12月11日
二学期も終わろうとしている。
けれども生活には変化はない。いや、家族ができたという変化はあったが、学校に通っていない私には彼女の話はとても新鮮だった。
じゃあね、とすずかちゃんは帰っていった。
どうやら用で遅れてくるシャマルが来るまで待ってくれようとしていたけど、すずかちゃん自身にも用事があったみたい。
図書館の中にいつもの静けさが戻る。
だけど、その中にいつもは見ない人が一人、ひっそりと座っていた。
惹かれたのかもしれない、夕日に佇む背中に。
知らずと、車椅子をこいでいた。
「知らない人に、あんまり近寄ったらダメだよ」
静かに溶け込む声に、一瞬我を忘れた。その人はこちらを見もせずに、私の存在を感知した。
ゆっくりと夕日を背にする。
その人は、知的で、それでいて泣いているようだった。
「あ、すいません…」
「うんん、気にしてないよ」
ゆっくりと青年は机に向き直る。机に拡がっているのは六法全書、PCの稼動状況から随分と此処にいたことがうかがえた。
青年の手は忙しくキーボードを叩き、ページを捲る。その速度はなんというか、芸術のようだった。
こいで、青年の傍に寄った。
自分でもおかしいと思うけど、青年の方がよほど驚いたようだった。
「…ねぇ、注意聞いた?」
「はい」
我ながら条件反射は怖いと思う、案の定青年は目を瞬かせる、ゆっくりと視線が私を巡り、車椅子へと移った。
次に言われる言葉を予想して、唇を噛み締めた。
この人もまた哀れな目で見てくるのか?
幼い頃からそういった目にはなれたけれども、気持ちのいいものではやはりない。が、紡がれた言葉は予想の範疇外のものだった。
「ねえ、人はどうして飛びたいと思うのかな?」
今度は私が瞠目する番だった、青年はPCの電源を落とし六法を閉じて向き直る。
その紫水晶の輝きが、比喩でもなくとてつもない悲しみを帯びていて、目が離せなかった。
「―――あ?…えと?」
「君の意見を聞きたい」
「―――…、届かないからじゃないですか?」
そう?と呟く彼に、つい問を口にする。
後から思えば、その言葉は残酷だったと思う。
「あなたは飛びたいん、ですか?」
「―――どうだろう?夢見た時はあったかもしれない。
…けど、やっぱり飛びたくはないかな」
酷く自嘲に濡れた呟き。
青年は、キラ・ヤマトと名乗り、こちらも八神はやてと名乗った。
それが、運命の邂逅。
Interlude out
白いセーターにボブカットの小柄な少女。此方の問に、問を返してきた■■■に似た雰囲気を纏う、飛べない天使。
事情を聞けば、迎えの親戚の方が今日は用で遅れるとのことで時間を潰していたところをキラを発見し、話しかけたといった具合らしかった。
その後、簡単な自己紹介を終えた後、図書館の閉館時間に合わせて二人してロビーへと出た。
「キラさんも一人なん?」
「そうだね、そういうことになるんだろうね」
我ながら曖昧な答えだと思う。
でも事実でもある、この世界に頼れる人間など皆無で、金銭的にも心もとない。
午前中、街中でであったホームレスの方に名前を拝借し、住民票の偽装を終えたので、後は雇用先を探すのみなのだが、如何せんもう二日も何も口にしていないので、今すぐの供給がなくては生命活動すら危うい。
「なあなあ、今晩ご飯食べていかん?」
「自分の言葉には責任持ったほうがいいよ。出会って半日も経たない相手を家に招くなんてことはしないほうがいい」
はやては驚いた顔をしている。
…なにか、おかしなことを言ったかな?
「食べて行かんの?」
「あのね、僕だけじゃないんだよ?シャマルさん、だっけ?…うん、その人たちにも迷惑を掛けられないよ」
確かに地獄に仏ではあるけれども、それは果たして正しいことだろうか?
――――応えは否だ。
死活問題ではあるけれども、まだ限界までには達していない。いざとなれば、昼間にあった方の真似をして就職活動を続ければいい。
一時の安らぎのために、少女の家庭に土足で踏み入るのはやはり気が重い。
「遠慮せんでええよ?ヴィータもシグナムも歓迎してくれるはずや」
こちらに向って小走りに向ってくる女性、その人をしげしげと観察していると、横のはやてちゃんは声を上げた。
シャマル、と。
…潮時か。
「じゃあ、僕は行くよ」
「むう、来てもええのに」
残念そうな彼女には少々申し訳ないが、こちらは目的を果たさない状況で何時までも時間を浪費するわけにもいかない。彼女の迎えが来たというのなら、自分が此処に居る必要はなくなったのだ。
「また、縁があったら会おうね、はやてちゃん」
「はい…」
はやての頭を優しく撫でて、ゆっくりと歩き出す。
サバイバル経験はあるが、やはり野宿は早く避けたかった。
Interlude out
「今の人はご友人ですか?」
「今日知りあったんよ、不思議な人やったで?」
それは良かったですね、と言うシャマルに自然と笑みが零れた。
もう一度会いたいと思う、あの悲しげな瞳も気になったけれど、本当のところはキラさんに共感を覚えたのかもしれない。
「はやてちゃんが気に入る人なんて、私もお話を聞きたかったですね」
「そうなんよ、晩御飯に招待しようとしたらかわされてもうた」
「あ、いいですね。ヴィータちゃんも案外喜ぶかもしれませんよ?」
「ははは、ええなぁ」
二人で笑みを浮かべる。
「なあ、シャマル」
「はい?」
「シャマルは飛びたい?」
案の定シャマルは目を瞬かせる。数瞬の思考の後、やはりあいまいに答えた。
「そうですね、飛びたいですね」
知らず、あの瞳を思い返した。
なんて、悲しい―――絶望の闇。
「でも、どうせ飛ぶならはやてちゃんと一緒がいいですよ」
そやな、と笑みを返して視線を黄昏に向ける。
なんて、綺麗な茜色…
キラ・ヤマト。おおよそ日本人とは思えない顔立ちに名前、後に八神はやてが家に迎え入れる夢と悪夢を一人知るもの、でもその話はまだ先のこと。
Interlude out
「―――ザフィーラはどう思う?」
赤い少女の言葉に蒼い狼が瞼を上げる。
悪い、夢のようだった。上空何百メートルといったところに、人と獣が佇む姿など。
ありえない、そう思われるからこそ彼女たちは人間の意識からは排斥される、もっとも暗い夜空に浮かぶ点など彼女達と同じく非常識でなければ捕捉することは万に一つとして叶わないが。
「解らん、だが気をつけた方が無難だろう」
狼の呟きに少女は鼻を鳴らして鋼色の槌を肩に担ぐ。
「あの白い奴でかなり稼げた。一般人しては大きすぎる魔力反応…私はこっちを当たってみるよ」
「心得た、我は少し遠出をする」
そうして、一瞬の後には両者は目的のために背を向けあう。
「幸運を祈る、ヴィータ」
赤い少女、ヴィータは首だけを狼に向けて、壮絶な笑みを浮かべた
「アンタもな、ザフィーラ」
ざん、という跳躍音。
二つの影は正反対の方向に駆け抜けていった。