KtKs◆SEED―BIZARRE_第19話

Last-modified: 2009-06-07 (日) 20:54:04

『PHASE 19:黄金の明日』

 
 

 ガルナハン。かつては地球連合軍の恐怖と暴力に支配されたこの町は、今、歓喜と祝杯に満たされていた。

 

「ザフト万歳!」
「レジスタンス万歳!!」

 

 あちこちで歓声があがり、酒盃が打ち鳴らされる。月の下で、ガルナハンの人々は久しぶりの自由を満喫していた。

 

「よくやってくれました! さあ飲んで飲んで!」

 

 そんな言葉と共に、アスランにビールが勧められる。

 

「いや、俺は酒はあまり……」
「いーじゃないすかタイチョー!!」
「無礼講っすよ! 今夜は!!」

 

 ヴィーノとヨウランがアスランに後ろから絡み抱きつく。その顔はすでに真っ赤で、相当に酒が回っているようだ。
 ガルナハン攻防戦の後、ミネルバはすぐに出発する予定だったが、戦闘が計画より長引いたことや、被害が大きかったことを理由に、一日先延ばしにしたのだ。
 そして連合軍から解放されたガルナハンの人々は、解放者であるザフトに、町一番のレストランで感謝のパーティーを開いてくれていた。

 

「お前たちは……」

 

 アスランは呆れながらも、ビールを受け取る。 確かにこの席で杯を断るのは無粋というものだろう。
 しかしアスランには作戦実行者として、作戦失敗の責任がかかっている。勝った以上、それが言及されることはないだろうが、個人としては反省せざるをえない。

 

(余計な被害が出てしまったな……次はもっとうまくやる)

 

 どこまでも生真面目な部分は変わらないアスランである。
 作戦失敗以外にも、彼の心を悩ませるものはあった。連合軍への粛清である。
 基地が陥落した後、ガルナハンの町に滞在していた軍人たちは、蜂起した町の人々の手によって処刑された。
 連合軍を許せとはいえない。連合軍が町の人々を弾圧し、殺害してきたことは事実だ。今までやってきたことを、やり返されて文句を言えるはずもない。
 だから、アスランは連合軍人には同情してはいない。だが、町の人々が手を血で汚してしまったことには、納得いかないものがあった。

 

「敵『に』殺させない、敵『を』殺させない……。殺すのも、殺されるのも、それは俺たちの役目だ……」

 

「そいで俺は言ってやりましたよ! 『貴様に死を与えてやる!』ってね!」
「やるじゃねえかシン! ところでよ、お前が会ったっつうその黒人と犬って、どっかで知っている気がするんだが、なんて名前なんだ?」

 

 レストラン内の喧騒の片隅で、虹村形兆は一人静かにウイスキーを飲んでいた。
 まだやっと二十歳に届いたところだというのに、そのポーズは年不相応に『決まって』いた。

 

「ん……?」

 

 形兆は、そっとレストランを出ようとしている人影があることに気づく。

 

「レイ……?」

 

 それを見た形兆は、ほんの気まぐれを起こした。
 彼は立ち上がり、レイの後をついてレストランを出た。この世界に着てから人にほとんど興味を持たなかった彼にしては、珍しいことだった。
 命を救われるという借りができてから、形兆自身が思っているよりレイのことを気にしていたのかもしれない。
 だからだろうか。形兆はレイのことを気にして、自分の後ろからつけてくる『もう一人』に気づかなかった。
 やがて、レイがたどり着いたのは町のはずれにある建物だった。周囲に人家はなく、岩がゴロゴロしているばかり。
 その建物自体は別に特別なことはない、物資を入れておく大きめの倉庫であった。ただその時、中にしまわれているのは物資ではなかった。

 

「……………」

 

 レイは沈黙したままに、中の物を見つめる。その目に宿っているのは痛みであり、哀しみであり、敬意であり、そして羨望であった。

 

「レイ」

 

 レイは突然声と光をかけられ、滅多に見せない驚きの表情と共に振り向く。

 

「一人でどこへ行くかと思えば」

 

 声の主であった形兆は、懐中電灯を片手に現れた。

 

「形兆……」
「お前に感傷なんてものがあったとはな」

 

 形兆は倉庫の中の物に光を向けた。
 それは、『連合軍人の死体』であった。

 

「これは、もはや命のない『物』にすぎない。ましてや敵の」
「……それでも、命があったものです。これからも、生きていけたはずの……者たちです」

 

 答えを期待していたわけでもなかった形兆は、レイが返事をしたことに若干驚く。それも切ない感情の篭った声で。

 

「他の奴らが言うのならわかる。奴らは甘ちゃんだからな。だがお前がそういうこと言うとはな」

 

 形兆は、ミネルバの中でも最も付き合いの長かった少年の、意外な側面を見ていた。
 てっきり戦うことも殺すことも、何の抵抗もなく行えるタイプの人間だと思っていたが。

 

「その鉄面皮に騙されていたが、お前は命を尊敬し、敬意を払っているのだな。その上でなお、それらを踏みにじることができるだけで……何がお前をそうさせる?」

 

 形兆は、彼らしくもなくレイの内面に踏み込んでいた。

 

「……命が、まっとうできる世界にするために」
「デスティニー・プランか」

 

 形兆も知るデュランダル議長の計画。
 遺伝子を解析することで、その人間の遺伝子上の才能や素質を把握し、その能力を最大限に活かせる役割を割り振る。
 それによって人間の人生を管理し、社会を統制する。
 完璧な適材適所を行うため、文明は発展する。何をするべきかを前もってすべて決められているため、衝突することもなく、戦争も起こらない。
 それが議長の目指す世界。何もかも最初から予定通りに、『運命』通りに決められた世界。

 

「命をまっとうする世界か。適材適所の有意義な人生、戦争によって奪われることのない生命」

 

 形兆はそう口にするが、正直そううまくことが運ぶとは思っていない。
 たとえこの戦争に勝利し、計画の邪魔になりそうな者たちを一掃し、戦後のゴタゴタにつけこんで、この管理システムを立ち上げたとしても、システム運営の中で不備や不正が生じるだろう。
 理想は理想にすぎない。どんな完璧に見えるシステムも、使うのは所詮、完璧ならざる人間なのだ。

 

「なぜそこまで命にこだわる」

 

 しかし形兆に計画の末路に興味はない。他にすることがないから、議長に協力はするが、大した意欲もない。
 興味があるのは、なぜレイがそこまで議長についていこうとするかだ。
 レイが長生きのできない体だというのは感じている。だが、それは戦争とは関係ない。
 たとえデスティニー・プランが完成しても、レイが長く生きられるわけでもなく、短命の人間が生まれなくなるわけでもないはずだ。
 レイと直接関係ないはずの計画に、なぜそこまで。

 

「……あなたには、関係ない」

 

 だがレイは答えなかった。当然だと形兆も思う。そこまで二人の付き合いは、長くもなければ深くもない。
 いつもの無表情の仮面を被ったレイは、形兆に何も言わず、倉庫を後にした。
 その背中を見送りながら、形兆は自分の中に生まれた『興味』に戸惑いながらも、それを消しはしなかった。
 生きる意味を失い、かといって死ぬことは決して選べない彼にとって、残りの人生を彩るものがあるのなら、それがどんなに小さく取るに足らないものであっても喜ばしいものだ。
 しかしたとえ、どれほど華やかに人生が彩られようと、結局『残りカス』であることに変わりはないのだけれど。

 

「まあそれはそれとして……そろそろ出てきてもいいんじゃないか?」

 

 形兆の言葉を受け、『そいつ』は闇の中でゾワリと動いた。

 
 

 ―――――――――――――――――――――――

 

 レイは頼りない足取りで道を引き返していた。

 

(疲労がたまっているのかもしれないな……)

 

 形兆にまんまと尾行されたことを不甲斐なく思う。まさか自分をつける物好きがいるとは思わなかった。そして、自分の内面をわずかなりともさらけ出してしまった。

 

(それもデスティニー・プランを知る形兆の前で)

 

 自分の内面を知られること自体は問題ではない。だが自分が保ってきた外壁が、穴の開いたダムのように崩れるかもしれないと思うと、それが怖い。
 レイは自分の弱さを自覚していた。
 両親の愛を受けた自然の産物としてではなく、利己的な欲望と冷たい科学によってクローンとして生まれたレイ・ザ・バレルは、自分の存在に自信を持てなかった。
 あの死んだ連合軍人にもあったであろう、誰もが自覚せぬままに持っている、自分は生きていてもよいという自信が、彼にはなかった。彼は自然に生まれたものに対して劣等感を抱いていた。
 ゆえにその精神は決して強くはない。あえて作り出した氷の如き性格によって、その弱さを隠しているが、その仮初の外壁を崩されたとき、内面の心は脆く砕ける。
 仮初の性格を作り出してまでレイが戦えるのは、戦おうとするのは、同じクローンとして生まれながらも強い意志を持って生き抜いたラウ・ル・クルーゼと、クローンの自分に生きる理由を与えてくれたギルバート・デュランダルの存在にある。
 人類すべてへ復讐心を燃やせるほど強い精神力を持ったクルーゼと自分を同一視することで、レイは弱い心を奮い立たせた。
 レイのような祝福されぬ子供にすら、適材適所の運命を与えてくれる議長の計画は、レイの希望であった。
 他者を基盤とした、自分自身を持たぬ脆弱な精神を抱え、レイ・ザ・バレルは戦ってきたのだ。

 

(まだだ……まだ、この仮初の自分を保っていなければ!)

 

 ともすれば、赤子のように泣き喚いてしまいそうな脆弱な精神に鞭打ち、彼は議長の命令を遂行する。その信念だけならば、レイは強者と呼ばれてもよかった。
 そこに、

 

「レイ・ザ・バレル……」
「!!」

 

 聞き覚えのない声がかけられた。闇夜の中からにじみ出るかのように、その男は姿を現す。
 男と言っても、声からの推察であり、全身を黒いヘルメットとパイロットスーツで包んだ姿からは、容姿も性別もまるでわからない。
 その背後にはもう一人。こちらは素顔をさらしている。濃い髭を生やした西洋系の顔立ちをした男。
 大柄で筋肉質な肉体の持ち主。自分の背よりも大きそうな荷物を背負っていた。

 

「何者だ」

 

 レイは動揺を押し殺し、無表情のまま拳銃を向ける。だが目の前の黒尽くめは、毛一つほどの緊張もなく語りだした。

 

「生まれた最初から、短命を宿命付けられたクローン人間……だそうだな」

 

 今度こそレイは無表情を崩す。

 

「なぜ、知っている!!」
「秘密とは漏れるもの……私が知っている理由より、知っていて、どうするか。それを問うべきではないのか?」

 

 レイは情報元を気にしながらも、ひとまず男の目的を知ることにした。

 

「……言ってみろ」
「それでは……レイ・ザ・バレル。お前の寿命を延ばすことができる」

 
 

 ―――――――――――――――――――――――

 

「なんだ、ばれてたのかよ……」

 

 倉庫の扉の影から、そいつは顔を出す。14歳くらいの小生意気そうな少女だった。
 コニール。ミネルバへと情報を届けた、レジスタンスの少女。

 

「途中からだがな」
「二人して外に出て行くから気になってさ」

 

 含むところはない。子供らしい好奇心で後をつけてきたのだろう。

 

「あのレイって兄ちゃん。敵にまで同情しているのか?」
「……そういうタイプではないと思っていたんだがな」

 

 形兆は肩をすくめる。

 

「長生きできねーよ。そういうの」

 

 子供のくせにわかったようなことを言う。しかも事実だ。

 

「ふん」
 形兆はそれ以上会話はしなかった。ガキに付き合う義理はない。

 

「俺はもう戻る」
「あ、待てよオッサン。女を置いて一人で帰るか普通」
「……俺はまだ二十歳だ」
「嘘ォッ!?」

 

 ―――――――――――――――――――――――

 

「……ふざけるな。病気や怪我ならともかく、寿命を延ばせるはずがない!」

 

 人生後半を切っていた男のクローンであるレイは、その男の残りの寿命しか生きられない。残りカス分の人生しか、最初から持ち合わせていなかった。
 それを増やすことなど、決してできない。レイは珍しく激昂する。

 

「そうかな……確かに人間の力では、まだ無理だ。だが、人間以上の力なら?」
「……?」
「見ていろ」

 

 黒尽くめは、大男の方に手をやる。すると大男は背中の荷物を降ろし、中から大口径の拳銃を取り出した。
 黒尽くめはその拳銃を受け取ると、それを大男の左胸につきつけ、

 

「な……待て、何をする気だ」

 

 引き金を引いた。
 高性能の消音機能がついていたのか、予想していたほど大きな音はしなかった。だがその威力は大男の胸板を突き破り、背後に血潮を撒き散らすには充分であった。
 レイは、黒尽くめの男の突然の殺人に、目を白黒させる。だが、真の驚愕はその後だった。

 

「気分はどうだ? ジャック」
「そうだな。胸に穴が開いた気分というべきか……心臓を打ち抜かれた心地というべきか……」

 

 胸を打ちぬかれた男は、そう平然と答えた。まったく苦しむそぶりを見せず、言葉の選択を迷う余裕さえ見せていた。

 

「ば……馬鹿な……」

 

 大男の胸には確かに穴が開いていて、向こう側の景色が見えているくらいだというのに。

 

「見てのとおりだ……彼は『不死身』だ」

 

混乱の極みにあったレイに、黒尽くめは平然とそう言う。

 

「そして……お前もこうなれる」
「ト、トリックでないという保証は」
「自分で撃ってみたらどうだ?」

 

 黒尽くめはレイの手の中で震える銃を指差して言う。

 

「だが頭はやめておけ。脳に大きなダメージを負うと、さすがに死ぬ。その程度の口径であれば問題ないと思うが、念のためだ」

 

 不死身といっても弱点はある。レイにはそれが逆にリアルに感じられた。

 

「しかし、これでは完全には納得できまい」

 

 黒尽くめは拳銃を地面に置き、今度は荷物から猫を一匹取り出す。生きた猫だ。足を縛られており、狭いところに押し込められて、かなり機嫌を悪くしている。

 

「見ろ。本物かどうか確認するといい」

 

 猫を手渡される。肌触り、唸り声、息遣い、脈拍、口の中で蠢くピンクの舌、向ける敵意、すべてがこの猫が本物の生きている猫であることを表していた。

 

「そこでだ」

 

 レイの手の中から猫を奪い去る。そして大男の方に渡すと、即刻大男はその猫を引き絞った。

 

「っ!!」

 

 猫は悲鳴をあげることもできず、雑巾のように擦り切れて血を流す。大男はそのまま猫の残骸を手放した。猫の死体が地面に落ちて、湿った音をたてる。

 

「どういうことだ……」

 

 命を無残に殺した相手に、レイはごく自然な道徳的怒りを見せる。

 

「まあ見るがいい」
 黒尽くめが猫の死骸を指差す。レイが見ると、そこでは猫の肉体が動いていた。
 捻り上げられた肉体はしだいに元の形に捻り直されていき、足を縛っていた針金が力強く引きちぎられた。
 目がギョロリと回る。口が開いて鋭い牙がチラリ見える。そして猫は立ち上がり、地を蹴ってジャンプし、黒尽くめの肩に乗った。

 

「……どうかな? 死からの復活を見た感想は?」

 

 レイは何も言えなかった。さきほどよりも更に深い混乱と驚愕に陥っていた。

 

「お前たちは……人間ではないのか?」

 

 不死の人間はいない。死者を黄泉還らせる人間もいない。ならば自然、彼らは人間ではないことになる。

 

「そうだ……多くの場合、私たちはこう呼ばれる存在だ。『吸血鬼』とな」

 

 吸血鬼。血を吸う鬼。人ではない、化け物。

 

「信じられない……」

 

 レイは呟く。だが事実だ。少なくとも、この二人は人間ではない。

 

「我々が求めているのはザフトの情報だ。君を不死へと変える代わりに、スパイとなってもらう」

 

 それは、レイに議長を裏切れということ。今まで生きる意味そのものであったものを、捨てろということ。

 

「我々の目的が達成された暁には、君を我々と同じ存在にしよう。そうすれば、短い命などで思い悩む必要もない。寿命の延長どころか、永遠の生命を、若さを得られる。自分が朽ちていく苦しみは私にもわかるつもりだ。だからこそ私は『こう』なった」

 

 黒尽くめの声に、今までにない感情が入る。それは共感であり、本気の誘い。

 

「吸血鬼となれば、恐れるものはない。永遠に絶頂を味わい続けられる。我欲のままに生きられる。恐れるべきは『脳への損傷』と、『太陽の光』だけ。岩をも砕く力を、獣を超えた五感を、何者をも超えた肉体を得られる」

 

 その声に興奮や高揚などの、語る自分に酔っているという要素はない。本心のみをただ口にしているという声だった。だからこそ、レイは心を揺さぶられる。

 

「さあ……人知を超えた『明日』をくれてやるぞ。レイ・ザ・バレル」
「……『明日』」

 

 今までの人生を、生きてきた意味を、議長と共に見た夢を、すべて放棄して、人間ならざる新たなる存在へと生まれ変わる。
 最高のコーディネイター、キラ・ヤマトを生み出すための資金を得るために、金持ちの依頼を受けて作られ、そして失敗作となった無価値な自分。
 そんな恥ずべき自分を切り捨て、新たなる明日を手に入れる。
 それは、それはなんという、誘惑だろうか。

 
 

「……俺は」
「む」
 レイが答えを出す前に、黒尽くめは背後を振り返る。二つ分の足音を、彼の耳が捕えたのだ。

 

 ―――――――――――――――――――――――

 

 形兆は見た。レイと対峙していた二人を。彼らが何者なのかはわからない、わからないが……味方ではなさそうだった。

 

「……虹村形兆、か。こんなところで。……仕方ない。始末させてもらおう」

 

 黒尽くめは呟く。その言葉を合図としたかのように、周囲に殺気が満ちた。

 

「え? え? え?」

 

 コニールは、何がなんだかわからぬまま首をキョロキョロと動かした。

 

「殺せ。切り裂きジャック」
「ああ、わかった……ウヒヒヒヒヒ」

 

『切り裂きジャック』と呼ばれた男は、醜悪な笑みで顔をゆがめる。

 

「罠と共に水に沈められるネズミのように……蒼ざめた面にしてから、お前らの鮮血の温かさを、あぁぁ味わってやる!」

 

 ジャックの肉体が躍動する。その筋肉はおぞましいまでに力で満ちていた。

 

「さて、レイ。君に力を見せてやろう。スタンドという力を持った『人間』形兆に対する、我々『人外』の力を。人間をやめた者の暴虐の力を」

 

 それを見て答えを出せ。そう黒尽くめは言っているのだ。
 レイはどうすればいいのかわからず、立ち尽くしていた。尊敬の対象であり、ラウを思わせる強き男、虹村形兆。
 自分の明日となりうる、不死の怪物、ジャック。自分はどちらの勝利を望めばいいのか。

 

「それからそこの娘。少しでも命を長らえたくば、動くんじゃあないぞ。下手に動いて戦いの邪魔をしてみろ。たとえ女子供であろうと……」

 

 黒尽くめは形兆の背後で、さすがに怯えを隠せぬコニールに向かって言う。

 

「容赦せん!!」

 
 

 黒尽くめの放った恫喝は、死を賭してメッセンジャーとなったコニールをして震え上がらせるほどの力を持っていた。
 形兆ですら、この黒尽くめの底に秘められた力を垣間見たような気がして、ぞっとするものがあった。
 しかし当面の敵は、ジャックという大男の方である。ジャックは大男の自分よりも更に大きな荷物を軽々と背負い、獲物を見据える。
 形兆とジャックは、互いに睨みあったまま横移動する。
 レイやコニールから離れ、戦いの邪魔が入らない位置まで。二十メートルほど離れた辺りで、二人の足が止まる。
 形兆は即座に攻撃した。
「『バッド・カンパニー』!! まず足を攻撃、動けなくする!!」
 力強い声と同時に、小さな弾丸の雨がジャックを襲った。スタンド軍隊、『バッド・カンパニー(極悪中隊)』。
 ジャックには見えぬ小人の軍隊から放たれた弾丸は、ジャックの足を貫いた。

 

「ヌウガアアァァ」

 

 だがそれはジャックに何の痛痒も与えない。
 並みの人間なら、その一撃で手足を吹っ飛ばせていただろうが、ジャックの人間離れした強靭な筋肉は、スタンドの攻撃にも耐えた。

 

「ククハハハ」

 

 そしてジャックは、手術用のメスを巨大化させたようなナイフを荷物から出す。
 ジャックが余裕のままに素振りを行うと、あたかも空気が切り裂かれていくかのように見えた。
 ジャックの膂力が、そのような錯覚を生んでいるのだ。

 

「その力! その不死性! 貴様、まさかと思ったが、屍生人(ゾンビ)の類か!」

 

 形兆は、ジャックのような存在を知っていた。父の異変を調べるうちに知った石仮面の『吸血鬼』。
 そして吸血鬼が生み出す、一段下の怪物、『屍生人(ゾンビ)』。
 吸血鬼と違って、傷ついた肉体を再生させることはできないが、脳を破壊されない限り、どれほど傷ついても死ぬことはない。
 そしてその身体能力は大元である吸血鬼に勝るとも劣らない。

 

「くらえい!!」

 

 唐突にジャックがそのナイフを投げた。銃弾並みの速度で、ナイフは形兆へと襲い掛かる。

 

「ふん!」

 

 だが形兆はそれを恐れない。ナイフが形兆を貫く前に、ナイフは空中で粉々に散る。
 バッド・カンパニーによる一斉射撃を受けたのだ。同時に戦闘ヘリ・アパッチの放ったミサイルが、ジャックの顔面を焼く。

 

「がうああああ!!」
「我が『バッド・カンパニー』は鉄壁の守り。貴様の攻撃がこの俺に近づくことは、決してないと言い切るッ!」

 

 形兆は腕組みをして自信たっぷりに言い放った。

 

「調子に乗るなよぉ~~! カスがぁ!!」

 

 その自信に満ちた表情は、ジャックの怒りを買う。ミサイルの炎も、脳を破壊するには足りなかったようだ。
 焼け爛れた顔面は、ジャックをより怪物らしい面相にしていた。

 

「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 ジャックの肉体が異様な動きを見せる。筋肉が蠢き、全身にコブが浮かび上がる。

 

「……何をする気だ?」

 

 やがて、その真意が明らかとなる。
 コブに亀裂が入り、血が噴き出す。そして傷口から、金属の光と共に刃物の切っ先が覗く。
 やがて、ジャックの体は内側から突き出た無数のメスによって、針鼠のようになっていた。

 

「全身に、メスを埋め込んでいたのか!」

 

 さすがの形兆も、ぞっとした様子で呻く。

 

「おおおおお!! 絶望ォ―――に身をよじれィ! 虫けらどもォオオ―――ッ!!」

 

 ムオン!!

 

 そしてジャックの肉体が急激に動き、伸ばした両腕が頭上で交差する。
 その動きで収縮した筋肉の力で、メスが圧迫され弾き飛ばされる。
 豪速のメスの散弾が、形兆へと襲い掛かる。

 

「うおおおおッ!!」

 

 あまりに予想外。あまりに異常な攻撃に、形兆も焦った。
 バッド・カンパニーの弾丸が、砲撃が、ミサイルが、メスの雨を撃ち飛ばしていく。
 だが強烈なメスのすべてを吹き飛ばすには歩兵60名、戦闘ヘリ・アパッチ4機、戦車7台をしてなお足りなかった。

 

 ズッバァァ!!

 

「ぬおおおお!!」

 

 メスの一本が形兆の左足をかすめ、肉をそぎ取る。血がほとばしり、地面を濡らした。
 かなり深く切り裂かれたらしく、満足に歩くこともできなくなったと、形兆は悟らざるをえなかった。
 だがその程度ですんで幸運と言えなくもなかった。
 形兆から外れて地面や岩石に突き刺さったメスは、大地に大きな亀裂をつくり、岩石を割り裂いて破壊していたのだ。
 もし直撃していれば、バッド・カンパニーの一斉射撃にも勝るパワーによって即死していただろう。

 

「今のところは互角……いや、歩けなくなった分、形兆の方が不利か」

 

 黒尽くめの男は、死闘を冷静に眺めながらそう評価する。彼の肩に乗ったままの猫は、興味なさそうにあくびをしていた。

 

「……なんなんだよこれ。なんなんだよこれ――ッ!」

 

 コニールが泣きそうな顔で叫ぶ。スタンドも吸血鬼も知らぬ一般人が、このような異常を目の前にすれば当然の反応だろう。

 

「……あれほどの、不死身の怪物とは、あれほどのものなのか」

 

 レイは意識せずに呟く。
 形兆の不可視の能力も凄まじいが、生物の肉体を限界以上に使い尽くすようなジャックの力には、なまじ見える分、スタンド以上の戦慄を覚えた。

 

「そうだ。人間としての生と引き換えたのだ。あの程度はできなくてはな」
「あの吸血鬼がかつては人間だったと?」
「そうだ。『切り裂きジャック』という名を聞いたことはないか? かつて西暦という年号が使われていた頃、ロンドンで5人の娼婦を虐殺し、ヴィクトリア女王に閣僚会議を開かせるほどの混乱をロンドンに持ち込んだ最悪の殺人鬼。それが奴だ」

 

 切り裂きジャック。人をやめる前からすでに怪物の心を持った、19世紀のヴァンパイア。猟奇殺人の始祖となった、闇の時代の開拓者。帝王ディオにも気に入られた、悪のエリート。

 

「それと、ジャックは正確には吸血鬼ではない。ゾンビだ。吸血鬼のエキスを与えられることで、不死を得た存在。強い力を持つが、傷を再生させる力を持たない……安心しろ。直接、吸血鬼である私の血を与えられれば、再生能力も得られる」
「……貴方も、元は人間だったのか?」

 

 黒尽くめは、朽ちていく苦しみから逃れたいがために『こう』なった、と言った。それは人間から吸血鬼になったということを意味している。

 

「ああ。老いた肉体を、若返らせるためにな。そのために長年の友も、教え子も殺し、人として築き上げてきたすべてを裏切った。親しき者たちを生贄として、私は吸血鬼となった」
「……後悔はないのか?」
「ない。友を裏切ったこと、すべてを失ったこと、それに何の後悔もない。後悔するくらいなら、初めから悪に魂を売りはしない。その後で、友の家族の復讐を受け、戦い、打ち倒されたが、それでもやはり若返り、存分に力を振るえたことは至上の幸福であった」

 

 実際、黒尽くめの声に痛みも罪悪感もない。そんな心の苦しみを覚えることなど、最初から切り捨てているのだろう。
 どこまでも自分本位な邪悪でありながら、自分の意志で決めた行為に言い訳をせぬ、潔さがあった。

 

「恨まれること、罵られること、復讐を受けること、地獄に堕ちること、すべて覚悟した上での選択だ。そしてこれからもその選択を貫き続ける。後悔はない。何も、何もな……さあ、君はどうする? レイ・ザ・バレル」

 

 レイは、まだ答えられなかった。

 
 

「足にダメージをくらったのは貴様の方だったな!! さて……この顔面を焼いてくれたてめえは、簡単には殺さねえ。残酷に細切れにして食ってやる!!」 
 ジャックは吠えると、荷物から、今までで最も巨大なシロモノを取り出した。
 それは巨大な生き物の肋骨のように見えた。背骨を中心とした、4対の肋骨。あるいは、禍々しく曲がった8枚の鎌を縁に着けた、人間をすっぽり隠せるほど巨大な金属の盾。かつての世界でジャックが使った、中世の拷問器具を改造した武器を、こちらの世界で再現したものだ。
 ジャックはそれをかざし、形兆へと飛び掛る。

 

「くっ! バッド・カンパニー!!」

 

 銃撃が放たれるが、この世界の技術力でつくられた超合金は、そう簡単には破れない。
 ジャックの背後に回りこませるほどの余裕も与えられない。

 

「あったけぇ血をベロベロ吸ってやるぜッ!」

 

 形兆は傷を負っていない右足で、地面を蹴って飛び退く。
 攻撃をかわされたジャックは、そのまま形兆の背後の岩に飛び掛ることになった。岩が4対の刃に挟み込まれ、刃が閉じられる。
 ハサミで紙を切るように軽々と切断された。

 

「往生際が悪いぜッ! さっさと食われなッ!」
「往生際云々を亡者に言われる筋合いはないな。残りカスとはいえこの俺の命、化け物のエサにするほど安くはない!」

 

 まして、死ぬことさえできなくなった父を見続けてきた彼にとって、不死の存在というのは、最も忌むべき存在であった。
 そんな不倶戴天の敵に殺されるなど、もってのほか。だからこそ、彼は決して弱みを見せないし、怯まない。
 たとえ、自分のスタンドによる攻撃がほとんど効かない、この怪物を前に、打つ手がまったくないとしても。

 
 

「ち、ちくしょう……も、漏らしちまいそうだぜ……」

 

 コニールはとにかく声を出した。目の前の光景についての感想を頭だけに溜め込んでいると、頭がおかしくなりそうだった。

 

「ザ、ザフトと戦ってるってことは……この化け物は連合ってこと、なのか……?」

 

 連合の生物兵器か何かだろうか。正解かどうかわからないが、とりあえずコニールには少しは納得しやすい考えだった。
 形兆も何かおかしなことをしているようだったが、これに関しては保留しておく。

 

「てことはだ……オッサンが負けたら、連合と敵対したガルナハンは……」

 

 コニールの脳裏に、ガルナハン基地攻撃に失敗した後に起こった、町への弾圧が思い起こされる。

 

(また、たくさんの人が殺される……! しかもこんなバケモンだ。以前より、もっとひどいことに……)

 

 コニールは顔を蒼くし、吐きそうなほどに心臓を恐怖に高鳴らせる。

 

(こ、このままじゃ、オッサンが殺られて、町のみんなも……)

 

 横目で見れば、レイが片手に拳銃を持っているが、なぜか援護する気配はない。
 そこでコニールは別のものを目に留めた。現状の打開策となりうるものを。

 

(あれならあの怪物でも……け、けどさっき)

 

『それからそこの娘。少しでも命を長らえたくば、動くんじゃあないぞ。下手に動いて戦いの邪魔をしてみろ。たとえ女子供であろうと……容赦せん!!』

 

 黒尽くめの恫喝は、コニールに今まで味わったことのない恐怖を与えた。
 正直、あのジャックとかいう怪物よりも、黒尽くめのほうが恐ろしい。コニールも戦場の人間だ。戦士の空気は感じられる。
 ジャックよりも理性的だと思える分、理性的に戦えるであろうことが、ただ無闇に力を振るっているだけのように思えるジャックより、『戦闘者』として格上と感じられた。
 あの黒尽くめは、言葉通りなんの手加減もせず、コニールを殺すだろう。

 

(し、死ぬ……殺される……)

 

 知らぬうちにコニールの歯がカタカタとなる。

 

(く、くうう……なんで、なんで私がこんな…………ッ!)

 

 そこでコニールは愕然とする。

 

(私が? 他の誰かだったらよかったのか?)

 

 コニールは回想する。ザフトの基地へ行く前の、ガルナハンのレジスタンスたちを。

 

『今日はチャンスがない。明日に延期しよう』
『この計画には穴がある。延期だ』
『今回は駄目だ。明日こそは』
『失敗は許されない。もっと慎重に行わなければ』
『明日こそは決行する』
『明日は成功させるさ』
『明日こそ』
『明日は』
『明日になれば……』

 

 そんなレジスタンスたちの中、コニールはザフト基地へと向かった。
 我慢がならなかった。いつまでも慎重論を唱え、実行する気概のないメンバーに。
 一度目の失敗の恐怖。殺される恐怖。それはよくわかる。わかるが、わかるが……。

 

『そんなんじゃ、いつまでたっても状況は変わらない!!』

 

 コニールは仲間の反対を押し切って使者となり、ザフトに情報を届けた。
 結果としてその情報を使った作戦は失敗したが、ガルナハン解放のための戦いのきっかけとなったことは確かだ。
 仲間の慎重論を非難する気はない。人の命が懸かっていることだ。慎重になってなりすぎることはないだろう。
 それでも慎重なだけでは、どうしようもなくなったとき、自分のような、行動することしかできない馬鹿がいるのだ。
 死ぬことよりも、じっと何もできない方が、もっと怖いという馬鹿がいるのだ。

 

「だから……私だから……ここにいるのが、よかったんだ!!」

 

 そう呟いたのが先か、走り出したのが先か、それとも同時か、コニールは黒尽くめの立つ場所へと、全速力で走っていた。

 

「……何の真似だ小娘」

 

 黒尽くめが、コニールの行動を見て呟く。

 

「な、や、やめろッ……」

 

 レイが、焦りの声をあげる。

 

「うおおおおお!!」

 

 だがコニールは止まらない。気勢の声を張り上げ、更に加速する。

 

「言ったはずだぞ……」

 

 黒尽くめの声に苛立ちが混じり、

 

「容赦せん! と!」

 

 その右足が、目にも見えない速度で振り上げられた。

 

 ゴグッ!!

 

 コニールの脇腹はしたたかに蹴りつけられた。空き缶でも蹴り飛ばしたかのように、コニールの体は軽々と宙に浮き、大地に落下した。
 胴体が切断されなかったのは、黒尽くめが彼女をちょいと、あしらってやっただけだったからだ。
 言葉通り、彼は容赦しなかったが、羽虫相手に全力をそそぐ気にはならなかった。それでも子供相手には充分強力な蹴りだった。

 

「あ……あああ………」

 

 レイは、自分が殴られたかのように呻く。彼女を止められなかった後悔ゆえか。
 だが、実際に蹴り上げられたコニールの方は、悲鳴一つあげなかった。それどころか、

 

「へ…へへへ……」

 

 黒尽くめに対し、してやったりという笑みを浮かべていた。

 

「私は馬鹿だからさ……痛いのも、死ぬのも、怖くなんか……ないぜ……」

 

 その手には、

 

「怖いのは、何もできないこと、さ……」

 

 さっき黒尽くめがジャックの胸を撃った後、置き捨てていた大口径の拳銃が握られていた。
 黒尽くめも、レイも、一瞬声も出せずに取るに足らないはずの小娘の微笑みに、魅入られていた。
 それほどに、彼女の示した勇気は並外れていたのだ。

 

「オッサン……援護するぜ……」

 

 コニールは銃を構えて、ジャックを狙う。しかし、照準が定まらない。

 

「あれ……おっかしいな。手が震えやがる……」

 

 それは、肉体が痛みを訴えているせい。黒尽くめの蹴りは、運良く内臓破壊には至らなかったものの、肋骨を圧し折り激痛をもたらすだけの効果はあった。

 

「こ、この、震え……止まりやがれ……!!」

 

 血が出そうなほどに歯を食いしばり、コニールは必死で震えを止めようとする。だが、震えは酷くなるばかり。

 

「こ……のぉッ!!」

 

 やけになったコニールが構わず撃とうとしたとき、彼女の両肩から腕が回り、彼女の小さな手に、一回り大きな手が添えられた。

 

「……え?」

 

 彼女が首を横に向けるとそこには、涼しげで女性的な美貌があった。

 

「兄ちゃん」

 

 コニールが目を丸くして呟くと同時に、レイは目つきを鋭くし、狙いを絞って、少女の手の中の拳銃の、引き金を引いた。
 さきほど同様、音はそれほどでもなかった。ただその威力は、ジャック・ザ・リッパーの頭を、半分吹き飛ばすことに成功した。

 

「くるゃああ―――っ!!」

 

 奇怪な絶叫をあげ、後方からの不意打ちをくらったジャックは、凶器の取っ手から手を離し、背骨が折れそうなほど仰け反って震え、やがて仰向けに倒れた。
 そしてもはやピクリとすら動かなくなり、生ける死者は、予想以上にたやすくあっさりと、完全な死者と成り果てた。

 

「……ガキ」

 

 今までどうにか逃げおおせていた形兆は、思わぬ救いの手に、信じられない様子で救い主を見つめた。
 コニールが二ィッと笑う。
 だがレイは複雑な表情で下を向いた。なぜ自分がコニールに手を貸してしまったのか、わからなかったのだ。気づくと体が反応していたという感じだった。あのまま傍観していれば……『明日』が手に入ったというのに。

 

「……なんか面白くねえが礼は言っておくぜ」

 

 形兆は左足をひきずってコニールたちに近づく。だがその目はコニールたちではなく、黒尽くめの方を見据えていた。

 

「……まさかこんな結末とはな」

 

 黒尽くめはそう言うが、ジャックが死んでも哀しみや怒りは見られなかった。

 

「レイ……私からの申し出は、断られたと見なしていいのか?」

 

 黒尽くめはレイとコニールに近寄る。形兆はレイたちから2メートルほど離れた位置まで近づいていた。

 

「もう一度問おう。今度は……形兆、そして小娘、お前たちも含めた、三人全員に対してだ」

 

 黒尽くめは三人に一度ずつ視線を送り、

 

「吸血鬼となる気はないか? 人間の範疇を超えて、巨大な力を欲しくはないか? 永遠の命を得て、無限の明日を生きるつもりはないか?」

 

 誘惑をかけ、

 

「でなくば……」

 

 言葉と同時に、彼は足を踏み下ろす。轟音と共に大地が砕け、半径数メートルのクレーターが生まれた。
 彼の肩のゾンビ猫が、衝撃にバランスを崩しそうになって慌ててしがみつく。

 

「君たちに明日はない。死あるのみだ」

 

「どうやらここまでか。まったく情けない人生だったぜ」

 

 形兆は言った。その目は鋭く、黒尽くめへの明確な拒否を示していた。だが同時に諦めてもいた。
 彼の冷徹な理性は、自分の能力と相手の存在との相性の悪さを、勝ち目がないことを悟っていた。
 その逸らそうとしない眼のみが、彼の唯一にして最後の抵抗であった。

 

「う……うう……」

 

 レイはどちらの選択を行うこともできずにいた。迷わず黒尽くめの手を取るといえばいいものを。確実な明日が手に入るものを。
 だが、形兆の眼が、まだ腕の中にいるコニールの体温が、彼にその言葉を発する決断力を奪っていた。

 

「さあ……返答を」

 

 黒尽くめが最終回答を迫る。その問いに答えたのは、形兆でもレイでもなかった。

 

「ことわる……ぜッ!!」

 

 スタンド能力も、戦闘技術もろくに持たない、小さな少女だった。

 

「あんたが、化け物だってのは確かだ。私らを仲間にするっていうのも、嘘じゃないと……思う」

 

 この黒尽くめは、つまらない虚言を言う相手ではないとコニールは判断し、なお言い募る。

 

「けど……ここであんたに脅されて、従っちまったら……もうあんたには逆らえない。心が折れて、自分の意思で生きられなくなっちまう」

 

 レイは感じる。コニールの体の震えを。小さな背中、小さな手が、震えているのを。彼女も怖いのだ。目の前の男が、死が。

 

「自分として生きられない未来に、明日なんてない! 明日ってのは、自分の意思で、勇気で決めた未来のことだ! 私はあんたと戦う! これが、今の私の意思だ!」

 

 それでもなお、彼女は彼女であることを貫く。他者に脅され、彼女であることを曲げたりはしない。
 そう、こんな子供でさえ。こんな小さな手をした少女でさえ。

 

「だから……だからそうさ、『明日』って……今さ!!」

 

 コニールは、手の中の拳銃を構える。黒尽くめと、圧倒的な暴力の主と、対決するために。

 

「は、くははっ、ははははは!」

 

 形兆は笑う。とても珍しいことに、邪気のない素直な笑いだった。

 

「ガキにここまで言わせちゃ……黙ってもいられんな……」

 

 形兆はスタンドを出現させる。戦うことにしたのだ。
 勝率なんて1%とないだろうが……この馬鹿で考えなしの少女の声に、思い出してしまったのだ。
 馬鹿で、甘ったれで、だが自分より遥かに人として真っ当な、弟のことを。

 

(あのアホなら……このガキを見捨てなかったろうな)

 

 そう思ったら、諦めたくなくなってしまった。

 

「はじめようぜ、黒いの」

 

 黒尽くめは、二人の答えに頷き、いまだに答えぬ最後の一人へと顔を向けた。

 

「お……俺は」

 

 最後の一人、レイは言葉を搾り出す。

 

「俺は……」

 

 何をぐずぐずしている。さあ、言うのだ。
『吸血鬼になる』と。『永遠を生きたい』と。
 この機を逃せば、明日をも知れぬこの身に、次の機会などあるはずがない。
 ずっと願ってきたではないか。議長の夢に運命を任せながらも、せめて人並みの寿命を渇望していたではないか。
 真っ当に生きられる人間たちを妬み、憎んできたではないか。
 それが一切合財解決するのだ!

 

「俺は……!」

 

 さあ、言うのだ! レイ・ザ・バレル!

 

「貴方とは、行けない……!!」

 

 ………………

 

 ……ああ、言ってしまった。

 

「……………」

 

 黒尽くめは、三人の答えを聞き終えると、まず沈黙を持ってその答えを噛み締める。

 

「了解した……つまりは、死を望むというのだな」

 

 空気が、変わる。ジャックの無駄に大きな深みのない殺気とは段違いの、その場にいるだけで切り裂かれそうな殺意が吹き荒れる。

 

「では……容赦せん!」

 

 黒尽くめの気迫に、三人が身構える。
 その時、大地を、天空を、閃光が染め上げた。

 

「ギャアアアアス!!」

 

 黒尽くめの肩に乗っていた猫が、その光を浴びて灰になって砕け散る。

 

「む……」

 

 黒尽くめは、光の射した方角を見た。それは東だった。山々の向こうから、巨大な光の塊がせり上がってくるのが見える。

 

「太陽……朝か」

 

 夜明け。闇を一蹴する光が、世界に繰り広げられる。

 

「お前たちの『明日』に、追いつかれたようだな」

 

 黒尽くめは肩を落とす。この光を一切通さない服のおかげで無事でいられるが、少しでも服を破損させられるのはまずい。

 

「ここは、退くとしよう。いずれ戦場で会うとしよう。それと……ポルナレフによろしく。彼も私と会いたがっているはずだからな」

 

 黒尽くめは一つの未練も見せずに背を向ける。

 

「待て!」

 

 その背中を呼び止めたものがいた。
 レイの声だった。黒尽くめが振り向くと、自分自身、声をかけたことに驚いたようなレイの顔があった。

 

「……貴方の名は?」

 

 だがすぐに真剣な表情になって、問いを発する。

 

「……ストレイツォ」

 

 答えたと同時に、黒に身を包んだ夜のような男は、は跳ぶように走った。
 その速さは馬の足にも勝り、あっという間に黒い姿は三人の視界から消えてしまった。

 

「……な、なんかわからないけど、助かったってことか?」

 

 コニールは安心したように息を吐いた。そして自分の体勢を見直し、年上の美少年に背後から腕を巻かれ、両手を握られている自分を発見した。

 

「ちょ、うわわ、に、兄ちゃん!?」

 

 今更ながらに頬を真っ赤に染めて、身をよじらせる。だがそんな彼女の耳に、レイの尋常ならざる声が届いた。

 

「うぐっ……ぐっ……ふううっ……うあああああ……」

 

 レイは、ボロボロと涙を流して泣いていた。コニールよりもずっと小さな子供のように、赤ん坊のように、無防備に。

 

「どどどどど、どうしたんだよ兄ちゃん!?」
「あああああ……うおおおおあああぁぁ……」

 

 レイは悲しかったのではない。まして、嬉し涙なはずもない。
 悔しかったのだ。
 形兆は言うに及ばず、コニールさえも、自分自身を貫き、その意思をはっきりと示せたというのに、自分だけが自分自身の心すらもはっきりとさせられず、曖昧なままに人間として生きる道を選択する程度しかできなかったことに。
 明確に自由意志を持って選択できたなら、どちらの道を選んでも後悔はなかっただろう。
 だが、さっきの答えはただこの場にいる二人に影響されただけだ。自分の意思などという立派なものではない。
 この二人は自分の意思を持てているのに、なんで自分はこんなに情けないんだろう? それがたまらなく、悔しかった。
 この先、自分は後悔するだろう。この選択を、自分の弱さを、何度となく後悔してしまうだろう。
 議長やクルーゼに自分の針路をゆだね続けて生きてきて、それを厭いながらも仕方ないこととして受け入れてきた少年は、初めて、自分のそんな生き方に強烈な羞恥を抱いた。自分を変えたいと、初めて願った。
 変わりたかった。弱い自分を変えたいと、明日の自分は違う自分でありたいと、そう思った。
 それは、デュランダルの思い描く、変化の決まった世界とは、定められている運命とは、違うものであるはずなのに。そう、思ってしまった。
 彼みたいに、彼女みたいに、生きていきたいと、思ってしまった。

 

「おおおおおおおお……!!」

 

 絶叫に近い声で、レイは泣き続ける。
 コニールをすがりつくように抱きしめながら。彼女はもはや身じろがない。
 悲痛そうに、心配そうに、横目でレイを見ているだけだった。
 レイの心象がわからぬまでも、今はかける言葉がないことを悟ったのだろう。形兆も何も言わない。二人はただ見守るのみだった。

 

「ああ、うあああ……わあああああぁぁぁっ!!」

 

 レイは朝の光を浴びて泣き続ける。

 

 産声をあげる赤子のように。

TO BE CONTINUED