第二十五話 邪念渦巻く世界a
宇宙で希望の種達が一所に集った頃、地上のビアン・ゾルダークにとっての希望達は――。
「うわああああ!!?」
シンは顔一杯に脂汗を浮かべて眠っていたベッドから飛び起きた。かつて見た悪夢がまた再発している。
これまではDCを――なによりも家族や友人を守る為の戦いだった。
だが、マドラス基地への攻撃は違う。少なくともシンにとっては違う。あれは守るための戦いではない。敵を打ち倒し、戦争に勝つための戦いだった。
戦っていた時は良かった。生き残る事で精一杯で、自分が何をしているか深く考えなくてよかったからだ。
でも戦いが終われば違う。自分が何を撃ち、何を敵とみなし、何を奪ったのか。それを考えてしまう。
かつてスティングの言葉とステラのぬくもりに癒された罪の意識が、戦いを終えたシンの胸で蘇っていた。
一晩明けて眠りから覚め、シンは吐いた。自分が人を殺した事を理解した日の様に。
それでも、自分がこれからも戦い続ける事を、人を殺し続ける事を理解してもいた。
戦う事を選んだのだ。
今更踏み出した足を引く事が出来ようか。そこまで考えて、なぜか、悲しそうな顔をするステラやマユの顔が脳裏に浮かんだ。
ビアンは、“これ”を見越した上で、自分を戦争に導き、それでいながらシンが戦場に出る事を悲しんだのだろうか?
だが、もうシンは手を血で染めてしまった。いや、染めたのだ。自分の意思で。だったら、奪ってしまった命に対して報いなければなるまい。
失われた命以上の価値があるモノを掴むまで、この歩みを止めるわけにはいかない。
十四歳の少年が抱くには、あまりに血に濡れた、悲壮な誓いをシンは胸に刻んでいた。
粘っこく思える汗をぬぐい、シンはシャワーを浴びてから、壁に立てかけてある長さ90センチほどの木刀を握った。
木刀“阿修羅”を握る掌を通じて、体の中に入ってくる清涼な感覚にシンは寄せていた眉間の皺を緩めた。
それだけでそれまで体と心に残っていた悪夢の余韻が引いてゆく気がする。
ブンと音を立てて一振りする。まるで体の一部の様な、馴染んだ感触。体を動かそう。
そうすれば少しは気分も晴れるさ、そう思いシンは阿修羅とタオル片手に個室を出た。
畳敷きの道場もあるトレーニングルーム目指して歩いていると、客人であるルナマリアとレイを連れたステラ達と出くわした。
規定の訓練をこなす為に、ちょうど連れ立って出かけてシンに声をかけようとしていたようだ。
トレーニングウェアに着替えて素足で道場に立ち、シンは静謐な雰囲気に呼吸を整えて、ゆっくりと吐き出す。
シンの相手は、ステラだ。レイとスティングは少し離れた所で自分達の訓練を始め、ルナマリアとアウルは二人並んで自分達を見ている。
ステラは、ぼ~、としている様に見えて、不必要な力を抜き切った理想的な自然体だ。
木刀を与えられてからの特殊な訓練を始める前はやる気があるのだろうか、と思っていたシンだが、今なら目の前のステラが確実に獲物をしとめる為に走り出す瞬間を待ちかまえる女豹に等しいと分る。
青眼に構えた阿修羅から掌を通じて体の全細胞に染み入る力に、シンは静かな喜びを覚えていた。
前時代的どころではない木刀などと言う代物を渡された時は正直困ったものだが、今こうして訓練を重ね、力を得る実感を覚えると喜びが胸を占める。
体内に存在する七つのチャクラが、音ならぬ音を立てて旋回し頭頂に存在する『王冠』のチャクラが、宇宙から降り注ぐエネルギーをとりこんでシンの細胞に霊的なエネルギーを注ぎ込み、人体の限界を超える力を与える。
純粋化した人の思念は物理法則を凌駕し“奇跡”を可能とする。
ビアン・ゾルダークが招き、シンの剣術の師となったイザヨイ某がシンに課した修業の到達点であり、イザヨイが学ぶ流派の極意である。
別段大した事ではない。
あまりの苛烈さに口から内臓を吐き出して、血塗れ砂まみれのそれをまた口から戻して修行を再開する位の訓練を積めば、大抵の人間は出来るようになるらしい。
閉じていた瞳を開き、裂帛の気合いを無言のうちに秘めて、シンは阿修羅を振り上げ迷う事無く振り下ろす。
「はああ!」
「えい」
「ぎゃっ!?」
気の抜ける掛け声とともに、ステラの繰り出した右フックがいい感じでシンの頬に突き刺さった。
……先程の力が満ちる感覚はシンの勘違いだったらしい。
ステラの右フックをもろに食らったシンはそのまま二、三回回転して床にどさりと崩れ落ちた。
「シン、弱っ!」
ルナマリアの容赦ない評価に、アウルはうんうんと頷いていた。
シンがDCに加入してから受けた訓練はほとんどMSの操縦であり、その為の体力作り位はしていたが、本格的な格闘訓練などは今だし、である。
剣術の訓練で多少はましになっていたが、もともと強化人間として狂気の訓練を施されていたステラに叶うレベルではない。
「まー、いいんじゃないの? 生身はひょろくてもMSは動かせんだしさ?」
一応擁護するあたり、アウルもシンの実力は認めているのが分かる。
無論、アウルもステラに負けず劣らずの生身の戦闘能力を持っている。
床に伸びたシンを、ステラがつんつんと指で突いていた。シンの手から離れた阿修羅が、無造作に転がっている。
少し離れた所では、レイとスティングが白い道着を着て、ジュージュツと呼ばれる極東の国で発祥した体術の訓練をしていた。
力に頼らなくてもそれを意図的にコントロールして、大の男も手玉にとれる不可思議な技、というのが大抵の人間の認識だ。
それほどのレベルに達した達人は絶滅危惧種ではあるが。
ルナマリアの快活な性格もあり、ザフトの新兵達とタマハガネの幼年組とのコミュニケーションはおおむね問題なかった。
最新鋭の戦艦であるから、収容したザフトの兵達の行動にはある程度規制が設けられていたが、便宜は十分に図られていると言えるだろう。
その内息を吹き返したシンは、もう何度目になるか分からない敗北に、頭を抱えて道場を転がりまわった。
素質はあるので数か月鍛えればかなりの腕になると周囲は見込んでいるが、今は弱っちいのだ。
焦っても仕方ないが、あまりのんびりと構えていられる性格ではない。阿修羅を拾って構え直し、もう一回! とステラに挑みかかる。
またすぐぼこぼこにのされるだろう。
ルナマリアは懲りずにステラに挑むシンを、呆れた顔で見て、隣のアウルに聞いた。
「男の子ってああいうもの?」
「そういうもんじゃねえの? まあ、シンは格別負けず嫌いだけどね」
肩をすくめてアウルは笑いながら言った。レイとスティングは互いに膝をついた姿勢で、それぞれの道着の裾をつかんでじっとしている。
この二人は、自分達だけの世界に没入している。シンやステラのやり取りは気にせず彼らなりに集中しているようだ。
「うおおお!」
「えい」
「ぐえ」
今度はシンの顎に、ステラの掌底が叩き込まれた。見事な放物線を描いてシンはもう一度床に叩きつけられた。
まだまだシンは弱い。だが、それはこれから強くなれる弱さだった。
収容されたザフト兵を纏めるイザークは、エペソと時折話を重ねながら忙しく機体や人員の扱いに頭を捻っていた。
同盟相手とはいえ、他国の軍勢であるからしてそうそう自国の兵器に触れさせるわけにはいかない。
まあ、タマハガネに収容されているのはジンやシグーといった民間にも出回っている機体だから今さらという感はある。
イザークのデュエルとてそも開発に携わったモルゲンレーテを吸収したDC相手では、殊更に隠すようなものは無い。
今日も今日とて傷ついた兵士達の様子を見て回り、自分より年長で白服の者も居たので指示を仰ぎ、またいろいろと相談している。
ここ数日で今までに無い経験が積む事が出来、いずれ隊長として貴重な経験となるだろう。
そんな日々を送るイザークは、レクリエーションルームの一室で、ジャン・キャリーと共にいた。
周囲には余人なく二人きりだ。親子ほど年の離れた二人は横に並んで窓の外の、空の青と雲の白を瞳に移しながら、ようやく話し始めた。
「こうして君と直接会うのは初めてだな。イザーク・ジュール」
「フン、連合でもっとも有名なコーディネイター“ジャン・キャリー”。パナマで戦ったアンタが、DCにいる事によほどおれは理解に苦しむがな。で、おれを呼び出して何の用だ?」
「少し話がしたかっただけだよ。パナマでの戦いの時、君は私の駆るロングダガーにとどめをさせたというのに、君はそうはしなかった。その理由を、前々から聞きたいと思っていたからね。偶然にもその機会に恵まれた、というわけだ」
「……動けぬ敵を撃って何が楽しい、そう思っただけだ」
パナマでの戦いはイザークにとって苦い思いを胸に滲ませる。無力化し、投降した敵に味方の兵が行った虐殺・蛮行の数々。
強敵との戦いはイザークにとって体を滾らせるものだ。
だが、明らかに戦意を失い戦う力を持たぬ者に危害を加えるほどイザークは戦いに酔ってはいないつもりだ。
だから、あの戦いで同朋が見せた残虐性はイザークにとって強い衝撃を与えた。戦争の狂気を、今更ながら目の当たりにしたのだ。
「そうか。戦争の狂気とは恐ろしいものだ。顔も名前も知らぬ敵を躊躇なく、ただ命令と言うだけで撃つ事が出来る。そこに疑問も不信もなく、むしろ歓喜と高揚をもって引鉄を引く様になる。もちろん、すべての人間がそうなるわけではないが……。
少しでもそんな憎悪の連鎖を断つべく私は、連合で戦っていたがね。結局どれほどそれが出来たのかは分からなかった。そんな時に、耳に痛い事を言われてね、ここに居る事になったよ」
「あんたの弱音に興味はない。おれはプラントを守るために戦う。そこに迷いはない。攻めてくるからこちらも武器を手に取らなければならない。守るべき人を撃たれぬ為に敵を撃つ。それだけだ」
「……その果てに来るものは何だろうな? 今まで人類は戦争を繰り返しながらもここまでやってきた。だが、これから先も戦争を繰り返しながらも未来を紡ぐ事が出来ると誰が言い切れる?
ひょっとしたら、この戦いで人は滅びてしまうかもしれない、そんな恐怖に駆られた事はないか?」
「っ、それは」
イザークは口ごもり、ジャンに答える事はなかった。アラスカ、パナマとイザークの見てきた光景が、即座に否定させなかった。
いや、あれだけの事をしてもまだ互いを滅ぼすような真似をする事はないと理性は言う。だが、それを否定する感情もあった。
レンズの向こうから自分を見つめるジャンを見つめ返しながら、しばし、イザークは口を開く事は出来なかった。
マドラスでの戦闘の痛手を引きずりながらもタマハガネは、キラーホエール級三隻と共に無事オロゴノ島へと帰還し、収容していたザフト兵はすぐさま病院へと搬送され、中途半端に修理が施されていた機体も、ビスの一本に至るまで徹底的に厳重にチェックされてメンテナンスベッドに寝かされる。
久し振りに自分達の場所へと帰ってきた、とタマハガネのクルーをはじめとして、シンは安堵していた。
ステラやアウル達もリラックスした表情でタラップを踏みしめて港湾施設に降り立ち、船旅でなまった体をコキコキ鳴らしたりしている。
イザーク達をはじめザフト兵も、エペソといくらか言葉を交わしここまでの道のりへの感謝やこれからの武運を祈る旨の挨拶を交わしていた。
基本的に尊大な所のあるエペソも、鷹揚に頷き、当たり障りなく話しているようだ。
シンはあの新しい艦長が正直苦手だ。事実目上の立場だが、それ以上に根本的に見下されているというか、何か観察されている、あるいは試されているような気がするのだ。一人称も『余』とか、なんか偉そうだし。
とにかく、今は新しい相棒ガームリオン・カスタム飛鳥の力を実感し、無事帰還できた安堵がシンの胸を満たしていた。
飛鳥の左脇に吊るされたシシオウ・ブレードの鋭さにも感心している。テレビの中のロボットみたいな装備だが、シンが絶大な信頼を寄せる示現流のモーションを最大限に活かせる装備だ。
一人、悦に入っていると首を捻るアウルの姿が目に付いた。なんだかなあ、とタマハガネに運び込まれる予定の物資のリストを見ている。興味が惹かれたので、シンもそれを覗き込んだ。
「なんかあったのか?」
「んー? なんて言うのかなあ。これどう思う?」
「なになに……。『ストライク・スパイク』『スラッシュ・ジャベリン』『クラッシュ・ドリル』『ブースト・ハンマー』? ヌンチャクに槍に腕丸ごと換装するドリル、最後は鎖付きハンマー?? どういうセンスだよ、コレ」
「そう思うだろう。特にハンマー」
「ああ、そうだな。ハンマー」
アウルとシンは互いに顔を向きあい、うんうんと頷いてこう言った。
「「漢の装備だな」」
二人の声はこの上なくハモった。