DEMONBANE-SEED_種死逆十字_第15話3

Last-modified: 2008-12-18 (木) 00:48:52

「ハイネ機、動力反応、消失……」
 レーダー手の報告が、嗚咽の流れるブリッジで空しく響いた。
 一時目を伏せたタリアは、視線を嗚咽の主に向ける。
 膝を屈し頭を伏せた、威厳の欠片も持たない姿で泣く少女。その表情はピンクの長い髪に隠れて見えない。
 おそらくハイネは、彼女の正体を知っていたのだろう。思い返せば彼らには、秘密を共有しているもの同士の疎通とでもいうべき素振りがあった。
 本来の姿を隠していた彼女にとって、それを知る彼が常に共に居ることをどう思っていたのかは分からない。だが、恐らく救いであり心の支えだったのだろうということは、今の彼女を見れば分かる。
 その支えを失った彼女の悲しみと喪失感はどれほどのものか。タリアは憐憫の情を禁じえない。
「……戦況はどうなってるの? 敵の動きは?」
 しかし、今はそれを考えるときではない。余計な感情を振り払い、声を発する。
「連合とオーブの艦隊はほぼ後退、交戦距離にある艦はアークエンジェルのみ。敵MSも数機を残して撤退、もしくは撃墜されたようです。こちらのMS隊はフリーダムと正体不明機に対応して……あ、セイバーがフリーダムに接近!」
 情報を聞き、タリアはここからどう動くべきか思考を巡らせる。
 最終的な結果を見れば、大多数の敵から生き延びることが出来たと言えるだろう。連合の戦力もかなりのダメージを受けたはずだ。これが普通に戦って得た結果なら手放しで喜んでいる。
 だが、それが脈絡もなく現れた連中の手によるものという一点が、全てを帳消しにする。
 何より許せないのは、ミネルバのクルーの命を奪ったことだ。タンホイザーへの攻撃に、周辺ブロックで死傷者が出ている。
 そして、ハイネ。コクピットこそ攻撃されていないが、あの状態で海に落ちて救助できるはずもない──MIA、すなわち死亡と同意義だ。
 部下が、同僚が死ぬことへの覚悟は当然ある。だがアークエンジェルとフリーダム、彼らがこんなところに現れなければ──
「……グラディス艦長」
 不意にかけられた言葉にハッと振り向く。そこに立つ影を見て、タリアは気づいた。
 嗚咽の声は、いつの間にか止まっていた。
「外部スピーカーを、使わせてもらえないでしょうか?」
 嗚咽に変わって発せられる、少し掠れた声。少女らしからぬ迫力をはらんだ声を発する少女の顔を見て、タリアは息を呑んだ。
「お願い、します」
 先ほどまで泣き叫んでいたとは思えない、『ラクス・クライン』の真剣な顔が、そこにあった。

 
 
 

「キラァァァァ!」
 フリーダムへと駆けたセイバーが、左腕のサーベルを渾身の力で振るう。フリーダムはそれを容易く避け、逆にセイバーの左手首を切り落とした。もう両腕は使えない。
「くっ……」
 すぐさま後退し、両脇に背部ユニットを展開。しかしその砲身も、薙ぎ払われた両剣によって叩き切られる。
 唖然とするアスランを衝撃が襲った。セイバーの胴体を、フリーダムが右足で蹴り飛ばしたのだ。
 揺れるアスランの視界の先で、フリーダムは再度両剣を振り払おうとし……不意に右側面を向くと、左手に持つ盾を突き出す。
 インパルスのサーベルを、盾が受け止めた。
『フリーダム……っ!』
 通信機から聞こえるシンの声。噴出しそうな何かを押さえ、それでも押さえきれない憎しみを滲ませた声だ。
『アンタは……また……俺から奪うのかぁぁぁ!』
 遮二無二サーベルを振るインパルス。しかしデタラメな切っ先は、フリーダムが少しだけ後方に下がるだけで全て回避されてしまう。
 その刹那、フリーダムが加速。一瞬でインパルスとすれ違う。
 インパルスの右腕と両足がビームで焼かれた切り口を見せ、海面へと落下していった。
『ああっ……!』
 もやは害にならぬと見たのか、フリーダムが飛び去る。その背を飛び回るドラグーンが追いかけていく。
 バランスを崩し落下しかけたインパルスを、手首のない左腕で何とか支えるセイバー。セイバーもかなりバランスを崩しているが、なんとかミネルバに戻る程度はできそうだ。
「シン、大丈夫か!?」
『なんなんだよ……』
 無事を確かめようとアスランが呼びかけるが、シンはその声が聞こえていないかのように呟いている。
 そして呟きは、叫びに変わった。
『なんなんだよアイツは!? 突然現れて、メチャクチャやって! オーブの人達を、ハイネを! それに、それにラクス・クラインって……』
「それは……!」
 やはり、先ほどのラクスの言葉がミネルバのラクス──ミーアに疑いを抱かせている。だがそれを上手く誤魔化せる言葉を、アスランは思いつかない。
 その時、ミネルバから女の声が戦場に響き渡る。
『アークエンジェルとフリーダム、そしてラクス・クラインを名乗る方に、お聞きしたいことがあります』
 三度、戦場の動きが停止した。

 
 
 

 ミネルバのブリッジは、異様な雰囲気に包まれていた。
 外部スピーカーに声を伝えるインカムを装着し、ミーア・キャンベルは声を上げていた。
 顔には涙の後が残り、目も真っ赤。声も鳴いていたせいか、かすかに掠れている。
 しかし、そんな状態の彼女にブリッジの人員は皆圧倒されていた。
「貴方たちは何をなさりたいのですか? 突然現れて、戦場を混乱させる……この行為は我々ザフト、いえ、ここにいる全ての勢力への敵対行為ではありませんか」
 酷い顔に酷い声。しかしその顔は気迫と決意を示し、はっきりと綴られる声は力強さに溢れている。
 連合もオーブもフリーダムも、戦場に通る声に皆が戦いを止める。謎の機体とドラグーンもまた、面白い見世物だといわんばかりに静観を決めこんでいた。
 問いかけに、アークエンジェルから返答の声が上がる。ミーアと同じだが、こちらは掠れていない穏やかな声。
『ラクス・クラインです。先ほどお告げしましたように、私達はこの戦いを止めたいだけです。敵対行為と仰いますが、それは攻撃を受けたことに対する防衛行動です。それ以上の意味はありません』
「防衛行動だと仰いますが、では何故ミネルバを撃ったのですか?」
『ミネルバがオーブを撃とうとしたからです。あのまま攻撃を放置していれば、オーブ艦隊は確実に多くの被害を被っていました』
 その言葉にブリッジクルーの何人かが忌々しげに顔を歪めた。あの攻撃は威嚇であり、オーブを直接狙ってはいなかった。
 それを知らずに連中はタンホイザーを破壊し、クルーに死傷者を出したのだ。知らなくて当たり前ではあるが、そんなくだらない理由で仲間を殺されれば、怒りを覚えて当然だ。
 その事実を突きつけんと口を開きかけたクルーを、タリアが止めた。威嚇だったことをここで公表しては、ザフトとオーブの関係を連合に疑われかねない。
 タリアに目配せされたミーアは、分かっていると頷いて再び口を開く。
「……あなたたちは、オーブの方々なのでしょうか? オーブに犠牲が出ることが嫌だから、オーブに戦いをやめさせようと?」
『オーブだけではありません。私達は無意味な戦いと、そこから無意味な犠牲が生まれるのを止めたいのです』
「おかしいですね。無意味な犠牲というならあなたたちがやっていることはなんなのですか? あなたたちが今攻撃し、撃墜している方々は犠牲ではないのですか?」
『戦いを止めさせるためには、仕方なかったのです。戦いたいと思っているわけではありません。しかし私達を阻もうとされる以上、火の粉は払わざるをえません。無論、好き好んで命を奪うような真似はしておりません。戦闘力を奪うだけです』
「……本気で言っているんですか?」
 その時、ミーアの声のトーンがかすかに落ちた。
 アークエンジェルのラクスは、わずかに間を置いて言った。
『何度も言うようですが、私達はただ戦いを止めたいだけなのです。あなた方は何のために戦うのですか? ただ目の前の他者を敵と断じ、屠る事が未来に繋がるのでしょうか? それが人が歩むべき、正しい道なのでしょうか? 本当に?』
 その言葉には、わずかな迷いも躊躇も、そして後ろめたさも含んでいなかった。
『私達の行いが、全て正しいなとどいうことを言うつもりはありません……しかし、今のままでは世界は悲しい未来へ向かってしまう。だからこそ、私たちは迷いながらでも進まなければいけないのです』
 なおもラクスが何かを言い募ろうとした、その時。
「……認めない」
『え?』
 直後ミーアが発した声に、その声を聞いたほとんどの人間が息を呑んだ。
「私はあなたを、ラクス・クラインだなんて認めない! あなたの言っていること、やっていることはメチャクチャです! 貴方のせいで今この瞬間、どれだけの人間が犠牲になっているか分からないんですか!? 戦闘力を奪うだけ!? あなたたちはそうやって落とされた人達が今、海の底に沈んでいってるのが分からないんですか!? あなたが……あなた達が暴れているせいで、その人達を助けられないのが分からないんですか!?」
 感情の爆発。誰も聴いたことがないであろう、ラクス・クラインらしからぬ、怒りの叫び。
 しかし、ミーアはその声を抑えることは出来なかった。
 彼等のせいでミネルバは撃たれ、戦場は混乱し、人は死に……ハイネが、沈んでいく。
 なのに、それを起こした張本人はそんなことにも気づいていない──いや、気付いていながら、それを肯定している。
「あなたは本気で、自分たちが犠牲を出していないと胸を張って言えるんですか!? こんなことをして、本当に平和が来ると思ってるんですか!? あなたの言う悲しい未来を防ぐ為なら、今この時の悲しみはどうでもいいんですか!?」
 問いかける。追求の言葉と同時に、かすかな希望を込めて、問いかける。
 これが、これが私が尊敬し、至らなくとも代わりを務め上げようと努力してきた、ラクス・クラインのすることなのか。これが英雄と呼ばれた、ラクス・クラインの本当の姿なのか。
 ──答えて!
『……私をラクス・クラインとは認めないと仰る方。では、貴女は何者なのですか?』
 ラクス・クラインはその問いに応えない。逆にミーアへと、問いを投げ掛ける。
 ミーアは、泣いた。泣き声は上げず、表情も歪めず、ただ目から大粒の涙だけを流した。
 わたしの問いかけに、あなたは何も答えをくれなかった。答えてくれたなら、平和の歌姫として正しい答えをくれたのなら、私はまだあなたを信じていられたのに。
「私は……わたしは、ラクス・クラインです」
『違います。貴女は私ではありません』
「当たり前です。【わたし】は、あなたじゃない」
 あなたの代わりになろうと、努力した。あなたが帰ってきたとき、喜んでこの名前を返そうと思った。
 でももう違う。わたしは、あなたになんかなりたくない。あなたみたいな【ラクス・クライン】には、ならない。
「わたしは……わたしは、戦争に怯え、悲しみにくれる人の為に。平和の為に戦い、散っていった人達の為に。そしてその思いを受け継ぎ、戦いを終わらせようと頑張る人達の為に……そんな人達の為に平和を願って歌う、ザフトの【ラクス・クライン】です! あなたとは……あなたなんかとは、違うっ!」
 ミーアは──【ラクス・クライン】は、決意を叫んだ。羨望から決別し、自らの道を進む、覚悟を。
 その時、アークエンジェルとミネルバの傍で、二つの水飛沫が上がった。

 
 
 

 水飛沫を上げて、オーガアストレイがミネルバへと着艦した。
 その右腕には、巨大な鉄塊が握られている。
『ティトゥス!?』
「急ぎ医者を。下手を打てば間に合わぬぞ」
 ハンガーに入ったオーガアストレイが、右腕に掴んでいた鉄塊を床に降ろす。それが何なのか気づいたメカニックたちは、驚きの声にかすかな歓喜の色を浮かべた。
 ところどころがひしゃげているが、それは間違いなくハイネのグフだった。
『ハイネ! ほ、本当に、本当に!?』
 通信機越しにミーアの半泣きの声が聞こえる。しかしティトゥスはそれに構っていられるほど余裕がなかった。
「手が空いている者がいるなら、換装を頼みたい。今戦場に浮かぶ異形の機体、彼奴は……彼奴は魔術師の駆るMMだ」

 
 
 

 海面からアビスが跳び出し、ビームの一斉射撃がアークエンジェルの装甲を叩いた。ラミネート装甲は熱を拡散し攻撃に耐えるが、船体が大きく揺れる。
 アークエンジェルを守ろうとフリーダムがアビスへと向かう。追いかけるドラグーンの攻撃をものともせず突き進むフリーダムだったが、その間にアビスは再び海へと潜っていく。
 様子を傍観していたウェスパシアヌスは、ふむと拍子抜けしたかのように唸った。
「歌姫二人の対談はあまり面白くなかったな。まあ、まあいいとも。茶番は終わったようだし、そろそろ真面目にやってみようか」
 リジェネレイト・サイクラノーシュの足が一本持ち上がり、飛来した黒い影とぶつかる。
 巨大な爪が、ゴールドフレームの鉤爪を受け止めた。
「これはこれは、オーブの戦姫、黒の女神の呼び名高いロンド・ミナ・サハクご本人に出向いてもらえるとは光栄、恐悦至極に存じます! しかし、しかし挨拶も無しに強襲とは無礼というもの!」
 円盤部分の下部から飛び出した何かが、逃げようとしたゴールドフレームに向かっていく。蠢いていたケーブルが何本も、触手のように伸びてゴールドフレームの四肢を絡め取った。
 動きを封じられたゴールドフレームの前で、爪からビーム刃を伸ばした足が振り上げられる。
「無礼には無礼をもって返礼致しましょうぞ!」
 振り下ろされるビームクロー。ゴールドフレームの頭部に切っ先が突き刺さろうとする最中、一陣の風が吹いた。
 ゴールドフレームを捕らえたケーブルが寸断され、クローが足ごと何かに弾き返された。
「むっ!?」
 咄嗟に後方へ下がるR・サイクラノーシュ。軽い驚きを浮かべていたウェスパシアヌスは、
「ほほう、そうかねそうかね……そちらからわざわざ、わざわざ再開の挨拶に来てくれたか!」
 十字に重ねた二刀を突き出しているオーガアストレイを見て、唇を吊り上げた。

 
 
 

 ゴールドフレームはその場を去り、オーブ本隊と合流に向かう。その姿をティトゥスはもう目に留めていない。
 ジェットストライカーの全開出力を噴き上げ、オーガアストレイが異形へと疾駆した。
 振るわれる二刀。疾く、鋭く放たれた二連撃を、二本の爪が受け止めた。
「斬」
 側面のスラスターを噴射。円軌道を描きながら、オーガアストレイが剣を振るう。
 多角面から繰り出される白刃の乱舞。だがそれもフレキシブルに動く四本の爪によってことごとくが防がれてしまう。
「チィ……」
 爪の間を掻い潜り、放たれる深い踏み込みの一撃。切っ先が足の付け根である本隊に迫る。
 刃が届く、その寸前。展開された魔術防御陣に防がれる。
 すぐさまオーガアストレイが後退するが、その時突然、モニターの端にノイズが走った。
『おお久しい、実に久しい顔だ。久しぶりじゃあないか、ティトゥス』
「ウェスパシアヌス……!」
 現れたのは髭を蓄えた紳士の顔。ティトゥスは険しい顔でかつての同胞を睨みつけた。
『そう怖い顔をしないでくれたまえ。今日は別に、お主にちょっかいを出しに来たわけではないのだし』
「手当たり次第に暴れまわる者の言うことか」
 言いながら剣を振るわせ続けるティトゥスだが、クローと防御陣の守りに阻まれ、一撃たりとも有効打になり得ない。
『それはフリーダムのパイロットにこそ言ってあげたまえ。先に暴れていたのは彼だし、私は彼を狙ってここに来たに過ぎん』
「何? どういうことだ?」
 フリーダムのパイロットを狙ったという言葉に、ティトゥスは眉をひそめた。
「お主は、いやお主ら逆十字の目的はなんだ? 連合に取り入り、アメノミハシラを攻め、アスハ代表を狙い、今はフリーダムのパイロットが目的だと言う。この世界で、一体何をしようというのだ?」
『はてさて、どうだろうね? まあアメノミハシラについては上役に頼まれたからだと言っておこうか……まあそれは、それはさておき。このR・サイクラノーシュのようなMMとは違うが、君のもかなり、随分と、中々に面白い機体のようじゃないか』
 振り下ろされる二本のクロー。実体部分を刃で受け止め、頭上でビーム刃が止まる。
 その時R・サイクラノーシュの本体下部にあるMS部分──下に突き出した上半身の頭部から光が放たれた。
 カメラアイから伸びる二本のラインがオーガアストレイをなぞる様に照らす。ビームとは違い攻撃力はもたないようだったが、警戒したティトゥスはクローを弾き返して機体を下がらせる。
 直後ウェスパシアヌスが発した言葉に、ティトゥスは目を見張った。
『なるほどこれは、これは面白いアプローチだ。魔導書を演算装置とし、術式を機体そのものでなく回路のみに限定して組み込んでいるのか。これならば魔力炉も魔術師も無しで動くのも納得だ』
「っ! 貴様、オーガアストレイを……!」
 今の一瞬でオーガアストレイを解析し、しかもその構造を理解したというのか?
 その事実にティトゥスは驚き、そして納得する。数多の生体実験や魔導兵器開発に手を染めたウェスパシアヌスなら、構造が分かればその本質を見抜くことも容易いだろう。
『しかし、これではほとんど魔術的効果は期待できんな。あくまで魔術を用いた伝達速度の向上のみか……これでは、これではなぁ。性能面では脆弱に過ぎる』
 ウェスパシアヌスの声。そこには呆れと侮蔑の感情が混じっていた。
「何が言いたい?」
『なあティトゥス。アンチクロスに戻る気はないかね? 魔術師として……おっと!』
 その言葉に、ティトゥスは返答の代わりに一撃を返した。防御陣を展開したR・サイクラノーシュから、嘲笑が響き渡る。
『ハハハハ! ティベリウスに聞いたとおり、随分と魔術師が嫌うようになったものだ。しかし、何故そこまで人に拘る? かつては人間を遥かに超えた力を身につけながら。せっかく、せっかく魔導書という貴重な物を持っているというのに。それを有効活用せぬとは。難しいというなら、また私が手伝おうか?いやいや、遠慮はいらんよ? 君が力を取り戻して協力してくれるなら、それまでの助力は惜しまんとも』
「黙れ。戯言を聞く気はない。拙者は人間のまま高みを目指すのみ」
『まあ一度落ち着きたまえ……歌え、オトー!』
 人間の──否、人ならざる醜悪な絶叫がティトゥスの頭上から響き渡った。耳から入り込んだ絶叫は脳を震わせ、体には虫が這いずり回るような不快感と痛みを錯覚させる。
 意識が朦朧としてもなお、耳障りなウェスパシアヌスの言葉は途切れない。
『高みを目指すというが、所詮人間の範疇で得られる力などたかが知れているではないか。かつて一度は限界まで力を高め、満ち足りなかったお主なら分かりきった事だろうに。その程度の力で、お主は満足できるかね? いいや無理だろうさ。力を追い求め人を止めたお主が、その程度で満足できるはずがない。我慢する必要が何処にある? 手を伸ばせば掴める力、戸惑う理由が何処にある?』
「黙れと、言っている!」
 苛立ちが意識の靄を散らした。懐に潜り込み、上半身を真横に叩き斬ろうと振りかぶるオーガアストレイ。
 だがその手足を、ケーブルの触手が絡め取った。さらに別の触手が、オーガアストレイの装甲を打ちつける。
『ハハハハハ! 無様だな、脆弱だな、物足りないなあティトゥス! その程度の力では私とサイクラノーシュに敵いはせぬよ! 愚かだ、愚かだ、愚かさここに極まれりだな! フハハハハ!』
「貴、様……!」
 ウェスパシアヌスの嘲笑が、衝撃に揺さぶられるティトゥスの苛立ちに油を注ぐ。
『ただの人間の力なんぞにしがみ付くとは……手伝ってもらおうかと思ったが、残念ながら腑抜けたお主なんぞにもう興味はない!』
 ケーブルに拘束されたオーガアストレイが、MS部分の眼前に引き出される。手を持たぬ
逆さのシルエット正面に、防御陣とは違う魔法陣が描かれた。
『残念だ、残念だよティトゥス……悪いがお別れだ。消えたまえ』
 魔法陣から無数の魔力弾が、至近距離のオーガアストレイに放たれた。

 
 
 

「いい加減当たれっての! ……ってヤベ!」
 上空にフルバーストを仕掛けたアウルは、それを全てかわして飛んで来るフリーダムを見ると慌ててアビスを海中へと潜行させた。
 先ほどから浮上しフリーダムを攻撃、向かってきたら潜行して逃げるというパターンを、何度か繰り返している。
「うわ、こっわ。しっかし訳分かんないよなー。MSのスクラップがやけに落ちてくるかと思ったら、サムライヤローは一つ拾って逃げちまうし……何事かと思って顔出してみたらコレだもんな」
 飛び出た直後目の前にいたアークエンジェルに、慌てて攻撃してしまったアウル。後に通信で、彼らが突然現れて暴れている集団である事を知り、まあ結果オーライだなと納得したのだった。
 しかしその後、フリーダムに執拗に狙われたのは恐怖以外の何者でもなかった。海戦能力がなければあっと言う間に自分もスクラップにされていたかも知れない。
 とはいえ、命令もないのに逃げ出すわけにもいかない。ヒット&アウェイを徹底し、アウルはちまちまと攻撃を繰り返していたのだが──
「あのヤローとんでもねーな。メチャクチャ強いじゃん」
『おいアウル、何をやってる! もうとっくに本隊は撤退を開始してるぞ! 早く戻って来い』
「うっせーなそっちが言うのが遅いんだよ! フリーダム押さえてやったんだから感謝しろよな!」
 ネオからのようやくきた撤退命令。もうこれ以上あんな化物を相手にしていられないと、アウルは素直に機首を本隊に向けた。
 ふと、後ろ髪を引かれるような感覚に振り向く。視界の先に、ミネルバの船底がかすかに見えた。
「……落とされんじゃねえぞ……?」
 自分で言った言葉に、アウルは呆気に取られた。何故因縁深く、今回落としそびれた相手の無事を祈らなければならないのか。
 多分、訳分からない連中にエモノを持っていかれたくないから。うん、きっとそうだ──と、アウルは自分を納得させた。
「さー帰ろ帰ろ。スティングやステラは大丈夫かな~っと」
 そんな事を口に出しつつ、あいつらは大丈夫だろとアウルは内心で思っていた。

 
 
 

「……何?」
 呆然と、ウェスパシアヌスが呟いた。
 完璧だった。オーガアストレイとかいうMMの四肢をしっかりと捕らえ、回避不能の至近から魔力弾を打ち込んだ。これで王手だったはず。
 にもかかわらず、ケーブルは引き千切られて力なく垂れ、魔力弾は何もない空間を通り過ぎている。
「!?」
 上空に待機させていた【オトー】の視界が、オーガアストレイを捉える。
 いかな早業か、オーガアストレイはR・サイクラノーシュの直上から刀を下に向け落下してきていた。
「あの状況から離脱したのは流石、流石といっておこうか! しかしまだ、まだまだ甘いわ!」
 あの機体には近接戦闘用の装備しかないのは分かっている。ティトゥスの技量がそれを補っているようだが、通常の武装では魔術陣を貫く事は出来ない。
 予想通り、刃は上面に展開した陣に止められる。
 嘲りの言葉をかけようとしたウェスパシアヌスはしかし、驚愕に一言すら発する事が出来なかった。
 ジェットストライカーを吹かしつつ機体のバランスを取り、オーガアストレイが横に回転。一瞬で防御陣を張った上部から側面へと移動した。
 直後、一筋の閃光がR・サイクラノーシュの装甲に刻まれるのを、ウェスパシアヌスは見た。
「ばっ……馬鹿な!」
 ウェスパシアヌスが驚愕に目を見開く中、鏡のような斬り口を見せて脚部の一つが落下していく。
 上からの攻撃が防がれた直後に側面に移動、防御陣を張る間も与えない一刀。【オトー】の視界に捉えておきながら、ウェスパシアヌスはその間の挙動を一切認識する事が出来なかった。
 なんという反応速度。人間があそこまでの速さで、いやそもそも魔術理論を組み込んであるとはいえ、人の手による機械が、認識も出来ない速さで動ける筈が──
「……! お、オトー!」
 オーガアストレイが再び刀を構えている。顔を引き攣らせながら、ウェスパシアヌスは待機させていた
【オトー】に突撃を命じた。

 
 
 

 剣を振り下ろそうとしたティトゥスは、魔力を感じ頭上を見上げた。
 上空から迫る、R・サイクラノーシュのドラグーン。
 ティトゥスは今、奇妙な現象に見舞われていた。オーガアストレイが文字通り、思うがままに動くのだ。
 隙を見つけ、そこを突きたいと思えば既に刀が突き込まれている。横に避けたいと思えば、既に機体はその位置に移動している。
 身体は確かに動いているが、もはや『機体に身体が動かされている』状態に近い。
 まるでティトゥスの肉体がオーガアストレイそのものに変わったかのような状態。そしてオーガアストレイは、ティトゥスの要求にわずかな遅れも見せず対応していた。
 ──だが、今のティトゥスはそれをまったく意識していない。
「ウェスパシアヌス」
 彼の意識は今、たった一つの感情に支配されていた。
「貴様の言葉は」
 ティトゥスの中で、煉獄の業火の如く燃え盛る感情。
 それは苛立ちを越えた、憤怒だ。
「今の拙者にはちと、腸が煮えくり返るほどに耳障りだ……っ!」
 上空から迫るドラグーンの砲門が開き、中央の顔が大口を開ける。
 オーガアストレイが右腕を突き出した。その目がカバーの下で紅く輝いた。

 

「微塵と為りて消え失せよっ!」

 

【──Crimson blood draws a falling flowers──】(──紅い血は、舞い散る花を描く──)

 

 一瞬だった。オーガアストレイがわずかに下がり、その眼前をドラグーンが通り抜けようとした刹那。
 無数の紅い剣筋を刻まれたドラグーンが、絶叫と共に爆散した。
 魔剣、紅桜。一本の刀と腕のみで、瞬きの間に敵を切り刻み血の花を咲かせる剣の奥義。魔術師であった頃のティトゥスが極めていた技。
『なんと、なんということ! お主の力、見誤ったか!』
 爆発したドラグーンから光る球体が現れ、R・サイクラノーシュに吸い込まれる。勢いに乗ってオーガアストレイがR・サイクラノーシュへ剣を振り上げると、R・サイクラノーシュは海面へと降下しつつ戦場から離脱していく。
『少々遊びが過ぎた。この有様では目的を達するのも難しい。ここはとりあえず、とりあえず退散するとしよう』
 残ったドラグーン二機を回収し、R・サイクラノーシュが海中へと消えていく。だがそれを黙って見逃せるほど、ティトゥスの心は穏やかではなかった。
「逃がしはせぬ! 貴様は、今ここで……!」
 感情に任せウェスパシアヌスを追おうとしたティトゥス。だがその進路を、上空から降り注いだビームと弾丸の雨が阻んだ。
「邪魔をするな!」
 阻むなら斬り捨てるといわんばかりに、刀を邪魔者に向けるオーガアストレイ。その邪魔者──フリーダムは柄を重ねた両剣を携え、オーガアストレイへと駆ける。
「あくまで阻むというなら、斬り捨て──!?」
 操縦幹を動かすティトゥス。だがその時、致命的な異常が彼を襲った。
 機体の腕が、持ち上がらない。

 

【──System error. Main system is shifted to the normal mode──】

 

 その表示とアラームは、正に悲劇を告げる暗示だったか。
 正確に関節を狙ったフリーダムの刃に力を失ったオーガアストレイは弾き飛ばされ、そのまま海面へと叩きつけられた。

 
 
 

 混乱を極めた戦いは、ようやく終結を迎えようとしていた。
 被害をもっとも多く受けた連合はいち早く撤退を決め、オーブ艦隊もそれに追従。R・サイクラノーシュの撤退とほぼ同時刻に、アークエンジェルとフリーダムも戦場から消えていった。
 他の軍勢が全ていなくなり、ようやくミネルバは警戒態勢を解くことが出来た。
『あ、レイ! アンタは割と大丈夫そうね!』
 着艦したエールカスタムを見て、バラージカスタムに乗ったルナマリアが声をかける。
 セイバーとインパルスはボロボロで、オーガアストレイもかなりの損傷を負ったらしい。あまり直撃を喰らっていないエールカスタムはマシなほうだ。
 しかしいくら機体が無事であっても、それはレイの気分を晴らす要因にはならなかった。
「カオスのパイロット……奴は……」
 撤退するまでカオスと戦い続けたレイ。その戦いの中レイはあることを確信し、同時にそれを否定し続けていた。
 あの動き。一撃離脱を繰り返しながら、こちらのわずかな隙に火力を集中する戦い方。
 そんな筈はない。だが──
「奴は……あいつの戦い方は……!」

 
 
 

「クソッ!」
 J.P.ジョーンズに着艦したカオスのコクピットで、スティングは壁に握った拳を叩きつけた。
 ミサイルを使った時間差攻撃に、隙の少ない動き。こちらの動きへの対応の仕方や、小さな癖。
 討つ覚悟はあった。しかしまさか、こんな形で再戦を果たすことになろうとは──!
「間違いねえ……あの野郎、レイか!」
 出会ってしまったという事実を、スティングは本気で呪った。

 
 
 

 戦いが繰り広げらていた海峡を一望できる岬。その突端で、忙しなくカメラやその他個人撮影用の機材を片付けている人影があった。
 ミリアリア・ハウ。かつてはアークエンジェルのクルーで、現在は戦場ジャーナリストをしている女性である。
「キラもラミアス艦長も、かなりムチャやったわね……」
 馴染み深いMSと艦、彼らが今行なったやったことを思い返し、ミリアリアは片付けの手を止めて呟いた。カメラを落としそうになり、慌てて持ち直す。
「やはり動いたか……想定通りだ。しかし奴まで現れるとは予想外だったな」
「え?」
「いえ、なんでも……しかし度胸のある方ですね。こんな危険なところまで写真を撮りに来られるとは」
「ここはまだ戦場まで距離がある方です。それに仕事ですから。むしろ、貴方みたいな人がどうしてこんなところに?」
 ミリアリアはすぐ横に伏せている男を注視する。たまたま同じ場所に居合わせた、黒衣に身を包む黒い肌の男。
 カメラ一つ持っていないから、本人の言うとおり同業者ではないだろう。しかし男自身が語った【神父】という職業が本当かどうかは胡散臭い、とミリアリアは感じていた。
「神の教えを説く身とはいえ、野次馬根性は中々消せぬものでして。ところで時間はいいのですか? さっきまでは随分とお急ぎのようだったが」
「あ、そうだ! 急がなきゃ! それじゃ失礼します、アウグストゥスさん!」
「ええ、縁があればまたお会いしましょう」
 荷物をまとめたリュックを背負い、走り出すミリアリア。かつての仲間が動き出した以上、自分もこのままじゃいられない。とりあえず一度アークエンジェルと合流し、何をするつもりなのか聞き出さなければ。
 ──去っていくミリアリアの背から視線を海へと戻し、アウグストゥスは呟く。
「ウェスパシアヌス。奴もまた『SEED』を求めているか……」
 アウグストゥスは思案する。ウェスパシアヌスが何を求め『SEED』を狙うのかは分からないが、今キラとラクスを潰されるのはまずい。彼らにはやってもらわねばならない役目がある。
 だがその為にいずれは、あの二人を確保せねばならないのも事実。『準備』さえ済ませれば、滞りなく彼らを迎え入れられる。
「星々は着実に、邪悪な位置に収まろうとしている……時が満ちるまでに全ての準備を。その為に──」
 そろそろウェスパシアヌス、そして他のアンチクロスを引きこむか──口元を醜く歪め、
アウグストゥスは哂った。

 
 
 
 
 

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