早いもので、ヴィヴィオの保護から二ヶ月ほどがたち、もうそろそろ夏も終盤という時期になっている。
その二ヶ月の間、きっと俺は幸せで、幸せで、幸せだったのだろう。今の胸の中にぽっかりと穴の開いたような感情を思えば思うほど、それは明確になっていく。
別に誰が悪いって話じゃないんだろう。俺が悪いわけでも、はたまたなのはが悪いわけでも無いと思う。ただ、ちょっとした行き違いというのは行き過ぎると落とし所がわからなくなってしまうものらしいと最近知ったのだ。
そして呻く。どうしてこうなってしまったのだろう、と。
……魔法少女リリカルなのはD.StrikerS、始まります。
魔法少女リリカルなのはD.StrikerS
第21話「叫びをあげる事すら叶わなくて、なの」
轟轟と耳元で風が鳴っているのは、今自分が立っているのが訓練場に立つビル群の中でも、一番高いそれの屋上に立っているからだろうか。
眼下に広がる訓練場の中を小さな豆粒位に見える標的を探し当てたとき、シンはそんな事を思っていた。
ちょこまかと動き回るのを目で追いながら、自分の身長ほどもある長大な砲身を腰だめに構えると、狙いを定める為に目をこらした。動く的を狙うのは静止したそれらの何倍も難しいのはあたり前だが、更に慣れない得物という条件がそれに一層拍車を掛けている。
『どうだ、いけそうか?』
「多分、いけると思う。狙撃モードに移行……っと。」
通信機越しに聞こえたハイネの声に答えながら、シンは周囲の魔力素を取り込み、それを魔力へと練り上げる作業に移った。もういい加減慣れたものではあるのだが、更に2ヶ月前の出撃――――ヴィヴィオを保護した――――以来、これまで以上に深い部分でこの工程をこなせるようになった気がしていた。
自分の中で魔力が生まれ、そのイメージが強く脳内に湧き上がる感触。また、それらが体を巡り巡って力、即ち魔法へと変化する過程を、今まで以上に鋭敏にシンは把握出来るようになっている。その所為か以前よりも魔力を上手く扱えるように感じていた。
「……オルトロス、セット――――補助スコープ展開。」
言葉と同時に練り上げた魔力を用いて己の魔法式を描くといった、今のシンにも出来る一般的な魔法の行使はしない。ただ自分の言葉に反応してデバイスが求めてきた通りに魔力を渡してやる。
足元にシンの魔力光に対応した赤色の魔方陣が展開され、同時に構えたオルトロスの砲口に魔力が集中していく。更に眼前には砲身の照準と連動した望遠像とマーカーが浮かび上がり、それに目を凝らしながらシンは狙いを定めた。若干のタイムラグを感じずにいれなかったのは、このデバイスの処理能力がインパルスのそれを下回るからだろうか。
「っけぇッ!」
短い呼気と共にトリガーを押し込む。
直後、砲身から一条の光が吐き出され、シンが狙った通りに突き進み、
「……あれ?」
外れた。既に通り過ぎていた標的――――訓練用のガジェットドローン――――には当然の様に当たっていなかった。放たれた一撃は、ただコンクリートの地面を抉るに終わっている。
「ちっ、またかよ。」
舌打ちを一つ、もう一度構えなおし集中。同じ手順で魔力をデバイスに送り込むがその動作には苛立ちが隠せずに居た。これで今日の訓練で外すのは4回目になる。
あのガジェットが不規則な動きをするとは言え、ケルベロスなら問題なく破壊できただろう。
もちろん、自分用に各種設定がアジャストされているインパルスを初めとしたシステムと、今シンが使っている特別な設定もされていないデバイスでは比べること自体おかしな話なのだが。
もしくは……今の自分の精神状態に原因があるのかもしれない、と考えてどうしようもなく苛立ちが自分の中で湧き上がった。ぎり、と奥歯が軋むほど噛み締める。
それを晴らす様にさらにもう一発撃つが今度はタイミングが早すぎた。赤い閃光がガジェットの鼻先をかする様に空を切り、遥か後方のビルの外壁に突き刺さった。ガラガラと破壊された破片が崩れ落ちるのを視界の端に認めながらもう一度舌打ち。
「いい加減……」
上唇を舌で一度舐め上げる。
「当れよなァっ!!」
三度、発射。
今度はガジェットの中心部を確実に射抜き、その機械で出来た体躯に大穴を開ける。
『全ガジェットドローンの撃破を確認。どうだー、シン? 使い心地はよぉ。何発か外してたが。』
ハイネからの通信が入る。シンは一度呼気を漏らすと、先ほどまで使っていた砲撃用デバイス――――オルトロス――――を待機状態に戻し、一言。
「使い難い。なんかズレる。」
『……そうか。ま、とりあえず下降りて来い。お疲れさん。』
「りょーかい。この後は何時もみたいに?」
『俺と模擬戦でもするかぁ。今日もぼっこぼこにしてやるから楽しみにしとけって。』
シンは通信が切れたのを確認してから溜息を吐くと、
『ああ、やはり私に慣れた所為で他の子は上手く使えなくなっちゃったんですね。』
「うるせ。というかもう少し言い方選べよ言い方を。」
胸元のバッジが光る。相棒の余りな言い方にやれやれと首を振りながら、シンは屋上の端へと歩いていった。#br
インパルスが今言った事も事実ではあるのだろうが、やはり最たる原因は別にある事をシンは理解していた。更に言えば、インパルスも判っていて茶化すような事を口にしているのだろう。
『まあ、言わば私はマスターの為に誂えられたオンリーワンですからね。そんな量産型が同じ様に使えると思わないで欲しい所です。』
「製作元をはっきりとさせないデバイスがよく言うよホント。」
本来ならあるべきフェンスは無い。訓練用の擬似的な建物でどうこうという話だったが、シンにとってはどうでもいい話なので細かい理由は知らない。その端、足場が切れている所に片足を乗せて、下を覗き込む。
(ここに来る前ならこんな所から飛び降りようなんて夢にも思わなかったよな。)
変われば変わるものだ、と改めてシンは思う。初出撃の時、なのはに突き飛ばされ、情けない悲鳴を上げながらヘリから落下した事も、もう懐かしい話だった。
よく考えればここに来てそろそろ半年だ。どうなるものかと思ったがこうして自分の居場所を見つけることができた。自分を父と呼ぶヴィヴィオとの関係も、良好である。最近はスバルやティアナが親馬鹿と勝手に呼んでくるがなんでそういわれるのかわからない。
気がかりが無いと言えば、無論嘘になる、が。
タンッ、と軽く足で屋上の床を蹴り上げて中空に躍り出る。浮遊感を楽しむ間もなく、即座に飛行魔法の簡易版。通称リカバリーと呼ばれる技術を用いて落下速度を減衰させる。
『マスターも魔法上手くなりましたね。ちょっと前まで私の補助が無いと何も出来ない……というか演算はほとんど私がしてたのに。』
「そりゃ、毎日あんだけしごかれたら嫌でもこうなるだろ。最近はコツも掴んできたし。」
シグナムを始め、シャマル、ザフィーラと言ったヴォルケンリッターの三人……もとい二人と一匹に加えて、新しいデバイスの開発とレリック事件の捜査の協力の為に、陸士隊からギンガ・ナカジマと共に出向してきたハイネ。彼らによる虐めじゃないかこれ、と言いたくなるほどの訓練に日々耐えているのだ。これ位の芸当が出来なかったら嘘だ。
「っと。着地終了っと。」
そういえば今日はヴィヴィオが訓練風景を見に来ると言っていたのをシンは思い出して、表情にやる気を滲ませた。
(いい所見せたいよな……ってこんな事考えてるから親馬鹿扱いされるのか?)
首を捻りながらシンはハイネ達がいる方へと足を向けた。時間的に他の面子もそろそろ休憩に入ってるのではないだろうか、などと考えながら。
少し歩くとビル街を抜け、ちょっとした公園のような原っぱに出る。大体、休憩の時は他の面子もここによく居るし、今回は先ほどのデータ取りをしているハイネとシャーリーが居るはずだった。
少し周りを見回すと直ぐに見つかったので、そちらに向かう。どうやらスバルやティアナといったほかの面々はまだ訓練の途中の様だった。
「よう、お疲れさん。」
「ん、データの方はどうだった?」
こちらに気付いたハイネに軽く会釈をしてから、先の訓練というよりはテストの結果を聞く。
「んー、デバイス自体はちゃんと動いてるし、展開された魔法式への魔力の譲渡も不備は無し。更に言えばデバイスに依存している魔力、魔法の行使もおかしいところはなし。
その他諸々データ上ではオールグリーン。つまり……」
それに対して、カタカタと空中に浮かぶコンソールに対して指を躍らせながらシャーリーが口を開いた。
続きを言わずにただ視線だけを向けてくるのは優しさでは無いとシンは思う。決してこれは優しさなんかじゃないと。
「……俺の所為ですよね。」
「ま、まあ、インパルスと似てるたって勝手が違うはずだし。仕方ないって!」
「今回のは一応被験者は多いほうがいいって事でのデータ取りなんだからそんな事一々気にすんなよ。」
フォローが逆に耳に痛かった。確かに使い慣れないデバイスで戸惑ったりもしたが、オルトロスを始め、ザクシリーズの売りは誰でも使えること、なのだ。
実際、陸士隊の方のハイネの小隊で行われているデータ取りでは、ほとんどの隊員が上手くとまではいかないもののそれなりに扱うことが出来ているとの事だった。
やはり三日前の出来事が尾を引いているのだろうか。と、考えると自然と口から溜息が出た。
「どうかしたのか?」
「……いいや、何でもない。模擬戦、するんだろ?」
ハイネにそう答えてから、シンは歩き出した。後ろから探るような視線を感じる。
飄々としていながら、その実かなり鋭いハイネの事だ。自分の不調に気付いているだろう。それどころか、彼なら既に原因を知っているかもしれない。
少なくとも回りに目がある時はなのはと険悪になった覚えは無いのだが、普段と違う事に気付く位は容易いことだろう。
(……アイツはどうしたいんだよ。)
胸中でぼやきながら、シンはインパルスを待機状態から解放させ、己の身に纏わせる。シルエットは基本であるフォースを選択。服装が変わると共に、背部に赤い機械のスラスターが顕現する。
アイツ、とは当然、高町なのはの事だった。自分と共に、ヴィヴィオの親代わりをしている女性。
そして、現在シンとまたちょっとした喧嘩のような状態にあるのも彼女だった。今までには出会った時になのはの言う奇麗事が気に入らなくて突っかかったのと、後はティアナとスバルの模擬戦の時くらいだろうか。なんだかんだですぐ和解したのを覚えている、が。
今回のはそれらと少し事情が違うのだ。こっちとしても退けないしあちらもそうなのだろう。
昔の自分の様に突っかかるだけ突っかかれれば、それはそれで問題なのだろうが、そちらの方がどれほど楽だろうとも思う。
「じゃあ、始めるか。あ、デスティニーシルエットは使うなよ?」
少し距離を離して対峙する形をとっていたハイネが、開始を口にする。ついでと言った風に付け加えられた注意にシンは頷くことで応えた。
――――デスティニーシルエット。
最近になってシャーリーが存在をシンに伝えたインパルスのモードの一つである。モデルは恐らく数台だけ実戦配備されたとされるデスティニーインパルスなのだろう。シン自身は、その発展型であるデスティニーに搭乗していたので実際に乗ったことは無い。設計上、様々な不備、主にエネルギー効率や機体にかかる負担など、問題が多かったらしい。基本コンセプトはシンが乗っていたデスティニーと同じもので、このデバイスのにしてもそうらしく1週間ほど前に使ってみたのだ。
結果として、見事に問題点まで引き継いでいたらしく現状では5分も使えば魔力が枯渇し、シン自身が倒れてしまう有様だった。また、同時に全てのデバイスの処理を担当するインパルスにかかる負担も相当の物だったらしく、その日は半日メンテに費やしてしまった。
それ以降、はやてからの命で封印処理を施してある。いくら戦力が上がるとしても使いこなせなくては意味が無い、と。
そんなことを思い出しながらシンは眼前のハイネを見やった。彼は彼で己のデバイスを身に纏っている。ここ数日はテストの為もあってかザクを使っていたハイネだが、素体としてのデバイスは全て彼が隊長を務める小隊に下ろした為か、今日はイグナイテッドを使うようだ。明確なスタートの合図は無かったが、もう何度も繰り返しているので自然とタイミングを図ったようにお互いが同時に動き出す。
一足飛びに距離を詰める。手には抜き放ったヴァジュラサーベルを構え、間合いが詰った瞬間魔力の刃を振り下ろす。袈裟懸けに放った斬撃は、しかし体をずらしたハイネの首皮一枚を切るに終わった。更に崩したバランスを無理に直すのでなく、流れに身を任したままハイネがこちらの胴に向かって蹴りを放った。
「がっ……」
ギリギリの所で間に盾を挟みこみ、直撃は避けたが衝撃で数歩後ろへ押し込められる。必死で足を踏み留めるシンの目に映ったのは、突き出されたハイネの腕、その先端の指。そして手の甲に取り付けられた小さな三門の砲口。
状況を理解した時には、連続して飛び出てくる魔力の弾丸が驟雨の如く降り注いできた。
一つ一つの威力は大した事は無いものの、痛みはある。こちらの行動を阻害するには十二分の効果があった。盾に身を隠しながら、背部のスラスターから魔力を吹かし推進力へ変え、ジグザグに後ろに下がりつつ障害物――――ビルの陰――――に隠れる。
「どうしたどうした! この程度だったか、お前は!?」
息を吐く間も無く、ハイネの叱咤と共に更に絶望的な音が聞こえる。カシュン、カシュン、と小気味のいいリロード音が続けて二回。本能が告げる。ここに居るのは危険だと。それが鼓動に変わり、シンに危機、恐怖を伝えてくるが、動こうにもハイネが放つドラウプニルの弾幕は未だに健在なのだ。
壁代わりにしているビルの壁や、直ぐ足元のコンクリートも次々に削れていく。ここから飛び出そうものならすぐさま蜂の巣であろう。しかし、このまま粘る事も恐らくかなわない。
(ンなこと言ったってなあ!)
例えば、例えばこれが何時ものシンであったなら、多少の無茶をしてでもこの不利な状況を打開しようとしただろう。このまま何も出来ずに終わるならそれこそ驟雨の如く降り注ぐ魔力弾の前に身を晒すくらいやってのけただろう。
だが、この時は違った。どうにかしようとした瞬間、一瞬なのはの顔がちらついて判断が遅れてしまった。
直後、シンの頭上の壁が数本の鉄線に切り裂かれる。
落下してくる破片を見ながら、それらを切り裂いたのがハイネの振るったスレイヤーウィップである事を理解する事は出来た。が、それを防ぎ、避ける事は終ぞ叶わなかった。
――――きっかけは本当に些細な事だった。
三日前、シンがデバイス調整室で訓練の合間に続けているシャーリーの手伝い――――はやてからの罰はまだ終わってない――――として、あーでもないこーでもないとモニターを前に唸っていた頃だった。
インパルスを通じてシャーリーに伺った後、必死で部隊の長であるはやてや新人の教育をしているなのは達を説得して開発に漕ぎ着けた案のデータ調整。物自体はほとんど完成しているのだが、調整が未だに終わらない。インパルスの各シルエットが基礎となっているものの最早ほとんどが別物となっているので、インパルスのマスターのシンでもこの作業は頭を抱えていた。そもそもデスクワークは苦手なのだ。それでもやる価値はあるはずだったし、そもそも言いだしっぺはシン自身なのだ。エリオとの約束もある。やらなければならない……のだが、
「だああっ。無茶苦茶すぎるぞこれ! 本当にこれソードシルエットの発展系なのか!?」
「がんばれ~。ファイトだ~。」
警告音と共に画面にエラーの文字が唐突に現われる。もう何度目になるかわからない位に見慣れてしまった、その表示。いい加減嫌になってきても仕方ないだろう。
向こうは向こうで大分キテるのだろう、気の抜けたシャーリーからの激励の言葉が背後から聞こえてくる。無論、それでやる気が湧くわけもなかったが。彼女は彼女で現在栄養ドリンクの瓶に埋もれてる辺り、難航しているのだろう。
軽く悲鳴をあげてから、脱力し背もたれに体重の殆どを預けて天井を仰ぐ。椅子の背がぎし、と鳴るのとこの部屋のドアが開くのはほぼ同時だった。
「こんにちわ~。ちょっといいかな?」
もう聞きなれた声がシンの耳に飛び込んでくる。
「あ、なのはさん。どうかされたんですか? シン君ならあそこで死んでますけど。」
「うわ……どしたの、シン君。」
「煮詰まってるだけだから気にしないでくれ……」
そこまで今の自分は酷い格好をしているのだろうか? と、一人ごちながらシンは目線だけをずらして訪問者を見やる。何時も通り陸士の制服を着込んだ高町なのはがそこに立っていた。
「えーっと……頑張ってね!」
「……おー。」
軽く右手だけでサムズアップ。ちょっとだけやる気が出てくる辺り現金な話だと思いながらも事実は事実だった。
「それで今日はどうかされたんですか?」
「ああ、うん。レイジングハートがメンテしたいって言ってるからお願いしてもいいかな?」
「それ位ならお安い御用です! ちょっと今から八神部隊長の所に報告に行かなくちゃいけないんでその後になりますけど。」
「うん、それでいいよ。お願いね。」
「なんでも、査察に来た人達に説明するとかどうとかで。終わったらパッとやっちゃうんで。」
なのはから待機状態のレイジングハートを受け取ると、シャーリーはいそいそと仕度を始めた。これからハイネと共にはやての元でザクについてのプレゼンの様なものをするとは聞いているので、それの準備なのだろう。査察が入るという話も聞いていた。というか既に査察は始まっているとかなんとか。色々あるらしい。自分は良く知らないが、と心中で付け加えたところで、視界の端になのはが口を開いたのが映った。
「そういえばシン君。今ヴィヴィオが何処にいるか知ってる?」
「んー……? ちょっと前まで此処にいたんだけどな。ふらっと来たザフィーラに跨って食堂に行った……はず。」
「そっかそっか、ありがとうね。ちょっと手が空いたからどうしてるかなぁって……にしてもザフィーラさん、本当に懐かれてるよね。」
「俺もお前も仕事あるから助かってるんだけどな……アイナさんとかにも迷惑掛けっぱなしだし……」
ぎしりと椅子を軋ませながら体を起して、なのはと目を合わして数秒。同時にはあ、と溜息を吐いた。
親代わりであり、またヴィヴィオも自分たちの事を父や母と呼んでくれているが、本当にその役割をこなせているかどうかというのは、お互いに不安な事であったのだ。もちろん、こなさなくてはいけない仕事があるので仕方ない事なのだが、簡単に割り切っていい問題ではないと、シンにしろなのはにしろ感じていた。
「それでも、シン君はヴィヴィオちゃんのご飯とかお弁当を合間合間に作ってあげてるし、なのはさんだって仕事を早く終わらせて一緒に居てあげてるじゃないですか。」
「「それは当然だろ(じゃない)?」」
横で準備の手を止めたシャーリーがフォローの言葉を入れると、シンとなのはの二人はさも当たり前といった顔で返事をする。即答でしかも同時に同じ内容を口にする二人にシャーリーは乾いた笑いを上げるがシンにしろなのはにしろそれに気付いた風でもなかった。
「ハハハ……そういえば、ヴィヴィオちゃんの里親ってまだ探してるんですよね?」
何の気も無しに、ただ偶々思いついたから言っただけだと思われるその言葉に、シンは一瞬硬直した。冷たい指を内臓に差し込まれたような、そんなぞっとする感触が全身を走り抜けたからだ。
「一応、ね。やっぱりわたし達の仕事って絶対に無事で居られる保障なんてないから。」
それに応えるなのはの声も何処か遠くに聞こえた。
里親を探していることを知らなかった、なんて事は無い。それはヴィヴィオを保護した直後に決まった事なので、当然シンも知っていた。だが……思えば、最近は無自覚にそれを意識しない様にしていたのかも知れない。忘れようと、していたのかもしれないと感じてしまっていた。
「っと、ヤバ。もうこんな時間だ。じゃあ、わたしは部隊長の所行ってくるから、後ここのことよろしくね!」#br
「あ、ああ……」
慌てて資料を引っつかみ、飛び出ていくシャーリーになんとか応えた後、部屋の中に残るのは少し居心地の悪い沈黙だった。
「そ、そういえばシン君は今何やってるのかな?」
その気まずさを振り払うようになのはがシンの後ろに立ち、前のモニターに目を向ける。
「ソードシルエットを元にしたののデータ弄り……だと思いたいんだけど。」
「へ~……そー……ど? え、ごめん、何処の辺りがソード?」
画面を見て固まるなのはにシンはだろうなあ、と諦観を表情に浮かべる。自分だって同じ事を何度も口にしているのだ。無論、意味は無くそろそろモノが出来上がろうとしているのだが。
「魔力の刃を固着させる辺りなんじゃないか? 文句があるなら暴走したシャーリーさんと俺の馬鹿な相棒に言ってやってくれ。俺は知らない。
シャーリーさんがかなり好きにしたから最早別物だ、これ。」
「……完璧に趣味、入っちゃってるねぇ……」
呆れたように、もしくは唖然としながらなのはが一言、余りにもわかりやすい感想を述べると、また会話が止まった。
当然ではある。先ほどの里親、というワードはきっと互いに避けてきた話なのだろう。それを今、偶然とは言え突きつけられ、戸惑いを隠せないでいる。少なくともシンはそうだった。
だが、何時までもこうしていられるわけじゃない。それこそ本当に里親としてヴィヴィオを引き取ってくれるという家族が現われたとき、望むと望むまいと、突きつけられる現実なのだ。だから、シンは思っていた事を。ずっと胸に秘めていた事を口にする。
「なあ……本当に、探す必要あるのかよ?」
「……何を?」
少しぼかした言い方になってしまったのは、まだ覚悟が足りないからなのだろうか。
一度大きく深呼吸。そして一息に言う。言ってしまう。
「だからさ、ヴィヴィオの里親を、探す必要なんて本当にあるのか?」
返事はしばらくの間返ってこなかった。チッチッチッチッ。壁にかけてある時計が秒針を刻む音がやけに大きく鼓膜を打った。聞こえるのは部屋のあちこちにある機器の動作音とそれだけで、余計に空気が硬くなっていく。
しっかりと一秒一秒を刻むその音が、逆にシンから時間の感覚を奪っていく。どれだけそうしているのか、シン自身がわからなくなり始めた頃、
「それは、前にも話したよね?」
返事があった。確認するような響きと内容にシンは頷く。
「ああ。」
「さっきも言ったけどさ。わたしやシン君が、何時どうなってもおかしく無いってのはシン君だってわかってるでしょう?」
これはなのはが先ほどシャーリーにも言った言葉でもある。これは当然シン自身も聞いていたし、否定は出来ない。シンやなのはの仕事、つまり管理局の仕事を続ける以上、その可能性は、決して0では無いのだから。
なのは自身、身を持って体験しているのだ。否定できるわけもなかった。
――――それでも、それでもだ。
シンは首を振る。
「わかってる。でも、本当にそれがヴィヴィオの為になるのか?」
ずっと、本当はずっと考えていた事だった。
この二ヶ月間ずっと一緒にいた。ヴィヴィオは自分の事もなのはの事も、もしかしたら自惚れかもしれないが、親だと思っているはずだ。
「里親が見つかって、その人らに引き取って貰えて、ヴィヴィオが幸せになれるのか?」
「それは……」
なのはが言葉を濁す。畳み掛ける様にシンは言葉を続けた。
「親とか、家族がいきなり居なくなって、そんなの受け止められるのかよ?
俺は、うん、俺はそう思えなかったから、オーブに残らないでプラントに行ったんだ。」
誰かに話すのは初めてになることだった。家族が居なくなって、ショックと悲しみと怒りでどうにかなりそうになっていたシンを、引き取ろうとしてくれた人は確かに居たのだ。
自分を発見してくれた軍人。確かトダカという名前だったはずだ。
だけどそれをシンは断った。オーブという国を信じ切れなかったのもあるし、そんな風に割り切れなかったのもある。
ヴィヴィオはどうだろう、とずっと考えていた。
もし引き取ってくれる家庭が見つかって、ちゃんと説明をして、もしかしたら理解してくれるかも知れない。それでも、きっとあの子は泣くだろう。
自分の後ろをよくちょこちょことついて来た時に浮かんでいた笑顔は、失われたりしないだろうか、なんて考えてしまうとどうにもやりきれない。
「でも、このままで、何時か昔のわたしみたいな事にはさせたくないよ……」
シンの言葉を受け止めた上で、なのはが言う。
あんな想いと言う彼女の表情は、普段はあまり見せない苦渋に満ちたもので、それを目にしただけでズキリと胸が痛んだ。
昔のわたし、と言うのは10年程前の大怪我した時のことではないのだろう、きっと。取り乱したなのはがほんの少しだけ零した、それよりも前の話の事かとシンは当りを付ける。
「なのは……」
「わたしだって、わたしだって……!」
吐き出すように絞り出した声が、シンとなのはの二人しかいない調整室に響く。
俯き、少しだけ髪を振り乱すようにする姿がまるで幼い子供の様にシンの目に映った。同時に別の場所で心がざわつく。なんだ、と疑問を浮かべる間も無く口を開いていた。
「そりゃ、そうかも知れない。俺たちは戦ってて、それは何時どうなるかわからないことだって事くらい、知ってる。」
シンにしてもC.Eでの最後の戦いで落ちている。というよりもC.Eでは死んだことになっているだろう。あの時、フリーダムの砲撃は間違いなくデスティニーのコックピット部を貫いていたはずだ。偶然なのか必然なのか――――ハイネ曰く恐らく後者――――ミッドチルダに来ていた。
――――死は、確かにそこにあったのだ。
ハイネにしたってそうだ。少なくともここにきて再会するまでシンにとってハイネは死んだはずの存在だったのだ。戦っている以上、それは何時だって起こり得る出来事で、なのはが言うのもシンは理解できていた。
「ならっ!」
「だけどな……! じゃあ、俺は何のために戦ってるんだよっ。」
だが、それは前提としてなのはかシン、どちらかがその様な事態になるとしての言葉だった。それでは自分が何で戦っているのかわからなくなってしまう気がしたのだ。我知らず荒げていた声でシンは続ける。
「まだ弱いさ! なのはの居る場所に手すらかかってない! でも、それでも俺はっ……!」
――――お前を守る為に強くなろうとしているのに。
最後に放とうとしたその一言だけ、音にならず、シンは喘ぐ様に口を開けた。シンの胸中を占めているのは怒りでも悲しみでもなく、悔しさであった。ぶるりと肩が震え、思わず熱い何かがまなじりから零れ出そうになるのを奥歯を食いしばって耐える。
「ち、違う、わたしが言いたいのはそういうことじゃないの!」
「じゃあ、なんなんだよ!」
首を振るなのはにシンは更に言葉で噛み付いた。頭に血が上っているのは理解出来ている。が、理解した所で感情を抑えられる筈も無かった。
「もう嫌なんだ……! 何かを失ったりするのは! その為なら俺はどんな事だって――――」
そうだ。もう、あんな風にはさせない。ならない。両親に妹、ステラ、レイ。もう、生きてるかどうかも確認する術が無いルナマリアやアーサー、ミネルバのクルー達。
――――もう、何もこの手から零しはしない。その為に俺は――――
「だから、だから怖いのっ!」
そう続けようとした声に被せる様になのはが叫ぶ。一瞬、シンはそれに気圧されたからか思わず動きを止めてしまう。
「わたしもそうだったから! きっとどんな事をしてもシン君は戦うと思うよ。ねえ、本当にわかってる? シン君が傷ついても悲しむ人はいるんだよ!?」
「そんなことっ……わかって……ッ!?」
シンの言葉が止まる。己を見定める高町なのはの瞳に籠もる気迫に中てられたのか。それとも、その目尻に浮かぶ涙の粒が見えたからだろうか。どちらにせよシンにはそれ以上続ける事は出来なかった。
「――――わかってない!!」
ビリビリとその大声に大気が震える。騒音を生む機械などが性質上多くある為、防音処理がなされているデバイス調整室でなければ恐らく今の声は外に洩れていただろう。いや、もしかしたら誰かの耳には入ったかもしれない。
そんなシンの場違いな懸念を他所になのはの言葉は続く。
「わたしがどれだけ、どれだけ不安だかわかるの!? 自分はどうなってもいいって、そんな事どっかで考えてない!?」
もう一度、そんな事は無いと言い返そうとして、しかしシンの口から声が音になって出ることは無く、喘ぐように喉が動くだけだった。
「あの時だってそうだし、この前も訓練の途中で倒れたまま半日も目を覚まさなくて……っ!」
涙は零れていない――――限界ギリギリのところまで溜まっていたが――――しかし、こんな風に叫ぶなのはは、初めてではなかった。二回目のはずだった。
声にならなかった――――少なくともシンには聞こえなかった。なのはの言葉を唇の動きから想像する。
―――――――――怖いの。
(わかんねえよ。)
降り注いだ瓦礫に埋もれ、闇に包まれた意識の中、シンは全てを思い出しながら、それだけを呟いた。
「……ふう。」
食堂で席につきカチャカチャと両手に持ったナイフとフォークの音を鳴らしているなのはは、何かを思い出すように溜息を吐き、また手を動かしだした。目の前のトレーに載せられているのは六課の食堂でも一番の人気を誇る日替わりランチ、今日は白身魚のフライをメインにした洋風にまとめられたものだった。手は動かし食事を取ろうとするもののいまいち食欲がわかず、食器の上の料理は一向に減る気配を見せない。ただ、フライがどんどん細かく分解されていくだけである。彼女の隣に座っているヴィヴィオはぐーに握ったスプーンでオムライスを零しながら頬張っている。何時もなら行儀が悪いとなのはが叱り、それをシンがたしなめるのが日常だった。しかし今日はシンがいないのもあれば、そもそもなのは自身が叱らないでいる。
シンは先ほどの訓練で頭部を打ち気絶している。自分が見ていると言ったなのはをハイネが止め、シンが起きるまで彼が付き添ってくれることになっていた。
(ちょっとだけ……ホッとしちゃったんだよね……)
ハイネがそう言ってくれた時、そんな風に考えてしまった自分が凄く嫌だった。自己嫌悪が心を苛む。
シンとは三日前から少し気まずい状況になっている。原因は、きっと自分にもあるし彼にもあるのだろう。冷静な部分ではそう考える事が出来たが、思い出せば思い出すほど自分が如何に勝手だったかを思い知らさられる。それが、辛かった。
あんな事を言ってしまえば、嫌われて当然なのだろう。事実、ここ数日シンと目を合わしたり二人で話すことは極端に減っていた。ヴィヴィオが一緒にいれば話は別なのだが、他の場面ではどうしてもあの日の事が……あの日の愕然としたような、シンの顔が頭から離れなくて上手く喋ることが出来ない。
――――高町なのははシン・アスカの事を嫌いか?
二ヶ月ほど前から、何度も繰り返した自問自答だ。そんなわけが無い。当然NO。今の様な状況でも自信を持ってNOと答えられる自信がある。むしろ逆だとすら言えるだろう。向こうがどう思っているかは果たしてなのはには想像出来ないのだが。
少なくとも嫌われていることは無い、と思いたい。もう今ではどうかわからないが。それでもそうであって欲しいと願う己をなのはは認めていた。
じゃあ、どうしてこうなってしまったのか。そこまで考えてなのはは一口だけフライを口に含み咀嚼した。少し冷えてしまったそれは、それなりに美味しかったがどうにも物足りない。
(当然、だよね。最近ずっとシン君の料理ばっか食べてたし。)
だから味気ないと思ってしまうのかもしれない。
一緒にヴィヴィオの服などを買いに行ったあの日。シンが自分で買っていたものは包丁と食材だった。いや、包丁は確か変な人に貰ったと言っていたはずだ。そしてその日の夕飯はシンが腕を振るったカレーライスだった。普段の彼からは想像も出来ないくらい、それは美味しくて、一緒に食べた六課の隊員からの評判も良かったし、何よりヴィヴィオが喜んだ。その日以降、少しずつ彼が料理を作る機会が増え始めた。訓練に使う時間は少し減ったが、シンははやてからヴィヴィオの面倒を見るという”仕事”を与えられている。その事に関して不満が出るようなことは無かった。そして一ヶ月も経った頃には彼となのはとヴィヴィオの食事はほぼ三食シンが作るようになっていた。普通、逆じゃないかと思いもしたが、悔しいことにシンは自分よりも料理が上手くて、そして楽しそうだったのだ。料理を作る彼が。ヴィヴィオや自分が美味しいと言った時の彼の笑顔が。とても楽しそうで幸せそうにすら見えたのだ。
そして、一緒に笑っていた自分も――――確かに幸せで。
「あ、あれ?」
唐突に視界が滲んだ。
溢れそうになる涙を奥歯を噛み締めてなんとか耐える。最近、自分の意思に関係なく涙腺が悲しみを訴えてくることが多くなった。少し前までは誰かの前で泣くなんて、有り得ないとすら考えていたなのはにして見ればこれは大きすぎる変化だ。
「……まま?」
こちらの異変に気付いたのだろうか。隣に座るヴィヴィオが少し心配気にこちらを見あげてくる。
――――駄目だ。堪えろ。泣くな。笑え。何があっても、この子に不安を与えるな。
心の中で自分を叱咤して、なのはは口元を歪め、笑う。ちゃんと笑えてるのか自身は無かった。だけどこれが精一杯だったのだ。ひゅう、と浅くゆっくりと息を吸って、声を出す。自分の声は震えていないだろうか、不安は尽きなかったが、それでもしっかりとしなければいけない。
「大丈夫だよ。ママは、大丈夫だから。」
そう思うのに口からはただ大丈夫という言葉だけが溢れてくる。こんなのでヴィヴィオの不安が取り除けるのだろうか。我ながら、なんと情けない事だろう。精神力には自信があったんだけど、となのはは心中で言葉にする。
「本当?」
「うん、本当。ほら、ヴィヴィオ。」
もう一度尋ねてくるヴィヴィオに今度こそ、しっかりと笑顔で頷いた。ケチャップで汚れたヴィヴィオの口元を紙ナプキンで拭ってやると、こそばゆいようにヴィヴィオも笑った。これで大丈夫だろう、と少し胸を撫で下ろす。フェイトやはやて辺りにはバレるかもしれないが、彼女達は今フォワードの面子と何やら話し合っている。こちらに注意は来ていない筈だ、と思い込む。
「ねー、ママ。パパのご飯のほうがおいしーね。」
何の邪気も無い言葉だった。唐突に、いや、そうでもないのだろう。既にヴィヴィオの前の皿は空なのだ。暇を持て余していたのかもしれない。なのは自身が感じていたことをヴィヴィオが口にする。
ずきりと、胸の棘が疼いた。
「そ、そうだね。うん。……わたしもそう思う。」
黙らずに答えることが出来たのは幸運な事だったと、なのはは思った。
「ヴィヴィオは、さ。パパの作るご飯好き?」
「うんっ! あのね、それにね。ご飯の時はママもパパも、他にもみんないるからヴィヴィオ楽しいよ!」
快活に笑うヴィヴィオの言葉がやけに胸に響く。
今、この瞬間でも自分の考えが間違っているとは、なのはは思って居なかった。このまま自分とシンの元にいても、何時かこの少女に悲しみを与えると考えている。
自分がこの子と同じ位の年頃に感じた、あの悲しみを。絶望を感じさせるなどなのはには出来なかった。だから、里親を探している。自分たちのような危なっかしい仕事をしていない、普通の平和な家庭で子供として過ごすことが一番だと。その考えはシンと衝突したいまでも変わっていない。。
だが――――
「そうだね。うん。わたしも――――シン君の作るご飯、食べたいな。」
自然と口から出た言葉だった。少なくとも意識してのそれでは無かったと、言ってからなのはは気付いた。そしてその言葉が、不思議な事にすっと自分の中に染み入ってくるのを感じていた。ヴィヴィオはこの返事に満足したのか、へへーと満面の笑みを浮かべている。その表情を見て、少し心が安らぐ。
同時に、気付かされる。こんな何でもない日常の延長で、ようやく気付く。自分は、もしかしたらこんな何処にでもある物を望んでいたのではないか、と。きっとシンもそうなのかもしれない。だから、ヴィヴィオの里親探しに反対したんじゃないか、と勝手に想像するがあながち外れてはいないとなのはは確信すらしていた。
「ね、ヴィヴィオ。後でシン君のとこいこっか?」
「でも、パパもママもお仕事あるんじゃ……」
少し不安げにヴィヴィオがうつむいた。確かに今日までにも仕事の所為でヴィヴィオと過ごす時間が無くなった事はあったから、当然の反応である。
だからなのはは笑った。今度こそ、ちゃんと自分を親と慕ってくれる少女に向けてしっかりと笑顔を向けた。今度は、笑えてるかなんて不安に感じる事も無く、確かに笑う事が出来た。
「うん、だからお仕事が終わった後にね。でも絶対。三人で話をしよう?」
もう、何が正しいのかきっと自分の中ですらあやふやになってしまっているのだろう。どうすればいいのか、どうするのが正解なのかわからない。
でも一人では無いのだ。この問題は自分とシンと何よりヴィヴィオの三人の問題なのだから。一人で正解を探す事自体、きっと滑稽な事なのだろう。
だから――――
「これからの事。大切な事。わたしの事。シン君の事。……ヴィヴィオの事。一杯、お話しよう?」
「三日前にも思ったが……とても急ごしらえの施設には見えんな、ここは。」
「ハハ、まあ、それなりに頑張りましたから。コネでも何でも使って、ね。」
己の執務室。この場に似つかわしくないと言えば、これ以上に似つかわしく無い人物はいないのではないのだろうか。ふとそう思ってしまう相手の言葉にはやては苦笑いを持って返した。
「ふん。そういえばそうだったか。海に教会に……よくこれだけの物を作らせたものだ。」
「まさか貴方にそう言われる日が来るとは思いもしませんでしたけどね。」
これは本当だった。正直有り得ない。有り得るわけが無い。この目の前の男が六課を尋ねる事があるなどと――――それも好意的な目的で――――今でも考えられないような事なのだが、しかし目の前の現実を否定するのもどうかと思う。実際これは二度目なわけで。
テーブルを挟んで一対のソファ。自分の反対側に座り込んでいるその男が口を開く。
「今回ここに来たのは……なんとなく察しはついとるだろうが。」
「公開意見陳述会、の件ですか?」
「そうだ。」
デバイス「ザク」に関しての説明は三日前に行ったばかりだ。他にわざわざこの男が六課に来る理由といえば一週間後に開催が予定されている公開意見陳述会だろうか、とはやては当りをつけた。因みにザクについての説明はハイネとシャーリーの二人に頼んだのだが。どうもハイネが伝え忘れたらしく、この場所で待ち構えていたこの男によってシャーリーがガッチガチに緊張してしまったのは言うまでも無かった。
まあ、確かに自分達の部隊と折り合いが良くない――――どちらかといえば敵視すらされている――――陸の実質トップがいたらそうなるだろうとはやても思う。
「それで、レジアス中将がその件で六課に何の用なんです?」
「とりあえずまだザクの発表は出来んというのが一つ。後は当日の警備には六課も出るらしいからそれの確認を一つ。以上だ。」
男――――レジアス・ゲイズ――――の動きは指折りながら二つ数えるとそこで止まった。
「へ、それだけなんですか?」
「うむ。」
「やったら今査察官として六課にいるあのきれーなおねーさん通せば……」
「いや、ここだけの話なのだが……実はアレ、スパイだ。」
「はい……?」
唐突に何を言い出すのだろうかこの狸親父はと、思わずはやてが聞き返すとレジアスはにやり、と意地の悪い笑みを浮かべる。
「冗談……かもしれんしそうでは無いかもしれんな?」
「……どういう意味ですか。」
馬鹿にした物言いにひくり、と頬が引きつるのを感じながらはやてが言う。はやて自身、知っているし相手も公言していたが、どうにも自分はこの親父から嫌われているらしい。別に好かれたいとも思ってはいないのだが、いちいちこう言った癪にさわる物言いに腹が立つのも事実だった。
どう応えるのが良いのだろうか。何を期待しての言葉か、というのもある。はやては自分の顎を軽く右手で撫で、思考をめぐらし心中で呟く。
――――さて、どうしたものか。
――――さて、どうしたものか。
このような状況になっている事に誰よりも驚き、更に既に順応している自分に驚きながらレジアスは口に出さず、心中でそう呟いた。先ほどの言葉は裏こそ取れていないが恐らく事実だと確信してのものだった。
六課に出向させている彼の秘書がその地位に就いた時期を照らしあわすと、丁度重なるのだ。
(ジェイル・スカリエッティと接触した時期と、な。)
これも口に出さない。アインヘリヤルの開発の為の技術の多くは、スカリエッティから提供されたものなのだ。例えば、スパイとしてそれが海の連中や、陸の自分と対立している派閥の者だとしたら六課との連絡役になど使えるはずがない。この関係は十分に彼にとって弱みに成り得るからだ。だが、スカリエッティの手の物だとすると話は別だった。六課の戦力を利用しつつ、最悪スカリエッティと共倒れになって貰えればそれはそれで御の字だ。後はこの関係から得られる利を十分に活用するだけでいい。恐らく、この考えは自分に話を持ちかけてきた男。ハイネ・ヴェステンフルスは承知しているだろうし、もしかしたら目の前で考えをまとめているのか、眉根を寄せている娘も気付いているかもしれない。
(機動六課の長。八神はやて二等陸佐……か。フン……)
何せまだ二十歳にも満たない若さで佐官の地位に就き、更にはある種管理局という組織の系統から独立した部隊を設立、率いている。管理局が実力主義な部分があるとはいえこれは中々無い事だった。
六課を作るにいたって、報告では持てる限りのコネを可能なまでに活用し、資金、人材、また設立する為の大義名分を手に入れたと聞いていた。
別にそれを否定するつもりはレジアスには無かった。コネクションも組織の中では一種の力であるし、また目的の為に手段を選ばないという考えにも共感を感じなくも無い。無論、こんな小娘が自分の足元でちょろちょろと動き回っているのは気に入らないのは間違いなく事実ではあったが。
そしてこの八神はやてという娘の存在そのものが気に入らないという部分もあった。曰く、元犯罪者。10年前まで次元世界において多大な害を振りまいてきた闇の書の主である彼女を快く思わない者も多くないし、レジアスとてその一人だった、が。
(……利用出来るなら、それも構わん。)
今まで陸において、しかし本来の命令系統から外れ独自の行動を取ってきた六課に対する印象は、悪いどころの話ではなかったが、間接的にでも利用できるならそれでいい。それ位にレジアスは思っていた。
何しろ六課の戦力は現在のミッドにおいてもずば抜けているのだから。こちらの意思が介在出来るなら、利用しない手は無いし、また邪険に扱う必要も無い。
なにせ、レジアスにした所で、はやて同様に必要だとは考えていたのだ。どうしても組織というものはその存在が大きくなるにつれ動きが鈍くなってしまう。しかしいざという時にそれではどうしようも無い。だから、ある程度組織に振り回されない、自由な行動が可能な実働部隊の構想は古くからレジアスの中にもあったのだ――――実現する事は無かったが。
それを八神はやては作り上げた。レジアスが八神はやて、ひいては機動六課を気に入らないと評している原因の最たるものはその点であった。
(我ながら大人げ無い話だな……)
自分のそういう所が嫌になる、と頭を振りたくなる衝動をなんとか押さえ、憮然とした表情をレジアスは保っていた。自分の娘よりも更に一回りは年下の、女性というには若すぎる相手に、端的に言うなれば嫉妬を感じているのは否定できない事実であった。
こうして相対して話すようになって一月余り。ようやくそれを認めることが出来だしたような気がしていた。#br
ただ、やはり腹に据えかねる部分もあるので、まだ悩んでいるはやてに向けて、とりあえずレジアスは野次るように声を飛ばした。
「自分で考えろ、と言っているのだ。なんだ、その頭は飾りか?」
と、言われても困るとはやては頭を抱えたくなった。あの女性が六課に査察官としてきてそろそろ一月が経つ。はやてもその間に話す機会は数度あった。確かに一種の胡散臭さは感じる所はある。実際はやて自身、まだレジアスを信用しきっているといえば、全くそうではない。だからレジアスの部下に当たる彼女の動向には目を光らせていたのだが、特に何も起きなかった。どころか仕事の関係上、よく接触する事務の面々とは普通に溶け込んでいるようだった。
そもそもスパイだとして、確かに自分もレジアスも敵は多い。しかしスパイとわかってる相手を自分との連絡役に使うだろうか。少なくともはやてならそんな危うい真似はしないし、レジアスとてそうだろう。
「メリットが思いつきません。」
「ふん、そう思うならそれでいいがな。」
口にするとレジアスが鼻で笑った。やはり、何かあるのだろうか。そうだとするとこれは自分を馬鹿にするとかよりも、レジアスからの警告に近いのでは、と考えて首を振る。
流石にそれは有り得ない、と。
「まあ、アレを通してもよかったのだが……実感がまだ足りんのだ。」
はやてが頭を抱えていると、話題を変えるようにレジアスが少し不機嫌そうに言った。
何を、と思ったが直ぐに理解してはやても頷く。
実感が湧かない。それはそうだろう。何せ六課と言えば陸では鼻摘み者と言ってもおかしくない位の扱いを受けていたのだから。
つまり、レジアスの言う実感と六課の長であるはやてと陸のトップである彼との協力関係について、なのだろう。はやて自身、一ヶ月のあの日までまさかこの様な状況が生まれるなど考えもしていなかったのだ。
「あー、確かに今でも夢かなんかやないかと思うときはありますね。」
「夢か。悪夢でもあるがな。まさか貴様のような犯罪者崩れと手を組む日がくるなどと……」
「ハハ。古狸と小狸がいがみあっとったら、そこは狡賢い狐の用意した場やった……って感じですかねー。」
今からおおよそ一月前の話だ。共同捜査にザクの事もあってかちょくちょくと顔を出していたハイネがはやてに対して少し話がある、と言ってきたのだ。此処ではちょっと難しいので、と場所をクラナガンの郊外にある安ホテルに移して。少しだけ、身の危険を感じたりもしたが、その場所につくとギンガが迎えに出たのでその不安はすぐに霧散した。ギンガがやけに憔悴というか気疲れしていた風だったのが気になったが、その理由はその直後はやての知る所になる。通された一室で待って居たのは、レジアス・ゲイズ中将だったのだから。
兎にも角にも、そうしてハイネを挟んでのレジアスとの会談が始まった。ピリピリとした雰囲気に対峙した相手の威圧感に、はやては呑まれそうにもなったのをまだ覚えている。そもそも何故ハイネがこの様な場をセッティングしたのか、その時はわからなかった。
(未だにどうやってあんな所にレジアス中将をハイネが呼びつけられたんかがわからん。)
一体どの様にしてこんな相手とコネを作ったのだろう。本人が言うには訓練校にいた時に色々あった、との事だったが詳しいことは聞いていない。恐らく聞いたらちゃんと答えてくれるだろうが、それが事実か怪しい。と、言うのも――――
「利害の一致があるからこうなったわけなんですけど、一番得してるのは間違いなく……」
「あの男だな。」
と、少しだけ視線を合わせた後同じタイミングで深く溜息。決して悪いことでは無いのだがどうにも上手くしてやられた感が消えていない。
「ええと、確か今度また昇進するんでしたっけ?」
「付いていた特務が取れて正式に尉官になるよう申請しておいた。元々は陸曹だったのを怪我をした小隊長の換わりを務める為に特務付きの三尉に無理矢理していたのだからな。」
「本当、人手足りてないんですね。」
「……だが、あの男のお陰で数年もすればなんとかなるはずだ。」
渋々といった風にレジアスが声にする。そう、彼にして見ればあの日にハイネがした提案はありがたいことなのだろう。
アインヘリアル。レジアスが推し進めていた計画の中枢を担う魔道兵器である。名前だけは以前からはやても耳に挟む事はあったが、詳しいことはあの日知った。確かに首都防備、特に現時点では有り得ないだろうが他次元との戦争が起きたならば、有用な物だろうとはやては感じていた。同時に、小規模な犯罪の抑止には繋がらないだろうとも。蝿や鼠を殺すのに核を使う人間はいないのと同じことだ。それは、レジアス自身理解していたらしい。
だから、ハイネのした提案は恐らく実現までの問題も大量にあるだろうが、理想ではあった。
「アインヘリアルで外の武力に対しての抑止を。」
「六課の様な独自の判断で動ける組織で火急の事態に迅速な処置を。」
――――そして。
「最終的にはデバイス『ザク』は……リンカーコアを持たなくとも魔法の行使を可能とする、か。」
「つまり……今まで戦力として数えることができひんかった魔導師以外の人間も、戦力になりうるっちゅうことで。」
無論、生粋の魔導師の様に自由には魔法は使えないとの事だったが、それでも話は変わってくる。例えばちょっとした魔力弾とバインドだけでも使えればいいのだ。小さな犯罪に対してはこれだけで十分では無いものの対応出来る。ハイネの言葉を借りるならこうだ。
『人手が足りない? いやいや。十二分にいるでしょう。リンカーコアを持たないもの。そして彼らの中には守る事を強く望んでいるのが居る筈なんです。魔法という力が無くて何も出来ず、何かする事を許されず、ただ自分の無力を嘆く事しか出来ないでいた人たちが。
彼らは、きっと強い。少なくとも魔法がつかえる”だけ”の魔導師なんかよりは確実に。中将。貴方も、そうでしょう?』
あの日、その言葉にレジアスは重く頷いた。彼も、魔法は使えない人間だから。
ザク、ひいてはインパルスやイグナイテッドといったデバイスの特徴は、魔法についての知識が無くても、魔力さえあれば魔法の行使が出来る事にある。つまり、悪い言い方をすれば、人間はある意味魔力タンクでしか無いのだ。あれらのデバイスで魔法を使用するに当たっては。ならば、人間以外から魔力の供給が出来ればリンカーコアは必要でなくなる。ただ命じ、デバイスが顕現させる魔法の力を振うだけでいい。
魔力の供給に関してはここ数年で少しづつ普及が始まっているカートリッジの使用を考えているらしい。それでも不安定な部分があり、まだデータが完璧に出揃っている、というわけでは無い。だが都合が良い事に所属している武装局員のほとんどがカートリッジシステムを使っていて、実際に使われているデータが大量に存在する部隊がある。
更にはその部隊にはザクと基幹を同じくするデバイスを使用している人物もいるのだ。つまり、六課以上にザクの開発に適している部隊はなかなか無いということだった。
そしてハイネの提案はこうだった。アインヘリアルは外への示威行為のみに使う。抑止力としてのそれなのだから決して撃つ事は無いように、と。更には六課の試設期間が終わった後、そのノウハウをフルに用いて同様の部隊を設立。今度はレリックなどに拘らず、本当の意味で自由に動ける事を想定した部隊を。そしてどうしても穴になる普遍的な人手不足を先に述べた『ザク』の普及を以って埋める。
「まあ、問題はいくらでもありますけどね。」
肩を竦めてぼやくようにはやてが言った。実際、理想でしかないのだ。ハイネがあの日いった言葉の数々は。問題は山積みで、更に増えることすら想像にたやすかった。
「それはその通りだ。量産の為の金は何処から引っ張ってくる? リンカーコアを持たない者の教育はどうする? 六課と同様の組織といった所で人員はどこから引っ張ってくる? 海と教会も黙っていないだろう。数えだしたら切りがない。」
はやての言葉に続いて、レジアスが次々とその問題になりそうな点を羅列していく。それに頷きながらきっと今上げたのなど氷山の一角でしかないのだろうな、とはやては予想していた。
「ザクが出来たとして、今まで魔導師主導ってのが気に入らんかった人らが変に動く可能性も無きにしもあらず、ですしね。
というかですね。一度聞いときたかったんですけど……」
「なんだ?」
「いえ。なんでこんなに問題だらけって十二分に理解されてるのに、こんな薄氷の上行くようなというか。ぶっちゃけていいですか?」
「うむ。」
どんな答えが返ってくるか分り切った質問をしてどうする、と自重しながらはやては口を開く。
「中将、六課のこと嫌いですよね?」
「ああ。」
悩む間も無く返答が返ってくる。想定していた反応だったので歯に絹着せる余地も無い言葉にもあまり傷つくことは無かったが。
今のこの協力関係も何か不都合が起きればすぐさま切り捨てられるだろう。それ位の事ははやては理解していたし、逆もまた然りだ。向こうがこちらを良く思っていなかったように、こちらにしても武力に頼りすぎるきらいのある、レジアスのやり方は快く思っていなかった部分もある。そういった心情を抜きにしてもこうして協力し合う様になったからといって、手を取り合って仲良しこよし、というわけには行かないだろう。
「……そろそろ時間か。」
「忙しそうですね、相変わらず。」
はやての言葉にフンと鼻を鳴らすとレジアスはソファから立ち上がった。この場に来た時から持っていた紙袋をはやてと彼の間の背の低いテーブルの上に乗せると背を向けた。
「これは?」
「オーリスが茶菓子を買いすぎたので余ったのを持ってきただけだ。確かこの部隊には子供もいたろう。後で配ってやればいい。」
「それはありがとうございます。表までお送りしましょうか?」
少しだけ意外に思いながら、はやても立ち上がる。しかしレジアスは首を振り此処でいい、とはやてが何か言う前にさっさと退室してしまった。部屋に残された彼女はしばらく何かを考え込んだかと思うと、ガサガサとレジアスが置いていった紙袋を開いた。
「……お、お、おおおおぉっ? こ、これは一日50個だけ限定で作られとる、かも屋のシュークリームやないの。販売開始から10分で全部売切れたって伝説すらあるのにそれを……10個も。
……これを買い過ぎたって、なんつう……典型的な。」
呆れたように、しかし微笑ましささえも感じながらはやてはおもむろにシュークリームを一つ掴む。
「さっきは自分の娘さん……オーリスさんに買わせたって言うてはったけど。
こんななま物買い置き出来る訳ないし。え、もしかしてこれ自分で?」
仏頂面で若者に混じりつつ並ぶ姿を想像してしまい、思わずはやては吹き出しそうになったが我慢する。不遜で頑固親父で更に自分が正しいと信じて疑っていない、そんなレジアスに対するイメージが一気に塗り換わった気がした。結局堪えきれずにくすくすと笑いを漏らしながら手に持ったシュークリームを口に運び、ぱくりと一口。カスタードのしつこすぎない甘さが口いっぱいに広がり、鼻腔にバニラの上品な香りが霞める。思ったよりも弱く出来ていたのか、シュー生地が破れて溢れ出てきたクリームが指につく。
「意外に可愛いとこあるんかなあ、あの顔で。人は見かけによらんって言うし……ん、美味し。」
手についたクリームを舐めつつはやては一人ごちた。とりあえず今ひとつ食べてしまったので残りは9個。誰に配るのが一番不公平が無いかを考えながら、とりあえず子供勢が今いるであろう部署に足を向けようと思い立った。
ふと、何か忘れてる気がした。一度動かそうとした足をその場に止め、数秒考え込むが何も思い出せそうに無かった。小骨が引っかかるような感覚はある。が、仕事も一段落ついているし、特別な予定も特には入っていない……筈だった。精々、無限書庫に依頼していた調査の中間報告が送られてくる位で、他には特に何も無い。
「ま、思い出せへんなら大したことやない……かなあ?」
首を捻りつつ、はやては止まった足を一歩進めた。
コツコツと響く足音が彼女しかいない廊下に深く響く。そこら中に飛び出している無骨なパイプなど――――このアジトの持ち主曰く浪漫――――に気をつけながら、少女は歩き続けていた。ふと、まだ長くない歩幅で動き続いていた足が止まる。唐突に”また”あのことが脳裏に浮かんだからだ。これは、ここ暫くの間には珍しいことではなかった。
「あれ、ルールー? どーしたんだよ?」
「ん、なんでもない。」
ヒュンと風切り音と共に、少女――――ルーテシア――――の肩の辺りに飛んできた手の平大のサイズの赤い妖精がルーテシアに心配げに声を掛けた。彼女、アギトはユニゾンデバイスという、人と融合してその魔力やその力を大幅に高めることが出来る存在だ。しかしルーテシアにとっては数少ない友人と言える存在でもある。
だからこそ心配をかけたくないと、ルーテシアは思っていたし、それに心配されるようなことでも無いとも感じていた。
考えていたのは2ヶ月ほど前に六課との戦闘の際に自分を追ってきた同い年くらいの赤髪の少年の事だった。いい意味で気になっているわけではない、と彼女は思う。自分の事を見ているようで、その実ルーテシアを通して別の何かを見ているように感じれたあの瞳が少し気にかかっていたからだ。だからどうした、とも彼女自身思っているのだが、何故か脳裏に焼きついてしまっている。
「そっか、ならいいんだけどさー。最近ゼストのオッサンもなんかコソコソ動いてるし、色々変だよな。」
「……うん。それは、私も思う。」
歩みを再開したルーテシアの顔の周りを飛び回りながら、アギトが言う。それにルーテシアも頷いた。それは彼女にとっては保護者のような存在である、ゼスト・グランガイツの事なのだが。何故かここ1~2ヶ月の間にやたらと彼女たちとは共闘の関係にあるジェイル・スカリエッティに会いに行く機会が増えたのだ。事実、今日もその為に此処に訪れているのだが……
「ゼスト……ドクターの事嫌いだったよね?」
「そのはず、何だけどなぁ~? なんか変なんだよな……」
ルーテシアが首をかしげ、アギトは眉根を寄せ、共に疑問を口にした。それだけにゼストとスカリエッティの仲が良く見える、というかやたらと接触するここ最近がおかしいと感じられるのだが。
そんな事を二人で口々にしながら、角を曲がった時だった。
「だからさー、やっぱ最近のドクター変だと思うッス。」
「そうか? 変なのはいつも通りだと思うけど……」
「あらあらぁ。貴女はドクターが変人だというのかしら、ノーヴェちゃん?」
「……否定は出来ないと思うんだけどなぁ。」
騒がしげに正面から歩いてくる集団を彼女達は確認した。
「あら、ルーお嬢様じゃありませんか。」
「おー、お久しぶりッス~。」
「あ……こんにちわ。」
「ん。」
そこに居たのはジェイル・スカリエッティが擁する12体の戦闘機人。通称ナンバーズのうちの4人だった。それぞれの個性的な挨拶に、ルーテシアは軽く頭を下げする事でそれらに答えた。
「そうだ、ルーお嬢も聞いてくださいよ。最近のドクター変じゃないッスか?」
その内の一人、ウェンディが彼女らしい快活な口調で尋ねてきた。言われて最近のスカリエッティを脳裏に思い浮かべ、彼女は首を捻った。そこまで関わる事も無いし、偶にあったとしても何時もどおり、普通に変人だったと感じていたのだが。あえて言うなら先ほどまで自分やアギトが不思議に思っていたゼストとの接触の量が増えた事位だった。
とりあえずその事を伝えると、
「確かに最近よく見かけるような?」
と、ディエチが頷き、他の面々も口々に賛同の意を示した。彼女たちにしても違和感を感じるまでは無くても、その事実に気づいていたらしい。
「そもそもさ、あの変態がおかしいのは今に始まった事じゃないだろ? 何をそんなにさわいでんだ?」
飛んでいる事に飽きたのか、退屈そうにルーテシアの頭の上で胡坐をかいていたアギトが口を開く。
確かにそうだ。この四人は何を根拠にスカリエッティが最近変だと言っているのか、自分もアギトも知らない。だから、聞かれてもなんともしがたいのだ。
「あらあらあらあら。ドクターを変態呼ばわりしますの、この羽虫は。」
「うっせえ、めがね! 燃やすぞ!」
「……だから否定できない所はあると思うんだけど「ディエチちゃん?」ご、ごめんなさい!」
「アホくさ……」
がやがやと騒ぐ姉妹とアギト達から少し離れて、赤い短髪の少女、ノーヴェが肩を竦めた。こういった賑やかなのは苦手なのだろうか。だとしたらそこに関しては共感できる、とルーテシアは心中で呟く。だからといってどうと言う話でもないのだが。
「でも実際最近のドクターは変だと思う。なんか妙に甘いというか優しいというか……
オットーが女物の服着たいって言っただけで鼻歌交じりにクローゼット1個が余裕で埋まる分の服買って来ちゃったし……」
その後でウーノ姉さんに怒られたのはいうまでも無いのだけど、とディエチ。
「まあ、確かに私もここ最近のドクターには妙なものを感じるのはわかりますけどねぇ。ドゥーエお姉さまからの連絡頻度が下がったのも気になりますし……」
「って、お前も考えてる事一緒じゃねえか!」
「私は変態って所を訂正しただけなんだけどねぇ? でも、そうね。気になる事も無いわけじゃなし、ちょっと調べてみようかしらぁ。」
食って掛かるアギトを軽くいなして眼鏡のブリッジに指をあてながらクアットロはそう言った。少しだけ、ルーテシアは意外に思った。何故なら、このクアットロという戦闘機人は今までの付き合いの中でも、スカリエッティ至上主義のような雰囲気を態度や言葉の端々から漂わせていたからだ。だから、スカリエッティが変じゃないか、なんて言っても聞き入れられないかとも考えていた。
「へ? クアットロ、熱でもあるんじゃないッスか?」
姉妹である他の三人も同様の、もしくはルーテシア以上の違和感を感じたのだろうか。我関せずといったスタイルを保っていたノーヴェさえ目を丸くしている。
「あら、なあにぃ? 鳩が豆鉄砲でも食らったみたいな表情をしちゃってまあ。」
「い、いや、クアットロがそんな事言うなんてちょっと想像してなかったし……手伝おうか?」
姉妹とルーテシア、アギトを代表して苦笑いを浮かべながらディエチが何とかクアットロに返事をする。少しどもってる辺り、一番クアットロに近しい――――ルーテシアはそう思っている――――ディエチでも驚きを隠せないでいるようだ。
「ん~。妹が自発的に協力を申し出てくれるのは姉冥利につきるんだけども……ディエチちゃんドジっ子な所あるからパス。」
「「あ~……」」
「ええっ、わたしってそういう扱い!?」
クアットロの言葉に更に追い討ちとして姉妹の二人の反応を食らい、ディエチは思わずのけぞるようなポーズをとった。そして数瞬の間そのポーズで固まり、直後思いっきり肩を落とす。存外リアクションが大きい事に思わずルーテシアは口の端を歪め、ぷっと息を洩らした。
「おおっ、珍しくルーお嬢が笑ったッスよ! 頑張れッスディエチ!」
「目指せリアクション芸人~……なんてね。」
「うぅ……何この扱い。なんなんだあんた達はー。」
好き勝手にのたまう姉妹達に目の端に涙を浮かべながら、ディエチはまるで屈服したかのように両手両膝を地面についている。その姿がまた滑稽で周りの笑いを誘う事に彼女は気付いているのだろうか。それは自分には関係ないことだと、きっかけは自分自身なのにも関わらずルーテシアはクアットロの方に視線を向けた。
「ん? ルーお嬢様、どうかされまして?」
「……何かわかったら、教えてほしい。」
相手の疑問に大して率直に答える。無駄に遠まわしないい方を彼女が好まないのもあるし、また変な風に取られても困る相手なのだ、このクアットロという戦闘機人は。
「いいですよぉ。その代わり……」
「……何?」
「ちょっとだけ、ちょぉっとだけ協力していただきたい事が出来るかもしれないんですけど、その時はいいですか?」
にんまりと満面の笑みでクアットロが言う。その瞳こそ、明かりを反射する眼鏡のお陰でこちらからは見えないが、きっと気味の悪い喜色に溢れているのだろうとルーテシアは知っていた。一瞬、悩むが、
「ん。」
「では取引成立ということで。」
頷くことで答えた。これがどのような結果をもたらすのかルーテシアにもわからないが、それでも情報が欲しかった。最近のゼストのよくわからない行動や、今聞いたドクターのおかしな行動。それらは繋がっているように感じれたのだ。
(ゼストは……仲間。)
少なくともアギトとそしてゼストは今のルーテシアにとってかけがえの無い存在なのだ。無論、最上位は母なのだが、だとしても彼らは大切な仲間だと、彼女は思っている。
危険な事になっているなら、知っておきたいし何とかしたいとも思う。もちろん、彼女自身の目的に抵触しない部分での話だったが。
気付けばクアットロが姉妹で漫才のようなものを繰り広げていた他の三人を止めて、自分は別行動を取るといった旨の言葉を伝えていた。アギトも既にルーテシアの頭の上に戻って胡坐をかいている。さて、これからどうしようかと少しだけ瞑目した彼女の脳裏に浮かんだのは。
また、あの赤い髪をした軌道六課の少年だった。
ざあっと吹いた風が芝生を撫ぜ、青く茂った葉を揺らした。数日前の出来事を見事にトレースした夢から覚醒したシンは、頬に当たる風に心地よさを感じていた。木陰に寝ているのだろうか。目蓋の上から強い光を感じることは無く、しばらくこうしていようと、少なくとも夢の内容から落ち着くまでは、とシンは考えたのだが。
『――――以上です。本当、情けないマスターで申し訳ない限りです。』
「最近二人とも様子が変だと思ってましたけど……そんな事が。」
「なあ、ギンガ。そう言いつつ地味に興味津々って目が語ってないか?」
「シンも大変だなあ。恋人なんていない俺からしたら腹立たしいことこの上ねーけど。」
「私、一人でゆっくり自然の中で仕事しに来た筈なのに、なんでデバイスの相談聞いてるのかしら?」
どうやらそれは許されないらしい、と耳に入った周りの声の中身をぼーっとした頭で理解しながらシンは諦めた。というかやけに気配が多い。それにシンがまだ聞いたことの無い声が一つ混じっているようにも感じた。
「あ、このサンドウィッチ貰ってもいいですかー?」
「いや、シンの分は取ってあるからいいけどよ……ギンガ、食堂で食べたんじゃないのか?」
「ふふふ、エネルギーは幾らあっても足りないわよねぇ? 太っても知らないけど。」
「……・貴女と違って若いから大丈夫ですので。お気になさらず。っていうか食べる量なら貴女の方が多いじゃないですか。」
頭上で火花が散っている気もするが、気のせいだとシンは思いたかった。しかし模擬戦で気絶して目が覚めたらこんな状況になってるなんて誰に想像が出来ただろうか。
「というかハイネ、ハイネ。こちらのきれーなお姉さん誰だよ?」
「ああ、レジアス中将の第二秘書。現在査察という名の暇潰しの為に六課に出向中。」
「……それは、喧嘩を売ってるのかしら?」
「だってお前の仕事なんて御大との橋渡し位だろーが。査察だってもう名目上の物でしか無いのに。あ、ヴァイス、今の口外すんなよ?」
「おーけーおーけー。美人ならレジアス中将の秘書だろうが人間じゃなかろうが問題無しだ。
……査察に関しても了解だ。」
「あら嬉しい。」
「ハーイーネー。」
「あー、かわいいよ。おまえもじゅうぶんにかわいいからさんどうぃっちくっとけ。」
『あの……皆さん、本当に話聞いてました?』
インパルスにしては珍しく、困ったような声をしているな、ともう完全に覚醒してしまった意識の中でシンはごちた。同時にこの相棒はあの出来事について言ってしまったのか、とも。ふと、視線を感じたかと思うと、
「いや、そこで狸寝入りしてる当事者が起きてこない事にはなあ。」
そんな意地の悪いハイネの声が耳を打った。とっくに気付かれていた事を認識するとシンは、
「……目覚めたら人の話してたんだ。そんな所に起きてけるかよ。」
『申し訳ありません。私が……』「いいや、俺達が聞いたんだよ。最近お前が変じゃないかって。」
むくりと起き上がってそう言う。もしかしたら今の自分はかなり不機嫌そうに見えるのかもしれない、と頭の隅で考えながら。
シンの視界に入ったのは目を開ける前から聞こえていた声の数から1を引いた人数だった。ヴァイスにギンガに、そしてもう一人の長い金髪の美女が居たが、シンには見覚えが無かった。
「あー……で、なんでヴァイス陸曹とかギンガさんとか……あと、誰この人。」
頭を振りつつ疑問を口にする。
「俺はお前とハイネの分の昼飯持ってきただけだけどな。ほれ、サンドウィッチ。」
「ハイネがサボってないかのチェックを。……あれ、これ私もサボってる事になるんじゃ。」
どうも、とヴァイスが差し出すサンドウィッチの乗った小皿をシンは受け取る。ギンガが首を捻る様を横目にシンは見た事はあるかも知れないが名前までは知らない、当然話した事も無い女性に向き直る。
「…………ん? ああ、私よね。六課の査察に一月位前からここに居座ってるんだけど話すのは始めてかしらね。よろしくね、シン・アスカ君?」
「……よろしく。」
妖艶というのが正しいのだろうか。ただ笑って軽く会釈しただけなのにやけに色気を感じさせるその佇まいや表情に、少し視線を逸らしながらシンも頭を下げた。
「で、だ。シン。インパルスから大体の話は聞いた。お前の考えも大体わかるし、逆もな。でもとりあえず……」
「……なんですか?」
ハイネがこちらに向き直り、彼にしては珍しい至極真面目な顔でシンに対して口を開いた。何を言われるのか、なんとなく想像は出来るがとりあえずどんな内容にせよ説教じみたものになるのは確実だろう、と心の中でシンはごちた。適当に見えてこういう時に言うべき事はしっかりと言ってくるのがハイネという男だった。更にシンは他の面々とは違い元々ハイネにとって後輩のようなものでもあったからか、ちょっとした事でもこの一ヶ月で何回も説教を受けている。その大体において最終的には納得ができるので、今のところ反感を覚えることは無かった。インパルスが言うには期待されているから、との事だったがシンには良くわからなかった。
「お前は自分が正しいと思うか? 高町一尉が言ってたことが間違っていると思うか?」
「俺は……」
ハイネが言っているのはヴィヴィオに関しての事なのだろう。シンにしてみれば自分の言った事が間違っているとは、少なくとも思っていなかった。だが同時になのはが言っていた事が間違っているとも感じることは出来ないでいたのも事実だ。
「なのはさんの言ってる事、俺はわからんでもないけどな……」
シンが言葉を選んでいると黙っていたヴァイスがそう声にした。自然とその場の全員の視線が彼に集まる。それを感じてかバツの悪そうな――――余計な事を言ってしまった――――そんな表情をして、少し逡巡するように腕を組み天を仰いでから数秒後。ヴァイスは先を続けた。
「いや……まあ、な? 自分の家族とかさ、大切な人とかが自分の仕事の所為で悲しむとか。ほら、傷つけるとか、嫌だろ。……俺のはお前らのとはちょっと違うけど、さ。」
たは、と笑いながらそう言って、これ以上は何も言わないといった風にヴァイスは口を閉ざした。何かあったのだろうか、と口にしかけてシンはそれを止めた。そんな事を問うにはヴァイスの浮かべた笑みは余りにも寂しそうで、辛そうに感じたからだ。
だからそんな彼に対して何かを言うのは、少し躊躇われた。
「私は、そうね。ヴァイスさん、だったかしら。貴方や高町一尉とは逆。気を悪くしないで頂戴ね?
はっきり言って……気に入らないの、そういう考え方。」
ヴァイスの次に声を上げたのは、その隣で座りながら先ほどまでずっと携帯端末で作業を続けていた金髪の女性だった。軽やかにキーを叩いていたはずの手は口元にあてられ、綺麗に伸びる眉が少しだけ歪められている。そういえばまだ名前を聞いていなかった、とシンが感じるのと同時に、彼女は吐き出すように言葉を紡いだ。
「相手の意見や考え、思いも気にしないでに勝手にそんな風に考える。吐き気がするわ。高町一尉にしても……うちの糞親父にしても、ね。」
ま、家族が大事ってのには全面的に賛成だけどね、とすぐに彼女は肩を竦めた。そしてシンの方に軽く横目を向けて言葉を続ける。
「どうしたところで結局のところあなたが決めて動くのだから。しっかりなさいな。
――――あなたに期待してる人もいるのだし。」
最後の方の言葉は余りに小さな声で、しかも素早く発音されたのでシンには聞き取ることが出来なかった。少しだけ視線を巡らしまわりを確認するとハイネは肩を竦め、ヴァイスは少しだけ憮然とした表情で首を振った。少しだけ機嫌が悪そうに見えるのは、彼の発言の一部を彼女が否定したからだろうか。それだけでは無い様にも見えたが、それはシンには理解の及ばないことだった。
とりあえずこれ以上何か言うつもりはないらしい彼女は、既に手元の端末に目を向けていた。ヴァイスはなのはの気持ちもわかると言った。またレジアス中将だかの秘書だと言う女性の方はそういう考え方は気に入らない、と意思を示した。
二人の意見を聞いた上で、何が正しいのだろうか。と、シンは何度も繰り返した自問をもう一度繰り返した。なのはは正しいかもしれない。でも正しくないのかもしれない。逆に自分が正しいかもしれないし、そうじゃないかもしれない。もしかしたら二人ともが間違いじゃなくて、二人ともが間違いなのかもしれなかった。答えはまだ出てこない。湧き上がる苛立ちを自分がもたれかかっている大木の幹に拳を叩きつけることで発散する。もちろん、手の側面が痛くなるだけで心の中のもやもやが晴れることは無かった。
「ま、結構単純な話だと思うぜ?」
「ハイネ? どういうことだよ、それ。」
今まで黙っていたハイネがそこで口を開く。
「要はさ、覚悟の問題だよ。お前にあの人とヴィヴィオちゃん、その二人の人生を背負う覚悟がありゃ、多分なんでもない話なんだ。」
「覚悟……って。」
無いわけじゃない。何に代えてもあの二人を守ろうという気概は間違いなく自分の中にある。ただ、それを否定されたという気持ちがあの日から消えない。
そんなシンの感情を見透かしてか、更にハイネは続ける。
「守るって、決めたんだろ? なら守れよ。相手がなんと言おうと。周りがなんと言おうと。惚れた女を守りたいって、そんなに難しい話じゃねえよ。実際にやるのはまた別かもしれんけどよ。」
「……俺は。」
どうなのだろう。答えは持っている、気がする。少なくとも自分の中では定まっていたのだ。今、それは揺らいでいても、芯は残っている。自信は、今までに比べ小さな物になってしまっていたが。
『マスター。』
自分の相棒が名前を呼んでくる。その合成音声に込められたものは、慰めなのだろうか叱咤なのだろうか。はたまたそれこそ機械らしくやはり感情など無いものなのだろうか。どれが正解かなんて、これにしたってシンにはわからなかったが、無性に情けなくて少しだけ呻いた。周りの面々は何も言わずにただ見守るに留まってくれている。その時だった。
「一つ言えるのはシン・アスカ君、だっけ? 君もなのはも大事な事を忘れてるんだと思うよ。まあ、なのはは昔からこういう時はやけに頑固になるきらいはあったんだけどね。
っていうかなんではやてはいないのさ。一応顔出すって言ってたはずなのに。」
覚えの無い声が、シンの名を呼んだのは。
それに反応してシンが声の聞こえた方を向くのと、その声の主がもう一度口を開くのとは、ほぼ同時であった。
「はじめまして。なのは達から色々話は聞いてるよ。僕はユーノ。ユーノ・スクライア。
まあ……彼女たちの友達、かな? よろしく頼むよ、シン君?」