ガルドの死、ファンフェルトの気絶から2分が経過した時点で、チョコラータはハーヴェストの目を慎重に避け、大通りに面した家屋の3階に辿り着いていた。
3階のリビングの窓から、重ちーの姿が見えることを確認する。椅子に乗れば位置的にちょうどいい。
身体をくねらせて這いずり、左手で椅子の足を握り、引き摺って窓際まで運ぶ。
(さて……)
背中の荷物を下ろし、中身を取り出す。幾多の鉄の塊を左手だけで丁寧に組み立てていく。この器用さは人間を捌く月日の中でつちかったものだ。
(よし)
5分と経たずにそれは完成する。大口径の狙撃ライフル。オーブ軍の防弾服といえど貫通できる威力を持つ、とっておきだ。
本来ならこんな五体不満足で使える代物ではないが、グリーン・ディの左手も使いながら構えを取る。スコープを覗き、標的を確認する。
(このスコープに……録画機能でも付いていればよかったな)
舌なめずりしながらそんなことを思った。
―――――――――――――――――――――
じりじりと状況の変化を切望するワイドの視界に、ふと道路に倒れた死体が入った。ガルドではなく、ワイドが撃ち倒した名も知りえぬオーブ軍人の死体である。
薬物で精神を壊されていたとはいえ、殺してしまったことにワイドは罪悪感を抱く。
(あのゲス野郎は毒まで持っていやがるのか……)
そこで何かが引っかかった。
(『持っている』……だと?)
そういえば、あいつは荷物を背負っていた。あれの中身は、薬だけでは足りない。
(他に何が入っている? 考えろ……敵の立場で考えろ……)
その時、
「見つけた! あそこだどッ!!」
重ちーがある家の3階の窓を指差す。
「もう遅い」
こちらを指差す重ちーを見つめながら、チョコラータは愉快げに呟く。
銃声が弾けた。
熱と力が大気を引き裂く。
耳を抉るような破砕音が響く。
皮膚が千切れ血が飛び散る。
そして、その血は重ちーのものではなかった。
「ワイドッ!!」
誰かの声がする。
「ぐふっ、がはっ!!」
ワイドは脇腹が、さっきの骨折とは違う痛みを訴えていることを理解する。
銃弾はワイドのサブマシンガンに命中し、サブマシンガンに使用不可能になる衝撃を与え、跳弾してワイドの脇腹をえぐったのだ。
『接近戦ではサブマシンガンの差で敵は不利。ならば、単純に考えて敵が取る行動は、サブマシンガンで対処できない場所からの狙撃』
そこまで推測したわけではなかったが、何かがヤバイことを感じ取っていたワイドだけが、弾丸の射線の間に入り込むという行動が取れたのだ。
考えてのことではなく、本能による行動であり、だからこそ間に合ったのであろう。
「大丈夫か」
ホースキンがワイドに駆け寄って介抱する。
「ぐっ、大した事ねえさ……それより」
ワイドは激痛に耐えながら弾が放たれた窓を睨む。
スピードワゴンは無言でそれに応え、サブマシンガンの引き金を引く。
だがチョコラータは部屋の奥へ逃げ、弾丸はむなしく窓を壊すのみ。
「ちくしょう! 届かねえ!」
悔しがるスピードワゴンに、声をかけるものがいた。
「スピードワゴンさん……」
重ちーだ。
「オラならスピードワゴンさんを、3階まで運べるど……あいつが攻撃してきても、けど援護することはできない……それでいいかど?」
「いいぜ」
1秒と間隔を置かずにスピードワゴンは了承した。
「『ハーヴェスト』ォッ!!」
さきほどまで探索にあたっていたハーヴェストがスピードワゴンの周囲に集まる。もちろん、スピードワゴンにそれを見ることができないが。
「うおおおおお!!」
スピードワゴンの身体が急に浮き上がり、彼は思わず声をあげる。
ハーヴェストが集団で彼の身体を押し上げているのだ。一体一体の力は大した事が無いハーヴェストだが、何十体にもなれば人一人を動かす事も簡単だ。
ハーヴェストに押し上げられ、人が走るのよりも速くスピードワゴンはチョコラータのもとへと、壁を滑り上がっていく。
「ふん……飛んで火に入る……だな」
チョコラータは嘲笑する。スタンド使いでもない凡人が、一人で突っ込んできたのだ。笑わずにはいられない。
ライフルを置き、拳銃に持ち帰る。
「弾丸も弾き返すことのできない身で……調子に乗るな」
チョコラータとスピードワゴンの距離、4メートル。
引き金が引かれる。
スピードワゴンの胸に着弾する。防弾服に止められるが、衝撃はくらう。
スピードワゴンはゆるがない。
チョコラータとスピードワゴンの距離、3メートル。
引き金が引かれる。
頬をかすめ、血が流れる。
スピードワゴンはゆるがない。
チョコラータとスピードワゴンの距離、2.5メートル。
引き金が引かれる。引かれる。
こめかみをかする。サブマシンガンを握る右腕に着弾する。
脳が震える。右の上腕を貫通する。
スピードワゴンはゆるがない……ゆるがない!!
「な、んだと?」
チョコラータとスピードワゴンの距離、2メートル。
「『グリーン・ディ』!!」
スタンドの拳で殴りかかる。目に見えず、対処もできない攻撃がスピードワゴンを襲う。
ゴズガズッ!!
左頬が殴られる。奥歯が折れる。
右胸が殴られる。胸骨に罅が入る。
右脇腹を殴られる。肋骨が折れる。
右腕を殴る。穴の開いた右腕に激痛が走る。
「どうだッ!!」
チョコラータが勝ち誇る。これでここから突き落とせば、カビによってこの男は死ぬ!!
だが、
「何がだ」
スピードワゴンの右腕が動き、銃口がチョコラータに向けられる。
炎のごとき視線が、チョコラータを見据える。
スピードワゴンは、ゆるがない。逃げない。退かない。悪に対しては、絶対に。
(何故止まらない――!?)
チョコラータには理解できない。この男は、力無き弱者のはずなのに!!
チョコラータは意識せぬまま、取るに足らない凡人を前に、一歩退いた。
ダンッ!!
床を踏む音がたつ。スピードワゴン、3階への潜入、達成。
チョコラータとスピードワゴンの距離、1メートル。
「『戦いの思考』……『北風が勇者バイキングを作った』。窮地へと踏み込むことが、勝機を生むッ!!」
銃弾の嵐が吹き荒れた。
「ぬうっ!!」
チョコラータはスタンドを持って必死に弾丸をはじく。だが、グリーン・ディの速度は並みである。一発二発ならともかく、数十発を防ぎきるのは至難の技。
「キイイイイコエエエエエエエ!!」
チョコラータは苦肉の策を選択した。
ゴゴンッ!!
スタンドの腕が思い切り床を叩く。その反作用によってチョコラータの身体が浮き上がった。跳躍した肉体は弾丸の洗礼を受ける。
だが幸運としかいいようがないことに、頭部や心臓に当たることはなかった。他の弾痕はすぐにカビで塞ぎ、止血する。
そしてスピードワゴンの頭上を越え、外へと逃亡することに成功する。そして、下にいる者達に目を向ける。そして、一番組みやすそうな相手を判別した。
(人質が、必要だ!!)
「ぎょっええああああッ!!」
グリーン・ディで家の壁を殴り、落下方向を修正。
その落下方向にいる者は……サース・セム・イーリア。
「サース撃て!」
ワイドの言葉に弾かれたように、サースはサブマシンガンを構え、引き金を引く。
何も、起こらない。
「弾切れっ!?」
「逃げろサース!!」
重ちーとホースキンが叫ぶ。だが支援は間に合わない。
サースは動かない。
チョコラータが目前に迫る。
「逃げても無駄だッ!!」
チョコラータが言い放つ。
サースは、
「北風が……」
一歩、
「バイキングを」
踏み出した。
「作った!!」
サースはとっさにサブマシンガンの銃身(バレル)を握り、思い切り振りかぶった。
グリップがチョコラータの顔面に吸い込まれ、したたかに殴打する。歯が2本折れ飛び、キリキリと回転しながら道路に突き刺さるように頭から落下する。
2度バウンドし、ズザザザという音をたてて道路で身を削った後、ようやく静止した。
そのまま、ピクリとも動かなくなる。
周囲をハーヴェストが囲み、誰もが息を殺して、その動きを警戒した。
3階に残されたスピードワゴンは、窓からそっと手を出し、自分の足の位置よりも下に下ろした。
カビは生えなかった。
「……カビは消えた。俺たちの勝利だ!!」
この高らかな勝利宣言が下されたのは、午前1時53分のことであった。
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「ああ、そうだ。もうカビの心配はない」
スピードワゴンはユウナと連絡を取っている。
『そうか……本当によくやってくれたよ』
「礼なら、SPW隊のメンバーに言ってくれ」
これからの対応についても多少話はしたが、SPW隊の仕事はこれで終わりだ。
後の始末は上層部にゆだねることになる。しかしスタンドのことを伏せたまま、この事件の説明をつけるのは中々難しいだろう。
スピードワゴンはユウナの気苦労を思い、同情した。しかし、人の同情をしてもいられないのだ。
「隊長……そろそろ、この馬鹿げた冗談みてえな事件について、説明してくれねえか?」
連絡を終えたスピードワゴンの背中に、ワイドの声がかかった。
言いたいことはよくわかる。ここまでのものを見せられて、ウイルス兵器などという言い訳は通るまい。
(しかし……どう話したものか)
ワイド、ホースキン、サース、気絶から目覚めたファンフェルトの顔を見ながら、スピードワゴンは腕組みをして考えこむ。
「えーと、まずはだな」
ザガッ!!
「なにィッ!?」
スピードワゴンの右方向から黒い影が躍りかかった。
いきなりの襲撃に、スピードワゴンは腕を交差させて顔を防御するものの、突き倒されてしまう。
黒い影は走り、倒れ伏すチョコラータへと向かう。黒い影の正体は、チョコラータの『下半身』であった。
茂みから『右腕』も姿を見せ、チョコラータの上半身とくっつく。上半身と下半身も繋がり、チョコラータは五体満足な状態に戻った。
「ウヘヘヘヘこのアホどもがーーッ! 今回はしてやられたが、逃げ延びれば最終的に私の勝利だッ!!」
チョコラータは大通りの外へと走る。
「くそッ!! 追うんだ! もうカビを出す力はないはずだ!!」
もしもカビを使えるのなら、下水道へ逃げるはずである。そうすれば追いかけようがないからだ。
なのにそうしないということは、下に降りることで繁殖するカビは、もう使えないということだ。そのスピードワゴンの判断は当たっていた。
(もはやカビを蔓延させるだけのスタンドパワーはない! だが、だがまだ手はある!!)
チョコラータは走り、目当てのものに辿り着く。
オーブの軍用車。さきほど囮にしたオーブ軍人のものだ。無論、キーは奪ってある。
「これで逃げて、身を潜め……スタンドパワーが戻り次第ッ!! またやってやるぞ!!」
エンジンがかかり、タイヤが回転を始める。そして、人の足では到底適わない速度で、自動車は走り出した。
―――――――――――――――――――――
遠ざかっていく自動車を眺めながら、スピードワゴンは重ちーに訊く。
「……やったか?」
「オラのハーヴェストなら、楽勝だど」
重ちーの足元に三十体以上のハーヴェストが並び、そのどれもが、小さな機械部品を持っていた。
「オラのハーヴェストはなんだって集め取ってくるど。『自動車の部品』だって……」
やがて激しい爆音が耳に届いた。
「カーブでブレーキがかからなかった、とかかねぇ」
煙が立ち昇るのを見て、スピードワゴンは通信機で連絡を取ることにした。消火活動は自分たちでは無理だろうから。
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「ぬ、ぐ、ぐぐう……」
チョコラータは目を開いた。
体中に痛みが走り、ろくに動くこともできない。視線をずらすと、家屋に突っ込んだ自動車と、燃え盛る家が見える。
(そうだ、確か私はあの車に乗っていた……なぜ助かった?)
どうやら自分は芝生の上に寝かせられているらしい。そこに、
「気がついたようだな。死んでも不思議ではない傷だったが、しぶといものだ」
声がかけられた。
「ッ!!」
SPW隊のものではない。その声の主は、チョコラータの死角から、見える位置へと姿を現した。
「……誰だ貴様は」
顔はよく見えない。声質からして男のようだが、聴き覚えはない。
「ご同類だ。ジブリールの命令で、お前を監視していた」
「何?」
「お前と同じ手段でオーブに潜入し、お前の動向を探っていた。もしもお前がやりすぎるようなら、消せと言われていた」
「なッ!!」
チョコラータは思わず身を起こそうとするが、痛むだけで体が動かない。
「無駄だ。さっきの衝突で肉体に相当の衝撃を受けた上に、炎であぶられたのだから。治療を受けなければ、このままでも充分に死ぬ」
「私をどうするつもりだ……」
チョコラータは割りと落ち着いていた。始末するなら、とっくにやっているはず。生かしておくつもりがあるのだろうと踏んだのだ。
「それだが……お前、このまま死んだことにするつもりはないか?」
男がチョコラータの顔を覗き込みながら言う。そこでやっと、チョコラータは男の顔をはっきりと見た。
確か大西洋連邦の、というよりはブルーコスモスの暗殺者であり、テロリストとしても手配されている男である。
「あの自動車からお前を助け出したあと、適当な死体を放り込んでおいた。あの火力だ。消火される前に骨まで灰になる。そうなれば、お前が生きているとわかる者はいない。オーブも、ジブリールもだ」
「……ジブリールを裏切れと言うのか。裏切って、どうしろと?」
「とりあえず、私の『もう一人の雇い主』と会ってもらおう。話はそれからだ」
チョコラータは考えるまでもなかった。どうせこのままなら死ぬのだ。ならば生きる望みのある方に賭けるのは当然。彼は首を縦に振り、承諾の意を示した。
「よし。では運ぶぞ」
男はチョコラータを軽々と担ぎ上げ、人が来る前に闇の中に姿を消した。
惨劇の舞台を後に残して。新たなる舞台の幕を上げるために。
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死者312名。
負傷者1128名。
オーブ最悪の一夜として歴史に刻まれる事件は、ここに終結した。
また、このときスピードワゴンが発した『戦いの思考』は、隊員たちの口から伝播し、伝えられていくことになる。オーブを救った教えとして。