概要
二式砲戦車 ホイは、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の砲戦車。各戦車連隊において、中戦車の火力支援を目的に開発された
BR・Tier
項目 | 数値 |
---|---|
Tier | △△ |
BR | △△ |
車両性能
項目 | 数値 |
---|---|
乗員(人) | 5 |
砲塔旋回速度(°/C) | △△ |
俯角/仰角(°) | △△ / △△ |
リロード速度(秒) | △△ |
車体装甲厚 (前/側/後/底)(mm) | 50 / 25 / 20 / 9 |
砲塔装甲厚 (前/側/後/底)(mm) | 50 / 25 / 25 / 12 |
馬力 | 2000rpm / 204hp |
重量(t) | 16.1 |
視界(%) | △△ |
速度(km/h) | 44.00 |
武装
名称 | 搭載数 | 弾薬数 | 貫徹力 (前/側/後)(mm) | |
---|---|---|---|---|
主砲 | 九九式七糎半戦車砲 | 1 | 63(AP28:HE28:SM7) | △△ / △△ / △△ |
車体機銃 | 九七式七粍七固定機銃 | 1 | 3000 | △△ / △△ / △△ |
砲塔上部機銃 | 九七式七粍七固定機銃 | 1 | 1000 | △△ / △△ / △△ |
解説
特徴
日本戦車兵待望の“火力”、“装甲“、“機動力“三拍子揃った戦車。
しかしながら相対する敵戦車に対しては必要最低限の性能を持てただけとも言える。
火力
主砲は九九式七糎半戦車砲(75mm)であり、HEの歩兵に対する攻撃力は絶大である。
しかし対戦車用砲弾はAPHEで最大貫徹力は約40mmであり、貫通した際の加害力こそ大きいものの貫通させるのが難しい。
太平洋でよく相対するM2A4相手では距離のある正面からの撃ち合いは厳しい戦いになるだろう。
機銃も相変わらず車長機銃と車体機銃しか無い為、射角制限などが厳しい。
装甲
一式中戦車チヘの車体を流用しており正面装甲厚は50mmとM2ブローニングなど12.7mmに貫通される事は無くなった。
が、敵の戦車砲やバズーカ等に対する防御力は変わらず貧弱であり攻撃を受けないように立ち回りたい。
機動性
機動性は良好、舗装路なら20km/h程度は出る。
ただし旋回速度は控えめなので車体機銃を向けたい時などは苦労する。
総論
現状、日本軍の戦車の中でもトップクラスの性能を誇り、対歩兵・対戦車戦闘も難なくこなす。
しかしながら、前任者のケニ車やカミ車などに比べ、飛躍的な性能向上を遂げたものの、機動力が低下しているため丁寧な扱いを要する戦車であることには変わりはない。
基本的には対歩兵攻撃を主な仕事とし、余裕があれば対戦車戦闘を行うと良いだろう。
三式中戦車の方が対戦車戦闘に適しているが、向こうは榴弾威力が低く本車に比べて弾数が少なく継戦能力が低い為、対人戦闘が得意な本車も使う余地はあると思われる。
史実
二式砲戦車 ホイは、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の砲戦車。各戦車連隊において、中戦車の火力支援を目的に開発された。
砲戦車とは
砲戦車とは、本兵器のような大口径砲を旋回砲塔式に搭載した中戦車のことであったが、一時自走砲を改造して砲戦車の代用品にする構想により、二式砲戦車の興味が失われていったことで、砲戦車は自走砲と同一兵器であるかのような誤った情報が広まったとされる。(資料や時期によって、同一車体か否かに関わらず一式砲戦車もしくは百式砲戦車と呼称されることもある。)
その後
量産車は1944年(昭和19年)に三菱重工東京機器製作所にて30輌のみ生産された。以降は生産されることもなく、すべての車輌が本土防衛用に温存され、実戦には投入されていない。
小ネタ
モデリングに関して
たまにバクが何かで座席を変更した際に、車内の様子を伺えるが一応車内のモデリングはされているようである。
出典/参考文献
コメント欄
- 普通にM3スチュワートぐらいなら撃破できるぞ。あと防御力も普通に37mmM6ぐらいなら弾く -- 2024-03-31 (日) 17:18:27
- 対歩兵能力はかなり高いからオススメ。前の貧弱野郎と比べ物にならない火力を有してる。 -- 2024-04-15 (月) 01:36:23
- タセ・ハゴ・ケニ・カミ「(´;ω;`)」 -- 2024-04-15 (月) 19:59:47
- P-38にM8ロケット直当てされたけど、砲手だけ生き残った(大和魂 -- 2024-04-15 (月) 20:01:48