狭野神社

Last-modified: 2013-10-10 (木) 00:30:19
 

狭野神社
さのじんじゃ
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(参拝日:平成25年8月12日)
住所:宮崎県西諸県郡高原町大字浦牟田117mapionlogo.gif
主祭神:神日本磐余彦天皇
社格:県社、官幣大社別宮、別表神社
主な祭礼:10月23日(例祭)
関連:霧島六社権現(狭野神社霧島神宮東霧島神社霧島東神社霧島岑神社?)※現在は五社
関連:本宮(宮崎神宮)
webサイト:宮崎神宮

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↑鳥居↑
(由緒:現地案内板より)
当杜は、孝昭天皇(人皇第五代)の御代、神武天皇の御降誕の地に社殿の創建があったのが当社の創祀という。
その後、再三に亘る霧島山の噴火により社殿等炎上の災厄に遭ったが、慶長一五年(一六一〇)現在地に杜殿を造営遷座された。
その他、藩主島津氏より社殿の改築、杜領の寄進等が行われた。

太古、天皇は回向の国(宮崎県)より大和の国(奈良県)に入り、辛酉の春(二月十一日)橿原の宮に即位された。
我が国ではこの年を建国の時として紀元元年としている。
そして天皇は、民主安定を目標とし、同胞一体、国土の開発経営に当られた。
その治績徳望を称へて、始取天下之天皇とも申し上げている。

ここに日本国の基礎、政治の基本が定められた。
日本人は神武天皇を建国の英主と仰ぎその聖徳を忘れない。
また天皇は一二七歳迄長命であったと言われている。

当社は、古来霧島六社権現(霧島神宮他)の一つとして、事始めの神(事業所安全)、
厄除開運、交通安金、子供達の守り神、長寿の神として人々の篤い崇敬をあつめている。

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↑拝殿↑
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↑神門↑
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↑境内地図(クリックで拡大)↑
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↑狭野杉↑
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↑新納武蔵守忠元句碑↑
(以下、余談)
霧島六社権現の一社で、宮崎神宮の別宮でもあります。
当社は神武天皇(神日本磐余彦尊、狭野尊)の降臨地とされ、事始めの神社として崇敬されています。

狭野杉という国の天然記念物に指定されている杉並木の参道を進むと、趣のある社殿が並んでいます。
島津義弘の家臣・新納忠元が神社に植林した杉が、現在の参道にある大杉だと言われています。

近くには最近噴火した霧島連山が見えます。火山灰が道路にうっすらと降り積もっていました。
建国有史以来の歴史ある地ですが、今も躍動する土地なのですね。