KtKs◆SEED―BIZARRE_第20話

Last-modified: 2008-10-22 (水) 23:23:38

 『PHASE 20:絡まる運命』

 
 

 ミネルバはガルナハンを出発した。
 ミネルバを見送りに来た人々の前で、レイがコニールに、「あの時は突然抱きしめてしまってすまない」と真顔で謝罪し、コニールが耳まで真っ赤になり慌てふためいたことから、えらい騒ぎになるという喜劇的一幕があったりしたが。
 昨夜、レイとコニールがいなくなっていた事実も発覚し、騒ぎは更に大きくなった。
 コニールの父が怒り狂い、すったもんだのあげくに『まずは友達から始めよう』と、レイとコニールは文通をすることになった(この戦時下では手紙を届けるのも大変だろうが)。
 しかしながら、騒ぎの発端にして中心であるレイは、自分がどういう立場に置かれたかまったくわかっていない様子で、シンやルナマリアたちは内心呆れ果てていた。
 結局出発が2時間ほど遅れたものの、ミネルバはガルナハンを出て、今、ディオキアの基地へと到着していた。
 ディオキア。黒海に面した、風光明媚な街である。ユーラシアからの独立を叫んで経った都市の一つであり、ガルナハン同様、ザフトの助けを借りて連合軍の圧迫から解放された。
 一時の休息を期待してやってきたミネルバクルーたちを出迎えたのは、予想だにしない、華やかな音楽と熱気に溢れた喧騒だった。

 

〈みなさぁ~ん! ラクス・クラインで~す!〉

 

 明るく耳に心地よい声が、スピーカーから流れ出る。
 基地の一角にステージが展開され、眼に痛いくらいに鮮やかなピンクに染められたザクがそこに立っていた。
 胸の中央には『LOVE!』の文字、肩には巨大なハートマークが飾っている。そしてその手の上には一人の少女が笑顔を振り撒き、手を振っていた。
 そう、これより始まるのは『ラクス・クライン』による慰問コンサートである。やがて彼女が歌い始めると、軍人も一般人も、心を一つにして歓声をあげるのだった。

 

「わーお、まさかこんなイベントがあるとはなぁ」

 

 ポルナレフが楽しそうに言う。ラクスが本当はミーアであることを知っている彼だが、そんなことは気にしない。お祭りは楽しければそれでいいし、目一杯楽しむ所存である。

 

「まったくです! いやぁ、ホントにこれは運がいい!」

 

 アーサーもリズムに乗って体を動かしながら言う。そんな副長を見て、タリアが養豚場の豚でも見るかのような冷たい眼で見ていることには、まったく気づいていなかった。
 このサプライズにミネルバクルーが、喜び沸き立っている中、アスラン・ザラはため息をついていた。
 まさか彼女にこんなところで出くわすとは思わなかった。あからさまに動揺していない辺り、彼も中々肝が据わったと見える。

 

〈勇敢なるザフト軍兵士のみなさぁーん! 平和のために、本当にありがとうー!〉

 

 しかしどうしたものか。正直アスランはミーアが苦手だ。ミーア個人がどうこういうのではなく、ミーアを取り巻く、替え玉というややこしい状況がアスランの行動に迷いを与える。

 

(こういう陰謀めいたことは苦手なんだ……)

 

 アスランの戸惑いなど露知らず、

 

〈そしてディオキアのみなさーん! 一日も早く戦争が終わるよう、わたくしも、切に願ってやみませぇーん!〉

 

 ミーアの明るい声が響く。アスランが初めて会ったときは、もっとラクス本人に似た雰囲気を演じていたと思うが、これはミーアの地なのだろうか。
 だとすれば……ラクスとは違う、だが確かな魅力が彼女にはあると、アスランは思った。

 

〈その日のために、みんなこれからもがんばっていきましょーう!〉
「……しかし予想していなかったな」

 

 アスランの呟きを、ルナマリアが聞きつけた。

 

「ご存じなかったんですか? おいでになること」
「あー……まあ……忙しかったから……」

 

 ルナマリアの問いに適当な言い訳をする。

 

「確かにちゃんと連絡取り合っていられる状況じゃなかったですもんね。きっとお二人とも」
「ああ……うん……ここは人通りが激しいな……向こうへ行くよ」

 

 言い訳が下手なアスランは逃げの手を打つことにした。背中にかけられる幾つかの声は聴こえない振りをして、彼はその場を離れたのだった。

 

「ちぇ~、アスランさん行っちゃったのかぁ」

 

 赤い髪を二つに結んだ少女が、やや頬を膨らませて呟いた。彼女の名はメイリン・ホーク。ルナマリア・ホークの妹であり、ミネルバの通信管制の担当者だ。
 その技能レベルは実に高いのだが、こうしていると普通の可愛い女の子にしか見えない。

 

(でもめげてはいられないよね。トップエリートで顔良し、性格良し、こんないい獲物……もとい男、そういないもの)

 

 たとえとびきりの婚約者がいるとしても、女には退いてはいけない時がある。
 その不屈の精神力は、ともすればミネルバ自慢のパイロットたちをも上回っているかもしれない。
 だがそういう考え事をしていたせいか、人と強くぶつかってしまった。

 

「きゃっ!」

 

 転びそうなほどの衝撃を受けたものの、どうにか体勢を立て直し、しりもちを突くことは回避する。

 

「どんくせえな、気をつけろ」

 

 ぶつかった相手は、緑がかった髪を逆立てた、メイリンよりやや年上の男だった。
 メイリンをぎらついた刃物を連想させる目で、サングラス越しに見据え、殺気立った言葉を投げかける。

 

「んな……」

 

 あまりと言えばあまりの対応に、メイリンは目を吊り上げさせる。彼女も一応軍人だ。この程度で怯むほどやわではない。

 

「何よ男のくせに女の子に向かってその言い方!」
「男女差別はしねえんだよ」

 

 相手の男は、メイリンの肩を突いて無理矢理どかすと、さっさと歩き去ってしまった。

 

「ちょっ、待ちなさいよ!!」

 

 このままじゃすましたくないメイリンは男を追ったが、人ごみの中でその姿を見つけることはできなかった。

 

「っく~~! 今度会ったら見てなさいよ! 女を舐めたら怖いんだから!!」

 
 

「お~、いたいた」
 メイリンに最悪の印象を与えた男は、探し人を発見していた。

 

「スティング。どこ行ってたんだよ」
「そりゃあこっちの台詞だ。戻るぞ」

 

 その男スティングは、見つけた相手アウルに、逆に迷子扱いされて顔をしかめる。二人は外で待っているステラの元へと向かった。

 

「しかし楽しそうじゃん、ザフト」
「この辺はな。だがさすがに重要な場所は普段より厳しい監視がされてるぜ」
「お祭りのドサクサに怪しい奴が入り込んだら困るもんな。俺たちみたいな」

 

 小声で話す二人。歌声と音楽と歓声で、隣り合う二人以外の耳に話が入ることはない。

 

「ま、情報どおりミネルバが来てるって確認できたけどさぁ……まだあの艦追うの?」

 

 アウルは元々飽きっぽい。一つのものに執着するのは見苦しくてかっこ悪いと考えるお年頃だ。中々落とせないミネルバへの関心も薄かった。

 

「当たり前だろ。沈めるまで追うさ。それに……奴を倒すまでは」

 

 スティングは歯を噛み締める。アウルには、それが例の暗緑色のザクを思い浮かべている表情だとわかった。
 アーモリーワンでやり合い、危ないところをダイアーに助けられてからというもの、あのザクのパイロットをライバル視しているスティングだ。
 これは大きな変化である。今まで敵を破壊する的としか考えていなかった彼が、対等の敵の存在を認めているのだから。

 

(こういうのも運命の出会いっていうのかねぇ……)

 

 アウルは暢気にそんなことを考えていた。ほんの少し前までは、いつまでたっても勝てない自分たちに焦り、自分たちの存在価値がなくなってしまうことを恐れただろう。
 ファントムペイン。コーディネイター撲滅のための人間兵器。戦争に勝利するための兵器人間。それだけのものだった。
 だから時折、アウルは虚脱感に囚われていた。自分たちが勝利したところで戦争が終わってしまえば、自分たちは用済み。勝とうと負けようと、自分たちに未来なんてない。

 

(けどなんでだろうなぁ……。最近は……違うよなぁ……)

 

 あの『心を落ち着ける機械』を使わなくなってからだ。最初は混乱したが、次第に『戦い以外』の時間が増えて、その時間が、とても大事なものになっていった。
 仲間と話して、遊んで、馬鹿やって、時々失敗して、叱られて……最初はうざったかった記憶が、今はもう、失いたくないものになっていた。

 

(もうあの頃には戻れないよなぁ……)

 

 あのわかりやすく、失うもののない、戦いだけのシンプルな毎日には。
 これからはずっと、人生に思い悩み、失うことを恐れ、戦い以外のことまでやる必要のある、複雑な世界で生きていかねばならないのだ。

 

(でもなんとかなるだろ……こいつらとなら)

 

 兄貴分を気取る口喧しいスティング、何考えてるのかわからないお馬鹿なステラ、変な仮面つけた悪趣味ネオ。それに、今の自分となるきっかけを与えた、あの連中たち。

 

「なんとかなるさ」
「ん? なんか言ったか?」
「んにゃ、何も」

 
 

「こうして会うのは久しぶりな気がするね。そう時間は経っていないはずだが」
「このところは時間の密度が濃いですから、そんな風に思うのでしょう」

 

 ギルバート・デュランダルの笑顔に、タリア・グラディスは苦笑を返す。プラントの最高権力者は、どういうわけかこのディオキア基地の軍保養施設に現れていた。
 タリアやミネルバクルーへの激励のためだろうか。

 

「レイも。元気かね? 活躍は聴いているよ」
「ギル……」

 

 デュランダルは、タリアと共に訪れたもう一人の客人に話しかける。
 レイ・ザ・バレルはその硬質な美形に、笑顔を浮かべた。だがその表情にデュランダルは疑問を抱いた。
 いつもならばデュランダルにしか見せない、幼子が親に向けるような好意に溢れた無防備な笑顔を見せるのに、今の笑顔は遠慮というか、翳りがうかがえる。

 

「何か、変わったことはなかったかね?」
「……いえ、報告にある以外のことは」

 

 それは嘘だとデュランダルは感じた。デュランダルに害を与えるための嘘ではないが、レイは隠し事をしていると感じた。だが、レイの口からは真実は出まい。

 

「……そうか。ならいい。だが何かあったらいつでも言っていいのだよ?」

 

 デュランダルの言葉にレイは頷きながらも、やはり何も言うことはなかった。
 やがて、三人のいるテラスに新たな顔ぶれが現れた。ミネルバのパイロットたちが全員だ。
 顔を固まらせ、ギクシャクした動きのシンとルナマリア。強敵を相手にするのとは別の緊張感に囚われているようだ。
 二人のように固くはないが、心持ち姿勢を引き締めているアスラン。いつもとまったく変わらないポルナレフと形兆。計五人であった。

 

「やあ、久しぶりだねアスラン」
「はい、議長」

 

 議長とアスランが握手を交わす。

 

「形兆も久しぶりだ。ポルナレフ……君はまた機体を壊したらしいな?」
「は、ははは……名誉の負傷ってやつで一つ」

 

 ポルナレフがごまかすように笑い、形兆は無言を通した。

 

「それから……」
「ルナマリア・ホークであります!」
「シ……シン・アスカです!」

 

 慌てて名乗る二人を、ポルナレフが横目で見て『まだまだだねぇ』という表情を浮かべていた。

 

「君の事はよく憶えているよ、シン」
「……え?」
「このところは大活躍だそうじゃないか。叙勲の申請も来ていたね。結果は早晩、手元に届くだろう」
「あ……いえ、しかし、ローエングリンゲート攻略では失敗してしまいましたし……」

 

 突然の賞賛にシンは戸惑う。

 

「あれは相手が悪かった。百戦して百勝というわけにもいくまい。アーモリーワンの初陣から、幾多の戦果をあげ、連合軍の対カーペンタリア基地を陥落させたのも、君の手腕によるものだと報告を受けている」

 

 シンとアスランは、ポルナレフから議長もスタンドのことを知っているということを聴いている。
 本来は機密事項なので詳しいことは話してもらえなかったが。リンゴォ・ロードアゲインのスタンド能力についても報告を受けているのだろう。

 

「あ……ありがとうございます」

 

 やや照れながらシンは頭を下げる。

 

「この調子で頑張ってほしい。とにかく今は、世界中が実に複雑な状態でね……この状況を切り開くためにも、君らに勝利をもたらしてほしい」

 

 デュランダルはため息まじりに言う。

 

「宇宙の方はあいかわらずだ。時折小規模な戦闘はあるが、まあそれだけだ。まだプラントに大規模攻撃を仕掛けられる布陣は整っていない」

 

 その言葉に、特にルナマリアは安堵したようだった。彼女はプラントに家族がいるのだ。本国への危険は最も気にしていることだろう。

 

「そして地上は地上でこの様だ。この辺りのように、連合に抵抗し、我々に助けを求めてくる地域もあるし……どこが敵だか味方だか」
「……停戦、終戦に向けての動きはありませんの?」

 

 タリアが尋ね、議長は首を振った。

 

「残念ながらね……。連合側はなにひとつ譲歩しようとしない。戦争などしたくはないが……それではこちらとしても、どうにもできんさ」
「戦争やれって言ってるお偉いさん自身は、別に痛い目みてるわけじゃあないからな。上から勝てない部下に文句言ってりゃいいんだから、気楽な話さ」

 

 ポルナレフは顔をしかめて言う。形兆はいつものように我関せずだ。シンは双眸に怒りを滾らせている。理不尽を何より憎むシンにとって、これほど不愉快な話もそうはあるまい。

 

「それはプラントのお偉いさんである私への皮肉かね? まあ、戦いを終わらせるというのは、戦わない道を選ぶということは、戦うと決めることより、遥かに難しいものさ。やはり……」

 

 アスランは内心で頷く。自分は結局戦う道を選んだ。自分が戦わないことで、殺さないことで、別の誰かが傷つくことには我慢できなかった。
 殺さない強さを、アスランは諦めた。だが、自分だけ良い子でいたいがために殺せない弱さは、克服できたと思う。

 

「なぜ人は戦うのか……なぜ戦いはこうまでなくならないのか? 戦争は嫌だと、いつの時代も人は叫び続けているのにね」

 

 デュランダルのやや唐突に聴こえる言葉に、何人かがいぶかしく思う。その中で、一人だけ答えた者がいた。

 

「……どんなことをしてでも、成し遂げたいことがあるから」

 

 ここに来て初めて形兆だった。その場の全員の目が形兆に向くが、彼はそれ以上何も言わなかった。

 

「……そうだね、それもある。誰かのものが欲しい。自分たちと違う。憎い。怖い。間違っている。それが許せない。正したい。成し遂げたい―――そんな理由で戦い続けているのも確かだ。だが、もっとどうしようもない、救いようのない一面もあるのだよ。戦争には」

 

 デュランダルは劇を演じるように、躊躇いなく語る。

 

「たとえば、ポルナレフが壊したグフ・チャリオッツのように『シンだって壊してるだろうが!』戦場ではミサイルが撃たれ、MSが撃たれ、様々なものが破壊されていく。ゆえに工場では新しい機体を、武器を造り、戦場へ送る。両軍ともね……。その一機一機の価格を、考えてみてくれたまえ」

 

 ポルナレフの文句は無視され、言葉は続く。

 

「これをただ産業としてとらえるのなら、これほど回転がよく、利益の上がるものは他にないだろう。戦争である以上それは仕方ないことだ。だが……人というものは、それで儲かるとわかると、逆も考えるものさ。これも仕方のないことでね……」
「逆、ですか?」

 

 シンやルナマリアには意味がわからず、首を傾げている。アスランはわかったようで、ハッとした表情をつくった。
 ポルナレフや形兆、レイ、タリアはさほど表情に変化がない。彼らはすでに知っているのだ。その真実を。

 

「戦争が終われば兵器はいらない。それでは儲からない。だがまた戦争になれば? 自分たちは儲かるのだ。ならば戦争は、そんな彼らにとっては、是非ともやってほしいことになるのではないのかね?」

 

 シンが息を呑む。シンの単純な頭では考え付きもしないことだった。

 

「『あれは敵だ。危険だ、戦おう』『撃たれた、許せない。戦おう』……人間の歴史には、ずっとそう人々に叫び、常に産業として戦争を考え、作ってきた者たちがいるのだよ。自分たちの利益のために、ね……」

 

 絶句するシン。かつてポルナレフから世界を支配しようとした巨悪や、麻薬を売りさばいていた犯罪組織の親玉の話を聴かされたが、それらよりも更に胸糞の悪くなる話だった。

 

「今回のこの戦争の裏にも、間違いなく彼ら『ロゴス』がいるだろう。彼らこそが、あの『ブルーコスモス』の母体でもあるのだからね」

 

 ロゴス。世界を構成する言葉、論理、真理を意味する。今は滅んだ宗教であるキリスト教では『神の言葉』の意味もある。たかだか武器商人の団体が、大層な名前を持っているじゃないか。名前負けもいいところだ。金と軍事力こそが真理とでも言いたいのか?

 

「だから難しいのはそこなのだ。彼らに踊らされている限り、プラントと地球はこれからも戦い続けていくだろう……。できることなら、それを何とかしたいのだがね、私も。だが、それこそが……何より本当に難しいのだよ……」

 

 憂いを帯びた眼でどこか遠くを見るように、デュランダルはため息をつく。

 

「なんともなるものか。たとえ踊らされているのだとしても、多かれ少なかれ望んでいるからこそ、踊れといわれて踊るんだ。ロゴスなどきっかけにすぎん」

 

 形兆は突き放した言葉を吐く。

 

「きっかけがなくなりゃ踊るのをやめる奴もいるだろうよ。そりゃ悪の親玉倒して世界は平和になりましたバンザーイ! なんて調子のいいことにはならんだろうが、ちったぁマシにはなるかもだぜ?」

 

 ポルナレフは物事をシンプルに考える。シンは無論、ポルナレフ教官と同意見だ。拳を固く握り締めて誓う。そのくだらない死の商人どもを、必ず目に物見せてやることを。

 

(ふむ……思ったよりも冷静だな)

 

 シン・アスカ。その能力と才能から、近い将来、戦士として役立つだろうと考えていた人材。二年前は復讐心に凝り固まっていた彼が、今はどことなく余裕がある。

 

(あの頃のままの彼であれば、もっと憤怒と憎悪を燃やしていただろうが。今は激情はあるものの、冷静な部分を失っていない)

 

 これはポルナレフの影響だろう。それはいい。駒としては扱いづらくなるかもしれないが、戦士としての能力はより高くなる。問題なのは、ポルナレフだ。

 

(彼の影響力は、遺伝子と関係のない、彼の精神によるものだ……。それは私の理想の根幹に反することになる)

 

 遺伝子を絶対の基本とするデスティニー・プラン。その成功のために引き入れたポルナレフと形兆。だが彼らの能力スタンドは、遺伝する特性を備えているとはいえ、精神力によってその質を決定付ける。その在り方は、デュランダルの思想と相反する。
 だがそれを少数の例外的異端として切り捨てようにも、デュランダル自身、彼らの精神の輝きを無視することはできないのだ。

 

(私は……)

 

 デュランダルは誰にも知られぬ心の内で、自分自身の矛盾を見つめていた。

 
 

 その後、デュランダルの勧めでシンたちパイロットは、最高級ホテル並みの設備を備えたザフト宿舎に泊まることとなった。
 ルナマリアははしゃいで喜んでいたが、もっと喜んでいたのがミーア・キャンベルだった。
 アスランに抱きついてキスまでしかねなかった。アスランの方は弱りに弱っていたようだった。
 彼に女の子を適当にあしらえるようなスキルはない。

 

(いっそ、ラクスとの婚約は解消したことを話してしまうかな……)

 

 しかしラクスやキラのことをどこまで話したらいいのかわからない。
 戦闘以外のことには意外なほど疎いアスランにできるのは、結局のところ、ため息をつくことくらいだった。

 

 そんなアスランをニヤニヤと眺めながら、ポルナレフは傍らでミーアの世話役・サラに話し掛ける。

 

「なあ、あの体格のいい野郎は新入りかい?」

 

 ミーアの側に立つ黒いスーツの男に視線を送って言う。

 

「ええ、付き人の一人でボディガードも兼ねてるわ。議長の推薦で……でも軍人らしくはないのだけど。名前は――」

 

(スタンド使い……か?)

 

 男の名前をサラから聞きながら、ポルナレフはその物腰から只者ではないと看破する。
 ミーア、ラクスの影武者は、デュランダルが支持を得るための重要なキーであり、同時にばれてはならないアキレス腱でもある諸刃の剣。護衛をつけるのはわからなくもないが……。

 

「まあ悪い感じはしないわよ。顔もいいし」

 

 ポルナレフの思考がそこで吹っ飛ぶ。

 

「え、お、おええ、俺の方がいい男だろ、おい?」

 

 ポルナレフ自身も意外なくらい慌てふためく。その様にサラは目を丸くし、次いでチェシャ猫のような笑みを浮かべた。

 

「んふふ……どうかしらね?」

 

 それから後の数時間、サラは目一杯楽しんだ。

 

 ―――――――――――――――――――――――

 

 ディオキア近郊にある、連合の隠れ家にネオ・ロアノークはいた。三人のエクステンデッドを連れて。
 じきにまたミネルバと戦う日が来る。それまで少しの間骨休めができる。
 まずは、客人の相手といこう。日は暮れて月が光を投げるテラスに、ネオは食卓を準備した。
 グラスに赤ワインをそそぎ、相手の好物のポルチーニ茸・ホタテ貝のオーブン焼きも用意する。
 そしてグラスを手に取り掲げる。相手も掲げた。こうして向かい合っているだけでも妙に心引かれるものがある。
 自分の様に闇に堕ちた者にとって、不思議と安らぎを与えてくれる存在なのだ。彼は。

 

「乾杯。俺たちの再会に。ブローノ・ブチャラティ」
「乾杯。俺たちの再会に。ネオ・ロアノーク」

 

 二つのグラスが澄んだ音をたてる。

 

「また共に戦えるとは頼もしいよ。ユニウスセブン落下の後、君らと分かれて以降、いいとこがなくてね。ツキまで一緒に離れてしまったようだ」
「俺もだ。敵のデータは見たが、本職でない俺たちのMS操縦技術じゃさすがに歯が立たないな。しかし少し考えがある。危険だが、成功すれば止めを刺せる」
「さすがだな。もうザフトにでかい面をさせないですむ」

 

 ネオはブチャラティを賞賛しながら、グラスのワインを飲み干し、瓶をとって新たにそそいだ。

 

「……ネオ」

 

 ブチャラティが今までに無い重く強い声で名を呼んだ。

 

「……なんだ?」

 

 ネオも、相手の態度が変わったことを察し、身構える。

 

「俺はロゴスを潰そうと思う」

 

 あまりにも単刀直入な言葉に、さすがのネオも言葉を失った。

 

「……何を言っているのか、わかっているのか?」
「十二分に」
「お前一人の力で、何ができる。たとえ『スリーピング・スレイヴ』全員が協力し、更に俺の協力があったとしても、雀の涙どころか蟻の涙にもならないぜ?」
「連合各国の政治家、重要人物に渡りはつけてある。ジブリールから睨まれる前にひっそりとな」

 

 ネオは驚嘆する。そんなに前から。つまり、軍に入った最初からロゴスを打倒するつもりだったというのか。

 

「彼らもロゴスの支配には、利益を受けると同時に辟易している。『話だけは聞いてくれた』という程度の反応で確約はないが、ロゴスを潰せるチャンスが生まれたことを明確に示せれば、一斉に動くとのことだ。ロゴスごと潰されないためにな」
「言い切っていいのか?」
「話し合いはした。嘘ならわかる」

 

 ブチャラティは肌や汗の具合から相手が嘘をついているかどうかわかるのだ。
 ゆえにブチャラティは面と向かった商談でならかなり優位に立つことができる。

 

「まあ彼らにそう期待はしていない。所詮俺は一部隊の隊長、ただの大佐に過ぎないからな。そう簡単に信用してもらえるわけは無い」

 

 どうだろうな。ネオは思う。
 ブチャラティの存在感は決して無視できるものではないし、重要と思われていなかった人物が歴史を大きく動かしたことは少なくない。 過大評価するのは危険だが、まったく期待できないこともないだろう。

 

「だが一人、頼もしい仲間を得た。知っているだろう? ルドル・フォン・シュトロハイム大佐だ」
「あの英雄か!」

 

 フォックスノット・ノベンバーの責任を押し付けられたとはいえ、ちょっと事情通なら彼の功績は知っていて当然だ。
 ネオも何度かあったことがあるが、あれは確かに頼もしい。ちょっと頼もしすぎて困る事になるかもしれないが。

 

「なるほど、少しは期待できるかもな……俺が告げ口しなければ」
「告げ口するのか?」
「ファントムペインの一分隊を率いているということは、ジブリールとも懇意で、そう簡単に裏切るとは思われていないってことだぜ? 大体リスクがでかすぎる」

 

 たとえブチャラティが尊敬できる男で、恩があるとはいえ、それだけで協力はできない。
 ファントムペインの後ろ盾はブルーコスモスであり、ロゴス。ロゴスが潰れ、その陰の行動が明るみに出たら、汚れ仕事を行なっていたファントムペインはどうなる?
 協力するということは、自分だけでなく仲間も、あの三人の子供たちも巻き込むことになる。

 

「馬鹿正直にファントムペインを法で裁かせはしない。こう見えて実は、軍に入る前はれっきとしたギャングでな。その辺りの融通は効かせられる」

 

 ブチャラティの過去の真偽はともかく、実際、仲間を見殺しにしてまで法を遵守するタイプではないだろう。
 ロゴス打倒が成功すればエクステンデッドは解放される。失敗したとしても、責任を持って仲間を守り通そうとするはずだ。
 だがまだわからない。

 

「なぜ、ロゴスを潰そうとする? お前に何の益がある?」

 

 彼が即物的利益を求めるタイプとは思えない。だとすれば私怨か? 戦争によってか、あるいはロゴスとの利害の不一致によって、何らかの損失をこうむったのか。
 だがブチャラティの返答はネオにとって最も現実離れしたものだった。

 

「……吐き気を催す邪悪とは、何も知らぬ無知なる者を利用することだ……。自分の利益のためだけに利用する事だ……。身も心も傷ついた人々を、てめーの都合だけで」

 

 それは静かに、だが戦慄するほどの怒りを持って。

 

「許せねえ。この事実を知ってしまった以上、見過ごすわけにはいかなかった。見過ごしたら、俺は死んだも同じだ。だから俺は戦う。俺が俺として生きるために」

 

 ネオは言葉が無い。そんなことで。そんな、大人になれば誰もが忘れてしまうような、正義のために。
 自己犠牲のマゾヒズムなどなく、すべて自分の意志で、自分の正しい道を歩んでいる。その正しさの中で生まれる犠牲も背負う覚悟で。

 

「……お前以外の奴が言うんだったら、そんな理由信じられない」

 

 ネオはなんだか、負けた気分だった。これほど真っ直ぐに生きている人間と、向かい合っていることすらつらい。
 かつて、彼は自分をいい人だと言ってくれたが……過大評価に過ぎる。

 

「なんでそんな馬鹿正直に話した。お前くらい頭が切れりゃ、もっと信じてもらいやすい理由をつくれただろうに」

 

 人は自分の尺度でしか他人を測れない。普通なら、ブチャラティの言い分など信じられないだろう。
 自分の身で置き換えれば、到底そんな理由では動かないから。
 だがブチャラティははっきりと答えた。

 

「あんたになら……俺の心がわかると思ったからだ」

 

(あー、駄目だもう)

 

 ネオは観念した。

 

『女に惚れるのはいい。一日無駄にするだけですむ。だが男に惚れてはならない。一生をふいにする』

 

 いつどこで聞いた言葉だったか、だがその言葉が実感として理解できる。
 もうネオ・ロアノークはブローノ・ブチャラティと共に在り続けるしかない。
 賭けて勝てるかどうかはわからないが、すっても後悔はしないだろう。

 

「しょうがねえなぁ……」

 

 ネオはため息をつき、空になっていた二つのグラスに、瓶に残ったワインをそそぎ尽くす。そして微笑を浮かべグラスを掲げる。

 

「乾杯。お前の気高き覚悟と、黄金のような夢に」

 

 ブチャラティも、微笑を浮かべグラスを掲げる。

 

「乾杯。俺たちの気高き覚悟と、黄金のような夢に」

「「乾杯」」

 

 澄んだ音が、月照らすテラスに響いた。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

 夜が明け、アスランは太陽の光を浴びながら眼を覚ました。
 体を覆う寝具の感触が、慣れたものと違うことに戸惑いを覚えたが、すぐに、昨日は戦艦ではなく軍施設に泊まったのだと思い出す。
 半ば目覚めきらぬまま、アスランがベッドから出ようとすると、彼の手に妙な感触があった。柔らかく、温度がある。

 

「?」

 

 目をやると、そこにはピンク色と肌色があった。

 

「……?」

 

 最初はなんだかわからず首を捻り、

 

「……!!!!」

 

 やがて何か理解して、座ったままの体勢でジャンプしそうな勢いで仰天する。

 

「ミーアァァッ!?」
「ほへ? ん~、あと五分……」

 

 呑気なことを呟くミーアをよそに、アスランはベッドから転がり落ちる。およそ、リンゴォに認められた戦士とは思えぬ醜態であった。
 混乱しきりのアスランに、更なる試練が降りかかる。

 

「おはようございます隊長! お目覚めですか? よろしければ朝食をご一緒にどうでしょう?」

 

 ルナマリアの声が、ドアの向こうから響いた。
 とりあえず着替えようとするアスランだったが、眼を覚ましたミーアは立ち上がり、さっさとドアを開けてしまった。

 

「……ラクス様?」

 

 ルナマリアは、予想しなかった展開に眼を丸くする。

 

「ありがとう。でも、どうぞお先にいらしてくださいな。アスランはあとから、わたくしと参りますわ」
「………あっ、そ、そういうこと? こ、これは気が利かず……お、お邪魔しましたぁっ!!」

 

 顔を赤く染めたルナマリアがドアを閉め、ドアの向こうから廊下を駆け去る足音が立つ。

 

(……Oh,My,GOD)

 

 アスランは神など信じていないが、今回ばかりは救いを求めたかった。あるいは恨み言を吐き散らしたかった。
 戦う決意は固めたけれど、こういうことを決意してはおりません。

 

「どういうことだ!! なんでここに!?」

 

 アスランはたまらずミーアに怒鳴りつける。若干八つ当たり込みで。
 だがミーアはまるで堪えることなく、

 

「『お部屋に行くって約束してたのに、寝ちゃったみたい』ってフロントに言ったら、入れてくれたの」

 

 無邪気に微笑んで答える。だが今のアスランにとっては全然可愛くなかった。

 

「どうしてこんなことをするんだ君はっ!!」
「え? だって、久しぶりに婚約者に会ったら、普通はぁ……」

 

 カッチーーン

 ときた。

 

「そんなことまでしなくていい! 勘違いするな!! 君はラクスじゃない! こんなことはラクスに対する侮辱だ!!」

 

 アスランにしては珍しく、女に対して本気で怒気を発した。
 それは勝手に影武者を立てられているラクスの友としての怒りであり、考え無しなまでにラクスを真似るミーアへの心配からくる怒りだった。
 アスランとしては、当たり前のことを言ったまでである。だがミーアの反応はアスランの予想以上だった。

 

「あ…………そ、そうだよね。ごめんなさい……失礼だよね、ラクス様にも、あなたにも……」
「え……」

 

 ミーアは眼に見えて落ち込み、うなだれた様子で背を向ける。

 

「ちょっとはしゃぎすぎちゃったみたい……」

 

 そしてドアを開け、背中に暗い空気をただよわせたまま、部屋を出て行った。
 あまりの変化に、アスランはなんの行動も取れず、部屋にたたずむだけだった。

 

「……くそッ」

 

 アスランは髪の毛を掻き毟る。てっきり口を尖らせて拗ねるくらいだと思ったのに。
 間違ったことを言ったとは思わないが、なんらかのショックを与えてしまったのは確かだ。
 落ち着いたらあとでもう一度話してみようと判断し、アスランは着替えを再開するのだった。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

「それでは次に会えるのを楽しみにしているよ形兆」

 

 ギルバート・デュランダルは、搭乗を待つジェットファンヘリコプターを背にそう言う。
 こう見えて、プラント最高評議会議長も忙しい。いつまでもここにいるわけにもいかない。

 

「ああ、だがレイに挨拶はしなくていいのか?」

 

 見送りの形兆は議長に質問した。

 

「……形兆」

 

 議長は形兆に近づき、逆に問いかける。

 

「そのレイのことなんだが、何か変わったことはなかったかい?」

 

 デュランダルは、レイのうかない様子を気にかけていた。

 

「……質問を質問で返すなと言いたいトコだが、まあいい。そうだな、ここで詳しく話すにはちと長いが……泣いたぜアイツ」
「……『泣いた』」
「ああ」

 

 デュランダルはその言葉を心の中で反芻し、なんだかわからないが、わかったような気がした。頭ではなく心で理解できた気になった。

 

「……そうか。レイがね」

 

 なんとも言えない様子で、喜ぼうか、悲しもうか、残念がろうか、どうしようか、感情の判断に迷いながら、議長はただため息をついた。

 

「わかった……レイのことは頼むよ。形兆」

 

 形兆は議長の微妙な表情に、若干の驚きを覚えた。
 形兆は議長のことを、『自分を含めたすべてのものを、目的達成の駒としてのみ見ている人間』と解釈していたが、それは到底、駒に対する表情ではなかった。
 議長を乗せて空へ昇っていくヘリを見送りながら、形兆はレイのことを少し羨ましく思った。
 議長が見せたあの表情は、多分、自分がもはや思い出すことも難しくなってしまった、『子を思う親』の表情であっただろうから。

 

「ったく……少し前までは確かに違ったんだがな。まあ、変わらない人間なんていないということか」

 

 おそらくは形兆自身もまた、変わりつつあるのだろう。それを喜ぶべきかは判断がつかなかったが。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

「隊長の部屋からラクス様が? マジ!?」
「大マジ」

 

 ルナマリアは早速、パイロット仲間にその情報を話していた。

 

「あのアスランがか? むしろミ……ラクス様の方が押しかけたんじゃねえか?」

 

 ポルナレフが『正解』を口にする。

 

「あー……そうかもしれませんけど、一緒の部屋にいたことは確かですよ。うーん、メイリンが聴いたらショックかなぁ」
「メイリン? あいつ本気で隊長を狙ってんの?」
「身の程知らずにも」

 

 ルナマリアがシンに頷く。シンはヴィーノ辺りが悔しがるだろうなと思う。彼女は実はわりと人気者なのだ。

 

「そういうルナマリアは、そっち方面はどうよ?」
「ポルナレフさん。それセクハラですよ」
「あー、いやだねぇ自然なコミュニケーションができない時代って」

 

 ぼやくポルナレフに苦笑し、ルナマリアは答えてあげることにした。

 

「好きな人……かどうかはっきりしませんけど、気になる人ならいますよ」
「へえ! どんな奴?」

 

 シンも乗り気になって問う。

 

「いや、名前しかしらなくて、連絡先も何もわからないんだけど。優しかったから……」

 

 ほんのり顔を染めるルナマリアを見て、ポルナレフは、

 

(気になる人なんて言ってるが、これは間違いなくホの字だねぇ)

 

 後輩の青春を微笑ましく思っていると、視界の隅に友人サラが手を振っているのが見えた。
 表情は重々しく、あまりいい機嫌じゃなさそうだ。
 ポルナレフは適当に言い訳して話の輪から外れ、サラの側へ行った。

 

「どうしたよ? 俺、今日はまだ何も怒られるようなことしてないぜ?」
「あなたじゃないわ。あなたの隊長さんの方」
「隊長? アスランか?」
「ええ……ミーア、朝会ったら酷く落ち込んでるの。あのデコっぱちが何かしたんじゃないでしょうね?」

 

 鼻息荒く、怒りを目に宿してサラは言う。

 

(んー、多分、さっきのルナマリアの話に関係あるんだろうな)
「もしもあの薄らが何かしたっていうんなら、タダじゃおかないわ……!!」

 

 ポルナレフは内心恐れをなす。サラは結構、かなり、ミーアのことを可愛がっている。
 彼女の元の顔を知っている上で、ミーア自身のファンなのだ。ちなみに、ミーアの顔を変えた辻彩との仲はとてもいい。
 仲良すぎてポルナレフが心配になってしまうくらい、いい。
 たった二人にして最強のミーアファンクラブだ。片や狙撃の名手。片やスタンド使い。
 いくらザフトのトップパイロットといっても、相手が悪すぎる。

 

「アスランは女の子に乱暴するタイプじゃねえと思うが……無意識に傷つけることはありうるな。ちと話してみるよ」
「ええ……場合によっては、毛を全部引っこ抜いて永久脱毛にしてやるわ。頭だけじゃなくて全身の」

 

 ポルナレフは、アスランがこの鬼子母神の手を逃れられることを、祈らずにはいられなかった。
 まあ、もしサラの怒りが収まらなかった場合、全面的に彼女側で協力するつもりではあるが。誰だって、自分は可愛い。

 

   ―――――――――――――――――――――――

 

「はぁ~~~」

 

 その頃ミーアは自分の部屋のベッドに座り込んでいた。
 着ている服はスカートで、今の膝を立てた座り方には向いていない。だがそんなことは意識もせず、彼女は暗く深くため息をつく。

 

「……正直、うっとうしい」

 

 彼女の前に立っている、付き人兼護衛だという男が呟く。

 

「あ……ごめん」
「謝られても、暗いままでは意味がない……何があった? よければ愚痴を聞くぞ」

 

 ミーアは、この取っ付きづらく見える男が、実は結構優しく、律儀な人間であることを知っていた。

 

「ん……アスランに怒られちゃった」

 

 落ち込むだけ落ち込んで、少し話す気になったミーアは、まだサラにも話していない事情を話し始めた。

 

「大好きなラクス・クラインになれたことが嬉しくて、アスランも……ずっと前から憧れだったけど、実物は写真よりもっとかっこよかったし、初対面の私に、ラクスになってもいいのかって心配してくれて、優しかったし……それで調子に乗って……アスランの寝室に、忍び込んじゃった」
「……それはまた大胆なことを。チーフが聞いたら卒倒する」

 

 ミーアを妹のように面倒見ているサラの顔を思い浮かべ、男は呆れる。

 

「実際、馬鹿なことしちゃった。あの優しいアスランが、凄く怒って、私はラクスじゃないって、当たり前のことなのに……私、ラクス様の代わりに頑張ろうと思っていたのに、いつの間にか、自分はラクス様そのもので、偉くて凄い人間なんだって、勘違いしちゃってた……」
「ラクス・クラインと自分を同一視しすぎて、自分の役割を勘違いしたと。ラクス・クラインの立場に取って代わったと思い込んだと。本気で馬鹿だな。思い違いも甚だしい。いやむしろ、思い上がりというべきかな」
「うう……」

 

 容赦のない言葉に、ミーアは涙ぐむ。だが声をあげて泣くのを我慢するくらいには、彼女にもプライドというものがあった。

 

「まあ反省している分、救いはあると見るべきか……。しかし思っていたんだが、君はラクスになりたいのか? ミーアでいたいのか? どっちなんだ?」
「え……?」

 

 男の突然の言葉に、ミーアはキョトンとする。

 

「君は確かにラクス・クラインとしてファンに笑顔で接しているし、ラクスとして在ることに喜びは感じているんだろう。だが人間として素直に安らぎ、本音で話して信頼しているのは、サラや辻彩、アスランといった、君の正体を知っている人間だけだ」

 

 男は鋭く洞察する。大体、アスランに起こられてこれほど落ち込むというのは、まだ彼女がラクスであろうと思い切ってない証拠だ。
 でなければ、なぜ怒られているのかもわからずキョトンとするだけだろう。
 ミーアでも良いと言う周囲の人間が、彼女を思い上がらせ過ぎずに、いさせているのだ。
 だがいずれは選ばなくてはいけない。

 

「どっちがいいんだ? 本当はどっちでありたいんだ?」
「ど……っち……?」

 

 ミーアは困惑する。

 

(ミーアは、必要とされていない、いてもいなくても別にいい人間。ラクス様は世界に必要な人間。それならラクス様であった方がいいに決まってる……。けど、私の側で、優しくしてくれる人は、ミーアがいいって、言ってくれて……それはやっぱり、嬉しくて)

 

 そもそも自分は本当はラクスではないのだ。ならば結局はミーアであるしかないのか? だが多くの人が自分をラクスだと思っている。 ならば自分はやはり、ラクスなのか? そもそも『ラクス・クライン』とは何だ?
 同じ顔、同じ声、同じ言葉、他にラクスがラクスである所以があるのか? あるとしてそれは、真に重要なことなのか?
 誰にもばれないことならば、そんな要素は必要なく、誰がラクスになってもいいのか?
 誰がなってもいいのなら、自分がそうなる意味は果たしてあるのか?
 ラクスが今いないから、自分が代わりになっている。
 いなくったって代わりが立つのなら、それではいてもいなくても変わらない、ミーアと同じではないのか?

 

 思考が巡る。どこまでも。

 

「今は、どっちかでもいいだろう。だがいずれ、選択の時が来る。俺も選択をした。それを後悔はしていない。誰もが自分が自分であるための選択を迫られる時が来る。君にもだ。ミーア・キャンベルか、ラクス・クラインか、どちらかわからないが……お嬢ちゃん」

 

 考えのまとまりがつかなくなるミーアに、男は厳しく忠告を与えた。

 

「私……私……」
「……だが、今はまずアスランに謝ることだろうな」

 

 深刻に考え込み、恐怖すら浮かべていたミーアの顔が、具体的な指針を出されてパァッと輝く。

 

「う、うん! そうする! あ、でもアスラン、許してくれるかな……」
「優しい奴なんだろう? 大丈夫だよ」
「……うん。謝る。ありがとう。話を聞いてくれて。あなたもアスランやサラと同じくらい優しいわ!!」

 

 さっきまで泣いていたカラスがもう笑っている。さっきの忠告をちゃんと憶えているんだろうか? 単純で極端で、良くも悪くも普通の女の子だよなぁと、男は内心苦笑する。

 

「なぁに。俺もチーフほどじゃないが、『ミーア・キャンベル』の歌のファンなんだよ。『ラクス・クライン』よりも……」

 

 なんだかんだで、彼女の歌はラクスとは違う。声は同じでもあの歌い方は、ミーアのものだ。
 そしてそれは、録音されていたラクスのものより、彼にとっては好ましいものだった。

 

(どんな選択をするにしても乗りかかった船だ。味方はしてやるさ。それが俺の選択だ)

 

 かつての人生は、自分が正しいと思える道を精一杯生きた。今回もそうする。周囲からどう思われようとも。

 

「……ところで、その座り方だとパンツが見えるんだが」
「へ?」

 

 ミーアは自分の体勢をかえりみて、急激に顔を赤くし、側にあった枕を、余裕の顔の男に投げつけた。
 その後騒いでいる二人の下にサラが現れ、男がミーアのパンツを覗いたという一言に、鬼のように怒り狂って凄いことになるのだった。
 それから、ミーアもまたヘリでディオキアを離れる時間になった。
 ミーアは見送りに来たアスランに、おそるおそる謝り、アスランはもちろん謝罪を受け入れ、自分も冷静になれなかったことをわびた。

 

「よかった……もう、駄目かと思った」

 

 ミーアは嬉し涙を目に浮かべながら、微笑んだ。アスランも重荷を下ろした気分で息を突く。

 

「またいつか会おう。それまで元気で」
「うん。アスランもね!」

 

 ミーアは、ラクスとはまた違う朗らかな笑みと声でアスランに答え、手を振りながらヘリに乗り込む。
 その様子を、サラはまだアスランに納得してはいないという、険悪な目つきで見ていた。
 もう一人の付き人は、頬を腫らし、目に青あざをつくって苦笑している。
 護衛を兼ねた男は、サラがいれば俺いらないんじゃないかと結構本気で考えていた。

 

 そんな愉快な仲間たちに囲まれ、ミーア・キャンベルは次のステージを目指し、飛び立つのだった。

 

TO BE CONTINUED