概要
本銃は1927年に試作された試製自働短銃の第一次試作型。日本で最初に開発された機関短銃であり、日本陸軍により昭和2年に自動小銃の開発の予備研究として開発された銃である。
8㎜弾を使用した試作品がテストされ、ドラムマガジンとボックスマガジンの2種類が用意されていた。
使用可能キャンペーン
モスクワ | ノルマンディー | ベルリン | チュニジア | スターリングラード | 太平洋戦争 |
- | - | - | - | - | 〇 |
距離毎ダメージ減衰率
距離によるダメージ減衰 (改修前⇒改修後) | |||||
---|---|---|---|---|---|
距離(m) | 10 | 100 | 150 | 200 | 300 |
打撃力 | 6.0⇒7.2 | 3.5⇒4.2 | 3.0⇒3.6 | 2.8⇒3.4 | 2.6⇒3.2 |
貫徹力 (改修前⇒改修後) | ||
---|---|---|
距離(m) | 10 | 1500 |
貫徹力(mm) | 1.0 | 0.1 |
性能
項目 | 初期値⇒最大値 |
口径(mm) | 8.00 |
---|---|
打撃力*1 | 6.0 ⇒ 7.2 |
銃口初速(m/秒) | 350 |
発射速度(発/分) | 1200 |
リロード時間 (秒) | 2.1 |
垂直反動 | 21 |
水平反動 | 8 |
供給システム*2 | 50発弾倉 |
重量(kg) | 4.3 |
弾倉質量(g) | 11.2 |
射撃方法 | オート |
銃剣 | ◯ |
解説
特徴
何と言っても独特なシルエットに50連ドラムマガジン、そしてゲーム内でも上位にランクインする発射速度であろう。
火力
米軍のSMGとも真正面からの撃ち合いも問題なく、高い連射速度から繰り出される弾幕は敵をアッという間に蜂の巣に出来る。
適正距離
至近距離~50m程度まで、反動が大きいので中距離以降は狙い辛い。
命中精度
反動が大きいため連射するとかなり弾がバラけ、距離が離れた敵には当てづらい。
総論
高威力・高レートの本銃は日本軍最強の機関短銃と言える。
本銃は高レートゆえ高反動である為、なるべく連射は控え、指切りを意識しよう。又、弾薬の消耗が激しいので、『大型弾薬ポーチ』を持たせることを強くオススメする。
史実
開発経緯
第一次世界大戦後の大正9年(1920年)7月の陸軍技術本部兵器研究方針によって、自動小銃開発の予備研究として、自働短銃(当時の日本での短機関銃の呼び方)の研究にも着手するようになり、外国製短機関銃(ドイツ製MP18、アメリカ製トンプソンなど)を輸入し、分解、研究を行った。
概要
大正9年(1920年)頃、弾薬選定の予備研究が行われ、6.5mm弾(.25ACP弾)・7mm南部弾・7.7mm弾(.32ACP弾)が試され[1]、いずれも不満足だったので、最終的に十四年式拳銃と同じ8mm南部弾(8×22mm南部弾)を使用することに決定した(※弾薬の選定がいつ頃行われたのかは正確には不明。ただ、使用弾薬を決めなければ、銃器の設計に取り掛かれないので、1920年代の前半に行われたと考えられる)。
大正12年(1923年)に、陸軍造兵廠火工廠東京工廠にて試製自働短銃の設計が開始された。
昭和2年(1927年)に、「試製自働短銃 1927年型」(Tokyo Arsenal Model 1927)が完成した。全長690mm、重量3.2kg、8×22mm南部弾、50発ドラムマガジン(メタルテープ給弾)または30発ボックスマガジン(スプリング給弾)、ブローバック方式で、エアバッファー(空気圧式ボルト緩衝装置)[2]の欠陥から発射速度が1200発/分と高過ぎる(後に、300~600発/分に改良された)、命中精度が悪い、構造が複雑で脆弱、などの問題点があった。
翌昭和3年(1928年)には、全く別設計の「試製自働短銃 1928年型」(Tokyo Arsenal Model 1928)が完成している。全長800mm、重量3.3kg、8×22mm南部弾、18発マガジン、ブローバック方式。セレクターにより単発と連発の切り替え可。
昭和5年(1930年)に、試製自働短銃 1927年型と1928年型は、シグ-ベルグマン(SIG-Bergmann、スイスのシグ社によるMP18のライセンスコピー品)、ラハティ(Lahti Model 1922)、トンプソン(Thompson)、など、他のいくつかの短機関銃との比較試験を受け、結果、両者とも不採用となった。
その後、翌昭和6年(1931年)の満州事変の勃発により、予算上の制約と生産優先順位の点から開発は停滞した。
小ネタ
呼称に関して
本銃の名称である試製自働短銃は「試製自“動“短銃」でなく「試製自“働“短銃」という字が正しい。