Fate of Destiny 01話

Last-modified: 2009-03-01 (日) 11:22:24

 ここはどこなのだろう、ロクに働かない頭でシンは考えた。無限遠に続く純白の空間ということしかわからない。浮遊感以外に身体の感覚をほとんど感じられず、はっきりと分かるのは自分がここにいるという認識だけ。自分が生きているのか死んでいるのかさえ定かでなかった。
 ただの夢なのかもしれないし、もしかしたらここは俗に言う『あの世』なのかもしれない。それを確かめる術は今のシンにはないし、確かめる気もなかった。
 そしてただぼんやりと眺めていたとき不意に変化が訪れた。真っ白な世界を唐突に別の色が現れたのだ。まるで絵の具が水に溶けるように、色は段々と広がっていき――それは十歳に満たない茶髪の女の子と、あどけない表情をした金髪の少女に姿を変えた。

 

 夢を見ている。オーブに連合が攻めてきて、逃げる途中で爆発に巻き込まれた瞬間。両親が血煙になった瞬間。幼さ故に事の重大さが理解できず自分の命よりも落とした携帯電話を優先した妹。彼女は爆発に巻き込まれ、右腕だけが残った。自分はただ泣き叫ぶことしかできなかった。

 

 夢を見ている。アーモリーワンで出会った金髪の少女。ディオキアの海岸で『君を守る』と約束した少女。幾度と無く交戦し、ようやくロドニアのラボで奪還したガイアに乗っていた金髪の少女。彼女と交わした約束は結局果たされなかった。度重なる洗脳によって『破壊』の感情に支配された彼女は、『自由の翼』によって討ち滅ぼされた。自分はただ見ている事しかできなかった。

 

 でも、夢で構わなかった。彼女たちにまた出会えたのならそれだけで良かった。二人に向かって手を伸ばそうとして――身体が全く動かないことに気がついた。
 シンの様子に気付いているのか二人はどこか寂しそうに微笑んだ。
――まだ来ちゃダメ
――シンにはまだ『明日』があるから
 その声を契機に世界が急速に遠ざかっていく。
 シンは必死に抵抗した。言うことを聞かない身体を遮二無二「動け」と念じながら。そしてようやくわずかに右腕を前に伸ばした瞬間だった。
――もう、本当に聞き分けがないんだから
 誰かがシンを後ろから柔らかく抱き止められた。
――あなたは生きて、シン
 暖かな抱擁と諭すような囁きが、シンの強靱な意志を萎えさせていく。シンの意識は奈落の底にへと消えていった。

 

 どれだけ長い時間眠っていたのだろうか。深い微睡みからシンは覚醒した。視界がぼやけてよく見えないが、刺すように鋭い痛みが全身から――特に右腕がひどかった――律儀に伝えられている。
 少なくともまだ死んではいないようだ。とシンは判断した。
(……それにしても)
 また生き延びてしまったか、とシンは自分のしぶとさに苦笑した。別に死に場所を求めているわけではないのだが、かといって積極的に生きる理由は今のシンにはない。
 どれだけ長い時間気を失っていたのだろうか。シンの記憶が正しければ、コックピットのエアーはほとんど残っていなかった。ノーマルスーツ内の酸素量はたかが知れているし、だとすればそんなに長い間眠っていられるわけがないのだが――
「……ん?」
 そこでシンは自分がノーマルスーツを着ていないことに気が付いた。シンは問題なく呼吸ができているということは、少なくともデスティニーのコックピットではないのだろう。
(なら、ここはどこだ?)
 思考が加速するのに比例して視界も急速にクリアになっていく。
「あ……」
 そしてまず真っ先にシンの目に入ったものは、こちらを不安げに見つめる金髪の少女だった。見た限りまだ十にも満たない年齢の少女だが、どことなく大人びた印象を受けた。
「ここ――づッ!」
「まだ起きちゃ駄目です、一週間も眠ってたんですよ!」 
 シンは起きあがろうとして――ようやくそこでシンは自分がベッドで寝ていたことに気が付いた――少女は激痛に顔をしかめるシンを子供を寝かしつけるように抑えた。
「……君は?」
 痛みで遠くなりかけた意識をどうにか繋ぎ、目の前の少女に再び尋ねた。
「私の名前はフェイト、フェイト・テスタロッサです」
「そう、か……」
 その答えを聞きながらどうにか荒くなった呼吸を正した。シンは今一度状況をチェックし始めた。
 身体の具合はそれほど悪いわけではなさそうだった。全身怪我をしているが、誰かが治療してくれたのか身体のあちこちに包帯が巻かれている。特に痛みが激しい右腕はどうやら骨折しているらしく、ギプスで固定されていた。少なくとも目の前の少女にここまでのことはできない。
 少なくともここには彼女の他に医療知識を持った大人が一人いるようだ。
 そして場所。とりあえずここは戦艦や軍施設で無いことだけは間違いない。プラントの成人年齢が早いとはいえまだ十代にも満たないような少女が軍人になることは不可能だからだ。ゲリラ関係の可能性も薄い。ここには重力と酸素がある。宇宙空間で地上と変わりのない環境を作り出すのはコロニー以外は難しく、そんな力がゲリラにあるわけがない。
 なら、ここはどこなのだろうか?

 

 考えているだけでは仕方がない。とりあえず、この場所のことだけでも知っておくためにシンは少女に問いかけた。
「ここはどこだ?」
「ここは私の家――時の庭園です。」
「『時の庭園』? 聞いたことのない名前だな」
 プラントのコロニーは首都のアプリリウスを筆頭として12の市に分かれている。細かい区分までは憶えていないが、少なくとも『時の庭園』という名のコロニーは聞いたことがなかった。
「えっと、住んでるのは私の家族だけですから」
「……そりゃすごいな」
 予想外の言葉にシンは思ったことをそのまま口にしてしまった。コロニー建造には当然ながら膨大な金が掛かる。例えそれが家族だけで住むような小さい空間だとしても、目も眩むような資金が必要なはずで個人単位では決して用意できない。可能性としては、この少女の両親が科学者で、研究用に建造された小型コロニーに家族ごと移り住んだ――だろうか。そうであれば『時の庭園』という奇妙な名前が付けられていることも理解できた。
 だとしたら少し面倒だ。そこまで小規模なコロニーだとしたら。外部との連絡用に無線はあるだろうから連絡はつくのだろうが、もしかしたら迎えが来るのに時間が掛かる可能性があった。
「フェイト――だっけ? 悪いけど大人を呼んでくれないか?」
「はい……あ」
 とりあえず今のままでは埒が空かない。別の人間に――ちゃんとした大人に聞けば自分の置かれた状況もわかるだろう。シンがそう考えた矢先、金属同士が擦れる音とともに背後にあった部屋のドアが開いた。
「……どうやら目を覚ましたみたいですね」
 そこには一人の女性が立っていた。年齢は恐らくシンよりも若干年上だろう。最初はフェイトの姉か何かかと思ったが、薄茶色の髪と藍色の瞳はフェイトのそれとは似てもにつかない。
「アンタは?」
「私の名前はリニスです。その子は――」
「さっき聞いたよ、フェイトだろ?」
「なら紹介する必要はありませんね。それではあなたの名前を教えてくれませんか? いつまでも、『名無し』さんではやりづらいので」
「……悪かった。俺はシン・アスカだ」
 リニスの指摘で、シンはそこでようやく自分が名乗っていないことに気がついた。ほんの少しばつの悪い気持ちに襲われつつ、シンは自分の名前を名乗った。
「ええと、リニスさん……でいいかな? 俺を治療してくれたのはもしかしてアンタか?」
 気を取り直して、シン右腕を指さして尋ねた。
「ええ、そうです」
「……ありがとう。おかげで命拾いしたよ」
 シンは素直に感謝の言葉を口にした。ほとんど素性の分からない男をわざわざ治療してくれたのだ。感謝をわすれるほどシンは恩知らずではないし、厚顔でもない。

 

「いえ、私はフェイトに頼まれて治療しただけですから。お礼は彼女に言ってください」
 リニスは顔を綻ばせて、続けた。
「あなたが庭で倒れているのを見つけたのはフェイトなんですから」
 その言葉を聞いて冷水を頭からぶちまけられたような錯覚に陥った。
「待ってくれ。俺はデスティニー――モビルスーツに乗ってたんじゃないのか?」
「モビルスーツが何なのかはわかりませんが……フェイトからは、確かあなたが生身で倒れていたと聞きました」
 その言葉を聞いてシンは余計に混乱することになった。シンは気を失う直前までデスティニーのコックピットにいたはずだった。それが彼女の話では、シンは生身で倒れていたという。だとすればデスティニーはどこに行ったのだ。
 それにモビルスーツのことを知らないのも妙だった。モビルスーツは歴史こそ浅いが、二度の大戦で最も猛威を振るった兵器だ。それを知らない人間などいるはずがない。
 いや、それよりも――
「ちょっと待ってくれ、さっき『庭で見つけた』って言ったよな。もしかしてここは地上なのか?」
「そうですが、それが?」
「まさか――そんなわけないだろ。俺はさっきまで宇宙にいたんだ。ここはコロニーじゃないのか?」
「コロニー? 『集落』とはなんですか?」
「コロニーを知らないのか? 冗談はよしてくれ」
「冗談を言っているつもりはないんですが……」
 シンの困惑はこの時点で頂点にまで達していた。戦闘宙域は地球からかなり遠い場所で、少なくとも漂流して辿り着く場所ではない。仮に辿り着いたとしても、デスティニーの損傷は大気圏突入に耐えられるような状態ではなかった。どう考えても地上に辿り着くわけがない。それに彼女たちはモビルスーツどころか、コロニーのことさえ知らないというのも妙だった。もはやそれは常識知らずといったレベルの問題ではない。
 自分の思惑を越えたところで、何かの歯車のかみ合わせが狂っている感覚。少なくとも尋常ではない事態に巻き込まれていることは、シンにも理解できた。
「待ってください――あなたはどこの管理世界の出身ですか?」
「管理世界……なんだそれ?」
「知らない。それじゃ、やはり――でも……」
 聞いたことのない言葉にシンが首をかしげると、リニスはむしろ納得したかのように頷いた。少なくとも彼女はシンよりもこの状況を把握しているようだった。
「落ち着いて、聞いてもらえますか」
「あ、ああ……」
 重々しい口調で、リニスは言った。まるでシンにその事情を話すことを拒んでいる――というより躊躇っているような感じだった。
 だが、意を決したのかリニスは再び口を開いた。

 

「あなたがどこから来たのかはわかりませんが……ここはあなたのいた世界ではありません」
「……悪い、何を言っているのか意味がわからないんだが。順序立てて説明してくれないか?」
 今にもわめき散らしたくなる気持ちをどうにか抑えられたのは、激しやすいシンにとって奇跡だった。
「並行宇宙論をご存じでしょうか?」
「一応は。確か量子論の話だったか」
「厳密には違うのですが、おおむねその通りです。世界にはいくつか種類があって――この世界は『ミッドチルダ』と言います。先ほど言った管理世界というのもその一つです」
「それで?」
「あなたは元いた世界から何らかの理由で、このミッドチルダに移動してしまったんです。次元の壁を乗り越え、私たちの世界に」
「……そんな馬鹿な話、信じろってのか?」
 憮然とした様子でシンは言った。馬鹿馬鹿しいとは思いながらシンが彼女の話を、リニスの態度が不誠実ではないと感じたからだ。だが、信じているわけでもない。シンにとって彼女の話はあまりにも荒唐無稽すぎた。
「第一、どこにそんな証拠がある?」
「……確かあなたの言うとおりですね。いま、お見せします」
 そう言いうやいなや、リニスは突然シンの右腕に手を触れた。
「おい、何を――」
「『フィジカルヒール』」
 リニスが小さく呟いたその瞬間、シンは右腕に熱を感じた。だが熱とは言っても日だまりのような暖かみ程度だったので危険ではなさそうだが――。
(いったい何だ?)
「……これでいいはず。右腕を動かしてみてください」
 不審に思いながら、とりあえずリニスの言うままにシンは左手で右腕を何度か軽く振ってみる。だが不思議なことに痛みは全く感じなかった。
「骨が繋がってる? そんな――」
 目の前の現実に、シンは驚愕した。先程までもっとも深手を負っていた右腕が、ほとんど治っていたのだ。
「予想はしていましたが――あなたは『魔法』を知りませんね?」
 驚くシンはリニスの問いにも答えられない。ただただ信じられない呆然とするばかりだ。
「魔法――大気中に存在する魔力を利用して使用者の望む結果をダイレクトに顕在化する技術です。このミッドチルダでは一般的な技術でもあります」
「馬鹿な、でも、まさか――」
「信じていただけましたか?」
「……分かったよ。こんなモン見せられたら信じるしかないだろ」
 シンは力なく応えた。目の前で起こった超常的な現象に未だに思考が追いついていなかったのだ
「で、どうすれば元の世界に帰れるんだ?」
 時間をかけて気を取り直した後、シンは落ち着いた口調で質問をした。このときのシンはまだせいぜい「遠すぎるところに来てしまった」程度の認識しかできていなかったのだ。そして、今し方リニスが見せた『魔法』という技術。これほど高度な技術があれば元の世界に戻るのもそれほど難しくないと、たかを括っていたのだ
 だが、その言葉にリニスは顔をしかめるだけだった。
「わかりません」
「……なんだって?」
「次元漂流者は珍しいですが前例がないわけではありません。それにミッドチルダにはそういった人を保護する『管理局』という組織も存在します」
「だったら、そこに行けば――」
「だから、無理なんです」
 リニスは申し訳なさそうに首を振った。多分シンに追い打ちを
「次元漂流者の大半は魔力事故によるものが多いのですが、あなたの場合何が原因で飛んできたのか分からないんです」
 リニスは一息置いて続けた。
「原因が分からない以上、元の世界に戻ることは難しいと思います」
 自分を構成していた全てが崩れていく音が、シンには聞こえたような気がした。
「ふ、ふふ……」
 気がついたら別の世界にいて、元の世界に帰る見込みがない。出来の悪い三文小説のような事態に巻き込まれた自分の不運を考えると、もう笑うしかなかった。
「そう、か。もう帰れないのか……はは――」
「アスカさん――」
 心配そうに呟くフェイトの声はシンには聞こえなかった。

 

for the next PHASE...