帰蝶

Last-modified: 2010-02-04 (木) 15:13:50

生まれ

1535年? 父は斎藤道三、母は小見の方明智光継?の娘)である

どんな人?

織田信長の正室

濃姫年表

1535年1歳?誕生?
1548年14歳?清洲との和睦の条件として信長との婚約の話が持ち上がる
1549年15歳?信長のもとに嫁ぐ。美濃の姫と言う意味から濃姫と呼ばれる
1553年19歳?父・道三、正徳寺で信長と会見する
1555年21歳?輿入れする
1556年22歳?兄・斎藤義龍に攻められた、道三は自害する。この事件によって斎藤家と織田家は敵対する
1565年31歳?小牧城に帰蝶の新居が完成する
1568年34歳?成菩提院に信長と共に宿泊する
1569年35歳?信長と共に京都を見物する
      壷をめぐって信長と義龍後家が対立する。帰蝶が仲裁人となる
      信長が姑・小見の方の所へ挨拶をしに行く
1582年48歳?本能寺で明智光秀の謀反に遭い信長は没する
1583年49歳?信長一周忌の法要を信長の夫人(帰蝶?)の主催で営まれる
1612年78歳?帰蝶没?法名は養華院殿要津妙玄大姉

逸話

●濃姫の他に鷺山殿、安土殿などとも呼ばれている
●帰蝶が信長のもとに嫁いで行く時、道三は帰蝶に懐刀を与え、「信長が真のうつけだったら、この刀で信長を刺せ」と、言われ帰蝶は「はい、分かりました。もしかすると、この刀で父上を刺すかも知れませぬ」と、言うエピソードが有名である
●色んな歴史小説や時代劇などでは信長とは仲がよくて、賢婦と言うイメージがあるが、実は信長とは仲が悪かったと言う説があるが実際の所は不明である
●光秀の初恋の相手は帰蝶で、光秀が信長の事を嫉妬して本能寺の変を起こしたと言う説がある
●帰蝶の没年については不明な所がある
●信長の死後、帰蝶はどうなったかは不明である
●信長との間に子供はいなかったらしい

関連のある人々

織田信長・・・帰蝶の夫
斎藤道三・・・帰蝶の父
斎藤義龍・・・帰蝶の実兄
明智光秀・・・帰蝶の従兄弟とする説があるが、光秀の生年が不明のため定かではない

祐筆の人物批評

●藤原義信「帰蝶は信長の正室にしては資料が少なくて謎が多いんですよねぇ。ちょっと残念です」

祐筆

●一番手・・・藤原義信「帰蝶についての資料が少なくて、編集がちょっと大変でした」