全連邦議会選挙(連邦議会選挙)
1964年1月1日
- 概要
選挙自体は1963年7月に行われていたが、記録上は1964年1月1日なっている。これは連邦成立と同時にスムーズな新たな立法機構への移行へ目指して行われた物で、概ね達成された
また、当時の連邦議会は定数220議席であり、これは現在の431議席とは大きく異なる。
また、参加している政党自体も4党のみで、自由国民党と社会党のみで議席の9割を占めているためほぼほぼ二大政党制となっているのも特徴
この内、自由戦線は選挙直後に人民自由党(現野党第二党)・統一右翼党(現連邦万歳 - 野党第三党)・前進同盟(1972年消滅 - 後に元党員がBPNの離脱者と共に連邦進歩党(現:四ツ星運動)を結成)・新生自由党(消滅 - 1972年に人民自由党へ合流)の4党に分裂している
また、BPNは現存しない政党だが、これは政党としての選挙参政要件を満たせない小政党群による政治的ブロックであり、主に当時支持の薄かった社会主義(ゲラノド)系政党が多い
1968年1月1日
- 概要
主な政党であるPLNとPSはそれぞれ微減微増で、それ以外の議席を分裂したFLの党派が奪い合う状況となった
この内、前進同盟と新生自由党は次回選挙の時点で消滅することとなった
勢力図的には中西部地域からの支持を中心とするPLN、東部地域の支持が中心なPSの間で、その他の浮遊層の支持を旧自由戦線諸派が争奪戦を繰り広げている
1972年1月1日
- 概要
前年と同じように主要2党は微減微増、PPLは新生自由党の支持層を無事に取り込む事に成功したため野党第三党にまで躍進した。
一方で、前進同盟票の取り込みは非常に難しかったようで、それぞれPDU・BPNが微増となっている
1976年1月1日
- 概要
社会主義系政党の一斉離脱によってBPNが崩壊したことで、政界に小波乱が巻き起こったが元BPNの政党群はそこまで支持を得る事はなく、むしろ政治的影響力を低下させる結果となった。
だが、後の選挙では、これが大きな分岐点となったと考える学者が多い
1980年1月1日
- 概要
いずれも微増微減。ただ、PLNの支持率が上昇した理由として、この時僅か29歳で当選した若き大統領にして、後の英雄「レイス・フィアート」大統領の存在がかなり大きい
また、ここから84年までの連邦は高度経済成長によって黄金時代を迎える事となる
1984年1月1日
- 概要
「運命の84年選挙」とも言われる、現代連邦諸国史において特に重要な選挙であり、この選挙の結果次第では後世の歴史が大きく変わっていたと主張する学者も非常に多い
人民連合とは、PS、LTN、ALP、PRPに地方政党から、当時社会問題となった労働者運動に乗じて地方政党から連邦政党になったマルスティネア労働者党からなる野党連合
前述したように、当時白熱していた労働者運動の勢いもあり、開票50%の時点でUP有利が報道されるなど非常に追い風に乗った結果となった
しかし、人民連合政権下ではアラタイ炭鉱崩落事件、それに起因するトンブ独立戦争に、独立戦争を原因としたリーリス企業ビル連続爆破事件によって人民連合は瓦解することとなる
1987年8月23日
多与 | 自由国民党 (PLN/Partito liberale-nazionale) (LNP/Liberal-nationella partiet) (LNP/Liberaal-Nationale Partij) | 掲載作業中 | 中道右派・保守ノティラレ(市場自由主義保守派) | 43.6% | 96議席 | |
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野一 | 社会党 (PS/Partito Socialista) (S/Socialistpartiet) (SP/Socialistische Partij) | 民主保守ゲラノド右派・保守ノティラレ(市場自由主義保守派) | 26.4% | 58議席 | ||
統一連邦労働党 (PFLU/Partito Federale dei Lavoratori Unito) (FFA/Förenade federala arbetarpartiet) (VFA/Verenigde Federale Arbeiderspartij) | 民主保守ゲラノド左派 | 14.5% | 32議席 | |||
少与 | 人民自由党 (PPL/Popolo Partito Liberale) (FLP/Folkets liberala parti) (LV/Liberale Volkspartij) | 穏健右派・保守ノティラレ(市場自由主義保守派) | 10.0% | 22議席 | ||
外与*1 | 統一右翼党 (PDU/Partito di destra unito) (FHP/Förenade högerpartiet) (VRP/Verenigde Rechtse Partij) | 右派・自由ノティラレ(市場自由主義) | 3.2% | 7議席 | ||
連邦進歩党 (PPF/Partito Progressista Federale) (FPP/Federala progressiva partiet) (FPP/Federale Progressieve Partij) | レープスツ主義 | 1.8% | 4議席 | |||
全国労働者同盟 (LTN/Lega del lavoro di tutte le nazioni) (AAF/Allnationella arbetsförbundet) (AAL/Arbeidersliga van alle landen) | 穏健シンディルアイスト | 0.5% | 1議席 |
- 概要
人民連合代表であった社会党のマリウス(マリウス・マリーニ)大統領の弾劾決議の可決によって、大統領職務権を継承した副大統領のイリアス(イリアス・オルシーニ)が議会の解散と大統領選挙の実施、つまり総選挙を命令した事で87年選挙が実施された
PLNはこの選挙に向けて、連邦国民であれば誰でも知っている連邦初代大統領のシルヴィア(シルヴィア・ウォレス)を代表にした上で、概ね主義主張が同じであるPPLとの協力体制(自由連合)を確立したことで、盤石の体制を整えていた
一方、最大野党であるPSは上層部のベテランや有力な若手を分離した政党であるPFLUによって奪われた事で、影響力が劇的に低下しており、なんとか野党第一党を守り抜いたと言ったほうが正しい
件のPFLUは小選挙区において社会党に基盤を受け継いだために、初参加の政党でありながら野党第二党となった
PPLはPLNとの協力体制構築により、政権運営能力を重視する自由主義者の有権者からの支持を受けた事で議席数を増やした
PDUは支持層がPLNとPPLとほとんど同じであるため、あまり勢力を伸ばす事は出来なかったが自由連合政権2年目より、閣外協力という形で事実上の与党となった
PPFは元前進同盟の党員とBPNの非社会主義系政党の元党員によって結成された、現在の四ツ星運動である
LTNは人民連合参加政党において、社会党以外で唯一議席を守る事に成功したが、僅か1議席と政治的影響力は非常に小さな物に収まる事となった
しかし、シルヴィアが3年目に健康状態を要因として辞任することとなっため、この体制は3年で終了した