
概要
ノルマンディーキャンペーン枢軸軍側兵站のBattlepass Unique Vehicleから金チケット1枚(1200ゴールドでも可)と交換して入手できるドイツ軍双発攻撃機。
通常のBf 110 G-2攻撃機とは迷彩が異なるほか、フル改修済みとなっている。
BR・Tier
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| Tier | |
| BR |
車両性能
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 乗員(人) | 2 |
| 最大速度(km/h) | 636.47 |
| 最大上昇率(m/s) | 22.07 |
| 最短完全旋回時間(秒) | 18.80 |
武装
| 名称 | 搭載数 | 弾薬数 | |
|---|---|---|---|
| 胴体下部機銃 | 37mm BK 3.7 砲(セカンダリ) | 1 | 66 |
| 機首固定機銃 | 30mm MK108 機関砲 | 2 | 255 |
| 後部銃座 | 7.92mm MG81 機関銃 | 2 | 1500 |
| ロケット | Wfr.Gr.21 ロケット弾 | 4 | |
解説
特徴
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【火力】
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【装甲】
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【機動性】
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【総論】
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史実
【機体】
Bf110 G-2 "M8+HP"は第4夜間戦闘航空団第1大隊の指揮官ヴィルヘルム・ヘルゲット大尉の乗機とされる機体。特徴的なサメの口をかたどったノーズアートを機首に塗装してある。
【部隊】
第4夜間戦闘航空団は1941年4月18日、メッツで編成された。航空団の主要任務はRAF爆撃機軍団の戦略的夜間爆撃攻勢に対する防空であった。初代航空団長はルドルフ・シュトルテンホフ少佐(1941年4月18日1943年10月20日)で、後任にはヴォルフガング・ティミッヒ中佐(1943年10月20日1944年11月14日)、ハインツ=ヴォルフガング・シュナウファー少佐(1944年11月14日~1945年5月8日)が務めた。シュナウファーは1944年11月4日、22歳で航空団長に任命され空軍で最年少の航空団長となった。
航空団は複数の飛行隊で構成され、第I飛行隊は1942年9月にフロレンヌで第3夜間戦闘航空団第I飛行隊と第4夜間戦闘航空団第III飛行隊の一部から編成された。第I飛行隊長はヴィルヘルム・ヘルゲット少佐(1942年9月1日1944年12月)、ハンス・クラウゼ大尉(1944年12月1945年5月8日)が務めた。第II飛行隊は1942年4月にラウプハイムで第26駆逐航空団第5中隊の部隊から編成され、第III飛行隊は1942年5月にマインツ=フィンテンで第1夜間戦闘航空団の部隊から編成された。第IV飛行隊は1942年1月にマインツ=フィンテンで第4夜間戦闘航空団の部隊から編成されたが、1943年8月1日に第6夜間戦闘航空団第I飛行隊へ改称された。航空団はBf110、Do217、Ju88などの機体を運用した。
1945年2月21日、シュナウファー少佐と彼の搭乗員はギュータースローから出撃し、上方射撃砲を使用して20分間で7機のランカスター爆撃機を撃墜した。この夜、4個の夜間戦闘機搭乗員が出撃した800機中62機の損失のうち28機を撃墜した。航空団は第2夜間戦闘航空団とともにギゼラ作戦(イギリス本土への大規模夜間戦闘機侵入作戦)に参加し、約200機の夜間戦闘機がRAF爆撃部隊を追跡してイギリスまで進出、20機の爆撃機を撃墜したがドイツ側も3機が墜落した。航空団は1945年初頭にアーデルハイト作戦の一環としてイギリス本土への侵入作戦を継続する予定であったが、1945年3月12日に侵入作戦の中止が命令された。
小ネタ
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出典/参考文献
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