ザフト大敗!
地中海におけるザフトとファントムペインの一戦から一夜明け、その急報はプラントへと届き、一般市民の知るところとなった。
それまでザフト優勢の報道にしか耳を傾けていなかった市民は、この事実を受け入れることが出来ず、また、ヨアヒム・ラドルやマルコ・モラシムといった名だたる将帥、さらに英雄であるザフトのエースパイロット、ハイネ・ヴェステンフルスの死に言葉にならない衝撃を受けた。
ザフト軍はこの戦いに動員した兵力の、実に八割近くを失っていた。
占拠したはずのスエズ基地は放棄され、かろうじて残存艦隊がそれぞれの基地に逃げ帰ることが出来たのみである。
しかも、それをこれからも維持できるという保障はどこにもない。勝ちに乗じたファントムペインが、逆侵攻を行う可能性もあり、軍当局はその対応に終われることとなった。
たった一度、しかし、補いようのない大敗戦だった。この敗戦は、プラントの政治経済、社会秩序に大きな影を落とした。
市民は、かくも無惨な敗北にヒステリー状態となり、この侵攻作戦を決定した最高評議会を激烈に批難した。
言い返せるわけもない。出世欲の果てにこの敗北、出兵に賛成した議員たちは全員が辞表を出し、またしても議長と国防委員長以外の椅子が空席になるという、異常事態になった。
「だが、世論はこの前まで主戦論だったはずだ。負けたからといって、政治家だけを非難するのはどうなんだ」
この発言は、デュランダル最高評議会議長が非公式の場で行ったものであるが、デュランダル自身は、また自分の席を守り抜いたのである。
「負けるとは思っていたが、こうも散々たる結果とは……特に、失った人材の数ときたら。地上の立て直しには五年、いや十年はかかるかも知れない」
ヘルマン国防委員長は、ディオキアとマハムールの両基地が司令官を失い、もはや基地として機能できないことを悟った。
もはや、放棄する以外に道はないだろう。
「ジブラルタルも、今の戦力では維持は難しいはずだ」
不謹慎だが、ウィラードだけでも生き残ったは、不幸中の幸いだった。彼の手腕を持ってして、残存兵力をまとめ上げることが出来れば、まだ対処の仕様はある。
いずれにせよ、惨敗は惨敗だ。人類がタイムマシンを発明し、時間移動を実現していない以上、この結果が覆ることは絶対にない。勝者であるファントムペインには、タップリとした余裕があるのだろうが、敗者であるザフトにはそんなものはない。これ以上、最悪の事態を招かないためにも、出来うる限りのことをしなければならないのだ。
「まずは国葬の準備だがな……」
既にデュランダルが、今回の会戦で戦死した将兵を弔うための国葬を準備している。そして、妙な言い回しだが、その主役は、ハイネ・ヴェステンフルスその人になるだろう。英雄が、死んだのだから。
第41話「英雄の死」
ハイネ・ヴェステンフルスの死が、ロッシェ・ナトゥーノの耳に届いたのは、民間人とほぼ大差ない頃だった。
報告を受けたロッシェは、耳を疑い、顔色を変え、彼に報告に来た士官の胸ぐらを掴んだ。
「どういうことだ!奴が、ハイネが戦死したというのか!」
胸ぐらを掴まれた士官は、抵抗しようとしなかった。無理もない、と思ったからであろう。士官はロッシェのことを特務隊員としか知らなかったが、同じ特務隊員同士、ロッシェとハイネの間に友誼があったのだろうと思ったからだ。
「ミネルバから届いた報告です。ハイネ・ヴェステンフルスは、モビルスーツにて殿を務める最中、敵の追撃にあい……戦死しました」
ふっと、胸ぐらを掴んでいた手から、力が抜けた。ロッシェの瞳には、怒りや悲しみ、殺気や怒気、それらが混ざり合った複雑な色合いになっていた。感情の激発を必死で押さえ込んだようでもあった。
「誰にやられた……モビルスーツか?それとも戦艦か」
「はっ?」
「モビルスーツなら何機だ!戦艦なら何隻だった!アイツが、ハイネが一騎打ちでやられるものか!」
士官は、慌てたように報告書を取り出し、その内容を読み返す。
「モビルスーツと巡航艦に追撃を受け、乱戦の末、幕僚機を庇ったとのことです」
「庇った?ハイネは、単機ではなかったのか?」
考えてみれば殿ほど重要な任務、いくらハイネの腕が優れているといっても、単機で行うとは考えずらい。
例えば、ハイネと彼よりも若くて腕が未熟なパイロットがその任に当たったとしたら?
そして、ハイネがそのパイロットを守るために身を挺したとしたら。なるほど、大した美談だ。
「アスラン・ザラです。アスラン・ザラのジャスティスが、一緒でした」
「アスラン?」
しかし、士官の口から出たのは、ハイネと同じく英雄と称される者の名前だった。
「アスラン・ザラの機体も酷い損傷を負っており、特にメインスラスターを破損しており、行動制御が利かなくなったところを敵機に襲われたそうです」
「それを、ハイネが庇ったと?」
「報告書には……そう書かれております」
ロッシェは、士官の胸ぐらから手を離した。そして、そのまま黙って部屋の扉を閉めた。士官は、閉じた扉を数秒ほど黙って見つめていたが、やがて背を向けると、立ち去った。
「一騎打ちでは負けるはずがない、か」
士官は、ロッシェの言葉を思い出した。なかなか、言えたものじゃない。同じ特務隊であるからには、ロッシェも相当な実力者なのだろう。それでも、ああしてハイネの実力を認め、彼の死を疑った。
優れた力を持つ者には、相応の敬意を払うことが出来る男。ロッシェ・ナトゥーノは、その類の人物であるようだった。
「でも、これからどうなるのだろう」
英雄ハイネを失い、地上軍は壊滅し、ザフトはどうなってしまうのか。一士官には、想像も出来ないことだった。
その頃地上ジブラルタル基地では、命からがら撤退してきたウィラード艦隊が帰還していた。総数は、出撃時の半数にも満たない。旗艦を始め、多くの艦艇が傷ついていた。
「何とか帰って来られたが、敵の逆侵攻の可能性があるし、すぐ対策を練らねば。司令官は、今どこにおる?」
出迎えの士官の一人にウィラードは尋ねるが、返ってきた答えは意外なものであった。
「そ、それが、司令官はいません」
「いない?どういうことだ」
「基地から去りました。昨日、シャトルでプラントの方に」
ウィラードは口をあんぐりと開けてしまった。驚きで声が出なかった。
「一応訊くが、急な召還でもあったのか?」
「いえ……そういうわけでは」
「するとなにか?司令官は自らの職務を放棄して、プラントに逃げ帰ったというのか?」
さすがのウィラードも、声に怒りを隠せなかった。使えない男だと思ってはいたが、まさか精魂腐りきっていたとは思わなかったのだ。
「以後は、全てウィラード閣下に司令官としての権限を委譲し、閣下の最良と思われる行動を取られたし、とのご伝言です」
気が抜けそうになった。唖然として、身体に力が入らない。第一、司令官はプラントに逃げ帰ってどうするつもりか?
職務放棄、いや、軍務放棄ではないか。裁判に掛けられ、銃殺されたって文句は言えないはずだ。仮にもアカデミーを出ているエリートなのだから、その辺りのことは判っているはずだ。
「最良と思われる行動か……進発する前に言ってくれれば、負けはしなかったかもしれんのにな」
呟くように言った言葉は、兵士たちの胸を打った。ウィラードは確かに敗残の将である。プラントにいる市民たちは、勝ちを彼らに与えなかったウィラードを批難するだろう。しかし、この場にいる兵士たちは、ウィラーがいたから生きて帰ることが出来たのだ。これは、変えようもない事実だった。
「では、この際好き勝手やらせて貰うとするか」
諦めたのか、開き直ったのか、ウィラードは一つの決断をした。彼には、ある考えがあった。
「至急全ての将官及び事務官を基地の大会議室に集めてくれ。今後の方針を話す」
「了解しましたが、一体どうするおつもりですか?」
敵は間違いなくこの基地を落としに掛かってくるだろう。今のジブラルタル艦隊に、守りきることが出来るのか?
士官たちの不安を余所に、ウィラードは意地悪い笑みを浮かべていた。そして、何気なくこう言ってのけた。
「ジブラルタル基地は放棄する。今から、その準備を始めねばならん」
疲れを滲ませた声はどこかのんびりとしていて、士官たちは一瞬我が耳を疑い、尊敬する指揮官に説明を求めた。
「聞こえなかったのか?ジブラルタル基地を放棄する。将官連中と事務方の人間を集めて、早速協議せんとな」
一方、同じように地中海から撤退し、ザフト軍ディオキア基地へと逃げ延びたのは、ミネルバただ一隻だった。出陣前は数十隻を超えた艦艇尽くが、今は地中海の底に沈んでしまっている。ミネルバ自身も敵の激しい追撃を受けたが、殿のモビルスーツがそれを撃退してくれたため、大事には至らなかった。
少なくとも、艦自体は。
ハイネ・ヴェステンフルスの死は、帰還したアスラン・ザラによって正式に報告された。
彼はハイネと共に艦の殿を務め、敵の猛追撃にあった。
彼は果敢に迎撃したが、さすがに勢いに乗った敵である、容易に倒すことは出来ず、ついには機体のメインスラスターに被弾してしまった。
機体の安定性が損なわれ、アスランはよもや撃墜の危機にあったという。
だが、アスランは助かった。彼が使い物にならなくなったメインスラスターを切り離し、サブシステムに切り替える僅かの間、確かに敵は彼のジャスティスに銃口を向け、ビームを撃ち放った。当たっていれば、アスランは撃墜されこの会戦で死んだ死者リストへと加えられる羽目になっただろう。
「危ない!アスラン!」
それがこうして助かったのは、彼を庇い、自らビームに貫かれたハイネの存在があったこそだ。アスランは、ハイネに命を救われたのだ。
「ハイネェェェェェッ!」
連射されるビームに貫かれ、セイバーは撃墜された。自分は、その光景を一生忘れることはないだろう。
…………以上がアスランによって行われた、ハイネ・ヴェステンフルスの死に対しての虚偽の報告である。
ファントムペインは追撃など行ってはいないし、ハイネを殺したのはアスランである。
しかし、このアスランの証言をミネルバクルーのほとんどは信じた。
ハイネは義理や人情に厚く、同僚や部下思いの面倒見が良い性格をしていた。
窮地に立たされたアスランを見て、咄嗟に庇ったと言われれば如何にもハイネらしいといえる。
だから、このアスランによる嘘っぱちの報告は信じられた。
シンやルナマリアはもちろんのこと、オデル・バーネットに至っても、まさかアスランがハイネを殺したなどという発想が出るわけもないからであるが、アスランの証言を信じたのである。
唯一、メイリン・ホークを除いては。
「くそっ、ない、ないぞ」
そのアスランとメイリンは、現在ミネルバにおけるハイネの部屋にいた。入室名目は遺品整理である。
ハイネは特務隊員であるため、遺品に関してもおいそれと他者が手を着けていい物ではない。故に同階級であるアスランが行っているのだが、彼には当然別の目的もある。
「メイリン、そっちはどうだ?」
「……いえ、まだ何も見つかりません」
アスランは彼の遺品を整理する一方で、彼が持っていたはずのアスランとヨップの密会現場の証拠類を探していたのだ。
メイリンが調べた結果、ハイネはあの日ディオキア基地でカメラ等撮影・録画機材の一式を借りている。
つまり、写真や録画映像など、アスランにとっては好ましくない記録データが残っていることになる。
それを回収して処分したかったのだが……
「現像された写真はあった。音声テープも。だが、マザーデータがない」
それらのものが記録されていたはずの、記録メディア。これがどうしても見つからないのだ。メイリンにハイネのPCも調べて貰っているが、今のところそれらしいものはない。
「肌身離さず持っていたのか……それとも」
ハイネが保険を掛けていたとしたら、どうだろうか?例えば彼が記録メディアを誰かに託し、彼の死後公表するようにとでも頼んでいたとすれば、かなり厄介な話だ。
「アスランさん……」
証拠品の行方に思いを馳せるアスランに、メイリンが声を掛けてきた。何事かと振り向いたアスランは、そこで息を呑んだ。彼女がいつになく、思い詰めた顔をしていたからだ。
「訊きたいことがあります」
「後にしてくれ。今は一刻も早く記録メディアの回収を……うわっ!」
言い終わる前に、アスランはメイリンに飛びつかれ、床に押し倒された。掴まれた肩を伝わり、彼女の体重がアスランに伝わる。
少し重いかな、などと考える余裕もなく、アスランはその鼻先にメイリンの顔を見た。
「アスランさん、貴方は……貴方は、ハイネ・ヴェステンフルスを、殺したんですか?」
気丈に振る舞いたくても、出来ないときはある。メイリンの声は震えており、目には怯えの色が隠せなかった。
「だとしたら、どうする?」
「――ッ!真面目に、答えてください」
私には、嘘をつかないで。
メイリンの表情を見て、アスランは小さく溜息を付いた。
「そうだ。俺がアイツを、ハイネを殺した」
今度は、メイリンが息を呑む番だった。予想はしていた。あの状況から考えれば、この答えが返ってくる可能性のほうが高い。
だが、それでも……
「どうして、どうしてハイネを!」
「アイツは知らなくて良いことを知りすぎた」
「でも、それはっ」
「そもそも、奴が俺のことを、いや、俺達のことを勘ぐってると教えてくれたのは君だろう」
アスランの言うとおりである。メイリンが発見し、教えたからこそ、アスランはハイネの行動を察知することが出来た。
仮に、メイリンがこの事を黙っていたとして、アスランは今頃憲兵隊に捕らえられていたかも知れないのだ。
だが逆に、メイリンがアスランに教えたから、ハイネが死んだのだとすれば、メイリンはハイネの死の要因たり得る人物と言うことになる。
自分が、ハイネの死の切欠を作ったのか?
「そんな言い方、卑怯です」
目に涙を溜めながら、メイリンは訴えた。
「……そうだな。こんな言い方は卑怯だった」
メイリンが間接的に関わっていたかどうかは別としても、直接手を下したのはアスランであり、彼はメイリンにハイネを殺す計画を打ち明けなかった。
まさか、殺すなどとは思っていなかったのだろう。それはそうだ、アスランだって、つい先日まではハイネと殺そうなどと考えても見なかったのだから。
「なあ、メイリン。君は今、幾つだ?」
メイリンの嗚咽を聴きながら、ふと、アスランはそのようなことを尋ねた。
「え……十六歳ですけど」
何故、今、そのようなことを訊くのか?メイリンが不思議そうな表情をすると、アスランはそんな彼女の身体を優しく抱き起こした。
「なぁ、メイリン。俺は今まで、回りに流されるままに戦ってきた。軍隊という組織に所属し、上からの命令通りに動いて、敵を倒し、戦果を挙げ、少なくとも前大戦の時の俺は、自分の意思で何かを行っていたわけじゃないんだ」
「でも、アスランさんがザフトに入隊した理由って……」
「初めは、復讐心だった。血のバレンタインで母を殺され、怒りにまかせてザフト入りした。そんな意味では、シンに少し似てるかな」
あの時は、ザフトに入ることが当然だと思っていた。母を殺したナチュラルに復讐し、プラントのために戦う。
――ユニウス7のニュースを見て、戦わなきゃって思ったんです。
かつての戦友が言ったように、アスランもまた戦うためにザフトに入った。
だが、戦いが続くにつれ、それが本当に正しいのかとも思うようになった。
「アラスカ、オーブ、ボアズ、ヤキン……数々の戦場で、沢山の人が死んで、やっと俺達は平和を掴んだ。戦争を終わらせることが出来た、はずだった」
それが、今はどうだ。
「これから平和な世界になる、していかなければいけない。そう思って、僅か一年と少し……俺達はまた戦争を行っている。どうしてだと思う?」
「どうしてって」
「俺はあの時、戦争が終わったとき、この平和はずっと続く物だと思っていた。永遠に、なんて馬鹿げた考えこそ持っていなかったけど、少なくとも俺が老人になってどこかで死ぬぐらいまでは続くんじゃないって……」
でも、現実は違った。
「コーディネイターを疎み、蔑視し続けるナチュラル。ナチュラルを蔑み、見下し続けるコーディネイター。戦争が終わっても、何一つ変わらなかった。マハムール艦隊に起こった騒ぎを君も訊いただろう?解放だなんだといっても、あれが現実なんだよ。解り合えるだの、助け合えるなんてのは現実を見ようとしない政治家どもの夢物語に過ぎないんだ」
「そんなことは……ないんじゃ」
「解り合えないから戦争やってるんだよ。昔、俺の父が言ったよ、ナチュラルを全て滅ぼさなければ戦争は終わらないって。あの時は、何を馬鹿げたことをと思っていたけど、今なら判る。100%正しいとはいかないまでも、それが一番手っ取り早い方法なんだ。俺達が抱える問題は、主義や主張、思想や信念の問題じゃない。単なる種族間の戦争なんだ。ラクス・クラインがかつてコーディネイターは普通の人間と変わらない、新たな種などではないと言った。本当にそうだろうか?俺はそうは思わない。本当にそうなら、そもそも戦争なんて起こっちゃいない」
納得できない、ではない。理解が出来ないのだ。何故なら、ナチュラルとコーディネイターは、本当に別種の存在なのだから。
アスランの長広舌を、メイリンは黙って聞くことしかできない。
「俺はザフトに復帰して、今こうして戦ってる。カーペンタリア、インド洋、ガルナハンと戦い続けてきて、地中海だ。何か変わったか?戦うだけ戦って、人が死ぬだけ死んで、世界は平和になっていると、感じられるか?」
戦争は、まだ続いている。ザフトはこの大敗を補うために、新たな戦いに挑むことになるだろうし、ファントムペインもこの勝ちを絶対とするために更なる侵攻を開始するだろう。
敵に負けないことを考え、敵に勝つことを考える。一体どれだけの人間が、戦争を終わらせることを考え、平和を願っているというのか。
「アスランさん、貴方は、何をしようとしているんですか?」
メイリンの声から、怯えが消えていた。彼女は、アスランが何をしようとしているのか、全く予想が付かない。
だが、一つ言えるのは、メイリンなどに予想が付かないぐらい壮大で、途方もない、それこそ世界をひっくり返すようなことを、やってのけようとしているのではないか?
何故か、メイリンは期待してしまった。そして、アスランはその期待通りの答えを、言ってのけた。
「戦争を終わらせる。前大戦の時は全く違う、力ずくの方法で、ファントムペインとザフトを叩き伏せる」
それ即ち、世界を支配するとアスランは言っている。
「違うな……俺が支配したいは世界じゃない。宇宙だ。俺は、俺の才覚と実力を持って宇宙を支配し、この世から争いをなくしてみせる」
出来るわけがない。そう言ってしまえるはずだった。だが、メイリンの口からその言葉は出ない。
やるかも知れない、この人なら……
「どんな方法で?」
メイリンは半ば呆然としながら、更なる質問を続けた。しかし、アスランはそれに答えなかった。答える前に、彼女に向かって、逆に尋ね返した。
「メイリン、俺は君を信用している。君が居なければ、今日までやってこられなかっただろうし、その意味では感謝もしている。だが、君がハイネの一件で俺を許せないというのなら、ここでこの関係を終わらせても構わない」
引き返すなら、今しかない。ここから先に、逃げ道など存在しない。アスランの瞳は、そう語っていた。
「君が今までのことを、これから先、黙っていると誓ってくれるのなら、俺は君に何もしない、今後一切の干渉をしないと約束する。どうだ?」
逆に言えば、メイリンが誰かにこの事を告げるのなら、ハイネのように始末すると言っているのだが、メイリンはその点に気付かなかった。アスランのほうにしたって、情けないことに十六歳の少女を殺すだけの勇気がなかったため、ここでメイリンに反発されたら困り果てたことだろう。
幸い、そんなことにはならなかったが。
「本当に、世界を平和に出来るんですか?」
確認するように、メイリンは訪ねる。
「それだけの力を、俺は持っている」
断言するアスランの声に、嘘が混じっているとは思えない。
「もう一つだけ、アスランさん、貴方はなぜ戦っているんですか?」
これが単純な世界征服の野望とかだったら、メイリンは断っただろう。だが、アスランはそんなくだらないことは、言わなかった。
「父の志のため、そして……メイリン、君みたいに年端もいかない子が、戦場に出て死ぬのを、これ以上見たくない。それだけのことさ」
メイリンは呆気にとられたようにアスランを見つめ、数十秒後にこう言った。
「判りました。私の運命、貴方にゆだねます」
プラントでは、ハイネ・ヴェステンフルスを初めとした戦没者の国葬が行われようとしていた。
葬儀の指揮を取り仕切るのは、国防委員長であるヘルマンだったが、デュランダルもまた、企画者及び議長としての立場を考え、その場にいた。
会場となった公共施設の講堂には、戦没者の遺族の他に、政府及び軍関係者、マスコミの類でごった返していた。
その中に、ミーアもいた。彼女もプラントの歌姫としての立場と、平和主義者という意味からこの場にいた。だが、彼女が講堂をいくら見渡しても、探し求める姿を見つけられない。
「ロッシェ……来てないの?」
彼が、ハイネの死に著しいショックを受けていることを、ミーアは悟らざるを得なかった。彼女自身、ロッシェがハイネを高く評価し、全幅の信頼を置いていることを聞いたばかりだった。それがまさか、こんなことになるなんて、想像もしていなかった。
会場に来る前、ミーアはロッシェの官舎に立ち寄った。しかし、ベルをいくら押しても彼は出てこなかった。だから、既に会場に向かったものだと考えていたのだが、特務隊員が座る席に、彼の姿はなかった。
「どうして、こんなことになったんだろ」
ミーア自身、今回の大敗はショックだった。ザフトが負けたことがショックなのではない、ハイネを初めとした、沢山の人が死んだことが、ショックなのだ。
彼女が慰問のために降り立ったディオキア基地、彼女の歌に熱烈な声援を送ってくれた軍人たち。それが、ほとんど戦場で散っていったのだ。
それほど、ミーアは強い心を持ってはいない。怖いものは怖いし、嫌なものは嫌だと、素直に感じる性格をしている。でも、ラクスである限り、彼女は常に気丈に振る舞わなくてはならない。
だからこそ、ミーアはロッシェに依存している。彼女自身、それを良く分かっているからこそ、こうして彼の姿を探してしまうのだ。
「迷惑だよね、こんなの」
今回のことに関して言えば、ロッシェのほうがよっぽどショックなはずだ。
彼はこの世界において出来た、数少ない、というよりもただ一人の同性の友人を、失ったのだから。
昔、ペーパーコミックか何かに、男は時に愛情よりも友情を取るみたいなことが書いてあった。
もしそれが本当なら、しばらく、彼をそっとしておくべきじゃないだろうかと、ミーアは思った。
「戦友、か」
もし、自分が死んだら、ロッシェはハイネの死のように、悲しんでくれるのだろうか?自分が死んで、もし違うラクスを作り上げることが困難な状況だったとき、人々はラクスの死を悲しむだろう。ミーアの死を、悲しみはしない。
では一部事情を知っている物はどうだろうか?彼らは、ラクスがミーアであることを知っている。だが、悲しみはしないだろう。むしろ、ラクスとして死んだ少女を、哀れむはずだ。
哀れみと、悲しみは違う。ミーア・キャンベルという少女の死を、悲しんでくれるものは、誰かいるのだろうか?
「何か、埒もないことを考えてるかな」
ミーアは壇上を見た。壇上の上では、デュランダルが戦没者に対して格調高い弁舌を持って弔い言葉を掛けていた。ミーアは、その姿を見ているのが癪だったので、顔を背けた。
ロッシェ・ナトゥーノは、国葬の会場にはいかなかった。特務隊員と言っても、それは仮初めの地位に過ぎない。そんな自分が、公式の場に赴くのは相応しくないと考えたからだ。
彼が今いるのは、とあるホテルのバーである。まだ昼間であり、バーには疎らに人がいる程度であったが、ロッシェは一人カウンターで酒を飲んでいた。
ここはかつて、ロッシェとハイネが初めて出会い、共に酒を飲み交わした場所でもある。
「すまんが、チャンネルを変えてくれないか?」
備え付けのテレビモニターは、国葬会場の生中継が映っていた。時間的にも、そろそろ始まる頃なのだろう。
無口なバーテンダーはリモコンを操作しチャンネルを変えていくが、ほぼ全てのチャンネルが同じ内容を放送していた。
唯一、一つだけ古くさい映画を放送しているチャンネルがあったが、どうみても子供向けの内容だったので、バーテンダーはテレビの電源を切った。
客も少ないので、文句を言う奴は一人もいない。
「人間など、死んでしまえばあっけないものだな」
何の根拠も在りはしなかった。
いくらハイネが強いと言っても、それが個人の武勇であり、大局を左右するものではないと言うことを、ロッシェは判っているつもりだった。
彼がいた世界においても、強いから生き残れるかと言えば、そんなわけはにのだ。
だが、彼は期待していたのだ。ハイネ・ヴェステンフルスという男が持つ、強さに。
「それが、間違っていたとは思わない」
ロッシェがハイネに向けた信頼は、ハイネからしてみれば苦笑したくなるようなものだったのだろう。
冗談めかしていたとはいえ、最後にあったとき、彼は今度の会戦で自分が死ぬかも知れないと言っていた。
最悪なことに、現実となってしまったわけだが、だからといってハイネがロッシェの信頼を裏切ったと批難など出来るわけもない。
「しかし、アスラン・ザラか」
気に掛かることといえば、ハイネと共に殿を務めたのがあのアスラン・ザラだと言うことだ。
ロッシェは独自のルートで、アスランが行った報告をまとめた書類のコピーを入手していた。
なるほど、確かにもっともらしいことが書いてあった。
「だが、ハイネはアスランを信頼していなければ、信用もしていなかった」
庇ったことそれ自体がおかしいという気はない。何だかんだ言いつつも、咄嗟に身体が動いてしまったと言うこともあるだろう。
でも、ロッシェにはそれがどうしてもしっくりこないのだ。
まさかとは思うが、ハイネはアスランに――?
「そんなこと、あってたまるか……」
低く呟いた声は、何もアスランがハイネを殺したと思いたくないからではない。ハイネがアスランに、負けたと言うことが信じられないのだ。
ハイネはロッシェも認めるこの世界の実力者だった。英雄と呼ばれるに相応しい、そう言う男だったのだ。
それが、負けたというのか。
「アスラン・ザラ、奴は一体」
問題は、ロッシェがアスランの実力を知らないことだった。もし、仮の話ではあるが、アスランがハイネより強かったとしたら?
アスランもまた、英雄と呼ばれた男だ。認めたくはないが、その可能性は否定できない。
「調べてみるか……」
ハイネも、アスランのことを調べていたという。なら自分も、少しばかし調べてみるべきかも知れない。
ハイネは怒るかも知れないが、彼がもしアスランに負け、殺されたというのなら……
「それを裁くのは、私の役目だ」
ロッシェは、アスランを許さない。彼は自分が持つ全ての力を尽くして、アスランと戦うだろう。そうするだけの、理由がある。
一気に酒を飲み干すと、ロッシェはバーを後にした。立ち止まってなど、いられないのだ。
場所を戻して、地上のジブラルタル基地では兵士たちが慌ただしく動き回っていた。命令が下されたのだ。本日付を持ってジブラルタル基地を葉放棄、全艦隊をカーペンタリアへと移すと。
「ですが、閣下、地上部隊はどうなさるのですか?」
会議の場で、将官の一人が質問した。ジブラルタルほどの大基地ともなれば、地上部隊もそれなりの数が揃っている。まさか、それも放棄していくというのだろうか。
「地上部隊に関しては、全部隊揃ってベルリンに行ってもらう」
「ベルリン?ユーラシア連邦の、ベルリンですか」
「あぁ、あそこにはザフトの駐屯地が、かなりの規模で展開されていたはずだ」
この時期、地球の勢力はザフトを除けば大きく三つに分かれていた。
ファントムペインを要する大西洋連邦と、それに対するユーラシア連邦、そしてオーブを初めとした数少ない中立国。
ユーラシア連邦は元々旧連合を牛耳っていた大西洋連邦に並ぶこの世界の最大勢力の一つだが、前大戦でその主要軍事施設であったアラスカのJOSH-Aを失って以来、その力を弱めた。
さらに、ファントムペインがクーデターを起こし、旧連合を消滅させてしまって以来、大西洋連邦への反目意識からか、プラントにも多少は友好的なのだ。
その為、ザフト地上軍の一部が、ユーラシア連邦内のベルリンにて大規模な駐屯を行っていても、今のところは問題がない。
「あそこに合流させれば、ベルリンの守りも強化されて一石二鳥だろう。少なくとも、艦隊でカーペンタリアへ向かうよりは、よっぽど安全じゃ」
敵の追撃を如何に振り切れるか、ウィラードは早くもそのことに頭を悩ませねばならなかった。
「おぉ、そういえば……ミネルバは一体どうするつもりなのかな」
現在単艦で行動しているというミネルバは、ディオキア基地にいるとう。あの快速艦ならば、カーペンタリアにも割りと早くに迎えると思うが、一体どのような選択をするのか。
「立て直すにしても、足並みを揃えんとな」
これから起こりうる苦労を想像して、ウィラードは溜息を付いた。彼には、一人でも多くの兵士を生かさなければならない、義務があった。
そのミネルバでは、オデル・バーネットが艦長のタリア・グラディスに面会を求め、一つの頼み事をしていた。
「艦長、私に一時的な退艦許可をお願いしたい」
「退艦許可?どういうこと?」
「こうなってしまった以上、モビルスーツパイロットとしての自分はそれほど役に立てそうにありません。プラントに戻って準備しなければならないこともありますし、ディオキア基地のシャトルで一時艦を離れプラントに戻りたいのです」
まさか、オデルが逃亡を図るとは思えなかったが、タリアは複雑な顔をしていた。
「難しい相談ね。確かに大局的に見ればモビルスーツ一機は大した戦力じゃない。でも、戦艦一隻で考えれば話は別よ」
「いえ、戦艦一隻でも同じことなのです」
「というと?」
オデルは、彼の愛機ジェミナスが最早満足に戦える状況ではないことを説明した。
「一度、プラントに戻ってちゃんとした整備をしなくてはいけません。このままでは、私は戦えなくなる」
功績から言えば、オデルは勲章ものの働きを今回の会戦でしている。
ミネルバが撤退する際に、彼が血路を開いてくれたからこそ、ミネルバはこうしてディオキア基地まで逃げ延びることが出来た。
モビルスーツにして数十機、果てしない数を1分足らずで撃墜させたのだ。その戦果を思えば、許可してやる以外に道はないだろう。
「判ったわ。ハイネの遺品を届ける必要もあったし、退艦許可します」
「ありがとうございます」
艦長室を出たところで、オデルはシンとルナマリアに捕まった。二人とも、オデルが退艦許可を求めていることを知っていたのである。
「オデルさん、ミネルバからいなくなっちゃうんですか!?」
自分たちを見捨てるのかと言わんばかりのルナマリアの言葉に、オデルは苦笑気味に答える。
「ジェミナスの整備もあるし、それに俺がここに残って役立つことはないよ」
「そんなこと!」
オデルはこういうが、実のところモビルスーツパイロット以外にも、オデルは十分ミネルバに必要な人物だった。
年齢から来る達観した見識と、穏やかだが厳しい行い、年若いクルーが多いミネルバでは、こういった存在は割りと重要なのだ。
「オデルさん、絶対、戻ってきてくれますよね?」
ルナマリアとは対照的に、シンはそれだけを確認した。彼は、オデルが自分たちを見捨てるわけがないと、わかっていたのだ。
「もちろんだ。ジェミナスの整備と、準備していたものが出来れば、すぐにでも戻ってくるさ」
「準備していたもの?それは一体……」
シンとルナマリアは、不思議そうに尋ねる。
「そうだな……キーワードはデスティニー。憶えておいてくれ」