D.StrikeS_第20.5話後編

Last-modified: 2009-06-08 (月) 17:58:34
 

 魔法少女リリカルなのはD.StrikerS
 第20.5話「シン・アスカの憂鬱~あるいはとある親馬鹿二人の出逢い~後編」

 

 最上階にあったレストラン街で軽く昼食をとり終えた頃には手に提げた紙袋は4個を越えていた。ずっしりと肩にかかる重みは確実に増えている。
 それなりに力はあると自負していたものの何かの仇の用に荷物を増やし続けるなのはには鬼気迫る物を感じた。もしかしたらストレスを発散してるのかもしれない、と考えると何も言えなかったが。
 現在は別行動ということで一人である。なのはとヴィヴィオが下着コーナーに突入しようとしていたのでどうにか逃げてきた、とも言う。
 折角なので自分の買い物をしようか、とも思ったが既に疲労困憊。具体的には息が切れそうになっている。その為、レストランと違ったフードコートにあったベンチでコーヒー片手にくつろいでいるのだ。

 

「……はあ、ルナとかメイリンの付き合いでわかってたけど。」

 

 別にそこまで不満に思っていることは無いものの、ついつい口に出してしまうのは仕方ない事だと思う。

 

「「どうして女(女性)の買い物はこう長くなるんだか……」」

 

 声に出すと同時に、自分のそれとほぼ同じ内容のぼやきがすぐ横から聞こえた。

 

「「ん?」」

 

 声のした方を向いてみるとそこには一人の男が立っていた。体格は中肉中背よりは少しひょろっとしているように見受けられた。年の頃は30台くらいのように見えたが、もしかしたら40台かもしれないし、はたすれば20台の様にも感じさせる雰囲気を持った男だった。
 半袖の極彩色のド派手なアロハを着込み、下は膝下まで生地がある短パンを履いており、足にははサンダルを。顔には丸いレンズのサングラスをかけ、比較的長めの黒髪は後ろで一つにくくられている。そんな格好をしている割りには腕などは生白く、日常のほぼ全てを屋内で過ごしているような印象を見るものに与えた。
 はっきり言って怪しい。怪しいことこの上ない。似合っているかどうかと言えば、恐ろしく似合っていない。だが、何故か違和感が無く、それが言い様の無い胡散臭さを醸し出している。普段なら見なかった事にする所だが、しかしこの時は違った。
 その男の手にも、自分と同じように大きめの紙袋が3つ。互いに凝視するのは顔よりもその紙袋。何処か疲れた瞳同士が分かり合ってしまう。すなわち、ああそっちもか、と。

 

「君は……ふふ、君も荷物持ちかね?」

 

 先に口を開いたのは男の方だった。一瞬、シンを確かめた時に驚きに似た視線を向けてきたように思うが、それはシンの気のせいだったのだろうか。とりあえずシンはそれに対して頷くと、座っている位置をずらしてベンチに空きを作った。

 

「おや、すまないね。ありがとう。
 いやはや、娘達の要望に応えて買い物に付き合ってみたものの……ここまで重労働とはね。慣れない事はするものではないらしい。」

 

 どっかとベンチに座り込んだ男はそう言うと片手の荷物を掲げて見せ、苦笑の色を濃くした。

 

「娘……ですか。俺も似たような物ですよ。」
「ほう、君くらいの年齢だと恋人か何かかと思ったのだが……」
「見てもらったらわかりますけど、この荷物、ほとんど子供服ですよ。」

 

 袋のうちの一つの口を少し開けて見せてみると、その男は納得したのか大げさに頷いた。
 やたらと芝居がかっていたように感じたが、しかしそれほど悪い感情を抱く気にはならないのが不思議である。

 

「実の子供じゃなくて仕事の関係で預かった子なんですけどね。」

 

 ――――俺まだそんな年でもないですし。
 そう言うとシンはヴィヴィオの世話を見るようになった経緯や、自分ともう一人が慕われるようになった事を、管理局関連などの事情をぼかして口にした。
 一々、目の前の男のリアクションが面白く思えてしまい、ついつい語り過ぎてしまった感はあったがそのほとんどはこの一週間で起こった出来事であり、言って何か問題があるような事は言わなかった。

「なるほど……なかなかに興味深い話だったよ。聞けて良かった。」

 

 大体語りつくしたところで満足げにその男は何度も頷き続けた。少しの間そうしていたかと思うと、男は自嘲するような笑みを浮かべて、

 

「私の娘達も、実際に私と血が繋がっていると言えるのは12人のうち、数人でね。こう言ってしまうとアレなんだが、つい最近までその数人も含めて娘とすら思っていなかったのだよ。」

 

 こう言った。最後に今では大切に思っているがねと付け加えて。
 血が繋がっていないのに娘、ということはこの男は孤児院でも経営しているのだろうか、とシンは想像した。
 一体この男がどういった経緯で今のように考えるようになったかは伺い知れなかった。だが、サングラスの向こう側から確かに彼の言う娘達への愛情を感じたような気がした。それを自分がヴィヴィオに感じている感情に似ていると思い、シンが共感を感じていると、

 

「それにしても、そのパパにママか。下世話かもしれないがママとパパである君たちの間に愛はあるのかね?」

 

 男がそんな事を言ってきた。

 

「ゲホッ、けほっ。な、何をっ?」

 

 咽るシンを面白い物でも見るように眺めながら男は続けた。

 

「大切な事だよ。考えてもみたまえ。その子供は君たちを見て大きくなる。もちろん、いきなりそんな関係になったのだから無くても仕方ない筈だが……愛し合う両親から与えられる愛というのはきっと……大切な物だと思うのだよ。」
「それは、そうかも知れないですけど……」

 

 何か含みがあるような声音で語られ、シンは言いよどむ。自分の子供時代を思い出してみると、確かに共働きだった所為かそこまで多くの思い出は無い。ある程度の年になると自分と妹の朝食、弁当、夕食は全て自分が作っていた記憶はあったが。
 それでも、両親からの愛を感じなかった事は無かったし、彼らの間には確かに愛があり、それを自然な事だとも思っていた。
 自分の横で先ほどの言葉以降、喋ろうとしていない男の表情を伺ってみる。横顔が少し寂しげに感じた自分はおかしいのだろうか。

 

「あんたは……」

 

 知らずに口が開いた。自分が何を言おうとしているのか自分でも理解できず言葉に詰まったが、その声に反応してこちらの男の顔を見て自然に次の言葉をシンは紡いだ。
 その表情は寂しそうで、そして……そう、羨ましげに見えたのだ。

 

「愛されたかった? 愛されたい?」
「……ほう。」
「あ、いや、俺何言ってんだ。初対面の人に対して。」

 

 シンの口から不意に飛び出た言の葉を聞いて男は目を見開いた。驚愕の中に何故か懐かしさを綯い交ぜにしたような表情で、彼は言葉を失くしていた。
 シンは慌てて否定の言を口にしようとするが、様子がおかしい事に気付く。
 
「く、くくっ……ふっふふはははははは!」

 

 顔に手を当て大きく肩を揺らしながら隣の男はいきなり笑い出したのだ。

 

「あ、あの……?」
「くふ、ははっ。ああ、いや、突然済まないね。そう、その通りさ。確かに私は愛されたかったのかもしれない。愛されたいのかもしれない。自覚したのは最近になってだが、まさかこんな所で言われるとは……くくっ、これだからたまらない。」
「すみません、何も考えずに変な事言っちゃって……」

 シンの謝罪に男は大げさに、出会ってここまで見たリアクションの中で一番大きく首を振った。
 その横顔は先ほどのような寂しさを感じる事は無く、どちらかというと……そう、子供の様な笑み、と言うべきだろうか。自分より一回り以上年上に見えるこの男に対してこんな感想を抱くのは失礼かも、とも考えたがそれ以上に当てはまる言葉も見つからなかった。

 

「いいや、君はそれでいい。今君が抱えているもやもやもそのまま対処したまえ。」
「え? もやもやって……」
「そう難しく考える必要はないと思うがね。君にしてもその相手にしても、嫌っている相手と擬似とは言え夫婦の真似事など出来ないだろう?」
「それは……確かに。」

 

 確かになのはの事を嫌いだとは思っていない。初めて話した時かなり酷い事を言った自分に対して手を差し伸べてくれたのは彼女だし、その後も意見の相違からぶつかり合う事もあったが、今では守るべき相手だと考えている。
 だから、どちらかというならば逆。嫌いなわけがないのだが、この様に聞かれてしまうとどうなんだ、と思ってしまうのだ。先日、スバルやティアナに詰問され最終的にこの様な内容になったのでお茶を濁して逃げたのは記憶に新しい。
 
「そうだ。試しにプレゼントでも贈って見たらどうかね?」
「ぷ、ぷれぜんとぉ?」
「そうする事でわかる事があるはずだ。うむ、我ながら良い考えじゃないか。
 よし、そうと決まれば早速探しに行こう。何か希望はあるかね? 個人的には無難なところでアクセサリなどいいのではと思うが。」

 

 しゅたっ、と意外にも機敏な動きでベンチから立ち上がった男が視線でシンを促す。
 シン自身は返事も何もしていないのだが、どうやら決定事項になっているらしい。

 

「ちょ、ちょっ。いきなり何言ってんです、あんたは!?」
「はははははははっ。さあ、行こうか。まずは一階のアクセサリを見よう。意外な所で日用雑貨などもいいかもしれないねっ。」
「テンションたっけえな、あんた!?」

 

 ぐいっと引っ張られるがままにシンも立ち上がり、ずんずんとエレベーターに向かう男の後を追った。
 なんで、こんな名前も知らない、会ったばかりの男について行ってるのか自分でも理解に苦しかったが、一応シンの為を公言しているので仕方ないと割り切ることにした。

 

「ってか娘と来てるんじゃないのかよっ。」
「下着売り場までついて行ったら、今日一緒に来た全員から蹴飛ばされてね。暇を持て余していたのだよっ。
 全く、それが楽しみだったというのに。」

 

 シンと同じ理由で時間を余らせていたというこの男。更に臆面も無く楽しみという辺りかなりの厚顔だということがわかった。

 

「それ、蹴られて当然だろ! 自重してついて行かなかった俺を見習ってくれ!」
「ふふ、存外に意気地が無いのだね、君は! 成人男性である私たちは店員や他の客に白い目で見られる。確かにその通りだ。――――だがそれがいい。」
「死ねっ。死んでしまえっ!」

 

 ぎゃーぎゃーと騒ぎ、周りの注目を集めながら二人はエレベータに乗り込んだ。

 

『……というわけで、技術協力は幾らでもしますのでこういうの作れませんか?』
「うん、いきなりインパルスがメンテを頼むってのがおかしな話だと思ってたらやっぱりこんなオチあるよね。
 うん、個人的には手をつけたいけどザクの作成でもう一杯一杯なのわかってるよね。」
『ええ、十二分に理解しています。』
「……死ねと?」
『大丈夫です。人間は結構頑丈に出来てるものですよ。』

 

 シャリオが呻くのも何処吹く風と、シンのデバイス、インパルスはさらっと流す。
 六課のデバイスメンテその他を一手に引き受ける彼女、シャリオ・フィニーノ。通称シャーリーはぐったりと机の上に突っ伏した。
 現在彼女は一週間ほど前に訪れたハイネが持ってきた設計図を彼女なりに解釈、再設計を行っている最中である。と、言っても特に手を加える必要があるのか疑問になる位にシステムの基本骨子が出来上がっていたのだが。
 兎にも角にもここ1週間。それにかなりの力を注ぎ、その上で隊員のデバイスのメンテも行っていたのだからやはり激務だった。
 はやての命令でシンが手伝いに来てくれたのは、全くのド素人だったとしてもありがたいと思った。ザクのシステムの基礎はシンのインパルス、ハイネのイグナイテッドと同一のものなので、今はそれを更に簡素化しているところである。だから、インパルスの力を借りる事が出来るのは大きかったし、そのデバイスの使い手でもあるシンの意見も大いに参考になった。

 

「大体、レイジングハートさんとわたしで作ったものだから言えるんだけど、あれ以上手を加えたらバランスが……ぶっ飛ぶよ?」
『有って無いような物になるでしょうね。』

 

 呆れたように苦言を呈するシャーリーにインパルスはあっさりと同意した。

 

「それに……そこまでの力が必要?」
『これはマスターと私の持論なのですが……力が無いと守れるものも守れない。奪われる。力が無くてもどうにかなる事もありますし、あった所でどうにもならないことも多い。
 ですが、力があれば守れる物が。守れたはずの物は確かにあるのです。』

 

 放たれた声は機械によって作られた合成音声。しかし、意思が籠っていたのをシャーリーは否定出来ない。シン・アスカとこのデバイスの、意思。

 

「その力が……あの子達に要る?」
『さあ、どうでしょうね? 要らないならそれでいいんです。ただ、力が無い事で後悔する結果にさせるつもりはマスターにも私にも毛頭ありませんので。』

 

 インパルスが言い分にはシャーリーも頷くことが出来た。その為に最高のデバイスを用意したつもりでもある。結局インパルスが言っているのはいざという時の為に備えて、更なる力を用意しておくべきだ、ということであった。

 

「でも、今の構想を聞いただけでもわかる。やっぱりこれ、術者への負担がきつすぎると思うんだけど。」

 

 その考えには共感出来たが、やはり気になるのは使い手の事だった。強すぎる力は術者自身すらも蝕みかねないのだから。特になのは辺りが賛成するとはとても思えなかった。

 

『今の彼女たちに使えとは言いません。何時か、来ないかも知れないその日の為に備える。
 最悪存在が無かったことになってもそれでいいと思いますよ。』
「シルエットシステムの流れを汲んだデバイスの強化パーツ……ね。マッチング出来るか正直自信無いよ?」
『その辺りはザクのシステムを流用すれば不可能では無いかと。』
「……頑張るのはわたしなんだけどなあ。でもこれだと今まであなたが出し渋ってたデータとかも必要になると思うけど……」

 基本的にインパルスのシステムの根幹は外から覗けない様になっていることを思い出してシャーリーが疑問を口にした。
 各デバイスや、根幹となるインパルスシステムについては”さわり”しかわかっておらず、具体的にどういた手順でもって内部でデータや魔力が動いているのかわかっていないのだ。あわよくば、今まで見ることが出来なかった部分をこれで少しでも見れれば、という考えもある。

 

『ええ、ですのでシステムインパルスの内外部仕様の封印は解きました。』
「……マジで? 自分で解けたの?」
『正確には私が、では無いのですが……利害の一致ではなく感情の一致ですね。あれで意外と熱血な所もある、か。いえ、これはこちらの話です。』

 

 インパルスが零した曰くこちらの話が何を指すのか、シャーリーにはわからなかった。 だが、追求したところでどうせのらりくらりとかわされる事は確実だったのでそれ以上触れないことにした。

 

「ふぅん? どちらにせよ、簡単に封印解いたって事は結局重要な部分には……」
『当然ロックをかけています。もう面倒なので言っておきますが、これは貴女方には外せませんよ? もし強引に解く事が万に……いいえ、億に一つ出来たとして。』
「……して?」

 

 ここでインパルスが言葉を溜めた。用意していた何かを言おうとして躊躇っている様にシャーリーは感じた。もしくは何かとせめぎあっている?

 

『マスターが貴方達の敵に回るのは確定でしょうね。最終的に取り押さえられるでしょうが……隊舎の半壊から全壊と巻き込まれた非戦闘要員の命、フォワードの方々も危ないか……それ位は覚悟した上で解除をどうぞ。これは最悪の状況を想定したものですから、まあ、そこまで大暴れはしないと思いますが。』

 

 淡々と述べられた未来予想図。それを語る口がが余りにもいつもどおりの調子だからが故に、シャーリーは背筋に寒いものが走った。
 シンがそのような行動に出るとはとても思えなかったし、彼をそうさせるほどのモノとは一体なんなのだろうか。

 

「えっと……ちょっとごめん。理解できなかったんだけど?」
『そういう可能性もある、という事です。今のマスターなら兎も角少し前までの――――ここに来た頃のマスターならこれ位してもおかしくはなかったです。』
「じゃあ、今は違うの?」

 

 少しだけ沈黙をはさみ、1分ほどしてからインパルスからの返事があった。

 

『色々と背負ってしまいましたから。その自覚がマスターに生まれてきてる以上は、ね。
 損な性分だと思うのですがだからこそ、という意見もありまして。』

 

 このデバイスが言うシンが背負った物とはなんだろう、とシャーリーは少し考えて、ああと得心がいった。
 今日シンが六課にいない理由を思い出して優しい笑みが込み上げてくる。

 

「なるほどねぇ。わかった。とりあえずロックの解除は諦めるよ。」
『賢明かと。ああ、それで先ほど見せたのについて専門家としての意見などあったら教えていただきたいのですが。』

 

 納得したのか、シャーリーが頷くと後は意見の交換が部屋の中に飛び交うだけだった。やれ、スバルに剣は似合わない。やれ、火力を! もっと火力を! だの。やれ、どうせなら全部のせちゃおうだの。
 最終的に二人もとい一人と一機が行き着いたのは『ロマンこそが重要』の標語で、そんなアイディアを彼らは日が沈むまで交わし続けた。
 

 
 

「こんなのはどうかね?」
「え? 包丁、ですか? って、うわ、何だこれ高すぎるでしょう。0の数おかしいですって。」
「なんでも特殊な粒子を刃に纏わせる事で切れ味が従来の包丁の3倍だとか。」
「何その無駄技術。考えた奴も作った奴も馬鹿だ……」
「わ、私の発明を虚仮にする気かい、君はっ!? 馬鹿にするんじゃあないぞ! 更に特殊な操作をする事で一時的に切れ味が3倍。ドンドンのドンで従来のと比べれば9倍もの切れ味! まな板まで切れたらごめんなさい! でも私は悪くない!」
「って、作ったのアンタかよ! 普通に料理する分にそこまでの切れ味はいらねえ!」
「正確には基礎理論を作ったのが私なだけだがね。こんな所で使われるようになるとは世の中わからないものだ。」

 

 見本なのだろうか、抜き身のままの包丁――――どうも刃は潰してあるらしい――――を片手に感慨深げに唸る男をシンは呆れながら見ていた。
 あれからアクセサリ、服などの定番的なものを見て回ったがシンにしてもこの男にしてもこれと思うものが無かったらしく、流れ流れて二人は調理器具などのコーナーにいた。
 食器から今見た包丁、クッキーを作る為の型などまでそこそこ品揃えはいい様に先ほどから回っていたシンは思うのだが……

 

「俺、あいつが料理するところ見たことも無ければ、作るって話も聞いたこともない……よな?」
「ふむ……じゃあ、これは戻そうか。いいモノなのだが……」
「個人的にはいいかなって思ったりもするだけに惜しいな。でもこれ高すぎるだろ。これなら普通の包丁買うって。」

 

 男の手から包丁を奪うとシンは掲げてみた。粒子云々はよくわからないが、切れ味は確かに良さそうに見える。いや、刃は潰されているのであくまで見える、だけなのだが少なくとも重さやバランスがやたら手に馴染んだ。一度これで料理をしてみたい、とも感じたが余りにも値段が高すぎた。具体的にはシンの月給の半分弱。安月給との話だが、それにしたってこれは手が出ない。

 

「ふむ、ならこれは私から君への贈り物としようか。」
「へ?」

 

 少し考え込んだと思えば、いい事を思いついたという顔をした男が声をあげた。

 

「いや、そんな、もらえな……
「暇つぶしに付き合ってもらった礼、だよ。ああ、そこの君! これを包んでもらえるかね? 支払いはカードで一括で頼む。」
 ……聞いてねえよ、この人。」

 

 止める間も無く店員に物を渡してしまわれ、会計などの手続きが終わり気がつけばシンの持つ紙袋が一つ増えていた。突っ込む暇はあったがその悉くを何処吹く風と流してしまうこの男は自由過ぎるのか天然なのか。

 

「恐らくは後者……ってか両方だろ。」
「何か言ったかね?」
「いいや、なんでもないです。こんなのもらっちゃっていいんですか?」
「貰える物は貰っておけばいいと思うよ。他人の好意を無碍に扱ってはいけない。」

 

 このように言われてしまうとシンも返す言葉がなかった。既にもう自分が持ってしまっているので突っ返した所でこの男は受け取りはしないだろう。

「さて……ではそろそろお別れかな。」
「え?」
「どうも娘達が探しているようなのでね。戻らないといけない。」

 

 そう言うと男は視線で少し離れた場所を歩く数人の女性達を指した。かなり騒がしくしているその音の中に、確かに誰かを探すような響きがあるのをシンは確認し、頷いた。

 

「今日は楽しかったよ。つき合わせてしまって悪かったね。」
「いや、こんなの貰っちゃって……その、俺も結構楽しかったです。」
「なら良かった。ふふ、お互い大変そうだが頑張ろうじゃないか。」
「お互い……って、ああ。」

 

 この男が指しているのは互いの立場についてだろう。年こそ違えど、その辺りでは確かに自分達は似ているのかもしれないとシンは思った。
 今から擬似的にとは言え父になろうとしている男と

 

「そっちこそ。12人でしたっけ? 多すぎですよ。」
「なに、慣れれば悪いものではないさ。では、私はこれで失礼するよ。」

 

 そう言ってシンに背を向けた男はそのまま少し歩いた所で足を止め、首だけ振り返った。
 サングラスの隙間から金色の瞳が覗く。

 

「また会おう、シン・アスカ。何時の日か、再会を楽しみにしているよ。」

 

 シンが返事をしようとした時には既に男の姿は人ごみに紛れ、視界から消えていた。
 返事やら何やらを言い損ねたので不完全燃焼的な何かを感じながら、まずこれからどうするかを考えた。結局プレゼントも買っていない。得たものがあるとするなら、沢山の服飾品が入った袋達の中に、あの男がくれた包丁が入った袋が増えた位だ。
 こっちに来てから、というかかなり前から久しくしていなかった料理だが折角だしやってみてもいいかもしれないな、と思わせるものだった。貰った物をを腐らせておくのも不義理というものだろう。

 

「あ、そうか。これがあった。」

 

 何かを思いついたように声を上げる。
 今の自分でも出来る事だし、必要な事だとも感じていた。いい機会でもある。
 親としてまず自分に出来る事と言えばこれだろう。まだ小さな子供が三食全てが食堂の料理だなんて味気ないにも程がある。昔気質というわけでもないが、子供は親の作った食事を可能なら食べるべきとシンは思っていた。それはつまり子供の頃余り両親が家に居なかった経験からきている感情なのだけども。
 プレゼントとは違う気がしたが悪くない、と頷いた。なんなら別に何かを今度こそ自分の金で買えばいいだけの事だ。シンは新しい目的地に足を動かそうとして、何か違和感を感じ立ち止まった。

 

「……あれ。俺、名前名乗ったっけ?」

 

 最後に男が自分の名前を呼んだのを思い出し首を捻る。少なくとも自分は彼の名前を聞いていない筈なのだが、逆に自分は名乗っていただろうか。いまいち判然としない。
 だがあの男が自分の名前を知るにはどう考えても自分が名乗ったから、以外の理由を見出せなかったのでそれを忘れていただけだろう、と結論付けた。
 別に問題がある様なことでも無いと思えたのもあり、シンはすぐに思考を切り替える。

 

「ま、いいか。さてと……何にするかな。久しぶりだし簡単なもの……カレーとかでいいか。
 と、なるとかなりの量作れるからエリオ達にも連絡入れとくか。」

 

 インパルスは今シャーリーの所に置いてあるので、代わりに借りてきた通信機を手に取りながら目的地を目指すその足取りは軽かった。
   

 

「てぇいいりゃああああああああ!」

 

 ストラーダの持ち手と穂先の間にある噴射口から猛々しい魔力を発し、それを推進力としたエリオは一直線に目標へと肉薄した。その勢いのまま得物を突き出すがさっと体を交わされる。

 

「まだ、まだぁっ!」

 

 噴射口の角度を調整。今度は薙ぎ払うように横に向きに振り抜く。無理な体勢から放った追撃はぎちぎちとエリオの筋肉を圧迫したがその痛みをどうにか耐える。突き、それが交わされた後薙ぐ。これを避けきれるか、とエリオは一撃が当たることを確信していたが……予想していた手ごたえは無く、槍は虚しく空を切るだけだった。

 

「なっ……!」
「遅いな。」

 

 頭上から声が聞こえた。ふわり桃色のポニーテールが視界の端を揺らめくのが見えた直後。

 

「がっ――――」

 

 むんずと頭を掴まれそのまま地面へと叩き付けられる。視界の中にばちばちと火花が散るのを見て、エリオの意識は闇へと落ちていった。

 
 
 

「まだまだ、動きが単調だな。それでもっと早ければこちらも対応の仕様が無いが、その程度では今のようにカウンターを貰うことにな……む?」

 

 かつん、と地面を踏み鳴らすように着地した彼女。六課のライトニング小隊の副隊長を務めているシグナムは、たった今自身が叩きのめしたエリオに対して注意をするが、ある程度話してから既にエリオの意識が無いことに気付く。

 

「気絶したか。ザフィーラ、水!」
「……またか。」

 

 シグナムの呼びかけに脇で見ていた大型の犬――――本人曰く狼――――が口にたっぷりと水の入ったバケツの取っ手をその大きな口に咥えてのそのそと動き出した。
 その動作に慣れた物を感じさせるのは既にこの行事が今日だけで数度行われていることを指している。改めてそれを認識してシグナムはらしくなく大きく溜息を吐いた。

 

「全く……日毎にアスカに似てきてないか、こいつは。」

 

 一週間前の出撃の翌日から今日まで。普段はシンの訓練に付き合っている彼女だが、そのシンが訓練禁止ということもあり、またエリオ自身が頼み込んできたのもあり、こうして目の前で倒れ付している少年と模擬戦を繰り返してきた。いい加減どうしたものかと思い始めている。
 今日だけで3回目。この一週間で考えるなら既に20回近くはこうして意識が無くなるまで我武者羅に突っ込んできてはその度にやり返されている。
 その姿は普段のシンの訓練中の姿を想起させるものだった。彼もこうして何度もシグナムに気絶させられては起き上がり、を繰り返している。
 シンにその事を話してみたが

 

『好きにやらせてやってくれませんか。あいつ、色々と悩んでるんで、それ位した方がいいと思うんです。』

 

 との事だった。

「自分を苛める為の訓練に付き合わされる方の身にもなれというのだ。」

 

 堪った物ではない、と首を振る。
 動きは、良くなってきている。少なくとも一週間前に比べると。今まで基礎を固め続けてきたのがここ数日の実戦さながらの訓練で活きだして来ている。悪いことではないが、どうにも釈然としない。
 頭を抱えたくなる衝動を抑えながらシグナムはザフィーラから受け取った水の入ったバケツを少し揺らす。たぷん、と中に入っている水がその動きに併せて動いた。そのままシグナムは片手で取っ手を、もう片方の手でバケツの底を支えた。うつ伏せに倒れているエリオの体を足を使って上に向けてから、その顔目掛けてバケツの中の水をぶちまけた。

 

「つ、冷たーーー!? ってかぃいたい、いった!? つめたいたっ!」

 

 跳ね起きたかと思うと顔面を押さえながら彼を中心に広がっていた水溜りの中をエリオは転げまわった。当然の様に元々白かったはずのタンクトップの訓練着は泥に汚れるが、何時ものことなので本人も回りでその様を見ているシグナム達もそれを気にした風は無い。

 

「起きたか。おめでとう、本日3度目の気絶からの起床だぞ。」
「……この起し方止めてくださいっていいませんでしたか!?」
「知ったことか。あの程度で気絶する方が悪い。」

 

 立ち上がったエリオの叫びはシグナムの何処か冷やかな目に切って捨てられる。これもこの数日でよく見た光景なのか、何も言わずにザフィーラは空になったバケツをその口でくわえ上げた。のそのそとその巨大な体躯を動かし、新しい水を汲みに行く姿を横目に確認しながら、シグナムは地面にへたり込んでいるエリオを見下ろした。

 

「全く。で、どうする。まだ続けるか?」

 

 心底呆れた様に腰に手を当て嘆息しながらシグナム。時間はまだ訓練時間の真っ只中であり、他の面子はまだそれぞれの訓練を続けている。その証拠に丁度天を突く火柱がシグナムの後方で上がった。恐らくはフリードのブレスだろうか。

 

「まだ……まだやります!」

 

 その問いにエリオは強く頷いた。これもここ数日でよく見られる光景である。 
 やれやれ、とシグナムは首を振り、

 

「わかった。わかったが、少し休め。」
「だ、大丈夫です! 僕はまだ……!」
「私が疲れたんだ……ザフィーラが戻ってくるまで休憩にさせてくれ。」

 

 流石に此処まで言えばエリオも渋々と頷いた。もちろん嘘である。だが、こうでもしないと今のエリオは休まないとシグナムは感じていたし、この判断は間違いではないと思っている。とりあえずザフィーラに対して念話でできるだけ時間を掛けて水を汲むようにと送り、彼女は傍にあった石段の上に腰を置いた。
 エリオもそれに続き、シグナムから少し離れた場所に座り込んだ。
 しばらくの間、エリオの荒い呼気と、遠くから聞こえる破砕音が聞こえるだけで二人の間で何か会話が交わされることはなかった。

 

「なあ、モンディアル。」
「は、はい、なんですか?」

 

 そんな中、シグナムが声を掛けるとびくりと肩を揺らしてエリオは返事をした。

 

「何をそんなに焦っているんだ?」
「…………ッ。別に、僕は……」
「違ったらすまないな。だが最近のお前は何かに焦っているようにしか見えない。」

 

 エリオは言葉に詰ったようだった。何かを音にしようとして喉を鳴らすも、しかしそれは音になっていなかった。それを見てどうしたものか、と頭を巡らしながらシグナムは目の前の少年の反応を待つことにした。

 
 

 彼、エリオ・モンディアルは悩んでいた。いまだ答えが見えない問い掛けに対して。自分がどうしたいのか、もっとも身近な自分という存在の考えがわからなくて。
 したいようにするべきだ。誰かが示した道じゃなくて、自分自身が望む道を見つけるべきだ。シンは彼にそう言った。エリオも、確かにその言葉に納得した。
 ――――だが、わからない。
 自分の望む道なんて見えてこない。ただ、さっきまでの様に全力で体を動かしていればなんとなくそれが見えるんじゃないかと思っていた。
 そしてもう一つ。彼の中にしこりとして残っているものが一つ。
 俺みたいになるな。一週間前のシンの言葉だ。そう言った彼の表情はなんとも形容し難く、ただ漠然とエリオにその言葉を頷かせるものだった。
 
(僕は焦っているのだろうか。)

 

 そうかも知れない、と言われて始めて思った。
 またあの少女と戦場で会った時までに自分は答えを出せるのだろうか。出して、自分に何が出来るのだろうか。ソレは果たして正しい事なのだろうか。
 答えが欲しかった。明確な答えを誰かに示して欲しいという気持ちが消えることはないままだったのだ。

 

「僕は……」
「モンディアル。ベルカの騎士は知っているな?」
「……え? は、はい。シグナム副隊長も騎士なんですよね。」

 

 エリオが口を開こうとすると、それを遮ってシグナムが声を上げた。

 

「ああ。騎士とは……つまり、己が守ると決めた何かの為に戦う存在だ。それは民であったり、主君であったり、愛すべき誰かであったり。
 私たちには生まれた時からそれが定められていたが。」
「……え?」

 

 どういうことか、いまいちわからず思わずエリオは聞き返したが、シグナムは構わず先を続けた。

 

「ここだけの話だぞ? 騎士と言っても私たちは主はやての持つ夜天の書の主に仕えるべく生まれたプログラムだ。
 騎士として、夜天の書の主を守る。その為に作られ、その為に長い時間を生きてきた。
 私やヴィータにとってそれは既に定められていた。どんな下衆であろうと書の主なら全力で守ってきた。今までは、な。」

 

 知らなかった事だ。プログラム。初めからそうある為に生まれてきた存在。
 つまり、それ以外の道など初めから無く、今の自分の様に悩む余地など無かったと。

 

「今は、違うんですか?」
「ああ。私たちはきっと……主はやてと出会って初めて生まれたのだ。あの方が私たちを家族と呼んでくれて、実際その様に扱ってくれて……そう、だから今の私たちはプログラムじゃない。自分の意思で主に仕えている。」

 

 語るシグナムの横顔はエリオが始めて見るような優しさと柔らかさが在った。
 それに新鮮な驚きを感じ、エリオが呆けた様に彼女の様子を眺めていると、シグナムはエリオを真っ直ぐに見詰めてきた。

 

「なあ、モンディアル。」
「は、はいっ。」
「少しずれたが、先ほど言った様にこれが騎士だ。お前が使うのと同じ、ベルカの魔法を使うベルカの騎士だ。」
「僕にも……そうなれ、と?」

 

 おずおずと聞き返したエリオにシグナムは首を振った。一本に縛った長い髪がそれにあわせて左右に揺れる。

 

「そうではない。騎士とはなれ、と言われてなるようなものではない。本質的には生き方なんだと思う。
 ベルカの騎士という生き方を選んだ者がそう呼ばれるのだと。」
「生き、方。」
「お前が何に悩んでるのか私は知らない。ただ、そういう生き方もあるのだと教えておきたかった。
 ……守りたい何かがあるなら、何を賭しても守りぬけ。それが騎士だ。」

 

 お前もアスカも世話が焼ける、とぼやく。シグナムはレヴァンティンを片手にエリオに背を向けるように立ち上がった。休憩はもう終わり、ということなのだろうか。エリオもそれに続いて壁に立てかけていた己のデバイスを手に取り立ち上がる。
 体の節々が痛んだが気にしなかった。不思議と気持ちが昂ぶってるからだろうか。
 騎士。自分の知らなかった否、知ったつもりだった考え方、生き方。目の前の彼女はそれを今日までずっと実践してきたのだろう。
 もっと知りたい、と思った。その生き方を。思考を。少し離れてから彼女がこちらに向き直った。視線がぶつかる。ぶるっと体が震えた。鳥肌が背筋を駆け抜ける。体の中に火が灯った様に全身が熱かった。
   
 答えはまだ見えないままだ。焦りは消えてない。ただ、何か掴んだような、そんな不思議な達成感と共に手に持った槍<ストラーダ>を強く握る。
 そして、一歩――――前へとその足を踏み出した。

 
 

 二人分の影が伸びる。時間は既に夕刻となっており、沿岸沿いの遊歩道人影もまばらになっていた。その中を彼らはゆっくりと歩いていた。離れているようで近い。近いようで離れている、微妙な距離感を保ったまま歩き続けている。
 よいしょ、とシンは少し佇まいを直すように背中に背負ったヴィヴィオを支えなおした。
 両腕にはたくさんの紙袋とビニール袋が下げられており、更にヴィヴィオまで背負っているのだから負担はかなりのものだったが、最近全然訓練をしていなかったのでいいリハビリだと割り切ることにしていた。
 あの後、名も知らぬアロハシャツ姿の男と別れてなのは達と合流した頃には、シン自身の買い物は終わっていた。適当な食材が入った袋を目にした時のなのはの驚いたような顔は少々カチンと来るものがあった。が、それ以上になのはの態度の違和感が目立った。
 まだヴィヴィオが起きていた時は普通だったのだが、一日はしゃいで疲れたヴィヴィオが寝てしまってからはどうにもおかしかった。
 目があんまり合わない。合うと顔を背ける。その癖、シンがなのはから視線を外すと真横から見られている気配を感じる。思い出すのはこの前、ヴィヴィオを迎えに行った時の車の中でのなのはなのだが、その時と圧倒的に違うものがあるように感じていた。

 

「あー……なのは?」
「…………ふぇ!? な、何かな?」
「いや、後どれ位でつくんだ?」
「あ、ああ、えっとね。後2~30分も歩いたら……」

 

 視線をあっちこっちに行ったり来たりさせながら六課までの到着時間を告げるなのはを観察しながらシンは考える。
 少なくとも、あの時のなのはは怒っていたのだ。ヴィヴィオを連れ帰った後、こっそり隠れてシャマルに胃薬をもらいに行ったのは秘密だ。
 しかしどうだろう、今のなのはは。怒っているとはとても思えないし、何かを考えてるのか先ほどからぽけーっとしているのだ。横顔を見ると、少し頬が赤くなっているようにも思えたが、夕日の赤の所為でなんとも判断できなかった。
 なんなのだろう、とシンが思索に耽っているとタンっと軽い音と共になのはが彼の前に躍り出た。
 赤い逆光の中、不思議と見取る事が出来たその顔には照れくさそうな笑みが浮かんでいる。

 

「なのは?」

 

 足を止め、名前を呼ぶが反応は無い。シンの目の前でなのはは片手で彼女の胸を指しながら、

 

「今日のわたしを見てね、何か言うことは無いかな?」

 

 そう言った。思わず聞き返しそうになったのを何とかこらえて考える。
 言う事、と言われてもパッと思いつかない。そもそも彼女は何を望んで唐突にそんな事を聞いてきたのだろう。今日のなのはを見て、と言われたので改めて彼女を注視する。
 髪は何時ものようにサイドポニーのままだし、それは違うだろう。服装は、と考えた所でシンは口を開いた。

 

「……私服、だよな。」
「……今更それに気づいたの?」
「い、いや、一応わかってはいた……つもり。」

 

 呆れた様になのは。違うのだろうか。だとしたら何だろう。今度はなのはの顔をシンは凝視した。

 

「化粧が……」
「うん、化粧が?」
「何時もより濃い。」
「本気で言ってるなら……シン君、後でコワイカラネ?」

 何故か片言に聞こえた言葉にぞくりと、背筋が震える。慌ててシンは首を横に振り、考える。
 何時もと違う所。確かに着ている服も違えば化粧も何時もと違う。雰囲気も少し違うか、と思ったがしかしなのははなのはだと思う。なんと答えたものか、とシンが頭を悩ましていると、なのはが笑った。

 

「はは、もう。駄目駄目だなあ、シン君は。」
「……何がだよ。」

 

 憮然とした表情のシンになのはは更に笑い掛けて続けた。

 

「じゃあね、次が最後だよ? わたしは何時もと違う服を着てるし、ちょっとだけ化粧も変えたりしました。
 さあ、そんなわたしが君に言ってもらいたい事は何かな?」

 

 夕日の中。背中の後ろで両手を組み、少し前屈みになったなのはが聞いてくる。普段は余り見せることの無いいたずらっぽい笑みを浮かべながら。
 吹く風になびく髪も、化粧のせいかよく見ると普段より大人びたその雰囲気のその顔も、それら全てがなのはをいつもと違う彼女に見せた。
 

 

「……綺麗だ。」
「……え!?」

 

 ふと、意識せずに言葉が口から洩れた。目を見開いたなのはを見ながら、自分が言ったことを理解した途端に気恥ずかしさがシンの心を埋め尽くした。
 そんなシンにずずいとなのはが詰め寄り、叫ぶ。

 

「い、今、何ていったの!?」
「ちゃんと言ったんだからいいだろ!?」
「も、もう一回! もう一回お願い!」

 

 誤魔化す様に明後日の方向を向いたシンは歩き出したが、その動きにに食い下がるように慌ててなのはがその横についた。

 

「聞こえたんだろ、じゃあいいじゃないか!」
「なら、聞こえてなかったからもう一回!」
「ど、どんな理屈だよ、それ! 嫌だったら嫌だ!」

 

 互いの声が飛び交い、口論の様な形になるが、しかし意外にもシンはこの空気が心地よかった。なのはもそうなのだろうか、よく見れば口の端が緩んでいるように見える。
 他愛も無いこんな言葉のやり取りがとても楽しく感じた。しばらくそうしていると、

 

「……ん、むにゃ……」

 背中のヴィヴィオが起きるような素振りをしたので、二人して慌てて声をひそめ、両手の塞がってるシンは口だけで、なのはは人差し指を口の前で立てて、示し合わせたようにしぃーっと言葉にした。
 そのまましばらくの間、互いの顔を見つめあったまま沈黙。ヴィヴィオは単に寝言を言っただけの様で起き出すような事は無かった。どちらからでもなく、お互いにホッと息を吐くと先ほどまでのことなどどうでもよくなってきた。

 

「帰ろっか?」
「だな。」

 

 互いに微笑みあって止めていた足を前へと進める。シンがヴィヴィオを背負い、そのすぐ横をなのはが歩く。心なしか、なのはとの間が狭くなったような気がするのは気のせいだろうか?

 

「あのさ、ありがとうね。」
「ああ? 何がだよ。」
「さっき、綺麗だって言ってくれて。」
「……やっぱ聞こえてたのかよ。聞こえなかったって言ったのはどの口だ。」
「へへぇ。」

 

 照れたように、にへらと笑うなのはに対して、ったく……と頭を掻こうとしてから両手が塞がっているのを思い出しシンはうな垂れるに留まった。
 瞬間、ふと既視感に襲われたのを感じ、思い出す。そういえば昔こんな感じで家族で歩いた事が何度もあるのだ。父親と、母親と、そして妹と自分。幸せだったあの頃。
 その時と似たような感覚を唐突に感じた。自分が歩いていてそのすぐなのはが横にいる。背にはヴィヴィオが居て。そんな現状がかつて、自分が一番幸せだった時の事と心の中で被った。

 

「ああ……そっか。」

 

 口から言の葉が洩れる。どうしたのかと視線でたずねかけてくるなのはに首を振ってから一言だけ口にした。

 

「こういうのって、本当に幸せな事なんだよな。」
「ん~?」
「いいや、なんとなく……さ。」

 

 平凡な日常。そんな日々からもう何年も離れていたから、気付かなかったのだろうか。
 こんななんでもない、日常の1ページがとても尊い物だと思い出し、シンは思わず肩を震わした。
 かつて失ったものとは違えど、しかしこの手にまたそんな日々を手にすることが出来た幸福を、どうしようもなく嬉しく感じて。
 何時までもこんな幸せが続けばいいと、心の中でただ願う。

 

 そしてだからこそ、シンは忘れていた。
 何時だってそんな幸せはその手から零れ落ちて行った事を。
 何時だってそれに気付いた時には自分にはどうしようもなくなっていた事も。
 余りにも今が幸せすぎて。それに浸る事に夢中になっていて。

 

 ――――忘れていたのだ。

 
 

「あら、ドクター。お帰りになられていたのですか……って、なんですかその格好は。」
「ん? ああ、ウーノか。ウェンディ達が選んでくれたので向こうで着替えたのだが……やはり変かい?」

 

 カツン、と一定のリズムを保っていた靴が金属で出来た床――――主の趣味なのか無駄にパイプが床から飛び出たりしている――――を踏み鳴らす音を思わず止め、彼女は呆れたような声を上げた。
 理由は目の前に大きな袋を両手に一つずつ提げた彼女――――戦闘機人ウーノ――――の創造主とも言える男の姿だった。丸いレンズのサングラスにアロハシャツ。更にはサンダルに短パンだ。確かに自他共に認める変人だが幾らなんでもこれは無いだろう、と思わずウーノは頭を抱えたくなった。

 

「あの子達は……全く、はしゃぎすぎですね。」
「くくくっ、たまにはこういうのも悪くない。そう思わないかい……まあ、お陰で明日は筋肉痛だろうがね。困ったものだ。」

 

 外したサングラスを折りたたみアロハシャツの胸ポケットに忍ばせながら、困ったという言葉とは裏腹に実に楽しげにその黄金の瞳を輝かせる男=ジェイル・スカリエッティ。
 悪の科学者然とした彼に似合わない言葉だ、とウーノは思う。まさか管理局に喧嘩を売っている張本人の悩みが娘の買い物に付き合った翌日の筋肉痛だなんて誰に想像できるだろうとも。

 

「……変わられましたね。」
「いやいや、私は私のままさ。自覚しただけでそれが直接変わった事に繋がることはないよ。
 ああ、そうだ。シン・アスカと出会ったよ。話してみたのだけども……なかなか面白いね彼は。」

 

 元々愉しげに歪んでいたスカリエッティの口元が更に愉悦の色を深くする。その思考の中で何を思っているのか、それを見るウーノには想像も出来なかったが、

 

「彼とは不思議な親近感を覚えてね。」
「親近感……ですか?」

 

 CEに居た時の行動をデータの上で見るだけでもわかる程の直情的な性格をしているシン・アスカにスカリエッティが親近感を感じるとはどういうことだろうか。
 聞き返すとくつくつと笑ってからスカリエッティは頷く。

 

「互いに父親としては新人なものでね。ああ、いや、妹の世話というアドバンテージがある分彼の方が先に行っているか……しかし、人数でなら私も負けていないから問題は無いな。うむ、何も問題は無いさ。
 ……賭けるだけの価値はあると思うよ、彼には。」

 

 妙な対抗心を燃やしていたかと思うと、最後にポツリとスカリエッティは言った。余りにも平然と坦々と口にされたのでウーノは暫し戸惑ったが、

 

「そう、ですか。」
 
 と、頷いた。
 賭けてみる、とは言葉通りの意味なのだ。シン・アスカ、そしてハイネ・ヴェステンフルスに賭ける。それこそが本来の計画を捻じ曲げる最も大きな要因であり難関であった。敵である彼の行動如何で自分たちの未来が決まる、と思うとどうにもおかしい感じがしないでも無かったが、全ては主であるスカリエッティが決めた事なのだ。自分が口を挟むようなことではなく、ただそれを叶えるのが自分の存在意義なのだと彼女は自戒する。

「ドクター。先ほどドゥーエから定時連絡がありましたので、例の件。伝えておきました。」
「そうかい。あの子はなんて言っていたかな?」

 

 自分の仕事を。自分たちの父の願いを叶えるという仕事を成す為に彼女はまず丁度報告しようと考えていた事項を口にした。管理局に潜入しているスカリエッティが擁する戦闘機人シリーズ、通称ナンバーズの次女、ドゥーエからの連絡についてだ。
 

 

「まず、こちらからドクターのなさろうとしている事を伝えると、
『死んでしまいなさい、糞親父。』
 と。それとドクターのやろうとしている事は了承してくれるようですね。改めて指示を待つと。」
「……そうかい。それはよかった。」
「まあ、あの子はあれで家族想いですから。ドクターの構想に反抗する理由は無いでしょう。」
「その家族想いの子が私に死ねと言ったのだが……」

 

 うな垂れているが傍目に横顔が嬉しそうに見えるのは、きっと”糞親父”に反応してのことなのだろう。そんな他所事を彼女らしくなく考えていたが、もう一つ彼に伝えなくてはいけない事柄があったのを思い出して口を開く。
 
「ああ、それと。ハイネ・ヴェステンフルスがレジアス中将にコンタクトを取ったようです。如何いたしましょう?」
「ほう……流石、ギルバートのお気に入りなだけあるね。もう彼に行き着くとは……ククッ、さてどうしたものか。」

 

 既に気を取り直していたスカリエッティの唇の端が釣り上がる。その表情は何時ものように愉快でたまらないと言った風であった。スカリエッティ曰く、ゲームの相手は強ければ強いほうがいい。思いもよらない手を売ってくる相手ならば尚更堪らない。
 勝つ、と本人は豪語しているが、しかしウーノは己の主にとって勝ち負けはどうでもいいのではないかと思えていた。結論よりも寧ろその過程を楽しむのが彼であり、また今回のゲームに関しては彼が心の底では負ける事を望んでいるのも知っている。
 どうしたものか、とも思うがどちらにせよ自分に出来るのは従う事だけだと再三心中で呟く。その為に生まれた存在なのだ、と。

 

「よし、ドゥーエにはまた後でこちらから指示を送るとしよう。フフ、私が盤上の準備をしている間も向こうは自由に動くのだから面白い。
 思い通りにならないからこそこの世界は楽しいのだ。
 さあ、見せてくれたまえよ! シン・アスカ! ハイネ・ヴェステンフルス!
 全てを定めるのは君たちの欲望(愛情)なのだから!!」

 

 叫ぶ言葉がこの二人以外には誰も居ない廊下に高らかに響き渡る。
 きっと彼は止まらない。己の”欲望”を貫くその時まで。そして、その瞬間まで傍に仕えるのが己の仕事だと、静かに心の中で何度も繰り返した言葉を思い浮かべ、先に進むスカリエッティのすぐ後ろにウーノはつき従った。