Pz.III N Pz.Rgt.1

Last-modified: 2025-11-12 (水) 11:01:58

概要

III号戦車N型の第1装甲連隊仕様。

BR・Tier

項目数値
Tier2
BR
旧使用可能キャンペーン
モスクワノルマンディーベルリンチュニジアスターリングラード太平洋戦争
--課金-

車両性能

項目数値
乗員(人)5
砲塔旋回速度(°/C)14°/ C
俯角/仰角(°)-10 / +20
リロード速度(秒)3.3
最高速度(km/h)53.41
車体装甲厚
(前/側/後/底)(mm)
53/30/53/16
砲塔装甲厚
(前/側/後/上)(mm)
50/30/30/10
エンジン出力(rpm/hp)3000/255⇒3000/300
重量(t)23.0
視界(%)△△

武装

名称搭載数弾薬数
主砲75mm Kwk 37 砲169(APCBC29,HEAT28,SM7)
同軸機銃7.92mm MG34 機関銃13450
砲塔上面機銃7.92mm MG34 機関銃12000
スモークランチャー発煙弾6

解説

特徴

ーー加筆求むーー

 

【火力】
ーー詳細な解説はPz.III Nを参照のこと。ーー

 

【装甲】
ーー詳細な解説はPz.III Nを参照のこと。ーー

 

【機動性】
ーー詳細な解説はPz.III Nを参照のこと。ーー

 

【総論】
ーー詳細な解説はPz.III Nを参照のこと。ーー

史実

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【車輌】
Pzkpfw III Ausf.N Nr."060"は第1装甲連隊所属とされる車輌で、元ネタ車輌は不明。
【部隊】
第1装甲連隊は1935年10月1日、第9軍管区エアフルトで1934年10月1日に編成された第2戦闘車輌連隊から2個大隊を抽出して編成された。連隊は第1装甲師団に配属されエアフルトに駐屯した。1939年9月のポーランド侵攻開始時、連隊は6個軽戦車中隊で構成され、I号戦車39輌、II号戦車60輌、III号戦車20輌、IV号戦車28輌、指揮戦車6輌を保有していた。
1939年8月、連隊はシュレジエンへ移動し9月1日からポーランド侵攻に参加した。オッペルン地域から出撃した連隊はチェンストホヴァ北方を通過しヴァルタ川へ進撃、9月2日に同川を渡河し対岸に橋頭堡を構築した。その後北北東方向へ進撃しカミエンスクを占領、9月6日にトマシュフに到達後さらにヴィスワ川まで進出し、9月8日にグラ・カルヴァリアで同川に到達した。9月12日までにヴィスワ川東岸に複数の橋頭堡を構築し15日まで確保した。9月16日から連隊は北西へ転進しブズラ川方面へ進撃、ポーランド軍の反撃に晒されていた第18歩兵師団を支援するため18日まで戦闘を継続した。ポーランド戦役終了後、連隊はエアフルト駐屯地へ帰還した。
整備と再編成の後、1939年11月末にドルトムント地域へ、1940年初頭にはモーゼル川と南アイフェル地方へ移動した。1940年5月10日、連隊はルクセンブルク国境を越えベルギーへ進撃、ヴィトリーを経てブイヨンへ到達後スダン方面へ転進した。5月13日にマース川を渡河し橋頭堡を形成、5月16日夕刻までにマース川のフランス軍陣地を突破しアミアン方面へ進出、ダンケルク南方地域に到達した。6月初旬、連隊はアイスヌ川北方のシャトー・ポルシアンに集結、6月10日にアイスヌ川を越えシャトー・ポルシアンでヴェイガン線を突破し、6月13日にエトレピーでライン=マルヌ運河を渡河した。その後マルヌ川沿いに南下しショーモンとラングルを経て6月13日にサン・ディジエ、6月15日にグレイ=シュル=ソーヌに到達、6月17日に北東へ転進し6月18日にベルフォール要塞を占領、6月22日までヴォージュ山脈の掃討作戦を実施した。

小ネタ

ーー加筆求むーー

出典/参考文献

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