
概要
BR・Tier
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| Tier | 5 |
| BR | Ⅳ |
距離毎ダメージ減衰率
| 距離によるダメージ減衰 (改修前⇒改修後) | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 距離(m) | 10 | 100 | 150 | 200 | 300 |
| 打撃力 | 6.6⇒** | 3.8⇒** | 3.3⇒** | 3.1⇒** | 2.9⇒** |
| 貫徹力 (改修前⇒改修後) | ||
|---|---|---|
| 距離(m) | 200 | 1500 |
| 貫徹力(mm) | 1.0 | 0.1 |
性能
| 項目 | 初期値⇒最大値 |
| 口径(mm) | 9.00 |
|---|---|
| 打撃力*1 | 6.6⇒△△ |
| 銃口初速(m/s) | 445⇒445 |
| 発射速度(発/分) | 730⇒△△ |
| リロード時間 (秒) | 2.4⇒△△ |
| 拡散値 | 84⇒△△ |
| 反動抑制 (%) | 60⇒60 |
| 垂直反動 | 37⇒△△ |
| 水平反動 | 18⇒△△ |
| 供給システム*2 | 40発マガジン |
| 重量(kg) | 4.0 |
| スプリント係数 (%) | 100 |
| カートリッジの質量(g) | 25.0 |
| 射撃方法 | オート/セミオート |
| 銃剣 | - |
解説
特徴
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【火力】
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【適正距離】
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【命中精度】
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【総論】
ーー加筆求むーー
史実
【装備】
Kiraly/Danuvia 43Mはハンガリー王国の銃器設計士であるキラーイ・パルが設計した短機関銃である39Mから発展した短機関銃で、39M系統の銃器の中では最も生産された。折り畳み式金属ストックと木製フォアストック、ピストルグリップのほか前傾したマガジンと39Mに比べ少々短縮された銃身が特徴。東部戦線の極寒や泥濘に耐えうる頑丈な銃として高く評価され、ドイツ国防軍でも使用された。
【部隊】
本銃を運用するドイツ空第2降下猟兵師団・第6降下猟兵連隊は1943年1月12日にフランスのブルターニュ地方で編成された。連隊の第1・2旅団はアフリカ戦線で連合軍と激闘を繰り広げたラムケ降下猟兵旅団などの歴戦部隊を元に編成されている。1943年7月26日に同じフランスのマルセイユへ移転、そのすぐ後にイタリア、ローマ南西へ空輸された。そして連合軍に降伏したイタリア軍部隊の武装解除作戦(アクセ作戦)に参加、11月には連隊の第3大隊がイタリア半島防衛の最前線であったラインハルト線へ移動してアメリカ軍などと交戦し損害を受けた。同じく11月の12日、第1大隊が東部戦線へと向かいジトーミルに到着後、ラドミシェルのソ連軍を攻撃したがその最中に包囲されなんとか包囲網を突破した。1944年1月1日には度重なる他部隊との統合の結果、部隊は第1大隊のみで連隊を構成することとなったがすぐに第2・3大隊が補充された。5月、予想されていた連合軍の上陸作戦に備え第84軍団の予備部隊としてフランスに移動、6月のオーヴァーロード作戦では数倍の連合軍の前になす術なく壊滅し、生き残って連隊に合流したのは中尉1名と20人あまりの兵士だけだった。その後一度第17SS装甲擲弾兵師団「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」の指揮下に入るもすぐに離脱し第2SS装甲師団「ダス・ライヒ」に合流後撤退を続け、8月10日に前線から退いた。この時点で連隊の人数はなんと僅か40人だったという。8月末までに新兵と復帰兵によって連隊員数は1000名近くまでに回復しオランダのティルブルフに駐留、ここでベーリンゲンにあった連合軍橋頭堡を攻撃し、撤退を続けながらオランダ各地の防衛戦に参加した。1944年12月「ヒトラー最後の賭け」と呼ばれたアルデンヌ攻勢の一環として計画されたシュテッサー作戦に歴戦の降下猟兵120名余りを派遣、しかし12月16日の作戦発動までに十分な物資や訓練が整わず、それでも作戦は発動されたが悪天候もあいまって降下は大幅に分散、第6降下猟兵連隊の兵士は戦って自軍陣地まで帰還することに成功した。1945年2月になるまで連隊主力はヒュルトゲンで連合軍を相手取って一進一退の攻防を繰り返していたが、レマーゲンへと転戦。3月に連隊幕僚らが連合軍の捕虜となった後も戦闘を続けていたが4月17日に残存兵力は全て連合軍に降伏し、第6降下猟兵連隊はここで第二次世界大戦における活動は終了した。
小ネタ
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