林銑十郎

Last-modified: 2023-08-19 (土) 21:14:25

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概要

林銑十郎(1876年2月23日~1943年2月4日 享年66)とは、日本の陸軍軍人、一応第33代内閣総理大臣などである。

詳細

1876年石川県金沢市生まれ。小学校を卒業後、1894年の日清戦争が始まると、陸軍の士官学校に入学した。1897年には、歩兵少尉に昇格。1908年の日露戦争では金沢の第9師団で活躍。活躍から「鬼大尉」と呼ばれ、あの乃木希典大将にも個人感情を送られた。

陸軍大将時代

林は、満州事変により、命令を待たずに独断で鴨緑江渡河を渡河を命じてしまったため「越境将軍」と言われてしまう。しかし、鴨緑江渡河があったためか、ルビコン川という場所の渡河は鴨緑江渡河に匹敵したという。1932年に陸軍大将に昇格した。同年1月に齋藤實内閣の陸軍大臣に就任した。

二・二六事件

林は教育総監にもなっていたが、教育総監としてたびたび陸軍の人事に横やりを入れた皇道派の領袖である真崎甚三郎大将の更迭を実行することに決定。その後、林の戦友とも言える永田鉄山が、相沢事件で襲撃されて、亡くなる。永田を失った林は次の陸軍大臣に椅子を明け渡した。その後陸相を辞任した林は、襲撃の対象に外された。この事件では高橋是清大蔵大臣や、齋藤實内大臣、渡辺錠太郎教育総監が襲撃されて亡くなった。

総理大臣時代、晩年

1937年に第33代内閣総理大臣となる。海軍大臣には米内光政?がいた。あまりにも何もしなかったので名前をいじってなにも銑十郎内閣とまで呼ばれてしまった。1943年に軽微の脳内出血を発症したが、その後悪化。そのまま体調が戻らず亡くなった。

カオスバトルでの扱い

初手ははぎぎはら氏のカオスバトル7である。
扱いは出オチ。なにも銑十郎だと思いきやのり隊長のカオスバトル6で外部の圧迫で里崎智也を倒すことに成功。これによってある程度強化されたが素材が少ないので性能はそれでも弱である。やっぱり強化されてもなにも銑十郎だった

コメント

  • 林銑十郎の記事作成完了。セリフあるから強化しようかな -- のり隊長 2023-07-15 (土) 12:12:00
  • >満州事変により、命令を待たずに独断で鴨緑江渡河を渡河を命じてしまった
    普通に極刑ものなのに総理にまでなったもよう -- ただのカオスバトル愛好家 2023-08-19 (土) 21:14:25

Tag: 石川県 金沢市 歴代内閣総理大臣 陸軍 軍人 出オチ

前任・廣田弘毅?
後任・近衛文麿?