7、特別捜査官
その日何度目かの溜息をサイ・アーガイルはついた。
悩みの種は、目の前を歩く可愛らしい上司様(嫌味込)だ。
可愛らしいなどとは間違っても言って良い齢ではないのだが、どう見ても十代後半にしか見えない。
ある種の詐欺である。お肌のケアに余念の無い一部の同僚達は、この上官の秘密を何とか盗みだそうと必死なぐらいだ。
まぁ、それはともかくこの可愛らしい上官様(嫌味込)は何故かサイを気に入っており、ちゃんと副官がいるのにもかかわらず妙にあちらこちらに連れまわすのだ。
副官も止めてくれれば良いのに、面倒事はごめんだとばかりに上司の御守をサイに押し付ける始末だ。
一介のMSパイロットに過ぎない自分には、軍のお偉いさんと引き合わされても困るだけなのに。
今回だって上の連中に呼び出されたのを、自分を連れてきているのだ。溜息だって出よう。
サイはもう数えるのも嫌なぐらいの溜息をつく。
その溜息に、司令はやや不機嫌そうに話し掛ける。
「何溜息ついているのかな、サイくん」
「聞こえましたか、すいません」
「聞こえるようについてるんでしょう。まぁ、気持ちはわかるけど」
司令はそう言うと、司令自身も不機嫌そうに溜息をつく。
その様子に、サイはふと疑問をもつ。
普段の彼女は嫌がっているサイの様子すらも楽しんでいる節がある。
ちょっとでも嫌そうなそぶりを見せると、『私といくのイヤ?』とか、『サイく~ん、これは命令なんだけどなぁ』などと、場合によっては自分の階級や可愛らしい容姿までも駆使して全力で部下を……サイをからかうのだ。
しかし、この日の司令は少々違った。とにかく不機嫌そうなのだ。
はて、とサイは思う。
此処しばらく問題児揃いの部隊にしては信じられないほどおとなしかったはずだ。ここしばらく起こった問題と言えば半月前の騎士団との遭遇したぐらいだが、そんなもので態々呼び出しを食らうとは思えない。
「何かあったんですか?」
「知らないわ。今朝になって呼び出されたの、私とサイくんを名指しで」
「名指しでですか?」
益々わからない。
前歴には色々と問題のあるサイだが基本的には人畜無害な青年であり、はっきり言って目立つ存在では無い。そもそも、一介のパイロットに過ぎない。
「そ、何かやったっけ?」
「此処しばらくは何も無いと思うけど……。騎士団がらみはいつもの事ですし」
どうやら司令も同じ事を考えていたようで先ほどサイが考えた疑問を口にする。
「この間の救出作戦は無事に成功で人員・MSとも損失は無かったし、帰りに騎士団には会ったけど無事逃げれましたから……。抗議はもう一々気にしないでしょう、上も」
実際、騎士団設立当初は抗議が来るごとに過剰反応していた上層部だが、現在は形だけの厳重注意で終わらせる事が多い。
先日の大西洋上での海賊の民間船襲撃とその救助のような事例にまででしゃばるのだ。そのくせ自分たちの母体であるザフトやオーブ、ジャンク屋ギルドの活動はスルーと来ている。一々まともに相手などしていられないというのが、現在の上層部の基本的な対応であった。
「そうなのよね、今回は私の耳にも入ってないし……」
「嫌な予感がしますね」
「いつもの事でしょう。ま、いいわ。すぐに判るでしょうから」
サイの言葉に司令は苦笑いを浮かべ答えた。
「……佐、サイ・アーガイル少尉両名参りました」
「よし、入れ」
ほどなくして二人は執務室の重厚な扉に到着していた。
二人の到着を秘書官が伝えると、あっさりと通される。
「待たされると思ったんですが」
「気にしてもしょうがないわよ。行くわよ」
高官の執務室に通された二人がまず最初に目にしたのは、何時も以上に不機嫌そうな腹の突き出た高官の姿であった。
そして次に目に入ったのは執務室の応接セットに腰をかける人の姿であった。こちらからは背中しか見えないのだが、肩の意匠を見るにオーブ軍の高官のようであった。
「よく来たな」
「はっ」
腹の突き出た高官の言葉に司令は敬礼を持って答える。普段はいいかげんなくせに、敬礼だけはあの人と同様に様になってるななどと失礼な事を考えながらサイもそれに習う。
その様子を一瞥した腹の突き出た高官は片手で敬礼を下げさせると、おもむろに口を開く。
「さて、時間が勿体無いので手短に説明する。正式な命令は後ほど行うが、君たちには現地に駐留している部隊と共同でデトロイト周辺に潜伏していると思われるテロリストの掃討作戦に当たってもらう」
「掃討作戦ですか?」
「そうだ」
頷く高官を見ながら、サイはさらに疑問を覚える。
面倒な任務だ。
テロリスト相手と言うが、実の所はジャンク屋から最新鋭機を購入した規模の大きい組織だろう。しかもデトロイトを狙うと言う事は、反ナチュラル、反連合、反ブルーコスモスを掲げるコーディネーターのテロリストグループの可能性が高い。
この手の組織は、プラントやジャンク屋などがバックについており、下手な軍隊相手よりも性質が悪い。
実際、反ロゴス暴動後の五大湖周辺はさまざまなテロリストグループの巣窟であり、大西洋連邦でも屈指の危険地帯となっている。大規模な軍勢で鎮圧をしようにも、騎士団やジャンク屋の横槍が入る事もあり中々思うようには行かないのが現状だ。
しかし、この手の任務は第17MS独立部隊にとっては珍しい任務ではなく、上からの呼び出しがかかるのはおかしい。
もっとも、このサイの疑問はすぐに氷解する。
それも、予想もしなかった形で。
「そして、今回の任務だが中立地帯における特殊平和維持軍の……捜査官が2名と専用のMSが一機君たちに同行する事になる」
言いにくそうに、あるいは忌々しそうに高官は説明すると、それと同時に応接セットにいた人物が立ち上がりこちらを振り向く。
「特殊平和維持軍特別捜査官のアスラン・ザラだ」
振り向いた先にいたのは、確かにあのアスラン・ザラであった。
この時サイが驚きの声を上げなかったのは、司令がサイの太ももをこっそりつねっていたからに過ぎない。
もっと、そんなコントのような様子にアスランは気がつく事も無く、サイたちを睨みつけるように見つめる。
「今回は君たちのテロリスト掃討作戦に同行する事になった。よろしく頼む」
挨拶の口調も刺々しいアスランの様子にサイは疑問を覚えながらも、司令に続き挨拶をする。
「大西洋連邦軍第17MS独立部隊所属、アーガイル少尉です」
「よろしく頼む」
よろしくといいながら、どこか刺々しい口調で話すアスランにサイは内心首をひねる。
サイの知る限りとっつき易い人間ではなかったが、いきなり喧嘩を売ってくるほど短慮でもなかったはずだが。
そんなサイたちの様子を尻目に、司令は高官に質問をしていた。
「今回の作戦にMS付きで同行すると言う話でありましたが、指揮系統はどのように?」
「アスラン氏は基本的には君の下に入ってもらう事になる。しかし、彼らは独自の判断と行動も認められているのでその辺は留意してくれ」
──つまり、いつも通り何をしでかすかわからない爆弾を押し付けられたわけか。
司令は内心で吐き捨てる。
部下や同僚の何人が理不尽に騎士団の餌食になった事か。
まったくもって、騎士団の連中は疫病神だ。この連中と関わっていい目にあったと言う話は一度も聞いたことがない。
司令は高官の幾つかの説明事項を聞き流しながら内心溜息をつく。
「アーガイル少尉、ザラ特別捜査官を格納庫まで案内するように。おっと、君は少し残ってくれ、部隊の消耗について聞いておきたいことがある」
その言葉に、司令の表情が一瞬だけ嫌そうな顔をするが、すぐに普通の表情に戻るとサイにアスランを案内するように命じるのであった。
「で、今回の一件同思うかね」
サイとアスランが部屋を退室すると同時に、腹の突き出た高官はおもむろに口を開く。
もっとも、これはサイをスパイとして怪しんでいる訳ではない。スパイとして前歴を堂々と書き示すような彼の潜入方法はありえないし、高官に合わせても迷惑がるだけで自分の職務に必要な情報収集以外はしない。
そのほかにも色々とあるのだが、とにかくあらゆる証拠がサイのスパイ疑惑を否定していた。
「名指しで協力を求めてきた……という線は無いと思います。そもそも、優秀ではありますが一介のパイロットに過ぎないアーガイル少尉に協力を求める意味がありません」
そんな高官の言葉に、司令は言葉を選びながら答える。
「私も同感だ。まったく彼らの行動は予測が出来なくて困る」
高官も同じ意見だったようで、椅子に深く腰をかけなおすと忌々しそうにため息をついた。
「一体何のために?」
「大西洋連邦領内に、プラントから流出した兵器が流れ込んだそうだ」
「またですか?」
「まただ」
実のところ、このような事件はブレイク・ザ・ワールド事件以来決して珍しくない。デュランダル体制以降、プラントからの兵器流出はとどまる事を知らない。クライン体制になってからは、その数はさらに増している。
連中が遺産だ何だと叫んだところで、何をいまさらと言うのが正直な気持ちであった。
大西洋連邦がこの事を大きく発表しないのは、これ以上戦火を広げたくないというだけに過ぎない。ブルーコスモスの狂信者にこれ以上暴れられては、復興できるものも出来なくなるからだ。
「まったく、議会は議会でアノ件を審議中だというのに・・・・・・」
高官は窓の外をにらみながら吐き捨てる。
アレが議会を通ればあの忌々しい空の迷惑に一泡吹かせることができるというのに。
高官の呟きに、司令はそっとため息をついた。
当分は忙しい日々が続きそうだと。
「サイ・アーガイル少尉」
MSの格納庫に向かう最中で、サイは背後を歩いていたアスランに突然呼び止められる。
「どうしましたか、ザラ特別捜査官?」
そんなアスランに、サイは他人のフリをしながら聞き返す。
どうせ、こいつは人のことなど覚えていないのだ、サイがオーブを出るきっかけの7割はアスランとラクス、カガリにあったとしても、いまさらそのことで恨み言を言う気もなかった。
そんなサイをまるで親の仇のように睨みつけながら、アスランはたずねる。
「君はなぜ、連合に?」
その質問に、サイはやや自嘲交じりに素直に答えた。
「食べるのに困ってですよ、こんなご時世ですから」
実際、サイが軍に再志願した理由はそれでしかない。今も軍に残っている理由はと聞かれれば、また別の答えを言っていただろう。
一方、そんなサイにアスランは怒りを覚える。
あれから今回の事件の重要な登場人物であるサイ・アーガイルの名前を調べなおしたときは驚いた。
答えは身近なところにあった。オーブにいるマリューとムウ、ミリィの3人がサイの名前を覚えていたからだ。
彼はあのヘリオポリス出身であり、キラの友人だったという。
そんな彼がなぜ太平洋連邦にいたのかはわからなかったが、それを聞いた時にアスランの中ですべてのラインが完全に繋がった。
こいつのせいで、この男のせいで4年前にキラはコーディネーターでありながら偽りの友情に縛られ自分たちと戦い、そして今シンは恐ろしい企てに加わろうというのだ。
自分のために、こいつはコーディネーターを都合よく操ろうというのだ。
アスランの目の前にいるのはまさしく彼が唾棄する“愚かで野蛮で搾取するナチュラル”そのものではないか?
その吐き気のする現実にマリューとムウは悲観に暮れ、ミリィは怒りに燃えた。
彼らはいい奴なのに、こいつはなんと醜悪なのか。
あの時、あの場にいた者で口裏を合わせ、キラにはこの事を伝えないように話した。あの傷つきやすい友人が、これ以上悲しむのを見たくなかったからだ。
そして今この男のどす黒い本性を見て、アスランの視界が怒りで真っ赤に染まった。
「サイ・アーガイル。君はオーブのヘリオポリス出身だな」
「え?」
突如アスランの口から語られた自分のプロフィールに、サイはあっけに取られる。
だが、そんなサイをお構い無しにアスランは言葉を続ける。
「ヘリオポリス崩壊後アークエンジェルに乗艦、偶然乗艦した他の学生たちとともにマリュー艦長の下で志願兵として俺たちと戦う」
確かにその通りだ、あの時は……。
「その学生の中には、現在はプラント中将であるキラの姿もあった。中将は・・・・・・キラはお前たちを守るために俺たちと、同胞であるコーディネーターと戦った」
それは否定しない。
あの時、友人であるサイたちを守るためにキラは戦ってくれた。あの優しくてお人好しな年下の友人は、それこそあの戦いで魂をすり減らしていった。
まだ戦うという事の意味を知らなかった自分もその戦いに軽い気持ちで足を踏み入れた。
その結果、サイとキラは大切な人を何人も失ったのだ。
「その後、連合を出奔オーブに亡命。最終的にはヤキン戦に参加する。
そんなお前が、なんでこんな所にいて、連合の軍人をやっているんだ・・・・・・」
一人激昂するアスランにサイは答えようとするが……、次のアスランの台詞で思考のすべてが吹っ飛んでしまった。
「なんだって、ブルーコスモスの尖兵となって、今度はシンを戦わせようとするんだ。
キラを操り同胞であるコーディネーターと戦わせるだけには飽き足らず、今度はシンまで利用する気か! 答えろ! サイ・アーガイル!!」
アスランの絶叫に、サイの思考が真っ白になる。
今この男はなんと言った。
っていうか、なんだってここでブルーコスモス?
いや、なんでこの間あったばかりのシン・アスカの名前が?
そんなサイの疑問が口から出るよりも早く、サイの視界は真っ赤になる。
口の中に広がる鉄の味、それがアスランの拳を受けた結果だとわかったのは、皮肉にも彼らを監視していた兵士が慌ててアスランを止めに入った怒声を聞いた瞬間であった。