SCA-Seed_SeedD AfterR◆ライオン 氏_第04話

Last-modified: 2009-06-01 (月) 01:22:55

煩悶が、じりじりと間欠的にシンを襲った。
慢性的かつ永続的に彼をさいなむ苦痛。それが、狂おしいまでに膨れ上がる。

 

それは、世界による彼の存在の強烈な否定。
怒り、憎しみといった負の感情が何度も何度も嵐のごとく叩きつけられた。
我が身を引き裂きたくなるほどの凄まじい狂気と懊悩。

 

――うわぁあああぁぁ!

 

光のない世界。
鮮血にまみれ、自身の顔すらも見えないような暗黒の中心でシンの絶叫が轟く。
シンには過去の記憶がよみがえりつつあった。

 

あの戦争の後にシンはかつての家族の仇と手を取り合った。
だがそのシンを待っていたのは、デュランダルの懐刀としての弾圧と逃れようのない現実だった。
その先にあったのは――地獄。

 

親クライン派の軍人からは目の敵にされ、戦後最大の戦犯の一人として認識されていた傍らで、
自分から大事な物を根こそぎ奪い去った者たちが英雄とまつられ、たたえられている。
理解者であった親友は殺され、守ろうとした少女も殺され、頼るべき仲間はいつしか散りじりとなった。
それから約一年もの間、彼は戦い抜いてきたことを誰にも感謝されることはなかった。
うねり、歪み、渦を巻く怨嗟と憎悪を、ありとあらゆる業苦を受けた。
逃げ場のない暗黒の中で、シンは押しつぶされてしまったのだ。
彼は運命を呪った。
しかし、自ら命を断つような勇気も資格もないとわかったシンの絶望と倦怠はとどまるところを知らず、
彼は次第に心を失い、力だけが残った。
力。
世界の基本原理を変え、理論的にはいかなる欲望も叶えることができる、圧倒的な力。
家族を失い、シンはその力を望んだ。
そしていつしかシンは力を手にするようになった。と同時に、それは目的から手段へと変わっていく。

 

シンは戦争を通してためらうことなく力をふるい――愕然とした。
戦争が終わってからようやくシンは自分の力は決して誇れるようなものではなく、
ただの殺人技術だったという事に気付く。
そして自分はそれを使いこなすのがうまいだけで、家族を奪った死の天使と同じような存在だった。
以前力があることを誇り増長していた自分は、いったいどれだけ滑稽な姿だっただろうか。
力があってこそ、すべてを制する――そう思っていた自分は、
あの自由の天使には手も足も出なかったのに。いったい、力だけで何かできたのか。

 

「俺は……いったい何のために――」

 

そこで急に思考が混濁し始めた。この苦痛から逃れようと、肉体が無意識に死を求めている。
だが不思議なことに恐怖はなかった。ただシンは思う。
もう俺は生きていてはいけない存在なんだ。
何もかも無にのみこまれ、暗黒の世界へと還っていくべきだ――

 

『ちがうよ』

 

シンはふとその声が聞こえた方向へ振り向いた。何か聞こえたような気がする。
すると、急に顔も映らないような暗黒の空間に光が差し込んだ。

 

『死ぬために生きている生命なんてない。
 だって生命は明日を生きるためにあるから。シンは明日を生きているから』

 

シンは顔を持ちあげた。目の前の人影が見える。
この暗黒の中で、まるで自ら発光するように"彼女"はその輪郭をあらわにして。

 

「ステ……ラ?」

 
 

ライオン少女は星を目指す
第四話「シンと光の翼の少女」

 
 

そこには星の光に包まれ、一人の少女がいた。
金の髪を揺らしながらステラは屈託のない笑顔をつくる。
その笑顔を視界にとらえると、シンの頬を伝い涙がとめどなく溢れててくる。

 

『もう泣かないで。ステラは、笑っているシンの方が好き』

 

あの日、確かに自分の腕の中で息絶えた彼女があのときのままそこにいた。
守りたかった者、守り切れなかった者。
何か言葉を発するよりも先にシンはステラを力いっぱい抱きよせていた。

 

『ステラ、シン助けにきたの。シン、ステラを助けてくれた。だから今度は、ステラの番』
「……もう、いいんだよステラ」
『どうして?』
「だって俺には生きる意味も、生きる理由もないから。
 もう俺には何もわからない。
 俺は手に入れた力でステラの命を奪ったような奴らを全員なぎ払ってやれば、
 それで終わりだと思っていた。なのに……」

 

戦争が起きない平和な世界。
家族を失い、そのたった一つの価値観だけを頼りに生きてきた少年が味わったのは、
足元が砕けるような衝撃だった。
歪んでいたのは自分だった。なのに誰もそのことを教えてくれなかった――
――いや、誰も教えられなかった。
誰よりも武勲をあげ、その功績を一番認めていたギルバート・デュランダル前議長からも、
まるで戦闘用の兵器の一部のように利用されていたザフト軍最強のスーパーエースに、
いったい誰が説教など垂れることができたのだろうか?
自身の血塗られた掌を見ながらシンはつぶやく。

 

「さっきもそうだ。アスハを思いっきり殴り飛ばした時、俺は空っぽになった。
 やっと復讐できたっていうのに何にも考えられなくなって、
 ただ『こんなものなのか』って。
 ただわかったのは、俺は俺をこんな目に合わせた奴らと同じ存在だっていうことだけだ」
そう言っている間にも、何かどす黒い物がシンの中から湧き上がってくる。

 

『ちがうよ』
シンはその言葉に少したじろいだ。小刻みに震えながら首を振る。
「何が違うっていうんだ。俺は君を守れなかったのに……」
『シンはステラに"昨日"と"明日"を教えてくれた。"幸せ"も"好き"もシンに出会って初めて知った。
 世界はこんなにもあったかくて優しいんだって』
「そんな、俺は……」
『それに力は使いようだって、あの人も言ってた。シンはまちがっていたかもしれない。
 だけど、生きているなら“ごめんなさい”でもう一度やり直せばいいの』
「じゃあ、もう一度どうすればいい?」
『守ればいいと思うよ』
「……守る?」
『そう。シンはステラたちの悲しみを知っているから、シンは本当にステラのためだけに泣いてくれた。
 シンは誰かを守れなかったかもしれない。けど、これからシンにしか守れない人たちはたくさんいるの。
 本当にシンはそれでいいの? シンにはまだ、シンのために涙を流してくれる人もいるのに?』
「……!」

 

雷に打たれたような気分だった。
俺の力は、ただ人を殺すしかない力だと思っていた。
だが、違う。俺の力は、ただの人を殺す力なんかじゃない。
人を守ることができる力にもなり得るんだと、
それを捨てて逃げることはどれだけ卑怯なことなんだろうと思えた。
そして、そんなことにも気付かない俺は、どれだけバカだったんだろうと。
俺が目指したもの。俺が、求めていたものは――。

 

「ステラ、俺は……もう俺やステラたちのような子供が生まれないようにしたい。
 誰かの身勝手で罪もない人たちが苦しむのを放ってはおけないんだ」
『……うん』
「俺に出来るかな?」
『だいじょうぶ。シンならきっとできるよ。シンはあたたかくて、とっても優しいから』
「そっか……。ありがとう、ステラ」
何かに思いふけるようにシンは目を閉じた。

 

「俺は戦う。力がない人の力になるために。そして、生まれてくる次の命のために」

 

再び開かれたシンの紅の瞳は溢れんばかりの意志の光をたたえていた。
とり憑いていたどす黒い物が体から離れていくのを感じる。
視界が急にクリアになって、体全体が浮き上がりそうなほどに軽くなった。
『シン』
その姿に安堵したのか、ステラは淡く笑みを浮かべる。
そのとき、ステラの体がひときわ大きく輝いた。
あたたかい光が暗闇に浸透していき、シンをも包み込む。
「ステラ……!?」
目を開けたシンの視界にステラの姿はなかった。しかし、その声だけははっきりと頭の中に響いてくる。

 

『人はいつか死んでいく。でも、生きたいって気持ちに世界はきっと答えてくれる。
 だからステラはシンが限られた命の中でやり残しのないように、精一杯生きてほしいの。
 ステラができるのは、シンを後ろから押してあげることだけ。
 これからどうするかはシンが選んでいくの』

 

そこには、生前のままの家族がいた。遠くの方で父さんと母さんそしてマユが、笑って手を振っている。
そこに駆けよれば、また家族と一緒にいられるかもしれない。けれど――
「ゴメンな……父さん、母さん、マユ」
今すぐにでも駆けだしたい気持ちを押さえこみ、シンは手を振る家族に背を向け呟く。
「俺は、まだそこには行けない」
込み上げてくる物を飲み下して、シンは立ちあがる。
まだここにいて家族の姿を見ていたいと思う気持ちもあった。
だが、いつまでもそんな情けない姿は見せたくなかった。
もうあの頃の弱い自分ではないという態度だけでも示して見せたかった。

 

『がんばってね、お兄ちゃん』

 

背後から聞こえた言葉に、少しだけ振り返る。
けれどそこにもう家族はいなかった。最初から何もいなかったかのように。
「マユ……寂しいかもしれないけど、僕もいつかそっちに行くから。もうちょっとだけ待ってて」
シンは涙が溢れそうになるのを必死にこらえ、笑って別れを告げた。いつかまた会えるように。

 

『人は未来に生きなくてはならない。だけど、人は命の生きた証も抱え込まないといけない』

 

ステラとは別の声が聞こえてきた。
シンは思わず声がするほうへ駆けだす。理由は自分にもわからない。
ただ何となく惹かれたとしか言いようがない。
声がするほうに走り続けていると、光溢れる扉の前にたどり着いた。
眩しいため視界がほとんど効かない。
シンはためらうことなく扉をくぐりぬける。

 

シンは閉じていた目を開け、ぼんやりとあたりを見回した。
その先にあったのは、シンが自身の業に苦しめられてきた暗闇の世界ではない。
狂気と懊悩は消え失せ、豊穣なまでに生命が溢れる大地が広がっている。
その中心に、人影が見える。

 

そこにいたのは艶のある白い肌に輝く光の翼を持った幼い金髪の少女だった。
「キミは……? キミが俺を……?」

 

――ステラ……じゃない?

 

それを見てシンは無意識に手を伸ばすが、
幼い少女は背中の翼をはためかせ、楽しげに遠ざかっていく。

 

『これだけは忘れないで。人は死んでも、世界から消えてなくなってしまうわけじゃない。
 あなたが死んだ人のことを覚えていてくれる限り、寂しくなんかないの』

 

すると少女は急に振り返り、笑顔でシンに向き直る。

 

少女はシンと同じような、ルビーの如く輝く紅の瞳をしていた。

 

『"さよなら"は言わない。――いつかまた、生まれた時のために』

 

==================

 
 
 

「大丈夫か、シン」

 

目を覚ましたシンが最初に見たものは、口元に安堵の表情を浮かべる仮面の男だった。
シンが不思議そうにあたりを見回す傍らで、彼は深いため息をつく。
「なぁ、アンタ。ここはいったいどこなんだ? そもそもなんで俺はここにいるんだ?」
シンが発した声はかすれていた。うまく声が出ない。
いや、それどころか全身が鉛のように重く、身動きすらままならない。
どうにか目線だけ動かして周囲を見渡す限りでは、ここはどこかの病室だとわかった。
「あまり動かない方がいい。ここにかつぎ込まれた時のおまえは過度の肉体疲労、
 栄養失調、ストレス性の脳波の乱れなど引き起こしていたからな」
言われてみて、自分の腕に何やらまとわりついているのもがあるとみてみれば、点滴が打ってあった。
「意識を取り戻したなら医者を呼んでくる。少し待っていろ」
氷のように冷たい口調でそれだけ言うと、仮面の男は立ち上がった。その姿にシンは何かに気付く。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
出て行こうとする男の背に、シンの慌てたような声がかかる。
すると、ドアノブに手をかけた男の動きがピタリと止まった。
「人違いなら悪けど、お前……レイだろ? そういえばさっき俺のこと"シン"って言ったよな!?」
「……もし、そうだったら?」
「否定はしないんだな」
「!…………そうだ」
仮面をつけている男の表情は読めなかったが、なにやら観念したのかようやくシンに向き直った。
そして着けていた仮面が外されると、そこには異常な老化現象が起こり、
目をそむけたくなるような姿になった親友の姿があった。
だが、この蒼穹を切り取ってきたかのような青い瞳は忘れようがない。

 

「レイ……!」

 

急いで上半身を起こすも、名前を呼ぶ声が途中で詰まった。
喉の奥が発火したように熱くなる。
だがこの全身を襲う猛烈な痛みが今を現実だということを再認識させてくれていたのだった。
しかしそれとは対照的に、レイ自身は顔を伏せ探るような目でシンを窺い見ている。
「レイ、生きて……いたんだな」
「ああ」
レイは少し迷いながらも自分の態度が親友との再会とは似つかわしくないと悟ったのか、
いつもの態度に切り替えた。
それでも、まだぎこちない感じがする。
「どうして連絡をくれなかったんだ? せめて生きてるって言うだけでも」
完全に目が覚めたシンがそう言うと、レイは覚悟を決めたように経緯を離してくれた。

 
 

デュランダル議長とタリア艦長から自分の生きる道を見つけろと言われ、
ハンガーにあった機体で脱出したこと。
それから赤毛のジャンク屋の男に救出され、
その男のツテでアメノミハシラに傭兵として雇ってもらえたこと。
ミハシラでの仕事と訓練、また自身が服用するための薬の精製に忙しく、
とても連絡が取れる様な状態でなかったこと。
そう言い終えると、レイはこう締めくくった。
「お前は、俺を恨んでいるか?」
「恨む? レイを?」
「俺は、お前を騙していたんだ」
レイはうつむきながら、自分の罪について話し始めた。

 

レイは本当はデュランダル議長に言われて、遺伝子上優れていたシンをアカデミー入学当初から
友人のつもりで監視していたこと。
そしてシンが才能を開花させるとその力を最大限に発揮させるよう周囲の環境から切り離し、
過去への自責の念を刷り込むなどの洗脳に近いことを行っていたこと。
そして、結果的に議長を裏切り、シンをも裏切った結果になってしまったことなど。
「……俺は、さきほども格納庫にいた。
 お前が狂気をさらけ出していた姿を見ても、俺は止めることができずに傍観するしかなかった。
 俺はお前がただ戦争に巻き込まれた人物だということだけを認識していた。
 だが、俺はお前があそこまで追い詰められているということをわかっていなかった。
 それなのに俺はお前の古傷をえぐるような事ばかりしていた……。
 あまつさえそれを利用し戦場に駆り立てた。とても許されるものではない」

 

「それで、俺がレイを責めるとでも思っていたのか?」
シンの言葉にレイはうなずいた。それを見てシンは短くため息をつく。
「たしかにお前は俺の知らないところで監視していたり、洗脳していたかもしれない。
 だけどお前がアカデミーの授業のノートを貸してくれたこととか、
 どんな時も訓練に付き合ってくれたり、ステラを送り出した時とか
 フリーダムを討とうとした時にも 助言してくれたお前の行動は、全部議長の命令だったのか?
 そうじゃないだろ?」
レイはうつむきながらもしっかりと聞いていた。シンが何を言うかと怯えているようにも見える。

 

「たとえお前がどんな事をしようと、俺はお前のことを親友だと思ってる。
 親友だから、お互いに気まずいことがあれば一緒にわかりあうまで話し合えばいいんだ。
 さっきお前、変に気を使って俺の前に二度と姿を見せないようにしようとか考えてただろ。
 もしそんなことしたら俺は絶対に許さないからな。それは自分の罪から逃げてるだけだ」
「……わかるのか」
「あたりまえだろ? 友達なんだから」
レイはシンが拒絶の言葉でも吐くものと思っていたのだろう。
それを覚悟して身構えていることくらい、すぐにわかった。
「もしかしてレイは俺のこと手下とか子分だとか何かだと思っていたのか?」
「違う。お前は……友達、いや親友だ」
「だったらそれでいいんだ、レイ。生きていてくれてありがとう。そして、これからもよろしくな」
そういってシンは右の拳でレイの胸を軽く叩く。
ようやくレイが笑ってくれて、シンは安堵する。

 

「それにしてもずいぶんうなされていた。
 苦しそうな顔であの連合の強化人間の少女の名前をしきりに呼んでいた。
 苦しそうな顔から急に笑顔になった時はこの俺を差し置いてポックリ逝ってしまったかと思ったぞ?」
夢の中での出来事を思い出して、シンはハッとした。

 

ステラと別れた後に会ったあの幼い少女。
あの場所にいた紅の瞳を持つ幼い金髪の少女は、いったい誰だったのだろうか――と。