
概要
モスクワキャンペーン枢軸軍側で1200ゴールド(ゴールドチケットも可)課金購入で使用可能になる中戦車である。
BR・Tier
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| Tier | |
| BR |
車両性能
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 乗員(人) | 5 |
| 砲塔旋回速度(°/C) | 11.9 / C |
| 俯角/仰角(°) | -10 / +20 |
| リロード速度(秒) | 3.3 |
| 車体装甲厚 (前/側/後/底)(mm) | 50 / 20 / 20 /10 |
| 砲塔装甲厚 (前/側/後/上)(mm) | 30 / 20 / 11 / 10 |
| 馬力 | 3000rpm / 300hp |
| 重量(t) | 21.0 |
| 視界(%) | △△ |
| 速度(km/h) | 42.76 |
武装
| 名称 | 搭載数 | 弾薬数 | 貫徹力 (前/側/後)(mm) | |
|---|---|---|---|---|
| 主砲 | 7.5cm Kwk 37 L/24 戦車砲 | 1 | 80 | △△ / △△ / △△ |
| 同軸機銃 | 7.92mm MG34 機関銃 | 1 | 2700 | △△ / △△ / △△ |
解説
モスクワキャンペーン枢軸軍側で1200ゴールド(ゴールドチケットも可)課金購入で使用可能になる1941年モスクワの幻影師団のドイツ軍IV号中戦車E型である。
特徴
1941年モスクワの幻影師団の迷彩を施された課金版ドイツ軍IV号中戦車E型である。性能はPz.IV E中戦車と同性能である。課金版の為、改造アップグレードは全て完了済みである。
ーー加筆求むーー
【火力】
Pz.IV E中戦車と同性能
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【装甲】
Pz.IV E中戦車と同性能
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【機動性】
Pz.IV E中戦車と同性能
ーー加筆求むーー
【総論】
ーー加筆求むーー
史実
【部隊】
本師団は1939年10月18日、旧第2軽師団を母体としてツァール(テューリンゲン州)ゲーラにおいて編成された。編制時から機械化・装甲化を前提とし、総戦車数218両、二個機械化歩兵連隊、騎兵機動大隊、工兵・対戦車・砲兵・補給部隊を備えていた。師団は「幽霊師団(Gespensterdivision)」の愛称を冠し、速度と機動を最大の武器とした装甲部隊の典型である。
1940年5月10日、師団は第4軍・第XV機械化軍団隷下としてベルギーに侵攻。アルデンヌ突破からマース川北岸を抜け、5月12日にはディナン付近でマースを渡河。北フランスへの深進撃を遂げ、5月21日にはアラスで英軍の反撃を受けながらもこれを撃退し、5月30日までにリール北西へ到達した。フランス戦において師団は卓越した機動戦を展開し、ドイツ装甲戦史に燦然たる位置を占める。西方戦後はフランス北部に一時駐留、英本土侵攻準備に従事した。
1941年6月22日、バルバロッサ作戦に参加。中央軍集団・第LVI機械化軍団隷下でリヴォニア・インゲルマンド方面に進出し、ルーガ川付近まで後退戦に転じながらも攻防を継続。1942年5月、一時戦列を離れフランスで再編・補充を実施。1943年夏のクルスクの戦いにおいては前線投入を逸したものの、消耗が激化する東部戦線において師団は次第に“守備”主体へ移行していった。
1944年以降、師団はバルト・東プロイセンを転戦し、補給難・人員減少・装備欠乏の三重苦に直面。師団所属の装甲大隊・歩兵擲弾兵部隊は機動部隊としての役割を維持しつつも、徐々に後方防衛・撤退任務に追われた。1945年春にはポーランドからドイツ本土へ退却し、最終的には師団残存部隊がベルリン北西域の英国軍に降伏することで使命を終えた。
本師団の特色として、編制直後の戦車配備・西方電撃戦での突破力・「幽霊師団」というニックネームに象徴される機動性・東部戦線における長期消耗戦への移行という、典型的なドイツ装甲師団の変遷を挙げることができる。装備面では初期に主として中戦車・軽戦車を使用し、西方戦において優位を発揮したが、戦線延長・補給線の疲弊・敵の増強に伴い、その優位は次第に希薄化した。さらに師団構成部隊(装甲連隊・擲弾兵連隊・砲兵連隊等)による連携運用が、初期の攻勢形態から中期以降の防御主体形態へと変質した点も注目に値する。
その戦歴は、1939年の編成から1940年の華々しい勝利、1941年以降の深刻な東部戦線消耗、そして1945年の敗北・降伏に至るまで、まさにドイツ陸軍装甲兵力の全盛と衰退を凝縮したものである。そして「機動戦の旗手」としての初期の姿と、終戦時の後退部隊としての姿とを併せ持つこの第7装甲師団の歩みは、軍事史的にも象徴的なものと言える。
小ネタ
ーー加筆求むーー