SRW-SEED_ビアンSEED氏_第24話

Last-modified: 2013-12-26 (木) 21:01:33

第二十四話 ラクス・クライン

 ヒルダやニコルのゲイツ、そしてウォーダン・ユミルという男の駆る超絶の戦闘能力を誇るスレードゲルミルによって瞬く間にヤキン・ドゥーエの防空部隊を無力化し、ナスカ級シュリュズベリイを伴って、エターナルはキラのフリーダムに案内される形でL4コロニー群の中にあるメンデルを目指した。
 巧妙に航路をカモフラージュした後、メンデルに姿を見せたナスカ級とエターナルに、港湾施設で待機していたオーブ艦隊は即座に警戒態勢を敷いたが、フリーダムの姿とキラからの連絡に困惑しつつ向かいいれた。
 今は使われていない無人コロニーに係留するアークエンジェルとクサナギとスサノオを中心に、周囲のデブリやコロニー内部に他の艦を隠している。周囲に敷設した機雷や無人攻撃衛星も、極力目立たぬようにされている。
エターナルは三隻に並んで入港し、シュリュズベリイからスレードゲルミルもエターナルの傍らに移動する。
 港施設に四隻の主だったクルーが降り立ち、直接顔を突き合わせた。特にマリューを始めとしたAAのクルー達とバルトフェルドはかつて生死を掛けて渡り合った敵同士であり今こうして、国家の枠を超えて集った事に深い感慨を覚えていた。
 特に、バルトフェルドの姿に驚いていたキラとの間では……。
 フリーダムから降り立ったキラはバルトフェルドの傷だらけのその姿に呆然と立ち尽くしていた。
 なぜなら、その傷は、キラが負わせたものに違いなかったから。
 バルトフェルドは壮絶な傷跡が走る顔に、あくまで人懐っこい笑みを浮かべたままで声を掛けた。

「いよう、また会ったな、少年。少し逞しくなったかな? 成長期というやつかね」
「バルトフェルドさん……。僕は、貴方に、どうやって」

 今にも泣きだしそうなキラの様子に、周囲の大人たちも息を飲んで見守っていた。
 キラの視線は、バルトフェルドの失われた腕や左目に走る傷跡を彷徨い、沈痛な顔で俯く。
 バルトフェルドの背後のダコスタも複雑な表情を浮かべた。AAだけでなく当時のストライクのパイロットであるキラによって何人の部下を奪われた事だろう。
 バルトフェルドは浮かべていた陽気な調子を崩して、代わりに鞘から抜かれた刃の様に鋭いものを浮かべる。
 それはキラの心を見透かした言葉に繋がった。

「償いたいと思うのかね?」

 キラは泣きそうな顔のまま頷き、それでも真正面からバルトフェルドの隻眼を見つめる。
 それは自分のしてきた事、これから行う行為から逃げはしないという決意が見て取れた。

「ええ……貴方には、僕を撃つ理由がある」
「やれやれ、そういうのは止めた筈じゃなかったのかね?」

 バルトフェルドは小さく鼻で笑ってから、柔らかい声でキラに話しかける。

「撃っては撃たれ、撃たれては撃ち返し――それでは何も終わらない。敵であるものをすべて滅ぼすまで……。それに気付いたから今君はここに居るんだろう?」

 バルトフェルドの言葉に、今ここに居る事の意味と理由を改めて思い出したキラは、優しく自分の肩を叩くバルトフェルドをもう一度見つめ直す。砂漠の虎と謳われた名将は、罪人を許す笑みを浮かべていた。

「終わりにしような――すべての憎悪を」
「バルトフェルドさん……」
「まあ、それに? 僕の一番大切なものも無事だったしな」
「え?」

 キラが思わぬ言葉に、涙に濡れた瞳をきょとんとさせていると、エターナルからひょっこりと一人の女性が姿を見せた。
 どことなくエキゾチックな雰囲気のする、黒髪の両脇に金のメッシュを入れた妙齢の美女だった。

「アンディ? あら、君。久しぶりね、少し、背伸びた?」

 バルトフェルドをアンディと愛称で呼び、その傍らに立って自分を見つめる女性を、キラはバルトフェルドを見た時と同じ目で見た。
 アイシャという名のバルトフェルドの恋人であり、砂漠での戦いの時砲撃手としてバルトフェルドの駆るラゴウに乗り、キラと闘った人であった。あの戦いでキラが手に掛けた筈の女性。

「アイシャ……さん?」
「覚えていてくれたのね、うれしいワ。あの時は敵だったけど、ここに集まっているんだから、今度は仲間としてよろしくネ?」
「はい」

 泣き崩れた顔に、確かに笑みを浮かべて、キラは差し出されたアイシャの手をそっと握った。
 各艦の大人達が集まり、互いの情報を交換し合う様子を、エターナルの傍らに寄せたスレードゲルミルのコクピットで、ウォーダンは黙して見つめていた。中には、というか誰もがこのスレードゲルミルを一度は見上げている。
 無理もないか、とはウォーダンも思う。MSの二倍半以上ある巨大かつ異様なデザインの機体だ。装備も機体のコンセプトも現存するいかなる機動兵器とは一線を画す。強いて言えば、DCに保有する大型機動兵器に近いが、それとても比較しての話だ。
 スレードゲルミルを見上げる人々には完全に未知の代物だろう。
 だがそれとは別に、地球連合、オーブ、プラント……国の枠を超え三国の勢力がこうして同じ場所に立ち、共通の目的の元に何かに導かれるように集う光景は確かに、胸に迫るモノがあるだろう。その事は素直に評価できる。
 だが、希望の火に心躍らせる眼下の人々を見てウォーダンは思う。未来を憂いて軍を離れ独自に行動を行うにしても、それに武力を用いる限り彼らの行いは自己の意を通す為の暴力であり、テロルとそれほどに違いはないのだろうと。
 ラクスの行為によって発言力を失ったプラントの穏健派が勢力を盛り返す事は、少なくとも今の戦争が終わるまであるまい。
 その事はこの戦争の終結を確実に遠ざけた――少なくとも和平への選択肢を狭めてしまった。
 DCの様に軍事政権の樹立を目指すのではなく、ここに集う人々は憎しみで始まった戦いを終わらせるためにここに集っている。
 だが政治力が極端に乏しい彼らにどこまで出来るのか。それを思うウォーダンの心は二つの思考に別れる。
 何もできないとも、それでも出来る事はあるとも。
 ふと自分を呼ぶ声に気付き、ウォーダンはモニターを操作して声の主を映した。ラクス・クライン。彼の主だ。
 どこまでも優しく柔らかな微笑みの下に、屈強な意志と清廉な志を秘めた少女。
 傷ついたスレードゲルミルと共に無限に広がる宇宙を漂流していたウォーダンを救ってくれた命の恩人だ。
 ウォーダンは自身がナチュラルでもコーディネイターでもない事――人間ですらない事は知っている。
 自分の乗る愛機が現状の地球の技術では決して造り得ない、存在する筈の無い存在である事も。
 記憶を失い、己れの名前とスレードゲルミルの事など極一部しか覚えていない自分が初めて目にした世界が、ラクス・クラインだった。 柔らかなベッドに寝かしつけられていた自分を覗き込むラクスの、星の輝いているような瞳を今でも鮮明に思い出せる。
 スレードゲルミルに使われている特殊な装甲材“マシンセル”は、ウォーダンの肉体にも作用し、通常の人間とは異なる彼の肉体を癒し、プラントの高度な医療技術とも合わさり、通常の人間ならば何度も死んでいるような傷も順調に癒えて行った。
 もっともそれで力を使い果たしのか、マシンセルは沈黙し、スレードゲルミルに刻まれた凄惨な戦いの傷跡は完全には消えずそのままになっている。
 その後、ラクス本人や父シーゲルとの問答を重ね、自分が今いる世界の状況を知ったウォーダンの胸に去来したのは激しい憤りであり、力無き人々が死んでゆく世界の否定であった。
 ユニウスセブンを核で焼いたブルーコスモスと報復にNJを投下したザフトの行為は、ウォーダンにとっては許し難い愚行に思えた。血で血を洗う骨肉の争いへの義憤を露にするウォーダンを、シーゲルとラクスは静かに見守った。

 彼ら自身、それを行い防げなかった自分の無力を嘆き、正しい怒りをあらわにするウォーダンへの信頼を芽生えさせていたのかもしれない。
 やがて、傷の癒えたウォーダンは、シーゲルの手配で、クライン派でも極一部しか知らない秘匿施設に隠されたスレードゲルミルを前に考えるようになった。
 この世界で自分が出来る事、すべき事、望む事を。どこか、その心の動きが自分自身のものではなく、誰かからの借り物の様な不安を心の片隅に抱えながら。
 自分自身が誰かさえも解らない自分が何を持って善悪を判断するのかと、どこかで笑っているのが、ウォーダンには分かる。そんなウォーダンに、シーゲルは疲れた様な穏やかな顔で焦らなくていいと語り、ラクスもまたその微笑みで迎えた。
 彼らの心遣いに感謝しながら、ウォーダンは時折脳裏に走るノイズにも悩まされていた。
 DC……アースクレイドル……シャドウミラー……ゼンガー……、そしてメイ――。
 そこまでは思い出せる。だが、その先は常に頭に走る痛みが思い出す事を許さない。
 それが、自分にとって唯一無二の価値ある存在であるという事は分るのに。なのに思い出せない。
 “それ”を自分は守らなければならない。自分が存在する大きな理由であり、“自分”にとって絶対の誓い。
 この身に変えても果たさねばならぬ決意。だが、なぜだろう。それが思い出せない。なによりもそれがウォーダンの胸を焦がす。
 自分がなにをすべきか、何を忘れたのか、ひたすらに懊悩するウォーダンを慰めたのは、何時でもラクスの歌であり、静かで優しい声だった。例え歌声が遺伝子操作で調整されたものであっても、歌に、そしてラクスに罪はない。
 揺り籠に眠る幼子の様に安らかな気持ちでラクスの歌を聴きながら、ウォーダンは思った。自分が本来守らなければならないモノを思い出せなくても、“守る”という事は覚えている。ならば、今、記憶さえも失った自分が守りたいと思うものを守ろうと。
 守るという事を続けていれば、いつかきっと、自分が失った本当に守るべきものに巡り合えると、愚直なまでに信じて。
 だからウォーダンは守る。ラクスが唄う平和への歌を。その心が、常に穏やかな未来を目指せるように、立ちはだかる敵は剣たる己が断つ。強迫観念にも似て、ウォーダンはある日そう決意したのだ。
 まあ、ラクスの行動がいささか極端すぎ、なおかつ想像の斜め上を行くのはウォーダンも否定はしない。
 もし、ラクスが自身でその道を誤った時は、他の誰でもないこの自分が、ウォーダン・ユミルがラクスを斬る――その決意もまた固く胸に抱いていた。それは、ラクスも知っているだろう。

 ラクスに呼ばれ、スレードゲルミルのコクピットから降り立ったウォーダンに、自然と皆の注目が集まる。
 それも当然だろう。目下彼らにとって最大の戦闘能力を有する機動兵器のパイロットであり、ラクスが引連れてきたザフトの兵達にとってさえ未知の人物なのだ。
 ラクスの傍らで足を止め、バルトフェルドとアイシャに挟まれたキラ、生きていたニコルと肩を組んで喜びを表しているディアッカに、肩を並べているアスランも、ウォーダンに目を向けていた。
 ラクスは、どこか自分の兄を自慢する妹の様に、視線を集める全員にウォーダンを紹介した。

「彼がウォーダン・ユミル。あのスレードゲルミルのパイロットです。皆さんよしなに」
「ウォーダン・ユミルだ。以後よろしく頼む」

 低く錆びた男臭い声だった。鞘におさめられた刀の様な、そこにあるだけで緊張を強いる。
 同時に、それを聞く者に安堵を抱かせる声でもあった。この男は裏切らない――そんな気持ちになるのだ。
 逞しい体駆、落ち着いた佇まい、年の頃は三十手前位か。紫色の髪の、沈黙の中に秘めたる激情を滾らせていそうだ。
 身に着けているのは深海の青に染めたコートと優美に沿った刀身を鞘に収めた一振りの日本刀。

「ムウ・ラ・フラガだ。よろしく、ウォーダン」
「アークエンジェル艦長マリュー・ラミアスです」
「スサノオ艦長のダイテツ・ミナセだ」

 それぞれと挨拶を交わし、ウォーダンは首を縦に振り、短く答えて応じる。あまり口数の多いタイプではないようだ。
 外見通りの性格らしい。機動兵器乗りとして気になるのか、いの一番にムウがスレードゲルミルを見上げて、口を開いた。

「しっかしフリーダムといい、あの凄い色の戦艦といい、このデカブツもだけどさ。良くも持って来れたよな? たぶん誰も思っているんだろうけどさ、あのスレードゲルミルってのはなんだい?」

 技術畑出身のマリューも気になるらしく、無言で頷き、ウォーダンに熱意を込めて視線を向けている。
 そんな彼らに答えたのは、ウォーダンでもラクスでもなく、エターネルから姿を見せた一人の男だった。

 青髪を総髪にして後頭部でまとめた男だ。削いだようにこけた頬に、野心を鋭い光にして湛えた瞳、どこかに常に嘲りを浮かべている様な口元といい、決して好人物とは見えない風体である。

「あれは特機――俗にスーパーロボットというカテゴリーに分類される新機軸の機動兵器だ」
「あんたは?」
「イーグレット・フェフ。スレードゲルミルはおれがメンテナンスしている。どうせ後で説明するのも面倒だ。あの機体についておれの方から説明してやる。構わんな? ラクス、ウォーダン」
「ええ、お願いします。フェフ博士」

 どこか尊大なイーグレットの物言いに反発する様子もなく、ラクスは頷き、ウォーダンも特に異は唱えない。
 イーグレットは、それを確認してからできの悪い生徒に言い聞かせるように話し始める。

「スーパーロボットとはザフトが同盟を組んだDCから流れた技術を元に造り上げた、MSとは異なる機動兵器。MSでは打破できない戦局を圧倒的な攻撃力と装甲で打ち破る、極限まで戦闘能力を追求した兵器だ」
「ちょっと待ってくれ! ザフトがDCと同盟を組んだって、いつから?」
「DCが結成する以前からだ。基本フレームや装備はあちらからの供出品だが、それくらいの期間が無ければ、ザフト製のアレンジは加えられん」

 ザフトとDCが手を組んだというくだりには、ムウだけでなくその場にいる者にとっても貴重な情報だった。
 すでにマドラス基地での戦闘の情報は入ってきているが、つい先ほどまでザフトの正規軍だったものから語られれば、その信憑性は高いものだ。
 ただし、イーグレットの言葉には嘘が混じっている。DC結成以前からザフトと協力体制にあったこと、スレードゲルミルがDCの技術を主軸にザフトによって開発されたものである、という二点だ。
 これは有り得ざる兵器であるスレードゲルミルについて、イーグレットが説明する為に事前にラクス達と打ち合わせたブラフに過ぎない。スレードゲルミルの機体にDCの技術が全く使われていないというわけではないが。

「このスレードゲルミルにはマシンセルという、特殊な金属細胞が試験的に使用されている。動力にはプラズマ・リアクターを使っている。重力制御技術の応用で造り上げた核融合ジェネレーター……。
これまでは磁場で閉じ込めていた核炉心の高温プラズマを重力場で閉じ込める事で、より高効率の発電を可能としたものだ」
「か、核融合って、そんな!? それじゃあ、核分裂炉で動いているジャスティスやフリーダムよりも……」
「ふん、出力なら比べ物にならん。そうでなければこいつの真価は発揮されんからな。DCの技術はプラント・地球連合どちらも大きく上回っている部分が多いのだ」

 技術者としてGの開発にも携わっていたマリューだけでなく、スレードゲルミルの動力を知った者達は誰もが驚愕を共有する。
 NJCを搭載したフリーダムやジャスティスでさえも今回の戦争の趨勢を握る兵器だったが、まさか核融合技術とは。

「技術的な解析は出来ていないのでな。ザフトで量産される事はない。安心する事だな。最もDCの連中は話が別だが」
「……」

 イーグレットの嘲笑を交えた言葉に、誰もが沈黙する。この男の人格への反発もあったが、それ以上にDCの保有する技術が、いかに技術大国オーブを母体とするものであったとしても、あまりにかけ離れている事を実感したからでもあった。

「ラミアス艦長、ダイテツ艦長、申し訳ありませんがエターナルのクルーは皆、疲労しています。休ませて差し上げたいのですが、よろしいでしょうか?」
「……うむ。これは気が利かず申し訳ない。では、一時間後AAでもう一度集まるとしよう。わしの方からもカガリ代表に連絡を入れておく」
「ありがとうございます。ウォーダン、貴方も御苦労さまでした。今は体をお休めになってください」
「分かった」
「おれは少しスレードゲルミルの調子を見させてもらう」

 そう言いきって離れたイーグレットは、思わぬ人物と機体に驚きを胸の中で殺していた。

(まさか、ハガネのダイテツ・ミナセも来ているとはな。だが、ウォーダンに対するあの反応、ウォーダン同様記憶が無いか、あるいはこちらの世界のダイテツ・ミナセか。ならば問題はない……。だが、アレはまずいか)

 ちら、と資材を手に持って運んでいるMSとは異なる機動兵器を見やる。ラピエサージュだ。エターナルの接近に、一度はO.O.ランチャーを構えて警戒態勢にあったが、今ではエターナルやシュリュズベリイが搭載していた物資の再集計と分配の為に作業に従事している。
 こう言う時にも人型のMSなどは役に立つ。

(ラピエサージュ。という事はアギラ・セトメのおもちゃもいるか……。折角ウォーダンの記憶が戻らぬよう弄っているのだ。面倒な事にならねばいいが)

 イーグレットの視界の先では、ちょうどそのアギラ・セトメのおもちゃと評した、オウカ・ナギサと、ゲシュペンストMk-Ⅱ・Sから降りた半機半人の男カーウァイ・ラウがウォーダンの元へと歩み寄っていた。
 自分の前に立つ少女とサイボーグに、ウォーダンも足を止める。オウカはどこか不安そうに。カーウァイは機械の面に人の感情をわずかに滲ませる。

「あの、どこかでお会いしたことがありませんか?」

 愁眉な眉を寄せて、オウカは美貌に不安の影を落として聞いた。ウォーダンとスレードゲルミルを見た瞬間に、脳裏にフラッシュバックする光景があったのだ。だが、はっと気付いた時にはもう何を思い出したのか忘れてしまった。
 だから、今こうしてその男を前にしている。ウォーダンは、しばしオウカの揺れる瞳と見つめあっていたが、小さく済まなそうに首を振った。

「いや、すまんが記憶にない。それ以前におれ自身、昔の事は覚えていないのだ」
「そう……ですか。貴方を見た時に、何か思い出したような気がしたのですが」

 基本的に年齢を問わず女性に優しい欧州紳士たるウォーダンは、心から済まなそうにオウカに謝罪する。
 彼にしても、自分を知っている者と出会う事が出来るのは、過去を、何よりも本当に彼が守らなければならないモノを見つける為にも重要な事だった。
 オウカは気にしないでくださいと言ったが、落胆の色は隠せない。
 二人の様子を見ていたカーウァイが、タイミングを見計らって口を開いた。

「お前……はゼン」
「ゼンガーか!?」
「……」

 思いっきり間に割って入られたカーウァイは、そのまま口を閉ざした。
 割って入った主は気にせず、そのままゼンガーと呼んだウォーダンに詰め寄る。
 その声の正体は、純白の美しい衣装に身を包んだククルだった。白皙の美貌には驚きの仮面が貼り付けてある。
 ウォーダンは血相を変えているククルを、片眉を挙げた困惑の表情で見つめていた。

「ぐっ!?」

 脳裏に走る痛み。ゼンガーという言葉は、ウォーダンにとっても数少ない記憶の一つとして覚えている。
 だが、その言葉を聞いた時に沸き起こった感情は強烈な反発と否定、そして相反する肯定の感情。認める――という言葉が近いか。
 頭を押さえるウォーダンに、ククルは訝しげな声を掛ける。カーウァイも、その反応を見守っていた。

「ゼンガー?」
「違う……おれは、ゼンガー、では、ない。おれ……は、ウォーダン、ウォーダン・ユミルだ。断じて、ゼンガー・ゾンボルトではない!」
「何を言っている! お前のその顔、忘れるものか、貴様は」
「待て……。君と……ゼンガーの関係は知らん、が。この世界の……ゼンガー、かもしれんぞ」
「! なに?」
「ラウ大佐?」

 カーウァイの言葉に、ククルはこの男も異界からの来訪者であると悟り、オウカは理解が及ばずに疑問符を挙げる。
 ウォーダンとカーウァイの視線が絡み合う。ウォーダンは怪訝な光を浮かべ、カーウァイはなんでもないと言葉を濁した。
 その時、ラクスがウォーダンを呼び、オウカ達に断りを入れてからそちらへ行く。
 ククルはまだ何か言いたそうだったが、カーウァイに止められ、親の仇を見るような目でサイボーグの男を見る。
 オウカは、そんな友人の反応に戸惑っているようだった。

「君らも……別の世界の……人間か」
「オウカは記憶を失くしているがな。貴様、ゼンガーの事を知っているのか?」
「私……の部下だった。確かにあの顔と声は……ゼンガーのものだ。だが……この世界のゼンガーという、可能性も……ある。その実例も……あるから、な」
「だが、記憶を失っていては奴が私の知るゼンガーかどうかも分からないという事か……。同時に私の知るゼンガーかも知れんという事だろう?」
「そうなる……な。だが……今は様子を見る方がいいだろう。取りあえず……お互いの情報を交換した方が……良さそうだ」
「良いだろう。オウカ、お前は作業に戻っていろ。私はこの男と少し話す事が出来た」
「え、ええ」

 オウカを取り残して、ククルはカーウァイの乗るゲシュペンストに記録されていたデータを見る為と話を聞く為に、その場をカーウァイと共に離れた。
 ウォーダン達の様子を見守っていたイーグレットは、ウォーダンに大きな変化が無かった事に、その唇を吊り上げて満足に笑みを浮かべ、スレードゲルミルから離れてエターナルに戻る。
 格納庫の奥まった場所に、イーグレットがラクスにも詳細を知らせずに積み込んだコンテナがある。
 扉にパスワードを打ち込み、その内部に入る。闇に閉ざされるその中にあるディスプレイに触れて立ち上げた。
 これを利用する事で、初期段階にウォーダンの記憶を操作できた。
 あのウォーダンがイーグレットと同じ世界からの来訪者である事は分っている。
 そして、イーグレットの目的の為には、ウォーダンから記憶を奪っておいた方が何かと都合が良い。
 もっとも、オウカ・ナギサは予想外のイレギュラーだったが。

「イレギュラーか、どのような世界であれ付き物らしい。もっともこの世界にとってはおれもウォーダンもビアン・ゾルダークも余計なものだろうがな。ふ、ふふふ。並行世界か。面白いものだ。 死んだ筈のおれがこうして息をし、お前と巡り合うことにもなった。なあ、メイガス?」

 コンテナの中で更に厳重に封じられていたボックスが開き、高さ三メートルほどの金属の薔薇の様に見える物体が姿を見せる。
 それがイーグレットのいう『メイガス』なのだろう。メイガスは、イーグレットの言葉に答えるように蠢動した。
 メイガスを見つめるイーグレットの眼には飽かぬ探究心と学問的な知を求める者が辿り着く狂気が混在していた。

 マリュー達とモニター越しにカガリを加えた話合いを終え、一人エターナルの個室に戻り、ラクスはそっとベッドに腰掛けて溜息を漏らした。
 淡い桜色に染まる瑞々しい唇から零れ落ちた溜息が、そのまま輝く霧に変わりそうな美しさであり、そう錯覚させる不可思議な神秘さをまとう姿だった。
 ラクスはこれまでの事を思い返す。オペレーション・スピットブレイクの発動に伴い、キラにフリーダムを渡し、それが発覚したことで父と自分は国家反逆者として手配され、結果クライン派をその影響力を失い他の穏健派の議員こそ拘束されてはいないがもはや、ザフトはパトリック・ザラの意のままに動くだろう。
 だが、ラクスは知っている。ナチュラルのへの憎悪に突き動かされながら、パトリク・ザラはいまだ、プラントとそこに住むコーディネイターを第一に考えている事、コーディネイター社会を維持するのにはナチュラルと地球がまだ欠かせぬ事を誰よりも理解していることも。

「ザラ議長がナチュラルを敵と見ることは変えられなくとも、滅ぼすような事はない……。そして穏健派が力を失ったことで、ザフトの軍内は一枚岩、とまでは行かなくとも統制がより取れるでしょう」
 
 物量でザフトを圧倒するであろう連合相手に、穏健派と好戦派に分かれた現状のザフトでは勝利は危うい。
 だが、クライン派が失脚しザラ派の意が通りやすくなれば、連合を迎え撃つ手筈も整えやすいだろう。
 パトリックがクライン派に属する有能な隊長クラスや兵士を左遷し、無為にするような事をしないのもラクスの予想の範囲内だ。
 おそらく今頃は、クライン派の大部分を掌握した自分がエターナルを強奪した事を警戒したパトリックが、拘禁していた父を一時的にでも罪状を不問にして、ザフトに残るクライン派を押さえに掛かっている頃合だろう。
 なにしろフリーダムやエターネルの強奪は完全にラクスの一存によるものであり、シーゲルは一切関与していないのだから。
 自分に心酔する。所謂ラクス派の兵の殆どは今回の騒動で連れてきている。
 プラントに残ったクライン派は父の言葉に従い、ザラ派と多少の擦れ違いはあっても共に肩を並べるに違いない。
 元々プラントを守る為に軍に志願したもの達だ。戦いの終わらせ方への思想の違いから派閥が出来てはいるが、いざ地球連合の脅威が迫る現実を前にすれば派閥の違いなど瑣末なものと気付く。いや、気付いてくれると信じたい。
 自分がいわばラクス派の兵を引き連れてザフトを脱走したことでザフト内に出来ていた派閥の弊害は、仮初にせよ取り除かれた。
 内憂外患の内、内憂はこれで何とかなっただろう。
 後はエターナルを始め強奪した戦力が抜けた事によってできた穴が致命にならぬよう、自分たちが上手く立ち回り、ザフトにとって有益になるよう動かなければならない。
 願わくば、戦後、自分が扇動したクライン派の兵達の罪が少しでも軽いものになる様に、英雄的な活躍が出来ればいい。それこそ“戦争を終結に導いた英雄”などが望ましい。

「もっとも、それは夢を見るのにもほどがありますわね。でも、最も罪を負うべきはわたくし」

 アスランやキラに自分は言った。共に戦争を終わらせる為の答えを探しましょうと。だが、あれは半ば嘘だ。答えは出ているのだ。
 少なくともラクスの中では、この戦争でコーディネイターが生き残り、またナチュラルも生き残り、いずれ手に手を取り合う未来を残す為の答えが。
 ラクスが調べた限り、連合を牛耳るブルーコスモスの盟主ムルタ・アズラエルは度し難い拝金主義者であるが、その前にコーディネイター殲滅を謳ってはばからぬ男だ。
 あの男が連合の黒幕である限りコーディネイター殲滅を求める声が止む事は難しい。
 ならばアズラエルを持ってしても戦争の継続が難しい事態に持ち込み、決着をつける。
 それには中途半端な講和で手を打ちかねない穏健派の存在は害悪だ。
 スピット・ブレイクが成功していれば、断然プラント優勢の条件を結べる公算も高かったが、実際には投入した戦力の八割を失いパナマこそ破壊したものの、現状では連合との講和など鼻で笑い飛ばされるものだろう。
 結べたとてそれはプラントの隷属を意味するものになる。
 それではいけない。いずれまた今回の戦争のような事態、あるいはナチュラルへの憎悪に凝り固まったコーディネイター達が争いを引き起こし、憎悪が憎悪を呼ぶことになるだろう。
 パトリックがまだ理性的でいる間に、連合のとの戦争を優位に終わらせなければならない。
 その後ならば本来罪などない父は、政治的な能力と人望を買われて政界に復帰する事も出来るだろう。
 その時は、戦争に勝ち、勇む議員たちのいい歯止め役に徹してくれるに違いない。
 今回の戦争の悲惨さは、人々に憎悪の火種を植え付けるだろうが、同じ様に戦いの生む苦しみと悲しみも教える。
 既に多くの若年層の人命を失い社会の維持も難しく、種としての限界が見え始めたプラント。
 連合内での軋轢を多く抱え、国力こそ膨大だが、その実NJによるエネルギーの枯渇や連合内の国家間での軋轢や民族独立問題などを多く抱えた地球。
 戦争に一区切りが打たれれば、互いに抱えた問題が否応なしに血を噴出して、一種の冷却期間がもたらされる。
 その間に、コーディネイターとナチュラルが互いを理解しある様になるとはラクスも思わない。
 だが、悲惨な戦争をもう一度望むほどに互いを滅ぼそうとはしないのではと期待している。
 コーディネイターとナチュラル。互いに歩み寄る歴史はあまりに短く、憎しみあった時間は長い。
 それでも何時かは、やがて何時かはと理解し合い、労わり合う世界が来る為にはどちらかが欠けるようなことがあってはならない。
 コーディネイターもナチュラルもどちらも共に必要とし、よき隣人として笑い合える日の為に今は、現実に起きている戦争を終わらせなければ。
 結局の所、ラクスは自分が『人間』を信じていないだけなのではないかと思う。
 ナチュラルとコーディネイターが、互いを滅ぼしあうことなど無いと信じ切れず、
 プラントを導くシーゲルやパトリック、前線で戦う兵士たちやアスランを信じることが出来ずに、こうして自分を心酔する人々を率い、迷うキラやアスランに力を与えて戦わせている。
 それは全て、己以外の他者への不信が根底に根ざしているのではないかと、ラクスは自分さえ信じる事が出来ない時がある。

「わたくしが動いたことでザフトはザラ派が占める事になり、クライン派の兵もまたその内に組み込まれる。これで穏健派の、わたくしという膿をザフトから出すことが出来ました。アスランが言われるがままにわたくし達に付いて来たのは、正直意外でしたけれど」

 アスランはおそらく父であるパトリックがこの戦争をどう考えているのか、どう終わらせるつもりなのか、疑問に思い、プラントに戻ったのだろう。
 パトリックの真意を知るラクスからすればそれは要らぬ心配だったわけだが、ジャスティスを伴わぬアスランの帰還は、彼の立場を悪くするものだった。
 だから、ラクスはザフトを脱走したクライン派が、議長の息子であるアスラン・ザラを拉致し、ザラ派に不利な情報を得ようとした、乃至は勧誘しようとしたと印象付ける為にダコスタに『アスラン救出』を依頼した。
 理想的には、ザフトを離れるラクス達にアスランが反発し、一人プラントに戻る。
 そうして彼のザフトへの忠誠をパトリックや兵達に印象付けて、彼が拘束されるような事態を緩和する事に繋げたかった。
 父の元へ真意を問いただしに戻るくらいだから、アスランもこの戦いで多くの事を学び、自分なりに戦争への結論を出しているのだろうと思い、それを試す為にラクスは共に戦争を終わらせる為の答えを探しましょうと言ったのだ。

 当然、アスランは自分の答えを――それがザフトへの忠誠でも、プラントを守りたいという言葉でも構わなかったし、ラクス達を否定するものなら尚良かった――ラクスに対し決然と言い、同道するかプラントに戻ると思ったのだが……。
 が、返ってきた答えは『ああ!!』だ。これには参った。
 その時は微笑を浮かべていたラクスだが、内心では一瞬凍りついていた。
 『ああ!!』ってあそこまではっきりと言い切ると言う事は、アスラン、ひょっとして明確な答えは出していない?
 じゃあ、これは間違っている、なには正しくないとただ否定するだけで、こうするべきだ、自分が出した答えはこうだ、というものは特に持っていなかった?
 凛然と自らの意思でラクス達との決別をアスランが口にしていたら、アスランがプラントに戻るのを止めるつもりは無かったが、まさか本当に答えを探している途中だったとは。
 キラが助けに駆けつけた事も驚きだったが、アークエンジェルやオーブを脱出した艦艇が居るのはさすがにラクスにも予想外だった。
 カガリと共に、ウズミの遺志を継いでオーブを再建しようとする彼らも、この戦いの作り出した憎悪の連鎖を断ち切る為に集い、答えを探しているのだという。
 カガリはある程度明確な目的意識を持ち現実に向かっているが、ラミアス艦長やキラ達は、まだ目的が抽象的で具体的な行動に移るほどではないと思う。
 良くも悪くも同じ意見を出すもの同士でより固まってしまったのが、彼らの視野を狭めてしまっている。
 そういう意味では、古狸達と日夜舌戦を繰り広げるカガリの方が世界というものをよく実体験しているだろう。
 自分は、そんな彼らもまた利用しようとしているのだ。
 ラクスの真意を知る者は、ニコル、ウォーダン、イーグレット、おそらくバルトフェルド薄々も気付いているだろう。
 ニコルは本来DCへの参加を考えていたようだが、ラクスの話を聞き、力を貸してくれた。
 彼には本当に感謝している。

「平和の歌姫などではありませんね。でも、私は……少し疲れてしまいました」

 人知れずついた溜息は、重く部屋の中に残り雰囲気を澱ませている様にラクスには思えた。
 人前なら保てる、飾られた自分も、一人きりになれば重たく苦しい虚構でしかない。
 だが、一度でも人々をそれで動かしたなら、最後までたとえ虚構であってもそれこそが真実の自分でなければならない。
 分ってはいても、やはり苦しく辛い事に、ラクスはもう一度だけ溜息をついた。
 そのまま、ぼうっとベッドに腰掛けていると、部屋のドアが横滑りに開いて、ウォーダンが顔を見せた。
 ラクスはいつもとは違う微笑を浮かべていた。苦しくも辛くも無い笑みだ。

「どうかなさいましたか?」
「疲れているのではないかと思ってな。砂糖は勝手に入れたが、飲むか?」
「まあ、ありがとうございます」

 と、ウォーダンの差し出したカップを受取り、マンデリンの香りを楽しむ。居住ブロックなので、無重力の宇宙でも重力は働いている。
 ウォーダンは自分の分のカップ片手に壁に背を預けていた。無意識の動作であって、別にどこかの燻し銀を真似たわけではない。

「バルトフェルド艦長の新作ですの?」
「食堂のだ。艦長の趣味の理解者は少ない」
「ふふ、そうですわね。相変わらずブラックなのですか?」
「甘いのは嫌いではないが苦手だ」

 屈託無く笑うラクスに、言葉短かにウォーダンは答えて、黙ってブラックのコーヒーをすする。
 少なくともコーヒーの嗜好に関してアルベロとは馬が合わないらしい。
 ラクスは微笑を深くしてウォーダンの様子を見守り、やがて自分のカップに口をつけた。
 喉を通る温かさに、疲れが少し、春の陽気に解ける雪のよう消えてゆくのを感じた。