイザックに買って貰った食料が底をつき、いよいよ来るときが来たか、とレイは苦悩していた。予測していた通り、彼女はレイの目の前で手作りの料理のいくつかを、わざとらしく、これ見よがしに美味しそうに食べつくし、その度にちらちらとこちらの様子を覗う視線が憎らしかった。
 とは言え、彼女が食べる料理の傾向から、備蓄されていたものを切り崩しているだけなのだ、とは予測できた。ハーブ類もあったが、恐らくは家庭菜園だろう。生肉や生魚の類は一切出てこない。乾麺のパスタであったり、小麦粉から作ったパンであったり、彼女の作る食事はそういうものだ。
だから、レイはこの食糧事情に関しての我慢比べは、絶対に負けると確信していた。
 案の定、午後十八時を回った頃、勝ち誇ったような笑みを浮かべ、桜色の髪の少女がレイの周りをあざとく周回した。
 
 「さて、もう食べ物はありませんわね? ではでは、貴方はこれからどうなさるのでしょう? 一歩お外に出たら、わたくしは鍵を閉めます。二度と開けません。では、さてぇ? どうしましょう?」
 
 ……なんて女だ。心の中でそう毒づき、レイは無表情を崩さずに言った。
 
 「別に何もしません。俺の任務は貴女の護衛です」
 
 が、それは少女にとって想定内の答えだったようで、勝利と嫌味の入り混じった笑みを更に強め続ける。
 
 「護衛ぃ? お腹がペコペコの兵隊さんに何ができると? 貴方が思っているほど、ナチュラルの兵隊さん方は弱くはありませんわよぉ?」
 
 同時に脳裏には、〝プラント〟で聞いた彼女の名声や天使の様な歌声だとか微笑みだとか、他にもいくつかの彼女を称える賛辞の言葉を思い出し、それら全てに対して、どこかだよとレイは突っ込んだ。
 
 「それでも、その時が来たら戦うだけです」
 「……ですから、それが無理だと言っているのです! ああもう!」
 
 少女は憤慨し、そのままリビングに戻ってこなかった。今のは俺が悪かったのだろうか、などと自問していると、十九時を少し過ぎた頃、少女が不機嫌な顔つきでやってきて、ちょいちょいと指で手招きし、レイが何が起こってるのか理解できずきょとんとしていると、そのまま彼女はぷいと身を翻し姿を消した。
 ――俺にどうしろと言うんだ……。
 一度盛大にため息をついてから、レイはソファーから立ち上がり、少女の後を追った。
 絨毯が敷き詰められた厳かな通路を少し行き、左手側に見える扉を潜ると、そこは会食場の様であり、高い天井の真ん中にはきらびやかなシャンデリアが飾られ、赤い絨毯の上におかれた細長い長方形のテーブルに純白のテーブルクロスが敷かれていた。その上には、二人分の料理が並べられている。
 唖然としていると、そのままラクスは真ん中の一番奥、この屋敷の持ち主用の席に座り、じろとレイを見据えた。
 
 「あ、どうも……」
 
 思わず変な言葉が出てしまい、レイは妙な気恥ずかしさを覚えたが、そのまま促されるように彼女の位置と直角の場所に設けられた席に座り、料理を見る。
 プチトマトのサラダに、スープに……緑色のパスタであった。
 なんだこれは……。
 サラダを口に運びながら、少女がじとりとレイを見る。さっさとそれを食べてみろ、と言わんばかりの目であり、レイはこれもまた嫌がらせなのかと確信した。
 が、ルナマリアならいざ知らず。レイはここで挫けるような男ではない。鋼の精神であらゆる感情を消し去り、無表情のまま「ではいただきます」と少女に言い、その緑色の謎のパスタを口に運んだ。
 ――?
 あれ、とレイは思った。緑から想像していた様々な毒々しい要素は一切無く、味こそ独特なものであったが、チーズの濃厚な甘味と、ぴりとした唐辛子の辛味や、オリーブオイルのフルーティな旨みが舌の上で踊り、さわやかな香りが鼻腔に広がりゆくに連れ、レイはこれがバジルの葉の色なのだと理解した。ナッツ類も入ってるかもしれない。
 
 「……どう、です?」
 
 わずかに期待を込めたように、少女が言った。
 
 「初めて作ったのですけど……」
 「え、あ、いえ、すみません、美味しいです」
 
 失態だったとすぐに思った。ぴくりと少女の目元が反応し、わずかに不機嫌な色に変わる。先ほどレイの感じていた間違ったイメージを、見抜かれたのだ。一気に冷たい声色になった彼女が言う。
 
 「ジェノバソースです。ずっと昔からちゃんとある、伝統的な。――わたくしの優ぅー秀ぅーな護衛のレイ・ザ・バレル様は一体なんだと思っていたのでしょうねぇー?」
 「……すみません」
 
 ぐうの音もでなかった。
 
 
 
 ――九月十四日
 「あっ!」
 
 少女の嬌声が響くと、マユはうっと身を引いた。この〝ドミニオン〟に転属になったステラという、兄の唇を奪った少女が満面の笑みを浮かべてマユの傍に走り寄る。
 マユはこの少女の事を嫌いだった。自分から兄を奪ってしまうような、そんな気がしていたから。たった一人の家族を、こんな女が――
 だが、そんな思考はいわゆる大きすぎる隙であり、ステラがマユの真正面に立ち、そのままもう一度にっこりと笑顔を向けた後、マユの手をぎゅっと握り、そのまま腕を抑えこみ、目を瞑り、その唇をマユの――
 
 「わあああごめん、ごめんって! ちょっと待ってタイム、誰かぁぁあー!」
 
 悲痛な叫びも虚しく、見事に唇を奪われ、そのままショックのあまり座りこむ。ステラが笑顔のまま言った。
 
 「ステラだよ、よろしくね!」
 
 さよなら、マユのファーストキス。などと消沈していると、ステラはそんな様子に気づきもせず続ける。
 
 「誰もステラと挨拶してくれなかったの。でもやっとできて嬉しいな!」
 
 そりゃしないって……。マユは思わず口を挟んだ。
 
 「あのさあ……これ違うってこの前言われてなかった……?」
 「うん! だからステラは本当に好きな人としか挨拶しないんだっ」
 
 何のこっちゃとマユは呆れて言った。
 
 「マユはあなたとは初対面です」
 「うん! でもシンと似てたから、ステラは好き!」
 
 突き放すつもりで言ってやったのに、この子ひょっとしてアレな子……? などと無礼な事をいくつか頭に思い浮かんだが、それよりもこの状況を打破しなくてはならず、マユはうーんと悩んだ。
 
 「ええと、好きだからってこういう事するのは、間違ってる……と思い、ます」
 
 するとステラは不思議そうな顔をして、
 
 「どうして?」
 
 と首をかしげた。彼女は続ける。
 
 「だって、ムウとマリューはいつもやってるんだよ?」
 
 駄目な大人の見本である。そういう大人にはならないようにしようと心に決めつつ、マユは小さくため息をついた。
 
 「いつもって言ったって、それは二人だけの時でしょ?」
 「ううん、二人の時はもっといっぱいしてた!」
 「い、いっぱいって……?」
 
 嫌な予感、即ち悪寒がぞっと走り、マユは続きの言葉を待つ。
 
 「あのね、ステラ、一人でかくれんぼしてたんだけど」
 
 その時点でどうかと思ったが、とりあえず口は挟まないようにした。
 
 「ムウのベッドでね、マリューが裸で――」
 「わああー! ストップ、それ駄目!」
 
 なんという事だ、既に目の前の自分と同い年くらいの少女は、大人の階段を登りかけていた。流石にこのままではまずい、と幼いながらにマユは考えを巡らし、慎重に言葉を選び言った。
 
 「ええとね、その挨拶は、本当は大人の挨拶なの」
 「おとなのあいさつなの?」
 「うん、そう! だから、マユも、ええと……ステラ、も子供だからその挨拶はまだできないの」
 「えーっ!」
 
 目に見えて落ち込んだ様子のステラが、そのまま悲しげにうつむき言う。
 
 「じゃあどうやって挨拶をすれば良いの?」
 「どうって……おはようとこんにちはとこんばんはで良いんじゃないの……?」 
 「何で三つもあるの?」
 「え、ええっ!? そんな事言われても……」
 
 その精神の幼さの原因が、肉体の強化から精神の強化に転向し、過剰なまでの薬物を投与されたからだと言う事をマユは知らない。
ロード・ジブリールという男は、理想で物を語り、それを他者へ強要する狂人であり、ステラという一人の少女のこれからの人生など人類全ての未来を考えれば安いものだと、むしろ喜んでその身を投げ出すべきだと考えてしまっているのだから。 
 ともあれ、挨拶のいくつかを教え、やっては行けない事との差を軽く説明してやれば、ステラという哀れな実験体はマユに必要以上に懐き、片時も彼女の傍から離れないようになってしまったのはマユにとっては不幸な事か、それとも――。少なくとも、孤独を感じる事は、半ば強制的にであるが無くなっていた。
 だが、これから数時間後、ステラが大人の人への挨拶としてナタルの唇を奪い、もう良い歳してる癖して初めてを奪われたとして泣かれた事などは自分の責任ではないはずだと言い聞かせるしかなかった。
 
 
 
 ――九月十五日
 漆黒の闇を、M1〝アストレイ〟が舞うようにして飛ぶ。二機の〝ストライクダガー〟がM1にあっという間に追いつくと、そのままビームサーベルを構えた。
 M1がそれを回避し、同時にビームサーベルとシールドをひょいと捨て、支援に徹していた方の〝ストライクダガー〟をビームライフルで撃ち抜いた。
 
 〈えっ? ええっ!? ちょっとぉ!〉
 
 そう言って慌てた〝ストライクダガー〟など、M1の敵ではなかった。そのまま流れるようにライフルを向け、一射。AIが撃墜と認識し、〝ストライクダガー〟の動きが完全に止まった。
 〝アメノミハシラ〟の格納庫《ハンガー》にM1を固定させ、とんとコクピットハッチを蹴って仲間たちの下へ無重力に身を任せながらゆらりと飛び、そのままヘルメットを脱ぎ、空気の冷たさを肌で感じはっと息を吐く。
 
 「五戦五敗……何がいけないんだよおー!」
 
 シンが頭をくしゃくしゃと抱え、戦闘の様子を観察していたカナードがぽんと頭に手を置き「全部だ全部、貴様は」と呆れた。
 彼の側で心の底から落ち込んでいるような子が、キラだ。彼は無言で唇をかみ締め、うつむいている。後で少し慰めてやるか、うん。……別に他意とか変な意味は無いからね、と誰に向かってかもわからない言い訳をしていると、
 
 「ま、元気出せって!」
 
 と元気良くカガリが言った。トールがやれやれと首を振り、キラの背中をぽんぽんと励ますが、キラは一層落ち込みうな垂れたまま、上目遣いで口を開く。
 
 「……ねえフレイ。昔大尉から教えてもらった必勝法ってなんなの……」
 
 フレイはにっと白い歯を見せ、「教えてあげなーい」と言ってやると、彼はしゅんと小さくなって視線を落とした。
 
 「――いや、わかった」
 
 カナードがおもむろにつぶやくと、同じくフレイ、カガリ、トールのチームに全敗中のオルガが「マジか?」とつぶやき、クロトが「お、教えろ!」と詰め寄る。
 
 「実践してみてからだ。――アルスター、一対一で頼む」
 
 既にカナードにも一勝しているという自負はあったが、次は負けるかもしれないという予感もあったのだが、ここで引くことができないのもフレイである。「良いわよ、またぼこぼこにしてあげるっ」と強がり、とんと床を蹴りM1へと進んだ。
 
 「フレイ~。頑張って~」
 
 ステラがふわふわと背中越しに応援の声をかけ、フレイは一度振り返って手を振って答えた。
 カナードの〝ストライクダガー〟は既にビームライフルとシールドを構え、待ち構えていた。
 フレイはM1のスラスターを吹かせ、距離をとりつつビームライフルで正確な射撃を加えていく。無論、それで撃墜できるはずもなく、〝ストライクダガー〟は回避運動を取りつつ着実に距離を詰めてくる。
 ――やっぱり強いな。でもっ!
 応射しつつ、距離七十メートル地点に達した瞬間、フレイはビームサーベルを抜き去りそのまま投げつけ、すかさずビームライフルを構え直した。
 待っていたといわんばかりに〝ストライクダガー〟が急加速を仕掛け、左肩を切り裂かれながらもビームサーベルを構え突撃をする。
 
 「やっば――!」
 
 ビームライフルを突き裂かれ、慌てて後退しつつ〝イーゲルシュテルン〟を撃ち込んでいくも、そのまま減速しない〝ストライクダガー〟のビームサーベルに、ついにコクピットを貫かれ、M1のコクピットに撃墜を報せるアラートが鳴り響いた。
 こ、の――!
 フレイはかっとなって操縦桿を殴りつけ、予想以上に頑丈だったため、激痛が走った右手を労わりながら〝アメノミハシラ〟へと戻った。
 案の定、カナードはキラやシンといったコーディネイター勢、オルガを初めとするブーステッドマン勢に囲まれ質問攻めにあっており少しばかり困ったような顔をしていた。彼はフレイに気づくと、苦笑しながら「流石だよ、あの人さ」と声をかけた。
 
 「ちぇーっ。もうばれちゃったー」
 
 せっかく大尉から教えてもらった戦法だったのにー。フレイは思い切り唇を尖らせ不満をあらわにした。すかさずカガリがフレイに飛び掛り、髪の毛をくしゃくしゃとしながら「まったくさー」と笑みを浮かべた。
 
 「――で、何だったんだよ? その必勝法ってのはよ」
 
 オルガが仏頂面で言うと、カナードが答えた。
 
 「蓋を開けてみれば、簡単なことさ。オレたちコーディネイターに、貴様らブーステッドマン。目が良すぎるんだ」
 「はあ? なんだよそれ?」
 
 とクロト。
 
 「んー?」
 「お目々が良いといけないの?」
 
 シャニとステラが同時に首をかしげ、スティングがふむと考え込んだ。ちなみに、ステラ、アウル、スティングの三人は所謂後期型と呼ばれるタイプであるらしく、この戦法の効果は無い。シンは単純に弱い、つまり実力の差である。
 
 「だからさ、オレたちは何でもかんでも見えてしまうから、簡単なフェイントに騙される」
 「騙されてねえよ。つーかあんなのフェイントですら無え」
 
 オルガがいらいらと反論したが、カナードはにっと笑みを浮かべ続ける。
 
 「それだよ。オレたちはさ、そういうのを頭で考えてしまうんだ。『こんなものはフェイントですらない』と感じる無意識の中にある一瞬の隙――こいつらはそれを突いてくる」
 
 皆が一斉に怪訝な顔になる。
 それこそが、地球でアムロと別れる前に教えてもらった対コーディネイター用の戦法、いくつかのうちの一つ。無論あからさまなフェイントに引っかかりなどはしないが、先ほどカナードやキラに使ったような、目の端で一瞬、辛うじて捉えられる程度の『何か』に、目を取られる。
目も良く頭の回転も速いコーディネイターだからこそ通用する戦法。視界の中に、ナチュラルでは気づくことのない速さで飛び交う蚊を捉えてしまい、突然音が聞こえたり存在が気になりだすように、舞う埃を見、空気そのものが汚れているのでは無いかと思ってしまうように、彼らはわずかな仕草に反応をしてくれる。
概ね全てのコーディネイターが無反応ではいられないだろう――。気づく事で、気になってしまうのだから。だが、いくつか例外もあった。特にそれが大きかったのはサトー、とラウの二人(差異はあったが地球で戦った空を飛ぶ〝ゲイツ〟も)だ。
サトーに関して言えば、恐らく彼はコーディネイターでありながらも、ナチュラルに近い戦い方――視力や反応に頼らず、経験と技術のみで――をしていた為であろうと想像はできた。
所謂、本物なのだ。そしてもう一人、ラウは……。彼は、きっと、ナチュラルだから――。確信を持って、そう思うことができるのは何故だろう。何故、彼はザフトに……?
 
 「一瞬の隙って……。僕、気を取られた覚え無いんですけど」
 
 シンがもらしたつぶやきで現実に引き戻されたフレイは、「自分で気づければ苦労はしないさ」と苦笑するカナードの背に目をやった。不思議と、惹かれる様な想いはしなくなっていた。
 
 「そんなの、狙えるもんなんですか……?」
 
 尚も食い下がるシンだったが、カナードはふっと肩で息を吐き答えた。
 
 「大々的に報道されてるだろ? 『真のコーディネイター』だとか、『SEEDを持つもの』とかさ。ああ、『ニュータイプ』ってのもあったか?」
 「じゃあ、気を取られないようにすれば……」
 
 とキラ。
 
 「難しいな。こういうのは無意識にやってしまうものだ」
 「でもさ、カナードはできたじゃないか」
 「やってみはしたが、左肩を斬られて、装甲も穴だらけにされた。無理に意識しないようにすると、今度は必要な情報まで遮断してしまう」
 
 カナードがやれやれと答えると、今度こそキラは押し黙り、うーんと考え込んでしまった。
 
 「そ、れ、に、だ!」
 
 カガリがにやにやと口を挟み、皆が振り向いた。
 
 「そういうの、対応できたとしてもさ。〝ドラグーン〟は、どうするんだよっ?」
 
 しまったとばかりに額を押さえ、カナードは「そういうものもあったか……」とつぶやいた。
 先日、試作兵器であった〝ファントム〟の正式名称が、ようやく決定した。
〝ドラグーン〟――Disconnected Rapid Armament Group Overlook Operation Network System《分離式統合制御高速機動兵装群ネットワーク・システム》――と命名され、第八艦隊のハルバートンを中心に再結成されつつある空間能力者で構成された部隊に 優先的に専用のストライカーパックが配備されているのだ。
相変わらずハルバートンはそっちのけでこの〝アメノミハシラ〟にいるため、今頃モーガン辺りが部隊編成に四苦八苦しているころだろう。そして、『特別製』だと説明のあったストライカーパック――〝シュヴァンストライカー〟が三日後、〝ドミニオン〟に搬入される予定だ。
 これからみんなで昼食を取ってから、きっとまたセレーネらに呼び出されるんだろうなと思い、少し気疲れしてしまったフレイであった。
 
 
 
 テレビモニターの中でミーアが可愛らしく踊り、スピーカーからは彼女の愛らしい歌が聞こえ、幸せに浸っていたラスティであったが、後輩の無礼な態度には流石に苛立ちを隠さずに言い放った。
 「あのなぁルナマリア。俺たちは今ミーア・キャンベルと幸せに浸ってるわけよ?」
 「そうだぜ。俺たちのスウィートな時間、邪魔しないで欲しいぜ」
 
 ディアッカがモニターから目をひと時も離さずに続き、同じようにしてアイザックがうんうんと頷いた。
 
 「……でも、あのー……作戦会議があるって……」
 「あのなぁ、ルゥ~ナァ~? ミーアとオーブと、どっちが大事よ?」
 「そうだぜ~? ザフトのアイドルミーア・キャンベルとこのオーブさ~?」
 
 ラスティのチンピラ同然の言い草にディアッカが視線をくれず続き、アイザックは無視してモニターに首っ丈だった。
 
 「そ、それは、そのぉ……ミーア・キャンベルだとは思うんですけどぉ……」
 「だぁ~ろぉ~?」
 「だぁ~よねぇ~」
 
 満足そうに頷き、ソファーに座り直したラスティにディアッカが続き、アイザックのことなどもう知りたくもない。
 
 「……論点、ずれてませんか」
 
 聞こえるように言ったつもりの独り言であったが、誰一人として反応せず、ルナマリアは呆れ果ててこのことをアスランへと報告しに戻った。
 その後こっぴどくしかられた三人であったが、やれ「婚約者の言うことは聞かない!」だの「ナイト気取ってるよねぇ、〝ジャスティス〟様?」だの「た、隊長! 僕もミーアさんの護衛に回りたいです……!」などと勝手なことを言い、アスランをも呆れさせるのだった。
 
 
 
 ――九月十七日
 四機のモビルスーツがテスト飛行を終え、モビルスーツデッキへと戻り立った。
キラは未だ改修――損壊箇所が多かったためと、もともとザフトの機体だったので予備部品が少なかったため――作業が終わらぬ〝フリーダム〟にちらと目をやってから、既に改修が終了した〝ハイペリオン〟からカナードが降り立ち、満足そうに自機を見上げているのを自分の事のように嬉しく感じた。
 同じくして三機の新型が、それぞれのメンテナンスベッドに固定されていく。
 黒い一機は、赤い縁取りのある翼に猛禽類のような鉤爪を持ったモビルアーマーへの変形機能を持つ、大気圏内飛行用のモビルスーツ、GAT‐X三七○〝レイダー〟である。現在はモビルスーツ形態で、右手には二門の砲を構えたシールド型の装備、二連装五二ミリ超高初速防盾砲を装着し、頭部には一○○ミリエネルギー砲〝ツォーン〟が備え付けられている。
パイロットのクロトがうっとうしげにヘルメットを脱ぎ捨て、キラに気づくと彼は軽く手を振って挨拶した。今日も食事の後、シンとアウルとトールを誘って、先月発売したばかりの新しいスマッシュブラザーズをやる予定なのだから。
 模擬線でカナードとチームを組んでいたオルガが乗るのは、GAT‐X一三一〝カラミティ〟だ。背中には巨大な二つの砲、一二五ミリ二連装高エネルギー長射程ビーム砲〝シュラーク〟を背負い、カラーは目の覚めるような青緑であり、スマッシュブラザーズの主役兄弟の弟、緑の人気者と良く似ている。
そんな親近感溢れる機体ながらも、面持ちは凶悪であり、右手には三三七ミリプラズマサボット・バズーカ砲〝トーデスブロック〟、左手には小口径のシールド一一五ミリ二連装衝角砲〝ケーファー・ツヴァイ〟を装着している。〝バスター〟の後継機である〝カラミティ〟は、部隊にとって重要な支援を一挙に受け持つ機体であり、今後の成果が期待されている。
 いつもぼーっとしているシャニが、シミュレーションを追えてふわふわとやってきたステラにひょいと飛びつかれ、同じようにしてふわふわと格納庫のど真ん中を漂っている。
彼らの背後に見えるのが、GAT‐X二五二〝フォビドゥン〟である。手に持つ重刎首鎌〝ニーズヘグ〟は、まるで死神のそれを思わせる湾曲した巨大な鎌だ。カーキ色を基調としたこのモビルスーツは、背中に甲羅を思わせるリフターを背負い、そのリフターから機体両側面に巨大なシールドがせり出して、まるで三方を屏風で囲まれたように見える。
両側面のシールド内部、ちょうど機体の肩あたりに誘導プラズマ砲〝フレスベルグ〟が装備され、リフターの上部にも八八ミリレールガン〝エクツァーン〟が備わっている。だが、この機体の真の能力は、それとは別のところにあった。
 エネルギー偏向装甲〝ゲシュマイディッヒ・パンツァー〟――〝ブリッツ〟に搭載されたステルス機能〝ミラージュコロイド〟の原理を応用した対ビーム防御システムであり、両側面のシールド表面に発生させた磁場でビームの粒子を反発させ、軌道を修正し時機への命中を避けることができるのだ。
〝アグニ〟級の高出力のビームですら容易に歪曲させることが可能であり、後々はこの原理を利用し、ビームそのものを〝ドラグーン〟として扱う〝ビームドラグーン〟を開発してみたいとジブリールが例によって数ページに及ぶほどの言葉の羅列で自慢げに語っていたが、アズラエルがそんなものは後百年しても完成しないのだと愚痴をこぼしていたのは記憶に新しい。
 〝カラミティ〟、〝レイダー〟、〝フォビドゥン〟……。それぞれが極端に突出した性能を持つこれらは、あくまで実験機としての役割であり、最終的には現在連合の月面基地〝アルザッヘル〟で開発中の機体に流用されるのだというが、恐らく自分には関係の無い話だと思い、例によって例によって自慢げに語るジブリールの言葉は聞き流しているのがキラである。
 この四機には、完成したばかりの核融合炉が搭載されており、カナードも「〝スーパーハイペリオン〟だ!」と喜んでいたのは、キラにも嬉しいことである。
 どうやら〝フリーダム〟にも、同じ連合製の核融合炉が搭載される予定なので、これはきっと〝スーパーフリーダム〟なのだと思うと心が弾んでくる。
 ともあれ、今はサイやカズイの訓練に付き合ったり、トールのシミュレーションの相手をしたりくらいしか出来ることが無いのだから、キラは持ってきた栄養ドリンクをカナードたちに手渡すくらいのことはやらなくてはと、彼らのもとへ足を進めるのだった。
 
 
 
 ――九月十八日
 〝ルージュ〟のリニアシートに深く座り直し、フレイはいらだった気分を隠そうともせずにふんと鼻を鳴らした。全天周囲モニター越しに足元を覗くと、セレーネを中心にして、ソルやアズラエルにジブリール、ミナまでもが集まり、興味深げな様子で彼女を見守っている。
もうこの状態になって五時間、既に時計は午前二時を指しているのだ、というのにそんな調子なのは、フレイの心を逆立てるのに十分すぎることであった。
 
 「ねえー! まだなんですかー!?」
 
 外部マイクに思い切り叫んでやると、即座にセレーネは音量を下げ、表情をぴくりとも変えずに五時間前から幾度と無く告げられたものと全く同じようにして「もう少しです」とだけ答えた。
 
 もう一度ふんと鼻を鳴らし、シートに座り直した彼女は、せっかく今日――すでに昨日になってしまったが――はロメロ・パルの誕生日パーティを開いてやって、みんなで騒いで、遊んで、幸せな気分だったのに、全部ぶち壊された。そういう感じ方をするのは彼女が幼さゆえか生まれ持っての性格か。
 おもむろに、暇つぶしにと既に何十回と目を通した、現在〝ルージュ〟の頭から足まですっぽりとかぶさるようにして装着された新型ストライカー――〝シュヴァンストライカー〟のスペック図をモニターの端に出した。
 全体を線で形成されたシルエットはまるで刺々しい鋭利な甲殻の飛竜の様で、極限なまでに研ぎ澄まされた故の美しさすらもあった。両腕には、高エネルギービーム砲とビームサーベルが一体になった複合兵装防盾システムが装着されている。
丁度後頭部の後ろからマルチセンサーが竜の首のように迫り出し、先端部には接近戦用の七五ミリ対空自動バルカン砲塔システム〟イーゲルシュテルン〟が四門ほど備わっている。
〝シュヴァンパック〟装着時の〝シュヴァンストライク〟の全高は二十五メートルにまで及ぶ巨体であったが、このマシンに隠された最新の技術が、巨大な躯体と重量を感じさせぬ動きを可能にしている。
 ――ミラージュクラフトシステム。〝ブリッツ〟に装備されている、機体を透明にさせる機能、として知られているが、これは可視光線や赤外線を含む電磁波を遮断するコロイド状の微粒子を磁場で物体表面に定着させることで機能している。
この磁場形成技術の応用により、ビームを刀身状にしてビームサーベルは作られているし、シャニ・アンドラスが駆る連合の新型モビルスーツ〝フォビドゥン〟にも同じ技術が使われている。そしてこの〝ミラージュクラフト〟は更に進化させた最新の技術だ。
〝ミラージュコロイド〟による磁力の反発を利用し、擬似的に半重力を発生させて機体を浮遊させているのだとジブリールが文字にしたら十数ページはいくのではないかと思うほど長々と、自慢げに語っていたが、正直な話自画自賛が多くて良くわからなかった。
後でアズラエルが教えてくれた、「ま、〝ミラージュコロイド〟で集めたエネルギーの上に乗ってると思ってくださイ」の一言のほうがぜんぜんわかりやすい。だがこのコロイド状の粒子発生装置の小型化が難しく、モビルスーツを覆うほど大型になってしまったのは、フレイにとって面白くないことだ。
巨大なベーン状の発生装置が両肩と両足、背部にまで伸び、機体の肥大化に拍車をかけている。彼女にとってモビルスーツ戦とは先手必勝であり、より小型で素早く、一撃で決めれるような戦いこそが骨頂なのだから。それに、システムは完璧とは言い難く、高速巡航時は、フライトフォームへと変形をしなければならない。
その状態では、胸部から鋭く迫り出した、竜の頭の様な面持ちの単眼《モノアイ》がメインカメラとなる。それでも、この機体に評価できるところだってあるのだとフレイは踏んでいた。それが、両腕の長さほどもある長大な両肩から折り畳んだ翼のように突き出たラックに装填されている多数の〝ドラグーンミサイル〟である。
 と思っても、フレイとしては〝I.W.S.P.〟辺りに〝ドラグーン〟機能をつけてくれればそれで良いのにと小言も言いたくなる。
 そんなことを黙々と考えていると、ふいにアズラエルが珍しく気まずそうな笑みを浮かべ、にこやかに言った。
 
 〈いやースミマセン。今日中止で〉
 
 フレイは思い切りコクピットの壁を蹴り飛ばした。
 
 
 
 辛うじて、辛うじてであるが、レイは平和な日々を送ることができていた。スリッパを隠されていただとか、ようやく見つけたら画鋲が入っていただとか、そう言った事はもう気にしていない。単純な嫌がらせというよりも、叱られたくてやっている子供のようだったからだ。
 そして、それはついに来た。彼女がさらさらと細い指で紙に何かを書き、それをレイに手渡す。
 
 「では、お願いしますね」
 
 と短く言ったが、レイは何のことだかわからず、眉をしかめた。すると途端に彼女は不機嫌な顔になり、告げる。
 
 「お、か、い、も、の、でしょう? もうパスタは飽きましたし、グラタンを作ろうにも鶏肉やたまねぎがありませんし」
 
 それがどうした、と言いたかったが我慢し、更にどうせ俺が出かけたら鍵をかけて二度と――とも言いたくなったがそれも我慢した。言えば目に見えて機嫌が悪くなるだろうから。
 
 「……わかりました」
 
 とだけ短く言うと、彼女はわずかに機嫌を良くしたようで、
 
 「はい、ではっ!」
 
 とにこやかに微笑んだ。
 しかし、この一帯は戦場になってまだそれほど時間がたっていないので復旧も遅れている。バスも通っていない。どうやって行こうか……。
 結果的に言えば、レイは徒歩で向かった。まず第一に、ここにはアイザックの運転する車で来たのだし、それでもアスラン達に連絡を取る事は容易かったが、それが彼女にばれればきっとまた機嫌を損ねる。なんて面倒な女だ、とレイはもうここ数日幾度と無く心の中でつぶやいた言葉を、もう一度つぶやいた。
 徒歩で道を下り行くと、やはりと言うべきか、街並みは概ね廃墟と化しており、どうやって紙に書かれた鳥のもも肉(絶対に日本産と書かれている)だとかたまねぎ(国産じゃないとやだ、と書かれている)、更にはいくつかの生理用品(恐らくこれは当てつけ)を見つければ良いのだろうと途方にくれた。
 
 
 
 「おーいフレイー」
 
 〝ルージュ〟の足元でセレーネから〝シュヴァンストライカー〟の説明を聞き終わり一段落したところで、カガリがにたにたとやってきた。同じく〝シュヴァン〟の特性を理解するために来ていたミリアリアが怪訝な顔になったが、カガリは無視して言った。
 
 「コズミック・イラ一年、カシミール地方で核が使用されたが、これを何と言うー?」
 「……は?」
 「『トリノ議定書』が採択されたのは何年だー? ビクトリア基地のマスドライバーの名前はー?」
 
 ああ、とフレイはようやく思い当たった。この馬鹿は、最近ロンド・ミナ・サハクからスパルタの教育を施されており、きっと今日はそういう類の問題が出たのだろう。知ったばかりの知識を披露して、自分の頭の良さとやらを自慢しに来たのだろうが――
 
 「『最後の核』、『五十五年』、『ハビリス』」
 
 フレイは見向きもせずに答えた。ぎょっとして固まるカガリ。
 
 「え……あ、あれ?」
 「あーそれねー、カガリさん止めた方が良いわよー。フレイ、学校じゃ大体成績一番か二番だったし」
 
 見兼ねたミリアリアが言うと、カガリは更に仰天して声をあげた。
 
 「はああ!? 何だよそれ! おかしいだろ、お前そういうキャラじゃない! 絶対違う! どうせ勉強も禄にしないで服とか化粧とかそういうのしか興味がないやつだろ!?」
 「殴るわよあんた、グーで」
 
 この金髪馬鹿め……。フレイがいらとして言うと、ミリアリアがやれやれと首を振った。
 
 「逆よ逆ー。カガリさんフレイのファザコンっぷり知ってるでしょ? そんなフレイが変な成績とってお父さんを心配させると思ってるの?」
 
 思わず押し黙るカガリであったが、そのミリアリアの言い様もわずかにフレイは気に入らず、むすっとして視線をそむけた。別にファザコンじゃないし、パパが喜んでくれるのが嬉しかっただけだし。
 すると、悔しげな顔のまま矛先を変え、カガリはミリアリアに食って掛かる。
 
 「じゃ、じゃあお前はどうなんだよ? そうだ、一番か二番って言ったよな、フレイに負けて悔しいとか思わなかったのか!?」
 「ぜーんぜんっ。ていうか学年違うし。可愛い後輩だもんねーっ」
 
 カガリをからかうようにしてミリアリアが笑顔のままぎゅっとフレイを抱き寄せ、ぴたりと頬を寄せた。
 
 「こ、後輩って言ったって……」
 
 可愛い後輩、の語感が妙に恥ずかしくフレイは顔を赤らめたが、カガリは悔しげにがっくりと項垂れただけであった。
 
 
 
 いくつもの苦難を乗り越え、物理的に歩きづらい舗装されていない道も進み、何とか目的のものを買い揃え、来た道を同じく徒歩で戻り屋敷に辿り着いた頃には、時計は午後七時半を過ぎていた。
 流石に疲れた。数キロなんて次元じゃない、もうひたすら歩き続け、ややペース速めに小走りになったりして、それでこの時間である。
 ちなみに出発したのは午前十時だ。昼食も夕食も食べていない。
 両手の買い物袋には頼まれたものがぎっしり詰まっており、生の鶏肉は駄目になってしまったのではないかとも思ったが、これ以上は面倒見きれないという思いが先行し、そこら辺の事はどうでも良くなっていた。
 問題は、ここからである。呼び鈴は鳴らした。戸も叩いた。名前も呼んでみた。が、一向に返事が無い。一分、二分と過ぎ、五分がたったころ、レイはここ数日あの少女に行われたありとあらゆる嫌がらせが脳裏に甦り、我慢の限界となった彼は苛立ちのまま全力で玄関の扉を蹴り付ける。
 ばしん、と音が鳴り、周囲の木々がざわめき、ほぼ同時に乱暴にその扉が開かれ
 
 「ああもう何てことするんですか!!」
 
 と桜色の髪は濡れバスタオルで肌を隠しているだけの少女が憤慨して声を荒げた。わずかに赤らんだ肌からは湯気があがっており、すぐに風呂上りなのだと思い立つ。
 
 「遅いから、お風呂に入っていて、それで声がしたから慌てて出てきてみれば、いきなりなんですか貴方は!! そんなにわたくしが嫌いですか!?」
 「あ、い、いえ、すみません……」
 
 これは、俺の失態なのだろうか……。
 
 「どうせ道草を食っていたのでしょうけど? こんなに遅くなって、どこで誰に何を報告していたのでしょうね!?」
 
 不機嫌に鼻を鳴らし、彼女は髪の水分をタオルに染み込ませながらいらいらと戻っていく。言い様から恐らく、レイがアスランの元に戻って一言一句欠かさずここ数日の事を告げ口していたのだ、と思われているのだろう。
 ……心外であった。
 だから、袋を置き、やがてラクスが髪を乾かし終わり戻ってくるのを待ってから、言った。
 
 「誰にも会ってません。遠かっただけです」
 
 するとラクスはまた不機嫌になり、「どうだかっ」と前置きしてから続ける。
 
 「数キロ離れた所に大きなデパートがあったでしょう? 二十階建てくらいの、そこに行って帰って来るだけで、九時間!? まあ、わたくしの優ぅー秀ぅーな護衛のレイ・ザ・バレル様のお足は亀のように鈍足で? それとも偶々道迷っていた老婆を交番にご案内してあげていたとか? それともそれとも?」
 
 ……何なんだこの女は。
 もう幾度と無く心の中でつぶやいた一言を言ってから、レイは冷静に説明した。
 
 「もうそのデパート、ありませんでした」
 
 わずかに少女の瞳がぴくりと反応する。
 
 「輸送機が衝突したようで、その後倒壊して跡形も残っていません」
 
 少女は言葉を噤み、視線を落とし、そのままレイの正面のソファーに座りこむ。少女がちらとレイの汚れた足元、長く持ちすぎて伸びきっている買い物袋を見、もう一度視線を落とした。
 また、長い沈黙が二人の間を支配する。時計の針の音だけが大きく聞こえる。
 外では虫が鳴いている。風が吹き、ぱらぱらと葉が舞い、木々がざわめいた。
 
 「……遠かったん、ですか……?」
 
 弱々しいその口調に、レイは苛立ちもあり淡々と
 
 「ええ、少し」
 
 と返した。すると少女は泣きそうになってぎゅっと目を瞑り、言った。
 
 「ごめんなさい、わたくし今酷いことを言いました……」
 
 ……意外であった。また不機嫌なまま無言で部屋を後にされるか、もしくは嫌味を言われるかと思っていたから。
 もう一度、今度は瞳に涙を浮かべて、少女がぎゅっと手でその顔を覆い、言う。
 
 「ごめんなさい、わたくし、ここに来た時は夜遅くて、わからなくて、ごめんなさい……ごめんなさい……」
 
 その姿が、とても儚げで、レイの中の怒りの炎が急速に消え失せていくのを知覚しながら、レイはわずかに優しい声色を意識して言った。
 
 「気にしないでください。俺は気にしていません」
 
 また機嫌を悪くされるだろうかと思ったが、彼女はふふと可愛らしく笑みを漏らし、涙色の瞳でレイを見据え、
 
 「そう、ありがとう親切なお方」
 
 とだけ言ってもう一度微笑んだ。
 その少女は美しく、レイはようやく理解した。
 この我侭で、図々しくて、思い込みの激しく、無邪気で、頑張り屋で、寂しがりやで、真面目で、責任感が強く、それでいて傷つきやすく、心優しい彼女こそが、ラクス・クラインなのだ、と。
 
 
 
――九月十九日
 〝フリーダム〟のテスト飛行を追えた後、いくつかの報告を済ませ食事を取り、自室へと戻りふうとため息をついた。
 少し、疲れた。
 ここ数日、フレイが自分とよく一緒にいたのは、ただ単にアムロの代わりをやらされてるのだとは思っていたが、彼が無事だとわかった今でもフレイはキラに少しちょっかいを出してくるようになっていた。
だがそれでも宇宙《そら》に上がったばかりの頃と比べれば随分マシになったもので、同時にもしも本当にアムロがいなくなってしまった時、彼女はどうなってしまうのだろうという恐怖はある。
 しかし――
 考えても始まらない、か。
 そうやって前を見る事ができるほどには、キラは成長していた。
 そしてその分また一つ、誰かの代わりもできない自分を、嫌いになっていた。
 
 
 
 昼食が終わり、ラクスが食器を片付けていく。レイも何もしないわけにはいかず、彼女を手伝い、食器洗浄機に全て入れ終わってからスイッチを入れ、ラクスが部屋を無言で後にする(恐らくトイレとかだろうが)のを確認してから、レイは何時もの様にポケットから小さなケースを取り出し、中から錠剤をつまみ、水を使って飲み込んだ。
 お守りのように何時も持ち歩いている、その錠剤。
 ――それが、きみの運命なんだよ……。
 ギルにこの薬ビンを手渡された幼い日のことが頭をよぎる。
 レイは、自分の運命を知り、呪っていた。
 何故ならレイは、たった一つのある命を生み出すためだけに犠牲になった多くの命の内の一つなのだから。
 俺はどうしたら良い。こうしてここで無益な時を過ごし、どこかで死んでいくのか……? それはたまらなく恐ろしい。誰も、俺を助けてくれない。助ける術が無い。それは、少年の絶望であったが、そんなレイの事など知る由も無く、部屋からいなくなっていたはずのラクスが扉の横からじとりと睨みつけてたのでレイはぎょっとして薬を隠した。
 
 「無駄です、もう見ました」
 
 その言葉の通り、遅すぎたようだ。ラクスが遠慮なくつかつかとやってきて、レイの持つケースを取り上げ、注意深く観察する。
 
 「なんです? これ」
 「薬です」
 「見ればわかります」
 「では返してください」
 「何の薬かと聞いているのです」
 
 ……面倒な人だ。大体貴女には関係無いだろう、と言いたかったが堪え、無表情を努め言った。
 
 「持病なんです。マイナーですけど」
 
 嘘はついていない。が、ラクスにとっては不服な答えであったようで、彼女はちらと視線だけ向けて意地悪く口元をゆがめた。
 
 「これ、わたくしが取り上げてしまったらどうなります?」
 
 くだらない会話に付き合ってやるつもりは無く、レイは無表情のまま淡々と告げた。
 
 「俺は、死ぬでしょうね」
 「えっ……?」
 「そういう、病気です」
 
 また、ラクスは無言になり、わずかに俯き、細く柔らかな両手でケースとレイの手を包み込むようにして渡し、言った。
 
 「ごめんなさい、冗談が過ぎました」
 
 その様子が、まるで子猫がどこまでがじゃれ合いでどこまでが喧嘩かを探っているようで、レイは何だか可笑しくなりながらも、表情には出さずに言った。
 
 「気にしないでください、俺も気にしてません」
 「そう。では、貴方流の強がりと言う事で、そういう事にしておきます」
 
 ラクスがにこりと微笑むと、レイは強がってはいないと言い掛けたが黙っておくことにした。面倒事はごめんであるから。
 
 
 
 ――九月二十日
 概ね、ここ最近の二人の関係は、まあ良好といったところであった。靴に入った画鋲が見つかるが、その程度である。
 だが、その結果、レイは今まで以上に苦心していた。ラクスからの注文が多くなってきたからである。
 今日は風呂とトイレとキッチンの掃除を頼まれている。
 先にトイレ掃除を終わらせ、風呂掃除が何とか終わった頃には丁度昼時であり、ラクス・クラインがにこにこしながら出来たてのマカロニグラタンとフランスパン、コンソメスープとサラダを用意して待っていたが、特筆すべき点は無い。味が美味しかったくらいだ。
 問題はこの後だ。
 どうやら、この前外に買出しに行かされた時、後をつけられていたらしい。
 そしてある意味最もここに呼んでは行けない人物の内の一人が、やってきた。
 何度か呼び鈴が鳴り、答えてもいないのに玄関の前にまで一人分の気配がやってくる。
 レイが一度ちらとラクスの顔色を覗うと彼女は少しばかり困ったような顔をして、「どうぞ」と促した。
 レイはやれやれとため息をついてから、玄関の扉を開けた。
 
 「――ラクス様!」
 
 第一声が、これである。ちなみに建前上、ラクス・クラインはライブの前に過労で倒れ、その疲れを癒す為に……という事になっている。目の前にいるはずのレイに一瞥もせず、ヒルダ・ハーケンが赤髪をきりとまとめ、敬礼した。ヒルダがずかずかと入り言う。
 
 「お倒れになったと聞きました、それで――」
 
 彼女とは長い付き合いではない。このオーブに入港してからわずかに数度言葉を交わしたくらいである。だが、彼女がラクスを崇拝しているのはすぐにわかった。異常なほど、狂信的に。だから、それが今のラクスには一番辛いはずだ。
 ヒルダがちらとラクスの細い体を視線で舐めるようにして見、
 
 「もうお体は宜しいのでしょうか?」
 
 と聞いた。
 ラクスが何か言いかける前に、レイが答える。
 
 「念のためにもうしばらく療養していただくつもりです。大切な御身体ですので」
 
 きっと、ラクスはもう大丈夫ですだとか、そんな事を言ってしまいそうな気がしたから。そうなれば彼女は喜んでラクスを連れて行くだろう。それは、アスランも望んでいない。
 するとヒルダはじろと瞳だけを動かし、まるでお前には聞いていないと言いたげな視線をレイに向けたが、ラクスが小さく
 
 「すみません」
 
 と演技してみせたおかげで事なきを得た。
 
 「ラクス様が謝る事ではありません」
 
 とヒルダが気遣い、一度ため息をついてからレイに向き直る。
 
 「レイ・ザ・バレルと言ったね? ご苦労だった、ラクス様の警護はあたしが引き継ぐ」
 
 努めてレイは表情に出さないようにしたが、彼女の後ろのラクスはびくりと震え、表情に恐怖の色を浮かべた。だから、レイは言う。
 
 「ですが、私はザラ隊長の命でここにいます。隊長の指示なしで離れるわけにはいきません」
 「だろうけどね、男と女だ、ラクス様はか弱い身で有られるのだから、何か間違いが起こってからでは遅いんだよ。ザラ隊長にはあたしから――」
 
 ラクスが短く、「あの……」と搾り出す。ヒルダが怪訝な顔を彼女に向けると、ラクスはわずかに震える手をぎゅっと握り、それでも前を見る事は叶わず、俯いたまま言う。
 
 「すみません、わたくしが、我侭を言っているのです。彼はわたくしの友人に少し似ていて……あ、その方は女の人なのですけど、それでも、わたくしの我侭をずっと聞いてくれて――」
 
 レイはそのまま、辛うじて紡がれる少女の弱々しい言葉を待つ。ヒルダがわずかにばつの悪そうな顔になる。
 
 「ですから――お願いします、もう少しだけ、ここにいてください……」
 
 そう言って深々と頭を下げるラクスの姿に居た堪れなくなり、レイは思わず視線を逸らした。ヒルダが慌てて取り繕う。
 
 「ラ、ラクス様――! わ、わかりました、彼にはここにいてもらうので、頭を下げないでください!」
 
 ともあれ、これからまた数日、今度は三人での生活が始まろうとしていた。
 レイは最初に来た時よりも気が重かった。
 
 
 
 ――九月二十二日
 〝パワー〟が、〝アメノミハシラ〟から発進し、月へと針路を取った。もともと〝パワー〟は第八艦隊の旗艦であり、〝アメノミハシラ〟にも、せめて護衛にと〝アークエンジェル〟に無理やり同行して来たのだ。
ハルバートンは、酷くごねていたが、腐っても少将であったらしい彼はしぶしぶ艦に戻り、いやいや指揮を取り、だらだらと発進準備を進めさせ、ようやく出て行った。
 惜しげに遠ざかる〝パワー〟の艦影を見つめるマリューとは裏腹に、ナタルは酷く焦燥しているようなのは気のせいでは無いはずだ。
 〝アメノミハシラ〟防衛隊としてネルソン級戦艦が定期的に周囲の宙域に監視に行ってくれているのは、カガリにとってありがたいことであった。〝ストライクダガー〟のパイロットたちも、オーブの寿司やてんぷら、すき焼きをいたく気に入ってくれたようで、今日もハラキリだのフジだの会話をしながら偵察任務についている。
ハラキリもフジもオーブのもんじゃあないんだけどなと思ったが、気づくまで黙っておくことにしている。オーブはまだまだ歴史の浅い国。ハウメア山は富士山の知名度にすら敵わないのだ。
 明日はいよいよ地球への降下が始まる。目的地は、ザフトから奪還に成功してからまだ間もない〝パナマ〟だ。そこで、アムロのいる部隊と合流し、〝アークエンジェル〟と〝ドミニオン〟は正式に〝ファントムペイン〟として機能することになっている。
ミナ率いる部隊はこの〝アメノミハシラ〟を守らねばならないから、基地に集結しているオーブから脱出した艦隊と、連合の艦隊、そして〝アメノミハシラ〟から降下するカガリ率いる部隊と〝ファントムペイン〟で、オーブを奪還するのだ。
 カガリは震えが止まらなくなり、両肩をひしと押さえ込んだ。恐れているのか、それとも武者震いなのかすらわからない、彼女はわけがわからず唇をかみ締めた。オーブで、何かとてつもなく恐ろしいことが起こる気がしてならないのだ。あの国に、今、全身の毛が逆立つほど恐ろしい『何か』が巣食っている。いったい、それは……。
 
 
 
 ――九月二十三日
 「――あっ!」
 
 〝ドミニオン〟から我先にと降り立ったフレイが、華やいだ矯正を上げ一人の仕官に飛びついた。男は彼女を受け止めてから苦笑し、優しく髪を撫でる。
 
 「元気そうで良かった。フレイ・アルスターさん?」
 「はいっ。大尉も!」
 
 久しぶりの地球の重力に体の重さを覚えながら、キラも思わず彼のもとへ駆け寄り、ぺこりと頭を下げた。トールも、サイもカズイも、皆アムロに会えたことで安心しているようだ。
 カガリがおずおずと上目遣いで近寄ると、アムロがわずかに視線を落とし、
 
 「すまない」
 
 と頭を下げた。
 フレイが心配げに彼を覗き見る。
 
 「君のお父さんを、助けてあげれなかった……」
 
 もう一度そう謝罪し、カガリはわずかに視線を泳がし、言葉を詰まらせる。フレイがわずかに不機嫌な様子で言った。
 
 「大尉が謝る事なんてこれっぽっちも無いのに! みーんな相手が悪いに決まってますっ」
 
 すると、アムロは目をぱちくりとさせ、苦笑しつつまたフレイの髪を優しく撫でた。
 
 「ありがとう」
 
 彼の言葉は、どこか儚げだった。
 一同が去っていく中、カガリがうーんと悩み、残っていたキラにふと漏らした。
 
 「……何て言えば正解だったんだ?」
 
 キラにわかるわけが無かった。
 
 
 
 ――九月二十四日
 艦の最終調整を終え、あとは発進を待つばかりの〝ドミニオン〟。
 食堂でステラがムウに買って貰ったらしい携帯ゲームを、わざわざ〝アークエンジェル〟から呼んで来てもらったクロトにやって貰い、これは世界的に有名な育成RPGゲームであり彼は苦手だそうだが意外とノリノリでプレイしている。
 
 「よっしゃ、こいつを倒せばバッジゲットだぜ!」
 
 クロトが言うと、ややあってからステラが身を乗り出し、興奮気味にまくし立てる。
 
 「ステラも見たいー!」
 
 するとクロトは
 
 「仕っ方ねーなー!」
 
 呆れ、何やら携帯ゲーム機を操作し、それをテーブルの上に置くと、ややあってから開発会社が技術の粋を結集して作り上げた最新のシステムが機能し、ホログラム映像が浮き上がり、尻尾の先端に炎を燃やす二メートルほどの赤いドラゴンが姿を現した。
同時に広い食堂の壁に映し出された森林がモチーフにされたバトルスタジアムに炎の影が映りこみ、背景の観客たちが歓声を上げる。
 ステラが興奮してきゃあきゃあ嬌声をあげるのをちらちらと見ていた、正式に〝ドミニオン〟隊の一員となったアウルが唇を尖らせて同じく一員のスティングの袖をむぎゅと掴む。
 
 「……なぁー……あれ俺も……」
 「ムウに言えって……」
 
 呆れてスティングが言ったが、アウルはぶすっとしたままだ。
 その様子が可笑しく、キラは勝手にお兄さん気分になって彼らを見つめていると、ふと入り口からむすっとした様子のマユが姿を現し、後ろにはおろおろとシンが心配げに付き従っている。
 画面の外に映し出された赤いドラゴンが口からぼっと炎を吐くと、敵の巨大なカエルの背中に大きな花が生えたような不思議な生き物に直撃し、ややあって苦しみ出し小さなボールの中に戻っていく。クロトが「どうだ滅殺!」と拳をぎゅっと握りステラがきゃっきゃっと騒いだ。
 彼ら以外の一同は皆、むっつり顔でつかつかと歩くマユに目をやった。後ろのシンが慌てて続き、声をかける。
 
 「なあマユ、僕大丈夫だからさ、無理するなって。もう一度考え直そう、艦橋《ブリッジ》へ行ってアズラエルって人に僕からも――」
 
 やけに焦燥している様子だったが、マユは一瞥もくれずにそのまま食堂のキッチンへと向かい、すぐ奥から苦い顔をしたムラタ料理長がひょっこりと顔を覗かせマユの姿を確認し、更に難しい顔をして項垂れた。
 マユが表情を変えずにぺこりとお辞儀をする。
 
 「頑張ります、よろしくお願いします」
 
 言われたムラタはまたうーんと悩み苦汁の色を浮かべ、困り果てる。
 食堂の壁に映し出された観客がまたわっと沸くと、ノンプレイヤーキャラクターの人間が何か台詞を喋り、ボールを投げると、そこから巨大なラフレシアそのものと言った外見の小さなモンスターが現れる。ラフレシアの花の下には愛らしい顔をした本体の姿があり、ステラが「可愛い!」と声をあげたが、キラにはむしろ不気味に見えていた。
 
 「わかった、マユ、僕これが終わったらオーブに帰るよ。そして二人で一緒に――」
 
 ああそうか、とキラでもわかった。シンの妹、マユ・アスカは〝ドミニオン〟に残る決意をしてしまったのだ。兄を差し置いて。同時に、何故、という疑問が浮かび上がる。
 シンが戦うか戻るかを悩んでいた事は知っている。ならばそれに釣られて、とも考えたが、今目の前でシンがオーブに戻るからと懇願し、それも無視されているので違うだろう。
 ステラがにこやかにぴょいと椅子から飛び立ち、マユの元にたっと駆け寄る。
 
 「ずっと一緒だね!」
 
 とそのまま抱きつこうとしたところでマユはぱっと左手でステラの顔を抑え、それ以上の接近を許さなかった。
 
 「あなたの為じゃ無いです」
 
 むすっと不機嫌なままマユが言うと、ステラは尚も抱きつこうと抵抗したが、呆れてやってきたスティングに抑えられそれ以上身動きは取れないようだった。
 
 「マユー! 何でだよー!」
 
 シンが泣きそうになりながら叫ぶと、マユはわずかにちらとシンを流し見、言った。
 「……本当にわからないの? お兄ちゃん」
 「わからない! なんで突然……! 僕が何かしたのか!? 悪かったのか!?」
 
 マユが短く思考し答える。
 
 「何もしてないし、お兄ちゃんは悪くないけど、お兄ちゃんが悪いです」
 「ええ!?」
 
 シンがわけのわからないといった顔になって驚愕したが、キラにもわけがわからなかった。
 ともあれ、〝ドミニオン〟食堂の新たな看板娘の誕生であった。
 
 
 
 ヒルダがやってきて数日が立ち、その状況をレイはついに来るものが来たか、と緊張しながら状況を見守っていた。
 ヒルダは甲斐甲斐しくラクスの後をついて周り、料理も危険だからと手伝うようになり(結果味は落ちた)、風呂場も彼女が見張るようになり、少しずつラクスがまたやつれて行く様で見るに耐えなかったが、午後七時、リビングでヒルダがふと、ミーア・キャンベルの行った慰問ライブが成功であった事を漏らしてしまい、ラクスがそれに反応する形となる。
 
 「もう、行われたのですか……?」
 「――? ご存じなかったのですか? 私はてっきり……」
 
 ヒルダが怪訝な顔になり、ラクスがじろとレイに批難の目を向ける。どうせ知ってたら知ってたでまた騒いでたんだろう貴女は、という言葉を飲み込み、レイはただ視線だけで謝罪の意を示すようにした。
 同時にヒルダも横目でレイをじろと睨み、何で言ってないんだ馬鹿と言わんばかりの面持ちだが、面倒だったので同じく視線だけで謝った。
 ラクスがわずかに不機嫌になって言う。
 
 「そう。では、そろそろ〝ミネルバ〟に戻らねばなりませんね」
 
 途端にヒルダの表情は明るくなり、
 
 「はい、皆が喜びます!」
 
 と言ったが、レイの気持ちは晴れなかった。そうやって、また貴女は自分の心を削って何かをしようとしている。短い間であったが、レイはラクスという少女の心の深遠に踏み入りすぎていたのかもしれない。だから、余計に心配になってしまった。
 ラクスがわずかに嘲笑する。
 
 「では、ヒルダ様もお帰りになって結構です」
 「えっ」
 
 途端にこの世の終わりとでも言いたげな顔になり、何を大げさなと思うよりも早くラクスがまくし立てる。
 
 「慰問ライブは終わって、わたくしのここでの役割は終わりました。では、貴女が〝ターミナル〟の者か〝ファクトリー〟の者かはわかりませんが、これ以上の監視は無用では? 貴女方の思惑の通り、わたくしはすぐにでも艦に戻りますので」
 
 冷たい声色であったが、彼女が発した単語のいくつかはレイの知らないものであった。
 ――監視? このヒルダ・ハーケンが……?
 ちらとレイがヒルダの顔を覗き見るようにした。すると――
 
 「あ、あの……すみません、何をおっしゃってるのか……」
 
 きょとんとした表情を浮かべ、本気で困惑した様子の彼女がしどもどと言うと、ラクスはあれっとまた首を傾げる。
 
 
 
 「ターミ……何でしょう? あた――いえ、私でお力になれることでしたら――」
 「あ、い、いえ、ええと……」
 
 互いに言葉につまり、わずかにさあと風の音が鳴り響いた。
 ラクスがまた視線を逸らし何かをひたすら考え、困ったようにしてヒルダに言った。
 
 「ええと、何故ヒルダ様はそんなにわたくしを――?」
 「えっ。あ、はい、ラクス様だからです!」
 
 また、沈黙が流れ、木の葉が舞い散る音が耳に入る。ラクスが困惑したように、もう一度。
 
 「わたくしはもうアイドルではなく、裏切り者の娘で、少なくとも世間ではそう見られています。情報統制はされて前線の方々には伝えられていないようですが……」
 
 最近はミーア・キャンベルに押され気味であるが、未だにラクス・クラインの人気は確かに絶大であり、シーゲル・クラインらの裏切りは本国くらいでしか知られていない。最も、どこからかは既に漏れ始めていているのだが。
 ヒルダは罰が悪そうに視線を逸らし、
 
 「そ、それはそうかもしれませんが、それでも私はラクス様を崇拝しています」 
 「ですからそれは何故――?」
 
 ラクスが困ったようにして言うと、ヒルダは更に困った顔になり、何故だか顔を赤くしてつぶやいた。
 
 「……い、言わなければ、なりませんか?」
 ――?
 レイはわけがわからず顔をしかめた。ラクスも同じようにし、
 
 「はい、答えてください」
 
 と促した。
 むうとヒルダが口を噤み、耳まで顔を真っ赤にしながら天井を仰ぎ見る。やがて視線は端にやられレースのカーテンを見、いくつかの家具を通じ、ラクスの足元から上にあがり、目を見つめ、たまらず逸らした。
 
 「……い、今言わなければ――」
 「言ってください、気になります」
 
 ぴしゃりとラクスは言ったが、そこに嫌味な色は感じられず、単純に彼女自身もどこか困惑しているように見受けられた。
 ぐぐと押し黙っていたヒルダであったが、彼女は一度深呼吸をし、それでもラクスの瞳は見つめることができず、俯いたまま搾り出すように言った。
 
 「あ、貴女が……好き、だから……です……」
 
 ラクスがきょとんと首を傾げ、聞く。
 
 「好いてくれるのは嬉しいことです。ですから、それが何故、と……」
 「で、ですから!」
 
 もう一度ラクスは首を傾げ、ヒルダの顔はそのまま発火してしまいそうなほど赤くなり、更には挙動不審になり、息も荒く、それでも何とか自分を落ち着かせようとし、もう一度何とか搾り出した。
 
 「あ、愛しています、貴女を……」
 
 言った後、ヒルダはほうと甘い息をつき、気恥ずかしげに視線を逸らした。
 
 ラクスがきょとんとし、もう一度、
 
 「ですから、その理由を――」
 
 と言いかけると、意を決したヒルダがぎゅっと目を瞑り、
 
 「し、失礼します……っ」
 
 と跪き、ラクスの小さな手を優しく握り、手繰り寄せ、その指にキスをした。
 レイは、まさかと気づき、ラクスはまだきょとんとしたまま首を傾げ、やがて――
 
 「ひゃぁあすみませんすみませんごめんなさいごめんなさい! あ、あの、あのわたくしはそういうのじゃなくて――!」
 
 全てを理解したラクスが青ざめた顔でぴょいと飛びのきそのままぼふとソファーに尻餅をつき混乱したまま大慌てで続ける。
 
 「で、ですからわたくしはそそそそう言う意味では、そ、そりゃフレイは少し良いかなとか思った事はありますけどそれはあくまで友達としてであってわたくしはそんな、すみませんですからわたくしは、わ、い、いたってノーマルですのでごめんなさいー!」
 「お、落ち着いてくださいラクス様! そ、その、ラクス様が謝る事では決して無くて、他の至らない気色の悪い男共に魅力が無いのが悪くて決して、ですからラクス様に非があるわけでは――」
 
 ヒルダも顔を真っ赤にしながら大慌てで釈明し、レイもようやく、同性愛者かと気づき頭を抱えた。
 
 「で、ですから、他の男共が何を思おうと、あ、あたし……私は貴女の、貴女だけの味方ですから、ず、ずっと、一目お会いした時から想っていましたので、ええと――」
 「では、その、眼帯は目が悪いわけでは無いと聞いていましたが、人のファッションというものにとやかく言うつもりは無いので黙っていましたが、そ、それは、男避け……?」
 「そ、それも、はい、あります……あ、お嫌いでしたか!? 取ります、すぐに!」
 
 と二人してもう何を言っているのかやっているのかもわからなくなったようで、ヒルダが眼帯を慌てて取り
 
 「……取りました」
 
 と見ればわかることをわざわざ口に出す。
 レイもどう口を挟んで良いのかわからず、ただ呆然と見ているだけである。
 また、長い沈黙に支配され、レイはただ固唾を飲んで状況を見守っていた。
 時計の針がかち、かち、と音を立て刻み、先ほど時計を見てからまだ数分しか立っていないことに内心驚いた。
 あまりにも濃い数分であったから。
 しどもどとし視線を泳がしてたラクスがわずかに視線でレイに、わたくしを助けなさいと言ったような気がしたが、ヒルダがそういう思惑ならレイに出来る事は皆無であり、冷静な表情を崩さずぷいとラクスから視線を逸らしその命令を拒否する。
 ヒルダがごくりと生唾を飲み込み、「あの――」と何かを言いかける。
 
 「お友達からはじめましょう!! ね!!?」
 
 ヒルダが言おうとしたその先の言葉がたまらなく恐ろしいのか、ラクスは不自然に声を張り上げ乾いた笑みを取り繕った。十六の少女にとって二十歳の女性とは、やはり全くの別物であり、美人とは言え飾り気の無い気難しそうな年上の女性から愛を告白されたともあれば、精神の拷問である。
 
 「お友達、ですか……?」
 「そう、そうです! お付き合いする前にはお互いを知らなくてはいけませんね? で、でも、ヒルダ様もわたくしのアイドルとしての顔しか知らないようで、わわわたくしもモビルスーツのパイロットのヒルダ様しか知らないので、こ、ここはお友達として、ね? 長く続けば友情はきっと、そんな気持ちを忘れさせてくれます、そうに決まってます!」
 
 ヒルダが目をぱちくりとさせ、ラクスは彼女が何かを言うよりも考えるよりも早くとにかく誤魔化そうと必死に言葉を羅列させていく。
 ややあって、ヒルダはどことなく満足した様子で向き直り、ラクスは笑顔を取り繕ったがそれは引き攣っており、レイはまた視線を逸らした。ヒルダが言う。
 
 「で、では、そういう事でしたら、わかりました。と、友達、ですね、はい、ありがとうございます」
 「は、はい、それでは、そういう事で。わたくしは明日戻りますね」
 「わ、わかりました。では私もそうします」
 
 ラクスがぎょっとして固まったが、辛うじて笑顔を崩さなかったのは賞賛に値するだろう。
 ヒルダが外の風に当たりに行くとしてリビングを後にしたのを確認してから、一拍置いて、ラクスがふらふらと目眩を起こしたようにしてソファーにへたり込んだ。
 結局この数日のあれもこれも、全てラクスの誤解であったのだろう。わずかに苛立ちが残っていたので、レイはそのがっくりと来ている少女の背中に向けて冷ややかに言ってやった。
 
 「良かったですね、友達ができて」
 
 途端にクッションを投げつけられ、それを避けずに受けてやってからレイも部屋を後にした。
 こんな事でアスランに会って、どうなるんだろう。未だに不安は消えないが、それでも、やれやれとレイはため息をついた。辛うじて、事態は好転した、と言って良いのだろう。
 廊下のひやりとした温度で火照った体を冷やしていると、戻ってきたヒルダと目が合った。彼女がおもむろに言う。
 
 「お前、本当に何もしてなかったんだね」
 「するわけが無いでしょう。ザラ隊長は俺を信頼して任せてくれたんですから、その期待を裏切るわけには行きません」
 「ほー、言うじゃないか」
 
 特にこれ以上会話を続ける気も無く理由も無く、レイは口を噤んだ。
 ヒルダもそれに応じたようで、互いに無言となり、彼女はレイの横にまでやってきて壁に背を預けた。
 何なんだ一体、と思っていると、ヒルダが言った。
 
 「お前ホモか?」
 「違います」
 
 考えるよりも早くそうきっぱり言うと、ヒルダは
 
 「なーんだ」
 
 とどこか呆れた様にして見せ、
 
 「仲間が出来たと思ったんだけどね?」
 
 と付け足した。
 そんな仲間になってたまるか、とレイは喉下までいくつかの罵倒がこみ上げてきたが、辛うじて全てを飲み干し、無言の無表情で返す事に努めた。
 
 
 
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