SRW-SEED_ビアンSEED氏_第38話

Last-modified: 2013-12-26 (木) 21:25:17

ビアンSEED 第三十八話 刃折れて 後編2

 
 

 シンの赤い瞳は壊れてゆくアーマリオンの映像を、いやにゆっくりと脳へと伝えていた。
 両肘から先と両足を失い、首を落とされ胴体や背のウィングバーニアも傷ついたアーマリオンは、その内にステラを抱えたままキラの乗るフリーダムから離れてゆく。
 フリーダムもまた頭部を縦に割られ、至近距離からスクエア・クラスターの直撃を受けた装甲に、チタンの刃がいくつもめり込んでいる。
 キラがフリーダムにシートに座ってから、最も大きなダメージと言えるだろう。
 だが、それでも一見すれば大破したように見えるフリーダムだが、スクエア・クラスターの射出したブレードは装甲表面に突き刺さっているに留まっており、機体内部構造へのダメージは少ない。
 PS装甲がダウンした瞬間に切り裂いた刃は、その途中で復活したPS装甲によって阻まれていた。
 意識の覚醒はキラの方が速かった。鈍器で殴られたような痛みに、濃い目の眉をしかめ、機体と周囲の状況を確認し、そして自分をここまで追い詰めたアーマリオンをカメラが捉える。
 フリーダム以上に凄まじい破壊に晒されたアーマリオンに戦闘能力がない事は、一目でわかった。
 機体性能で大幅に遅れを取っていたのをキラのパイロットとしての能力が埋めて、わずかに上を行ったと言った所か。
 先に意識を回復させたキラがとどめの一撃を与えて勝利だろう。キラは眼前の強敵に止めをさすべきかいなか、引き金を引く指を躊躇わせる。
 まぎれもない強敵である。機体もパイロットも脅威と言っていい。今ここで倒さなければ、仲間達――アスランやムウ、カーウァイやオウカ達に害を成すだろう。それを確実に防ぐためには、今ここで止めを刺さなければならない。
 だが――でも、とキラは迷う。敵のパイロットの自分よりも年下らしい幼い女の子の声が、キラに躊躇を与えていた。そしてそれは、ステラに止めを刺す機会を失うには十分な時間だった。
 シンは、アーマリオンの姿にステラの姿が重なった時、何も考えられなかった。何で、アーマリオンがあんなに壊れているのだろう? どうして? ……ステラは? 中に乗っているステラはどうなった?
 ステラ! 
 その名前に、シンの中でふつふつと湧き起こるモノがあった。小さな泡玉だったそれは数と勢いを増して激しく泡立ち始める。
「……てめえ」
 感情の水面に、ふつふつと沸いて弾けるのは、『怒り』であった。
「……てめええええ!!」
 ここは戦場だ。誰かの命を狙えば当然誰かはこちらに殺されまいと足掻き、こちらの命を狙ってくる。誰かを殺そうとするのなら、殺される事も覚悟せねばならない。だから、ステラが殺されてもそれは当然の事なのだ。ステラが誰かを殺そうとしたのなら。
 ――だが
「てめええええ! ステラに! なに、してくれてんだああ!!!!」
 そんな事、シンには関係が無かった。
あいつが! ステラを! 傷つけた!!
 それが、シンの幼い心のすべてを満たす思いであり、それは純粋な怒りに換わっていた。
 シンの飛鳥と一進一退ではなく、二進一退と優勢に戦っていたククルはその巫女としての感受性から、目の前の少年から噴き出る不可視の気配を感じ取った。
 闘気、感情、思念、殺気。呼び方は数多あろう。シンの怒りがもたらす雰囲気の変化は、有りもしない熱を孕んで顔を打たれたような錯覚を、ククルに起こさせるほど激しいものだった。
 シンの心の水面を激しく乱し泡立たせる怒りの泡玉は、そのままシンの力に変わっていた。飛鳥の瞳が緑から赤へと変わる。
 念動力に似て非なる力が、搭載されたカルケリア・パルス・ティルゲムに誤認させ、施されていたリミッターを新たな段階に進める。

 

 ――第一リミッター『カイーナ』完全クリア。第二リミッター『アンティノラ』ヘ移行。

 

 体の心中線に沿って七つ存在するチャクラの内、頭頂と眉間を除く五つが聞こえぬ唸りを当てて回転し『念』を純粋化させてゆく。
 全細胞に宇宙に満ちるエネルギーが行き渡る。
 感情をエネルギーに変換するエネルギー・マルチプライヤーは、最大効率でシンの心を満たす怒りを力に変える。
 シンの脳裏で種が弾けるイメージ。弾けた種が起こしたさざ波は、怒りという感情に後押しされるように渦を巻いてシンの精神を昂らせた。
(こやつ!)
 目の前にした少年から迸る怒りは、かつて人類存続の為の大地に揺り籠――アースクレイドルで初めてまみえた時のゼンガー・ゾンボルトにも届かんばかり。
 数千の同胞を殺され、守ると誓った女性を目の前で殺された時のゼンガーの怒りに。
 そして、その怒りがいっそ恐ろしいまでの密度で渦巻き、飛鳥の機体に力として満ちてゆくのをククルは肌で、そして巫女として磨かれた魂で感じた。
 この少年は危険だ――どこまでも純粋であるが故に。
 ククルの思考にマガルガは良く応え、即座に行動に移っていた。肩に纏っていた曲線を描く装甲を外し、マガルガは羽衣をたなびかせる天女の如く軽やかに跳躍する。
 後に思い返しても会心の一撃と誇れる手刀を正確に思念の源である飛鳥のコックピットに突き込む。
 雷速の一撃であった。
 ならば、雷の速さで走った一撃を捉えた飛鳥の一刀は光を超えたと言えよう。
 かつて日本で立花道雪が愛刀・千鳥を持って雷を切ったという逸話に語られる一刀の再現であったか、それはまさしく雷切と呼ぶにふさわしい一撃。
 飛鳥の正面から胸部上方にあるコックピット目掛けて突き出された手刀は無造作な、しかし最速最鋭の斬撃に肘から先を斬り飛ばされ、それをククルが視認した、というよりはマガルガと同調した感覚で知った時には、飛鳥の蹴りがマガルガを吹き飛ばしていた。
 エネルギー・マルチプライヤーによる機体出力の強化及び機体強度の強化によって、十メートル以上巨大なマガルガを、道草を蹴散らしたかのように吹き飛ばす。
 マガルガの下方から迸った銀蛇は、飛鳥の右腕一本に握られたシシオウブレード。刀身に刃毀れ一つなく、マガルガの装甲の一欠片も付いていない刀身は、斬撃の神速と鋭さを物語る何よりの証拠だ。
「こやつめ、仲間を傷つけられて化けたか!?」
「ステラァア!」
 シンの瞳に映るのはステラの乗るアーマリオンと、アーマリオンを傷つけたフリーダムのみだった。
 即座にスロットル・レバーを押しこみ、機体の出しうる最高速度でアーマリオンの元を目指す。
 脇目も振らず、その眼にも耳にも他のモノを映していない状態でありながら、シンは邪魔をする存在を知覚した。
 急速で迫るソレに見向きもせず、機体上方に向けて一振りした獅子王の太刀は紙でも斬る様に、投じられたバッセル・ビームブーメランを呆気無く両断した。
 その間も飛鳥は止まらない。
「狙いはフリーダムか!」
「ステラの所に行かなきゃなんだよ! おれが、守るって決めた娘なんだああ!!」
 飛鳥の目の前に立ちはだかったのは、アウルを振り切ったアスランの駆るジャスティスであった。
 友の危機にSEEDを発現させ、光が陰り暗闇に曇った瞳に怒れる若武者を捉えたアスランは、フリーダムには近づけさせないと、飛鳥に挑む。
 互いにSEEDを発現させた二人。機体の性能では飛鳥が上、パイロットとしての純粋な技量では、終焉の戦いの記憶を持つアスランが上回る。
 だが、それ以外の互いの戦力差を覆す鬼札をシンは持っている。
 どちらも接近戦で本領を発揮する仕様だ。アスラン、シン共にオールラウンダーであるが、シンの方が接近戦では勝るがそれ以外の距離ではアスランが勝る。少なくとも今は。
 ジャスティスが牽制で放ったビームはすべて飛鳥が一瞬前まで存在した空間を薙ぎ、シシオウブレードの一刀は、千分の一秒の世界の速さでジャスティスに振り下ろされた。
 シンの怒りを引き金にカタログスペックをはるかに上回る性能を見せる飛鳥に、アスランはわずかに眉を寄せるだけだった。
 自機の性能をはるかに上回る敵を相手にするのに、慣れている。なぜか、そんな気がしていたのだ。
 ルプス・ビームライフルは即座に放り捨て、ジャスティスの両手にはビームサーベルが握られていた。
 逆手に抜き放った左手のビームサーベルは、機体を前傾させた飛鳥の上方を虚しく通り過ぎた。
 ビームサーベルを振る動作と同時に機体の右半身を引かせ、アスランは飛鳥が反撃の一刀を振る前に右手のビームサーベルを躊躇なく飛鳥の胴へと突き込む。
 必殺を意識した一撃だった。百の敵に仕掛ければ百の死を生むと断言できる二連撃。
 光の刃が、飛鳥の左脇腹を抉る。
 飛鳥の装甲が融解してゆく刹那の瞬間をはっきりと視認していたアスランの翡翠色の瞳に、銀の一文字が描かれた。
 ジャスティスがビームサーベルを突きだした瞬間に、アスランから見て上から下へと流れる光がはっきりと見えた。場違いな事だが、その銀色の輝きを、アスランは美しいとさえ思った。
 シンの怒りのままに振われた刃は、ジャスティスの左腕をシールドごと切り裂き、二の腕までを縦に割っていた。両断されたフレームや電子機器が、鏡の様に研ぎ澄まされた断面を覗かせていた。
 如何なる切れ味の刃を、どれほどの速さと鋭さで振ればこうなるのかと、戦慄が走るほどの一刀の所業だ。
「邪魔を……するなあ!」
 返す刃はジャスティスの左首筋から入り、水を切る様に右首筋へと抜けた。
 ほとんど同時に飛鳥の右膝がジャスティスの腹部を蹴り飛ばし、コックピットの中でアスランはメインカメラがサブカメラに切り替わる暗黒の一瞬に、死を強く意識した。
 ジャスティスに止めを刺すか、アーマリオンの元へと駆けるか。一瞬にも満たぬ間、シンの思考は迷いを抱えてしまう。
 その瞬間を狙いはかった一撃が飛鳥に襲い掛かり、シンに後悔と苛立ちを募らせる。
 咄嗟に飛びのかせた飛鳥のメインカメラが、胸部から膨大なエネルギーを放ったばかりの漆黒の亡霊を捉える。
 カーウァイのゲシュペンストだ。
「カーウァイ大佐!」
「フリーダムは、無事……だ。退け、アス……ラン。メンデルを放棄する」
 胸部の装甲を展開し、メガブラスターキャノンを放ったカーウァイのゲシュペンスト・タイプSだ。
 シンの瞳の中に映る漆黒の亡霊は、その名の如く飛鳥を見つめ、静謐なまま虚空に佇んでいた。
 シシオウブレードを握る飛鳥の腕が金属の軋みを挙げた時、アルベロから通信が繋がれた。
『シン、ステラは回収した。頭を冷やせ!』
「アルベロ一佐、ステラは!?」
『気を失っているだけだ。今、アウルにタマハガネに戻させに行った』
「……良かった。そうだ、戦況は!」
『概ね互角だ。ただ連合の繰り出してきた新型が、ガーシュタインとシングウジ、テンザンの三人がかりでなければ抑えられんのが痛い。ジェグナンやリルカーラ、ジャン・キャリーが連合のMSを抑えている』
 ゲシュペンストに対する警戒を毛筋ほども緩めず、シンは耳と口をアルベロとの会話に割く。
 カーウァイもダメージを負ったアスランのジャスティスを庇う位置にある為か、積極的に仕掛けるつもりはないらしい。
 しかし、トロイエ隊でも指折りの腕前を持つレオナとジガンスクードに乗ったタスクとテンザンを相手にできる敵?
 アルベロがその答えを提示した。
『ジェニファー・フォンダの乗っていた機体、ヴァイクルだ。どこで手に入れたのかは分からんがな。パイロットの方もかなりのものだ。ザフトの方もジンの被害が大きい。おそらく、クルーゼも引き際を見極めているだろう』
「……」
 シンは沈黙で答えた。ステラの無事が確認できた事でシンの怒りも沈静し始め、狭まっていた視界が元の広さを取り戻す。
 ステラの危機とはいえいささか頭に血を登らせ過ぎただろうか。
 しかし、その瞳に燃える赤は、怒りの炎が毛筋ほども沈下していない事を表すままだった。シンの瞳は、機体の姿勢を取り直すフリーダムを睨み続けていた。

 
 

 MS隊がそれぞれ死闘を演じている頃、艦隊戦も徐々に決着の幕が下りようとしていた。
 ゲヴェル・ドミニオンからの砲撃は、確実にアークエンジェルの装甲にダメージを積み重ねていた。実体弾によって削られたラミネート装甲は、廃熱が追いつかなくなり始め、徐々に融解し始めている。
 アークエンジェルの艦橋で、マリューは、戦況を表す天秤が、自分達の敗北に傾いているのを肌で感じていた。数々の実戦を搔い潜ってきた。ダイテツやショーンらといった先達に教えもこうた。
 アークエンジェルは彼女自身も関わった戦艦。この船の事は自分がよく知っている。戦艦の扱いは習っていないが、これまでの死闘で培った戦場の経験がある。そうそう遅れは取らない。その程度の自負はあった。
 確かに、MSの運用に慣れていない連合の艦長や対MS戦闘の経験が少ないザフトの艦長クラスとなら、アークエンジェルの性能も含め、マリューの指揮でも互角以上に戦えたかもしれない。
 だが、今彼女の隣にはこれまで良く補佐してくれた有能な副長はおらず、その副長は敵になっているのだ。
「第六格納庫に被弾! イーゲルシュテルン、一番、三番沈黙! 廃熱追いつきません」
「くっ、ゴッドフリート照準! MS隊は!?」
「ザフトとDC、それに連合と四つどもえです。エルスマンとアマルフィが直衛についてはいますが……」
「不味いわね」
 敵となったかつての戦友の力量に感服し、己れの未熟を感じるマリュー。いてもたってもいられず、怪我を押して艦橋でマリューの傍らに居たムウが、不意に脳裏に閃く悪意のイメージに視線を振り仰いだ。
「艦長!」
「なにか? 少佐」
「13時の方向、イーゲルシュテルンを集中させろ! なにかいるぞ!」
「っ、少佐の指示通りに」
「は、はい」
 理屈ではないムウの直感を知るマリューは迷わずムウの言葉に従い、ムウとの付き合いの長いアークエンジェルのクルーもそれに倣う。彼等も、時折理屈を超越するムウの勘の鋭さを知っていた。
 果たして、集中されたイーゲルシュテルンの砲火は、虚空の闇に潜んだ悪意を捉えた。ムウの目覚め始めた新人類としての知覚能力に看破された悪意は、イーゲルシュテルンの75mmAP弾が直撃する寸前にその姿を露わにした。
 ぎりぎりのタイミングでPS装甲を起動させ、漆黒の機体を見せたのはダナ・スニップのブリッツだ。スウェン達やオルガ、カイ達が正面切って闘っている間に、戦艦を潰すよう指示を受けていたのだろう。

 

 新型のバッテリーの搭載やミラージュコロイドの定着技術などの進歩によって、85分だった連続使用時間は100分にまで伸びている。エネルギーを大量に消耗する点は変わっていないが、それでもニコルが搭乗していた一号機よりもほぼすべての面で上回る。
 かろうじてイーゲルシュテルンの砲火から逃れたダナは、ブリッツのコックピットの中でアークエンジェルの理屈ではない反撃に悪態の一つも吐いていた。
「おいおい、何でミラージュコロイド展開しているのにばれんだよ!? こんな乱戦の状況だぞ」
 しかし、アークエンジェルの艦橋の間近まで近づく事は出来たのだ。PS装甲を展開した以上、イーゲルシュテルンやミサイルではそう簡単に墜ちはしない。
 ブリッツの右腕の複合兵装の一つ50mm高エネルギーライフルの照準を即座にアークエンジェルの艦橋へと突ける。
「まあ、ここまで近づけば問題ないけどな。ひゃひゃひゃ!?」
「させませんよ!」
 ニコルのゲイツ火器運用試験型の放ったビームライフルが、ブリッツを掠め、ダナは慌てて機体に回避運動を取らせる。
 一気に距離を詰めたニコルは、ゲイツの左手で抜いたサーベルを振りかぶり、ブリッツの左腕を肘から斬り落とす。
「ブリッツのミラージュコロイドは脅威ですが、戦闘能力はGの中でもさして高いものではない。このゲイツの方が上です!」
「くそ!? 懐に飛び込まれちまった! でもなあ、戦艦狙いはおれだけじゃないぜえ」
「もう一機? イージス!」
 MA形態に変形したエミリオのイージスが、ニコルとダナとは別方向の船体下部から迫っていた。ダナが奇襲に失敗してもエミリオのイージスが至近距離からスキュラを撃ち込むという二段構えの攻撃だった。
 既に度重なる攻撃でダメージの積み重なったアークエンジェルの装甲ではスキュラの一撃に耐えられないだろう。
 急激な加速に耐えながら、エミリオは冷たい瞳の中にアークエンジェルの純白の装甲を捉える。あれはナチュラルの造った船。クルーもナチュラルだ。ただし、コーディネイターと共に居るナチュラルの裏切り者。
 ならば、するべき事はただ一つ。
「コーディネイターはすべて殺す。コーディネイターに味方するナチュラルも同じだ」
 エミリオの精神の根底に根ざしたブルーコスモスの洗脳が、彼に躊躇や罪悪感というものを奪い去っていた。故に、トリガーはひどく軽かった。
「やらせるかよ!」
「バスター……。ザフトに奪われた機体か」
 アークエンジェルの直衛についていたバスターが、すかさずイージスの進路めがけて豊富な火力を撃ち込む。
 MAからMSへの変形を利用した不規則な回避運動で対装甲散弾砲や収束火線ライフルを回避し、エミリオはすかさず反撃にビームライフルを一撃、二撃と撃ち込んだ。
 しかし、この奇襲が失敗したのは痛い。ダナとエミリオが突出した形になり、友軍と分断されている。
 アークエンジェルを沈め、その混乱を突いてゲヴェルまで後退する予定だったのだ。
 奇襲の失敗を悟ったダナが、いつもの皮肉気な笑みを取り払い、切羽詰まった表情で撤退を進言してきた。対峙するMSの数は同じだが、この位置ではゲヴェルやドミニオンの砲撃の邪魔になるか、巻き込まれかねない。
「エミリオ、退き時だ。一度退がるぞ!」
「……了解だ」
 殲滅すべきコーディネイターとナチュラルの裏切り者を前にして機体を下げるのは屈辱であったが、エミリオはかろうじて理性で洗脳による殲滅衝動を抑える事に成功した。
 バスターとブリッツを足止めすべくアークエンジェル目掛けてビームライフルを撃ち込みながら、ダナとエミリオは機体を翻した。
 連合側のイージスとブリッツが後退してゆくのを見て、マリューはわずかに安堵した。まだ危機は続いているが、とりあえず窮地の一つを脱する事は出来たようだ。だが、安堵したのもつかの間、スサノオのダイテツ、エターナルのバルトフェルドの顔がモニターの端に映し出された。
 あまり良い話ではないのは、二人の険しい顔色で分かった。混戦の様相は激しさを待ち、撃っては撃たれを繰り返す四つの勢力の消耗は激しい。
 皮肉な事に、最も戦力が少ない代わりに、一機当たりの戦闘能力が飛び抜けているDCとオーブ艦隊の被害が少ない状況ではあった。
 だが、逆に一機でも欠けるとその分の戦力の低下が大きいのも両陣営の弱点でもある。そして、既にキラのフリーダムやフラガのストライクが小破ないしは中破している。
『そろそろこの宙域の脱出を考えないとまずいんじゃないかね?』
『そうなるな。ヤマト少尉のフリーダムを始めフラガ少佐のストライクや、M1、ジン隊も消耗しておる』
「……一番追撃を免れるとしたら、ヴェサリウスか、あのザフトのエターナル級を突破すべきなのでしょうけれど」
『流石にあれだけの艦隊の集中砲火を浴びるとなるとね。スレードゲルミルとゲシュペンスト、マガルガ、ラピエサージュ辺りで突破口を開いてもらって』
 現状の打破について意見を交わしあう彼らの耳に、ヴェサリウスから射出された一機のジンからの国際救助チャンネルの通信が届いた。
 パイロットが乗っていないのではないかと思うほどに無防備な様子で宇宙を漂っているだけなので、誰も見向きもしていなかったジンだ。
 メンデルに駐留していたマリュー達からすれば連合の捕虜である以上自分達で回収する必要性はなかったし、連合側のレフィーナやナタルにしても脱出ポッドではなくわざわざMSに乗せて守る者もなく、戦闘の直前に出された一方的な通告と引き渡しの仕方に疑念を抱き、回収する判断を躊躇させていた。
 何より罠の可能性も捨てきれずにいた。
 だが、ジンの中に置き去りにされた少女にとってはそんな事が分かるはずもない。彼女は必死に、帰りたいと願っていたアークエンジェルに届くようコックピットの中の機器を操作し呼びかけ続け、やがてそれは実を結んだ。
『アークエンジェル……!』
 ジンから発せられた通信に乗せられた声に、アークエンジェルのクルー達が、ドミニオンの艦橋でナタルが、そしてフリーダムの中のキラが身を強張らせる。
『アークエンジェル! 私っ、私ここっ』
 ドミニオンの艦橋で、不審げに国際救難チャンネルからの呼びかけに耳を傾けていたアズラエルと、ナタルに声の主が自分の正体を告げた。
『私、フレイ、フレイ・アルスターです! ……サイ、キラ、マリューさん!』
 アルスターとどこかで聞いた覚えのある名前に片方の眉を顰め、アズラエルはあまり緊迫感の無い声で疑問を口にした。
 ジンに乗っているのは子供のようだが、その子供でも脅威なのがコーディネイターだ。
 あまり興味の無さそうな風を装いながら、内心でアズラエルは底冷えのするほど冷たい考えでジンを見つめていた。
「捕虜ってあの子がですか? ふむ、アルスター?」
 そう呟きながら、艦長席でわずかに身を強張らせているナタルの様子に目をやる。知り合いか? フレイと名乗る少女はアークエンジェルをしきりに呼んでいる。
 となればヘリオポリスからアラスカまでの間にザフトの捕虜になっていた連合の兵士だろうか……。
「カラミティ――サブナック少尉! ジンを回収しろ!」
『ああ!? 敵の機体だぜ、艦長サン』
 カラミティで目まぐるしく攻撃を仕掛けてくるザフトのジンやゲイツを相手にしていたオルガの疑問ももっともだ。
 ナタルの隣の席でアズラエルもまた訝しい視線をナタルの横顔に当てている。 
 ナタルは面倒なと思いつつ、やや強めの語調で理由を述べた。それでもアズラエルは納得しないだろうと分ってはいた。
「彼女は亡くなられたジョージ・アルスター事務次官の愛嬢です。急げ、サブナック少尉!」
 ジョージ・アルスターの娘か、とアズラエルはようやく思い出す。コーディネイター殲滅を押し進めるブルーコスモス強硬派であるアズラエルと違い、宇宙のプラントにコーディネイターを隔離して地球から追い払おうとする派閥に属していたジョージ・アルスター。
 派閥こそ違うが、ブルーコスモスの盟主と幹部クラスとして面識はあった。それにアルスター家もアズラエル一族ほどではないにせよ大西洋連合内でもかなりの資産家だ。 ビジネスの世界においてもそれなりに付き合いのある相手としてアズラエルの脳に記憶されていた。
 そういえばヘリオポリスに息女が留学しているとかいないとか聞いた覚えがあったが、Gが強奪された時か、その後の戦闘でザフトに救助されたか捕虜になっていたという事だろう。
「なるほどねえ? アルスター家の、ですか。まあ公的な理由としてはただの一兵士を助けるよりは十分な理由ですかね。
ですが僕には、それ以上に感情として彼女を保護したそうに見えますがネエ? それに、彼女が知らないだけど罠があの機体に仕掛けられているかもしれません。そこんとこ、どう説明なさるので? バジルール艦長」
「それは……!」
 肩を竦め、形だけの笑顔を張りつけて詰問するアズラエルにそれでも断固として反論しようとした時、不意にフレイが奇妙な事を口にした。
『か……鍵を持っているわ、私!』
――鍵? 鍵とは何だ?
 ナタルとアズラエルは、奇しくも同じ思いに囚われる。
『戦争を終わらせるための鍵……だから……だからお願い!』
「面白い事を言いますねエ? 彼女」
 ナタルはアズラエルが舌なめずりをしかねない表情でいる事に気付いた。そして、アズラエルが戦争を終わらせる鍵という言葉に何を連想したかは分からなかった。
 アズラエルとてフレイという少女の言う鍵が自分の想像通りのモノとは限らないと分ってはいる。あるいは戦場の恐怖にパニックを起こした他愛の無い妄言かもしれない。
 だが、もし、自分の考える通りのモノを持っているとしたら?
 それはまさしく戦争を終わらせるための鍵に違いない。それに、あの艦に乗っているのは、いままでアズラエルに有益な情報をもたらし続けてきたあの男なのだから。
「ナニをお持ちなんでしょうねえ? 彼女戦争を終わらせる鍵ですか……。普通は言いませんよね、あんなこと」
「そんなもの……! そちらは信用なさるのですか!?」
「まあ、商売人の性でして。自分に有益かもしれないと思うと調べずにはいられないんですヨ。さ、それよりも早くあのお嬢さんをエスコートしましょう。僕のお墨付きですよ?」
「っ!」
 アズラエルの何処までも余裕癪癪な態度に、ナタルは歯噛みしたい思いであったが、余計な邪魔が入らなくなったと思考を切り替え、しかしアズラエルの言葉を吟味してもいた。
 戦争を終わらせる鍵――そんなものをなぜフレイ・アルスターが手にしているのか。
 アラスカで別れ、今ここで再開するまでの間に、あの少女にどんな運命があったというのだろう。

 

「フ……レイ……?」
 その通信は、フリーダムのステータスバーをチェックしていたキラにも届いていた。慌ただしくパネルの上を走っていた視線が、フレイの乗ったジンに向けられ固まる。胸を裂くような、悲痛なフレイの叫びが、キラの胸に等しい痛みを抱かせる。
 だって、彼女はアラスカで転属したはず。今は地球に居るって、そんな彼女が、なぜザフトの捕虜なんかに!?
 キラの脳裏に、昨日別れたばかりの様に鮮明な、フレイの最後の言葉がよみがえる。自分を呼び止め、突然何を言えばいいのか分からなくなってしまった様に、口をつぐんだフレイ。もどかしげに制服の裾をつかんでいた細い指。不安、恐怖、困惑に揺れていた瞳。
 あまりの事に、呆然としたキラは、しかしすぐに行動へと移っていた。漂うジンめがけて突進し始めたフリーダムに、アスランとカーウァイが気付く。
「キラっ、やめろ!」
「あの、ジン。知り合い……か?」
 フリーダムの残っている推進剤の量さえも気に留めず、ただただキラはフレイを求めた。
 今もフレイの助けを求める声が、アークエンジェルを呼ぶ声が聞こえる。
 最初は、ただ遠くから見ているだけの憧れだった。それが、ヘリオポリスが崩壊し、ザフトにフレイの父親が殺され、自分自身もまた闘いの中で傷ついていた。
 そんな時に優しくしてくれたフレイ。慰めてくれたフレイ。
 父親を殺したコーディネイターを殺す為に、同じコーディネイターである自分を利用しようとしていたのだと気付くのはそう遅いことでは無かった。
 それでも、あの頃のキラには縋るモノが必要だった。偽りでも安らぎが必要だった。
 傷つけて傷つけ合って、互いの傷をなめ合って、何時か崩れると知りながら互いを支え合っていた。自分はフレイに言った。間違えてしまったのだと。
 二人の関係の歪さに目を瞑り続けるのは、所詮無理な事だと。
 でも、それでも今は、フレイを救いたい! 数多の命を犠牲にして求められた自分が、本当に望まれたほどの存在であるなら、守らなければならない少女の一人くらい、救えるはずだ! 救ってみせる!
「フレイ、フレイ!!」
 フリーダムの進路を塞ぐストライクダガーを一秒にも満たぬ瞬間にビームライフルの二射で撃ち落とす。
「帰ったら、話をするはずだったんだ! 必ず守るって、約束したんだ!! 邪魔を、するなぁあああ!!」
 キラの腕がスロットル・レバーを押しこむ。同時にマルチロックオンシステムでフレイの乗るジンに迫る連合の機体全てを捉え、急加速でぶれる照準にいささかの狂いもなく精密な射撃は次々と鋼の骸を造り上げた。
『……レイ! フレイ!』
 猛然と自分の乗るMSに近づいてくる傷ついたMSから聞こえてきた通信の声に、フレイは耳を疑った。自分は恐怖のあまり幻聴を聞いているのだろうか?
『フレイ!』
「キラ……? うそ、だって、キラは死んだって……」
 だが、自分の名前を呼び続ける声は、そんな思いを吹き飛ばすほどの力強さだった。
『フレイ!』
「キラ!」
 フレイは思わず両手で口元を覆った。もう流し尽くしたと思っていた涙が、両眼から零れ落ちる。それは、悲しみの涙では無かった。誰よりも会いたいと願いながら、もう会えないと思っていた大切な人との再会の、喜びの涙だった。
「キラ、キラぁ! 私っ、私ここよ! 貴方に、貴方にずっと、ずっと謝りたくて……!」
 涙に揺れる視界にキラが乗っているMSを留めて、フレイはずっと呼びかけ続ける。この声が、キラに届いていると信じて。
 だが、徐々に狭まる二人を阻むべく、ナタルの指示を受けたオルガのカラミティが、シュラークとトーテス・ブロックを乱射して牽制を図った。
「そいつはおれが貰うぜ! 白いの!」
「くっ、またこのMS!?」
 重大なダメージはないとはいえ、万全ではないフリーダムで戦うには厳しい相手だ。カラミティがフリーダムを抑えている間に、フレイが連れ去られてしまったら――。
キラの胸を焦燥が焦がす。
 だが、思わぬ救いの手がそこに伸ばされた。ペレグリン級カタールから出撃していたエムリオンが、突然カラミティに向かってオクスタンライフルを乱射しながら突っ込み、フリーダムに通信を繋いできたのだ。
『キラ! 今のうちにフレイを!』
「っ、その声、そんな」
『いいから早く!』
 エムリオンは更に背中のコンテナブロックからスプリット・ミサイルを発射し、射出から数瞬後にいくつも小弾頭に分れてカラミティに降り注いだ。
 一発一発は小さいが面を制する為に回避が難しく、TP装甲が施されていないカラミティの武装の破壊を狙ったものだ。
 回避するのが面倒とばかりに、オルガは胸部のスキュラで纏めてミサイルを吹き飛ばし、邪魔をしたエムリオン目掛けて、115mm二連装衝角砲ケーファー・ツヴァイで狙い撃つ。
「雑魚が、邪魔するんじゃねえ!」
「キラとフレイの邪魔はさせない! おれだってえ!」
 突然援護してくれたエムリオンが稼いだ時間の間に、フリーダムはフレイの乗るジンに取りつき、互いのコックピットのモニターにキラとフレイの、求め続けてきた二人の姿が映る。
「キラ? 本当にキラなの?」
「うん。僕、だよ。フレイ」
 本当はもっと言いたい事があったはずなのに、今は喜びに胸が詰まって何も言えなかった。それに、喜びに浸っていられる時間的余裕と状況では無かった。
「フレイ、怖いかもしれないけれど、ジンから、こっちのコックピットに移って。今のフリーダムの推力じゃあ、ジンを抱えたままだと速度が出ない」
「う、うん」
 自分達の置かれた状況に思い至ったフレイは、素直にキラの言葉に従ってジンのコックピットハッチを開き、同じ様にコックピットを開いていたキラの元へと宇宙服に備え付けられていたガスを噴射した。
 ジンと違い、胸部上方にあるフリーダムのコックピットに辿り着くまでが嫌に長く感じられた。やがて、フレイにとっては途方もない時間が流れた後、今にも泣き出しそうな顔に笑顔を浮かべたキラが見えた。
 フレイは迷わずその胸に飛び込んだ。
「キラ!」
「ああ、フレイ、フレイ! 本当に君なんだね」
「うん。うん!」
 何度もお互いを確かめ合うように名前を呼び、硬く抱きしめ会う。コックピットハッチを閉じ、涙でくしゃくしゃになった顔で見つめ合っていたが、キラが小さく、しかしはっきりと呟いた。
「帰ろう、フレイ。アークエンジェルに」
「うん!」
 帰れる。アークエンジェルに、あの船に。フレイは、もう一度、大粒の喜びの涙を流した。
 だが、それを許さぬ――正確にはフリーダムの存在を許さぬ『怒り』があった。
「てめえだけは、絶対に落とす! フリーダム!!」
「なっ!?」
 アルベロの制止を振り切り、フリーダムの跡を追っていたシンの飛鳥であった。両肩に増設されたバーニアスラスターを全開にし、シシオウブレードを右上段に振りかぶっている。
 まずい、回避できない!?
 キラは、そのあまりにも優れた反応速度と処理速度故に、飛鳥の一撃を防ぎきれない事を即座に理解してしまった。せめて、なんとかフレイだけでも――。
「斬る!」
「っ」
「煌け! 斬艦刀・電光石火」
 シシオウブレードを振りかぶった飛鳥に、小型艦艇度なら一撃で沈めかねない膨大なエネルギーが襲い掛かる。
 神掛かった反応で、シンは咄嗟に飛鳥の全面のバーニアを吹かし、かろうじて踏み込みの速度を抑え、その一撃を回避する。
「スレードゲルミル。ウォーダンさん!」
「行け、キラ・ヤマト。ここはおれが引き受ける」
 エルザムの駆るジャスティス・トロンベの左腕を切り落とし、戦闘能力を奪ったウォーダンだ。これ以上ない救いの手に、キラの表情に安堵の色が浮かぶ。
 遠ざかるフリーダムの姿をモニターに認め、シンはすぐさま追おうとし、本能と理性が全力でそれをとどめた。飛鳥の前に立ちはだかった威容を見よ。
 全身に深い傷跡をとどめながら、雄々しく立つ巨人。その右手に自身をも上回るあまりにも馬鹿げたサイズの刀剣携えた剣神の姿に、シンの体は凍てついていた。
「あやつの後は追わせん! 追いたくばおれとスレードゲルミルを骸に変えてから追うがいい」
「……」
 シンは応える言葉を紡がなかった。イザヨイ、そしてゼオルートの指導の下、万死にも匹敵する過酷な修行が磨き抜いた感性が、眼前の敵の桁の違いを、次元の違いを嫌というほど感じていた。
 まるで天に角突く巨大な山脈が今にも押しかかってきそうな威圧感。その手に握った異様な青刃の大剣の刃圏に一歩足を踏み入れれば、そこは死の国とばかりに斬って捨てられるだろう。
 シンの脳裏にヤバイ、危険だ、逃げろ、戦うなと脱兎の如く目の前の脅威から遠ざかりたいという欲求が噴き上がる。
 だが誰もシンを臆病者と蔑む事は出来ないだろう。それほどまでに、今シンの前に立つスレードゲルミルとその操者の放つ威圧は圧倒的なのだから。
 シンは冷や汗すら流してはいなかった。肌で、より根源的な魂が感じた重圧に、冷や汗すら搔く事が出来なかったのだ。
 なまじ死に物狂いの修行で念の力を身につけた為に、過敏になり過ぎた知覚能力が災いしたと言えよう。
 今シンの体温を測れば死人の如く冷え切っている事を知るだろう。自律神経さえ狂い始めていた。
 ウォーダンは、眼前のMSのパイロットの戦意が委縮しているのが手に取るように分かった。MSサイズの日本刀を携えた敵機の、先程までの火の玉の様な怒りの感情が委縮して……
「はあっ!」
「ぬ」
 飛鳥のコックピットの中、シンの咽喉から裂帛の気合いが放たれる。途端に、飛鳥の機体から陽炎の如く立ち昇る剣気の凄まじさ。
 ウォーダンとスレードゲルミルを前にしてなお静まらぬシンの激情。
 右手一刀下段。下げたシシオウブレードの切っ先にまでシンの気合いが行き渡る。
「邪魔をするな。邪魔なのはあんただ! ステラを傷つけたフリーダムを放っておけるか!」
 シンの怒りは収まってなどいなかった。シンの本質的な力の源の一つ――『怒り』。
 怒りは様々なモノに由来する。
 自己に対して抱く怒りと他者に対して向ける怒り。名誉や誇り、信念を傷つけられた事に対する怒り。大事なモノを奪われた事、傷つけられた事への怒り。自らの誓いを守れなかった事、約束を破ってしまった事への怒り。
 容易く『憎悪』へと変わりかねない諸刃の感情。
 シンを支配し突き動かす怒りは、今のシンにとって最も大切なもののひとつであるステラを傷つけられた事、守るという約束を守れなかった自分に対する怒りの二つ。
 生来の純粋さ――悪く言えば単純なまでの素直さと、イザヨイとゼオルートに課せられた過酷な修行が、シンの精神に理想的な武道家としての人格を形成しつつあり、それが『怒り』が『憎悪』に変わるのを防いでいた。
 シンの怒りは、人間の善性故に抱く正しい怒り。故に、感情のままに剣を振いながらシンの太刀はどこまでもまっすぐで眩いまでに輝いているのだ。
「言った筈だ。フリーダムを追いたくば、このおれとスレードゲルミルを乗り越えて見せろ」
「だったら、斬り捨てるだけだ!」
「来い」
 飛鳥はシシオウブレードを右下段に下げたままスレードゲルミルに無謀とも言えると突撃を敢行する。
 誰もが思い描くのは斬艦刀に両断される飛鳥の姿。然れども、斬艦刀の刃圏に入る寸前、飛鳥の全てのバーニアが火を噴く。
「シシオウブレード霞斬り!」
 スレードゲルミルのモニターの中で飛鳥の姿が霞む。次いでウォーダンを襲う衝撃。スレードゲルミルの左胸部を斜めに斬った一刀だ。斬られたと悟った時には次の一刀がスレードゲルミルの右腕を切り裂いていた。
「はあああっ!」
 神速の連続斬撃。神速を持って機体を駆り、振われる太刀は手に掴む事の出来ない霞の様にスレードゲルミルに纏わりつき、絶える事の無い斬撃の嵐の中に放り込まれたかの様だ。一撃、また一撃とスレードゲルミルの装甲に鋭い斬痕が描かれてゆく。
 斬撃に重ねられる斬撃。急制動、急旋回、急加速を幾度も重ねるこの連続斬撃はシンの体に大きな負荷を与える。血流が押しつぶされ骨格が軋み、肉が剥がれるのではないかと錯覚に襲われるほどに急激なGが襲い掛かっている。
 それでも真紅の瞳は揺らがず赤い軌跡を描きながら傷を負った歴戦の巨人を見据え続けていた。
 成す術なく飛鳥に斬られ続けるスレードゲルミル。だが、新たに一刀を加える度にシンは、自身さえ気付かぬ焦燥に駆られる。幾度も斬りつけながら、揺らがず倒れぬスレードゲルミル。
 常に絶えぬ刃に晒されながら、スレードゲルミルが斬艦刀を振り上げた。シンの背筋には走る特大の悪寒の電流。直後に閃いた、鋼色の嵐を断つ青い一刃。
「がはっ」
 虚空に散った火花はシシオウブレードのものか斬艦刀のマシンセルか。どちらにせよ弾かれたのは飛鳥であった。機体を貫きコックピットの自分まで痺れさせる衝撃に、シンは脳髄まで揺さぶられる。
 即座に機体のステータスをチェック。自己診断プログラムは戦闘継続可能を告げている。
 百の斬を一の斬で覆される。機体の性能の差? パイロットの技量の差? それとも両方か。
 再びシンの脳を焼く圧倒的な気配。
 来る!
 飛鳥のモニターを埋めるスレードゲルミルの巨体。人の顔を模した頭部が、いやにはっきりと見えた。
「斬艦刀重力稲妻落とし!!」
 横殴りに振われた斬艦刀に対し、どこが『落とし』だと内心思いながら、シンは迫る斬艦刀に反応。比べればあまりに細く薄いシシオウブレードが斬艦刀を受け止める瞬間、刃を捩り斬撃の軌道を斜め上方に逸らす。
 かなえばこの一撃を凌げる。失敗すればシシオウブレードごといっそ見事なまでに両断されるだろう。
 万分の一ミリ単位の作業を刹那の瞬間にこなさなければならない。斬艦刀とシシオウブレードが噛み合う。
 シンの瞳がその瞬間をとらえた。脳から発せられた電気信号が指の末端にまで行き渡り、飛鳥という鋼の分身に思考を伝える。飛鳥はそれによく応え得るか? 
 ――応えた。
 飛鳥の両手の中でシシオウブレードが捩じられる。ぎゃりりと、立たぬ筈の音を立てて斬艦刀が受け流され、そのまま振われた斬艦刀は飛鳥の右肩の突起上の装甲を斬り砕く。掠っただけだったが、それでも飛鳥の装甲を粉砕する一刀。
 物理的な意味だけではない名状しがたい重さを持った一撃だった。ウォーダンの気迫が乗せられているからか。
 だが、両者の動きは止まらない。超至近距離に入った飛鳥は、そのままシシオウブレードを振り抜こうとし、スレードゲルミルは跳ね上げられた斬艦刀を技術と力で振り下ろす。
「チェストーーー!!
「ぬあああああっ」
 飛鳥がシシオウブレードを振り抜いた姿勢でスレードゲルミルの脇を駆け抜ける。
 どちらが斬った?
 どちらが斬られた?
 スレードゲルミルが振り返る。飛鳥が振り返る。どちらも斬られた様子はない。斬った様子もない。互いに相手の機体に刃を立てる事は叶わなかったか。
 スレードゲルミルは右肩に担ぐ様に斬艦刀を構える。飛鳥の構えは青眼。
 シンの喉がごくりと生唾を飲み込む音を立てた。ムラタと対峙した時、ゼオルートと対峙した時、イザヨイと対峙した時の緊迫の感覚。細胞の一つ一つまでがスレードゲルミルから伝わってくる圧迫感に押し潰されそうだった。
 恐怖が闘志を鈍らせる。緊張が怒りを宥める。だが――シンの光を失った紅の瞳に、不屈の闘志が燃え盛る。正しい怒りが煮え滾る。深く細く息を吸う。肺が膨らむ。心臓の鼓動が聞こえる。血の流れさえも知覚できる。
 味覚・触覚・視覚・嗅覚・聴覚・直感。ありとあらゆる感覚が研ぎ澄まされる。シン・アスカという存在全てが飛鳥とその手が握るシシオウブレードにまで行き渡る。剣心一如、人機一体。剣は心なり、心は剣なり。機は人なり、人は機なり。その名の如く、シン・アスカと飛鳥は一体のモノとなる。
 ウォーダンもまた目の前に立つ少年の技量に素直な感嘆の意を抱いていた。幼い感性の発した言葉それゆえに純真で、淀みが無い。迷いが無い。曇りが無い。好意めいた感情も芽生えていた。
 だが、敵である。この一事が、ウォーダンとスレードゲルミルに一切の容赦を捨てさせていた。
 我はウォーダン・ユミル。我は剣。立ちはだかる敵を斬り、万象を断ち、道を切り開く刃。
 飛鳥の握るシシオウブレードが振りかぶられた。飛鳥の真紅の瞳が一際輝く。
 スレードゲルミルの背中で赤いドリルが猛烈な勢いで回転を始め赤い飛沫を零し始める。巨人の歯がより一層強く噛み締められる。
 今こそ決着の時――
「行くぞ飛鳥、一刀両断!」
「吼えよスレードゲルミル! 一意専心!」
 飛鳥が無音の咆哮を挙げる。主の意に応えるが如く、その名の如く一歩を踏み出す。空間にさえめり込みそうなほどに気合いの充溢した踏み込み。
 スレードゲルミルが世界を揺らがして吼える。その名の如く原始の巨人の様に巨大な咆哮。ドリルの回転数が最大になる。スレードゲルミルと自らの下腹が張り裂けそうなほどに凝縮された咆哮が轟く。
 両者の間に開いていた距離一五〇メートル。互いの一歩がゼロにした。互いが遭遇するまでに要した時間は、それが神速の踏み込みであることを証明していた。
 斬艦刀が振り下ろされる。シシオウブレードもまた。
 赤い瞳を見開いたシンの口が動いた。
「……くそっ」
 斬艦刀の刀身は、シシオウブレードを半ばから斬り砕き、飛鳥の左半身を斬っていた。獅子王の太刀が折れる世にも美しい音を、虚空が吸い込んだ時、ゆっくりと斬られた飛鳥の左半身が離れていった。
「我が斬艦刀に、断てぬもの無し」
 静かで厳かなウォーダンの一言が、決着を告げていた。
 おれは、負けたのか? 負けるのか? ステラを傷つけたアイツに一矢報いる事もできずに? 
 ……けるな。ふざ、けるな。巫山戯るな!!
「こんな、所でえええ!!」
「っ!?」
 左胸部から先を失った飛鳥の心臓が最後の火を燃やす。カルケリア・パルス・ティルゲムを始めとした全搭載システムが、シンの思念を受けて最後の唸りを上げる。
「うおおおおおおおおおおおおお!!」
 もはやシンの意識はステラの事も、オーブに残る家族の事も忘却していた。ただ、今この時だけは、目の前の敵に勝ちたかった。負けたくなかった。
その思いに応えたか、砕かれたシシオウブレードを、緑色に輝く燐光が覆い刀身を形作る。新たな形を得たシシオウブレードは理性も何もかもが吹き飛んだシンの、最も本能的な部分に突き動かされて振われた。
 それは、ウォーダンでさえ反応が遅れた、シン・アスカ最強最高の一太刀であった。
 スレードゲルミルの左肩から入ったシシオウブレードは、水を割くように胸部までを斬り下す。
 半身を切り裂かれ著しく重量バランスを崩し、パイロットの意識もまた朦朧としている。しかしそれだけの悪条件が揃ってもなお、その一刀は紛れもなくシンにとって最高と誇れた。
 その途中で、思念の支えを失ったシシオウブレードが、見るも無残に砕け散るまでは。
 シンはかろうじて保っていた意識が暗黒の淵に飲みこまれてゆくのを感じた。口の中に、鉄の味が広がる。
 最後に呟いた。
「ステラ、ごめん」
 そして、飛鳥は爆発の光芒に飲み込まれ四散した。