8、それぞれの幕間
「ずいぶんと派手にやられたわね」
赤くほっぺたを腫らしたサイに、司令はどこか楽しそうに話し掛けた。
「笑い事じゃないですよ」
その様子に、さすがのサイも憮然と応える。
サイが再び軍に入隊してから2年、正規の訓練をすっ飛ばしての急造パイロットではあるが、激しいGに耐えられるように鍛え上げられている。
とはいえコーディネーター、しかも鍛え上げられた軍人の拳はかわし切れなかったのだ。
「でも、またなんで喧嘩を? 怒らないから先生に言ってみなさい」
「誰が先生ですか?」
「あら、軍人じゃなくて先生になろうかなんて考えていたのよ」
それは主に青少年の育成によろしくないだろうからやめて正解だったなどと思うサイであったが、賢明にもその事は口にしなかった。
もっとも、ほっぺたをつつかれたが。
「いたい、痛いですよ」
「何か失礼な事考えてない?」
「考えていませんよ。子供ですか!?」
そのしなやかな指をやや邪険に払いながら、サイは疲れたように言う。
「大体、俺に聞かれたって困りますよ。いきなりですから」
「いきなり?」
「ブルーコスモスだのキラやシンを利用しているだの言っていましたが……」
正直サイにはなんでアスランが殴りかかってきたのか見当がつかなかった。利用するもなにも一昨日初めて会った相手をどう利用すると言うのか? キラに至ってはオーブを出てからカトウゼミの生き残り全員に一度手紙を書いたっきり、4年近く連絡を取っていない。
「な、なんですって、サイくんってブルーコスモスシンパだったの!?」
一方困惑としていたサイに司令はわざとらしく驚いてみせる。
「な、なんだって、俺がブルーコスモスシンパだったなんて今はじめて知りましたよ。でも、俺はオーブ出身なんで鯨肉を食べるから環境保護団体はちょっと無理です」
そんな司令にサイは溜息をつきながらやはり派手に驚いてみせる。
サイの身近でブルーコスモスシンパだった人物と言えば死んだ元婚約者の父親ぐらいだ。もっとも、その事実を知ったのは戦後になってである。
正直、サイとはまったく関係ない。それこそキラかミリィにでも聞けばすぐ判ることなのだ。
そもそも、あそこまで自分のプロフィールを調べたならオーブを出る直前のいざこざも思い出していいようなものなのだが、完全に忘れているのであろう。
「で、結局なんだったのかしら、あの特別捜査官殿は?」
「さあ? 俺に聞かれても……」
「友達でしょう」
「友達の友達だったってだけですよ」
少なくとも、友人と言うほどの付き合いは無かった。というか、あっさりと4年で忘れるような関係を友達とは言わない。
「じゃあ友達の友達はみな友達だって事で、友達の輪で何かわからない?」
「無茶言わないで下さい」
二人の溜息が、部隊の事務室に響き渡る。
いつもの如くお馬鹿な漫才を繰り広げる司令と少尉に、他の隊員はそっと苦笑するのであった。
一方、サイと司令の話題となっていた件の特別捜査官は、プラント大使館の一室で旧友と再会をしていた。
「んで、お前はカッとなってサイの奴を殴ったわけか」
「短慮だったと思っている」
反省の言葉を述べながらももどこか憮然とした様子を隠さないアスランに、プラント大使館駐在武官のディアッカ・エルスマンは呆れたとばかりに天を仰いだ。
「突然連絡が来た時は驚いたぜ。おまえな、自分で立てた計画を自分で崩してどーするのよ」
シン・アスカと接触のあった者の所属する部隊に同行して尻尾を掴み、議長の遺産を回収する。そう言う計画だと事前に聞かされていた。
しかし、今回の暴行事件で流石の連合もアスランの同行を拒むであろう。あたり前だ、いくらなんでも突然暴行を行った人物を同行させる物好きはいない。
これが人目につかない場所であったのならもみ消す事も出来たのであろうが、通路の真中での突然の暴行では言い逃れも難しい。
ただでさえ連合はこちらに良い感情は持っていない。ブルーコスモス以外にも“プラント”に対して悪感情を抱くものは多い。1年前から大使館付きとなり、連合の人間ともそれなりに交流が出来たディアッカには、その辺の難しさは良く判っていた。
「だが、奴はブルーコスモスで……」
「本当に調べたのか? サイがブルーコスモスだって?」
「あらゆる状況証拠がそう言っている、ミリィにも・・・あ、いや、すまん」
懐疑的な言葉を口にするディアッカにアスランは迷いも無く答え、途中で失言に気が付き声を小さくする。
「そこで謝るな。余計腹がたつ」
「いや、すまん」
ちなみに、そのミリィにディアッカがふられたのはもう何年も前のことだ。彼女はもはや歯牙にもかけていないだろうが、ディアッカは今だに未練があるというのが仲間内ので共通の見解であった。
再度謝るアスランに憮然としながらも、ディアッカはあの話を聞いた時に自分が思った事を口にした。
「しかし、俺には信じられないけどね。キラ並みにお人よしだぜ、アイツ」
「付き合いがあるのか?」
「こっちにきてすぐに偶然再会したんだよ。時々呑みに行っている」
主に上司に対する愚痴とか愚痴とか愚痴を吐きに。
もっとも、あんな巨乳で美人の上司のどこが不満なのかとディアッカは思うのだが。
「お前……、まさか」
「おいおい、俺まで疑っているのか?」
「いや、そういう訳ではないが」
思わず憮然とするディアッカに、アスランは視線をそらした。
恐らくは一瞬でも同期の友人を疑った自分を悔いているのだろう。
まったく不器用な奴だ。
そう考えたディアッカはとりあえず話題を変える。
「ところで、プラントは大丈夫なのか?」
そんなディアッカに、アスランも有り難いとばかりにその話題に乗る。
「プラントは正直良くは無いな。相変わらずだ」
「相変わらずね。飽きもしないでよくもまぁ」
「まったくだ。仲間内で足を引っ張り合ってどうする気なんだ、連中は」
アスランの愚痴は、プラントを混乱させている各派閥の者たちに向けられていた。
現在、ラクス・クライン体制で磐石の状態に見えるプラント政府ではあったが、その実はラクスという強大なカリスマの上にまとまっているだけである。
立て続けに起こった戦争と政権交代により内部は各派閥による権力闘争の真っ只中であった。
その混乱を収めようにも、各派閥で要職についている者も多く上手く行かないのが現状だ。
ディアッカが単身で駐在武官をやっているのも、あるいはシンが旧派閥狩りに巻き込まれたのも、あるいは“議長の遺産”とよばれる兵器流出もそんな混乱が原因であった。
「そう言うのが好きなんだろう」
「好き嫌いの問題じゃない。こんな混乱の最中に・・・あいつらは今までのことで何を学んだんだ!」
「おいおい、俺に怒るなよ。イザークみたいだぜ」
プラントで派閥争いに興じる同胞・・・いや、年寄りにに、アスランは怒りの言葉を口にする。
激昂するアスランにディアッカはプラントに残る同期の親友の名前を口にする。
「イザークならプラントでが頑張っているよ。なかなか上手く行かないみたいだけどな」
「顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らしているのが、簡単に想像できるな」
「よく判ったな」
ディアッカのいまいち笑えない冗談に、アスランは苦笑で返した。
デトロイド。
かつては工業の町として、あるいはアズラエル財閥の本拠地として栄えたこの都市も今は閑散としている。
元々エープリルクライシスでのエネルギー不足により工業ラインの停止、その後のデュランダル議長の扇動による反ロゴス暴動の際の焼き討ちなどにより工業都市としての機能は2年経った今でも麻痺をしていた。
暴動で暴れた者たちは議長の死後いつの間にか逃げ出し、破壊された工場で働いていた労働者は職を失い他の都市に流れ、労働者目当ての商店も次々に店をたたんだ。
直接的な戦火には晒されていないものの、2回のザフトの“暴力”にもっとも晒された都市の一つが、今のデトロイドであった。
「なんだってこんな事をしているんだ、俺は」
「シンさんは文句が多いですよ。働かざるもの食うべからずです」
デトロイドの一角で買い物袋を抱えたシンが思わずぼやく。もっとも、そんなシンのぼやきは金色のシッポにより一刀両断される。
「只でさえ予定外の荷物なんですから、買出しぐらい付き合ってもらわないと」
「うっ・・・」
その言葉に、さすがのシンも文句を言えない。
今回ジェスの取材に強引に同行したシンだが、戦う事しか知らないシンはお荷物であった。まぁ、自称ジャーナリストの目の前の少女もやっぱりお荷物なのだが、それを言うほどシンも子供でもない。
それにシンはジェスが同行を許可した本当の理由はこの少女の護衛の為だと見当をつけていた。直接そう言われた訳ではないが、今回のように危険地帯に行くのならジェスのことだ同行者の少女に護衛をつけようと考えたのだろう。
あるいは“議長の遺産”は偶然拾ってきたネタをついでに聞いただけで、本当の目的はシンにこの件を依頼する為だったのかもしれない。
「しっかりしているよな、あれで……」
「どうしたんですか?」
「なんでもない」
ただ飯を食っているのだから文句は無いし、確かにほって置くわけにはいかないのだが、まんまと無料で護衛を手に入れたジェスにシンは苦笑をする。
もっとも、それは半分正しく半分間違いであった。ジェスにとってシン自らが同行を申し出るのは予想外であった。戦後に再会して以来、シンはずっと無気力であり生きる屍のような存在であった。
一方、そんな事を想像もしていないジャーナリストの卵は聞いても応えないシンに業を煮やし、思わず思っていた事を口にしてしまう。
「しっかし、あの英雄のシン・アスカがこんなダメ人間だなんて思いませんでした」
「誰が英雄で誰がダメ人間だよ」
「料理が出来ないじゃないですか」
「うっ、レーションを温めるのは上手いぞ」
レイだって褒めてくれたし。
聞き捨てなら無い言葉に反論するシンであったが、あっさりと返り討ちに合う。
「そんなの料理なんて言いません。誰でも出来ます」
「いや、昔一緒にサバイバル訓練を受けた奴はまったく出来なかったぞ」
レイにやらせると、何故か毎回レーションが炭になるのだ。おかげで走破訓練の時は食料が足りなくなって最後の時は地獄であった。
「他にも掃除炊事洗濯全部ダメで、ファッションセンスもダメだし」
「ファッションセンスはどうだっていいだろうが。だいたい、お前だってジェスたちにくっついてきた時は何も出来なかったんだろうがっ! 電子レンジで卵を爆発させただろう!」
「な、何でそれを知っているんですか!? カイトですね、バカイトがちくったんですね。ちくしょー、せんせーの言う通り見張っとくべきでった」
「いや、一昨日ジェスから聞いた。って、せんせーって誰だ?」
「あ、私の料理の先生の事です。私よりちっちゃいんですけどかわいい……」
その時であった。
騒がしい年下の少女との会話に気を取られていたのがいけなかったのか、路地から出てくる人影に気がつかなかった。
ドン!
小柄な人影はシンにぶつかると体勢を崩しよろける。
「危ないっ」
考えるより動くほうが早かった。
シンは咄嗟に買い物袋を落とすのも構わずその人影を片手で支えるべく腕を伸ばす。鍛え抜かれたシンの反射神経と腕力はその小柄な人影を片手で支えるのには十分であった。
しかし……。
むにゅ。
シンの掌に、なんだかつい最近も触った事が有るような柔らかな感触が伝わる。
なんというか、小柄で小さくてもちゃんと柔らかいんだなーなどと、脳みそが現実に対応できず無駄な事を考えてしまう。
というか、狙ったわけではないのに、何だって毎度毎度。
そんなフリーズ中のシンに対して、いち早く現状を理解したその小柄な人影が動いた。
「きゃあああああああああああああああああああ!」
甲高い悲鳴。
「あ、いや、これは・・・」
その悲鳴に現実に戻ったシンが必死になんとか言い訳をしようと考えて言葉にならない言葉を紡ぐ。
しかし、その小柄な人影はそんなシンに対し、問答無用で膝を放った。
混乱していたシンはそれをかわす事も出来ず、モロに男性なら誰でも持ってる“弱点”を直撃した。
「ごっ!」
その、男なら一度は味わった事があり二度と味わいたくは無いだろう衝撃に、シンは一瞬で白目をむく。
そしてゆっくりとくずれ落ちていく、微妙なポーズで。
「せ・・、ちのなすにのちんら・・・」
そして、言葉にならない言葉を口にしながらその意識を手放すのであった。