W-Seed_運命の歌姫◆1gwURfmbQU_第51話

Last-modified: 2008-02-04 (月) 21:33:51

『過日、我らファントムペインはベルリンに軍を送った。それはこの放送をご
覧になっている方、全てが知っておられることであろう』
 オーブ連合首長国代表カガリ・ユラ・アスハが、単身ヘブンズベースを訪れ
ていたまさにその時、ブルーコスモス盟主にしてファントムペイン最高司令官
ロード・ジブリールは、世界に向けて声明を発表していた。
『ベルリンは地球を代表する国家の都市でありながら、敵性国家であるはずの
ザフトを駐屯させ、あまつさえそのザフトの戦力を持って我々に対抗しようと
していた。これは反コーディネイター、対プラントの歩調を合わせてきた各国
との連携を著しく乱す裏切り行為である!』
 世界に向けて送信された放送は、世界を震撼させた。
 ユーラシア連邦やプラントはもちろんのこと、ファントムペインの後ろ盾で
あったはずの大西洋連邦でさえ、今日この時間にジブリールが声明を発表する
など知りもしなかったのだ。
『我々は武力を持ってベルリンザフトの排除に掛かった。青き清浄なる世界に
彼らの居場所などありはしない』
 プラントでその映像を見つめるギルバート・デュランダル最高評議会議長が、
苛立たしげに舌打ちをした。
「ジブリールめ……何を言うつもりだ」
 カーペンタリアへの侵攻でも発表するのか? 望むところだ、カーペンタリ
アに物資・兵力を投入して、とことん戦ってやろうではないか。
 デュランダルは、このように考えたが、ジブリールにはまたザフトと戦うつ
もりなど今は無かった。
『ここに一つの資料がある。これは先ほど処刑されたファンペイン内部に巣く
っていたスパイの通信記録の一部だ。さて、先日プラントにいる三流政治家ギ
ルバート・デュランダル氏は、世界に向けた会見の場で堂々と地球の中立国で
あるオーブ連合首長国とベルリンにおいて協力関係にあったと大声で仰った』
 オーブ行政府に置いて、国防長官であるユウナ・ロマ・セイランが食い入る
ようにジブリールが映るTV画面を注視している。ユウナには、嫌な予感がして
いたのだ。
『ザフトとオーブの関係は、ベルリンにおいての一度きりだったのか? いや
違う! かの国は我らとの同盟を再三無視しながら、プラントと密かに連携を
していたのだ。その証拠にオーブからのスパイはオーブだけではなく、ザフト
にも情報を送っていた!』
 勘違いであった。というより、叫ぶジブリール自身これだけでオーブとプラ
ントが協力関係にあったとは思っていない。二重スパイや、情報の横流しとい
う線もある。だが、今欲しいのは可能性ではなくもっともらしい事実だった。
『これは、オーブからの挑戦状である! ファンペイン内部にスパイを送るだ
けならまだしも、得た情報をザフトにまで売り渡す卑しき考え、それを正すに
はもはや武力を持ってしかない! 私は今ここにオーブに対し宣戦布告をする
と共に、ファントムペイン艦隊の出撃を表明する』

 
 
 

          第51話「オーブの終焉」

 
 
 
 

 ジブリールによる声明が発表されていたとき、オーブの宰相ウナト・エマ・
セイランは私邸で夫人と過ごしていた。
 宰相という役職は激務であり仕事に忙殺されているイメージが強く、実際そ
の通りなのだが、私人としての時間がゼロというわけではない。ウナトは公人
としての忙しい合間を縫って帰宅すると、私服に着替え、久方ぶりに夫人の手
料理を楽しんでいる最中だった。食後のデザートもペロリと平らげ、満足そう
に口元を拭っていたウナトだったが、そこにジブリールによる放送が始まった
のだ。
「………………」
 放送が始まってから、ウナトはずっと無言で、ただジブリールの姿に目を、
そして耳を傾けていた。食器などの後片付けを侍女に任せ、夫のソファの隣に
腰掛けていた夫人だったが、その真剣な表情を横目に見て、何かを思い立った
ように立ちあがって部屋を後にした。
 そして、ジブリールによる宣戦布告が行われた。既に艦隊がオーブに向けて
発進しているという。
 ウナトの表情が険しくなり、彼はソファから立ちあがった。そして、隣に座
っていたはずの夫人の姿を探したが、見あたらない。
「おまえ……」
 呟きながら振り返ったウナトは、そこに夫人の姿を発見した。夫人は、夫の
行政官としての制服を抱きかかえ、無言で立っていた。険しかったウナトの表
情が和らぎ、彼は静かな足取りで夫人の元へ歩き、その肩に手を置いた。
 夫人の瞳は心なしか潤んでいたが、気丈にも涙を流すことはなかった。
 ウナトは制服を受け取ると、夫人を抱きしめた。
「行ってくるよ」
 抱擁を終え、ウナトは行政府へ向かうためを後にする。その背に、夫人は何
も言えないでいた。
 扉の前に立ったウナトが、一瞬足を止めた。
「ユウナのことを、頼む」
 そういって、ウナト・エマ・セイランは私邸を出た。

 

 オーブ行政府では、既に国防長官のユウナが中心となって対策会議が開かれ
ていた。
「ジブリールはカガリを人質にしなかった。少なくとも、ハッキリと言葉に出
さなかった以上、戦うつもりなのは明白だ」
 その気になれば、ジブリールはヘブンズベースにいるカガリの身柄を人質に
取り、オーブ行政府に対していくらでも有利な交渉が行えるはずだった。それ
をしないということは、あくまで武力を持ってオーブを攻めるのだろう。
「我々が決断しなくてはいけないのは、降伏かそれとも抗戦かということだ。
ここで僕ら政治家が混乱し、判断を誤れば大変なことになる。前大戦のオーブ
解放作戦の二の舞、いや、それよりも酷い事態になるだろう」
 降伏を主張する者は一人もいなかったが、果敢に抗戦を主張する者が多かっ
たわけでもない。ユウナは小さく溜息を付くと、議題を移した。
「実戦指揮は制服組の仕事だが、戦うにしても選択肢は二つある。敵艦隊を撃
破し、その戦果を持って敵と交渉し講和を結ぶか、それともオーブ全土が焦土
と化し、全国民が全滅するまで戦い続けるのか、だ」
「しかし、オーブの理念では我らに集団的自衛権はないはずだ。理念を破って
まで出撃など……」

 
 

 このような意見もアスハ派の首長からは出たが、それを否定した男がいる。
「我々が取るべき道は、言うまでもなく前者だ。この際、オーブの理念がどう
であろうと関係はないだろう」
「父上! あ、いや、宰相閣下」
 遅れて現れたウナトに、ユウナが立ちあがった。
「オーブの理念は確かに大事だ。しかし、国民を犠牲にするようではそれは害
でしかない」
 危険な発言だった。ウナトはハッキリと、前代表であるウズミ・ナラ・アス
ハが掲げたオーブの理念を否定したのだ。
 息子を手で制止て椅子に座らせるとウナトもまた椅子に腰掛けた。
「ウズミ様の理念、理想は確かに素晴らしい。だが、その為に国や国民を蔑ろ
にしたのでは意味がない。オーブの理念も、全ては国のため、国民を守るため
にあるはずだ。それなのに、理念に拘る余り国を焼き、肝心の国民のことを考
えないのでは本末転倒だろう」
 どんなに立派な理想でも、国民を犠牲にした時点でその政治家は独裁者と何
ら変わりがない。
 ウナトの言葉は正論であり、アスハ派の議員や首長であっても何もいうこと
が出来なかった。
「けれど、一戦交えるとしても勝てるかどうか」
 オーブ軍の戦力、兵力などをグラフ化した数値を見ながらユウナが呟いた。
オーブ軍は確かに精鋭で、装備も良い。しかし、数の差だけはどうしたって埋
めようがない。
 ユウナは一つの決断をした。
「こうなれば、私自らが司令官として出撃します」
 どよめきが会議室に響き渡った。ウナトは無言で息子の方を見て、彼が続け
る言葉を聞いている。
「そして私が戦場で死ねば、オーブは降伏するだけの理由を得ることになりま
す。代表には申し訳ないが、万が一の手段としてオーブ本土を戦火に巻き込ま
ないためには、これしかない」
 確かに代表が不在のオーブにとって、敵に攻められたからといって勝手に降
伏することは出来ない。軍隊を出撃させること自体は国防長官であるユウナの
手によって行うことが出来るが、降伏ともなれば話は別だった。
「確かに良い考えだが、残念ながら、国防長官にその役は無理だ」
 ウナトが一言、ユウナの意見を退けた。
「な、何故ですか宰相。僕は死など恐れません。この上は、国のために戦って」
「その役は私に任せて貰おう。国防長官にはオノゴロにて、本土の防衛に順次
していただく」
「なっ!?」
 立ちあがったウナトに、全員の視線が集中する。
「私がオーブ最高司令官代理として、戦場に赴く」

 
 

 会議後、ユウナは大声で父親に詰め寄った。
「父上! 一体どういうつもりなのですか」
 こんなはずではなかった。父上や、他の人間に危害が及ばないために、ユウ
ナは自ら死地に赴くつもりでいたのだ。

 
 

「先ほど言ったとおりだ。私はオーブ最高司令官代理として、出撃する」
「何故です、何故父上が! 今すぐ撤回してください、しないのなら国防長官
として拒否権を使わせていただくことになります」
 誰が好き好んで父親を戦場へ、しかも必ず死ぬとわかっている場所に送るの
か。ユウナは怒り任せに叫んだが、ウナトはそれを一喝した。
「どこの世界に愛する息子を死なせる親がいる! 親より先に死のうとする奴
があるか!」
 怒号は、ユウナのそれよりも遥に大きかった。ユウナは口を半開きにして、
それ以上何も言えなくなってしまう。
「お前はまだ若い。この戦争が終わったとき、もしまだオーブが残っているの
なら、代表を助け、オーブのために出来ることをやってくれ」
「父上……」
「母さんを、大事にな」
 ユウナの肩を叩き、ウナトは行政府を後にした。車に乗り込むと、まっすぐ
艦隊司令本部へと向かう。
 そこには既に、総合幕僚長であるソガ一佐や、海軍艦隊司令官トダカ一佐な
どが揃っていた。
「てっきり、ご子息が来られるものと思ってましたが」
 ウナトが訪れたことに疑問視したトダカがそう尋ねた。
「奴はまだ行政府だ。奴にはオノゴロでやって貰わねばならないことがある」
 そしてウナトは行政府で話したように自身が艦隊に乗り込む旨を彼らに伝え
た。
「実戦指揮には口出ししない。これは固く約束しよう」
 ウナトの決意に、しばらく目を瞑って黙っていたトダカであったが、やがて
満足したように目を開き、頷いた。
「そのお覚悟があるなら話は早い。軍部は、全力を尽くして貴方とこの国を守
らせていただく」
 話は実戦へと話題を移し、侵攻してくるファントムペインに対してどのよう
な形で戦いを挑むか、というものになった。
 まずソガ一佐がオノゴロ島前面にオーブ海軍艦隊の全てを展開し、敵に決戦
をしいる、という案を上げた。これにはいくつかのメリットがあり、一つはオ
ーブ軍の補給線が極端に短いことと、敵をこちらの陣中不覚誘い込むことで罠
を仕掛けやすいこと、さらに遠路を長駆してきた敵の疲労、そのピーク時を狙
えることなどがあった。
「だが、デメリットもある」
 トダカ一佐は、作戦の有利さは認めるものの、これでは敗北した際にオノゴ
ロ島などオーブ本島が敵に狙われる可能性が高く、また本土以外の小さな島々
から反発が起こる可能性もある。行政府は本土だけを防衛し、他を見捨てるの
か、と。
「となると、こちらも出撃せざるを得ないか」
 補給線は多少長くなるが、それでもまだ短いといえる距離だ。ファントムペ
イン艦隊がソロモン諸島にはいる前に、敵の侵攻を阻止しなければ行けない。
 こうした事情は行政府と、そして既に避難勧告に従いシェルターへと避難し
ている国民たちを不安がらせたが、不思議とオーブ軍それ自体は目前に迫る戦
いを前に活性化していた。

 
 

 オーブ解放戦線以来、まともな軍事行動を行うのは初めてなのだ。それがど
んなに厳しいものであっても、オーブ軍人たちは迫る戦いから目を背けず、逃
げようともしなかった。

 
 

 オーブ艦隊が出撃準備を進める中、まるで世間の争乱が嘘のように静かな場
所があった。
 海辺にある一軒の屋敷、そこは前大戦の英雄、史上最強のモビルスーツパイ
ロットとあだ名されたキラ・ヤマトと、本物のプラントの歌姫、ラクス・クラ
インが住んでいる場所だった。
「これとこれ……後は、これも必要でしょうか?」
 ラクスは今、自室で荷物の整理をしていた。他の市民と同じく、最寄りのシ
ェルターに避難するのかと言えばそうではない。実はこの屋敷には前の所有者
が残したシェルターが備わっているのだ。これはこの屋敷を提供した人物の配
慮であり、有事の際などラクスが素顔を晒さないためのものだった。
「これが終わったら、キラのも用意しなくちゃいけませんね」
 ラクスはピンク色のハロに話しかける。ハロは電子音で応えるが、この静か
な屋敷においてその声は不自然すぎるほど響き渡る。ラクスは自分の荷物を詰
め終わると、キラの荷物を詰めるため自室を出る。この二人は部屋も別々なの
だ。そのことに不満を憶えたこともあったが、今ではすっかり慣れた。それほ
どまでに、二人の関係は冷え切っていると言うことなのだろうか?
「キラ……?」
 部屋を移動する前に、ラクスは階下のリビングを見下ろした。そこにはキラ
がいて、オーブ軍出撃に関するニュース報道を、彼には珍しく真剣な目で見て
いた。いつもテレビなど、どんな番組が放送されていても気にも止めないとい
うのに。
 ラクスは不審にもいながらも、さして気には止めず歩き去った。
 階下では、キラがラクスの視線があったことにも気付かずテレビ画面を見つ
めていた。
「オーブが、戦う」
 また戦端が開かれる。前大戦と同じく、この国が戦火に巻き込まれるのか?
 キラはギュッと拳を握りしめていた。オーブが戦う、それなのに、自分は一
体こんなところで何をしているんだ!
 何かしなくてはいけない、そう思って、歯を食いしばる。立つんだ、立ちあ
がって、僕も何かしなくちゃ行けないんだ。
 キラは意を決し立ちあがるが…………
「うっ――!?」
 瞬間、過去の映像が脳裏に映し出された。フラッシュバック、思い出したく
もない光景が、キラの全てを埋め尽くす。
 ガクガクと膝が震え、立っていられない。彼女が、あの娘が、目の前で、死
んで、死んでしまう!
「あっ、あぁ……」
 キラは頭を抱え、膝をついた。手に握っていたものが床に落ちる。それは少
女向けの口紅であった。かつて、キラが恋し、今も彼の心を縛り続ける少女の、
愛用品だった。
「フレイ……」
 いつの間にか、キラは涙を流していた。

 
 

 キラが前大戦で受けた傷は、誰に想像できないほど大きいものだった。フレ
イ・アルスターの死は、彼の心を砕き、精神を引き裂いた。彼が何かを決意す
るとき、いつも彼女の死んだ瞬間、その光景が思い出されるのだ。
 自分が何かをすれば、また誰かが傷つくのではないか? そんな恐怖が、常
にキラを支配しているのだ。彼はもう英雄でも最強でもなかった。過去に怯え、
戦争のトラウマから重度の恐怖症を抱える、壊れた少年でしかなかった。
「僕は、どうしてこんなに、なにもできないで……情けないんだ!」
 泣きながら、キラは無力である自分を嘆いた。床を叩き、殴り、キラは叫ん
でいた。
 その声は、彼の部屋で荷物をまとめているラクスにも聞こえている。ラクス
は扉に寄りかかりながら、顔を伏せていた。彼女は、こんな時キラにどう声を
掛けて良いのかわからないのだ。彼を愛しているはずなのに、彼を慰めてあげ
ることすら、自分には出来ない。
「私は……私は何で」
 そこから先は、言葉にならなかった。それ以上続ければ、全てが終わってし
まうように思えたからだ。
「私にはもう居場所がない。キラしか、キラの側にいるしか、居場所はないの」
 小さな雫が、ラクスの頬をつたっていた。

 

 編成されたオーブ艦隊は、艦隊総司令官としてトダカ一佐が就任した。彼の
下には三人の佐官が付き、それぞれ艦隊運用を任されている。ソガ一佐はユウ
ナと共にオノゴロに残り、本土の防衛に努めることとなる。
 動員される兵力は、約二個艦隊半、これに対しファントムペインは五個艦隊
から六個艦隊ほどの大兵力といわれている。
「そういえば、ザフトは何か言ってきたのですか?」
 トダカ一佐の質問は当然のものだった。元はといえば原因はザフトにあると
いっても過言ではない。協力を申し込んでくるぐらいはしてきたのだろうか?
 だが、ウナトは首を横に振った。
「ジブリールの言っていたオーブがザフトに情報提供を行ったという事実のみ
を否定するだけで、具体的なことは何もしていない。カーペンタリアも黙った
ままだ」
 レドニル・キサカ一佐がザフトに情報提供を行っていたのは事実だろうが、
何故彼がそのようなことをしたのか、ウナトには理解できない。自分やユウナ
は確かに好かれていなかったが、彼はアスハ派の筆頭としてこの国を愛してい
た。それがどうして、ザフトなどに……
「まあ、人には誰しも表の顔と裏の顔があるものです」
 フォローなのか良く分からない発言を、トダカがした。
「実は私も、貴方のことを少し誤解しておりました。失礼ながら、貴方はウズ
ミ様亡き後、オーブ政権言いように操っている野心家だと思っていました」
 随分失礼な言い草だが、こういうことをズバズバ言うのがトダカという男の
為人だった。
「そうだろうな。政治家も軍人も、国民でさえ同じことを考えているさ」
 何と思われようと、ウナトは構わない。どんなに蔑まれ、罵られても、自分
は自分のつとめを果たす。それだけだ。
「ですが、貴方が国を守るために自ら前線に出て戦うとの決意を聞いたとき、
この考えは改まりました。今までの非礼をお詫びしたい」

 
 

 深々と頭を下げるトダカに、ウナトは顔を上げるように言った。
「戦端を回避できなかった時点で、政治家としては失格だと私は思っている。
ならばせめて、私は国民のために戦いたい。その為に、協力して欲しい」
 差し出された手を、トダカは迷うことなく握った。数日前までは考えられな
かった二人の握手。
 いよいよ、オーブ艦隊が出撃する。
 迫り来るファンとペイン艦隊を撃退し、オーブという国を、そこに済む全て
の人を守るために。

 
 

 さて、ファントムペインとオーブ、両者の動向を黙って静観しているプラン
トであるが、カーペンタリアのザフトに限って言えば、基地は慌ただしい喧騒
に包まれていた。
 軍部はオーブを見捨てるつもりなのかというのが主な原因で、彼らは今回の
戦端がプラントの、デュランダル議長の失言によるものだと理解していた。身
内の恥など認めたくはないが、ことがことだ。責任を取ってオーブを手助けし
てやるのが筋ではないか?
 しかし、そんなカーペンタリアに対し、プラント国防委員会は無情な命令書
を送りつけてきた。
「この度の戦端は、大西洋連邦の軍事組織ファントムペインと、オーブ連合首
長国、両国間における問題であるためにザフトはこれに一切の関知をしない。
カーペンタリア軍に関しては、基地での待機を命ずる」
 ウィラードが読み上げた文面は、呼んだ本人を不快がらせるに十分だった。
それでも命令は命令であるから、ウィラードは仕方なしに基地全体に命令を伝
達。ザフト軍としての対応を発表した。当然、基地では反発が起こった。単純
にオーブを助けるという思いよりも、負けっ放しであるファントムペインと再
戦したいという思いも、彼らの中には強かった。
 だが、ウィラードは出撃を固く禁じ、命令を破ったものは軍規を持って処断
すると明言した。ここまでいわれると、反発の声も小さくならざるを得ない。
「心苦しいが、仕方ないだろう」
 実はウィラード自身、オーブ軍と協力して戦いたいと思っていた。勝算がな
いこともない。オーブ艦隊とザフト艦隊を合わせれば、互角とはいかないまで
も兵力差を埋めることは出来るはずだ。上層部は、それをわかっているのだろ
うか?
 司令官という立場上、表だって不満を口にすることが出来ないウィラードだ
が、兵士の中には公然と不平不満をいうものがいる。ミネルバ所属のモビルス
ーツパイロット、シン・アスカがそれだった。彼は上官であるアスランの元を
訪れ、何故出撃命令が下らないのかと訴えた。
「このままじゃ、オーブはまた戦争に巻き込まれる。ザフトはオーブを見捨て
るって言うんですか!」
 熱い口調で訴えかけるシンを、アスランは患わしそうな目で見る。
「仕方ないだろう。国防委員会の決定なんだから」
「仕方ないって、元々の原因は議長が……」
 レイには悪いが、誰がどう見ても原因はデュランダルにあった。それをプラ
ント市民も理解し始めたのか、あの発言以降、デュランダルの支持率は低下気
味だった。

 
 

「それは事実だが、軍人は上の決定に従うしかない」
「なら、俺だけでも! ほら、ベルリンの時みたいに」
「あの時とは事情が違う。あの時お前をベルリンに向かわせることが出来たの
は、ベルリンでの対決構図がファントムペインとザフトだったからだ。お前は
ザフトを助けるためにベルリンに向かった」
 でも、今回は違う。戦うのはファントムペインとオーブであり、ザフトは部
外者だ。そこにシンが向かったのでは、ザフトが他国間の戦闘に介入すること
になってしまう。
 アスランは言いながら、言葉に苦みを憶えた。考えてみれば、全く同じこと
をかつての自分はした。あの頃の自分は若く、何と純粋だったことか。
「とにかくこれは本国の方針なんだ……大体シン、お前はオーブが嫌いなんじ
ゃないのか? 何で今更オーブを守りたいなんて言い出すんだ」
 アスランはシンの訴え自体が意外だった。彼は、シンがカガリに怒鳴り散ら
す場面も見たことがあり、てっきりシンはオーブを嫌っているとばかり思って
いたのだが。
「俺はアスハが嫌いなだけです」
「あぁ、なるほど」
 そういう論法もあるのかと感心しながらアスランは頷いた。
「しかし、好き嫌いの問題でもない。お前も、子供じゃないんだからいい加減
理解しろ」
 鬱陶しそうにアスランはシンを追い返した。憮然としたシンはそれ以上何も
言わなかったが、去り際の瞳に浮かぶ決意の色を、アスランは見逃さなかった。
「馬鹿が……」
 溜息を付くと、アスランはデスクの引き出しを開けた。
 そこには、一丁の拳銃がしまってあった。

 

 夜になり、シンは一人ミネルバの格納庫に来ていた。許可が貰えないのなら
ば勝手に出撃する、軍法会議など知るものかと、後先考えずにやってきたのだ。
格納庫には人気がない。これなら上手くやれそうだ。
 コアスプレンダーへと近づくシン。全て一人でやることになるが、出撃形態
自体はベルリンと変わらない。デスティニーシルエットを換装し、インパルス
の電源を切ってグゥルで……
「いや、ここはフォースシルエットかな?」
 デスティニーシルエットは強力だが、使用時間という欠点がある。ベルリン
の時みたく一騎打ちならその力を存分に発揮できるが、艦隊戦においての十五
分など、たかが知れている。ならば、攻撃力はかなり落ちるが、安定感とバッ
テリー容量にすぐれたフォースシルエットのほうがいいかもしれない。
 悩むシンだったが、そう長く悩んでもいられない。早くしなければ誰かやっ
て来て――
「お前は本当に子供だな。思考は短絡で、すぐ感情的になって突っ走る」
 声は、シンの背後からした。驚いて振り返ると、アスランが立っていた。拳
銃をその手に握り、銃口をシンに受けている。
「ベルリンの時とは違う。お前がどうしても行くというなら、俺は今度こそ引
き金を引くぞ?」
 冷酷な口調には、微塵の躊躇もなかった。シンが一歩でも動けば、迷わず撃
ってくる。

 
 

「アスラン……」
「昼間も言っただろう。例えお前個人が動いたとしても、お前がザフト軍人で
ありザフト軍機を使って出撃する以上、それはザフトが介入することになる。
絶対にあってはならないことだ」
 グッと、シンは唇を噛みしめた。
「でも、俺はオーブを、あの国を守りたい」
「どうしてお前はそこまでオーブに拘るんだ? アスハが嫌いとお前は言った
が、今回の一件で確実にアスハは滅びるぞ。ならそれを黙ってみていたらどう
だ?」
 アスランの言っていることは正しい。オーブ軍がファンとペイン艦隊を撃退
でもしない限り、オーブはこのまま崩壊の一途を辿るだろう。シンが嫌うアス
ハ家にしても、滅亡は免れない。
「あそこには、オーブには想い出があるんです。俺が家族と暮らした、両親や
妹が生きていた頃の大切な想い出が……」
 オーブは、シンの故郷なのだ。
「俺はもう自分の気持ちは偽らない。俺はオーブが好きだ、好きだった。その
オーブを守るために、俺は戦う!」
「それがお前の決意というわけか」
「アスラン、アンタだって一時期オーブにいたんだろう? 暮らしてたんだろ
う? なのに、何でそんな冷徹な対応しかできないんだよ!」
 ピクリと、アスランの眉が動いた。
「自分だけ……自分だけわかったような口を利くな!」
 いい加減、アスランはシンに対して苛立ちを隠せなくなっていた。自分が、
オーブに対して何の痛みも覚えていないと思っているのか。あの国には恩があ
り、カガリを始め多くの友人がいる。
 こいつは感情の赴くままに激発してるだけだ。国家のことや、軍のこと、世
界のことなんて何も考えないで、目先のことだけしか見ていない視野の狭いガ
キ……まるで、昔の俺じゃないか。
「ヒーロー気取りは大概にしろ! お前が行こうと行くまいと、世界は変わら
ないし、動かない。お前に……そんな力はない」
 シンの視線が鋭くなった。噛みしめた歯を砕かんばかりにならし、制服の懐
に手を突っ込んだ。
「アスラン……アンタって人は」
 素早い動作だった。シンは瞬間的に懐から拳銃を取り出すと、その銃口をア
スランに突きつけた。
「アンタって人はぁっ!」
 銃声が鳴り響いた。一発だけ、どちらかが一人が撃ったのだ。銃弾は正確に
相手の拳銃に命中し、その手から拳銃を弾き飛ばしていた。
 弾き飛ばされたのは、シン・アスカが持つ拳銃だった。弾き飛ばされた衝撃
で、手と腕が痺れている。
「俺とお前じゃ実力が違うんだよ」
 冷血を混ぜ込んだ声で、アスランが言い放つ。
 シンは、決して弱いわけではない。少なくとも白兵戦技においては、アカデ
ミー在学中はトップの成績を修めていた。
 しかし、アスランはシンより強かった。シンが引き金を引く前に、彼の銃を
弾き飛ばしたのだ。

 
 

「殺したくはない。動けないように、足を撃ち抜かせて貰う」
 本当は撃ち殺してもよかったのだが、何故かアスランは殺すことには躊躇い
を憶えていた。それは、今のシンがかつての自分にあまりに似すぎていたから
なのか……アスランには判断できなかった。
「悪く思うなよ」
 銃口をシンの足に向け、狙いを付けるアスラン。身構えるシン。
 一発目は避けられるかも知れない。馬鹿な奴だ、動かなければ痛い思いをし
なくて済むものを。
「――ッ!?」
 アスランの手に衝撃が走った。鋭い音が耳を貫く、これは……銃声!
 全く予想だにしない方向から放たれた銃弾が、アスランの拳銃を弾き飛ばし
た。
「誰だ!」
 銃弾が放たれた方向にアスランは振り向いた。そこには、彼やシンと同じザ
フトの赤服を着る少年が立っていた。
 レイ・ザ・バレルだった。両手で拳銃を構え、銃口をアスランに向けている。
「レイ、お前――!」
 アスランがレイに何かをいおうとしたとき、シンが飛び出した。凄まじい瞬
発力でアスランへと迫り、その土手っ腹に拳を叩き込んだ。
「がっ!」
 めり込む拳の重みに、体が軋む。アスランも鍛えてはいるが、瞬間的な強打
を前にその意識は吹き飛ばされた。アスランは、ばたりと床に倒れ込んだ。
「はぁ、はぁ……」
 緊張が途切れ、シンも荒い息をしながら床にへたり込んだ。そこに、レイが
歩み寄ってくる。
「レイ、どうして?」
「こんなことだろうと思った……行くのか?」
 レイは、強い瞳でシンを見た。
「あぁ……」
「帰って、くるんだろうな?」
「あ、当たり前だ!」
 そうか、とレイは呟いた。彼は数秒ほど何かを考えるように宙を見つめ、再
びシンを見た。
「なら、急げ。ゲートは俺が開けてやる」
「いいのか?」
 アスランを撃った時点で取り返しは付かないことだが、これ以上自分に加担
して良いのかと、シンは尋ねた。
「構わない、一つ貸しだ。だから、それを返すためにも絶対に生きて戻ってこ
い」
 レイの不安、シンは何かを守るためならば命を捨てても構わないと本気で思
っている。それはダメだ。上手くいえないが、ダメなのだ。
「俺とお前の、約束だ」

 
 
 
 

 短いレイとの協議の結果、シンはフォースシルエットでの出撃を選んだ。デ
ストロイと戦うのならいざ知れず、艦隊相手ならばやはりこちらのほうがいい
はずだ。
 出撃準備が始まり、やっと艦内が格納庫に起こる異常に気付いた。艦橋にい
たアーサーは、すぐに格納庫の映像を回させる。
「あいつ等……」
 独断で出撃しようとしているシンに驚き、アーサーはすぐに警備兵を格納庫
に送った。そして、次に上官であるアスランとタリアへ連絡しようとした。だ
が、先に連絡を行ったアスランの所在が掴めず、時間を取られた。まさか、格
納庫で伸びているなどと思わなかったのだ。
 アーサーは連絡より先に、全てのコンピューター回線をロックし、インパル
スの発進を阻止するべきだったのだ。そして彼が対応に手間取っている間に、
シンは出撃を果たしてしまった。
「何? インパルス?」
 私室にて異常に気付いたルナマリアは、コアスプレンダーの発進音を聞きつ
け、インパルスが出撃したことを悟った。
「あの馬鹿、一言も相談無しに!」
 一方、アーサーから連絡を受けたタリアは驚きで開いた口がふさがらない、
といった感じだった。
 すぐに基地の司令部に事態を報告するように命じると、頭を抱えてしまった。
シンが暴走した、それ即ち上官であるタリアの責任になるからだ。
「……でも、司令官はアスランよね」
 低レベルな罪の押しつけを勝手に行い、タリアは溜息を付いた。そういえば、
アスランは何をしているのだろうか。

 

 アスランはインパルスが出撃し、警備兵が格納庫へと駆けつけるまでの間、
完全に気絶していた。警備兵に頬を叩かれ、何とか覚醒した彼は、数人かがり
で取り押さえられたレイの姿を確認した。
「レイ、シンはどうした?」
 痛む腹をさすりながら、アスランは尋ねる。
「シンなら、出撃しましたよ」
 レイは、彼の体を押さえ込む警備兵に対し、抵抗らしい抵抗もせず、事実だ
けをアスランに伝えた。
「そうか……」
 やがてレイは完全に拘束され、電子手錠を掛けられカーペンタリア基地へと
移送された。それにアスランとタリアも付き添った。直接の上官という立場上、
彼らも聴取を受ける必要があったのだ。
 基地で彼らを待っていたのは憲兵隊ではなくウィラードだった。彼は何故か、
レイを憲兵隊に引き渡すつもりがないらしい。
「まず、訳を聞かせて貰おうか?」
 ウィラードは、静かな口調でレイに尋ねた。彼に変わって事の次第を説明し
ようとしたアスランを手で制止、あくまでレイに訊くようだ。
「シン・アスカは必ず戻ってきます」
 レイは一言、そう告げた。シンがオーブ出身のことなど、レイが言うまでも
なく資料によってウィラードは知っているからだ。
「何故、言い切れる?」
 シンがオーブ出身であることを経歴書で確認したとき、ウィラードは、「あ
ぁ」と呟いて納得した。彼には、シンの気持ちが痛いほど判った。

 
 

「アイツにとってオーブは確かに故郷です。でも、あいつが今帰る家は、ミネ
ルバだからです」
 強い瞳で訴えるレイに、ウィラードは心動かされたりはしなかった。動かす
も何も、彼の気持ちは固まっていた。
「オーブ出身の兵士が故郷の危機を知り、モビルスーツを奪って出撃した。つ
まりはこういうことだな」
「今回のことは私の一存です。通常の処分をお願いいたします」
「ふむ……」
 ウィラードは深い溜息を付いた。何故だか彼は、シンやレイの若さから来る
であろう行動力が羨ましかった。
「とりあえず、レイ・ザ・バレルを拘置室へ。後はシン・アスカが帰って来て
からだ」
「追撃しないのですか?」
 ウィラードの決定に、アスランが異を唱えた。
「何故する必要がある?」
「何故って、シンが戦場に赴くと言うことはザフトが他国間の戦いに介入する
ことに……」
「貴官の言うことは判る。なるほど、確かにもっともな意見だろう」
 どこか遠い目をして、昔を懐かしむような語り口で、ウィラードは喋ってい
た。
「人には誰だって故郷がある。儂にも、そして貴官にも。一人一人、それぞれ
の故郷があって、誰しもそれを大切にし、守りたいと思っているはずだ。その
気持ちは果たして批難されることだろうか?」
「……いえ、ですが!」
「故郷を守れない、守れなかった奴は多くいる。だが、そいつらは故郷のため
に確かに戦った。口汚い奴はそれを自己満足で終わった行為だなどと罵るかも
知れんが、儂はそうは思わない。むしろ、故郷を守ることもしなかった阿呆に
比べれば、よっぽどマシだろうて」
 ウィラードの言葉は、アスランの心の深い部分に突き刺さった。先ほどシン
に殴られたよりも何倍も効く痛みが体を包み込んだ。
「そして、故郷を守ろうと必死な奴の邪魔をする者、こいつは阿呆を通り越し
て人間の屑だ。少なくとも、儂は阿呆と言われるのは良いが屑にはなりたくな
いんでな」
 それはアスランの心の中に僅かばかり残っていた、良心の一欠片を刺激する
言葉だった。