織田信長

Last-modified: 2010-01-18 (月) 14:42:55

織田信長 おだのぶなが

生まれ

1534年 織田信秀土田御前の間で生まれた

どんな人?

室町幕府を滅ぼし、天下統一を進めたが惜しくも明智光秀の謀反にあって自刃してしまった人

おいたち年表

1534年1歳誕生。幼名は吉法師丸または三郎
1546年13歳元服。信長と名を改める
1551年18歳父・信秀没。家督を継ぐ
1559年26歳岩倉城の織田信賢を破り、尾張を統一
1560年27歳桶狭間の戦い今川義元を破る
1562年29歳三河の松平元康と同盟を結ぶ
1567年34歳美濃の斎藤龍興を滅ぼし、稲葉山城を岐阜城と改名する
1568年35歳足利義昭を奉じて京に上洛
1571年38歳比叡山延暦寺を焼き討ちにする
1573年40歳朝倉氏・浅井氏を滅ぼし、義昭を河内に追放。室町幕府滅びる
1575年42歳長篠の戦い武田勝頼を破り、越前の一向一揆を鎮圧する
1576年43歳近江に安土城を築城する
1580年47歳石山本願寺を攻め降伏させる
1582年49歳甲斐を遠征して武田氏を滅ぼし、上洛中、本能寺で家臣・明智光秀の謀反にあい自刃

逸話

●赤子の頃、乳母の乳首を血が出るほど噛んでいたため、母でさえ乳を与える事が出来なかった
●父・信秀の葬式の時、祭壇に抹香を投げつけた
●地球が自転していることや地球が丸いことを理解できた。
●生涯を通して相撲好きだった。
●信長は下戸だったのでほとんどお酒を飲まない。
●上洛後は髭や眉毛を細く刈り込んで整えていた。
●側室や子供など大事な身内の名前に、『なべ』や『五徳』などの食器や炊飯道具の名前をつけていた。
●一切信仰心が無かった。(でも熱田神宮に必勝祈願には行った)
●安土城を留守にした際、次女たちが食べたみかんの皮がそのままになっているのを見て激怒し、次女たちを殺してしまった。
●上洛後に食べた京の食事は薄味すぎて口に合わなかった。
●日本人で初めて黒人(弥助)を家来にした。
●馬に乗るときは片足を馬の背に乗せる癖があった。

織田信長と関連のある人々

●父親
織田信秀

●母親
土田御前

●兄弟
織田信広
織田信勝
織田信包
織田信治
織田信時
織田信興
織田秀孝
織田秀成
織田信照
織田長益
織田長利

姉妹
お犬佐治信方室→細川昭元室)
お市浅井長政継室→柴田勝家室)

正室
濃姫

側室
生駒吉乃(生駒家宗の娘)
お鍋

息子
織田信忠(嫡男)
織田信雄(次男→北畠具房養子)
織田信孝(三男→神戸具盛養子)
羽柴秀勝(四男→豊臣秀吉養子)
織田勝長(五男)
織田信秀(六男)
織田信高(七男)
織田信吉(八男)
織田信貞(九男)
織田信好(十男)
織田長次(十一男)
織田信正(庶長子)


長女・・・徳姫松平信康の妻)
次女・・・冬姫蒲生氏郷の妻)
三女・・・秀子(筒井定次の妻)
四女・・・永姫前田利長の妻)
五女・・・報恩院(丹羽長重の妻)
六女・・・三の丸殿豊臣秀吉の側室・二条昭実妻)

於振・・・水野忠胤の妻・佐治一成の継室
鶴・・・中川秀政の妻

養女
遠山夫人・・・武田勝頼の正室

織田信広の娘・・・丹羽長秀の妻

家臣

明智光秀・・・重臣
柴田勝家・・・重臣
滝川一益・・・重臣
丹羽長秀・・・重臣
豊臣秀吉・・・重臣

浅井新八郎

荒木村重
池田勝正

生駒勝助

猪子一時

池田恒興

伊東長久

飯尾尚清

河尻秀隆

蒲生氏郷

金森長近

九鬼嘉隆

佐治一成
佐久間信盛

佐々成政

武井夕庵

筒井定次

筒井順慶

徳大寺実久

中川重政

丹羽長重

二条昭実

野々村正成

林秀貞
長谷川秀一

蜂屋頼隆
福富秀勝

堀秀政

細川幽斎

村井貞勝

松井友閑

万見重元

松永久秀
前田利家
前田利長

万里小路充房

水野忠胤

毛利新助

毛利秀頼

森長可
森蘭丸

祐筆の人物批評

由衣・・・もし信長が今この時代に生きていたら、どのようなことをするのだろう?時代の先端を行き、人がやらないことをやるという姿勢は、現在ならどのような形になるのでしょうか。家臣の意見に耳をかさず、すべて自分の考えで生き抜いてきた信長は、ワンマンですが天才だと思います。

あいら・・・信長だいだいだいすき [heart]

祐筆

●一番手・・・藤原義信「信長の所を書いて見ました。これからも色んな人物について書いて行こうと、思います」

●二番手・・・愛 「関係のある人たちを書きました。信長関係の人たちを色々書いていきたいです」