RePlus_第五幕_後編

Last-modified: 2011-08-02 (火) 12:32:39

SEED:Superior Evolutionary Element Destined-factor
   優れた種への進化の要素である事を運命付けられた因子。

外典:聖書の正典化作業の際にリストから漏れた書物。
   隠された物に由来する言葉でもある。
 
異端の因子を加え、もう一度繰り返され"る"はずの物語。

魔法少女リリカルなのはStrikerS RePlus
第五幕"ホテル・アグスタ-imitation"

『はやてちゃん、クラールヴィントのセンサーに反応ありました』
「了解やシャマル。データ指揮車両に送ってや」
『はい』
 ホテルに横付けされた指揮車両内ではやては、ガジェットの接近の報告に目を細め
た。居住性を全く考慮して居ない指揮車両内は薄暗く、シャリオ達通信士と自分を加
えると息が詰まった。はやては、顔を端末から出る緑色の光に顔を染め、安い珈琲を
胃に急いで流し込み気合を入れる。
「やっぱり来たかぁ…シャーリー解析お願い」
「はい。来た来た来ましたよ!」
「ガジェットドローンⅠ型、機影三十、三十五。ガジェットⅢ型二、三、四」
 モニターに無数の光点が怪しく明滅し始める
「リイン。広域念話展開処置をお願いな。シャマルは、関係各省庁に通達。現時刻を
持ってホテル・アグスタ周辺の無線封鎖を。それと同時に通信を通常回線から守秘回
線に切り替えます」
「了解ですぅ。広域念話領域展開。展開完了まで約一分。六課各隊員に通達開始」
「さて、慎ましく行きましょうか」
 狭い車内の中ではやては、足を組み不適な笑みを浮かべながら静かに戦闘開始を告
げた。

 同時刻、ホテル地下駐車場内を巡回していたフェイト達にも、ガジェット侵攻の報
は届けられた。
「エリオ、キャロ、貴方達は地上に上がって。部隊長の指揮で地上に防衛線を引いて

「「はい!!」
 敵の侵攻が思ったよりも早い。フェイトは、エリオ達に素早く指示を飛ばす。
「ザフィーラは私と一緒に迎撃に出ます」
「心得た」
「…ザフィーラって喋れたの」
 普段滅多に喋る事の無い賢狼が声を上げる。まさか、犬か狼か、とにかくザフィー
ラが喋れるとは微塵も思っていなかったエリオが感嘆の声を上げる。
「地上の護りはお前達が要だ…頼んだぞ」
 ザフィーラは気にした様子も無く、普段と変わらない様子でエリオとキャロに発破
をかける。
「うん!」
「頑張る!」
 賢狼の言葉に力強く頷く二人。フェイトは、そんな二人を暖かな視線を送る。二人
共いつまでも子供では無い。二人は日々成長し、いつか自分を追い抜いて行く事だろ
う。そんな二人の成長は、フェイトにとても頼もしくあり、だが、同時に寂しくもあ
った。エリオとキャロの背中に優しげな視線を送るが、フェイトは次の瞬間には思考
を切り替え、ザフィーラと共に戦場へと身を翻した。

『六課前線各員へ通達。状況は広域防御線に移行しました。現場指揮は六課課長八神
はやてが行います』
「スターズ01了解」
「ライトニング01了解』
『なのはちゃん、フェイトちゃん…ちょっと敵の数が多いけど…頼めるかな?』
「任せてよ、はやてちゃん」
「うん、任せて」
 素早く合流した両分隊長達がはやての通信に答える。ホテル中庭の噴水前で落ち合
った二人は、ザフィーラに指示を出し戦闘開始の合図を待つ。
『デバイスロック解除…レイジングハート、バルディッシュアサルトレベル2起動承
認』

「「セットアップ」」
 デバイスの使用許可が下りると同時に、二人はバリアジャケットを展開する。桃色
と金色の魔力光が輝き、バリアジャケットと身を包み、レイジングハートとバルディ
ッシュを構えたなのはとフェイトが姿を現した。二人は、そのまま大空へと飛翔し、
桃色と金色の魔力波が空中に軌跡を引く。
「防衛線まで敵を近づけさせちゃ駄目だ」
「うん、フェイトちゃん。でも、フェイトちゃん案外過保護だね」
「そ、そうかな」
 なのはの言葉にフェイトは、頬を染め恥ずかしがる。フェイトは、自分が少し新人
達、特にエリオとキャロに甘いのは認めていたが過保護は言い過ぎだと思っている。
 しかし、そんな事を考えるいる時点で十分過保護だと思うなのはは、フェイトのの
様子を見ながら苦笑いを浮かべる。
「そうだよ…でも、それには賛成かな。何か嫌な予感がする」
「うん…空が静か過ぎる」
 透ける大空を駆け抜けながら、なのはとフェイトは周囲に妙な違和感を感じていた
。空を飛ぶ度に頬を切る風の冷たさ、空から降り注ぐ太陽の暖かさ、花や森の香りや
鳥達の囀りが聞こえてくるのが常だ。
 太陽も暖かい。風も冷たい。それはいつもと全く変わらない。だが、動物の声が、
生き物の気配がまるで感じられない。まるで、何かに恐れるようにじっと身を潜めて
いるように、粘りつくような悪寒と無視する事の出来ない違和感が大量に大気に漂っ
ている。
「何か居る…それも飛びっきり大変なのが」
「うん…」
 二人はデバイスを握る手に自然と力を込めた。
 
 なのは達が迎撃に向かった頃、会場内ではロストロギアのオークションが始まろう
としていた。
『ティアナ、主催者側は何と言っている』
『外の様子は伝えたんですが、お客の避難やオークション中止は困るから、開始時間
を遅れせるそうです』
『何とも悠長な事だな』
 外では今まさにガジェット達と六課の戦闘が始まろうとしているのに、オークショ
ンを中止どころか延期するしない、ホテル側の暢気な対応にシグナムは無言のまま眉
を潜めた。
(もし、許されるのならば、今すぐにでも主はやての元へ馳せ参じるものを)
 気持ちだけが焦る中、ふと、隣に控えているシンとスバルが目に入る。二人共真剣
な顔で会場内に意識を向け、異常が無いか確認している。シグナムは、頭を振るい、
今の自分の任務は会場内警備であると気持ちを切り替えた。
「失礼お嬢さん…いま宜しいかな」
 気が急いていたからだろうか。シグナムは、後ろから聞こえて来たしゃがれた老人
の声に最初気が付かなかった。スバルの副隊長と言う声で、漸く老人の存在に気が付
く。杖を付かねばならぬほど背筋が曲がり、だが、眼力だけは老いる事を知らないの
か、瞳だけを爛々と輝かせた老人がシグナムを見つめていた。
「…アンビエント上級委員」
「…元だよ…シグナム君」
 まるで、虫の羽音のような不気味な声。アンビエントは、蛇のように視線を細め、
シグナムの全身をなめる回すように見つめていた。シグナムは、アンビエントの視線
に生理的な嫌悪感を感じるが、決して顔に出さぬように努める。

 高町なのはに"あんな事"をして管理局を放逐されたアンビエントだ。用心に用心を
重ねる事に越した事は無く、シグナムは、自然にシンとスバルの前に、自らの体を差
込み予防線を張る。
「君達に委員会を追い出されて以来…随分とやつれてしまったよ」
 確かに今のアンビエントは、シグナムの記憶の中にある存在とでは似ても似つかな
い程の別人に成り果てていた。風貌こそ変わっていないが、漲っていた生気は薄れ、
代わりに暗い影だけがアンビエントを包み込んでいる。だが、見つめていると、冷た
い海の底に、いつの間にか引き摺り込まれそうな視線だけは、寸分変わらず記憶の中
とアンビエントと同じだった。
「シグナム副隊長…この人は?」
 シンが不穏な空気を感じ半歩だけ前に出る。シグナムは、それを無言で制しシンを
その場に押し留める
「アンビエント…元上級委員だ。六課創設の際に"お世話"になったご老人だ」
「私は、君たちをお世話した覚えは無いがね。それに、そんな力はもう無いさ。現実
は、君達六課と揉めて管理局を放逐された哀れな老人さね…のぉお嬢さん」
 アンビエントの視線を受けたシンは、体を上から下まで、それこそ細胞の一欠けら
も残さず見透かされた気分になり酷く落ち着かなくなる。
 闘志漲る戦士で無く、権謀に長けた策士でも無く、野望に溢れた革命家でも無い。
しいて言うならば、狂気に犯された狂戦士。
 戦場こそ違うが、アンビエントは政治の場で、長きに渡り管理局を支えてきた一流
の戦士だ。幾多の修羅場を潜って来たシンの戦歴が、アンビエントの前では児戯に等
しいと思える程霞んでしまう。人生経験と言う名の圧倒的な戦力差は、今のシンでは
覆す事が出来ない代物だ。血気盛んな昔ならば、変な爺さんで切って捨てる事も可能
だったが、戦争を潜り抜け"黙る"事を覚えたシンには、アンビエントの底知れぬ迫力
が嫌と言う程良く分かった。
 アンビエントは、ラクス・クラインやギルバード・デュランダルのようなカリスマ
性を持っているわけでは無い。
 アンビエントは、圧倒的なカリスマによって人心を動かす術は持っていない。
 しかし、自身も経営者であり、管理局の金の流れを長きに渡って取り仕切ってきた
アンビエントは、金が持つ力と知り尽くしていた。
 金の動きを操ると言う事は、人の動きを操ると言う事だ。それほどまでの権力と金
の力は、人の縛る鎖として強固なのだ。
 その強大な力をこの老人は、いのままに操る事が出来た。失脚し、力が衰えたとは
言え六課に嫌がらせをする事くらい造作も無い事だった。
「黒髪と青い髪のお嬢さんは、初めて見たね。新人かなシグナム君。まさか、君と行
動していて、無関係ですとは言わんだろ」
「はい…」
 苦虫を踏み潰したように、シグナムの表情が歪む。
(ぬかった…私の失態だ)
 はやてから散々忠告されて居たのに、戦闘が発生するや否や意識がそちらに向いて
しまい、アンビエントの事を完全に忘失していた。
 何の為にシンを会場から遠ざけ、その後念のために自分がシンの傍に付いていた意
味が無い。
(しかし、この老人)
 先刻までシグナムは確かにアンビエントの位置を補足していた。劇場前の最前列で
黒服達を従え、座席に座っていたはずなのに一体いつの間に二階席まで来たと言うの
か。

「紹介してくれんかね?」
「…アスカ三等陸士とスバル二等陸士です。二人ともアンビエント委員だ…挨拶を」
 アンビエントに促され、渋々二人を紹介するシグナム。
「…青いのは磨けば光るが、黒いのは胸に少々ボリュームが足りんの…」
「アンビエント委員?」
 何事か、小声で呟くアンビエントにシグナムは怪訝な視線を向ける。
「元じゃよシグナム君。君も大概しつこいね…それでなんじゃったいかいな」
「アスカ三等陸士であります」
「スバル二等陸士…です」
 アンビエントに敬礼するシンとスバル。アンビエントは、それを見て嬉しそうに笑う

「そうそう、そうじゃったな…可愛いお嬢さん方や、はじめまして、私の名前はクロワ
ッセル・S・アンビエント。君たち六課が"大嫌い"な爺様だ」
『皆様、長らくお待たせ致しました。これより、当ホテルにおける…』
 アナウンスの後、突然割れるような大歓声が会場内に響きわたる。シンは、アンビエ
ントが何か言った事は分かったが、歓声が大きすぎて最後まで良く聞こえ無かった。
 微笑を浮かべながら、両手をシン達に差し出すアンビエント。シンとスバルは、アン
ビエントから差し出された手を無意識に握ってしまう。
 その瞬間、シンとスバル目を見開きアンビエントの手をマジマジと見つめ始める。
アンビエントは、その反応に気を良くしたのか微笑みを崩す事無く手を離した。これ
が、人間の体温かと疑いたくなる程アンビエントの手は冷たく冷え切っていた。会場の
照明が急に落ち、辺りが暗闇に支配される。劇場がライトアップされ、舞台にオークシ
ョンに出品される美術品の数々がバニーガール達によって次々に姿を現した。
「ではここで、品物の鑑定と解説を行って下さる。若き考古学者をご紹介したいと思い
ます。ミッドチルダ考古学士会の学士であり、かの無限書庫の司書長ユーノ・スクライ
ア先生です」
 鶯色のスーツに身を包んだ若者が舞台裏から登場する。管理局が管理している、管理
内外の書物や伝承等が納められた超巨大データベースの司書長、ユーノ・スクライア。
ユーノ個人を知る事は無くとも、ミッドチルダに居る人間ならば、無限書庫の威容は少
なからず知っている。それを管理する人間のお墨付きの美術品が出展される。それだけ
で、オークションに参加するだけでも価値があった。ユーノの登場と同時に会場内に拍
手と歓声が響き、観客のテンションも上がり始める。
『ランスター、どういう事だ。何故オークションが始まっている』
『それが、ホテル側が主催者の都合だって言って急に』
 念話の向こうからティアナの戸惑う声が聞こえてくる。先刻は戦闘終了まで待つと言
っていたのに、ものの数分で方針転換とは。
「ここも一応わしの系列でな…」
「まさか…貴方と言う人は…外は今戦闘の真っ最中なのですよ」
 厭らしく笑うアンビエント。シグナムは怒気を隠す事もせず睨みつける。
「フェイト嬢や六課の精鋭が周りを護っているのだろう。姿を見せんが八神の小娘や当
然あの跳ッ返りそうだな。管理局の極潰し共が雁首揃えて護ってるんだ、この程度の仕
事危なげ無くやってもらわんと困るんじゃよ」
 好々爺の顔は突然成りを潜め、アンビエントは六課に対する嘲りの声を隠そうともし
ない。挑戦的な視線のままシン達を睨みつけ、杖を一度だけ打ち鳴らす。

「ちょっと待てよ、アンタ」
「なんじゃねお嬢さん」
 アンビエントは、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かながらシンの方へと向き直る。
今迄状況が掴めず我慢して来たシンだが、仲間を貶された事に腹を立てたのか、シグ
ナムの制止を振り切りアンビエントの前に立つ。
「部隊長はアンタ達を護る為に必死で戦ってるんだ。極潰しとか小娘とか、そんな言
い方は無いだろ」
「必死かどうかは問題では無いよお嬢さん。大人に求められるのは過程では無く結果
。仕事に求められるのは、正確無比なデータでも無ければ、品行方正な勤務態度でも
無い。依頼人が求める"物"を正確に差し出す技量だ。依頼人であるわしが求める物は
、オークションの安全じゃ。それが、例えどんな状況でもな」
「アンタは…」
 シンは、顔歪めアンビエントを睨み付ける。シンの敵意など何処吹く風か、アンビ
エントは飄々とした態度を崩さない。
「可愛い顔を歪めてまぁ初々しい。まぁいい。こんな所でからかっていては、いざ本
当の非常時に助けて貰えんかも知れんからな。厭らしい爺はここらで帰るとするさ」
 ニタリと笑い言いたい事だけを言い去っていくアンビエント。杖を振り回し、鼻歌
交じりに階段を下りていく。
「シグナム副隊長…何ですかあのお爺ちゃん」
「六課が昔世話になった御仁だ…二人共覚えておく必要は無いぞ」
 アンビエントの後ろ姿を見ながら、吐き捨てるように呟くシグナム。
「…珍しいですね、シグナム副隊長が毒づくなんて」
「まぁな…色々な人間を見てきた私だが、あの御仁だけはどうにも好きになれん。あ
の、人を食った様な感じが…特にな」
「言いたい事だけ、言われちゃったって感じ」
 頬を膨らませ、立ち去ったアンビエントの方向目掛けて舌を出すスバル。アンビエ
ントをどうにも好きになれそうに無いのはシンも同意見だった。
 
「ごきげんよう…騎士ゼスト、ルーテシア」
「ごきげんよう」
「何の用だ」
 森の中を練り歩く二人の前に突然通信ウィンドウが開き、ガジェット達の黒幕ジェ
イル・スカリエッティが姿を見せた。ゼストは不機嫌を隠す事無く、声の主スカリエ
ッティに対して剣呑な視線を送る。通信ごしだと言うのに、ゼストの放つ気はスカリ
エッティの肌を突き刺すように鋭い。
「冷たいねぇ。近くで状況を見ているんだろ。あのホテルにレリックは無さそうなん
だ。でも、実験材料として興味深い骨董が一つあるんだが、少し協力してくれ無いか
ね。君達なら造作も無い事のはずなんだが」
「断る…レリックが絡まぬ限り、互いに不可侵を守ると決めたはずだ」
「ルーテシアはどうだい?頼まれてくれないかな」
 ゼストのあからさまな態度にスカリエッティは苦笑するが、そのままゼストの視線
を無視し、スカリエッティはルーテシアに優しく微笑む。
「いいよ」
 フードに隠れて表情は見えないが、声の調子からお義理の類で無い事は分かった。
「優しいなあ。ありがとう、今度是非お茶とお菓子でも奢らせてくれ。君のデバイス
"アスクレピオス"が欲しい物のデータを送ったよ」
 ルーテシアの左手に装着された紫色の光玉が鈍く輝く。
「でも、ドクター…私達に頼まれなくても、あそこには既に何か居るよ」
「おや」
 寝耳に水なのか、スカリエッティが珍しく驚いた表情を浮かべる。
「そうか…徹夜で何かやっていたと思えば…まぁ良い。こっちの都合のあるし、今回
は互いに不可侵と行こうじゃ無いか」
 スカリエッティは、小声でブツブツと呟き物思いに耽り始める。こうなると、こち
らが何を言っても無駄だ。思考の海に沈んだ彼を引き上げるのは、並大抵の事では無
い。

「手駒の手綱はキチンと握っておいた方がいいぞ、ドクター」
「彼は、協力者さ。そんな関係じゃ無いよ」
「どうだろうな…」
「まぁ彼の事は、こっちで考えるさ。大方痺れを切らして"ちょっかい"を出すつもり
なんだろうね…じゃあルーテシア。頼めるかな」
「うん…」
「ありがとう」
 スカリエッティは、そう残して通信ウィンドウが閉じる。
「いいのか」
「うん。ゼストやアギトはドクターの事を嫌うけど、私はドクターの事そんなに嫌い
じゃ無いから」
「そうか…」
 ルーテシアは無言で首肯し、左手のアスクレピオスを起動させる。紫色の光線がデ
バイスから腕にかけて走り足元に魔法陣が展開された。

「それでは、次の商品ですが…」
 外の喧騒とは裏腹に、オークションは順調にプログラムを消化して行く。何人もの
観客達が出展物を競り落とし、その度に会場中に歓声と溜息が木霊する。
「どうしたアスカ…呆けた顔をして」
「いえ、ちょっと。ここに居ると金銭感覚が狂いそうで」
「ああ…成る程な」
シンの給料では、目玉が飛び出しそう程の高額の商品が次々と落札されて行く。観
客がもち札を上げる度に、真面目に働くのが馬鹿らしくなるような金額が次々と提示
されるのだ。
「そうだよね。どう見ても落書きにしか見えない絵が…うわっ…凄い値段だよティア」
「…せめて抽象画っていいなさいよね」
 スバルにかかれば、どんな高名な画家が描いた名画でも、子供の落書き以下の評価
になってしまう。しかし、実際ティアナも同意見だった。何を模しているから分から
ない作品より、風景画や人物がの方が何を書いているのか直ぐに理解出来る分、見や
すくそれだけ作品の評価もし易い。
「うわ、ティア、あの壷も凄いね」
 壷と聞いてティアナの心臓が跳ね上がる。シンも同じ事を考えたようで、顔を引き
攣らせながら青くしていた。二人は互いに乾いた笑いを漏らし溜息を付く。その様子
をスバルとシグナムが不思議そうに見つめていた。

 オークションが開始して、はや一時間。時折念話から聞こえてくる状況報告から、
六課が戦闘を有利に進めている事が分かった。管理局トップ10に入る敏腕魔道師が
ホテルを直接警護しているのだ。戦況が幾ら広域戦に移行しようが、そんな事は些細
な事と言える程に圧倒的な戦力差だった。
 何処からとも無く飛来するガジェットⅡ型を、桃色の魔力弾と金色の斬撃が両断爆
砕して行く。陸から進行して来るガジェットⅠ型は、ザフィーラの氷柱とヴィータの
鉄槌によって破壊、串刺しにされ根こそぎ殲滅されて行く。
 猛攻を凌ぎ、防衛線を抜けて来たガジェットも、後詰として控えていたエリオの刺
突とフリードの炎弾によって倒されていく。
 時折ガジェットがホテル目掛けて放つミサイル群も、シャマルの縛鎖によって絡め
取られ音の無く圧壊する。
 心配など杞憂にもならない様子で、シンは胸を撫で下ろした。迫り来るガジェット
達も、なのは達によってもう間も無く鎮圧される事だろう。
 外の警護は難攻不落の防衛網。
 オークションも問題無く進み、誰しもがこのまま無事に任務が終わる、そう思った
矢先に会場内で変化が起きた。

「シグナム副隊長…あの人変じゃ無いですか?」
「どれだ」
「ほら、あの螺旋階段のところ。ふらふらして危ないです」
 シグナムは、鋭い視線でスバルが指差した方向を見る。劇場の左端、まるで夢遊病患
者のように足取りが怪しい男性が、ふらふらしながら螺旋階段を下りている。
 不思議な事に、あれだけ目立つ位置に居ると言うのに、付近に控えている警備員達が
事態にまるで気が付いていない。
「ティアナ、お前はアスカと共にホテル側の警備員に連絡して、あの男を至急確保しろ
。どうにも嫌な予感がする。急げ!」
「「はい!!」」
「スバルは私と一緒にっ」
 突如感じた脊椎に直接氷柱を入れたような悪寒。シグナムの全身を電撃にも似た寒気
が走り抜ける。シン達も同じような寒気を感じたのか、歩みを止め額に汗を掻き、全身
を震わせている。まるで、コールタールのような粘ついた不快感が、全身余すところ無
く纏わり付いているようだ。シグナムが周囲を見回しても、観客達に異変は感じられな
い。
(観客…は無事か…魔道師だけが感じたのか?)
 シグナムの頬から汗が一滴、音も立てず絨毯に落ち繊維の中に染み込んだ。それが契
機となったのかは分からない。しかし、事実として汗が滴り落ちた瞬間、会場全体を囲
むように、ミッドでもベルカでも無い正体不明の魔法陣が展開される。
 魔法陣から赤茶けた錆びのような色が放たれ、音を立てながら紫色の物質が噴射され
る。
「この臭い…ガスか」
 シグナムは、慌ててハンカチで口元を塞ぐ。これが魔法物質ならば、そんな行為に意
味は無いがやらないよりマシだ。シン達もシグナムに習い口元を塞いでいる。魔法陣か
ら噴出し続けるガスは、瞬く間に会場全域に充満する。薔薇のように甘い香りは、脳髄
を刺激し、不快な嘔吐感が胃から駆け上がって来る。何人もの観客が、その場で嘔吐し
咳きこみ始める。
「オオオオ」
 会場内に底冷えのする声が響き渡る。気圧が下がり耳鳴りと共に響き渡った声は、衝
撃波となり会場を蹂躙した。
 豪華なシャンデリアが次々と砕け散り、肺腑を抉るような衝撃を感じる。
「…まさか!」
 シンの脳裏に、浮かび上がる異形の生物。どうしてそう考えたと聞かれれば、勘をし
か言いようが無い。しかし、今この勘が外れる事は在り得ない。声も姿も共通点はまる
で無い中でも男から感じる重圧は、あの時の巨人と怪物達から感じたものだ。
「不特定生物群!」
 シグナムが叫ぶと同時に今更男の存在に気が付いたのか、会場内で観客が悲鳴を上げ
る。螺旋階段から件の男が突然飛び降りたのだ。ビルにして三階程の高さに該当する高
度は、普通の人間ならば即死であり良くても重症は免れない。重力の楔から解き放たれ
た男は、物理法則に則り舞台上へと自由落下を始める。誰もが後数秒後には、嫌な音を
共に男の死体が出来上がる事を確信した。しかし、男は まるでそれがさも当然である
かのように、両手両足で舞台に華麗に着地する。

 その様子は、何故か四足獣を彷彿させ男の異常性を際立たせていた。舞台の上で叫び
続ける男の背中が爆ぜる。筋肉が異常な速さで膨張し始める。
 それと同時に男の体毛が増殖し全身を覆う。腐った卵のような腐乱臭が会場内を充満
し、空気が淀み始める。眼球が裏返り、赤い瞳が爛々と輝き犬歯が剥き出しながら異形
の生物が咆哮を上げる。
「…狼男?」
 唖然としたスバルの声。しかし、今の男の状態を的確に捉える言葉はこれしか無かっ
た。顔こそ人間の形を保っているものの、全身を鋼鉄のようなにび色の鋭い体毛が纏い
、口から赤い涎がこぼれ続けている。尾骨から生え出した銀色の尻尾は、バランサーを
兼ねているのかゆっくりと左右に揺れている。男の瞳からは理性の光が消え、獲物を目
の前にした獣の相貌を見せていた。
「…いくぞ、三人共…レヴァンティン!」
『Anfang』
 レヴァンティンが赤く輝き、シグナムが光に包まれる。シン達もシグナムに倣い己の
デバイスを起動させる。バリアジャケットを装着すると変装が解けてしまうが、この非
常事態に悠長な事を言って場合では無い。舞台上の男はどう考えても普通の人間では無
い。シンも資料として亜人など見た事があったが、アレはそもそも生物として選別して
いいのかも分からない。シンの足元に赤色の魔方陣が展開され、衣服が粒子状に変換さ
れる。シンの全身を赤い魔力が覆い、鉄壁の防御力を持つバリアジャケットが展開され
る、はずだった。
「えっ?」
「何これ」
「バリアジャケットが」
 シン達は、本来ならば眩い光の粒子の本流の後、バリアジャケットで身を纏い、デバ
イスを構え臨戦態勢を整えられるはずだった。だが、シンはその手にアロンダイトを握
ってこそいるが、その姿はデバイス起動前の姿となんら変わり無い漆黒のロングドレス
姿のままだ。
 ティアナ達も同じで、それぞれ武器となるデバイスを手に取ってはいるもののバリア
ジャケットを装着していない。
「デスティニー!」
『原因…不…明…不明…不明』
 デスティニーの声にノイズが走り要領を得ない回等が帰って来る。
「デバイスが機能障害を起こしている…この紫の霧…AMFの亜種か何かか」
『主はやて、こちらライトニング02…』
「うっ」
 シグナムは、はやてに念話を試し見るが瞼の裏に火花が散り念話が突然途切れてしま
う。
「シグナム副隊長!念話が!」
「ジャミングか…」
 ティアナも念話を試したようだが、シグナムと結果は変わらなかったらしい。先刻よ
りも更に濃度が増した紫の霧にシグナムは眉を潜める。シグナムもシン達と同じく騎士
甲冑を構成出来て居ない。攻撃は問題無いが、この狭い会場内では範囲が広い魔法は使
えない。必然的に接近戦を強いられる事なり、騎士甲冑無しでは心とも無いのが事実だ
った。シグナムは、真紅のロングドレス姿でレヴァンティンだけを握り締め、舞台上の
狼男を睨み付ける。

「オオオオオオ!」
 怨嗟と暗闇に彩られたこの世の物とは思えない程の不気味な咆哮。高くも低くも無く
、人間の可聴領域を侵食し壊すような雄叫び。
「来る!」
 シグナムがレヴァンティンを正眼に構え、狼男も人間の骨格を無視した超前傾姿勢で
構え直す。
 足の筋肉が二回り近くも膨張し、狼男は敵意と殺意を隠す事無くシグナムに向けて砲
弾のように跳躍する。
(速い!)
 言葉を発するより早く、レヴァンティンと狼男の爪が火花を散らす。狼男は、この広
い会場内でシグナムだけが己の敵になり得る存在だと本能で嗅ぎ分けていた。
「アスカ!お前達は観客を劇場から避難させろ」
「シグナム副隊長!一人じゃ無茶です」
 シグナムは、狼男の強靭な膂力に少しづつ体勢を崩し、押し切られていく。誰が見て
もシグナムの方が劣勢で、狼男の爪がシグナムの肩口を傷つけた。シグナムの白い肌に
赤い線が流れ、鮮やかなドレスに更なる彩を添える。
「こいつ!」
 アロンダイトを構え、狼男に疾走しようとするシン。スバルもウイングロードを展開
しようと魔力を集中させる。
「ティナア!」
「はい!」
 シグナムの激にいち早く反応したティアナが、シンとスバルの首根っこを掴み、強引
にこちら側に引き寄せる。
「ランスター何を!」
「ティア!このままじゃ副隊長が!」
「アスカ、スバル、少し頭を冷しなさい」
「ランスター!!」
「私たちが行っても足手まといなの…シグナム副隊長が苦戦してるならB級の私たちじゃ
あ…天地が引っ繰り返っても勝ち目は無いわ」
「クソっ」
 シンは毒づき、狼男と競り合うシグナムに目を向ける。シグナムとシンの視線が交錯す
る。シグナムは無言のまま何も語らない。語らず黙したまま、狼男の牙と鍔迫り合いのま
ま膠着している。何も語らないシグナムだが、シンは今自分が何をするべきか理解出来て
いた。
(落ち着けシン・アスカ。優先順位を間違えるな)
 そうだ、いつまでも昔の自分では居られない。戦ってばかりでは何も変わらない。今は
戦うのは敵では無く、守るべきは市民の安全だ。
「分かった…行こう」
「…アスカ」
 ティアナは、力を緩めシンの首から手を離す。現状を理性が理解していても、シンの本
能が悔しさを押さえつけるのを邪魔している。手を鬱血する程握り締め、名状し難い表情
を浮かべるシン。
「今俺達がするべき事は…非難誘導だ。ランスター、プランを」
「…オッケイ、さっさと避難させて副隊長の援護に行きましょ。アスカ、スバル、気合入
れなさい。全員助けるわよ」
「了解!!」」

 シン達は、視界が悪い中、大声を上げながら観客の誘導を開始する。六課の名前は知ら
なくとも、時空管理局の魔道師達が現場に居合わせた事が、観客の瞳に理性の光が戻り始
める。シグナムは、シンの声を聞きながら意識を眼前の敵に集中させる。観客の避難は、
シン達に任せておけば問題無い。まだまだ頼り無い新人達だが、厳しい訓練に耐え、実戦
を潜り抜けた胆力は伊達では無い。きっと、彼等ならば観客達を安全に非難させてくれる
はずだ。
「ならば、私のする事は一つ!貴様を倒す事だ!」
 シグナムの瞳の炎の闘志が宿る。押さえ込まれていた体を内から溢れ出る闘志で支え直
す。シグナムの剣気を敏感に感じ取ったのか、狼男の瞳に更なる敵意と殺意が宿る。
 狼男の筋肉が更に膨張し、急激な変化に体がついて来ないのか、体中の到る所で毛細血
管が破裂し血が噴出し始める。レヴァンティンが自身の関節が食い込む事も躊躇わず、狼
男は爪を強引にシグナムの顔へと伸ばす。爪の一部が結っていた髪留めに当たり、シグナ
ムの真紅の髪が背中一面に広がる。
「舐めるな!」
 狼男を一喝し、レヴァンティンから一瞬だけ力を抜くシグナム。拮抗していた力のバラ
ンスが傾き狼男の爪が空を斬り、レヴァンティンに無防備な体制を晒す狼男。
「私の一撃は…アスカより鋭いぞ!」
 レヴァンティンに炎が宿り、紅蓮の業火が燃え上がる。
「紫電一閃!」
 シンを遥かに凌ぐ高温で繰り出された炎の斬撃が狼男を捉える瞬間、狼男が口を厭らし
く曲げシグナムを確かに嘲笑した。

「クソっ!まるで周りが見えない」
 シンは、更に濃度を増す紫の霧に毒づく。観客を誘導しようにも、視界がまるで利かず
如何し様も無い。大多数の観客は従業員と連携し逃がしたものの、まだ、会場内には、少
なからず観客が取り残されているのだ。
「アスカ、スバル、そっちはどう!」
「駄目全然見えない」
 念話が使えない為に出来るだけ大声で話す三人。
「空調もまるで効いてない」
 霧が原因ならば取り除けばいい。ティアナは、そう思い制御室に急ぎ会場内の空調を全
開にした。しかし、効果があったのは一瞬だけで、霧はまるで意志があるかのように、空
調から逃げ延びるように蠢いている。今ではそれが逆効果だったように、霧は濃度を増し
、隣に居るはずのシンとスバルの姿すらおぼろげにしか確認出来なかった。
 これでは、避難誘導どころの騒ぎでは無い。視界が遮られている状態で、残されている
観客の誰か一人でもパニックでも起こせば、収集の付かない事態に陥ってしまう。
 戦っているはずのシグナムの姿も確認出来ず、時折聞こえてくる剣戟が途切れたのが気
がかりだった。
 シンは足元で怪しく輝く魔方陣に徐にアロンダイトで切りつける。魔方陣から紫の魔力
が煌き、キンと澄んだ音を立ててアロンダイトを弾いた。
「…破壊出来る代物じゃ無さそうだな」
「そうね。魔法陣自体が、相当な魔法硬度を持ってるわ。私達の手持ちの魔法じゃ、ちょ
っと壊せそうに無いわね」
「じゃあ、どうするの。このままじゃ皆が」
 スバルは、死んじゃうと言いかける所を寸前で飲み込む。逃げ遅れ霧を吸い込んだ観客
達は、皆一応に倒れ伏せ、浅い呼吸を繰り返している。比較的症状が浅い観客も眩暈や嘔
吐を繰り返し、中には意識が混濁し始めている観客も居る。素人めに見ても、全員一刻も
早い治療が必要に思えた。

「クソっ!こうなったら一人ずつ担いででも!」
 シンが血気に逸り、足元に倒れている老婆に手を伸ばした瞬間だった。
 異変にいち早く気が付いたのはティアナだった。紫の霧に赤い光が灯り、生臭い臭いが
鼻につく。
 開いていたはずの扉が音を立て突然閉じ、霧の中で雷鳴に似た轟音が鳴り響き、霧を掻
き分け何かが飛び出してくる。 
「アスカ!」
 シンはティアナの声に反射的に身を屈め、そのまま絨毯の上を転がり難を逃れる。
 そして、そのまま速度を殺す事無く立ち上がりアロンダイトを構える。霧の中を何か大
型の生物が動き回っているのが分かる。燃え盛る殺気の炎がシンの肌を刺すように降りか
かる。
「来る…」
 殺気が膨れ上がり、獣の咆哮が鳴り響く。再度霧が割れ何かがスバル目掛けて襲い掛か
ってくる。
「こいつ!」
 スバルは何かの突撃をマッハキャリバーで回避し、一撃入れようとすれ違い様に拳打と
放つが、恐ろしいまでの俊敏な動きを見せ捉える事が出来ない。
 何かは、観客席を音も立てずに飛び回り、霧の中へと再び姿を消す。シン達は即座に頷
き合い、全方位に瞬時に対応する為背中を合わせ陣形を組みなおす。どうやら敵は観客を
狙っているわけでは無く、シン達魔道師だけを狙っているようだった。人を襲うつもりな
らこの深い霧の中である。いちいち危険を犯す事も無く獲物はより取り見取りのはずだ。
「狙いは俺達か」
 シンはアロンダイトを正眼に構える。
「多分ね…視界はほぼゼロ…敵の正体は分からない」
 ティアナがクロスミラージュ二丁左右に狙いを付ける。
「バリアジャケットも無いよ、ティア」
 スバルのガントレットが徐々に回転し速度を上げ始める。
「攻撃は出来るけど、威力の高い魔法は使えない」
 シンの瞳が好戦的に吊りあがる。
「戦力は半減。おまけに援軍も期待出来ない」
 クロスミラージュが輝き始め、ティアナが思考が活性化する。
「でも…」
 マッハキャリバーが白煙を上げ、唸りを上げた。
「やるしかないわね!」
 互いに視線だけ頷き合い、ティアナの声と共にシンとスバルが疾駆する。大気を奮わせる
咆哮と共に、紫の霧から体長二メートルを超える大型の虎が姿を現した。だが、それを虎と
言うには語弊がある。虎には背中に刃のような背びれはついていない。四肢を覆うような装
甲板も同義だ。虎は、口から問題の紫の粒子を大量に吐き出し続け、霧の原因が虎にある事
は一目瞭然だった。通常の獣の規格を超えた怪物相手にシン達は戦闘を開始した。

「なのは、会場が!」
 いち早く異変に気が付いたフェイトが声を張り上げる。会場の周囲をどす黒い魔力が覆い
瘴気が立ち昇っていた。
 なのはとフェイトは、森の中でルーテシアとゼストと対峙していた。ゼストは、ルーテシ
アを守るように半身を前に出し壁となる。シャマルの索敵で敵召喚師を追い詰めたまでは良
かったが、会場内との連絡が取れ無くなる異常事態になのはの心は波打ちだつ。
「あれは貴方の仕業?」
 声色こそ優しいが目は真剣だ。何か不穏な動きを見せれば、フェイトと共にどんな手段を
使っても、ゼストとルーテシアを確保する覚悟があった。
「違う…」
「何が違うのかな」
 ルーテシアの召還円からは、今も尚無数のガジェット達があふれ出ようとしている。なの
はは、レイジングハートを振るい、ガジェットが召還される瞬間を魔力弾で狙い打ち爆砕さ
せる。手駒が次々と迎撃されても、ルーテシアは感情を灯さない瞳でなのは達を見つめ続け
る。

「アレは私じゃない。誰かが…私の真似をしてる」
「え…」
 なのはは、自分の目を思わず疑う。幼い少女が、嫌悪や侮蔑と言った、薄暗い感情を隠す
事無く浮かべた事に驚いたのだ。
 ルーテシアの指に機械仕掛けの羽虫が止まる。
「もういいのか…」
「うん、ドクターのお願いはもう終わったみたい」
 ルーテシアは羽虫ににこやかに微笑む。
「バルディッシュ!」
『SonicMove』
 ルーテシアが呟くと同時に、足元に転移法陣が展開される。まばゆい光と共に、二人の姿
が透け、何処かへ転送されて行く。フェイトが、ソニックムーブを発動させるが、恐らく間
一髪で間に合わない。
「やられた…」
 フェイトは、地面を抉りながら止まり、ルーテシアが消えた場所を見つめ臍を噛んだ。

「紫電一閃!」
 シグナムの炎の斬撃が狼男を捉えたと思った瞬間、狼男の背中が爆ぜ緑色の粒子に変わり
大気に四散する。
「なんだ!」
 シグナムは慌てて距離を取り、狼男が消えた空間を凝視する。レヴァンティンを構え、一
分、二分と待つが何も起こらない。訝しがりながらもレヴァンティンを収め、周囲に気配を
探る。周囲は厚い霧に覆われ、何も見えず何も聞こえない。まるで、世界に一人だけになっ
たように錯覚する。
「とにもかくにも合流か」
 シグナムは、シン達に合流しようと霧の中を走り始める。異変は直ぐに訪れた。いくら走
っても前に進んだ感覚がしない。まるで、同じ場所で永遠と足踏みを繰り返しているような
虚脱感がシグナムを襲う。
(やられた…か)
 霧が原因か、緑色の粒子が原因か。シグナムが、なにかしらの幻術にかけられた事は明白
だった。思い出して見れば、紫の霧に囲まれて以来周囲の気配が曖昧だ。
「くそっ」
 だが、何もしないわけには行かないと、シグナムは霧の中心目掛けて走り出した。

 虎の爪とシンのアロンダイトが激突し火花を散す。スバルがウイングロードを展開し、中
空を縦横無尽に駆け回り、装甲板に拳打と蹴打を加えていく。スバルの攻撃で痛んだ装甲板
にティアナが魔力弾を的確に撃ち込んでいく
「不思議なもんじゃの」
 会場内三階貴賓席。
 会場中を一望出来るVIP中のVIPしか座る事を許されないホテルアグスタの玉座だ。
 アンビエントは、給仕が入れた紅茶を飲みシン達と虎の攻防を眺めていた。会場中に霧
が立ち込めていると言うのに、貴賓席の周囲は何事も無いように静かだ。
「何がだ…爺さん」
「霧で姿が見えておらんはずなのに、あの童共は何故、ああも的確に反撃出来る…スカリエ
ッティ」
 スカリエッティと呼ばれた男がつまらなさそうに視線を上げる。男性用のチャイナスーツ
に身を包み、備え付けの高級家具の上にだらしなく四肢を投げ出している。手配書のスカリ
エッティと瓜二つの顔。しかし、血のように赤い瞳を持った彼は、ドクターと呼ばれるスカ
リエッティとは違い知性より粗暴さがより滲み出ていた。
「別に見えてるわけじゃねぇよ…真ん中の女。若草色のドレスの奴が指示出してるだけだ。
シン・アスカとスバル・ナカジマは、そいつの指示通りに動いてるだけだ」
 面倒くさそうに、ティアナを顎で射すスカリエッティ。
「ほう…どのように?」
「ちょっとは自分で考えろよ爺さん…まぁいいけどよ…霧の動きだ」
「抽象的じゃな」
「聞いた事無いか?ほら、中国拳法にあるような、考えるな感じろって奴。まぁそんな感じ
だ」

「…説明になっとらんな若いの…まぁ大体理解出来たわい」
「あくまで仮説だ。もっと適当に言うなら、あいつは霧の体表面に起こる粒子運動の読みき
ってのかも知れねぇ…どっちにしても人間技じゃねぇな」
「適当に言わず、真剣に言わんかい」
「こんなの真剣に考えても仕方ねぇだろ、知りたきゃ本人に聞けよ。それが一番手っ取り早
いだろ」
「探究心を否定するとは、お主本当に博士(ドクター)か」
「医者(ドクター)じゃ無い事は確かだよ」
「呆れたのぉ…」

 ティアナは、戦闘中に起こった自分の体に起こった変化に戸惑っていた。
(体が軽い)
 神経が高ぶるのでは無く、感覚が全周囲に広がって行く感じ。まるで、全身が視覚器官に
なったかのように、ティアナは、自分の周囲に起こった出来事を異常な精度で知覚していた
。シンが突撃する様子も、スバルが疾駆する様子も、自分が放った魔力弾の弾道も、会場内
の気流の流れすら理解出来る自分に驚いた。
 そして、その感覚を持て余す事無く、制御出来ている自分にもっと驚いた。シンとスバル
が自らの四肢のように思う通りに動き、虎を追い詰めて行くのがはっきりと理解出来る。

「しかし、アンタも暇な奴だな」
「…急になんじゃ」
 スカリエッティは玄米茶片手に胡乱な視線をアンビエントに向ける。
「放逐されたとは言え、アンタ程の権力持ってる人間が、何で今更管理局に楯突こうとする。
女の金もやり放題。残りの人生楽しく暮らせるだろうに何故俺達に近づいた」
 アンビエントは、まるで孫をみるような優しい視線でスカリエッティを見つめる。皺だら
けのその手で、揚げ饅頭を一つ摘みゆっくりと口を開いた。
「若い童には理解出来んか…金も女も命が尽きればそれまでの物。昔は太く短く生きれれば
良いと思っておったが、老い先短くなってようやく命の価値に気が付いてな」
「それで、ドクターの生命操作技術に目をつけたと」
「言っておくが、アポを取ってきたのはそちらのほうじゃぞ」
「俺はそこまで知らねえよ」
 紫の霧の中で、ティアナの魔力弾が橙色の軌跡を引く。
「しかし、しょうもない目的だな…長く生きてどうするよ」
 スカリエッティの瞳が僅かに歪む。だが、その表情の一瞬で消え元の表情に戻る。まるで
、つまらない事を思い出したと自戒するように、誰に気が付かれる事無く消えていく。
「なにを言っとるか童。権力者の行き着く先など、所詮不老不死程度しかなかろう」
「うわっ、こいつ小物だ。しかも飛びっきりの俗物だ!皆さん俗物がここに居ますよおおお
お!」
「そんな大きな声を出して、お嬢様達に気が付かれても知らんぞ。もしくはあの虎にの。あ
いつ偉い雑な動きじゃが、本当に敵味方の区別がついているんじゃろうな」
「何処の世界に造物主相手に逆らう人形がいる。在り得ねえよ」
「…その台詞こそ敵役の小物じゃて」
「むかつく爺さんだ…」
 憤慨するスカリエッティを見て厭らしく笑うアンビエント。だが、言葉とは裏腹にスカリ
エッティの表情は楽しそうだ。

「心配いらねえよ。仮定の話だが、M-003"バンテラ"が機能不全に陥って認識不全を起こし
ても、バンテラがこっちに気が付く事はあり得ねえ」
「これのおかげか」
 アンビエントは、中指にはめられた指輪に目を落とす。照明に晒すと翡翠色の指輪が鈍く
光った。スカリエッティの指にも同じような指輪がはめられている。
「存在限界濃度をギリギリまで落とすだけの玩具だ。極論で言えばトコトンまでの空気が薄
い人間に化れる代物で、これを付けてる間はこっちから"話しかけない"限り誰も俺達には気
が付かない。でないと、爺さんに剣術の達人に気配を悟られず近づく芸当なんざ無理だろ」
「失礼な…じゃが、誰も道端に落ちてる石や草には誰も注意を払わんからの。だが、石が喋
れば誰しもが驚き気づく…道理じゃな」
「つまり、今の俺等は石以下雑草以下の存在ってわけだ」
 スカリエッティは微苦笑し、空いた湯飲みに給仕が無言で玄米茶を再度注ぐ。
 シンの斬撃とスバルの拳打が虎の腹部を捕らえ、虎の巨躯が中空へ舞い上がる。その瞬間
を狙い、ティアナの魔力弾が眉間、喉、鳩尾、四肢の付け根へと襲い掛かる。
 ドンと鈍い音が会場中に響き、虎が苦悶の叫び声を上げる。
「旗色が悪そうじゃの」
「正直に…勝てるとは思って無かった…今回も嫌がらせのつもりだったんだがな」
 スカリエッティは、赤い瞳を憎悪で燃やし忌々しそうにシンを睨みつている。
「こうまで圧倒的に負けるとは思って無かったと」
「総合能力的には、M-004ベイオウルフの方が強い。だが、運動性能に特化させちまった分
、教育途中で油断を学習しちまったみたいだな。切り札のパイルバンカーを使う間も無くや
られちまった。…馬鹿たれが。加えてM-003バンテラ。こいつは、大型の体躯の割りに戦闘
能力自体はそこまで高く無い。だが、自身が転送魔法と霧状の外部との隔絶空間を長時間構
成出来るレアスキル持った自信作だ。大型生物を素体に使ったのも、機械部位を受け入れら
れる体力を持つからなんだが…やはりコア持ちの素体を使うべきだったかな」
「自信作では無かったのかね」
「だったんだけどな…現実は残酷なもんだ。バンテラの性能より、あいつらの成長速度の方
が上回ってやがる」
 バンテラと戦うシン達にスカリエッティは、胡乱な視線を向け深い溜息をついた。

 斬撃拳打蹴打がバンテラにダメージを与え、逃げ場を奪うように魔力弾の追撃がバンテラ
に迫る。戦場は劇場隅に移動し、バンテラは広い通路奥に押し込められる形となる。
 追い詰められたバンテラは、苦し紛れに背中に生えた刃を一斉に射出する。一度きりのバ
ンテラの最後の切り札である。
「クロスミラージュ!」
『AllRight』
 ティアナが叫び、足元に橙色の魔法陣が展開される。普段の倍近い超高速で攻撃魔法を構
築し次々に魔力弾を精製発射する。
(やっぱり変…何これ…)
 世界がまるで止まっているようだ。霧があろうと無かろうと関係無い。全ての物がゆっく
りと動き、バンテラの挙動の全てが知覚出来る。戦闘開始から思考がクリアになり始め、集
中力が桁違いに上がっているのだ。
 こんな事は今迄無かった。
 橙色の魔力弾が、バンテラの放った刃を瞬時に迎撃して行く。

 ティアナは自分が凡人だと自覚している。シンやスバルのように急激な成長等見込めない
し、あの年齢でB級を所持するエリオやキャロのように将来性も無い。さりとて、一目置か
れるようなレアスキルを持っているわけでも無く、唯一誇れそうな訓練校主席など精鋭揃い
の六課では腹の足しにもならない経歴と言えた。
 だからこそ、置いていかれないように、鬼教官で有名な高町なのはの厳しい訓練にも耐え
てきた。本音を言えば、ティアナは、今迄の訓練を通して自分が強くなっている自覚が殆ど
無かった。

「のう、スカリエッティ」
「何だよ」
「ドクターの研究とわしの求めておる物は違うかも知れんが、出資する価値はあると踏んだ
。だから、わしは、こうして童と共に茶を飲んでいる」
「…俺じゃ不服かよ」
「当たり前じゃ童。酒ならまだしも、何処の世界に男とお茶を飲むのを楽しむ馬鹿がおる。
同じ飲むなら、うら若き乙女の方が良いに決まっとる」
「爺さん…そのセクハラ発言の性で賛成派の女性委員に放逐の口実掴まされたんだろうが」
「五月蝿いわい。げに忌々しきはあの跳っ返り娘よ。たかだが尻を揉まれた程度で攻撃魔法
何ぞ使いよって。死んだらどうする」
「管理局魔道師の使う魔法は非殺傷設定とか言う代物だろ。死ぬわけねえし。気絶するだけ
だ」
「気絶する程痛かったわい!そう言うならば尻揉んだ位で死にやせんわ!」
 スカリエッティは、興奮するアンビエントの口から飛んで来る唾を嫌そうに扇子で防ぐ。
「ああ…爺さんが追い出された理由何か分かった気がする」
 放逐の理由は、セクハラに関するスキャンダルだけでは無いだろうが、流石に呆れたのか
スカリエッティの顔が引き攣った。

「アスカ!スバル!今!」
「紫電!」
「ディバイン!」
 轟音と共にアロンダイトにカードリッジが装填される。シンの魔力が増幅し、アロンダイ
トに炎が宿り赤く発熱する。スバルのガントレットが風を宿し高速回転し唸りを上げ、暴風
を伴い螺旋の一撃を構築する。
「一閃!」
「バスター!」
 炎がバンテラに襲い掛かり、風が炎を包みこみ更に燃え上がらせる。風が超高熱の繭と形
成し、その中にバンテラを閉じ込める。
「アアアアアアアア!」
 バンテラが最後の咆哮を上げ、機械的な部分を残しその体が大気へと霧散して行った。

「潮時だな…バンテラ、ベイオウルフ共に敗北した。霧もじきに晴れるだろう。さっきから
六課の隊長さん達が外で五月蝿くて面倒臭いしな…爺さんはどうする。良ければ家まで送る
ぜ」
「ごめんじゃの…さっさと帰るがよい童。わしは後片付けが待っとるからの。憂さ晴らしは、
六課にするわい。今回の失態を精々攻めた立てるとしようかの…ふぉふぉふぉ」
「趣味悪りぃ」
 舌を出し露骨に嫌悪感を丸出しにするスカリエッティ。

「それに、当然の事ながら、お主が六課の目に止まるのは避けたい。今後の事もあるしな」
「…分かったよ爺さん。玩具は餞別にやるよ好きに使ってくれ…また連絡する」
「承知した…のぉスカリエッティ…最後に一ついいかの」
「ああ…なんだ爺さん」
「わざわざ、わしの伝手を利用して六課をここにおびき寄せたりと、お前さんがあのお嬢ち
ゃんに固執するのは何故じゃ。あのお嬢ちゃんに何がある」
 スカリエッティは視線を伏せ、何かを耐えるように頭を振る。望郷にも似た思いが心を支
配しそれと同時に消す事の出来ない憎悪が膨れ上がるのを自覚する。
「間違いが二つある…欠けた世界の時間軸…失った主役の資格。俺が固執しているのは、シ
ン・アスカと言う一個人では無く、シン・アスカが担う役割だけだ」
「本音を語る気は無いと」
 話の確認に触れず、曖昧な表現しか喋られないスカリエッティにアンビエントは眉を潜め
る。
「そう取るなら構わない。元々俺は隠し事が嫌いだ。キッチリ説明しても良いが、時間が無
い。本当に知りたけりゃ、長くなるがちゃんと話してやるよ」
「そうか…では、もう一つの間違いとはなんじゃ」
 ああそっちね、と言う風に気まずそうに頬をかくスカリエッティ。
「それか…ああ…何というかな、あいつは…女じゃない…男だ」
「なんと!わしゃ男相手…色目を使ったか」
 信じられないとばかりに目を見開くアンビエント。スカリエッティは、その反応に気を良
くしたのか思わず苦笑する。
 スカリエッティの足元に緑色の魔力光が湧き出始め、六亡星の魔法陣が展開され、スカリ
エッティの姿が徐々に薄くなり始める。
「コーディネーター…シン・アスカ…SEEDの保持者。やはりそうか。何となく分かった
よ…何故あの世界がああなったのか…化物共め、繁殖能力の問題だけじゃ無かったのかよ」
 顔を憎しみと悲しみに染め上げ、スカリエッティは戦場を後にする。姿が完全に消える瞬
間、スカリエッティはシンだけでは無く、ティアナとスバルの姿を記憶に焼き付けた。

「ふぅ」
「はぁ…はぁ…」
「疲れたぁ…ねぇシン君アレなんだったのかな」
「…知らない…わけじゃ無いけど…ナカジマ、後にしてくれ」
 シンは、荒い息を付きながら、アロンダイトを杖代わりにして体重を預ける。長い髪が顔
にへばり付いて煩わしかったが、足に絡みつくドレスよりマシだ。何度戦闘中に破り捨てよ
うと思ったか分からない。シンの体は心地より疲労に包まれ、スバルも疲労困憊なのか、絨
毯の上に体を投げ出し仰向けに寝転んでいる。シンやティアナに比べて丈の短いドレ
スなのだ。寝転がると当然下着が見え、シンの瞳に白と水色のストライプが飛び込んでくる。
「しかし、今日のランスターは何か凄かったな」
 シンは無言のまま視線を逸らし、恥ずかしさを隠すように話題を切り替える。実際今の戦
闘は凄かった。シンが望む場所望むタイミングでティアナの魔力弾が支援に訪れるのだ。
 的確と通り越し神懸り的な支援などシンは受けた事が無い。まるで、ティアナがすぐ後ろ
に居て、直接触れ合っているようなくすぐったい感覚だ。不謹慎かも知れないが、今までの
戦闘の中で一番楽しいと思ってしまった。
「えっ…そうかな?」
「うんそうだよティア。指示も的確だし、何ていうの、支援にこっちがついて行くのか必死
って言うか」
「あ…あ、えっと…うん」
 シンとスバルのテンションとは裏腹にティアナは浮かない表情を見せる。そう言われても
とティアナは曖昧に言葉を濁すのが精一杯だ。戦闘中の異常な集中力や全能感は、今は見る
影も無く消えてしまっている。あれは一体なんだったんだろうかと、突然自分に降って沸い
た力にティアナは戸惑っていた。

「お前達無事か」
「副隊長」
 霧が晴れ、シグナムが舞台から駆けて来るのが見える。見たところ対した怪我も無く無
事なようだ。霧が消えると同時に観客の顔色も正常に戻り始め、シンは胸を撫で下ろした

「すまん敵の術中に嵌まった…三人共怪我は無いか」
「私も大丈夫です」
「私も!」
「アスカはどうだ?」
「問題ありません!」
 シンは、何故か右手を握ったままで答える。魔力体力こそ消耗しているが、確かに問題無
いようである。シグナムは三人の無事に安堵する。しかし、その後ろでティアナが目を細め
シンの右手を睨みつけていた。シンはティアナの視線に気が付いているのか、ティアナを極
力見ないように無視を決め込んでいる。
「アスカ」
「何だランスター…俺はなんとも無い…」
 ティアナから正体不明の重圧が発生する。目を凝らすと、はやての物より小さいが背後仁
王像が透けて見える。
(ら、らんすたーまで…なのか)
 シンの頬が引き攣り背中に嫌な汗が流れる。
「そんなわけ無いでしょ、アスカ。あんた怪我してるでしょ。素直に右手見せなさい」
「待ってくれランスター、ほら、今俺は姉だ。妹は姉の言う事は聞くべきだとおも」
「いいから見せないアスカ姉さん!」
 問答無用とばかりにシンの耳を引っ張るティアナ。痛いと抗議の声を上げるシンだが、ティ
アナによって鬼のような視線に黙殺されてしまう。シンが自分の傷を隠すのはいつもの事の為
、スバルは二人を楽しそうに見つめている。
 ティアナは、そんなスバルを無視し、相変わらず自分の傷に頓着しない男だと溜息を付きな
がらシンの手を強引に開かせる。背中の傷程では無いが、シンの右手は赤く腫れ上がり爛れて
いた。
「…アスカ、お前紫電一閃を使ったのか…まだ使用許可は出してなかったはずだがな」
 右手の火傷を見て、シグナムもシンを睨みつける。ティアナと合わせて迫力も二倍である。
シンは、思わず気圧されそうになるが、いつまでもこのままではいられない。どうにかして心
の体勢を整え反撃に出ようとする。
「そ、それは…」
 紫電一閃。
 刀身に魔力を乗せた斬撃で、高威力もさる事ながら強力なバリア破壊能力も持つシグナムの
十八番でもある。同じ炎の炎熱効果を持つシンが、最初に習得目標にあげた魔法でもある。元
々魔法の基礎が無かったシンである。ミッドだろうが、ベルカだろうが、教えて貰える魔法を
貪欲に吸収していった結果、初めてまとも扱えた攻撃魔法であった。
 だが、シンは、刀身に炎を高威力のまま押し留めておく事が出来ず、魔力が暴発する前に斬
撃波として使用していたのだ。右手の火傷は、紫電一閃の魔力制御が不安定だった為に、炎が
刀身から漏れ出しシンの手を焼いた結果だった。
「何故使った…」
「それは、観客の安全とか考えると絶対駄目だと思ったんですけど。今日なら出来るそうだっ
て…、今日のランスターがあんまり凄かったんで、つい…調子にのってしまって」
 シンも一時に高揚感に感情を制御出来なかったのを恥じたのか、顔を赤くして俯いてしまう。
「なっ…」
「ば、馬鹿アスカ」
「シン君…大胆」
 そんな様子を見てティアナ達は、唖然としながら三者三様に頬を染める。シンは当然戦闘に
おいて、ティアナが大活躍だったと言いたかったのだが、照れながら喋るシンからは説得力が
感じられない。凄かったの部分だけが強調されてしまい、何かイケナイ事を告白した気になっ
て来る。
「待ってくれ…お前らまた何か勘違いを…なんで副隊長も一緒になって」
「無事か皆!」
 大気を震わす轟音とはこの事か。いきなり閉じていたはずの劇場の分厚い扉が、氷柱によっ
て砕け散り、破片が弾丸のようにシン目掛けて飛来する。そして、そのまま鈍い音を立てシン
の後頭部を直撃する。
「ぐぇ」
 蛙が潰れたような音を立て、意識が明後日の方向に飛んでいくシン。それを見たティアナと
シグナムがシンに駆け寄る中で、スバルがあちゃーと呟く中、騎士甲冑に身を包んだはやてが
頭を抱えていた。

第五幕"ホテル・アグスタ-imitation"