概要
高橋是清(1854年9月19日~1936年2月26日,享年83)とは日本の政治家。大蔵大臣としての財政政策が高く評価されている。一応第20代内閣総理大臣。首相在任中は立憲政友会所属。「高橋財政」と呼ばれる積極財政政策で大日本帝国の財政破綻を立て直したことで有名である。愛称は小太りな風貌から「ダルマさん」。二・二六事件にて暗殺された。
生い立ち
1854年仙台で生まれる。その後にアメリカに渡り英語教師になる。帰国した後に第一次山本権兵衛内閣の大蔵大臣に就任。その後、寺内正毅が米騒動により辞任に追い込まれると、政権与党代表が首相を担当する「憲政の常道」の礎を原敬と共に築くことになる。原敬が暗殺されると、これまでの功績からポスト原の総理大臣の座に。在任中にはワシントン会議に出席して軍縮に取り組んだがそれが軍部からの反発を買い、閣内不一致となった事を事由に総辞職した(在職日数は212日)。首相退任後も大蔵大臣として権威を振るい、犬養毅・斎藤實・岡田啓介の時代に大蔵大臣を務めた。因みに、五・一五事件の際は一日だけ臨時首相に就任した。
二・二六事件
高橋は濱口内閣以降続く軍縮絶対・緊縮財政・新左翼的政策から保守勢力、皇道派、軍部からの強い反感を買い、1936年2月26日深夜、赤坂の自宅で就寝中に銃で撃たれて即死。この事件では内大臣の斎藤實前総理、岡田啓介首相の甥兼首相秘書の松尾伝蔵陸軍大佐、渡辺錠太郎教育総監が死亡し、後の首相である鈴木貫太郎侍従長も負傷した。昭和天皇及び軍部統制派はこのクーデターに激昂して犯人を処刑したが、新聞社の同情的な報道や国民からのテロへの理解があったことからこの事件を機に戦争への道へと舵を切ることとなった。
大蔵大臣としての権威
大蔵大臣(現・財務大臣)は現在でも首相の職に就くための登竜門となっており、戦後も池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、福田赳夫、大平正芳、竹下登、宮澤喜一、羽田孜、橋本龍太郎、菅直人、野田佳彦などの首相を輩出している。また、財務省または大蔵省がこれ以上なく権威を振るった内閣として知られているのは斎藤内閣と増税・緊縮を推進した橋本内閣、野田内閣などが有名だが、橋本内閣は経済への知識が乏しく委ねたというのと、野田は増税を必ず実現すると自らが定めた為、斎藤内閣の高橋大蔵大臣が最も権威を誇っていたと言えるのだろう。
カオスバトルでは
初手はのり隊長のカオスバトル4*1。ラストでドナルドなどを倒し優勝した。
ただし、大正の総理なので素材が少ないのが現状。性能は中堅弱。
今のところだと歴代内閣総理大臣では一番古い参戦者となっている。
技
- 資金の円滑なる供給
攻撃技なのか?供給なのでチーム戦では強そうではある。
コメント
- 日本恐慌を救った総理大臣として有名 -- のり隊長 2023-07-02 (日) 15:34:16